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めぇでるコラム

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さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1) 端午の節句です 皐月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、
早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月
晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいです
ね。
 
★★端午の節句★★
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」と
いう意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であるこ
とから、5月の5日が端午の節句として祝われるようになりました。また男の
子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくましい男性に成長
することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。昔は3月3日が
「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝ったものです
が、今は男の子も女の子も元気よく育つようにとお祝いする「子どもの日」の
方が、なじみやすいのではないでしょうか。床の間に、さまざまな幟(のぼり)
を背にした神武天皇を中心に、武者人形や兜(かぶと)を飾った記憶がありま
す。
 
枕草子にも、平安時代の5月5日の情景が描かれています。
 
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
                    (枕草子 第四十六段)
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルー
ツは、お武家さん、お侍の世界です。お侍さんの家では、立派な侍になるよう
に、鯉のぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎
のような勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。そ
れがいつの頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成
長を祝うための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を
守る兜や鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。その
経緯は、5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじま
り」に記されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせた
り、菖蒲を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節
句」ともいいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を
売っていますから。             
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。確かに、匂いが
強いですから、風邪薬の感じはありましたが、頭脳明晰になるとは、子ども心
にも信じていませんでした。どちらかといえば、けんかに強くなるイメージは
ありました。菖蒲の葉は、先が細長くとがっているので、刀のような感じがす
るからです。新聞紙で折ってもらったかぶとをかぶり、木で作った刀でちゃん
ばらごっこ。これが、私たちの遊びの定番でした。「ちゃんばら」は、「チャン
チャンバラバラ」の略で、歌舞伎の立ち回りや、映画の殺陣(たて)をまねた
ごっこ遊びのことですが、今どき、こんな遊びをする子はいないでしょうね。
 
余談ですが、お母さん方、兜を折れますか。パソコンで「兜の折り方」を検索す
ると、簡単なものから複雑なものまでヒットできます。孫のリクエストで18
工程もある兜に挑戦しましたが、これは難しい。最後に「お疲れ様でした! 
最後までありがとうございました」のコメントの下に、さんざん失敗した紙を
足元に散らかした女性が、パソコンの前でうなだれている写真が載っていまし
たが、これが傑作で、思わず笑ってしまいました。中々うまく折れませんから、
ほっとしますね(笑)。(「折り紙 かぶとの折り方 NAVERまとめ」より)
 
そして、私には楽しみでしたが、粽や柏餅を食べる日です。粽や柏餅は、おい
しかったのですが、蓬で作った草餅は、子どもにとっては匂いが強烈で、喜ん
で「頂きます」とはなりませんでしたが、何しろ蓬の葉には、悪魔を追い払う
力があるといわれ、私は男の子だけに、食べざるをえない雰囲気があり、否応
もなかったのです。しかし、今の蓬の草餅は、おいしいですね。匂いといい、
味といい、まるで違ったものを食べている感じがします。
                   
★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★           
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、泥沼の
川や池に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、
立身出世の象徴ともされています。
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はい
くら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役
になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
 鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
      
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
                   
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなして
さかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く滝で
す。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる言い伝
えがあり、そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉の滝昇り」
として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすようですが、昇り
きれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があります。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れを
昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。    
   (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊P134)
                    
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじた
ばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせられ
ても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚として、
お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手で胸に抱く
ようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随筆で読みまし
たが、この習性を狙ったものでしょうか。
                                     
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入ってい
ません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのびやか
な姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気性を表
しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくましくて立
派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもので、
風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、青、赤、
黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、簡単にい
えば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表したものですが、
これにも訳があります。
 
 五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての現
象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、水から
木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
 そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒が
あてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
 また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観があ
てられた。
    (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                        監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力がある
と信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が大嫌
いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き流しに
守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。最近は、
黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いからではなく、
本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船旅で別れを惜
しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海に棲むといわれ
ていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
     
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりまし
た。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願う親
心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小さな鯉
のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
プロ野球の好きな方へ、広島東洋カープは、なぜ「カープ(鯉)」なのでしょうか。
命名の由来は、何と城の名前です。原爆ドームのすぐそばにある広島城(築城 
毛利輝元)は、別名を「鯉城(りじょう)といい、そこから『広島カープ』となっ
たもので、城の名前をつけている球団は、他にありません。原爆で倒壊した天守
閣は、昭和33年に復元されましたが、学生時代に訪れた時、中御門跡付近には
原爆でこげた石垣があり、風化されてなるものかと訴えているような気がしまし
た。G7の外相、オバマ大統領が爆心地を訪れましたが、どこかの国の方こそ、
広島平和記念資料館に足を運び、並の神経では正視できない残虐非道、その記録
を見るべきではないだろうか。死者14万人、その倍以上の人間をどうやって殺
し、死体を処分したのか、私にはわかりませんが、南京大虐殺、若い皆さん方は
どう考えますか。
 
話題を変えて、今年の日本人の大リーガー、投手ではヤンキースのマー君、レン
ジャーズのダルビッシュ有、マリナーズの岩隈、ドジャースの前田、そしてカブ
スの上原。打者ではマーリンズのイチロー、日米通算で参考記録とはいえ、ロー
ズの4256本を抜き4257本で1位、何とも素晴らしい。ちょっと心配な
「山椒は小粒でもピリリと辛い」的な存在、ちなみに英語では、
“Small head but great wit”というそうですが、ブルーワーズの青木。
 
ところで、日本球界に復帰した選手が、満足に働けない姿を見るにつけ、本場の
野球のすさまじさを想像できます。日程と試合数を見ただけでも、エネルギーを
搾り取られる感じがしますから、技術の前に体力と精神力、これが秀でていなけ
れば活躍する場はないですね。イチローの凄さがわかります。古巣に帰ってきた
ムネリンこと川崎、頑張ってほしいですね。
 
大リーガーといえば、忘れてならないのは野茂英雄投手で、日本の野球界は、快
く渡米させなかったことを思い出します。とかく開拓者には、逆風が吹きがちで
すが、それを乗り越える実力も、精神力も、体力も備えた、すばらしい選手でし
た。彼には国民栄誉賞をもらう資格が十分あるのでは。「名球界ベースボールフ
ェステバル2016」で、例のトルネード投法を久しぶりに見ましたが、少し太
ったとはいえ、往年のしなるようなホームは、全く変わっていないのには脱帽し
ました。
 
かつて名勝負といわれた野茂と清原某、対決を見たくて西武球場へ足を運びまし
たが、無冠の帝王の名が泣いていますね。父親は、子どもにとって限りなく大き
な存在。消すことのできない傷、誰が癒すのか。
 
「鬼平犯科帳」の著者、池波正太郎は、「自由というものは人間の社会生活には
なく、個人の胸の内に大きく存在する」(「男のリズム」P167 角川文庫刊)、
国府台女子学院 平田史郎学院長は、「訓練されていない個性は野性である」と
おっしゃっていますが、こういったことをキチンと子どもに教えるのも、私たち
親の務めではないだろうか。偉そうなことをほざいてなんですが。(苦笑)
 
お詫び 前号で紹介しました松本清張の作品、題名を飛ばしてしまいました。
『神と野獣の日』です。
 
今朝(18日)、パソコンを立ち上げ、渡部昇一先生の訃報を知りガックリ。日本
の歴史を通史として読ませて頂き、以来、「正論」を説く情熱に圧倒され、新聞の
使命は『正確な情報を伝えること』をしっかりと教えて頂きました。先に冥界入り
した矢沢永一先生と、日本の現状を痛烈に批判し合っているかも知れません。享年
86歳、ご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)
 
(次回は、「第7章(2) なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか」などについてお話しましょう)

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さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
羽生結弦選手といい、内村航平選手といい、年甲斐もなくシビレました。精進
する若者、素晴らしいですね。元気をもらいました。年寄りも応援しています
よ、頑張れ!
真央ちゃん引退……、残念だけど、お疲れ様としか言いようがないですね。本
気になって応援したのは昨年8月になくなった体操のベラ・チャスラフスカと
真央ちゃん。でも、これからは血圧の心配をせずに、楽しくアイスショーを見
られそうです(笑)。
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といっ
たものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の
中ですから、「渡る世間は鬼ばかり」で、「地獄の沙汰も金次第」では、こう
いうおじいさんは、いなくなるでしょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の
木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会っ
たのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
              日本民話の会・編 国土社 刊
 
三代目、桂三木助師匠の名人芸を思い出します。新宿の末広演芸場で聞いた時
のことですが、演じる師匠と聞く客が一体となって楽しんでいました。何とも
和やかな雰囲気で、気がねなく大声で笑ったものです。
最近、みんなで大笑いする機会が、少なくなっていないでしょうか。自己中の
人は、笑い顔を見せませんね。「笑う門には福きたる」ともいわれていますが。
新宿のバーで知り合った春風亭小柳枝師匠の話を聞くために末広に出かけます
が、若い人はあまりいませんね。人情話なんか、かったるくて聞く気がしない
のでしょうか。「人情」を辞書で引くと、「人として自然にそなわっている、
心の動き、特に愛情、情け、思いやり」(岩波 国語辞典)とあります。人の
情けは、楽しく生活を過ごすための潤滑油の役割を果たしていたのですが、
「プライバシーの重視」とか何とかで影が薄くなってしまいました。
落語は、笑いながら学べるエスプリの塊のようなもので、すぐれた話芸は心に
沁みこむものですが、その火を消すのも今、生きている私達なんですね。三木
助師匠の左甚五郎の逸話を語る長編落語(CD約45分)「ねずみ」や「三井の大
黒」は、いつ聞いても心が和み、励まされたものでしたが……。
 
ところで、文中に、「霞がかかり、桜も菜の花も、今を盛りと…」とあります
が、これを読むと文部省唱歌の「朧月夜」を思い出します。「早春賦」のとこ
ろでもお話ししましたが、中学生の頃まで、この歌も、お姉さん達の歌声でな
ければ「承知できない。許せない!」と、なぜか、かたくなに信じていたので
す。大好きな歌でしたが、歌うことには抵抗がありましたね。しかし、こうい
う風情を味わえる時代があったことは、確かなのです。そこかしこに、自然は
息吹いていました。
 
よく知られている与謝野蕪村の句に、
   菜の花や 月は東に 日は西に
があります。
春の日暮れを思い描ける好きな句の一つですが、司馬遼太郎の随筆の中に、こ
の句について語るところがあります。代表作の一つである「坂の上の雲」、先
進国に追いつくために、富国強兵と駆け足で上がってみた雲は、大きな犠牲を
払った太平洋戦争で、雲散霧消してしまいました。NHKでドラマ化されまし
たが、氏は映画化されることを望んでいなかったはずですが、どうしたことで
しょうか。学校で習った「日本史」は面白くありませんでしたが、幕末から明
治時代の歴史は、氏の著書で楽しく学べます。私たち親も含めてですが、若者
に欠けているのは、歴史に対する認識ではないでしょうか。司馬遼太郎、永井
路子さん、澤田ふじ子さん、諸田玲子さんなどの歴史小説を読んでほしいです
ね。教科書ではわからなかったことが、たくさん書かれています。外国人と対
等な付き合いをするには、自国の文化を知らなければならないのですが……。
 
堤上に立てば、月は東の生駒山系にのぼり、日は西のかなたはるか一の谷の雲
間に沈む。両岸(淀川)の野は、菜の花の黄があるのみである。
       (「以下、無用なことながら」(489頁)文春文庫
                   司馬遼太郎 著 文芸春秋社 刊)
 
朧月夜には、黄色が似合いますね。
 
話は変わりますが、松本清張にSF的な野心作があります。Z国から東京に向か
って誤射された、5メガトン級の核弾頭ミサイルが5個、飛んで来る恐ろしい
話。ある地下室で最後を迎えた一団が歌を歌うところがあり、老人が歌ったの
は「朧月夜」。「歌いながら、男も女も涙を流していた」場面を、この歌が好
きだったせいでしょう、昭和48年発売にも関わらず、今でも覚えています。
壊滅寸前の東京のある所で、死を前にして春を思い描く、こういった清張の心
象風景がたまらなく好きでしたね。すぐ隣の国から、ミサイルが飛んでくる可
能性のあることを考えると、SFの世界ではなくなりました。日本を守るのは、
日本人自身であることを、もっと真剣に考えるべきではないかと心配しますが、
若い皆さん方は、どうお考えでしょうか。
 
 朧月夜
 作詞 高野 辰之  作曲 岡野 貞一
 
一 菜の花畠に 入日薄れ
  見わたす山の端 霞ふかし
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて にほひ淡し
 
二 里わの火影(ほかげ)も、森の色も
  田中の小路を たどる人も    
  蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
  さながら霞める 朧月夜
 
 里わ(里曲・さとみの誤読 人里の辺り) 
 にほひ(“におい”の旧仮名遣い)
 
ところで、現在、文部省は文部科学省といわれていますから、文部省唱歌も文
部科学省唱歌といわなければならないのかなと検索したところ、以下のような
回答にヒットしました。
 
文部省唱歌という呼称は法律や何かで規定されたものではありません。明治時
代に文部省が教科書用にした唱歌が自然発生的にそう呼ばれているので、文部
科学省とは直接に関係を持たないのです。ということで、回答としては「なり
ません」か「できません」です。
(文部省唱歌jp.ask.com/)
 
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。小泉八雲氏も
「常識」という題で書いています。まさに常識ですが、妙な宗教にはまる若者
も、その原因を指摘する声はいろいろ聞こえてきますけれど、一つは、良識に
欠けている隙をつかれるのではないでしょうか。
 
神を感じるのは心であり、理性ではない  パスカル〔パンセ〕
まことに神の本質を言い当てている。理性ではない、心に祀る神を、人間は悪
用、あるいは乱用している。神の御名において、神の御心のままに、などと自
分にとって都合のよいところだけをすくい取りして、人間の声を天声に変えて
しまう。
    (忘れかけていた人生の名言・名句 森村 誠一 著 P226
                     角川 春樹 事務所 刊)
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありません。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓を矢につがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
   日づけのある話 365日
    四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」(「最後の晩餐」の
斬新な解説には脱帽!)に、信仰について以下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、そ
の種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
     (「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
「信者には神聖なことかもしれないが、信者でない者には、おかしな話になる
ものだよ」と明治生まれの親父はよくいっていましたね。しかし親父は、「天
皇陛下様は神聖にしておかすべからず」が口癖でしたから、説得力に欠けてい
ましたが、言わんとすることは理解でき、若い頃、宗教にはまることはありま
せんでした。
 
東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思
い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけまし
たので紹介しましょう。
大震災後、64年ぶりに小学校の教科書に復活しました。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下
の村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をや
ると―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」
ではないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって
説明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火
をつけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づ
き、何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせい
に駆け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を
取り囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限
りの海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
これは、戦前の小学校・国語教科書に載っていた「稲むらの火」の「あらすじ」
で、原作は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品。安政年間、紀伊・和歌
山を襲った大地震・津波での実話を伝えたものです。
       「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著 
WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防ぐ。感謝を込め「浜口大明神」
を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4
メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋
は2軒だけ。国指定史跡となった「広村堤防」は、大きく育った樹木に覆われ、
自然の中に溶け込んでいる。(インターネットで「広村堤防」を見ることがで
きます)
 
東京新聞“筆洗”に出ていたコラムの要約ですが、自然と共生するには「想定外
はない」ことを真摯に受け止め、「広村堤防」のように住んでいる人々の生活を
考え、大胆に計画、構築できないものでしょうか。
国民の安全と教育は行政の要であり、長期的な視野に立った計画でなければで
きません。
6年たった今現在、原発事故の収束はおろか、住む町に帰れない人々がいるこ
とを、私達は忘れようとしているのではないでしょうか。
「何かできることはないか」などと力んでみても、できないのが現実ですから、
せめて節電を心がけ、原発だけに依存しない生活を営み、次世代の人々にバト
ンタッチをしたいものですが、これだけ電気に依存する便利な生活に慣れてし
まうと、こんな考えは絵空事で、説得力などありませんね。「その国の発電量
は文化のバロメーター」、誰の言葉か思い出せないのですが、これは確かでは
ないでしょうか。
 
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物
たちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
 
春に来て子を育て秋に南の国へ帰り、そして生まれた所へ帰り子育てをする、
不思議な習性を持つツバメ。近くの関越高速道路の陸橋の下に、よく巣をかけ
ていたツバメが、ここ数年、全く姿を現さなくなりました。
また、ここ2、3年のことですが、10月頃になると日暮近くにスズメやムク
ドリの大群が、ねぐらを求めて東上線川越駅前の街路樹に群がっていました。
およそ300羽もいるでしょうか、その騒々しいこと。アルフレッド・ヒッチ
コックの名作「鳥」ではありませんが、小さなスズメやムクドリでも、あれだけ
数がそろうと怖いですね。もっとも、糞害ですが(笑)。ところが、平成25年
に駅前の街路樹は、新しい駅前広場に改築されるため伐採され一本もなくなり、
帰ってきた鳥たちは、電信柱や近くのビルの屋上で羽を休めていましたが、昨
年の秋は、ほとんど姿を見せませんでした。引っ越し先を見つけたのでしょう
か。人間にとって快適な環境でも、残念ながら恩恵を受けない生き物が、たく
さんいるということですね。ツバメも同じではないでしょうか。「地球にやさ
しく」と自然環境を守る運動に参加を呼びかけられた時、「人間の存在自体が
自然環境の破壊になっているのに」などと、したり顔で言っていた自分を思い
出しました。年は取ってもいささかも貢献していませんね、「地球にやさしく」
に(笑)。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくな
れば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それから
と言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)  
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                   日本民話の会・編 国土社 刊
 
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
ところで、1月下旬のことでしたが、「深谷ねぎ」で知られる埼玉県深谷市の
あるお宅に、どうしたことか雀が舞い込み、今では家族の一員として過ごして
いると埼玉新聞に出ていました。人懐っこい雀で「ピーちゃん」と呼ばれ近所
でも評判とか。事の起こりは、奥さんが近所の十字路で小学生の交通指導をし
ていた時に肩に止まり、「人懐っこいスズメだこと」と感心していたのですが、
奥さんが家に帰るとついてきて、追っても、追っても家に入ってき、そのまま
住み着いてしまったそうです。ご主人の手に乗り餌を食べている写真も出てい
ました。「舌切り雀」のような話でほほ笑ましくなりましたが、ツバメといい
スズメといい、あの小さな体のちっこい脳に、どのような働きがあるのか、不
思議ですね。
 
名物「深谷のねぎ」、これがねぎかと信じがたいほど甘みがあり、生でガリガ
リとかじって食べられるのにはびっくりしました。焼くと甘みが増し、ねぎの
イメージが変わったことを覚えています。親父はこれを肴に、焼酎をストレー
トでグビリと飲んでいましたが、嫌いではない私も、この真似はできません(笑)。
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子ども達は、親のもとを離れて初め
て生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけで
す。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子ども達も、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しいこ
とばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ行
こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるからで
す。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精いっぱいの努力をします。見ていると
涙ぐましいほどです。
 
しかし、変なお母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・溺
愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(空気読めない自己中)ママです。
「悪いのは友達、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、お母さんと子どもに原因があるのですが、恥ず
かしげもなく、こういう行動を起こすお母さんですから、お母さんも子どもも、
そのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、
お母さんから逃れられませんから。
 
幼稚園は、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体
験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける
所ですから、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見
る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでしたら過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にして
あるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目
の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらねば
なりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているわけでから、た
くましくなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女
の子、二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にも
こういった意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。進学教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組んでいました
が、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。一
般に、女の子は成長が速いので、あまり手がかからないものですが、男の子は
少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注
意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。も
っともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育
てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばし
ていく保育」に変わっています。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことを強制的にやるのは止めて、自発的に活動でき
るように導く保育という意味です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく
「自律」の保育です。       ですから、過保護や過干渉な育児をやっ
ていては、自律できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子ども達もくたくたに疲れて帰って来るでしょう。
しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送迎を
義務付けられている幼稚園の場合は、お母さん方も体調を崩さないように気を
つけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
達が新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからないお
母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子ども達は、
電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学するはずですから、慣れる
まで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む子ども
達を見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか、あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」は、
明治生まれの親父の口癖でしたが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
しかし、翌日、子ども達が元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母さ
ん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明日
に希望をもてるのです。
低学年時代は、お母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作って
あげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子ども達
にはないからです。
 
小学校低学年時代は、勉強はできても利己主義より、勉強はほどほどであって
も、友達と仲良くできる子の方がいいと考えるのは、私が昭和15年(1940)
生まれだからでしょうか。
もちろん、勉強も大切ですが、お子さんが、この時期に体験しなければならな
いことが、たくさんがあるはずです。桜の花ではありませんが、魅力がなけれ
ば、友も寄って来ません。今、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に
生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要
な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思いま
す。「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入
れ替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、
いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心
身ともに強くて、心のやさしい子」、最近は暁星小学校が、たくましい子ども
とは「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていますが、そのためには、「心
身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。
「親の背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
私事でなんですが、嫁ぐ娘から、「お父さんは、生まれたときから私のただ一
人のお父さんでした」といわれ、少なからず狼狽したことを覚えています。子
どもは、間違いなく「お父さん、お母さん」として評価しています。
 
これからの毎日は、お子さんの記憶の中にきちんと刻み込まれていきます。
「三つ子の魂百まで」といいますが、私は小学校の低学年時代に、生きる姿勢
の基本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本
が、ご両親であることを肝に銘じておきましょう。2014(平成26)年度
中の全国、小学生、中学生の不登校児童生徒は、12万2650人(前年11
万9617人)【2015年12月25日、文部科学省「学校基本調査」より】。
無責任な言い方で恐縮ですが、その原因は、ご両親の育児の姿勢にもあると思
います。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることも
ありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん
実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分が
いやだったことは、子どもだっていやなはずです。
種を明かせば、論語の「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」の受け売
りです(笑)。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタ
イによる福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもい
いのですが、こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
最近、ひょんなことから、理想的な親子関係を表しているではないかと思える
歌を見つけました。といっても、例によって「わたし流」の解釈ですが。
 
      映るとも 月も思わず 映すとも 水も思わぬ 広沢の池
 
この歌から教えられるのは、育児は結局のところ、「親はよい手本をみせ、子
は意識することなく見習う」にあるのではないでしょうか。剣豪、塚原ト伝、
柳生新陰流の開祖、石舟斎の作ともいわれているそうですが、およそ「剣の道」
とは縁のない私ですから、とんでもない思い込みで、その道の方々から嘲笑さ
れるかもしれません(笑)。なお、広沢の池で検索すると、四季折々の景色を
見ることができます
 
ところで、ぴかぴかの一年生と聞けば、頭に浮かぶのはランドセルでしょう。
 
このランドセルを日本で最初に使った人は伊藤博文で、大正天皇が学習院に入
学されたときに献上したのです。その後、学習院御用達となり、それが全国に
普及しました。ランドセルは、オランダ語の「ランセル」がなまったもので、
ランセルとは、兵隊さんが背負っている「背嚢(はいのう)」のことです。つ
まり、軍国主義の時代に、軍人を尊敬してあこがれていた子ども達の心に合わ
せて、通学用かばんとして考案されたものなのです。
 (頭にやさしい雑学読本 3 竹内 均 編 三笠書房 刊 P290)
 
(次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第6章(2)桜について
 
開花宣言が出て寒の戻り、箱根は雪が降っていましたね。東京の桜、今年も入
学式まで何とか持ちそうで、ぴかぴかの一年生、大きく羽ばたいてほしいもの
です。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は、農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあ
りませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りに
なり、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の
神さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この
年の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田の
神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木をあ
てたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
         (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神様を迎える儀式でしたが、武士の時代と
共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽く
した宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から引
きずりおろされ、今では、はしなくも、夜桜のもとで酒盛りをし、カラオケを
楽しむ行事と成り下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさをこき下ろしていますが、古来、何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
酔って人に迷惑をかける人たちは、無礼講をはきちがえた無礼者ですが、日本
人が桜や桃、梅を愛したのは、いずれの木にも宿る生命力を、分けていただこ
うと考えたに違いありません。一種の自然信仰であり、外国で行われている森
林浴と同じではないでしょうか。
ドンちゃん騒ぎは、桜にとっては迷惑な話だけで、ご利益などあるはずが、い
や、期待していないでしょうね。
あのライトアップですが、桜にとっては迷惑な話で、夜になってもゆっくりと
休めないと思いませんか。お日様が沈み、「さぁ、寝ようかな!」と思ったとた
ん、いきなり明るくなるのですから。「桜の樹権」などという言葉はないでしょ
うが、そっとしてあげられないものでしょうか。
JR高尾駅から徒歩10分ほどのところにある多摩森林科学園で、「本日、休
林日」の看板を見たことがありましたが、そこで働く人々の自然を愛する心意
気を感じ、うれしくなったものです。
 
ところで、桜の木は、にぎやかに盛り上がるだけではなく、人生を静かに、深
く、考察の場に導く花でもあります。いきなり雰囲気は変わりますが、黒船が
来る前に幕府に上申した「海防八策」は、明治維新の路線そのままであったに
もかかわらず、評価されずに暗殺された幕末の洋学者、佐久間象山は、
  折りにあはば 散るもめでたし 山桜 めずるは花の 盛りのみかは
と辞世の句を詠っています。これを真に受け、若い頃は、「人生、幸せな時ば
かりがあるわけないよ。闇夜もあるけど、日は、また、昇る!」などといきが
っていたものでしたが、何やら勘違いしていたようです。「人生は、プロセス
が大切なのです。一日、一日が人生ですよ」とおっしゃっているのでしょうね、
などと何も気取ることはないのですが(笑)。蛇足ながら、象山の奥方は勝海
舟の妹です。
 
子育て奮戦中のお母さん方ですから、よくおわかりかと思いますが、育児もプ
ロセスが大切ですね。生まれ月に応じて、一歩一歩、確かな歩みを見守りなが
ら、大らかな気持ちで育てるべきです。そして、育児しながら「育自」(誤植
ではありません)するお母さんであってほしいと願っています。
 
    願はくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
 
西行法師の歌ですが、古来「花」といえば、奈良時代は「梅」のことでしたが、
平安時代から「桜」になったようです。俗界から逃れ、出家された中世の隠遁
者が、かくも桜の花に心を寄せているのですから、古くから人々に愛されてい
たことがわかります。西行は願い通り、「その如月の望月の頃」、お釈迦さま
が入滅された2月15日に、この世を去ったそうです。
(お断り 「花の下」と書き「花のした」とも読まれていますが、「花のもと」
の方が響きがいいので、勝手ながらひらがなにしました)
 
古今和歌集から一首、好きなのです。
 
 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
  紀 友則 
 
和歌を解説するなど野暮の極みですが、「日の光がこんなにものどかな春の日
に、どうして桜の花だけは、さっさと散ってしまうのだろうか」、日本人の桜
のイメージは、これではないでしょうか。紀友則は「土佐日記」の著者、貫之の
いとこです。 
 
この和歌を口ずさむたびに、宮城道雄の秀作「春の海」の調べを思い浮かべ、
桜の花の散る、日本ならではの詩情豊かな情景が浮かぶと同時に、何とも言え
ない寂しい気持ちになる不思議な曲です。昭和7年に共演されたフランスのル
ネ・シュメーのヴァイオリンと箏(そう)の二重奏ですが、世界に誇ってよい
素晴らしい演奏だと思います。音はよくありませんが、パソコンで検索すると
聴けます。宮城道雄は、広島県福山市鞆ノ浦の出身だそうで、学生の頃に訪ね
たことのある仙酔島から眺めた春の海が、印象に残っていました。
♪ターンタ タタタタタンー ターンタ タタタタタンー♪
曲想は、瀬戸内海の春の海なのですね。その時は知らなかったのですが、最近、
厳島に出かけたとき、バスガイドさんから教えてもらい、「さもありなん!」
と納得しました。バスガイドさんの中には、物知りの方がいますね。豊かな経
験から身に付いた自然な語りは、一級の話術で旅情を盛り上げてくれます。
 
さらに、もう一首。
    春の海 ひねもすのたり のたりかな  与謝 蕪村
俳句が出たところで脱線します。学生時代に読んだ雑誌の対談に出ていたと記
憶しますが、五木寛之氏は、こうおっしゃっていました。「短歌はリズム、和
歌はメロディー、物語はハーモニー」と。横文字を漢字に置き換えると「律動
・旋律・調和」となり、もう50数年前になりますが、今でも納得できます。
「さらばモスクワ愚連隊」を読んだ時、自称、文学青年であった私は、潔く、
作家の道を断念しました、冗談ですが(笑)。
 
ムードを変えまして、桜の散りぎわが潔いことから武士道の象徴となり、「花
に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」といったように人生観にたと
えられるなど、何かにつけて桜は姿を現しています。原詩は中国の詩人、于武
稜(ウ ブリョウ)作の「勧酒」です。
 
    勧君金屈巵  君に勧む金屈巵
    満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いざれ
    花発多風雨  花発(ひらけ)ども風雨多し
    人生足別離  人生、別離に足る
金屈巵(きんくつし)=曲がった把手(とって)の付いた黄金の盃  
不須(もちいず)=~する必要はない
足=多い
 
これを井伏鱒二が意訳したもので、僭越ながらこちらの方が響きもいいですね。
※意訳 原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとり、
翻訳すること(辞書「コトバンク」より)
 
    この盃を受けてくれ
    どうぞ、なみなみつがしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    「さよなら」だけが人生だ
       (「十八史略の人物学」伊藤 肇 著 PHP文庫 P229より」
 
「黒い雨」など種本が明らかになり、前都知事の猪俣直樹氏も「盗作ではないか」
と指摘
しましたが、この「勧酒」は、「阿佐ヶ谷会」文学アルバム(幻戯書房 刊)に
よれば、井伏の抄訳に間違いないとのことです。
これを読むたびに思い出すのが、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 夜半
(よわ)に嵐の吹かぬものかは」です。12月の沙羅双樹のところで、お釈迦さ
まの教えである「今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことがよい
一日を生きる道である」を紹介しましたが、怠け者の私には耳が痛いばかりで、
「明日やればいいか……」と過ごしがちです、わかっているのですが(笑)。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて日
本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水を運
ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水浸しに
して、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々は、知恵
を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、しっかり
と土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、桜
の根もしっかりと張り、強い堤防ができます。人望のある人のもとには、自然と
人々が集まるものでしょう。人間もかくありたいものです。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下自
成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどったも
のですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である岩崎弥
太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して創った三
菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の附属小学校と
西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太郎と大隈
重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっています。
 
ところで、桜の名所は、お侍さんの勤め先である城と寺社、そして河川に多いで
すね。面白いことに、私たち日本人は、なぜか、桜の下に陣取り、宴会を開きが
ちですが、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。たびたびお世話
になります樋口清之先生の監修された本に、桜について見過ごせない話がありま
したので、紹介しましょう。
 
日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであったが、
これが明治時代から少しおかしなことになった。
それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠んだ歌
がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生まれてきたか
らである。
さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美しい
という美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つまり、
死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵舎に桜を植
えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭にも桜が植えら
れるようになった。
関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。も
ともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで校庭の
桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった
歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
「大和心」とか「大和魂」は、右翼的な考え方や国粋主義から生まれた言葉だ
と思っていましたが違うようで、明治以降の国家権力により利用されただけな
んですね。「学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった」云々は、為政者の
巧妙な施政が実行されたことの結果であることに寒気を覚えますね。学生時代、
酒場で「同期の桜」を歌っていた時、「お前たち若者が歌う歌ではない!」と
年配の方に叱責されたことがありました。もしかすると、戦友を亡くされたか、
戦死されたお子さんがいたのではないでしょか。若い時はどうしようもないも
ので、「若気の至り」とはいえ、今思うと恥ずかしい限りです。
 
同期の桜
 作詞 西條八十 作曲 大村能章
(一)貴様と俺とは同期の桜   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのが定め 見事散ります国のため
哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に兵隊ソングとして兵士間で流行
し巷にも愛された。(www.geocities.jp/GUNKA より)
 
最後に、もう一首、皆さんよくご存知の名作がありますね。
 
 いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな 伊勢 大輔
 
「大和心」は、こういうものではないでしょうか。とにかく桜は、日本人にと
って、何はともあれ、春に咲かなければ落ち着きませんし、承知できない花で
あることは確かです。
 
名優、渥美清のはまり役、「寅さんこと、車 寅次郎」の妹の名は、「さくら」
でなくてはおさまらないだろうなと思っているのは、私だけでしょうか。山田
洋次監督の笑顔が浮かんできそうです。
面白い話を紹介しましょう。佐藤利明氏の随筆「寅さんのことば 風の吹くま
ま 気の向くまま」(東京新聞 夕刊 平成25年4月)に、東大寺正倉院に
保管されている、現存する古代の戸籍部「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(西暦
721年)には、嶋俣里(しままたり)、これは葛飾柴又のことで、その戸籍
の中に、孔王部 刀良(あなほべ とら)と佐久良賣(さくらめ)という名前
まで記載されているそうで、昭和の寅さんは家出をしましたが、奈良時代の刀
良さんは村長になったそうです。映画を見て、ひたすら笑っていましたが、元
をただせば、「とら」も「さくら」も昔からある由緒ある名前なんですね。寅
さんが自分で照れてしまう表情がたまらなく好きで、こういった演技のできる
俳優は、もう出ないかもしれません。
 
外国にもある桜の名所、ワシントンのポトマック湖畔の桜は、大正元年に、時
の東京市長であった尾崎行雄が、日米親善のために寄贈した染井吉野のほか
10種、3千本の苗木が成長したものだそうです。そして、またしても驚きで
すが、私も、てっきりそうだと信じていましたが、事実は違うのです。有名な
話ですから、皆さんも誤解していたのではないでしょうか。こういうことだそ
うです。
 
このワシントンの地名は、初代大統領ジョージ・ワシントンからきている。
この人物が少年のときに、桜の木を切った過失をわびた正直さが立志伝の挿
話として有名だが、ポトマックの桜がその桜だと思い込んでいる人がかなり
いるそうだ。
 (新々ちょっといい話 戸板康二 著 文藝春秋 刊)
 
ところで、日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、ちびまる子ちゃんではありませんが、目
が点になりますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ
日蓮宗の古寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざく
ら)」だそうで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えら
れています。神話の時代から花を咲かせ続けている姥桜(罰が当たるかな!)、
インターネットで見ましたが、「どうも、これは、いや、はや……」と椎名誠
氏風ですが、襟を正さずにいられませんでした。白一色の駒ヶ岳(標高2967m)
もすばらしく、いつかたずねてみたいと思っています。
なお、日本の三大桜は、福島県三春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村
の薄墨桜(樹齢千五百年)と山高神代桜で、黄門様の印籠と比べるのもなんで
すが、ただ、ひたすら、畏れ入るだけですね。淡墨桜は、つぼみの時は薄いピ
ンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、この散り際の色にちなみ命
名されたそうです。30数年前、初めて訪ねたときは、今のように観光地化さ
れておらず、静かな山里にどっしりと根を張る雄姿には、いたく感動したもの
でした。
 
最後に、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう、「さくら さ
くら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝の手ほど
きとして作られたもので、作者は不明です。
 
 さくら さくら
(一)さくら さくら  
   やよいの空は  見わたす限り
   かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
   いざや いざや 見にゆかん
 
(二)さくら さくら
   野山も里も   見わたす限り
   かすみか雲か  朝日ににおう
   さくら さくら 花盛り
            (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
日本のどこにでもある春の景色を淡々と詠んだ歌詞も素晴らしいですが、宮城
道雄の「さくら変奏曲」は、春の情緒を醸し出す名演奏で、いつ聴いても安ら
ぎを与えてくれます。
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩七分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう、見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値はあります。六義園は小石川後楽園
と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、
見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                     在原業平 (古今和歌集)
 
桜の〆は、やはり、これでしょうね。
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子ども達に伝えるのも、親の使命ではないかと考えま
すが、いかがでしょうか。
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号-
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第6章(1)花祭りでしょうね 卯月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではな
く、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
★★花祭り★★
4月といえば、私たちの年代では、花祭りですね。
しかし、今は仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょう
か。キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわ
れていますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会
(かんぶつえ)」といいます。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王様でシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な
夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かっ
た夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ち
ゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花
繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあ
った菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわ
いい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄
から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑
え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存
知の仏教です。
 
花祭りは、お釈迦さまの誕生日をお祝いするお祭りですが、今ではキリストの
誕生日であるクリスマスの方が盛大ではないでしょうか。同じアジア民族とし
て、ちょっと寂しい気がします。そうはいっても、仏壇のある家は、少ないの
ではないでしょうか。ご先祖様がいたから、今の自分があるのです。感謝の心、
忘れていませんか。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三
大法会(ほうえ)」といいます。
 
ところで、法隆寺、五重塔の最下部の内陣には、奈良時代の初めに造られた、
仏典中の有名な場面がパノラマのように東西南北の4面に表現されていますが、
北面には、お釈迦さまの入滅を嘆く素晴らしい塑像があり、「聖徳太子の死に
対する号泣の声ではないか」と考えた哲学者、梅原猛氏は、「隠された十字架
 法隆寺論」で、その独自の解釈を披露しています。それはさておき、号泣す
る塑像は、まるで生きているようで、息をのむほど圧倒されますが、その写真
を氏の著書「塔(上)」(集英社文庫 刊)のP220-221で見ることがで
きます。
 
お釈迦さまの「天上天下 唯我独尊」について、作家の五木寛之氏は、次のよ
うにおっしゃっています。
 
この言葉には、いろんな解釈があります。世間にはそれを、世の中で自分だけ
尊く、偉いんだ、と解釈する人も少なくありません。しかし、私はこれを自分
流に、次のように解釈しています。
「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」と。
この世の中で、自分の価値を決めるのは、あくまでも自分であって、他人に決
めてもらったり、他人との比較で決まるものではありません。自分は「生老病
死」を背負った世界でただ一人の人間だという自覚が必要です。
           (「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P71)
 
誰しも「ただ一人の存在」であり、誰しも「不透明な存在である自分」を励ま
しながら生きているからこそ、人を殺めることは、絶対に許されません。相手
は「誰でもよかった」その「誰」が自分自身であったならば、その恐ろしさに
思いいたらないのでしょうか。人を思いやる心を失うと、他人をねたましく思
い、不満を内に抱え込み、人間は限りなくばか者になるだけです。社会は、基
本的には自己責任で成り立っていることを、何としても、親は子どもに教え、
成人させたいものです。
「自分でまいた種は自分で刈り取れ」、これも明治生まれの親父の口癖でした。
 
★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。  そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれにな
ったばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し、
左手は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひ
しゃく)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、
お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
余談になりますが、子どもの頃、硯に紅茶を入れて墨をすると、字がうまくな
るといわれ、何回も挑戦しましたが、私には効き目がありませんでした(笑)。
 
★★仏教童話★★
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な感
情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対であり、
それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」「思いや
りの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいもの、あたた
かきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと私は考える。
(中略)
優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、作
品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出てくる
と説教となって文学性を消滅する。
(ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の作品は、宗教がむきむきに出てきませんから、抹香臭くなくて分かりや
すく、清らかに生きる人々の話からは、勇気と感動さえ与えてくれます。子ど
もの頃には、似たような話をお年寄りから聞き、「正直に生きないと地獄に落
ちるのだよ!」と脅かされていましたね(笑)。私達の年代は、こういったこ
とも情操を養う機会となっていたのではないでしょうか。多くの作品の中から、
一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色の鹿
が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にいることを、
誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。
その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出して
欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者はいないか、
案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたのが、命を助けて
もらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人でした。
王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出します。
「王さま、あれが金色の鹿です」
と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人は、
約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、かんか
んに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこういったのです。
「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せない
なら、私を殺してください」
それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、生き
物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、恥ずか
しくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私をまともな心
に引き戻すために現れたのかもしれない。
王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
「生き物の命をとる狩を止めることができました。あなた様も森へ帰って、い
つまでも幸せに暮らしてください」
といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男の腕
に戻ってきたのでした。
(仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音様と孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になっ
てしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本
物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあった
けちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成さ
れています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさ
んの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を
表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさ
しく話しかける作品になっています。
淑徳幼稚園は仏教系だけにお釈迦さまの教えに違和感はないとはいえ、進学教
室でこういった話をするたびに、この時期だからこそ、純真な子ども達の心に、
素直にしみこむものだと教えられました。幼児期の情操教育、こういった体験
からも培われるものではないでしょうか。図書館で見かけることがありました
ら、ぜひ、お子さんに読んであげてください。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
余談ですが、「Wの悲劇」「第三の女」「喪失」などで楽しませてくれた推理
作家の夏樹静子さんは、平成28年3月19日に冥界へ旅立たれました。「椅
子がこわい 私の腰痛放浪記」(文春文庫 刊)の3年間にわたる悪戦苦闘、自
殺まで考えたときもあったとか、痛みの原因は心身症。同じ痛みに悩む私は、
「椅子がこわい」を実感しています。わからないことは図書館で調べた頃と違
い、何でもパソコンのお世話になってから、椅子が一段と怖くなりました。
「楽をするな!」との警告かもしれませんね(笑)。ご主人は、「海賊とよばれ
た男」、出光興産の創業者、出光佐三氏の甥であることは、あまり知られていな
いようです。
勝手な思い込みで恥ずかしい限りですが、私にとり宮尾登美子さんは母上、夏
樹さんは2歳年上の姉上といった有り難い存在でした。(感謝)
 
ところで、今朝のYAHOO JAPANに、昨年10月、鳥取県中部を襲っ
た地震で、断崖絶壁に建つ三仏寺(さんぶつじ)の投入堂(なげいれどう 国
宝)の参拝路に亀裂が入り、参拝できない状態が続いていると出ていました。
寺の建立は建築様式から平安時代までさかのぼることができるそうで、絶壁の
くぼみに、どうやって建てたのか、我がご先祖様の途方もない技術に、驚ろか
されるばかりですね。三仏寺で検索すると見ることができます。(脱帽)
(次回は「さくら」ついてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4)雛祭りとお彼岸ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
雛祭りですから、楽しい話がありそうですが、あまり縁がありません。やはり、
私が男だからでしょうか。その中でも、この話は珍しいと思います。
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥さ
んは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。神
さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するので、
いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、書
付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから赤ちゃんが
生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年たち、50人
の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でなくなります。そ
こで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、もう一人の母さ
んを訪ね、会うことができたのです。50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育て
てくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達は、川下と川上の二人のお母
さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやかろ
うと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったのです。
三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
 日づけのあるお話 365日
   3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」の
ように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜
きです。親孝行ですが、近頃、この言葉に肩身の狭い思いをさせているようで
す。「親孝行、したい時には親はなし」、胸にしっかりと刻んでおきましょう。
 
ところで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に、こんな話がさり気なく語られてい
ます。
 
   その日は3月4日。
   雛の節句である。
   土佐藩では、節句は3日に行わずに4日に祝う習慣があった。
 
五節句(正しくは五節供)を定めたのは徳川幕府ですが、それに従わない藩も
在ったわけです。何気ない描写ですが、いごっそう(頑固で気骨ある様子)の
人物が多い土佐藩であることに意義があり、素直に肯いてしまいます。氏が、
珍しく女性を主人公にした作品に「功名が辻(1~4)」(文春文庫 刊)が
あります。持参金を出して馬を買い、主人を出世させた内助の功は、かなり知
られていますが、あれはどうやら事実ではないようで、例の山内一豊とその妻、
千代の物語です。信長、秀吉、家康に仕えた一豊が見た、三者三様の生き方が
描かれており、時代小説の苦手な女性の方にも気軽に読めるのではないでしょ
うか。「内助の功」、感謝されているお父さん方も多いのでは……、いつの時
代も女性は強いということですね(笑)。
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。あ
る晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不思議
なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てずに帰っ
てしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、娘の顔
が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通した針を
娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくようにいったので
す。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさすと、若者は大
声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っていったのです。
翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山奥の大蛇が棲むとい
われている淵に、吸い込まれるように入っているではありませんか。すると、
淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き耳を立てると、娘は蛇の
子をみごもっているというのです。驚いたお母さんでしたが、この災難から逃
れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事に解決します。その方法とは、
不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花酒を飲むいわれが語られています。
 おはなし12ケ月 三月のおはなし
      「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
              日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁
にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、
娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうた
ん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神様から地を
はって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使
いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからも親しめ
ませんね。
 
古事記にも似たような話があります。
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神様であるところが古事記ら
しく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神様が宿るといわれた
奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこにいた
蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社 刊)に
出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。子
どもの頃、螢を取りに行ったとき、「光が消えないのは蛇の目だから手を出し
てはダメ!」と兄が教えてくれたことを思い出します。信じがたい話でしょう
が、川端のあちこちに蛍が火をともしていましたね。川がきれいだった証(あ
かし)です。
 
余談になりますが、最近、再読した宮尾登美子さんの「平家物語(4)玄武の
巻」に、昔話と同じような話、豊後(大分県)の「大蛇の三郎」が紹介されて
いました。学生時代に訪れた清盛の娘、建礼門院が隠棲した寂光院の鮮やかな
紅葉を思い出します。どの本を読んでも好きになれないのが源頼朝で、判官
(ほうがん)びいきでもないのですが(笑)。
(注 判官びいき「不遇な人や弱者に同情して肩を持ち応援すること。「判官」
は「九郎判官」と呼ばれた源義経のこと)
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れるこ
とはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいです
が、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近くに
住んでいた笛の上手な三太わらしの話が伝わっています。
三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮らし
ていましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役を
させて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになったある
日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オイヌ達が
三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、父ちゃ譲
りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音色を聞くよ
うになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来た母ちゃは、
三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立てた母ちゃは、
三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達は、火をくぐり、
三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴の方へ導くのでした。
炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ちゃも助けようとしました。
オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと進んでいったのです。
そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にのっ
て、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と呼ぶ
ようになったのです。
この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人達
が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手な
若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守るよ
うに控えていたそうです。
「遠野物語」の国へ 平野 直 著  つぼの ひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まる
と、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきま
しょう。
 
「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんでい
た人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味や
関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝えら
れてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知ら
せたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いので
はないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれ
たものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残し
てくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原の狼と高原の狼」があります。
 
食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切なお
じさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、それ
を全部盗もうといい、もう一匹の狼は止めますが、聞く耳をもちません。狼は
仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことになり、
悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼を、イン
ディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい心を持って
いるから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配がなくなった
草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
題名を思い出せないのですが、日本にも、足に刺さったとげを抜いてもらった
狼が、少年を襲った狼たちから守るという楽しい童話もあり、進学教室の子ど
も達も大好きでした。動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界で
しか経験できないだけに、新鮮な驚きを感じるようですね。人間と動物のロマ
ンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
最初に紹介しましたが、私には狼を主人公にした話で、忘れられない思い出が
あります。椋 鳩十の「丘の野犬」です。
 
◆丘の野犬◆ 
野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗ま
れる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉
を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫り
ます。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食
べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日の
こと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じ
っと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでし
た。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったの
ですが……。
 「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
当時、私は子ども達に聞かせたい話をテープに吹き込み、教室の希望者に配布
していました。「母と子の20分読書運動」を広げ、読書の素晴らしさ、楽し
さを普及する運動に力をつくした椋 鳩十の作品からも、戦争で殺さなければ
ならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けよ
うと滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を
助ける「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品を10巻作り
ましたが、「丘の野犬」は45分ほどにもなるので、園児達に聞かせるのは無
理ですから、適当にアレンジしながら話してみました。授業に参加していた園
児は30名。15分ほどにもなりましたが、みんな真剣に聞いてくれ、最後に
犯人は「人間」であることがわかった時、「何だ、何だ!」といった雰囲気に
なり、涙ぐむ女の子もいました。子どもは興味があれば、それこそ一心不乱に
集中できます。大勢の子ども達の前で話をするには、物語を記憶し、子ども達
の目を見ながら話してあげることが大切です。
 
このことを教えてくれたのは、かわいい、小さな瞳がきらきらと輝く、幼い園
児達でした。(涙)
 
 (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)
 

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