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めぇでるコラム : 2015年2月

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★(2)言語に関する問題 (2)

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        「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            (第31号)
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★
(2)言語に関する問題 (2)
 
[しりとり]
★「左上の四角から、右下の三角まで、しりとりでつながるように線を引きな
さい」
 
しりとりは、子どもも得意ですし、いつでも、どこでもできます。
「りんご・ゴリラ・らっぱ・パイナップル・ルビー」といった、しりとりの定
番のようなものがありますが、ゴリラ以外の「ご」で始まるものに切り替えな
ければ、マンネリでだれてしまいますね。遊びも適度の緊張感がないと面白く
ありません。「ごま、ゴルフ、ゴム、ごみ、ゴキブリ、ゴンドラやゴーグル」
は、どうでしょうか。お子さんと一緒に探してみましょう。
 
いつもお母さんが主導権を握っていると、お子さんは緊張の連続で息抜きがで
きず、つらいものです。一緒に考えるのは、同じ土俵にいることになりますか
ら、お子さんもリラックスできるのです。
「お母さんも、思いつかないのだけど……?」
などとつぶやいてあげると、お子さんは真剣に考えるはずです。これを「つぶ
やきの教育」とか「ささやきの教育」などといっていますが、「教えこむ教育」
ではなく「考えさせる意欲を育てる教育」です。
正解なるものをひたすら求めてばかりいると、模範解答だけしかいえない、こ
んな言葉はないでしょうが、「マニュアル受験生」になる心配もあります。以
前にもお話ししましたが、こういった弊害をなくすためにペーパーテストを廃
止し、行動観察型のテストを取り入れる学校が増えたわけです。
 
[同頭語・同尾語]
★絵の中で「あ」で始まるものに〇、「ん」で終わるものに△をつけなさい。
 
同頭語は言葉の頭の音ですから間違いも少ないようですが、問題は言葉の終わ
りの音、同尾語です。プリントの絵を見ながらの場合は何とかなるでしょうが、
口頭試問ではどうでしょうか。
 
★「『ん』で終わるものを、できるだけたくさんいってください」
 
こうなると、パニックになりがちではないでしょうか。
「あんパン、ジャムパン、カレーパン」では、あまり発想が豊かとはいえませ
ん。疲れているお父さんは「グロンサン、リポビタン、アリナミン」と言うか
もしれません、冗談ですが(笑)。
動物の名前や台所で使うものに見当りますね。出てこない場合には、「動物」
「台所」などとヒントを与えましょう。 
 
ところで、言語の問題では、マッチ、風鈴、うちわ、扇子(せんす)、はたき、
竹箒(たけぼうき)、ちりとり、氷柱(つらら)などが出題されていますが、
普段、見かけないものもありますね。家にないものは、見かけた時にきちんと
説明してあげることです。臼(うす)や杵(きね)は昔話の世界ですから、出
てきたときに注意を促しましょう。
 
昨年の2月、大雪が降り氷柱を見たのですが、今年はどうでしょうか。その時
のことですが、雪合戦をしたり雪だるまを作る子ども達がいないので、不思議
に思って家内に聞いたところ、「ご近所に、小さいなお子さんがいないからで
すよ」といわれてがっくりしたものです。我が家の周辺も、高齢者集団になっ
ていることを実感しました。(笑)
    
[反対言葉]
★「先生がいう言葉と反対の言葉をいってください。『高い』……」
       
こういった問題です。     
「『高い』の反対は、イ・カ・タです!」
これは笑えませんね。初めての問題に取り組むときに起きやすい勘違いで、こ
れでは説明不足です。
「『大きい』の反対の言葉は『小さい』ですね。わかりましたか。では、『高
い』の反対は……」 
こういう説明があれば間違わないでしょう。初めての問題は、きちんと説明し
ないと誤解が起きやすいものです。私たち親は、わかっているだろうと先入観
を持ちがちですが、子どもにとって迷惑な話となる場合もあるものです。最初
の一歩は親切、丁寧に、二度目、三度目からは少しずつ簡略化し、きちんと理
解できた後は問題文を読むようにしましょう。
いつまでも懇切、丁寧では、お子さんも「説明はこういうものだ」と誤解しや
すいですから注意が必要でしょう。
 
しかし、考えてください。
頭の中で言葉を引っ繰り返し、懸命に考えて答えているのですから、笑ってし
まうと子どもの自尊心は傷つきます。お子さんが急に黙りこんだり、プッとふ
くれたりした時は、自尊心を傷つけられている場合が多いですから、やさしく
対応してあげましょう。もう、そういった時期に入っているからです。
また、こう答える場合もあります。
「『大きい』の反対は、大きくない」、間違いではありませんね。「長くない。
重くない。明るくない。広くない」と答えた子がいました。言葉としては通用
しますが、これは教えてあげましょう。
 
反対語は、小学生になると二字熟語として習います。勿論、「大小」を「だい
しょう」、「上下」を「じょうげ」、前後を「ぜんご」、「左右」を「さゆう」と
音読みで教える必要はありませんが、面白がって覚える子も出てきます。そう
いった場合は、「言葉の遊び」として教えてあげましょう。
「赤い」「長い」「広い」「多い」「寒い」「弱い」「明るい」「美しい」などの形容詞は、形
容動詞、副詞などと共に、作文を書くときに生きてきます。ですから、語彙を
増やしてあげることが大切なのですが、前回にもお話ししましたように、文字
を書きたがる場合は、正しい筆順を教えることも忘れないでください。何事も
最初の一歩が大切だからです。
 
[復唱・逆唱]
★「先生のいったとおりにいってください。
1、3、5、7、9、ハイ、どうぞ」
 
★「次は、逆からいってください。3、5、7といったら7、5、
3というのですよ。 2、9、7、ハイ、どうぞ」
 
★「今度は、文をいいますから、同じようにいってください。昨日
は、幼稚園の遠足で、動物園に行き、パンダを見ました」
こういった問題です。確かに記憶力ですが、大人の考える記憶力ではありませ
ん。
リズム感覚の遊びです。
 
5ケタの数の復唱を、「1………、3………、5………、7………、9」
などとやっては、だれてしまいます。これを、「1、3、5、7、9!」とリ
ズミカルにやると、子どもはついてきます。 
面白いのは、逆唱の問題ですね。「1・3・5」なら「5・3・1」となるわ
けですが、これは練習しなければできません。やっかいなのは、言葉の逆唱で
す。「りんご・バナナ・トマト」を「トマト・バナナ・りんご」と言い換えま
すが、かなり難しい問題です。ところが、この3つの組み合せの中へ、子ども
達に人気のあるものをはさむと、完璧に答えますから不思議なものです。
 
以前、タマゴッチがはやった時のことですが、こんなことがありました。
「りんご・バナナ・タマゴッチ」とやれば「タマゴッチ・バナナ・りんご」で
す。 
「バナナ・ドラえもん・りんご」では「りんご・ドラえもん・バナナ」となり
ます。 
全部、人気者にすると模範的な回答になります。
「ドラえもん・のびた・静ちゃん」は「静ちゃん・のびた・ドラえもん」です
ね。子どもの笑顔が浮かんできませんか、やはり、遊びの感覚です。頭の体操
と考え、お子さんと一緒に楽しく遊んでください。
               
[数詞]
これも厄介な問題です。
ウサギのように、一羽、二羽、三羽と数える場合もあり、幼児には難しい数え
方です。数によっては、「いっぽん、にほん、さんぼん」「いっぴき、にひき、
さんびき」と読み方が変わるものや、花のように「一本、一輪、一束、一株、
一鉢」と、数や植えられている様子から変わるものもあります。よく出題され
ている数詞を紹介しておきましょう。
 
シャツ(一枚) かまきり(一匹) うさぎ(一羽) ぶどう(一粒、一房)
 バナナ(一本、一房) 靴(一足) 椅子(一脚) 自転車(一台) 飛行
機(一機) 豆腐(一丁) 家(一軒、一戸) はし(一膳) 手紙(一通)
 バラ(一本、一輪、一束) 折り紙(一枚)くじら、馬、象(一頭)
 
数量の問題をはじめ問題集に取り組むときには、ものを数える機会はたくさん
ありますから、必ず、「一個、二個」「一杯、二杯」と、数詞をつけて数える
ようにしましょう。
 
ところで、なぜ、うさぎは、鳥のように一羽、二羽と数えるのでしょうか。江
戸時代には、四本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ピョン、ピョ
ンと跳ねるから、あれは鳥だ!」といって食べていました。ですから、うさぎ
は、一羽、二羽と数え、それが今も残っているのですが、小さな子ども達には、
よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べなかった仏教の影響で
しょうが、とんだところで、子ども達を悩ませているようです。
 
[日にち]
「日にち」、これも幼児にとって難しいですね。
「いち・に・さん…」は音読みですが、訓読みでは「ひと・ふた・み・よ・い
つ・む・なな・や・ここの・とお」となりますが、これを「ひ・ふ・み・よ・
いつ・む・なな・や・こ・とお」と覚えると、一日を除き十日まで訓読みにな
っていますから、わかりやすいのではないでしょうか。
そして、十一日、十二日、十三日と音読みになり、十四日が音訓読み、十五日
から音読みに戻り、二十日が特殊な読み方で、あとは二十四日が音訓読み以外、
音読みになります。
こんな複雑な読み方を、日常、使っているのですから、日本語はすばらしい言
語であることを、子ども達に教えてあげたいものです。そのためにも、毎日カ
レンダーを見ながら「日にち」と「曜日」をいう習慣をつけましょう。また、
祝日の場合は、そのいわれを説明し、家族で祝うことも大切です。そこから自
前の家庭の文化が、築かれるのではないでしょうか。拙著のメールマガジンの
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」を参考にしてください。
 
言語の問題は問題集を使わなくても、内容さえわかっていれば、楽しみながら、
どこでもできます。読者の中にはいらっしゃらないとは思いますが、子どもに
とってあまり無口なお母さんでは困ります。しかし、しゃべり過ぎはいけませ
ん。大切なのは、言葉のキャッチボールですね。プロ野球の中継を見た時に、
キャッチャーの投球に注意してください。
キャッチャーは、ピッチャーの胸のところへボールを返しますが、その訳は、
いちばん取りやすく、次の投球にすぐ入れるからです。いいキャッチャーにな
ってあげましょう。
そういった時は、お子さんにも、答えやすい質問になっているはずです。そこ
から、話をきちんと聞き取る力、何事にも一所懸命に取り組もうとする意欲が
育ってきます。とにかく、お子さんに話をさせることが大切です。そういった
ことから、なぞなぞもいいですね。
お子さんは、案外、面白いものを作るものです。こういった「言葉遊び」は、
お父さん、お母さんが相手ですから、スキンシップをかねた楽しい学習になっ
ており、効果をあげることもできるのです。
 
この他にも、同音異義語(はし-橋・箸 かける-帽子をかける・電話をかけ
る・腰をかける)などの問題や、様子を表す言葉(春風がそよそよと吹く 北
風がぴゅうぴゅうとふいている)、「バット」や「葉っぱ」等のつまった音
(促音)や、「汽車」「キュウリ」等のねじれた音(拗音)、「おとうさん」
や「ケーキ」のように伸ばす音(長音)に関する問題などもありますが、文法
としてではなく、普段使っている言葉として、楽しく学習することが大切です。
小学校で習ったとき、「パパやママと遊んだことがある!」と思い出し、それ
が学習意欲につながるからです。「さすがお父さん、お母さん!」と間違いな
く尊敬されます。
 
このように、言語の領域は広範囲ですが、毎日の生活の中で、遊びながら学習
できますから、いろいろと工夫してあげることが大切です。
(次回は、「(3)話の記憶の問題」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★[2] 言語に関する問題 (1) 

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        「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            (第30号)
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★
[2] 言語に関する問題 (1)  
 
面接、お話作り、類似差異、しりとり、同頭語や同尾語、反対語、復唱、逆唱、
同音異義語、拗音、促音、長音など発音の問題と、言葉に関するだけに、広範
囲にわたっています。
 
[面 接]
これは親も参加する面接ではなく、制作や絵を描いているテストの中で、
「お名前を教えてください」
「住んでいるところと、電話番号をいってください」
といった質問があります。  
面白い話を聞きました。名前を聞かれた子が、
「私の名前は、○○イチロウと申します」
普段、子どもがこのようにいうわけはありませんから、先生は、びっくりした
そうです。
教え込むと、こういった不自然な言葉遣いになりがちですね。         しかし、本当に話せない子ども達がいます。親子の会話が、弾んでいないので
しょうね。
言葉は使わなくては、肝心なときに役に立ちません。お母さんが一方的に話さ
ずに聞き手に回りましょう。お子さんに話をさせることです。
「うちの子は、口が重いのですよ」とおっしゃるお母さん方は、「こうなんで
しょう」「ああいうことなのね」と、お子さんが口を開く前に先回りをして、
話をしきっている場合が多いのではないでしょうか。聞くことの上手なお母さ
んは、話し上手な子を育てます。
 
緊張して話せない場合は、先生方も無理に話しかけません。雰囲気になれるま
で待ってくれるようですが、限度がありますから、尋ねられた場合は、自分の
思っていることを恥ずかしがらずに話すことを教えてください。        
「こんなことを言うと笑われるかな」と思っている子ども達が、案外、多いも
のです。
「そんなことはありませんよ」と自信を持たせることです。
 
[お話作り] 
★(ダンボールの中の捨てられている子猫の絵)
この絵を見て、どんなことを考えますか。お話ししてください。
★この3枚の絵を順番に並べて、お話を作り、先生に話してください。
★「電車」「お父さん」「新聞」の三つの言葉を使って、お話を作ってください。
 
これも難しいですね、絵を見て話を作るからです。話の内容から、お子さんの
情緒の発達状況もわかります。以前にもお話しましたが、未分化であった「喜
び」「愛情」「恐れ」「心配」「怒り」といった情緒が分化する時期だからで
す。ダンボールの中の捨てられている子猫の絵を見て、子どもはどう思うでし
ょうか。これは情緒の分野ですから、大人の思惑を押し付けずに、子どもの感
性に心を傾けることが大切です。
 
かなり前の話ですが、この問題の指導には手を焼きました。月齢の差が激しく
出る時期でもありますから、子ども自身の発想を引き出すのは、本当に難しい
ですね。ある国立大学附属小学校で作文の時間に、「『お母さん、あのね!』と、お母
さんに話しかけるように書きましょう」と指導している話を聞き、早速、取り
入れたのですが、これは、効果がありました。お母さんに話しかける気持ちで
作ると、話を聞いてくれる対象が決まりますからリラックスでき、何を伝えた
いかを考え、発想も豊かになるようです。勿論、「お父さん、あのね!」でも、
同じ効果を発揮します。
 
大人もそうですが、経験していないことはわかりません。それでも大人は、今
まで積んできたよく似たような経験や、本などで読んだことなどから想像して、
何とか答えられます。
しかし、子どもは、まだ経験の範囲も狭く、読書量も少ないものです。ですか
ら、おかしな話になりがちです。そこで、お母さんが教え込むと、大人の考え
が顔を出している話になりがちです。
 
「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのようにというように、筋道立て
て作らなければいけないのでしょうか」とおっしゃるお母さん方がいますが、
まだ、幼児には無理な注文です。小学校でも、高学年にならないとできません
し、そんなことを強制していると、国語の嫌いな子になります。国語は、すべ
ての勉強の基礎ですから、大変なことになりかねません。
こういった鋳型にはめ込むようなことを無理強いしても、子どもらしい発想は、
湧き上がってきません。お子さんの感性を大切にしてあげましょう。しかし、
どう考えても妥当でないと思える場合は、全部、否定するのではなく、お子さ
んの話をよく考えてあげ、修正することが大切です。認めてあげることでやる
気を起こさせ、そこから子どもの力は伸びていくからです。
問題集を買って、「話づくりのテクニック」なるものを教え込む前に、やるべ
きことがあります。本をたくさん読んであげ、子どもの話に耳を傾けることで
す。そして、身の周りのことに、こだわりましょう。花瓶にいけてある季節折
々の花、道端に咲くたんぽぽの花、投げ捨てられた空き缶1個からでも、話を
作るきっかけになります。
「これ、どう思う?」
一緒に考えて、思ったこと、感じたことを話し合うことも大切です。とにかく、
言葉は使わなければどうにもなりません。しかし、遊びの感覚で取り組まなく
ては、子どもは嫌がります。お母さんの顔をチラッチラッと見ながら話すよう
では、止めましょう。お母さんの期待する話に展開しないため、不満気な顔に
なっているはずだからです。
 
最近は、「話を聞き、どう感じたか」、「その後の展開はどうなるか」といっ
たことを話したり、絵で表現し、描いた絵について質問をされたり、みんなの
前で発表するなどの試験も行われています。ある年の幼稚舎で、ドラえもんの
縫いぐるみを着た先生が、水色のドアの前に来て、ドアを開け、「行きたいと
ころの絵を描きなさい!」といった試験がありました。「どこでもドア」です
ね。学校側は、何を評価したかったのでしょうか。
 
絵は、心で感じたことを表したものですから、言葉で表現できるはずです。一
枚の絵から、どんな世界が表現されてくるか、耳を傾けてみましょう。絵の巧
拙ではありません。どう感じたか、感性の世界です。感性は、体験を積み重ね
て育まれたものであることを忘れてはならないでしょう。オーバーかも知れま
せんが、ディベート(特定のテーマに関し、肯定側と否定側に分かれ行う論争)
の苦手な私達日本人は、小さい頃から、こういった経験が少ないことに原因が
あるのではないでしょうか。
 
[類似差異の問題]
★「チューリップと桜を比べて、似ているところと違うところを先生に教えて
ください」
 
何回もお話しましたが、幼児の頭の働きは、ものを見て、比べ、同じところ、
違うところを見つけることから始まります。大人の観察力と違っているところ
があります。チューリップと桜では、大人は木に咲く花、球根から育つ、花の
大きさなど目で見えるものなど、理科の領域内で考えます。
 
こういう子がいました。
「チューリップは、親指姫のお話に出てきて、桜は、花さかじいさんに出てく
るから、話に出てくるところが同じです」
童話の世界です、いいではありませんか。
 
「チューリップは食べられませんが、桜は食べられます」
桜餅のことで、食文化の世界です。食べたときの食感が残っていたのでしょう。 桜の葉は、何ともいえない香りが、ほのかにします。また、落ち葉にも、同じ
ような香りが残っていますが、この子は、それを知っていたのでしょう。おそ
らく、落葉の頃に、公園で拾った桜の葉の匂いをかいだのかも知れません。好
奇心と観察力をほめてあげるべきです。こういう発想は、頭が堅くなった大人
には無理でしょう。これで、いいわけです。
「子どもが考えて、自分の言葉で発表できる」、これは素晴らしいことなので
す。そして話を聞き、なるほどとうなずける内容であれば、正解と認めてあげまし
ょう。
しかし、塩化ビニールの葉っぱでくるまれた桜餅では、こういった発想は生ま
れませんね。
また、落ち込みそうです。
この問題は、自分の考えを言葉で表現しますから、やるべきです。お母さんと
二人でできます。ただし、教え込まないことです。子どもの発想を無視せずに、
きちんと聞いてあげることです。そして、子どもの考え方に妥当性があれば、
それで正解です。しかし、「これはおかしい」と思う場合は、やさしく訂正し
てあげましょう。
 
かつて、アメリカでベストセラーになった「人生で必要な知恵はすべて幼稚園
の砂場で学んだ」(河出書房新社 刊)の第1章 私の生活信条?クレド?
(19ページ)に、こう書いてあります。
 
「『不思議だな』と思う気持ちを大切にすること。(中略)ディックとジェー
ンを主人公にした子供の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な
意味を持つ言葉。“見てごらん”」 (“  ”は藤本)
 
「見て、考え、そして類似と差異に気づくこと」、お子さんのこういった感性
を大切にしてあげたいものです。
 
 (次回は、「言語に関する問題2」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★(1)巧緻性に関する問題  

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        「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            (第29号)
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★
(1)巧緻性に関する問題  
 
聞き慣れない言葉です。
「きめこまかく上手にできていること」という意味ですが、11月に詳しくお
話しました「手は第二の脳」(12号から15号)を思い出してください。重複
するところもありますが、大切な問題ですから繰り返します。巧緻性に関して
は、「塗る・折る・切る・貼る・結ぶ・摘む・包む」といった手作業、何かを
作ったり、絵を描いたり、手本と同じものを描いたりする問題があります。手
作業は、誰の手も借りずに、指示されたことができるかどうかで、自立の状態
がわかります。ですから出題されるわけです。
 
[制 作]
これには課題制作と自由制作があります。
 
◆課題制作
★「今から、動物の起き上がりこぼしを作ります。
このように、画用紙を半分に折り、折り目のところが背中になるように動
物を描きます。描けたら動物を、このように切り抜きます。そして、別の
紙を筒のようにまるめ、それに動物をホチキスで止めます。最後に、セロ
テープで粘土を筒の中に貼り、出来上がりです。」
 
先生が、やっているのを見てから制作に取り組みます。
 
◆自由制作
★(空き箱、画用紙、色紙、折り紙、セロハン、リボン、紐、モール、輪ゴム
などの材料や、はさみ、のり、ホチキス、クレヨンなどが置かれています。)
「ここにあるものを自由に使って、自分の好きなものを作りなさい。」
 
まず、注意しておきましょう。
子ども達の大好きな制作ですから張り切りますが、先生の説明中に手を出す子
がいます。待てないのです。きちんと聞いておかなければ、手順がわかりませ
んから、途中でギブアップすることになりかねません。
普段の生活態度が、そのまま正直に出がちです。お子さんに何かを頼んだとき
など、最後まできちんと聞いているでしょうか。聞いていれば心配ありません
が、何といっても「話を聞き、指示どおりに行動できるか」がポイントだから
です。
幼稚園は自由保育ですが、小学校は一斉授業ですから自分勝手にやるわけには
いきません。
しかも試験ですから、規則違反にチェックが入ります。
 
なお、制作を苦手とするお子さんの場合は、もう一度、「鍛えてほしい第二の
脳」をお読みになり、早いうちに対処しておきましょう。基本作業は、幼児教
室の先生にお任せではなく、家庭できちんと身につけるものです。これをおざ
なりにしていると、制作に興味をもてなくなりがちで、行動観察型のテストが
苦手になることを、しっかりと胸に刻んでおきましょう。
 
[模 写]
★お手本と同じように描きましょう。
 
模写は、文字通り、お手本と同じものをまねて写すことです。
点図形と線や図形の模写があります。点図形は、対称図形が多く、見た目もき
れいですから面白そうですね。簡単なものも手抜きをせず、きちんと線を引く
ことが大切です。
しかも、大人が考えるより難しい作業です。どこから始めたらよいのか迷って
しまうものや、必ずしも点と点を結ぶとは限らず、サードとショートの間を抜
くヒットのように、点と点の間を抜けていくのもあります。これは、納得する
のに時間がかかります。
「点と点を結ぶのに、何で抜かすのですか? そんなのずるいですよ!」
と不満に思っている子がいますが、こだわるから仕掛けに気づいて間違わない
わけです。
そして、この問題も根気がいります。どこがどうなっているのか、試行錯誤を
重ねた方が、後で効果が表れます。観察力と集中力、そして持久力や忍耐力も
身につきますね。さらに、全体のバランス感覚を養うのにも役立ちます。なぜ
なら、隅から隅まで、全体をきちんと見なければならないからです。それが絵
を描くときにも生きてきます。
 
模写の問題で見逃せないのは、性格まで姿を現すことでしょう。
点と点をつなぐ直線がよじれたり、脱線をしたり、通過すべき点を無視する子
は、何をやっても雑なところがありますね。スピードを争っているようですが、
描けていればいいのではありません。完成度から美醜の感覚、基本的な生活習
慣、しつけ、育児の姿勢まで判定することも可能です。最初が、肝心です。ゆ
っくりと丁寧に、時間をかけて、美しく描くことが基本です。そして、忘れが
ちなことですが、姿勢が悪ければ描く線も乱れます。背筋をきちんと伸ばし、
左手でペーパーをしっかりと押さえ、筆記用具をきちんと持って描く習慣を身
につけましょう。
 
線の模写
はじめに、点線などで手本が示されていますから、それを指でなぞり、どのよ
うにすればスムーズに描けるか、必ず確かめましょう。
指で何回もなぞり、脳に一筆で描ける感覚をしっかりと学習させることが大切
です。
三角形が連続する鮫の歯のような直線や、半円が上下に反転しながら連続する
もの、曲線では、筆記体のアルファベットのl(エル)の連続したものもあり、
上下が逆になると、ぶどうの房のように見えますが、l(エル)は下から上に
左回りで描きますから、それに従い連続して描き、上からの場合は、上から下
へ右回り、時計回りで描きます。房の長さや間隔が乱れないように注意を促し
ましょう。
しかし、いずれも難しい作業でなかなかうまく描けませんから、根気よく取り
組むことが大切です。
 
図形の模写
これは、正直言って難しいですね。
線の模写と違い、四角、三角、円、菱形、ハートなどさまざまな図形が、いろ
いろな組み合わせで出題されますから、それを描く子ども達には、至難の業だ
と思います。やってみるとわかりますが、全体の配置状態、バランスをつかむ
ことは容易ではありません。
 
以前にもお話しましたが、図形の○△□は、書写、運筆の基礎トレーニングで
すから、正確に描けるようにすることが大切です。
○は、下から時計まわりで描き、上から左回りに描くのは数字のゼロです。
△は、頂点から左斜め下へ、そこから頂点に戻って右斜め下へ、最後に左から
右へ底辺を描きます。
左斜め下から、いきなり右方向へ底辺を描き、今度は左斜め上の頂点を目指し
て描くのは、大人の使う簡略法で、子どもにとっては書写違反です。
□は、漢字の国がまえと同じです。
左から下におりて、そのまま戻らずに、左回りで一周する子がいますが、これ
も書写違反になります。
文字には筆順がありますから、こういった図形をきちんと描ける子は、きれい
な字を書けるようになります。
 
基本的なトレーニングとしてお勧めしたいのは、例えば、大きな○を描き、そ
の中に、それより小さな形をどんどん描くことです。□△◇も同じようにやっ
てみましょう。前のものより小さく描き、その微妙な差を脳に教えることがで
きるからです。線の模写と同様、難しいですから、お子さん達はうまく描けず
に嫌がると思います。あせらず、じっくりと時間をかけ、丁寧に描けるように
導いてあげましょう。
ところで、頼りない線を引く子がいますが、多くの場合、鉛筆を正しく持てて
いないからで、おそらく、はしの持ち方もおかしいのではないでしょうか。こ
れを解決してから挑戦しましょう。ただし、はしの持ち方は、食事の時にうる
さく言わないことです。朝、昼、晩と三度、同じことを言われていては、気が
滅入りますから、以下のようなトレーニングがいいのではないでしょうか。
Bか2Bの鉛筆で、直線や円などを殴り描きさせると効果が表れるものです。
これは、スピードを上げてもかまいません。なぜなら、早く描くには、鉛筆を
しっかりと持たねばなりませんし、どの辺を持てばよいかもわかるからです。
力み過ぎは、手首を疲れさせるだけですが、力配分やバランスも、やっている
うちにわかってきます。
そして、ボール遊び、縄跳び、鉄棒など両手を使う運動をやることで握力をつ
けましょう。
机の上だけではないトレーニングにも、目を向けてください。はしの持ち方に
も変化が出てくるはずです。
 
[はしを使った問題]
 
★(角砂糖ぐらいの大きさのプラスチックの立方体が、たくさんお椀の中に
あり、はしと空のお椀が用意されている)
・お椀の中のものを、別のお椀にはしを使って、一つずつ移してください。
 
「摘む」手作業の試験です。豆の他に、はしでスーパーボールや玩具のミニチ
ュアの果物、落花生、金平糖をつかむ問題が出ています。
 
豆を買ってきて、割りばしを使い、懸命に練習をする話を聞きますが、何かお
かしな気がします。これは、試験のために練習をして身につけるものでしょう
か。体や筋肉の運動的な発達に関わることですし、基本的な生活習慣の大切な
課題ですから、しつけと関係があります。一応の目安として、3歳ぐらいから
はしを使えるようになり、5歳頃には、巧みに使えるようになるといわれてい
ます。生活習慣とは、「誰の手も借りずに自力で生活していくために身につけ
るもの」であることを忘れては、受験準備どころではないのではと思います。
 
第15号で紹介しました、平成26年6月の立教女学院小学校の説明会を思い
出してください。教頭先生は、こうおっしゃっていました。
 
 鉛筆の持ち方やはしの持ち方は、一度悪い癖がつくと直しにくいので、家庭
で正しい持ち方、使い方を身につけさせてほしい。あえてこの場で申し上げま
すが、今年度もテストの中ではしを使う場面がございましたら、はしで物を運
ぶ速さを競っているのではなく、正しいはしの持ち方ができているかを見てい
ることをご理解いただきたい。テストの主旨はそこにあります。日本の文化で
もあるはしの使い方を、きちんと身につけてほしいと考えています。
 
幼稚園児が、ペーパーテストに強くても、正しくはしを持って、ご飯を食べら
れない方が、よほど恐い話です。「九九、八十一!」とそらんじている子が、
お母さんにひも靴をはくのを手伝ってもらっているとなると、やはり、おかし
いですね。練習しなければ、靴ひもをうまく結べないのは当たり前です。それ
を手伝うのですから、脳から司令は出ませんし、筋肉も反応しません。手をか
けた分、脳も筋肉も楽をしているのですから、不器用になるわけです。モンテ
ッソーリの「敏感期」ではありませんが、幼児期には、これから使う筋肉を鍛
えておかなければならない大切な時期があります。赤ちゃんは、なぜ、はいは
いをするのか思い出してください。
 
ある私立の名門校では、鉛筆を削るのに「肥後守」を使っている話を聞きまし
た。「肥後守」とは、刃を収めるさやに「肥後守」と銘のある小刀のことです。
私たちの子どもの頃は、鉛筆削り器などありませんでしたから、小刀で鉛筆を
削るのは、誰もが練習をし、身につける、当たり前のことでした。しかし、全
神経を手先に集中しなければ、ケガをしかねない大変な作業でした。危険を伴
う作業は、大げさにいえば、幼いなりに危機管理が必要であることを学習して
いたのではないかと思います。使い方を誤れば凶器になることを教えずに、た
だむやみに禁止するのは、教育的な配慮に欠けますが、こういったことはお父
さん方が、お子さんが小さい時にこそ、きちんと教えておくべきではないでし
ょうか。
 
脱線しましたが、その他に、折り紙を折ったり、はさみで線や線と線の間を切
らせたり、ひもを結ばせたり、積み木をハンカチで包ませる問題もあります。
ひも結びやハンカチでものを包むのも苦手ですね、特に、男の子は。やったこ
とがないからできないのだと思います。お母さん方も、風呂敷でものを包むこ
となど、ほとんどないでしょう。お弁当をハンカチで包むようにすれば、解決
できます。第二の脳を活用すれば知力も向上しますから、一石二鳥にもなりま
す。
 
なお、お絵描きには「自由画」と「課題画」がありますが、詳しくは14号の
「手は第二の脳 絵画編」を参考にしてください。
 
巧緻性の問題には、お子さんの生活環境までわかる要素も含まれています。乱
暴な線や心細い線を引くような場合、その原因は、日常生活の中で、いろいろ
な形でサインが出ていると思います。口うるさく注意する前に、どのようなサ
インが出ているかチェックしてみましょう。
(次回は、「言語の問題」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>★★名門幼稚園の保育方針 私立幼稚園編(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2016さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
              第13号
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名門幼稚園の保育方針 私立幼稚園編(1)
 
私立の幼稚園に関する最新の情報は、各幼稚園のホームページをご覧ください。
ここで紹介する情報は、私が説明会へ参加したときのものや過去のホームペー
ジから得たものが中心になっています。
 
[暁星幼稚園]
幼稚園には、女の子も若干名いますが、小学校からは男子だけの教育環境で、
宗教教育という特殊な保育をし、系列校は高校までの一貫教育校です。
 
 ★教育目標★
・幼児が主体的に環境に関わりあいながら、自立心、責任感を育てる。
・友達を受け入れ、相手の気持ちに気づき、人を大切にする心を育てる。
・自然や美しいものに感動する柔らかな感性を育む。 
・自分で考え、物事を深くとらえる力を育む。
・神様を信じ、神に守られていることに気づき、祈る心を育む。
マリア様の教えが、ちりばめられています。宗教の倫理や教義を考えても、信
者でなければよくわかりませんが、こういう言葉に置き換えられると、「責任
感・思いやり・柔らかな感性・考える力・祈る心」といった保育の方針を理解
できます。
 
以前、掲げられていた教育目標に気にかかるものがありました。
「幼児がみんなと力を合わせながら、一つのことをやりとげる喜びを学ばせる」、
このことです。もやしっ子をなくすために始めたサッカーが、今では全国高校
大会に出場するほど実力のあることは、よく知られています。サッカーは、
11人が力を合わせて戦う球技です。相手をできるだけ自分に引きつけ、そし
て味方の選手にボールをつなぎ、最後にゴールポストにけりこめる栄誉を与え
られるのは、一人だけです。ヒーローは一人で、全員が己れを捨て、最後の一
人に得点を託すスポーツです。個人の技術をチームワークでつないでいく、こ
こに暁星学園の基本的な教育方針があるとはいえないでしょうか。
 
高校までしかないことについては、
「幼稚園や小学校は、私たち親がよかれと考え選びますが、大学の選択は、自
分の人生の道標になるのですから、自身の力で挑戦すべきでしょう。そして、
大学受験を体験して、自分たちの生きる社会は、競争の社会であることを、社
会人となる前に、体で知っておくのも、いいと思いますね」
と、模擬面接でこうおっしゃるお父さんがかなりいます。
 
小学校の正門には、「困苦や欠乏に耐え 進んで鍛練の道を選ぶ気力のある少
年以外は この門をくぐってはならない」と刻み込まれたプレートが掲げられ
ています。幼稚園とは逆の位置になりますが、説明会などでお出かけの折りに
は見ておきましょう。
 
闘志が盛んでも、けじめの無い子は駄目です。幼いながらも、幼いなりに、自
分の気ままを押さえて、自分のことは自分でやろうとする意欲の培われた子で
す。過保護、過干渉の育児からは、こういった子は、育たないのではないでし
ょうか。
 
ところで、過保護、過干渉の育児といわれても、少子化時代ですから、お母さ
ん方もよく分からない場合が多いのではないでしょうか。子ども達の成長する
過程を思い出してみましょう。
「ゼロ歳は条件反射の時期」といわれ、赤ちゃんは「これはママの声だ」、
「これはパパかな」といったように、いろいろなことを五感を通して学んでき
ました。
「二歳は模倣の時期」といわれ、何事もご両親のやっていることをみて、一所
懸命まねをし、身につけてきました。
「三歳は自立の時期」といわれ、自分で何事もやってみたいと挑戦を始めまし
た。この時期に入っても、手を貸し、口をはさんでいては、自立心は育ちませ
ん。手を貸してもいいのは、二歳までです。
 
ですから、子ども達のやっていることを見ていて、手を貸したくなれば過保護
であり、口をはさもうかなと思っただけでも過干渉だといえるのです。三歳過
ぎても、手を貸し口をはさんでいては、いやな言葉ですが、超過保護であり、
超過干渉の育児なのです。三歳児のお子さんを持つお母さん方、いかがでしょ
うか。
 
併設の小学校の教育方針は「鍛える教育」ですが、その目標は日本昔話のキャ
ラクターでもある「気は優しくて力持ち」です。
 
【募集人員】二年保育 男児約40名 女児10名
 
【入試Q&A】
 Q:昼食は給食ですか?
 A:いいえ、給食ではなく、お家からのお弁当です。
 
 Q:預かり保育(延長保育)はありますか?
 A:いいえ、ありません。
 
 Q:通園バスはありますか?
 A:いいえ、ありません。
 
 Q:車での通園はできますか?
 A:いいえ、できません。
   保護者の方に徒歩及び公共交通機関にて送り迎えをしていただきます。
 
 Q:通園時間についての制限はありますか?
 A:はい、あります。
   「自宅から幼稚園まで徒歩及び公共交通機関で、通園時間が1時間以内」
   となっております。
               (平成27年2月現在のホームページより)
 
 
[青山学院幼稚園]
二年保育から三年保育になり何年かたちました。今も以前と変わらず狭き門で
す。青山学院初等部は、ミッション系でも共学です。やはり、宗教教育を行い、
共学で、しかも大学まであることが魅力でしょう。
 
★保育理念★
青山学院幼稚園は、青山学院教育方針に基づき、豊かな自然の中でいろいろな
人と共に生活することにより、神様の恵みと守りを感じ、祈りと感謝と喜びの
生活が実現できる保育を目指すものです。
 
★保育目標★
青山学院幼稚園の保育は、
神様やまわりの人に愛される体験の中で、
祈りのうちに生活する。
自然の恵みの中で生活し、神様の存在を身近に感じ、
恵みとして与えられる環境を大切にする。
感謝と喜びのうちに生活し、まわりの人々に対する信頼感、思いやりの心をも
つ。
意欲を持って生活し、よく聴き、よく観る、よく考える。
それぞれに与えられた力を十分に表し、
お互いをかけがえのない存在として認め合う。
 
ご両親の育児の姿勢と保育理念に違和感はないでしょうか。これが志望理由と
直結するからです。
 
ミッション系の幼稚園を受験する際に考えなければならないのは、宗教につい
てです。
たとえば、志望理由として、
「神様の恵みと守りを感じ、祈りと感謝と喜びの生活が実現できる保育の方針
に賛同いたしまして……」
といったとします。
これに対して、
「日常の育児にどのように取り入れていますか」
と質問されて返答につまるようでは、なぜ本園を選んだかの答えになりません。
 
保育の目標は、「祈りと感謝と喜びの生活」をわかりやすい言葉に置き換えた
ものです。
こういったことを育児の基本として大切にしていれば、キリストの教えを忠実
に実行していることになるとは考えられないでしょうか。これが幼稚園側のい
う、「ご家庭の育児の方針と幼稚園の保育の方針に共通認識がある、つまり、
一致していること」になるわけです。
 
倫理、教理と難しく考える必要はありません。信者でなければ、知らなくて当
たり前のことだからです。ただし、「無宗教」とか「無神論者」は、日本だけ
で通じる話です。外国へ行って、「私は無宗教です」ということは、「人を殺
してもいいという考えを持っている人」と解釈されるようです。信仰心とは、
「人を殺さないことを誓約する証拠」だそうです。
 
初等部は、ランドセルも通信簿もありません。ランドセルがないのは、勉強は
学校で、生活習慣、しつけは家庭でする、これも初等部が大切にしている教育
方針です。
また、一貫教育制度は、幼稚園から大学までエスカレーター式に進学できるの
ではなく、同じ教育理念で指導を受けるシステムのことです。幼稚園を選ぶ場
合、併設校の教育方針や一貫教育制度について期待することを、きちんとまと
めておくべきです。
 
ある年の説明会で聞いた話です。
「本園は、9時から9時15分までの登園です。バスなり、電車なり、歩きな
りで、その道を、お子さんが2年間、車なしで、雨の日でも、雪の日でも通え
る方に受けていただきます」
まだ三年保育を開設していないときでしたから、現在では「お子さんが3年間
云々」となりますが、無理な通園は歓迎しないということでしょう。幼稚園の
送迎は、親の責任で行いますから、安易に考えると困ったことになります。
 
【募集人員】 男児20名 女児20名 [3年保育のみ]
 
【入試Q&A】
 Q:行事や日常の保育を見学できますか?
 A:出来ません。
 
 Q:家族にキリスト教を信仰する者がいませんが、受験出来ますか?
 A:受験出来ます。
   聖書のことをご存じない場合も、入園後、聖書について学ぶ機会があり
   ます。
 
 Q:通園時間に制限はありますか?
 A:通園は公共の乗り物を使用します。自家用車での通園は禁止されていま
   すので、お子様にとって通園可能かどうかは、ご家庭で判断してくださ
   い。
 
 Q:海外赴任など生じた場合はどうなりますか?
 A:幼稚園には一時退園という制度があります。一年間のみ退園を認める制
   度です。
   したがって、ご家族の海外赴任に伴って、お子様が幼稚園に通えない場
   合、一年間の退園となりますが、一年後には幼稚園生活を再開していた
   だきます。
 
 Q:家族や親族に卒園者がいることで、優遇されますか?
 A:適性検査、保護者面接の2つの領域で総合的に合否を決めますので、優
   遇はありません。
 
 Q:紹介状や推薦状の必要はありますか?
 A:必要ありません。ご用意されても考慮されません。
 
 Q:受験に当たって青山学院への寄付金、入園予約金を払うことはあります
   か?
 A:一切ありません。
        (平成27年2月現在のホームページより)
 
ところで、説明会が行われるガウチャー記念礼拝堂のすぐ前に、学院の第二の
校歌として親しまれている平岡精二作詞、作曲の「学生時代」の歌碑が建てら
れています。平岡氏は学院出身で、昭和30年代のスウィングジャズ時代に活
躍された名ビブラホン奏者、学院の校歌も作曲していますが、ジャズプレーヤ
ーが校歌を作曲しているのは珍しいのではないでしょうか。
     (次回は、学習院幼稚園、成城幼稚園についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>★★名門幼稚園の保育方針 国立附属幼稚園編(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2016さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
              第12号
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名門幼稚園の保育方針 国立附属幼稚園編(2)
 
この他の国立附属の幼稚園は、以下のとおりです。
 
【東京学芸大学附属幼稚園 竹早園舎】
 
★教育目標★
本幼稚園では、いろいろな個性を持つ子どもたちの交流を通して、豊かな人間
理解を根底とする社会性の芽生えを培うことを基本とし、幼児が主体的に行動
できる環境を通して、自主性・創造性を育て、健康・明朗で個性豊かな民主的
人格の芽生えを培うことを目標とするものである。これを受けて竹早園舎では、
    ・自分なりのやり方で一生懸命に取り組む
    ・友達と共感しあう                        
    ・自分の役割を最後まで果たそうとする                   
を教育目標としている。
 
募集園児数は、男児15名・女児15名 計30名。
通園地域制限は、願書提出の時点で保護者とともに東京都23区内に居住し、
自宅から本園まで、幼児が徒歩または公共の交通機関を使用して35分程度ま
でで通園できる者で、入園後もこの地域内に保護者とともに居住する者。ただ
し、受験のための一時的な住所の変更(寄留)は一切認めないとなっています。
 
選抜方法は、抽選で第一次選抜合格番号発表、第二次選抜、発育総合調査、第
三次選抜で抽選。
平成27年度の入園調査の結果
募集人数   男女 各15名 
応募数     男 269名  女 281名
第一次合格者数 男  25名  女  24名
   抽選合格者数  男  15名  女  15名
    (平成27年1月26日のホームページより)
           
【東京学芸大学附属幼稚園 小金井園舎】
 
★教育目標★
人や身近な環境にかかわる中で、自主性と創造性を持ち、明るくのびのびと自
己発揮する子どもを育てる。一人一人を生かす保育。
・感動する子ども   
・考える子ども
・行動する子ども
募集園児数 三歳児 約50名 うち若干名は障害のある幼児とし、選考は別
枠で実施。
通園地域制限は、指定した通園区域内(小金井市の一部、国分寺市の一部、小
平市の一部)に願書提出当日に在住する者で、保護者または代わりの者が付き
添い、徒歩で通園できる者となっています。
 
選抜方法は、第一次検定は抽選、第二次検定は面接と観察。
 
なお、障害のある幼児の入園志願者募集については、ホームページに紹介され
ていますのでご覧ください。
                                  
ところで、東京学芸大学附属の小学校は、竹早小学校、大泉小学校、世田谷小
学校、小金井小学校と四校あって中学まで進めますが、高校は一校しかありま
せんので、それぞれの中学校から約五分の三しか進級できません。成績優秀な
生徒だけが集まりますから、合格実績がさん然と輝きます。
平成26年度は東大56名(56名)、慶大119名(41名)、早大175
名(40名)合格、(  )内は進学者数。一時、高校進学辞退者もいて東大
の合格実績も下降気味と報道されていましたが、この実績が魅力になっている
のは間違いないでしょう。
 
                           
【千葉大学教育学部附属幼稚園】
 
★教育目標★
   ・明るくすなおな子ども
   ・進んでとりくみやりぬく子ども
   ・考える子ども 
   ・協力しあう子ども
  
募集人員は三歳児、男児約14名、女児約14名、四歳児、男児約14名、女
児約14名。
通園地域制限は、出願時現在、千葉市の下記指定地域に保護者とともに住居し
ている者。
中央区、稲毛区(園生町は京葉道路からJR総武線寄り)・花見川区・美浜区・
若葉区殿台町(高品交差点から千葉若葉消防署殿台出張所前を結ぶ道路以南)。
 
選抜方法は、第一次選考、第二次選考(抽選)。
 
なお、応募者の公表はありません。
 
 
【埼玉大学教育学部附属幼稚園】
 
★具体的目標★
  子どもの自らのびる力を育てる。 
      ・健康で明るくたくましい子ども     
      ・自らすすんで人とかかわり友達と仲良く遊べる子ども
      ・のびのびと表現し、創造性豊かな子ども   
 
募集人員は三年保育、男女計約20名、二年保育は、附属小学校の定員数の削
減により平成25年度(平成24年11月実施)から、男女計約10名に変更
されました。
通園地域制限は、通園区域内に、公示日現在、保護者と同居していて徒歩で通
園できる者。
さいたま市浦和区(常盤・高砂・元町)、南区(別所・鹿手袋)、南区(別所)
桜区(西堀)、
中央区(大戸・新中里)など、詳細は募集要項をご覧ください。
 
選抜方法は、第一次検査、第二次抽選。
 
なお、応募者の公表はありません。
 
国立附属幼稚園の場合は、地域指定や通園方法にも徒歩などといった条件があ
り、平等を期すために考査前や合格後に抽選のあることがもどかしいところで
しょう。「抽選があるから」と早くから準備をされない方もいるようですが、
抽選で受験資格を得てからでは、せっかくのチャンスを無にすることになりか
ねません。ご両親には面接の対策を、子ども達には「お母さんのもとを離れて
も楽しいことがある」ことをきちんと体験しておく必要があります。
        
(次回からは、私立の幼稚園についてお話ししましょう)
 
 

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>★★名門幼稚園の保育方針 国立附属幼稚園編(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2016さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
              第11号
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名門幼稚園の保育方針 国立附属幼稚園編(1)
 
今回から3月にかけて、名門幼稚園の保育方針などを紹介しましょう。
紹介する幼稚園は、国立附属を除き、筆者が入園説明会へ参加した幼稚園であ
ること、そして募集人員は平成26年秋に実施したものであることをお断りし
ておきます。
 
最初に、悠仁様が通っていたお茶の水女子大学附属幼稚園から紹介しましょう。
ご存知のように悠仁様は、お茶の水女子大学附属小学校へ進学されました。
 
【お茶の水女子大学附属幼稚園】
 
国立のお茶の水女子大学、私立の日本女子大学といえば、我が国、女子教育の
最高学府。そのお茶の水女子大学の附属幼稚園で、自由保育の発祥の園です。
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅から徒歩十分足らずの所にありますが、文京区の文
教地域だけに、朝などは幼稚園児から大学生で大混雑をします。お茶の水は幼
稚園から大学まで、東京学芸大学附属竹早は中学まで、筑波大学附属小学校、
そして跡見学園があるからです。
 
この幼稚園に入るのは大変です。例年、男子は倍率20倍、女子となると30
倍を越し、同附属の小学校の女子は例年70倍前後のようですから、まだ、い
いのかもしれませんが、この倍率を聞いただけで遠慮したくなります。              
 
教育の目的、姿勢の中に、自由保育の真髄が述べられています。
 
★教育の目的★
 
お茶の水女子大学附属幼稚園は入園した幼児を保育して、心身の発達を助ける
事を目的と
しています。特に、次のような子どもに育てようとしています。
・からだがじょうぶで、元気がよい。
・自分のことは自分でする。
・友達と仲良く遊ぶ。
・ものごとにいきいきとした興味を持つ。
・思ったことをはっきりと話し、人の話をよく聞く。
・創意工夫したことを楽しんで表現する。
 
本幼稚園は、お茶の水女子大学の附属として幼児教育の理論と実際に関する研
究をします。本幼稚園は、お茶の水女子大学学生にとっての保育、教育の実習
と研究の場であります。本幼稚園は、研究や保育の実際を公開して、幼児教育
の進歩向上のために貢献します。
 
★教育の姿勢★
 
本園では、幼児期の特性を踏まえ、それぞれの子どもが自分でやりたいことを
見つけ、自分から人や物や環境にかかわって遊びに取り組んでいくことを重視
しています。従って一日の過ごし方は、その子どもの興味や関心によってそれ
ぞれに異なります。一人ひとりの思いに沿った生活の自然な流れを大切に考え、
同じ事を同じ時に、どの子どもにも教え込むようなことはしていません。その
時々に、一人ひとりに合わせた指導を行って、個々の子どもの興味や意欲、自
ら考え行動する姿勢を育てようとしています。意欲を持って自分から始めた遊
びを十分行うことを通して、子ども達の中に充実感、満足感がもたらされます。
その充実感、満足感は、保育者との信頼関係、友達との様々な触れ合いなど、
人との関係の中でより大きなものになっていくと考えます。自然な生活の中で、
人と人が十分触れ合い、多様な感情を体験していくことが大事なことだと考え
ています。
 
国立附属の幼稚園だけに、誰でも入れるわけではありません、応募資格があり
ます。
保護者と同居し、幼稚園からおよそ半径3km内で、荒川区、北区、新宿区、
千代田区、台東区、豊島区、文京区と指定地域があり、徒歩または公共の交通
機関で通園できるものとし、上記の条件を満たしていない場合は、たとえ出願
しても入園資格はないものと決められています。
「保護者と同居」は、都内に住む祖父母の所へ、住所を移すだけでは受験でき
ないことであり、「出願しても入園資格はない」とは、上の条件を満たしてい
なければ、たとえ合格しても入園を認めないということです。
 
募集人員は三年保育、三歳児男女各約20名、二年保育、四歳児は男女各約
10名。
平成26年度は、三歳女児425名(21.25倍)、三歳男児302名
(15.1倍)、四歳女児328名(32.8倍)、四歳男児216名
(21.6倍)ですから、まさに狭き門であるわけです。
(データは、平成26年秋に実施されたもので、平成27年1月19日現在の
同幼稚園のホームページより転載したものです)
 
さらに、選抜の方法が厳しいのです。
第一次検定が抽選です。
何とか受験資格の幸運に恵まれても、合格の保証はありません。
第二次検定は試験と親子面接を受けます。
抽選後、試験まで一週間ほど間があります。
現在は両親面接ですが、かつては保護者一人でしたから、お母さん方にはたい
へんな時代がありました。
そして第二次検定を通過しても、最後の関門が控えています。
第三次検定は、またしても抽選があり、当選者が入園候補者になります。
 
第二次検定は、行動観察と親子面接です。
行動観察といっても、子ども達は好きなおもちゃなどで遊びが中心ですから普
段着でいいわけです。
もちろん、初めての場所で遊びますからかなり緊張します。
しかし、幼児教室や塾へ通い、「お母さんのもとを離れても楽しいことがある」
ことを知っていれば、子ども達はすぐに対応できます。
 
問題は、お母さん方です。
両親面接といっても、多くの場合はお母さんが一人で参加しているようです。
「合否の鍵は、私の面接次第ではありませんか!」
気の弱いお母さんは、胃が痛くなるほどプレッシャーがかかるそうです。
抽選に当たってからの準備では、当然ですが間に合いません。
「抽選があるから」と安易に考えずによく研究をされ、心の準備をしてから願
書を出しましょう。
 
教育目標に書かれているのは、幼児教育に関していろいろな実験をし、その成
果を見に全国の幼稚園の先生方が見学に来ますし、幼稚園の先生を目指す学生
さんの担当する実習時間もあり、普通の幼稚園では考えられない保育があるこ
とです。
いろいろな実験とは、単純に考えるとデータがほしいわけです。
「こういう保育は、どうだろう?」
という理論に、どのような反応があるか知りたいのですから、積極的に応えて
くれる子ども達が歓迎されるというわけでしょう。
 
さらに、見学者が大勢やって来ます。
周りの雑音に左右されずに順応できる子でしょう。
過保護、過干渉な環境で育てられた子ども達には合わないでしょうし、神経質
な子だと、正直にいって疲れはてるのではないでしょうか。
やはり、心身共に健康な子ども達ということでしょう。
 
女の子にとっては、入園できれば本人の努力次第で、内部特別進学で天下のお
茶大に進める道もあるようですからお母さん方が熱く燃えるのも無理のない話
ですね。
 
このように国立附属の幼稚園は、一般の幼稚園と同様に幼稚園教育を行うほか、
附属幼稚園として大学の連携のもと、学生の教育実習を行うと共に、幼稚園教
育の内容、方法について実証的、実験的教育を行う使命を持っていますから、
入園を希望するご両親は、この主旨を理解し応募されるべきでしょう。
 
(次回は、この他の国立附属幼稚園を紹介しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月(1) 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第13号-
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第4章 節分と建国記念の日でしょう  如 月(1)   
 
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
 
★★二月といったら、節分、豆まきでしょう★★
父が煎った豆の入っている一升舛を持ち、玄関から始めて、すべての部屋の窓
を開け、
「鬼は外!福は内!」とやるのですから豪勢でした。ここまでは、文句なく楽
しいのです。終わって、豆の配分になります。自分の年に1つだけ上乗せした
数だけもらえました。父は40数個あっても、私は10本の指に満たない数で
す。これが不満でした。現代っ子に、この気持ちは理解できないでしょう。煎
り豆など食べていますかね。もっとおいしいお菓子がたくさん出回っています
から見向きもしないでしょうが、大豆は畑の肉ともいわれています。蛋白質は、
動物性より植物性の方が体にいいようですね。
 
しかし、不満を解消する道は残されていました。部屋にまかれた豆を拾って食
べるのは、黙認されていたからです。「汚い!」と思うかもしれませんが、そ
んなことはありません。
昔のお母さん方は、まめに掃除をしていました。廊下などは磨かれたように光
り、たたみも、いぐさの茎に、つやがある程でした。電気掃除機のない時代で
す。ほうきとはたきと雑巾だけで、きれいに掃除をするのですから、すごいも
のでした。夕飯が終わると、皿を持って部屋を回ります。豆を集め、それを食
べるのが楽しみでした。
 
そして、こたつに入って父や母から話を聞くのですが、これも楽しみでした。
テレビはありませんから、頭の中に自前の映像を作りだすのです。真剣に聞い
ていました。今の子どもと比べると、情報量は圧倒的に少なかったはずです。
しかし、自前で映像を作り上げる力、イメージ化は、培われていたような気が
します。鬼といえば、パンチパーマの頭に二本の角が生え、真っ赤な顔に牙が
生え、虎の皮で作ったパンツをはき、金棒を持った、本当に恐い存在でした。
地獄も閻魔さまも信じていましたから、恐ろしかったのです。   
 
しかも電球は、今の蛍光灯のように部屋中を明るくしない、60ワットの少々
暗めの明るさなのです。何だかおかしな表現ですが、電球は、かぶせてある電
気傘の具合で、真下からその近辺だけ照らし、部屋の隅は、ほの暗いのです。
怪談など聞いたときは、夜中に便所へ行けない雰囲気でした。昔の便所は水洗
式ではなく汲み取り式でしたから、快適な生活環境を維持するために、敷地内
のもっとも不便な所にあったものです。母を起こし、ついて来てもらったこと
を覚えています。          
 
ところで、思い出はとかく誇張されやすいものですが、節分の夜に食べた脂が
のった鰯、おいしかったですね。ある女子大学で、魚介類に関して上中下の評
価をしたところ、上は鯛、下は鰯だったそうです。鰯、字からして頼りなさそ
うですが、新鮮な握り鮨は絶品でこたえられません。しかし、柊と一緒に飾っ
てあった鰯の頭、あの臭いには往生しました。
あとで説明しますが、豆も鰯の頭も柊もそれなりに存在理由があったのです。
 
「鰯」は日本人が初めてつくった漢語である。中国の辞典には載っていない。
日本人は鰯が好きで中国人は食べないのかもしれない。イワシは弱い魚だとい
うので、8世紀に早くも日本人が造語した一例である。
(国民の歴史 西尾幹二 著 P107 産経新聞社 刊)
 
本書は、日本の歴史を1万年前の縄文時代から現代までたどった大長編(773
ページ)の労作で、神話を日本の歴史でどのように考えればいいかを模索して
いる私には、示唆に満ちた話があり参考になりました。その中に、いかにして
わが祖先が漢籍を読み下し、漢字をカタカナや平仮名にしたか、その経緯が書
かれており、当時は「阿治(あじ)」「佐米(こめ)」「乃利(のり)」と万
葉仮名のように音読みにしていたのが、この「鰯」だけは初めて訓読みで表さ
れていることから、造語の第一号になったそうです。わが祖先の繊細な感性が
うかがえる話ではないでしょうか。
 
★★節分って……?★★    
文字通り「節」を「分ける」ことです。「節」とは、季節、四季のことですか
ら、季節の移り変わるときという意味です。昔は、月が地球を一周する時間を
もとに作った暦、太陰暦を使っていました。今は、地球が太陽の周りを一回り
する時間を一年とする暦、太陽暦です。その陰暦で季節の区分、その変わり目
を示す日を「節季」といい、立春から大寒まで二十四あったので二十四節気と
いったのです。(詳しくは六月に紹介します)。その中で、立春、立夏、立秋、
立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを表した言葉で、季節がジワッと伝わ
ってくるような気がしますが、実感はありません。子どもの頃、立春と聞けば、
「春だ!」と、何やらほのぼのとした気持ちになったものですが、立夏、立秋、
立冬となると、何ら思い出がありません。あとで紹介しますが、立夏は五月六
日頃、立秋は八月八日頃、立冬は十一月七日頃ですから、一ヵ月程早く、実感
がわかなかったのも当然なのです。現代っ子はどうでしょうか。季節感が希薄
になりましたから、季節の息吹を肌で感じることも少ないでしょうが、こうい
った変化に気づかずに過ごすのは、本当は、恐ろしいことではないでしょうか。
 
話を戻して、この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいます。言って
みれば、明日から季節が変わりますから、その前夜祭のことです。しかし、立
春の前の日の節分だけが、なぜか有名になりました。
 
私の勝手な想像ですが、昔の冬は本当に寒く、夜は暗かったのです。今は電気
という便利なものがあり、夜になっても明るく、ガスや電気ストーブ、ファン
ヒーター、床下暖房、エアコンと暖房機器で寒さを防ぎ、寒い外へ出かけると
きには防寒具も完備していますが、昔はこんなものはありませんでした。電気
も石油もありませんし、建物は木造です。勿論、断熱材もありませんし、ガラ
スもなくて紙を貼った障子です。夜は真っ暗で、月明かりが無ければ、それこ
そ鼻を摘まれてもわからない、漆黒の闇です。自然と仲良く共存していました
から、地球の温暖化とはまったく縁がなく、冬は本当に寒かったに違いありま
せん。
春を待つ気持ちは、現代人の想像を越えた強烈な願いであったと思います。
 
そこで立春を迎える前の日に、鬼は悪魔と信じられていましたから、その鬼に
春を取られては一大事と、鬼の嫌いな豆や鰯の頭を刺した柊を玄関に飾ったの
でした。昔の人の春を待つ、必死な気持ちが伝わってきませんか。
 
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★
いろいろな説がありますが、紙芝居で見たこの話が印象に残っています。 
 
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいたのです。ある時のこと、困ってい
る人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現
われ、七人の賢い人、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令
されました。鬼は、悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことか
ら「魔目」、すなわち「豆」となったそうです。
 
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じる
からだという話もあります。「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていま
すね。漢字はよく工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことが
わかり、楽しいものです。
 
★★なぜ、豆を煎るのですか★★  
これにも地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同
じような民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく
塚を作る約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
           (注 塚…一里塚など土を高く持って距離を表す標識)
 
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼
の勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったの
で、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声をは
りあげた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のところ
で負けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散した。
神様は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
[年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
 
この話は、幼児教室に通って来る子ども達に受けると思い探したのですが、原
作は見つかりませんでした。わたし流にアレンジして、毎年このように話して
いました。
 
むかし、金がたくさん取れた佐渡島に、鬼が住んでいました。そこへ、神さま
が鬼退治にきたのです。これがおもしろい神さまで、「今夜の内に、金山に百
段の石段を作れば、おまえの勝ちにしよう」と、鬼と賭けをしたのです。負け
ると佐渡島は鬼の支配下になるではありませんか。いくら神さまでもやり過ぎ
で、誰もが心配します。その心配が、的中するのです。鬼は、夜更けの内に、
何と九十九段まで作り上げました。これでは、誰が見ても鬼の勝ちです。絶体
絶命のピンチ、困りはてた神さまは、「弱ったな、何か方法はないものかな…?」
と何とも情けないことになりましたが、そこは全知全能の神さまです。しばら
く考えていましたが、何と鶏の鳴き声をまねたのです。すると、鶏たちが、一
斉に、「トーテンコー! トーテンコー!」と鳴きはじめました。「トーテン
コー」は、「東天紅」と書き、東の空が紅くなってきたので、「夜が明けるぞ!」
と、鶏たちがみんなに報せているのです。時計のなかった時代ですから、鶏さ
んの鳴声は、目覚まし時計でした。朝になったと勘違いした鬼は、神さまに負
けたと思ったのです。しかし、鬼は、あと一段で負けたのを悔しがり、「残念
じゃが、お日さまには勝てん。豆に芽が出る頃に、また来るぞ!」と捨てぜり
ふを吐いて、逃げたのでした。そこで、神さまは豆の芽が出ないように、人々
に豆を煎るように命令されました。煎った豆から芽は出ません。芽が出なけれ
ば、鬼も来ません。ですから、節分には、煎った豆をまくようになったのです。
 
すると、「どうして、オニは、ニワトリの鳴声を恐がるのですか?」といった
質問があったのです。
「別に、オニはニワトリを恐がっているのではなく、ニワトリが鳴く頃になる
と、お日さまが昇って来るんだよ。オニは、真っ暗な闇の世界に住んでいるか
ら、お日さまが恐いんだなぁ。だから逃げたんだよ」
「それなら、ドラキュラと一緒だ!」
何やらしたり顔でうなずき、納得していました。これは説得できましたが、次
がいけませんでした。
 
「何で、『トーテンコー』なんて、おかしな鳴き方をするのですか?」「トー
テンコー」と鳴かないと、この話は成り立ちませんから困りました。「お日さ
まは東から昇るので、『東天』は『夜明けの東の空という意味だ』といっても
うなずきませんし、『紅』は赤い色で、みんながお日さまを描くとき赤く塗る
でしょう。東の空が赤く染まってくる様子を見たニワトリは、『朝が来た!』
とみんなに報せているのですよ」と説明しても、「なぜ、夜明けにニワトリが
鳴くのですか?」と変な顔をします。
「日本のニワトリは『コケ・コッコー』と鳴きますが、中国のニワトリは『ト
ーテンコー』と鳴き、アメリカのニワトリは、『コッカ・ア・ドゥードル・ド
ゥー!』と鳴くそうだよ」
といっても、アンビリーバブルとばかりに首を傾げるだけでした。話がこじれ
たのは、ニワトリが、夜明けに鳴くのを知らないからでした。
 
「なぜ、ニワトリは、朝になると鳴くのか」、このことです。やはり、子ども
の疑問を追求する目は鋭く、妥協しません。これを説明しなければ、子ども達
は、納得できないわけです。「ニワトリは、鳥目といわれ、暗いところではま
ったく物が見えません。だから、夜になると、イタチなどに襲われる不安があ
るので、夜明けになると、ほっとして、一斉に鳴き出すのだよ」と苦し紛れに
こじつけて話したところ、「なるほど!」とうなずきはじめました。
 
子どもがわかるように話をするのは、本当に難しいですね。実際にやってみる
と、ほとほと困るときがあります。お母さん方は勿論のこと、幼稚園や保育園、
幼児教室の先生方は、何の苦もなくやっているように見えますが、大変だなと
思い、敬意を払うのは、こういう時です。我が子でさえ、「……?」といった
表情が続くと、面倒になって止めたくなりましたから(笑)。
 
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
豆まきをしない家がふえているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
 
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。「柊」は、字そのものが寒そうで、冬そのものといった感じが
します。葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛
むことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひい
らぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったのです。
 
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾ったのですが、その行事は今でも残っているそうです。葉の
とげで、鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わります。
とげのある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
 
話は変わりますが、いわしは「鰯」と書くように、魚は魚偏から出来ています。
しかし、何と木偏の魚がいて、その名を「柊」といい、命名の由来は、鰭(ひ
れ)のところに柊と同じように鋭いとげがあるからだそうです。これが網にひ
っかかるので漁師さんから嫌われていますが、味の程は好評で、塩焼き、干物、
刺身でもいけるとか。ただし、骨が硬く、身も少ないため、市場に姿を現さな
いそうです。宮尾登美子さんの随筆に、「にぎろ」という魚の話が出ています。
大森望氏の解説によると、「にぎろは、ススキ目ヒイラギ科の魚で、全国的に
はヒイラギとよばれているらしく、うちは煮付けで食べていました」とあり、
本文に頁をもどすとこう書かれていました。
 
  ニギロという小魚がよく釣れた。お隣の愛媛県では畑の肥料にするという
が、土佐では、一日干(ひいといぼ)しにして軽く炙ってよし、二杯酢にしてよ
し、ごく親しまれている魚だ。宮家の筆頭伏見宮家の長女として生まれ、大正
天皇妃の候補にもなった山内豊景(土佐山内家十七代当主)侯爵夫人禎子(さ
ちこ)さんは、ニギロの刺身が大好きで、あの小さい、小さい魚を女中さんが
苦労して身を削いでは食卓に載せていたそうである。
    (「生き行く力」 宮尾登美子 著 P215 新潮社 刊) 
 
子どもの頃、瀬戸内海を挟んだ兵庫県は赤穂に住んでいましたから食べたかも
しれません。
 
読むたびに作家魂とは、かくも凄まじきものかを叩きこんでくれた宮尾さんは、
2014年12月30日に、老衰のため逝去されました。(合掌)
 
もっと凄い魚がいます。
何と「猫またぎ」と呼ばれ、漁師に嫌われるどころか、小骨が多いため、猫も
またいで見向きもしないほど無視されていたのが、うなぎに似たあの鱧(はも)
なのです。ところが京都では、骨を食べやすく「骨切り」(高等技術だそうで
す)をし、硬い皮を食べやすく「湯引き」、熱湯にくぐらせ、氷で冷やし、梅
肉やからし酢味噌などで食べ、夏の味覚として珍重されており、祇園祭りに食
べる習慣があるのですから驚きです。
また、日本酒の肴に珍味な海鼠(なまこ)と、その腸である海鼠腸(このわた)
がありますが、最初に食べた人の勇気をたたえると共に、いつも感謝していた
だいています(笑)。
料理も包丁人(料理人)の度胸と工夫、腕次第なんですね。
 
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが日本的なのでしょう。日本では、神さまと仏
さまが同居していますから、遠慮しているのかもしれません。
 
★★鬼のルーツは…?★★
陰陽(おんよう)五行説、聞きなれない言葉ですが、中国の易学のことです。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、男、
春、奇数などは陽、月、女、秋、偶数などは陰と考えられ、奇数が縁起のいい
数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
 
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
 (「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
 
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考
えから、今の鬼が定着しました。
 
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。NHKの大河ドラマの
放映以来、訪れる人が増えているそうですが、天璋院篤姫の墓所は寛永寺にあ
ります。
 
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」と
いう7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世に
なって民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
(2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
 
鬼と同様、目に見えないだけに、現代人には恐ろしい存在に違いありません。
今年もインフルエンザの猛威にさらされていますが、何とか穏便に願いたいも
のです。被害者は、弱い子ども達であり高齢者だからです。鳥インフルエンザ
は、渡り鳥に予防接種するわけにいきませんから困ったものですが、今のとこ
ろ何とかおさまっているようです。今年も寒波の襲来で世界的に冷え切ってい
ますが、豪雪地帯の雪害は、高齢者が多いだけに被害は深刻です。先日関東地
方にも雪が降りましたが、震災の復興からほど遠い東北地方の皆さん方に、雪
害による被害が広がらないように願ってやみません。
 
ところで、食べられた方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙
って丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近ではバレンタ
インデーのチョコレートのように、全国で行われているようです。恵方とは、
「陰陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、2015年の恵方は西南
西でした。七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、きゅうり、椎茸、玉子、
おぼろ、高野豆腐など7種類の具を巻き、包丁で切らず、福を丸ごとかじって
食べるのが定法で、江戸時代に行われていた大阪の伝統習俗を復活させたもの
です。
 
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗
談めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪
魔は外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、
お釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子
どもの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけで
すが、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているから
だそうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですか
ら、「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節
分」を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
(生活情報サイトAll About より)
 
(次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本1」についてお話しまし
ょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね 【一月に読んであげたい本】

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第12号-
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第3章(4)何と言っても正月ですね 
【一月に読んであげたい本】
 
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、こ
れを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りません
でした。
 
◆十二支のはじまり   小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を
守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神様からのお触れが出て、動
物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く(本当は
運悪くですが)会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られたと
も知らずに、ねこは神様のお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、「十二
支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神様に怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは
寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いか
けるようになったのでした。
ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた
神様でしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だ
から。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」
をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつけ
る大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続
けていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようにな
ったのです。
一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 
 日本民話の会 編 国土社 刊
 
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、
こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、
しばらく笑いが止まりませんでした。神様といたちのやりとりが、本当におか
しいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像くだ
さい。
 
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日
は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、き
ちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、
「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」
と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれ
ど、これで覚えられるでしょう。(※実際には妊娠期間が20日だそうです
 <編集者注>)
 
ところで、かつて小学校一年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがある
といって歌ってくれましたが、実にうまく出来ていて、これで簡単に覚えられ
ます。残念なことに題名を思い出せませんので、すみませんが探してあげてく
ださい。
 
大人でもよく間違える「十日」ですが、「とおか」、「とうか」どっちでしょ
うか。
氷、王さま、通りは、「お」「う」のどちらでしょうか、小学校一年生のとき
に習います。
 
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神様、一人ひと
りの紹介はありませんが、七福神の話です。これとよく似た話で、大晦日に長
者に宿を断られた乞食が、貧乏人の家に泊めてもらい、そのお礼に若水をもら
い若返った話を聞いた長者が、乞食を無理やり泊まらせ若水を強要し、あまり
欲張ったために猿になった話や、赤ん坊になってしまうのもあります。暮れか
ら正月の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
 
◆正月の神さん   渋谷 勲 著
ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸してほ
しいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまっていた
ご祝儀用の合羽を貸したのでした。
 それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意が
できずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入って
きたではありませんか。実は、旅人は神様で、笠のお礼にきたのでした。打出
の小槌から、米や魚やら、二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくな
るほどです。もっと欲しいものはないかという神様に、「もう少し若ければ、
子どもを授かりたいものだ」とおばあさんはいいました。
すると神様は、「明日は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをし
なさい」といって帰ったのです。        
元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、
八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安
穏に暮らしたのでした。
  一月のおはなし
    ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
          国土社 刊
 
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」
に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を
統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七
福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。     
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の
威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
 
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天
と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿
老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
異教の神様や仏様を、いくら「呉越同舟」(呉・越、共に中国は春秋十二国の
一つで、互いによく争ったことから、仲の悪いもの同士が一所にいること)の
四字熟語があるからといって、同じ船にお乗せして問題が起こらないのでしょ
うか。キリスト教など他の宗教では考えられないことです。「融通無碍(ゆう
ずうむげ)考え方や行動が、何事にもとらわれず自由であること」というので
しょうか、本当に、日本人らしいですね。イスラム国で起きてしまった事件、
何とか無事におさまってほしいものです。
 
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです
が、私もそのようにした記憶はありませんから、かなり前の話のようです。そ
の夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町
時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、
除夜は起き明かす習慣となり、元旦の夜に見る夢となっていましたが、「すべ
ての事始めは二日」ということから、今では二日の夜に見る夢となったのです。
これも、一つ紹介しておかないといけないでしょう。
 
◆ゆめみこぞう   渋谷 薫 著
 ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうと
いいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて
木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
 二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる
前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれ
ば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に
針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊
の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみ
るがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を
持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
 着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人
達が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰
坊は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま! 
死んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案
内され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になった
のです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
 一月のおはなし
   ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
         国土社 刊
 
正月ですから、ご祝儀を一つ。
これも、むかし話の定番ですが、継母の子どもいじめです。「親になるにもラ
イセンスが必要」とおっしゃった方がいるそうですが、幼子への虐待は、親と
いえども許されることではありません。ましてや親の手にかかり殺される子は、
どんな気持ちでこの世を去ったのでしょう。殺人犯は、実の親なのですから……。
また、ごく普通の家庭でも、父親は女の子に、母親は男の子に甘くなりがちで
す。子どもは、小さい目で、しっかり見ていることを忘れないでほしいもので
す。
 
話に出てくる季節の変わる様子は、古い話で恐縮ですが、高校時代に観た映画、
マルシャークの「森は生きている」を思い出します。気まぐれな女王が、真冬
に4月の花であるマツユキソウをほしいといい、継母の言いつけで吹雪の森へ
行き、12月の妖精たちに出会う話となっています。これと同じような話が、
スロバキアの民謡に「マルーシカと12の月」があります。こういった話を聞
くたびに、人間の考えることは「同じなんだな」と、しみじみと嬉しくなりま
す。
 
◆六月のむすこ   松谷 みよ子 著 
 むかし、あるところに母親と二人の娘がいて、妹は実の子、姉はまま子でし
た。ある年の正月、妹はいちごを食べたいといいます。母親も取り合わなかっ
たのですが、わがままに育てられていますから押し切られ、姉は取ってこいと
かごを背負わされて、山へ向かいますが、いちごなどあるわけがありません。
途方にくれていると、白いひげのじいさまと会い、訳を聞いてくれ、あたたか
い感じのする家に案内されたのでした。いろりの前に姉を座らせ、この家に一
月から十二月まで、十二の月の兄弟と住んでいて、どの息子も自分の月を呼び
出せるといい、声をかけると、奥から一人の若者が出てきたのです。訳を話す
と、今は一月、私の出る番の六月まで、一月から五月までの五人の兄弟の助け
が必要だという。再び声をかけると、五人の若者が現れ、みんな外へ出たので
す。すると雪がとけ、あたたかな日がさし、土が姿を見せ、草や木の芽がもえ、
花が咲き、小鳥は歌い、いちごが実ったのです。かごいっぱいに摘んだのを見
たじいさまに、「雪が降らない内に帰りなさい」といわれ、走るように山を下
った後から雪が降りはじめ、ふもとに着くと山は、もとの銀世界でした。
 家に帰ると、二人でいちごを瞬く間に食べたばかりか、妹はもっと食べたい
と泣きわめき、母親は殿さまにあげればご褒美にありつけたと悔しがり、再び
山へ行けというのです。
姉は不思議なじいさまとの出会いを話し、二度は無理だというのですが、「い
うことを聞けんのか!」と怒り狂っていましたが、急に気が変わり、二人でじ
いさまに会ってくると出かける準備をはじめます。姉は必死に止めましたが、
大きなかごを背負い山へ出かけたきり、二度と戻って来ませんでした。
  日本むかしばなし 18
     まほうをとくむすめ 民話の研究会 編 櫓良 良春 絵
               ポプラ社 刊
 
最近、継母という言葉は余り聞かないようになりましたが、幼児虐待の話はよ
く聞きます。
それも、育児に一所懸命なお母さんが虐待しがちだと聞くと、救いがありませ
ん。四六時中、お子さんと顔を合わせていますから、あまりのわからず屋にカ
ッとなる時もあるでしょう、わかります。しかし、そこが我慢のしどころです。
育児には、「耐えて、忍ばなければならない時期」があります。心の傷は間違
いなく子どもの心に残り、それを背負って生きていくものです。子育ては、
「育児」しながら「育自」することです。お母さん方は、自力で自身を成長さ
せなくて、誰がさせてくれますか。誰も、力を、機会を与えてくれません。そ
の教材が、お子さんと考えてはいかがでしょうか。お子さんは、ご両親で作る
環境でしか育ちません。ご両親が心を一つにして育児に専念するのは、幼児期
だけではないでしょうか。子どもは授かりものです。授からない人も、多くい
ることを考えてみましょう。
そして、ご自身を育ててくれたご両親、特にお母さん方は、同じ苦労をしてき
たことを思い起こすべきで、この気持ちを忘れないことが大切ではないでしょ
うか。
 
最後に、「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。若いときは、とかく
親のことなど考えないものです。だから「今の若い者は」などと口幅ったいこ
とは言いません。しかし、「親孝行、したいときには親はなし」……実感して
います。
 
この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太
郎」など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。中でも傑作なのは
「猫の草紙」で、昔は猫も首輪をされていたそうです。ところが、「首輪をし
てはならぬ」とのお触れが出て、それまで自由に走り回っていたねずみは、猫
に捕まり食い殺される恐怖の世界に一変するのです。
「十二支の始まり」と同様、猫とねずみの因果関係を納得させられる話です。
原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学
生向きに書き直されたものがあり気軽に読めます。現代人が忘れかけているも
のがたくさんありますが、ロマンも、その一つではないでしょうか。
 
      ◆七草草紙 北畠 八穂 著
正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそば
に住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親は
百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くした
いと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕方、
帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(しゅみ
せん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八千年
も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両親の
命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬にす
る方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたきだし、
七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝にも届
き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月七日に
七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽くす人に
は、天の幸いが授かるのです。 
    御伽草子  古典文学全集 13 ポプラ社 刊
(次回は、「第4章 豆まき、節分でしょう」についてお話しましょう)
 
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さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第11号-
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第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただく料理がお節料理です。私の子どもの時でもそうで
したが、一年に一度か二度、滅多なことではお目にかかれない重箱というもの
があり、そこにいろいろな料理を詰めます。木からできている箱で、普通は漆
で塗られ、外側はきれいな絵や模様で飾られ、二重、三重、五重と積み重ねら
れるものです。今のお節料理には中華風や洋風などもあり、食べ物が豊富です
から精進料理風は受けないのでしょう。お節料理は、元旦の朝に神様と一緒に
お祝いをして、家族が健康で良いことがたくさんあるように、お祈りをするた
めの食事ですから、縁起ものしか選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は、魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色です。   
豆は、「まめに生きる」といって、真面目に健康に生きる願いが込められてい
ます。
数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから「数多い子」、子
孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、また「春告魚」とも書き「春よ、早く来
い!」と願っています。
ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を願っています。
牛蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥
を表したものです。
この三つは、必ず食べたそうですが、子どもは、きんとん、だて巻き、かまぼ
こ、海老や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。
きんとんは「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美
しい様」、かまぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ
頭は「人の頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お
節料理は縁起を担いだ食べ物からできています。               
 
さて、今はどうでしょうか。
ウインナー、ハンバーグ、餃子、鶏の唐揚げ、ポテトフライ、こういうものを
朝祝いに食べ、初詣に神社へ行って神様にお願いする、何だかおかしくないで
しょうか。神様は和食派ですから、ちぐはぐな感じがしますね。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には、
先程の三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい今風の言
葉で表せばオードブルで、金団、ゆず玉、だて巻などが、三の重は、海老や鮑、
鯛などの「海の幸」を、四の重は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、
里芋などの「山の幸」を入れます。そして、詰める品数は奇数がよいとされ、
ここまでこだわります。  
 
祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やんごとなき魚
なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の名前は「鯉」
といいますが、王様からお祝いに、鯉をいただいたことから命名されたそうで、
当時、中国での魚の王様は鯉だったのです。ところが、江戸時代になると鯛が
鯉にとって代わり、祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に
許していません。姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼いても汁にしてもうま
い、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べられるから旬がなく、
その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹や秋刀魚も、いつでも
食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、そのために失ったものもた
くさんあります。 季節感が希薄になったのも、その一つでしょう。魚に限ら
ず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わいましょう。
 
さて、お節料理の中心は煮物です。煮物は、素材をそのまま煮炊きできません
から、その下ごしらえから味付けまで、手間がかかりますし、それに味付けが
一番難しいといわれています。味付けで素材の持ち味が決まるからです。です
から、暮の台所はまさに戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではな
く、全部自前でこしらえていましたから大変な騒ぎであったことを覚えていま
す。お節料理は、三が日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる
配慮があったと聞きましたが、その通りではなかったでしょうか。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした
味醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、
「おめでとうございます」と父がいわないことには、新年の朝祝いは始まりま
せん。これは、不老長寿の効き目があるといわれ、正月の祝い酒でした。しか
し、どうして、こんなものがおいしいのだろうかと思いましたね。山椒はうな
ぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、桔梗は
根を干したものはせき止めの薬ですし、ぼうふうはセリの仲間です。聞いただ
けで、飲むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもらい
ましたが、大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気がし
ました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の
邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられていました。ですから、邪
気を払い不老長寿を願う、正月には欠かせない祝い酒でもあったのです。今は
朝祝いに屠蘇を飲まないのではないでしょうか。屠蘇で乾杯して大人はお酒で
す。子どもはお節料理を食べながら、お雑煮をいただきますが、両親とも着物
です。母は着物の上に、袖付きの前掛けというのでしょうか、割烹着をつけて
いました。親父は立派に見え、母はきれいだと思ったものです。そして、なぜ
か子どもたちも新しい服を着せられていました。新しい年神様を、誠心誠意で
お迎えした雰囲気がありましたね。
 
また、これも忘れられませんが、テーブルと椅子の時代ではなく、足の低い食
卓、ちゃぶ台で食事をしていました。もちろん、正座をしてご飯を食べます、
正座です。姿勢が崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方
ですが、真剣に、真面目に食べていました。ですから、姿勢も自ずと良くなり、
食事のマナーも身についたものです。      現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方をして
いる子もいます。ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます、親も注意を
しないようです。食事中は、テレビを消しましょう。4、5歳の子には、「食
べながら見る」といった二つの作業をこなすことはできません。私の子ども時
代と最も違ったのは食事ではないでしょうか。テレビはありませんから、食事
は人が中心で、一家団欒の一時であり、家族の会話があったような気がします。
しかし、椅子とテーブルになって、子どもたちの足が長くなり、スタイルもよ
くなりましたが、子どもに教えるべき生活習慣やしつけの面で失ったものも、
数々あります……。
 
そして、年の順にお年玉をもらうのですが、これが楽しみでした。でも、わず
かでしたね。
現代っ子は、銀行に預けるほどもらえるようですが、これは不労所得です。汗
水を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。
子ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないで
しょうか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。ところが、最近はどうで
しょうか。
「行く年、来る年」などを見ていると、全国の有名な神社、仏閣は、大勢の参
拝者でにぎわっています。お賽銭を後ろの方から投げ込んでいる人さえいます
が、参拝者が多いためでしょうけれど、これは投げ銭ですから神様に失礼で、
ご利益は期待できません。やはり、その年の神様と朝祝いを済ませ、神様に失
礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。そして、お子
さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせましょう。目
に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことではありません。
親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
「我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始め
たような気がしてなりません。
(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著 新潮社 刊 P193)
 
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
今でも忘れられない一言となっています。傑作だった「模倣犯」で活躍した前
畑滋子が再登場する「楽園」、超能力に興味のある方には見逃せません。「孤
宿の人」の主人公‘ほう’には泣かされました、年甲斐もなく(笑)。目下
「ソロモンの偽証」に取り組んでいます。
    
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕
焼けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、
その年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん
最初に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、単純に考えると東へ行けば行く
ほど早くなるように思われますが、高い所へ登れば登るほど見通せますから、
国土全体では日本の最東端にあたる南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では
犬吠崎です。しかし、南鳥島は一般の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁
と気象庁の職員しか拝めませんし、富士山頂は氷点下何十度という所ですから、
一般の人は無理ということで、正解は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が
海開きに当たり海水浴も楽しめるそうです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに
「The world is waiting for the sunrise」
(世界は日の出を待っている)があります。といっても、アメリカ人に「太陽
遥拝」の信仰があるかといったことではなく、第一次世界大戦後の不況から脱
出したい願いをこめて作られた曲です。ジャズの演奏スタイルは、時代と共に
変わりましたが、大雑把に分けるとデキシーランド、スイング、モダンの3つ
があり、デキシーランドには、ニューオーリンズ派とシカゴ派があります。ニ
ューオーリンズ派の名クラリネット奏者、ジョージ・ルイスの率いるバンドが、
オハイオ州立大学で行ったコンサートの中に、この曲の名演奏が入っています。
バンジョーの名手、ローレンス・マレロが、正確無比なビートで、最高にスイ
ングするソロを聴かせてくれます。沈んだ夕日が昇ってくるのではと思うほど
アグレッシブ、攻撃的な演奏で、音はよくありませんが、いつ聴いても感動を
新たにさせてくれる、ご機嫌な演奏です。私の正月は、これを聞くことから始
まります。
話は変わりますが、ジョージ・ルイスのすばらしい音色を絶賛したのが、前衛
ジャズの大御所、サックス奏者のジョン・コルトレインでした。音楽に新しい
古いはないと思います、自前の感性に訴えるものがあれば、いいのですから。
私はドラムを少しやっていますが、学生時代、ある黒人ドラム奏者に、「なぜ、
そんなにスイング出来るのですか」とあほみたいな質問をしたところ、「なぜ、
あなた方は、フォークソング(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れるのか」と
言われ、ジャズのリズム(4ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8ビート)
に抱いていた劣等感を拭い去ることが出来たような気がしました。それぞれの
民族は、長い時空を経て培われたリズム感があるということです。それから、
下手の横好きですが、私流のリズムを刻むことを覚えました。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることが出来ず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました 
(笑) 。 再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダ
ーの丸山が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼が
いたからジャズの醍醐味を味わうことが出来たと感謝しています。昨年は5月
に、演奏会の度に香港から駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、
ご自分のバンドを率いて「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が
参加出来ず、ピンチヒッターでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニ
シャンのある外人の方が3名いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽し
むものだよ!」とまたしても教えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、
これは偶然だったのですが、会場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と
全く同じで、追悼演奏が出来たと感無量でした。(涙)
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。
今の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲ
ーム等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょう
か。小学校時代に友達と遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちません。
社会性が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生き
られないことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがままを
助長するのは、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えています。
「訓練されていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長はおっ
しゃっていますが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であることを真
剣に考えましょう。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイ
コロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり
戻ったりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上
下、左右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こうい
う遊びで覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1
個ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使い
ませんが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物
が、トランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードに
はマークと数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表され
ています。
Kはキングで王様、Qはクイーンで女王様ですが、Jは何を表しているかご存
じですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごく
ありふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく
耳にする名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つ
のマークは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と
身分階級を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生にな
り英語を習ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べ
ティは「花子」にあたるのでしょうか(笑)。
 
★★春の七草★★
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏
の座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)
のことです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎ
て、お腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、
春を実感していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リ
ュウマチに、なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利
尿作用に、はこべらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、す
ずな、すずしろは骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。
(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。間違って使われる言葉に「千六本」が
ありますが、永田先生でなくても笑えますね。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たらな
い役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、
大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻
んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。
千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人
もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本と
いうのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話ししましょう)
 

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