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さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走

暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうです。

季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」  
を参考にさせていただきました。

12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者
になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・デー
や最近のハロウィーンほどではないでしょうが、何やら商業主義の笛に踊らさ
れているような気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、
ほとんどないからかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、
信者は非国民扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」
とは軽薄な言い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さ
ん方には、信じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律
で規制できるのですから、恐いことです。

一時、クリスマス・イブは、どんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、健全な
ホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在り方で
す。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日になると、
ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢にとは、や
はり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみます。

ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。

それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、遠慮しておきましょう、
日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようですが、キリス
ト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
     
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。

クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、
キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつ
れて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っていたミトラ
教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)

ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神、ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったので
す。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエ
ス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリスト
が、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、
この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。

ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのみこ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮
中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に
来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生ま
れたのでした。この話は、黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、出
典名は思い出せません。(陳謝)

★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマ
ス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイ
で見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえませ
ん。これも、当然のごとく訳ありでした。

クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。

クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。
12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われ
たとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの
十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を
知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。真冬にも枯れることなく青々と緑を茂らせ、花を咲かせる常
緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」などと考えるの
は、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、
飾られるようになったのでしょうか。

プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリスマスの
前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切った夜空を見上げる
と、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じた
ルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、感
激した夜の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウス
によって、1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 
永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

都会の空では無理ですが、清里の高原で見た星空は、まさに、星が降ってきそ
うな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神秘
的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。
   
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。

樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キ
リストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命
を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本
の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく
習わしがある。 (ルビは引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。

★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 

クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。

クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古くか
ら、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、
冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)
はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの愛
の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁起もある
のだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リー
スに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、
葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。

ところで、クリスマスのテーマソングのような
[Silent Night, Holy Night]、日本では「きよし、この夜」
ですが、いいですね。「静かで、神聖な夜」では、ぶち壊しでしょう。日本の
英語教育って、こんなことをやっていたのではないでしょうか。だから、実用
的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうなことはいえませんが。
「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指導要領改定で、公立の
小学校でも英語の授業が始まり、2018年から「読む英語 “reading”
から、話す英語“speaking”」と実践的な英語教育を目指すことになり、
その効果に期待したいものですが、これも本人の努力次第です。
上智大学名誉教授、英語文法史の大家、渡部昇一氏は、「留学、結構だが、卒
論はきちんとした英語で書かなければならないから大変だよ」とおっしゃって
いましたが、“writing”の難しいことは、皆さんも英作文で苦労され
たのではないでしょうか。卒論は英作文と違い論文ですから、日本語を駆使で
きなければ書けません。このことを承知していないと困ったことになるのでは。
留学に憧れる若者の気持ちはわかりますが、生半可な気持ちではだめだと思い
ますね。

古い話になりますが、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが
共演した映画 “Love is a many splendid thing” を「慕情」と訳した方が
いましたが、これなども、うならされませんか。また、名女優、キャサリン・
ヘップパーンの演じた“Summer time in Venice”は「旅情」です。わずか二
文字の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだものでした。 
最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようですが、映画
を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なくなってい
るようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしていますが、
日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使うべきだと思いますね。
外国語を深く読み切る力が衰えているのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(新潮文庫 刊 全4巻)などの作品は、幕末から
明治にかけ、オランダ語や英語を苦心惨憺して翻訳した人々の世界を活写した
もので、その大変な努力に、ただ、ただ、頭が下がるだけですが、私たちは、
今、その恩恵を受けていることに感謝しなければいけないのではと思いますね。
“reading”が果たした役目、これも日本の文化を支えてきた原動力の一つで
あることは間違いないでしょう。

漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってきた漢
字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり大変な文
化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ諸国では、数
学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語を習得しなければ
出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学んでいますが、それを可
能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自然科学を学び研究出来るの
は、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。今週ノーベル賞の授賞式が行わ
れましたが、3人の受賞者が生まれたのも、勿論、ご本人の努力のたまもので
すが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境であることも、子ども達
にきちんと教えるべきではないでしょうか。
  (「日本の科学教育は大丈夫か」 
内科医 西岡昌紀 著 WILL 2014年12月号より 抄訳)

今週はノーベルウイーク。子ども達に、日本語で勉強するのが当たり前だと思
っている数学や物理、化学など自然科学を、母国語で学べない国もあることを
話し、授賞式を見て拍手喝采するだけではなく、日本語の素晴らしさを教えて
はいかがでしょうか。
(次回は、クリスマスの2についてお話しましょう)


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さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第7号-
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第2章 (2) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走

クリスマスが近づきました。
お子さんへのプレゼント、手に入りましたか。娘がサンタに頼んだのは、リカ
ちゃん人形の2代目ボーイ・フレンド「藤原まさと君」。手に入らず、イブの
夕方に東京のデパートで見つけ、冷や汗をかいた経験があるからです、30数
年前の話ですが(笑)。

★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民はチキンで済ます
のではないでしょうか。私は焼き豚、それもタンの塩焼き、タン塩が好きです
が、関係ないですね。七面鳥、やはり訳ありでした。    
                            
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。       
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての白米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入っ
ていない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
敬老の日に町会から赤飯の折り詰めを二箱頂きましたが、前期高齢者の仲間入
りをした家内は、いささか憮然としていましたね(笑)。

★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。

クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ
(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖
炉に入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀
式は聖なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新
しい薪を燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、
喜びを分かち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で
12日間、絶やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけど
や害虫予防に用いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとし
たのが、クリスマスケーキのそもそもの始まりだったのである。
 〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著
 日本経済新聞社 刊〕

初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわか
りませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・
ケーキ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。
ちなみに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそ
うです。このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、
最低です。食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らな
いわけはないでしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、
「いただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身
につけておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作
品を通して、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっし
ゃっています。

私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残
酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに
残っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚は
ほとんどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありませ
ん。食生活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たち
はまだしも、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生
きている自分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
バーチャル・リアリティ(virtual reality)
コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させること。
(広辞苑)

イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときか
ら、人は傲慢になるようです。

★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良
なおじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、
雪の上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさ
んのイメージは、世界共通です。これも、訳ありでした。  
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラ
ーク・ムーアー(1777ー1863)が作った、
[ 'T was the Night before Christmas](クリスマスイブのこと)
の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原像としたサンタクロースは、ムーア
ーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太った明るい善良なおじいさんとし
て生まれたのである。(中略) 1863年にアメリカの風刺画家、トーマス
・ナスト(1842―1902)による絵が評判をよんで、白い鬚、赤い帽
子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサンタクロースというイメー
ジが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著
 日本経済新聞社 刊〕

サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリ
スマス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身
が、この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、
いつ頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配
達人となり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元
まで配達してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわか
り、がっかりするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐら
いまで、夢を与え続けるのですから、これはすごいものです。

親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。
私は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次の
とおりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、
心配ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえま
せん。これが、サンタさんの現住所です。
MR.SANTA CLAUS
Santa Claus Arctic Circle 96930 Rovaniemi Finland
(Yahoo Japan 知恵袋より)

手紙を出される場合は、パソコンで検索してお確かめてください。お子さん
の夢を破ることのないようにお願いします。

★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。

北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が
必要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくるこ
とによって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜
んで手伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
   
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行
ってしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長い
し、何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を
、暖かく、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、
煙突にへばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備
えて、欠かせない仕事でした。
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」 
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょ
う、自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々
の、生活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識
を持たすことです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配
はありませんけれど。        

問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きま
せん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切で、それ
には、ご両親が良いお手本を見せることです。「率先垂範」、響きのいい言
葉ですね。四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。
ちなみに英語では、“example by leadership”だそうです。
(四字熟語データバンクより)

ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラ
ンダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった
子を見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響
きのいい言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という
好意は、密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと
来るのが、いいですね。

★★クリスマス・カードのルーツ★★      
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみ
のようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」し
か書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」と
しか書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わ
っているかもしれません。

1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵
を描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イ
ギリスのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送
ったことをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕

ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。
といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で
戦った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手
紙に、「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマス
を祝したり」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれ
ています。今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことにな
ります。

★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これ
を先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと12月4日の第5
号で紹介しましたが、こういう話です。

「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さ
んが入れておいてくれるのだ」などと、余計なことをいって、(先生が)子
どもの夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、
友人は憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深
酒で、帰宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプ
レゼントを決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってく
る。これを子どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、
口が腐っても「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、
彼はサンタ翁そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サ
ンタクロースは実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタク
ロースはいるのだよ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288  池波正太郎 著 新潮社 刊)

全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。余計なことですが、「泪」、いい字
ですね。
  
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次
第に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では
「物事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを
「一陽来復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りま
すが、私が子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りに
は「金銀融通のご利益がある」といわれ賑わっていましたが、今はどうでし
ょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶ
う 半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれていま
す。柚子湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミ
ンCとカルシュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃ
はビタミンAが多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されて
いる優れものです。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこ
ん、ぎんなん、かんてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、
ぽんかんなどには、食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の
食材、果物として欠かせません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵
でしょう。子ども達にはハロウイーンでおなじみになったかぼちゃですが、
食べる方はどうでしょうか。

「12月に読んであげたい本」は、構成の都合上、来春の始めになりますの
で、クリスマスに関する話を紹介しておきましょう。
さすがに、日本の昔話には登場しませんが、外国には、ご存知の「マッチ売
りの少女」など、子どもたちの心を揺さぶる話がたくさんあります。王さま
や大金持ちが頼んでも鳴らなかった教会の鐘が、幼い兄弟の善意から鳴る話
は、仏さまの教えを学ぶ進学教室の子ども達にも大いに受け、毎年、紙芝居
で紹介していました。以前、お話ししましたが、紙芝居には素晴らしい作品
がたくさんあります。アニメーションと違い動きがない分、自力でイメージ
をふくらまさなければならないだけに、想像力を培う優れ物です。図書館で
探して、やってみましょう。きっと、お子さんの喜ぶ姿を見ることができる
からです。
(次回は、「大晦日1」についてお話しましょう)


さわやかお受験のススメ<保護者編>季節の行事、これも欠かせません

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
季節の行事、これも欠かせません
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
昔は農耕民族でしたから、1年の生活は農作業を中心に営まれ、休みも仕事の
進み具合により取るようにしていました。今は法律で定めた国民の祝日になっ
ているものが多く、全国的に休暇を取るようになりました。以前は、祝祭日に
日の丸を掲げたことから「旗日」ともいわれていたのですが、ほとんど見かけ
なくなりました。
祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているのでしょう。
元日に雑煮を食べない家庭もあるそうですから、当然かも知れません。しかし、
七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午の節句、これ
はおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。国産ではありません
が、クリスマスもきちんと祝い、ハロウィンも仲間入りしてきました。いずれ
も国産化され、「少し違うのではないかな?」と違和感を覚えますが(笑)。
 
お父さん、お母さんに聞いてみましょう。
「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
「なぜ、お釈迦さまに甘茶をかけるのでしょうか」
「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
私は、こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話して
もらった記憶があります。
今でも忘れられないのは、正月の門松でした。いつ頃から飾るようになったの
か定かではありませんが、これには、きちんとした科学的な根拠があるのです。
その理由は後で詳しく説明しますが、ここでは、私が親父から聞いた話、アカ
デミックなものではありませんが、紹介しておきましょう。突然、大阪弁にな
って恐縮ですが、親父は関西の出身でしたから、この言葉の方が実感がわくの
です。
 
「松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
 竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れん我慢強さがある。しかもや、
 中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』
 っていうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
 梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
 咲く姿は清らかや。
 みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
 これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生き
 て、家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていました。
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものです。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思い
出として心に残してあげ、子どもが親になった時に、その楽しい思い出をわが
子にも伝える、そういった風習が残っていました。何しろ今と違い、情報量の
少なかった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけです。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など、聞こえなくなりました。
そんなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。
「月にうさぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタク
ロースはいる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送ら
れてきた手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。
「迷信と切り捨てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」
とでは、どちらが子どもにとって幸せでしょうか。
「サンタクロースなんて迷信で、プレゼントはお父さんが買ってくるんだよ」
といった先生を許せないと、涙ながらに語る友人の話を、池波正太郎の随筆で
読んだことがあります。12月に紹介しますが、この先生には、クリスマスの
思い出は、何もなかったのでしょう。あれば、こんな残酷なことは言えません。
でも、これは許せない!
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻したり、短冊につたない字で
願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝っ
ていたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞か
れない言葉の一つになりましたけど……。時の流れとはいえ、寂しいですね。
 
しかし、その時に、父や母から話を聞くことが、本当に楽しみでした。
今のようにテレビもなく、むかし話の本などあまりなかった戦後の貧しい時代
でしたから、ほとんど、両親の記憶によるものでした。祖父母や親によって語
り継がれる、むかし話の原点が、まだ、残っていました。
特に、鬼の話や地獄の話は恐かったものです。悪いことをすると地獄に落ち、
針の山に追われ、血の池に放りこまれる話などは、心から信じていました。こ
れも、私にとっては 「情操教育」であったと思います。こういった家族全員
で祝うことがなくなったのも、家族の絆が薄くなった原因の一つであることは、
間違いないでしょう。季節折々の行事も、心を培う「情操教育」に欠かせない、
家庭でやらなければならない大切なイベントだと思います。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のあるむかし話を紹介しよう
と試みたのですが、素人の悲しさですね、日本中の行事といえば気が遠くなる
ほどありますし、むかし話となると、とてもではありませんが手に負えない、
ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせていただいたのは、永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日
本経済新聞社 刊)でした。専門用語が使われ難しいものですから、わたし流
に解釈させていただきましたが、詳しくは、最後の「おわりに」のところで説
明いたしますので、ご本家の方をお読みいただければ幸いです。
 
むかし話は、進学教室でうけた話を中心に、私の独断と偏見で選んでみました。
児童文学を修めたわけでもなく、系統立てて民話などを研究したこともありま
せんから、間違った解釈をしているところも多々あると思います。専門家の諸
先生方に一笑されるかもしれませんが、それは覚悟の上です。何やら強気のよ
うですが、目に触れる心配などありえませんから、気楽に考えているだけです
(笑)。
紹介する話は、ほんの氷山の一角で、しかも私の感覚で勝手に要約したダイジ
ェスト版になっています。面白いと思われましたら、本物を読んであげてくだ
さい。それも、本メールマガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんど
が川越市の県立図書館で読んだものです。何とも悲しい話ですが、閉館されて
しまい、勉強させてくれた本を再読できません。しかし、お住まいになってい
る図書館の子ども部屋にはあると思いますので、作者と出版社名を明記しまし
たから、参考になさってください。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。
情操教育は、心の教育です。
心の教育は、幼児期に基本的なことを学習しておくべきです。今は学習ではな
く、勉強が幼児の心をむしばんではいないでしょうか。文字の成り立ちからも
わかるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強は「強いて勉めること」です。
幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。親が勉強せず、子どもだけに
勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。情緒が不安定で、情操の乏
しい子が増えているといわれていますが、知識を詰め込むことにこだわり、心
を育てる育児が、おろそかになっていないでしょうか。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をし、やがて一人前に鳴けるよう
になる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。あ
る年の7月、上高地へ出かけた時、大正池で、実際に聞くことができ感激しま
した!
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。
心の教育は、お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両
親です。ご両親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自
身です。心の教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。
もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改めるべき
ではないかと、赤面しながら、あえて言い切っておきましょう。私は、「教育
とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から培わ
れていくものだと考えています。通信簿に表れた目先の結果だけにこだわらず、
どのような子どもに育ってほしいのか、大らかな心をもち、お子さんの教育に
ついて考える、賢いお父さん、お母さんになってあげましょう。
ちょっと背伸びをし過ぎましたが、それがご両親の役目、親の責任ではないで
しょうか。
 
★★古典落語「桃太郎」の作者 乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)
の意図★★
最後に、お約束しました落語「桃太郎」の全編を紹介しましょう。大人用は、
複雑に脚色された噺が多く、長くなりますから、「こども古典落語」から選び
ました。
「桃太郎」は、「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」
と共に、日本の五大お伽話といわれています。1940年生まれの私には信じ
がたいのですが、この五つの話を知らない子がいます。20数年ほど前の進学
教室時代の話ですが、「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」の方
が、人気があるようでした。今は、どうでしょうか。TVのコマーシャルにハ
イジは顔を出していますが……。
余談になりますが、落語ですから声を出して読んでみてください。黙読とは一
味違うはずです。
 
桃太郎のお話を一席申し上げます。
近頃の子どもは学校に入る前に、大概、幼稚園や保育園に行っていますから、
昔とは大変に違います。昔は親が子どもを寝かしつけるのに、
「おとっつぁんが、面白い話をしてあげるから寝るんだよ。いいかい、あのね。
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいてね。ある日、
おじいさんは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだよ。そして、
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、家に持って
帰って割ってみると、男の子が生まれたんだよ。桃の中から生まれたから桃太
郎と名前をつけてね。大きくなると桃太郎は、犬と猿と雉を連れて、鬼が島に
鬼退治に行ったんだ。そうして、鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰って
きて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだよ。どうだい、面白かったかい……。
おや、坊や……。もう寝ちまったよ。子どもなんて罪のないもんだね」
という具合だったんですが、今は、そうはいきません。
「坊や、お父さんが面白い話をしてあげるから早く寝な」
「せっかく親が面白い話をしてくれるのに、寝ちゃあ失礼だよ」
「失礼でもいいから寝なよ」
「あのね、むかしむかし」
「むかしむかしって、何年前?」
「ずうっと昔だよ」
「それじゃ、何世紀のお話?」
「何世紀だって、いいじゃないか!」
「ある所に、おじいさんとおばあさんがいたんだ」
「ある所って、何処? おじいさんとおばあさんの本名は?」
「ある所はある所さ。おじいさんとおばあさんには、名前がないんだよ!」
「でも、名前がない人っていないよ」
「貧乏だから、名前を売っちゃったんだよ」
「変なこと言ってら!」
「黙って聞きなよ!」
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだ。おばあさ
んが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、これをもって帰って割っ
てみると、男の子が生まれたから、桃太郎と名前をつけた。この子が大きくな
ると、犬と雉と猿を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして鬼を退治
して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばした
んだ……。あれっ、まだ寝ないのかい?」
「お父さんの話を聞いていたら、さっきまで眠かったのに、パッと目が覚めち
ゃった。だってこの話は、もっと深い意味があるんだよ」
「ほう、そうかい?」
「話してあげようかい、君!」
「あれっ、親をつかまえて、“君”というやつがあるかい! まあ、話してご
らん」
「むかし、むかし、ある所にというのは、何時代の何処と決めてもいいんだけ
ど、日本中の子どもがこの話を聞くわけでしょう。だから、子どもたちの想像
させるために、わざとぼかしてあるんだよ。おじいさん、おばあさんというの
は、本当はお父さん、お母さんなんだけど、やわらかみを出すために、おじい
さん、おばあさんにしてあるんだ。そして、それぞれ山と川に行くでしょ。
あれはね、父の恩は山より高く、母の恩は海よりも深いということを表してい
るんだよ。そして、海のない地方もあるから、わかりいいように川にしたんだ」
「えっ……、なるほど。これは、大人が聞いてもためになるな」
「そうさ。桃の中から子どもが生まれたというけど、あれは、桃のようなかわ
いい赤ちゃんが生まれたということなんだよ。第一、桃の中から赤ん坊が生ま
れてごらん。果物屋さんは、赤ん坊だらけになっちゃうよ」
「成程、なるほど、それから?」
「そんなに前に乗り出してこないでよ。そしてね、鬼が島に行くというのは、
つまり、父母のもとを離れて、世間に出るということなんだよ。犬、雉、猿を
連れて行くというのはね、犬は思いやりというものがある。難しい言葉でいう
と仁というんだよ。猿には知恵がある。雉は勇気がある。つまり人間は、世間
に出たら、仁、知、勇、この3つを働かせなければいけない。そうすれば段々
に偉くなってきて、世間から信用という宝物を得ることができるということな
んだよ。それをお父さんみたいに、この話をしたんじゃ、このお話の作者が泣
くよ。わかったかい、お父さん……。お父さん、あれぇ、お父さん寝ちゃった
よ! へえー、大人なんて、罪のないもんだ!」
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
  小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
きび団子の説明が抜けていますが、きびでできた団子は美味いものではなく、
人間いかなる時もおごってはいけないという戒めを表しています。桃太郎伝説
のモデルといわれている岡山県の吉備津神社で食べたきび団子は美味かったの
で、子ども達から「うそでしょう?」と言われるかもしれませんが(笑)。 
 
いかがでしょうか、説得力があると思いませんか。
歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実に無駄がありません。
しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑いながら、人生修業を
しているのですから。落語は、最後の「下げ」が勝負になりますが、これも決
まっていますね。
 
創刊号でも紹介しましたが、YouTubeで聞くことができます。また、関西の
落語家、桂 小米朝さんの演ずるCDを、図書館で借り、聞いたことがありま
す。最近、落語を聞く機会がなくなりましたが、落語は素晴らしい話芸です。
図書館の視聴覚室をのぞいてみましょう。古今亭志ん生師匠をはじめ、咄家の
すばらしい名人芸がCDに収録されています。疲れたときに聞いてみませんか。
落語は、声を出して笑うことが、いかに大切であるかを教えてくれるからです。
「笑う門に福来る」とも言うではありませんか。ご両親の笑顔は、お子さんの
健やかな成長を支える促進剤です。
ちなみに英語では、“Fortune comes in by a merry gate”、面白いのは、
“Laugh and be fat”(笑えば肥る)ともいうそうで、後の方が、実感があり、
納得できますね。(「故事ことば辞典」より)
 
ところで、あるミッション系の面接試験で、「最近、大笑いしたことがありま
すか」と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのようにお考
えでしょうか。
 (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>話の読み聞かせ (2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第4号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
 
話の読み聞かせ (2)
 
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみようかな!」
となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像して
描いたものです。ファンタジーの世界ですから夢もふくらみます。絵を描こう
とする動機は純粋です。幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇
心の芽を育む絶好のチャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる
学校があるから、絵画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希
望ではありませんから、絵を描くことが好きになるとは思えません。
 
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が培
われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではないでし
ょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
 
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷そしゃく力)=描かれた絵
 
妙な式ですが、冗談、冗談です。
専門家の先生方に叱りとばされますから、深く詮索なさらずに読み流してくだ
さい。感性は、子ども自身が与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた
「自前の性能」ではないだろうかといいたいのです。親が、注文を付け始める
と、おもしろくない絵になりがちだからです。
 
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、ある
日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。
やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、
横に真っすぐのびたままで、年長になって、やっと手も下におり、人間と認め
られる絵になったのではないでしょうか。
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。絵
は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。うまい絵を求め
るより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける雰囲気
を作ってあげることが大切です。
 
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きくださ
い。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さんは子
どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いておきまし
ょう。
 
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
むかし話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義
は、必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、
きちんと学習しています。言ってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」で
す。情操教育の基礎、基本を学習しています。
このことです……。
 
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を重
ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情緒の
分化が、5歳頃から始まります。
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言で全ての要求を表し、ついこの間までは、何
でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言葉で表せるのは、格段の進歩
ではないでしょうか。
 
今まではおもちゃ箱の中に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はこ
こ」、「縫いぐるみはこっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理
されて行く状態になるのです。まだ、整然とはいきませんが。
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、怒
り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を聞く
ことから、喜怒哀楽など心の動きを誘い起こされ、幼いなりに自我を作ってい
るのです。
 
ずる賢い人には怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われると
笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。話をきちんと理解してい
る証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュレーシ
ョン学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感を養って
いるのです。それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習になっている
のです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。
小学校受験編でも紹介しましたが、英語では
“The leopard cannot change his spots”
というそうで、世の東西を問わず、育児の鉄則となっているようです。 
 
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お母さんが感情こめて読んで
あげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話を静
かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学校の勉
強に、スムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えであり、
学習態度です。話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算が
でき、九九をそらんじていても、駄目です。小学校の先生に聞いてみると、み
なさん、そうおっしゃいます。それほど、話を聞く姿勢を身につけることは大
切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強についていけず、落ちこぼ
れることにもなりかねません。
 
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつも言っているで
しょう!」 
と、恐い顔して、厳しく、何十回と言っても無駄でしょうね。言葉だけで説得
できません、態度で示すに限ります。本を読んであげることで、お母さん自身
が、よいお手本を見せています。
それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
 
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子に
なる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠ったこ
とも考えられるのではないでしょうか。モンテッソーリの「敏感期」で、その時
期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽の程
は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかったため、
言葉を話せないまま成長したインドの狼少女は、敏感期を実証した話ではない
でしょうか。
マリア・モンテッソーリ
イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教育を実施
し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立した貧困層の健常児を対
象にした保護施設「子どもの家」において、独特の教育法を完成させた。以後、
モンテッソ―リ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになった。
(ウィキペディア フリー百科事典より)
 
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つの
ことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。気力や体力は、運動だけ
で培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物事に取
り組む意欲や頑張る力も育まれます。
 
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお母さんも、聞いているお子さんにも、全くない
はずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習しています。
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。「教え
ない教育」とは、誤解を恐れずに言えば、本人は、勉強だと思っていないにも
かかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうとする気持ち、
学習意欲が身につきます。
 
しつこいですけれど、まだ、あります。
お母さんの表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなのです。
ですから、本をたくさん読んであげるお母さんは、子どもに慕われます。それ
は、お母さんとお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の世界を
楽しんでいるからです。お母さんは、こんな荒唐無稽な話などありえないと思
っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さんのレベルに
合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
 
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない本
では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」などを
買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こういっ
たことは、小さい時から、とかくありがちです。気を遣ってください、親の考
えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、とかく子
どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話となって
いる場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前に、親のエ
ゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり 同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、
その本とは一切関係ありません)
 
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることもある
でしょうが、
「どう、面白かった?」
といった言葉がけはやめましょう。親のイメージを押し付けることになりがち
だからです。
「ケンちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメー
ジが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
 
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお母さんが選んで
あげ、後はお子さんに任せてみましょう。お子さんが選んだ本は、たとえ、年
齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげてくだ
さい。そして、自分で選んだことをほめてあげましょう。お子さん自身が興味
を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご両親の優
しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
 
また、「読書の時間です」などと、スケジュールをキッチリと組むのもどうで
しょうか。お子さん自身に読んでほしいという意欲がないときは、あまり効果
的とは言えません。お子さん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。
習慣にしてよいのは、寝る前に読んであげることではないかと思います。昨年
6月に再開された横浜雙葉小学校の説明会でも、学園長は「お子さまと添い寝
をしながら本を読んであげる機会が少なくなっているのでは」と懸念されてい
ましたが、皆さん方はどうでしょうか。
 
最後に、図書館には紙芝居がたくさんありますが、利用してみましょう。紙芝
居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で向き
合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味をもっ
ているかがわかるからです。
 
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教え
るのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、お子
さん自身です。
 
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュース
などをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うものは
丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本から、
育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
 
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期にき
ちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎にもなるからです。繰り
返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児期に身につく」こと
を伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
 
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、心
の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。「文字よりも言葉」
です。小学生になれば、覚えた言葉を文字で表す学習に進み、国語を楽しく勉
強できるようになるものです。これが私の考えているご家庭でできる「情操教
育の基礎、基本」ですが、納得していただけたでしょうか。
(次回は、季節の行事についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>本を読んであげてください 〔1〕

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
 
本を読んであげてください 〔1〕
 
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVDなどに、子守をさせてはいけないと思います。確かに、
このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽や効果
音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。これ程、便利な
ものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、疑問を感
じても質問できないといった不便な点もあります。わからないままに、話はど
んどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こしがちではな
いでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このことです……。
 
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵が
主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進む物
語になっていると思います。
 
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているのでし
ょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれる言
葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで行われ、
絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではないかと思いま
す。
 
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。 
「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お子
さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、確
実に語彙が増えていきます。
 
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいいな
がら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読んでも
らった本がおもしろかったので、お母さんの言葉を思い出しながら、確かめて
いるのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもとに、映像
を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。つまり、「言葉で考え、
想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
 
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読ん
でくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
「お母さん、ありがとう、そこまででいいです」
といったことが、しばしば起こりがちです。
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりません
が、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。イメージ化の中断です。読
んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えていま
すから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありません。覚
えようとする力、「記憶力」がつきます。
 
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具体
的になってきます。そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」と、「転」
はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立て
る形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、わか
りやすい例えがありますので紹介しましょう。江戸時代後期の儒学者・詩人・
歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
   京都西陣帯屋の娘    (起)
   姉は十八、妹は十六   (承)
   諸国の大名は刀で殺す  (転)
   姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の娘
の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、鬼退
治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと終わっ
て、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。
 
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえあり
ません。話は、快く聞けるように仕組まれています。しかも物語は、単純で、
明快に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を理
解する力、「理解力」が培われてきます。
 
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事でし
ょう。イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決まって
います。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住ん
でいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしているではあ
りませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。
 
「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわかりま
せん。
「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前もあり
ません。みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どのように」
と話は展開していきます。
 
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありません。
奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄であろ
うが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまいます。時
代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。ですから、子
ども達は、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせながら、話の世界へ
入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
 
これを、几帳面に、
「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、大
字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまとお熊
という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはならないで
しょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。読むお母さ
ん方も疲れてしまいますね。
 
昔話の構成や作者の意図について、「なるほど!」と納得し、肯かざるを得な
い古典落語が、創刊号で紹介しました「桃太郎」です。確か、古今亭今輔師匠
が得意とした噺ではなかったでしょうか。お薦めの話、第一号として、この章
の最後にダイジェスト版ではなく、全編を紹介する予定です。
 
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   何を(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W+1H]から成り立っていますが、新聞
記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従っている
からです。ということは、昔話を聞きながら、[5W+1H]を小さい時から
学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
勿論、子ども達は、「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いているわけ
ではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいきますから、
繰り返し話を読んでもらい、話を覚え、絵本を見ながら言葉で表現することで、
物事を筋道立てて考える訓練にもなっているのです。物事を組み立てる、考え
る力、「構成力や思考力」が自ずと身につきます。
 
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければできませんから、そのた
めの訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、味わ
い、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
 
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこと
もできません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
「うん、パパも子どもの頃は、よく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
 
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあげ
ましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を覚え
ようとします。そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
しかも、「覚えなさい!」と言われて覚えたものではなく、「話してみなさい!」
と言われて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、楽しみながら積極的に挑戦し、
能力を開発しているのですから、その効果は一石二鳥どころではなく、計り知れないものがあります。
 
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。しか
も、これだけではありません。
(次回は、「本を読んであげてください 2」についてお話しましょう) 
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>-事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第2号-
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-事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-
           
私は、長い間、幼児教育のパイオニアである教育研究所でお世話になっていま
した。「情操を育むために、年中行事と昔話が大切な役目を果たしているので
はないか」と模索していたのは、幼児教育の本質が少しわかりかけてきた、
50歳になった頃ではなかったでしょうか。平成元年に、「年中行事を『科学』
する」という素晴らしい本にめぐり合い、進むべき道が見えてきました。
 
そして、この考えに「間違いはない」と自信らしいものが出てきたのは、ある
経験からでした。
創刊号でもお話ししましたが、当時私は、約10年間にわたり、板橋にある淑
徳幼稚園の課外保育であった進学教室を担当していたのですが、後半の5年間
は、一人で年中組と年長組を指導することになりました。この間の子ども達の
やり取りとお母さん方の反応から、年中行事と昔話を組み合わせた「情操教育
歳時記」といった何とも大仰なタイトルですが、気軽に読んでいただける本を
作ってみようと思い始めていたのです。育児の専門家ではない「わたし流の育
児書」というわけです。
 
私どもの研究所の教室へやってくる子ども達は、全員、「受験のために勉強に
きている」といった意識が、しっかりと培われていましたから、授業もやりや
すかったのです。「幼児教室は、こういうものだ」と思っていた私には、この
進学教室は、まさに青天の霹靂で、勝手が違い、思わぬ苦労をしました。
 
その日の保育が終わった後に、同じ教室でやるのですから、子ども達にとって
は、「自分たちの土俵に変な先生が入ってきた、エイリアン!」といった感じ
だったのでしょう、いつものように授業を始めることができなかったのです。
そのために、まず、授業に集中できる雰囲気を作ることからはじめました。試
行錯誤を積み重ねながらできあがったのは、授業の前に、その月の行事、11
月でしたら七五三をテーマに、昔からの言い伝えを子ども達にわかるように話
し、その月に関係ある昔話をするといった方法でした。
 
回を重ねる内にわかったのは、子ども達は、「フランダースの犬」や「アルプ
スの少女ハイジ」を知っていても、「一寸法師」や「花さか爺さん」などの昔
話を、あまり知らないことでした。しかし、話をしてみると、熱心に聞いてく
れるのです。それならばと、徹底的に昔話をすることにしたのですが、年長組
は週2回で月8回、1年間で、ざっと96の話をすることになり、少々心配に
なりました。「絵本を見ながら読んであげればいいか!」と気軽に考えていた
私は、子ども達から思わぬしっぺ返しを食い、悪戦苦闘が始まったのです。
 
それは、本を見ながら話す時と見ないで話す時では、子どもの興味を示す様子
が、微妙に違うことでした。話を覚えている場合は、子ども達の目を見ながら
話をしますから、目をそらす子はいません。「目をそらさない」は、話をしっ
かりと聞く基本的な姿勢です。本文でも紹介しますが、「大勢の子ども達に、
話を読み聞かせる重要なポイントは、話を記憶することだ」と教えてくれたの
は、進学教室の子ども達でした。
 
毎週2つの話を記憶するのは大変でしたが、子ども達は私の話を楽しみに待っ
てくれ、授業にもスムーズに入れるようになりました。見つけた時には私も驚
きましたが、「シンデレラ物語」とそっくりな話である「ぬかふくとこめふく」
を話した時の、子ども達の驚いた顔を忘れることができません。
 
ある時、椋 鳩十の動物の話をしてみました。すると、次の時間にもとリクエ
ストがあり、動物達の話に興味があることもわかりました。そこで、長編でも
ある「丘の野犬」をアレンジして話したところ、何と熱心に聞いてくれ、涙さ
え浮かべる子も出てきたのです。この時ばかりは、今、思い出しても、ぞくぞ
くするほど感激したものです。
 
進学教室の役目は、併設する淑徳小学校での勉強に、スムーズに対応できる力
を身につけることでした。小学校へは、受験勉強をし、力をつけてきた大勢の
子ども達が入学してきます。そういった子ども達に共通しているのは、「話を
聞く姿勢」が身についていることで、小学校の受験でもっとも大切なのは、こ
の「話を聞く力」なのです。ペーパーテストを例にとっても、プリントの上に
ダミーを含めて、答はすべて出ていますが、「設問」はどこにも書かれていま
せんから、話を聞き逃すと、解答できないわけです。
 
昔話や年中行事のいわれなどを聞きながら、子ども達は意識することなく、
「話を聞く姿勢」を身につけてきたのです。こうなるとしめたもので、授業は
私の仕事でしたから、後は楽なものでした。集中さえできれば、問題を解く力
もつき、面白くなりますから、取り組む意欲も違ってきます。難易度の高い問
題にも挑戦し始め、当時、毎月1回行われていた2,000名近くの子どもが
参加する公開模擬テストで、10番以内に入る子も出てきたのです。
 
さらに、思わぬ収穫になったのは、お母さん方の反応でした。授業終了の5分
ほど前に、お母さん方に集まっていただき、今日取り組んだ問題を解説しなが
ら、家庭学習の要点を説明し、今月の行事とその日に話した昔話を紹介してい
ました。
 
すると、「先生、ママが菱餅を買ってきて、何で三色なのか、先生と同じ話を
してくれたんだよ」と、女の子がいない家庭にもかかわらず、「おひな様を飾
るわけや、菱餅の色」について、子どもに話をするお母さんも出てきたのです。
話してくれる子ども達の顔は、みんなうれしそうでした。四季折々の行事の意
味を説明してきたことが、話で終わらずに、各ご家庭で祝ってくれるようにな
ったのです。このことです……。
 
ここからは「わたし流の解釈」ですから、軽い気持ちで読み流してください。
話を聞こうとしなかった子ども達が、なぜ、楽しみに授業を待ってくれるよう
になったのか、それは子ども達の心の中に、幼いながらも、何らかの刺激を求
める小さな芽が、しっかりと培われてきていたからだと考えました。本文で詳
しくお話しますが、その小さな芽は、分化され始めた「情緒」だったのです。
「情緒とは、喜怒哀楽の感情の表れたもの」と考えていただければ、わかりや
すいと思います。きっかけを与えたのが、昔話であり年中行事であったわけで
す。育まれてきた小さな芽である情緒に刺激を与えてあげれば、素直に反応を
することもわかりました。そうでなければ、あれほど真剣に話を聞くはずがな
いからです。
 
私の話でさえ一所懸命に聞くのですから、ご両親の話であれば、もっと歓迎す
るはずです。「パパがね、先生が話してくれた『おぶさりてえのおばけ』の本
を買ってきてくれたんだよ!」と嬉しそうに話してくれる子ども達も増えてき
ました。話を聞く姿勢は、幼児教室や塾で身につくものではなく、ご両親の
「話の読み聞かせ」や「対話」から育まれるものです。
 
こういった体験を何とか記録に残し、皆様方に読んでいただきたいと考え、で
きあがったのが、このメールマガジンです。話を聞く姿勢さえ身につけば、小
学校の受験は、決して難しくありません。また、年中行事を、ご家庭で楽しむ
ことにより、楽しい思い出がたくさん残り、それが豊かな情操を育む礎になっ
ていることも否めない事実です。
 
小学校の入試に季節の行事が出題されるのは、なぜでしょうか。知識として知
っているかを判断しているのではありません。四季折々の行事を楽しむ、ご家
庭の文化があるかどうかを見ているのではないでしょうか。家庭の文化は、ご
両親の育児の姿勢であり、それが受験する小学校の建学の精神や教育方針と限
りなく近ければ、それが志望理由になるわけです。
 
創刊号でもお願いしましたが、この1年間、お子さんは受験勉強に励むわけで
すから、ご両親にも勉強をしていただき、ご家庭の文化を築き上げてほしいと
思います。話を聞く姿勢が身につくのも、豊かな情操が育まれるのも、ご両親
の育児の姿勢次第です。小学校の受験で必要な能力の基礎、基本は、「ご家庭
で培われる」ことを学習していただき、お子さんと三人四脚で、ゴールを目指
して頑張ってほしいと願っています。
         
次回は「話の読み聞かせ」についてお話しましょう。

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