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さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第40号-
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第11章 お月見です  長 月(1)
 
暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、
秋空が 「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅
(あか)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから
「夜長月」の略が、わかりやすいですね。
これにも、いろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」
を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあかり
つき)」が略されたという説もあるそうです。
 
★★お月見ですね★★
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日
から20日頃が見頃です。
 
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあ
り、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったも
のです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を
酌み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、
お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたか
ら、とにかく自然が頼みの綱です。
 
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったの
です。
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けて
いきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には
半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けす
る月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作
業の時期、段取りを行っていました。 
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月
さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝
の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
 
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさん
と受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を
込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。私の
小学校時代(昭和20年代)の日本の景気は、米の収穫量で決まりですから、
何とか穏便にと思うのは、当然でしょう。
台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、ぼう然と
眺めていたお百姓さんの姿を、何回も見ましたが、子ども心にも悔しい思いを
したものでした。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物、
芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
 
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月17日頃)の
十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片
見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。十三夜は、
栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝
来したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、
こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋た
けなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確か
めてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出
となるものです。
 
ご覧になったかと思いますが、一昨年は、7月に2回、2日と31日に満月が
現われました。これをブルームーンと呼び、2、3年に1度の割合で起こり、
次回は2018年1月と3月にみられる天体現象です。ブルームーンの名称の
由来は、英語の慣用句に“once in a blue moon”(珍しいことやまれなこと
のたとえ)があり、まれな現象を「ブルームーン」ということだからだそうで
す。
 
「月光」といえば、ベートーベンの「ムーンライト・ソナタ 月光」を思い浮
かべる方が多いのではないでしょうか。私はグレン・ミラーの作曲した「ムー
ンライト・セレナード」で、ミラーの生涯を描いた「グレン・ミラー物語」を
1週間、毎日、映画館に通って観たものでした。「真珠の首飾り」「茶色の小
瓶」「イン・ザ・ムード」などの演奏も楽しみでしたが、全盛時代のジャズの
王様、ルイ・アームストロングの率いる、ほれぼれするようなメンバーの熱演
を観ることができたからです。曲は「ベージン・ストリート・ブルース」で、
ドラムのジーン・クルーパーとコージー・コールのドラム合戦は、何回観ても
飽きませんでした。入口のお姉さんと顔見知りになり、「私も長い間この仕事
をやっているけど、学生さんのような人は初めて!」とあきれ顔でいわれまし
た(笑)。この頃から、ドラムに憧れていたのです、高校1年生の時でした。
 
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得
力があります。これは、子どもの頃に、お百姓さんから聞いた話ですが、今で
もよく覚えています。なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由ですが、
すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れなが
ら、その穂で、しっかりと神様を捕まえ、豊作をお願いしたいからだといって
いました。今は、郊外に出かけないと見られなくなりましたが、子どもの頃に
は、そうですね、見上げるほどの高さですから、2メートルぐらいになるのも
あり、これなら神様を絶対に逃さないと思ったものです。
 
★★なぜ、お供え物に芋があったのでしょうか★★
米で作ったおだんごや果物、それに採れたての野菜などを供えたものです。
母からよく聞いた話ですが、お日さまには天照大神(あまてらすおおみかみ)
が、お月さまには月読命(つきよみのみこと)という神さまがお住みになり、
お日さまを浴びていろいろな物が育つように、お月さまの光にも不思議なエネ
ルギーがあって、その光を浴びた物を食べると、健康で長生きするからだとい
っていました。
「かぐや姫」のラストシーンで、月の光で侍が、ばたばた倒れますが、あれを
思い出し納得していました。数々の怪獣を一撃で倒すウルトラマンのスペシウ
ム光線ではありませんが、月光の威力に感嘆したものです。あの場面には、い
つも魅せられていました、UFOの世界です。こういった空想は、時代を超越
し、夢があります。科学が、1つ1つ、その根拠を壊していますけれど、サン
タのプレゼントと共に、幼児期の楽しい夢であり、一緒に楽しんであげるもの
ではないでしょうか。
 
このウルトラマンに目下、孫がはまっていて、「それはバルタン星人だろう」
と言ったら、「おじいちゃん、何で怪獣の名前を知っているの?」と尊敬され
てしまいました。もう40年前になりますが、長男が夢中になって遊んでいた
もので、いまだ人気が衰えないようですね。女の子には、リカちゃん人形が人
気の的で、サンタの代わりに買いに出かけたものでしたが、新作、マサト君が
出た年は手に入れるのに苦労したことを思い出しました(笑)。
 
ところで、子どもの頃ですから、「夜露」がよくわかりませんでした。供えて
ある果物や芋が、夜露に濡れて、月の明かりで光っているのです。神秘的でし
た。ですから、夜露に光る果物を食べると、何やら力がつくような気がしまし
たし、おいしいと思いました。感動して、母の話を信じていたものです。
「神秘的……」、響きのいい言葉ではありませんか。「迷信だ」といって信じ
ない大人は結構ですが、そういって子どもの夢を簡単に壊すようでは、空想力
や想像力も育たないのではないかと思いますね。
    【注】 古事記には天照大御神、日本書紀には天照大神と明記されて
います。
 
今では、お月見に、だんごやすすきなどをお供えする家庭も少ないでしょうが、
芋を飾る話はさらに聞かないのではありませんか。ところが、私の子どもの頃
は、芋は、欠かせなかったようでした。
しかし、どうしてお月さまに芋を供えたのか、このことです。おだんごや果物
は、納得できましたが、芋はわかりませんでした。お月さまと芋は、どう考え
ても結びつきません。
これも、じいさまから聞いた話ですが、米が主食になる前は、里芋や山芋が主
食でした。今は、さつま芋掘りは、秋の観光イベントに欠かせないものですが、
その収穫が、ちょうど十五夜の頃でしたから、感謝の気持ちを表しお供えをし
たそうです。お月見は、芋などの畑作の収穫祭でもあったわけですね。それで、
中秋の名月を「芋名月」ともいったのです。
 
川越は、さつま芋の名産地で、秋には小さな子達が、芋掘りにやってきます。
盛り付けの鮮やかな和食「芋ご膳」からソフト・クリームまで、美味しいもの
がたくさんありますが、戦後の食糧難の時代に、朝、昼、晩と三食、さつま芋
を食べた世代ですから、見ただけで胸焼けがし、どうしても手が出ません。な
どと言いながら、さつま芋から作った地ビールだけは、飲んでいます(笑)。
妙にこだわりますが、ソフト・クリームは、正しくはsoft  ice  cream です。
 
ところで、「栗よりうまい十三里」ともいいますが、この語源、川越に住んで
40数年になるというのに知りませんでした。酒の話が楽しいドイツ文学者、
高橋義孝教授の随筆に、「目からうろこ」の話がありました。正確には「目か
らうろこが落ちる」で、英語では“The scales fall from one’s eyes”だそ
うです。(「故事ことわざ辞典」より)
 くりよりうまい十三里、すなわちさつまいもの集散地は埼玉県の川越で、川
越は江戸から十三里へだたっているから、九里と四里とを合わせて十三里、川
越ということになり、その川越の名産物さつまいもは栗よりもうまいというこ
となのである。
(「叱言たわごと独り言」高橋義孝 著 新潮文庫 刊)
叱言、「こごと」と読みます。辞書では「小言」となりますが、文学の世界で
は、正式な表現でなくても、その文学者独自の考え方、表現が許されるからで
す。小言は軽く聞き流せますが、叱言はかなり怖いですね(笑)。
 
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
今の小学生は、笑ってばかにしますが、私の子どもの頃は、宇宙船アポロなど
は、想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じていました、あ
る時期までは。うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をつ
いているようにも見えました。
 
 うさぎ うさぎ   なに見て跳ねる
 十五夜お月さん見て 跳ねる
 
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
 
ところで、私の子どもの頃のおじいさんたちは、本当に話がうまかったのです。
いま聞くと、吹き出したくなるものばかりでしょうが、夢がありました。これ
もその一つなのですが、お月さまにうさぎが住んでいる証拠は、
「満月の晩に見てみ、うさぎが餅をついているように見えるのは、あれは、う
さぎの国の旗、国旗だ。お月さんはうさぎの国だと、宣告しているのだよ」
といったものでした。戦後のことでしたが、戦争は、命を的にした領土の争奪
戦ですから説得力もありました。それで、私が、
「じゃ、おじいちゃん、地球を月のうさぎが見たら、どんな旗に見えるのかな?」
「そりゃ、人間に決まっとるがな」
理屈でなくて、何だかおかしな話でしたが、本当のような気がするのです。う
さぎが住んでいるから「うさぎの旗」、人間が住んでいるから「人間の旗」な
のだそうです。おじいちゃんの頭に浮かぶ人間は、絶対に日本人です。そして、
日の丸の旗を持っているに違いありません。もしかしなくても、旗を持ってい
るのは兵隊さんです。おじいちゃんにとって日本は、神州不滅の国でしたから。
こういったお年寄りとの楽しい会話が、懐かしく思い出されます。昔のお年寄
りは、一家の生活の一部を、きちんと担っていたのではないでしょうか、それ
も、尊敬されて、です……。
 
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝す
る心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操
教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空
を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にま
つわる伝説を知る機会になるかもしれません。3つの星が並ぶオリオン座と宵
の明星、金星しか識別できませんから、偉そうなことはいえませんが(笑)。
 
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、
いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、
こんなに違うものかと驚かされました。
 
中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいると
もいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、イン
ドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひっかい
た傷に見えるそうです。
(心を育てる 子ども歳時記 12ヵ月  監修 橋本裕之 講談社 刊 P83)
 
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いてい
たのですね。
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺め
てみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星
や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがで
しょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
 
長男が小学生の頃、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をし
ているのかな」とかなり大人を困らせる質問をしたものです。話をよく聞いて
みると、常に表だけ見えて、裏側はどうなっているかなんですね。言われてみ
ればその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこが探求心の旺盛な子ども
のことですから、困り果てました。友人に星座に詳しいロマンチストがいるの
を思い出し、聞いたところ、「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が
一致しているから、常に表しか見えない」といわれ、子どもにどう説明したか
思い出せませんが、多分、いい加減な話で煙に巻いたのではないかと思います
(笑)。皆さんは、どう説明しますか。
 
最後に、お月さまといえば、文部省唱歌の「月」(詩曲 作者不詳)を、懐かし
く思い出します。
 
1. 出た 出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような月が
2. 隠れた雲に   黒い 黒い 真っ黒い   墨のような 雲に
3. また出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような 月が
 
といっても、しみじみと眺めた、詩情豊かなといった高尚なものではなく、つ
まらない遊びなのですが、なぜか、思い出すのです。この歌詞を、逆さまから
歌うだけの、ばかげた話ですが、これがおかしくって……。
 
1.たで たで がきつ  いるま いるま いるまんま  なうよのんぼ がきつ
2.たれくか にもく  いろく いろく いろっくま  なうよのみす にもく
 
みんなで、なぜだか、ゲラゲラ笑いながら、品悪く歌って、面白がっていたの
です。
「いーるま いーるま いるまんま」とか「いーろく いーろく いろっくま」
と声を張り上げて。
今、歌ってみても、笑っちゃいますね、ばかばかしくて(大笑い)。何しろ、戦
後の何もない時代でしたから、こんなことでも楽しかったんですね。この歌を
聞くと、いつもお腹をすかしていた、あの頃を思い出します。
 
メールマガジンが配信された日には、台風5号も東北方面に抜けているかもし
れません。九州へ直接上陸しなかったことがせめてもの幸いでした。しかし、
豪雨の災害は広がっているようです。何とか穏便に日本列島から離れてほしい
ものです。
(次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)

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さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第41号-
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第11章 お月見です  長 月(2)
  
★★秋の七草★★
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災
で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を
食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味で食べたのでしょう。これも昔の人の
生活の知恵です。
 
秋の七草は、どうでしょうか。
萩(はぎ) 薄(すすき) 葛(くず) 撫子(なでしこ) 女郎花(おみなえし)
藤袴(ふじばかま) 桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が
多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉
は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。
 
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七
草といわれるようになったのです。
 
 秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花
 芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花
 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花  
            (万葉集八巻 山上憶良)
 
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした
感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめま
す。いや、もっと現実的な秋の七草があります。         
 
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選ん
だ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、
彼岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいど
う)の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかって
いる感じがします。
 
平成にふさわしい「秋の七草」は、インターネットの投票によると、春の七草
でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
 
  ハギ キキョウ  コスモス ススキ ヒガンバナ
               リンドウ ナデシコ 秋の七草
 
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わっ
てきますが、いかがでしょうか。
 
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、
何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任を
もって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、
強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を
咲かせます。さすが、メキシコ産と納得しているのは、私だけでしょうか。
「秋桜」と書いて「コスモス」と、今までになかった読み方が広まったのは、
山口百恵さんのヒット曲「秋桜(コスモス)」(1977年 昭和52年)か
らだそうで、作詞、作曲者のさだ まさし氏は、「小春日和」と名づけていた
とか。嫁ぐ娘が母を思う曲で、
 
♪突然涙こぼし元気でと 何度も何度も繰り返す母
 ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
 こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせてください♪
 
泣かされましたね、男のくせに。(赤面)
もう一つのヒット曲「プレイバックPart2」にはびっくり。あんなリズムで歌
える歌手は、当時、いませんでしたから。「馬鹿にしないでよ そっちのせい
よ! Play back Play back!」と蓮っ葉なセリフが、かわいかったですね(笑)。
 旧伸芽会にお世話になっていた時、教室のあったマンションに三浦夫妻が住ん
でおり、長男の小学校受験で、私がお世話をする可能性もあったのですが、引っ
越しをされ実現しませんでした。(残念!)
 
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰暦
9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの数を
重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、このよう
に奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、神聖視さ
れていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
 
この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よわい
ぐさ)」などといわれ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」といって、
酒に菊の花をひたして飲むと、長生きできるといわれ、また「菊の着せ綿」とい
って、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭くと長寿を保つといわ
れた。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P180-181)
 
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集め
て作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を治し、
邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
そういえば、「菊政宗」という日本酒がありますが、命名のいわれは、これでし
ょう。菊正宗の純米酒は「上善如水(じょうぜん水のごとし)」で絶品です。適
量をたしなめば、酒も良薬の一種に違いないのですが、適量をたしなむのは至難
の業で、意志の強い持ち主でなければ難しいですね。苦労しています(笑)。
 
脱線しますが、千利休は「酒盃の銘」で、「一盃は、人、酒を呑む。二盃は、酒、
酒を呑む。三盃は、酒、人を呑む」といっていますが、けだし、名言ですね。酒
が人を呑むと虎に変身しますが、なぜ、酔っぱらいを虎というのか、親父の話で
は、酒のことを「ささ」といい、笹の生えているところに虎がいるからだといっ
ていましたが、酔っぱらいを収容する所を「トラ箱」というのもうなずけますね。
 
蛇足ですが、「上善如水」は5月に紹介しましたが、老子道徳8章にある「水は
万物を潤し、利を与え、自分を主張することなく、器に添って形を変え、争わず、
流れに逆らわない。老子の無為自然の生き方」をいうもので、新潟の白龍酒造に
も「上善如水」があり、何だか名酒を賛美するための言葉のようですが、とんで
もない誤りで、酒飲みがカッコつけて飲むための言い訳にすぎません(笑)。
 
「菊」は漢名(中国での名称)の「菊」を音読みしたもので、「菊」の漢字は
「散らばった米を一ヶ所に集める」の意味があり、菊の花弁を米に見立てたもの。
また、漢名の「菊」は、「究極、最終」を意味し、1年の一番終わりに咲くこと
から名づけられた。
             (www.hana300.com/kiku00.htmlより)
 
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさわ
しい花であることも肯けます。
 
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の画
材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかって
いる感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけようの
ない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
 
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいです
ね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩秋
から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花は、ひっそりと咲いている
からこそ、もののあわれを誘います。
女性も、ひっそりと、ひかえめがいいのですが、今風ではありません。これをい
うのには、勇気がいります。「ますらお不在」といわれそうだからです。「ます
らお」は「丈夫・益荒男」と書き、強くて、堂々とした、立派な男子のことです。
 
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に菊
を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊花
大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
この勲章を、断る方がいます。確固たる理由があるのでしょう。そういった話を
聞くたびに、なぜか、さわやかな気持ちになります。もっとも、私自身、勲章を
もらえる条件が何もなく、ひがんでいるにすぎないのですが(笑)。
 
リーズナブルな刺身についているプラスチック製の菊、あれは単なる飾り物です
が、上等な刺身には、食用の生菊が、さん然と輝いています。これは高価なもの
ですから、必ず、頂きましょう。菊の花をむしって、小皿の醤油に散らし、刺身
と一緒に食べます。
菊は、わさび、生姜、レモン、酢橘(すだち)、蓼(たで)と同様、食中毒や食
材の腐食を防ぐ自然の優れものです。これらの菊は、観賞用とは異なり食用とし
て栽培されたもので、さっと湯がいて三杯酢で食べても、おひたしにしても、な
かなかおつなものです。
 
ところで、刺身をのせている「刺身のつま」というのでしょうか、面白い存在です
ね。
ほとんどが大根か海藻(おごのり)ですが、あれがついていないと、何か物足り
ない感じがします。しかし、ほとんどの方は、決して、好んで、食べません。明
治生まれの親父は、それこそ一本も残さず食べていましたから、私も残せません。
主役の鮪や鯛の刺身を引き立たせる脇役を立派に果たしているのですが、刺身の
なくなった後の姿は、何とも哀れです。「人間、引き際が大切だと教えているの
ではないでしょうか」などと、「よいしょ」することもありませんが、何かかば
ってあげたくなりませんか(笑)。
 
話を戻して、五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県花
は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用います
から、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
 
日本の三大怪談話は、「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹燈籠」ですが、「1枚、
2枚……」と夜な夜な皿を数える幽霊の名は「お菊」だからいいのであって、
「おなべ」「おくま」「おとら」ではさまにならないという話を阿刀田高氏の本
で読んだのですが、「アッハッハ!」と笑っただけで、出典を控えませんでした、
済みません。こういった幽霊なら、寝苦しい丑三つ時(午前2時ごろ)に出てほ
しいですね。丑三つ時は、幽霊の出動時間です(笑)。
 
最後に、ことわざを一つ。
  「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
蘭と菊は、四君子の二つです。 
島根県にも清水寺があることを、五木寛之氏の「百寺巡礼 第8巻」(講談社 刊)
を読んで知り、素晴らしい三重塔を見ようとパソコンで検索していた時に、島根
県江津市のホームページで、この解説を読んだのですが、わかりやすいので紹介し
ましょう。
 
中国では、「梅」「蘭」「竹」「菊」の4種の草木は「四君子」と呼ばれ、古来
より人々に愛されています。「君子」とは人徳・学識・礼儀に優れた人のことで
すが、「梅蘭竹菊」は気品の高い美しさを備え、梅は高潔、蘭は清逸、竹は節操、
菊は淡泊と「君子」に似た特徴をもっていることから、草木の中の「四君子」に
例えられています。
 筆者注 清逸(せいいつ) 清く浮世離れしていること
(島根県江津市のホームページ http://www.city.gotsu.lg.jp/6490.html)
 
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」
があります。菖蒲は5月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用い
るもので、6日と10日では間に合わないことから、「時期に遅れて役に立たな
いこと」のたとえです。類義語としては「後の祭り」「夏炉冬扇」、ちなみに英
語では“a day after fair”だそうです。
 (kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
 
 (次回は、「菊花の約」などについてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(4)
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回は、戦争に
ついて、ご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
私見ですが、憲法学者が「自衛隊そのものが憲法違反」だといい、「憲法9条
改定についてはその必要なし」という。「自衛隊は憲法違反だが、9条は改定
しなくてよい」となれば、一体どうやって国を守ればいいのでしょうか。「攻
撃する能力があっても仕掛けないのが最大の防御」、これが世界大戦にならな
い抑止力となっていると考えますが、皆さんは、いかがでしょうか。中国と北
朝鮮の軍事力に脅威を覚えない人はいないと思います。仲裁裁判所の判決を
「紙くず同然」と切り捨てる中国の傲慢な態度を見ると、「備えあれば憂いな
し」、我が子や孫のためにも、どういった政策がいいのか、私たち親は、真剣
に考えるべきではないでしょうか。観念論だけでは、日本を守ることなど不可
能です。もっとも、日本など中国の属国になればというのなら話は別ですが……。
チベット、新疆ウイグル問題を知らないはずはないのに、自由の有り難さを噛
みしめる必要はないのでしょうか。百田茂樹氏の「カエルの楽園」、寓話的な
「警世の書」であればいいのですが。「憲法9条さえ守っていれば日本は平和
である。たとえ滅んでも平和である」、滅んだ民族に平和があっても、何の価
値もないだろうに。最後は、ぞっとしましたね。
こんな状況なのに、あの議員先生方は、よほど暇なんですね。トランプ大統領
ではありませんが、「他にやることがないのか!」。恥ずかしい限り!
 
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。もし、親父の転勤がなければ、この日で私の人生は終わっていた
かも知れません。東京の下町、日暮里に住んでいたからです。戦後、訪ねた親
父の話では、一面焼け野原で、知人は誰もいなかったそうです。
「東京大空襲ものがたり」、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当
時の世相や風習もわかりやすく解説されています。作者は早乙女勝元氏で、既
刊の「東京大空襲」は読みましたが、こういった映画があり、子どもたちにも読
める本があるとは知りませんでした。(怠慢!)ダイジェストにするのはおこ
がましいと思い、本文を少し紹介することにしました。
 
今井正監督の「戦争と平和」。
主演は20歳になったばかりの愛らしい工藤夕貴。空襲のシーンは、思わず息
をのむ凄さです。主人公の電柱を巡って、次々に起こる悲しいできごと。私は
作者であることを忘れて涙が止まりませんでした。なお、映画の原作分「戦争
と平和」は講談社から刊行されましたが、私はこの電柱のことを子ども達に伝
えようと、同じ題材で書いたのが、この「東京大空襲ものがたり」となったの
です。
 
「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐれ
てしまったのです。
二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つらく
悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下町の、
あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの日も、電柱
は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、そしてみんな
に語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、こ
う呼びかけるのです。
 
 誰もが、平和を守るための努力を、
 そのための、小さな勇気を、
 わすれてはいけない、と。     花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり  早乙女勝元 著 有原誠治 絵  金の星社 刊)
 
絵は、アニメの好きな方にはすぐわかる有原誠治氏。辛い体験をされた多くの方
々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があった
ことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思います。久
しぶりに図書館に出かけ読んだのですが、「楽をするなよ!」と叱りつけられた
気がしました。長女が小学生の頃、涙を流しながら読んでいた「ガラスのうさぎ」
にも出会いました。(反省)
 
長崎のピカ
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死んで
いったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわたを
出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいったけれど、
上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれいな船に、父さ
んと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、おいでしていると、
かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれど、「みんなで迎え
に来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようにはれあがり、歯ぐきはま
っ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動かないの。でも、そう言って
死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。下の末っ子の妹、すず子は、防空
壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなっていくので、マッチをつけてみたら、も
う死んでいたの。その身体を、一晩中だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべ
ろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
  夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編  国土社 刊
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけです。
私は広島に原子爆弾が落とされた時、岡山の県境にある忠臣蔵で名高い播州赤穂、
兵庫県赤穂町に住んでいました。真っ青に晴れ渡った暑い朝でした。突然、空が
濃霧のようなものに覆われ、真夏の太陽が肉眼で見えるほどになったのです。こ
れが、あの悪名高きキノコ雲が流れてきたのだとは知りませんでした。「新型爆
弾が落とされたらしい!」と、大人達が声をひそめて、ささやきあっていたこと
を覚えています。
5歳の夏でした。 
 
8月6日は広島原爆忌。
慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻みながら、原発を受け入れ、想定外
の事故とはいえ、過ちを繰り返してしまいました。しかし、もう草木も生えない
だろうといわれた廃墟の中から、広島も、長崎も、復興しました。快適な文化生
活を望み、その結果として原発は作られたことも、自分達の住む町にないことに
胸をなでおろし、後ろめたい気持ちで、私達は承知していたのではないでしょう
か。ですから、日本列島に50基もの原発が設置されたわけです。東電や福島県
民や設置された地域の皆さん方だけが苦労するだけではなく、国民全員が、不便
な生活へ戻ることを覚悟し、真摯な気持ちで「電力について」考えるべきではな
いでしょうか。「原発反対」だけでは代替エネルギーは手に入りません。この猛
暑、クーラーなしの生活、考えただけでもぞっとしませんか。「のど元過ぎれば
熱さを忘れる」、情けない話ですが、人間、本当に弱いですね。性根を据えて考
えるべきだと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
 
ところで、東京大学法学部出身の現役エリート官僚が書いた「原発ホワイトアウ
ト」(若杉 冽 著 講談社 刊)を読み、モンスターシステムを知り、よくぞ
発表できたものと脱帽しました。
私が学生の頃、週刊誌創設ブームで、トップ屋、事件記者として活躍し、その後
「黒の試走車」「赤いダイア」「汚職ざんまい」など、産業スパイや政財界を舞
台に、城山三郎と共に一世を風靡した作家、梶山季之が、企業の暗部や闇社会を
暴露しましたが、ある週刊誌のインタビューで、「こういったことを書いてぃる
と命を狙われるのでは」と問われ、「事実を書いている内は殺されません」と答
えていたことを思い出しました。
「大統領の殺し屋」(光文社文庫 刊)を再読しましたが、イケルヴィッチ、シ
ロカネスキーと池田隼人や黒金泰美がモデルとわかる人物が出てくる、自民党総
裁選挙に絡む汚職の実態を暴いたもので、最後の2行に「この作品は、すべて架
空の物語です。しかし、もし事実の部分があるとしたら、筆者が何らかの形で報
復されるでしょう」と挑戦状を叩きつけた好漢。45歳の若さで香港にて客死。
報復されたのではとの疑念が消えないまま、旺盛なサービス精神が災いし、寿命
を縮めた逸材でした。
その後、森村誠一、清水一行、広瀬二紀、三好徹、高杉良など社会派が活躍し、
氏の精神は受け継がれていることがわかります。大好きな作家の1人で、本棚に
はかなりくたびれた文庫本が22冊、大きな顔をして残っています。困ったこと
に、同じ棚には友人であった山口瞳の「けっぱり先生」(モデルは桐朋学園の名
物先生、生江義男)など20冊があり、いずれも読み始めると止まらず、仕事に
差しさわりが出て困っています(笑)。
 
元に戻して、読み応えがあるので粗筋は省きますが、原発の安全を脅かすのは、
地震や津波などの自然災害だけではなく、もっと簡単に福島以上の災害をもたら
すことが明らかにされています。送電する鉄塔を利用することなのですが……。
「熱しやすく冷めやすい」私達に、「原発問題は、これでいいのか」と問いかけ
る警鐘ではないでしょうか。舞台は新潟、柏崎刈羽原発、山本議員らしき人も出
てきます。
 
◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは特攻
基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の近く
に、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれていました。
その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹がいました。再
び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したのです。整備隊長に、
いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き残るのは辛かったのでし
ょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が配属され、宮川さんと知り合
い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきたので
す。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘達に、
「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」と言い
ました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さんが
現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎられ、
帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合図をし、
雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛いように伝わっ
てきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さんが
言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん達は、ホ
タルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を聞いているよ
うでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
 日本むかしばなし 23
 ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢 祐光 絵  ポプラ社 刊 
 
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、むなしい。多くの人達の犠牲でつかん
だ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。特攻に関しては11
月にお話します。
 
4月に紹介した「同期の桜」の4番です。
 
    貴様と俺とは同期の桜  離れ離れに散ろうとも
    花の都の靖国神社    花の梢に咲いて会おう
 
戦場で命を落とすのは、多くは前途のある若者達です。終戦記念日には、毎年の
ように親父に連れられ靖国神社へお参りしたもので、「今の平和は、ここに眠る
人々の愛国心から築かれたものだ。忘れるなよ、紀元!」、これが口癖でした。
60年安保闘争に参加した時、「日本の平和は憲法9条で守られているわけでは
ない。安保条約で守られていることがわからんのか! 反対なら、日本人をやめ
て、とっととソ連へ移住しろ!」と怒鳴られたものでした。明治生まれのお父さ
ん方は、信念がありましたね。平和ボケ、親父が生きていたら嘆くだろうな。し
かし、段々と考えや言うことが、親父に似てきたようで、泉下で苦笑しているか
もしれません。白百合学園小学校は靖国神社のすぐそばにありますが、学校説明
会へ参加した帰りには参拝し、境内に併設された同社の祭神ゆかりの資料を集め
た遊就館に出かけ、元気を頂いています。
 
盛夏、真夏に怪談話を一席。
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り替
えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないでしょう。
 
◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いにきた
のです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日目の
晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざめた
顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来ると姿
を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、和
尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。先日、赤
子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというのです。掘り出し
てみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみつき、見れば男の
子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだら渡
る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭はなかった
のです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭で、
 毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏を唱えた
のでした。
 海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
       日本民話の会・編  国土社 刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
戦争の話はこれまでにして、全くの余談になりますが、一昨年の大河ドラマ
「花燃ゆ」は、せっかちな私にはまどろっこしいテンポにイライラし、高杉晋
作を扱った本を読み直してみました。その中の一冊、幕末、官軍につくか幕府
に従うか、迷う長岡藩家老、河井継之助を描いた「峠 (上下)」(司馬遼太
郎 著 新潮社 刊)には、晋作は“ただ者”ではなかったことが書かれたお
り、イライラの源は、この本であったと納得しましたが、読書とは有り難いも
ので、今回、読み落としていた3つのことに気づきました。
 
第1に、下巻の50~100頁には、福澤諭吉の西洋の自由と権利に基づく
「独立自尊」の精神が発酵する過程も描かれていたことです。付箋がたくさん
貼ってあるのですが、このところは1枚もなし。30歳後半で、まだ幼児教育
に手を染めていないからでした。
 
第2は、官軍に囲まれ長岡で、戦いを挑む時に、継之助は土民を奮起させるた
めに、文章を書いて配ったのですが、読む相手を考え、漢文や候文(そうろう
ぶん)ではなく、話し言葉で書いてあることでした。いわゆる言文一致体、山
田美妙から始まったと思っていたのですが、何と、先輩がいました。
 
第3は、諭吉が酒好きであることでしたね。
母親が幼童の福澤の月代(さかやき)を剃るとき、痛さに我慢できなくなり泣
くと、母親は、「あとで酒をたべさせるから」となだめて剃ったとか。こうい
った話に出会うと、うれしくなりますね。「酒をたべさせる」は誤植ではあり
ません。酒粕ではないでしょうか。私も幼少のみぎり、少し食べて頬を染め、
ボーッとなった記憶があるからです。この幼児体験が酒好きになったとは、単
なる言い訳です。以上、全くの余談ですが、長く引っ張ってきたのは、福澤諭
吉が酒好きであったことをいいたかったのです(笑)。
(次回は、「お月見です」についてお話しましょう」
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第38号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(3)
 
★★日本に富士山はいくつあるでしょうか★★
皆さんの住む街に「○○銀座」と命名されている所はありませんか。かなり、
あるはずです。なぜ、全国、至る所に銀座があるのでしょうか。
 
銀座は、江戸幕府が銀貨の鋳造や発行をした役所のあった所で、明治を迎えて
廃止されましたが、文明開化のもと洋風建築の商店街がつくられ、以来、東京
随一の繁華街と発展し、「銀座」の名前は残ったのです。後発の新宿や池袋に
押され気味でしたが、現在では1丁目から8丁目まで、大人の街として東京の
観光スポットに欠かせない存在となっています。その繁栄にあやかろうと、各
地の中心街の地名に用いられるようになり、そこから人のにぎわう場所を表す
言葉ともなって、全国に300もの「○○銀座商店街」が生まれたのでした。
その栄光の第一号は、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」だそうです。
 
文化遺産に登録された富士の名も、銀座と同じように全国に見られます。
いうまでもなく富士山は、山梨と静岡の両県にまたがる日本の最高峰、標高
3776メートルの火山です。宝永4年(1707年 徳川吉宗の時代)の噴
火で宝永山ができ、以来、活動を中止していますが、いつ噴火しても不思議で
はない、歴然とした火の山です。古くから霊峰とあがめられ信仰登山が盛んで、
頂上には浅間(せんげん)神社が祭られ、富士、不二、不二山、不尽山、富岳
(ふがく)、芙蓉峰(ふようほう)、ふじやま、ふじのやま、富士の高根、と
いった名称で親しまれ、桜と共に日本のシンボルとして、世界の人々にも知ら
れています。
 
ところで、自然環境保全などのために入山料1,000円(6月1日~9月
11日)を徴収していますが、あの登山ラッシュの様子を見ていると、休む所
も、トイレなどの設備も十分とはいえず、また、安全登山を確保するのも、問
題が出そうですから、当然でしょう。ちなみに、白神山地は大人一人500円、
屋久島は日帰り1,000円、宿泊2,000円ですが、世界の最高峰エベレ
ストにネパール側から入山する場合、一人250万円かかるそうです。
 
富士山へ1回だけ登りました。雲海は素晴らしい眺めで、神秘的な気持ちにな
りましたが、土と岩の殺風景な登山道は、人間を寄せ付けない無言の威圧を与
え、富士山は遠くから眺めるものだと痛感したものでした。様々な方角から眺
めるのが好きで、あちこちに出かけましたが、千円札の「逆さ富士」は本栖湖
に映る富士で、案外知られていないのではないでしょうか、絶景です。
 
上高地や尾瀬沼は、学生時代、重装備で登ったものですが、今は観光バスを利
用すればサンダル履きでも行けますから、人、人、人で味気なくなりました。
民話風でなんですが、人間があまり自然に手を加え過ぎると、山の神様の機嫌
を損じることにならないかなと懸念しています。地震と火山活動、日本列島に
住むからには覚悟の上とはいえ、何とか自然と仲良く暮らす知恵を働かせたい
ものです。これは古来、わが民族の宿命ではないでしょうか。
 
富士山に関して、自慢できることが一つ。
昭和44年に初めてジェット機に乗ったのですが、当時西へ行く便は、富士山
の上を飛んでいたので、山頂のすり鉢を見ることができ、写真も撮りました。
乱気流で事故があって以来、山頂は避けているようです。
その山頂にある浅間神社には、古事記によれば、絶世の美女といわれている木
花之佐久夜昆売命(コノハナノサクヤヒメミコ)が主神として祀られています。
読みにくい、覚えがたい神さまがたくさん出てきますが、一度で覚えてしまっ
たのは、女神様だからです(笑)。富士山麓には、日蓮宗を崇める寺院があり、
神道と仏教が仲良く共存しています。一神教では想像できないことですが、な
ぜ、信仰の問題で殺し合うのか、不思議に思うのは、私が不信心者だからでし
ょう。
 
さて、銀座が繁栄にあやかろうと普及したものなら、富士山は、その秀麗な姿
を愛する私たちの心に、いわく言いがたいやすらぎを与えてくれることから、
「おらが故郷の富士」と自賛する富士の名称が、全国に生まれたのではないで
しょうか。 
北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地に富士の名山ありなのです。ちなみ
に、日本には108の火山があり、不思議なことに、12月に紹介しました人
間の煩悩の数と同じでしたが、2017年現在、111だそうです。
一番多いのは北海道の29(北方領土に11)、二番目は何と東京都で、三原山
から最南端の日光火山に至る伊豆、小笠原諸島に21、三番目は鹿児島で10、
近畿、四国には活火山はありません。史上最悪の災害となった御岳山の噴火、
霧島山系の硫黄山周辺、箱根大涌谷、桜島など、地震と同様、自然災害には穏
便に願いたいものです。
 
おらが故郷の富士を紹介しておきましょう。
 
蝦夷富士(羊蹄山)標高 1,989m
北海道には、この他に富士に似た山が16山あります。
 
津軽富士(岩木山)標高 1,625m
津軽の人々は、岩木山こそ日本一の美しい山で、本家を「駿河富士」と呼ばせ
たい思いがあるそうです。         
  
南部富士(岩手山)標高 2,038m
静岡県から見た富士山に似ており、片側が削げているように見えることから南
部片富士ともいわれています。   
  
吾妻富士(吾妻山)標高 1,707m
浄土平のシンボル、別名吾妻小富士山、本家と同様、摺り鉢状の火口には水は
たまっていません。初めて訪れたとき、山頂から見上げる一切経山は、霧がか
かり、地獄のような姿を見せてくれました。
  
榛名富士(榛名山)標高 1,391m
榛名山中央にある火口丘で榛名湖の東にそびえ、湖畔に映る姿は美しく、頂上
にある神社は縁結び、安産の神として信仰されています。
 
信濃富士(黒姫山)標高 2,053m
黒姫山は妙高、戸隠、飯綱、斑尾山と並ぶ信越五山の一つで、野尻湖へのびた
裾野には世界中から集められたコスモスが咲く黒姫高原があります。 
 
伊豆富士(大室山)標高 581m
お碗を伏せたようなやわらかな曲線の山で、山麓には35種3000本の桜を
栽培した「さくらの里」があり10月から翌年5月まで咲いているそうです。  
 
八丈富士(八丈島 西山)標高 854m
ひょうたん型に似た八丈島の北川にそびえる伊豆七島の最高峰、晴れていれば、
ご本家を眺望できます。
  
近江富士(三上山)標高 432m 
湖国のシンボル、俵藤太の「百足伝説退治」で知られています。
  
都富士(比叡山)標高 848m
天台宗総本山延暦寺のある山で、西側の宝が池公園から見ると「ふるさと富士」
に見えます。
  
有馬富士(角山)標高 374m 
北摂・三田(さんだ)八景の一つで、「有馬富士 ふもとの海は霧に似て 波
かと聞けば 小野の松風」と花山法皇が詠んだ花山院からの展望が絶景。
     
伯耆富士(大山)標高 1,711m
鳥取西部にある火山、中国地方の最高峰。中腹に大山寺があり、伯耆(ほうき)
富士、出雲富士ともいわれています。     
  
安芸富士(広島 似島)標高 278m
広島市の沖に浮かぶ似島で、原爆投下後、1万人もの被爆者が運びこまれた島。
安芸富士は8月6日を忘れません。
  
讃岐富士(飯野山)標高 421m 
台形型の代表である屋島、奇峰型の代表五剣山と共に香川県の山の典型。  
 
小富士(愛媛 興居島)標高 282m 
霊峰富士を思い切って縮小すると、こうなるという見本のようなミニ富士で、
興居島「ゴゴシマ」と読みます。
  
筑紫富士(浮岳)標高 805m
浮岳は、越前と肥前を分ける背振山地の西端にある山で、唐津焼きで有名な唐
津側から見ると富士の形に見えます。
  
豊後富士(由布岳)標高 1,584m
日本を代表する温泉地湯布院町にあり、西峰で360度の展望を楽しめ、独立
峰のため風が強く、冬は霧氷の名所として知られています。
 
薩摩富士(開聞岳)標高 922m          
三方を海に囲まれた裾野がきれいな山で日本百名山の一つ。特攻隊員が目に止
めた最後の内地の山。
 
パソコンで検索すると、標高2000メートルから300メートルに満たない
ミニ富士まで、四季折々の富士の山を見ることができます。いずれも見慣れた
コニーデ、円錐状の山で、あるものだなと感心してしまいます。
 
富士山の語源は、日本語説、アイヌ語説、南方語説などあり決め手はないそう
ですが、日本語説は、「『万葉集 巻3』の山辺赤人が詠んだ富士の歌に『不
尽山』と書いてあるところから、永久に尽きることない、千古万古にそびえ立
つ山という意味を込めて、あて字をしたものであろうと解釈する説」だそうで
す。
  田子の浦うち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
               万葉集巻3(318)
(「つい誰かに話したくなる雑学の本」P65 講談社文庫 刊 より要訳)
 
話は脇にそれますが、友人に少し斜に構えてものを見る面白い奴がいて、富士
の形は、国家権力を表すヒエラルキーだから、富士山を愛するなど「おめでた
い奴よ」とバカにしていましたね。ヒエラルキーとは、ピラミッド型の階層的
な組織のことですが、明治政府が国民に、日本は将軍に代わり、頂上に天皇を
いただく国であることを印象づけるための国策として、富士山をプロパガンダ
(思想などの宣伝)として利用したのだそうで、その証拠に、銭湯の壁面には、
必ず富士山と松と桜に青い海が描かれ、昔は内風呂のある家は少なく、銭湯を
利用していましたので、入る人は否応なしに見ることになりますから、「国家
権力に従順な人間をこしらえるための陰謀だったのよ」というのです。
 
4月に紹介しました桜が、軍国主義に利用されたことを考えれば、奴の考えも
的を射ているかなとも思いますが、平和な時代に生きる私には、桜も富士山も
平和のシンボルとみていいのではというと、
「だから、てめぇちは駄目な奴だというのよ!」と『吾輩は猫である』に出て
くる「クロ」の台詞をそっくり真似て、切って捨てられたものです。
奴は、難しい局面に出会うと、
     来て見れば 聞くより低し 富士の山
           釈迦や孔子も かくやあるらん  村田清風
と、うそぶいたものでした。村田清風は、司馬遼太郎の作品にしばしば登場し
ますが、幕末、長州藩の破産同然の財政を立て直した人です。
学生時代の話ですから、もう50数年前にもなりますが、人間の記憶は、摩訶
不思議な仕組みになっているようですね。すっかり忘れていたことが、突然、
よみがえってくるのですから。でも、奴のいうことが本当の話であったら、何
とも国家権力は、巧妙な手段をこうじるものだと舌を巻きますね。
 
神社の境内を散策するときや、富士の高嶺を仰いだときに感じる気持ち、あれ
が大和心なのではないかなどと、うっかり言おうものなら、「ケッ、年はきち
んと取りたいものよ!」と笑われたに違いありません。何事にも自分の意見を
一つ言わなければ気の済まない一言居士でしたから……。
 
奴は、日本のライオネル・ハンプトンといわれたビブラフォン奏者、スイング
ジャズの素晴らしさを教えてくれた私の尊敬する大先生、平岡精二氏(生意気
にも精ちゃんと呼んでいました!)の作った「あいつ」や「つめ」が大好きで
したが、二人とも冥界に旅立ってしまいました。
「あとに残された者は、いつまでも思い出を背負っていくものなんだな」など
と感傷的な言葉を並べようものなら、「キザは、およしよ!」と容赦なくやら
れるだろうな、奴のことだから……。奴の好きだった「つめ」、こういう歌詞
ですが、かなりのロマンチストであったことも間違いありませんね。
 
次号でお話ししますが、当時、社会派の流行作家として大活躍していた梶山季
之が、建築学会と設計に関する醜い争いを暴露した傑作「女の斜塔」の中で、
この歌を紹介しています。氏も精ちゃんのファンであったのかと思ったもので
す。その「女の斜塔」、今読んでも十分、読み応えがあり、素晴らしいストリ
ーテラーであることがわかります。小説もジャズも、面白いことが生命ですね。
    
 つめ   作詞 作曲 平岡精二
(1)二人暮らしたアパートを  一人ひとりで出て行くの
   すんだことなの今はもう  とてもきれいな夢なのよ
   あなたでなくてできはしない 素敵な夢を持つことよ
   もうよしなさい悪いくせ 爪を噛むのはよくないわ
 
(2)若かったのねお互いに あの頃のこと嘘みたい
   もうしばらくはこの道も 歩きたくないなんとなく
   私のことは大丈夫よ そんな顔してどうしたの 
   直しなさいね悪いくせ 爪を噛むのはよくないわ
 
精ちゃんの失恋の歌だと聞いていました。お相手は俳優の根上淳さんと結婚し
たペギー葉山さん。恥ずかしがり屋の精ちゃんが、つめを噛む姿を想像しがち
ですが、本当は、ペギーさんの癖だったそうです。
ペギーさんは大ヒットした「南国土佐を後にして」で、全国に知られるように
なりましたが、本当は江利ちえみさん(高倉健の元奥さん)、雪村いずみさん
と共に本格的なジャズを歌える、数少ないジャズシンガーだったのです。
 
ペギーさんのもう一つのビッグヒット曲、「蔦の絡まるチャペル」で始まる「学
生時代」は、青山学院時代に、当時の高等部の2年生であった精ちゃんが、男
子部校舎の窓から見ていたペギーさんの姿を見て作詩、作曲したもの。題名を
「大学時代」と決めていましたが、「大学に行っていない人もいるのだから」
とペギーさんが説得、最後は精ちゃんが折れたのだそうです。
 
正門から入って約1分、左側にあるベリーホール前に建てられた、歌詞と自筆
の譜面も刻み込まれた質素な歌碑で、青山学院初等部の学校説明会へ参加した
時には、必ず訪ねています。初めて歌碑を見たとき、50年ほど前の話ですが、
精ちゃんの演奏を聴くために、ジャズ喫茶に通っていた高校生時代を思い出し、
感無量でした。
「歌声喫茶」はロシア民謡などを、アコーディオンの伴奏で、みんなで歌えた
場所であり、「ジャズ喫茶」は、当時の一流ジャズメンの演奏を、一杯100
円のコーヒーで聴けたライブハウスで、70歳前後の方々には、青春時代のよ
き思い出の一つになっているのではないでしょうか。しかし、若い皆さん方に
は、何のことやらわからないかもしれませんが、年寄りの昔話と読み流してく
ださい。こだわりますが、「ライブハウス」は和製英語で、正しくは
“Live  music club”です(笑)。
ちなみに、学院の校歌である「青山学院」の作曲も精ちゃんです。ジャズプレ
ーヤーが、母校の校歌を作曲しているのも珍しいのではないでしょうか。
スーパーで踊った学生さん、「十字架背負ってナンパする」と揶揄された大学
で学んだ者で、大きなことは言えないが、恥ずかしい!
 
その立教大学にも歌碑があります。
鈴木章治(戦後のスイングジャズを支えた名クラリネット奏者)とピーナッツ
・ハッコー(アメリカのクラリネット奏者)が競演して大ヒットした「鈴懸け
の径」の歌碑です。6月の立教小学校の説明会の帰りに見てきましたが、4号
館前の鈴懸けの並木路に、ひっそりとたたずんでいました。もっとも大ヒット
をしたのは昭和30年代、作曲されたのは昭和17年ですから、無理のないこ
とかもしれません(笑)。
 
余談ですが、私の大好きなシカゴジャズの大御所、エデイー・コンドン(ギタ
ー奏者)とピーナッツ・ハッコーが共演している映像をYouTubeで視聴
できます。かつて来日した折に、一緒に演奏させて頂いたワイルド・ビル・デ
ビソン(コルネット奏者)も張り切って演奏しています。その時に収録したC
Dは、私の唯一のお宝。バンドマスターの丸山が吹いていたコルネットは、ト
ランペットより音色が柔らかいワイルド・ビルから譲ってもらった、かなり高
価な年代物で、今はプロのトランペッターに、彼の遺言で贈呈し、余生を送っ
ています。いつか一緒に演奏し、その音色を楽しみたいのですが、プロの方と
の演奏など、もう空恐ろしくて、できませんね(笑)。
 
梅雨も開け、夏本番。近所の雑木林では、かしましいほどセミが鳴いています
が、日中、35度を超えると、沈黙していますね。セミも暑いようです。
 
(次回は、「8月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第37号-
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第10章 終戦記念日、このことです   葉 月(2)
 
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。なぜ、鳩なのでしょうか。事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノ
アの方舟」なのですから驚きです。
   
「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよう
と考えました。しかし、正しい人「ノア」だけは救おうと、神は彼に方舟をつ
くるように命じました。
ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつがい
を乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて海
に沈みました。
数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。し
かし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻って
きました。
それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をくわ
えて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
 
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に
広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
  (「今さら誰にも聞けない555の疑問」
 平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
 
映画「天地創造」を思い出します。
歴史に「イフ」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
煙草のピースのデザインも変わっていたでしょうし、イトーヨーカ堂のロゴマ
ークにもなれなかったに違いありません。
煙草のピースですが、ヘビースモーカーであった私は、両切りにフィルターの
付いていないピースの愛好家の一人で、今でもそばでピースを吸われると、あ
の何とも言えない上品な香りに、クラクラとします。他の煙草の煙は今の私に
は単なる嫌な煙です。吸わない人には限りなく迷惑な煙害であることを、愛煙
者は十分に承知して吸ってほしいですね。禁煙してわかったのですが(笑)。
 
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。 
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あ
の鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人
気があるそうです。ところで、都会では、鳩とカラスが厄介者になりつつある
のも、不思議な縁ですね。
 
最近、知ったことですが、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続い
て、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と明記されていた文言も消えてしまっ
たそうです。ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、使
わなくなったと聞いたのですが、リオデジャネイロの入場式では使われません
でした。「五輪栄誉賞」の授賞式には登場したそうですが、残念ながら映像を
見ていません。
 
それにしても、東京五輪、何かとすっきりしませんね。「そもそもオリンピッ
クは、競技大会ではありませんか」と憎まれ口を叩きますが、選手抜きの祭典
になっているのではありませんか。だったら止めればいい。切磋琢磨している
選手の皆様には申し訳ないですよね。
 
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズ
ーポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、
童謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)
のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽
しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われ
ておらず、よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名
で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですが
YouTubeで聞けます。
(大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225より要約)
 
★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
平和のシンボルの話から一転して、自然の摂理についてお話しましょう、など
と気取ることはないのですが。
夏といえば、海水浴。海水パンツではなく、赤い褌(ふんどし)をしめて泳い
でいました。初めて海で泳いだとき、不覚にも海水を飲んでしまい、その辛い
こと、喉をゼイゼイならしながら鼻水を出した顔はゆがみ、こりているはずな
のに、またしても海水を目に入れたときの、あの痛さに泣いた記憶があります。
当然です。海水約4リットルには、およそ100グラムの塩が含まれています
から、塩辛いわけですし、目に入れば痛いわけです。
 
では、なぜ、塩辛くなるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が、雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたた
めに塩辛くなったのです。
 
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生まれ
たころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウムを
溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著
 PHP研究所 刊 P283)
 
この海水ですが、どこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出
し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
 
そして、当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
 
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
でも、酸性雨は別物で、これは恐ろしい。もっと「地球にやさしい暮らしをし
てほしい」と、地球自身が警告を発している気がしてなりません。
 
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
 
海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入っても
泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が出
て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈川
県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴とな
りました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本 裕之  講談社 刊 P64)
 
小学生の頃から、川や海で泳いでいましたから、夏になれば真っ黒に日焼けし
たものです。瀬戸内海の底まで澄んで見えるきれいな海に育った私は、東京に
出てきて、波がドーンと砕ける江ノ島の海岸に立ったとき、これが海かと信じら
れないほど汚く見えました。当時 (昭和25年頃)は、打ち寄せる波が砂を掘
り返すので汚れていたように見えたのですが、そこで大勢の人が泳いでいるの
ですから、びっくりしたものです。
 
高度成長時代に入り、河川や海洋汚染がすすみ、公害をもたらし、日本の至る
所で自然は壊され、無残な姿をさらけだしていました。自然と無邪気に遊べる
のは、子ども時代だけです。川や海で泳げないなど、私には想像できないこと
でした。10数年前になりますが、日本はおろか世界中の川や湖沼をカヌーで
旅をするリバー・ツーリングのスペシャリスト、野田知佑氏の本を読むたびに
憤慨していたものですが、憤慨しても何も始まらないだけに、虚しくなるだけ
でした。
 
ところが、最近、多摩川は地域の人々や関係者などの努力により、鮎が遡上す
るほど清流が戻り、「江戸前の鮎」を食べられるようになりました。それにつ
いては少し気になることがあります。平成24年は1、194万尾、25年は
645万尾、26年は541万尾、27年は435万尾、28年は463万尾、
そして今年は158万尾と減少していることで、何が原因なのでしょうか。
「乱獲」というほど鮎にはお目にかかりません。自然を壊すのは簡単ですが、
もとに戻すには、大変な資金と労力と時間がかかります。地道な努力を続ける
ことで、日本の自然は息を吹き返し、子ども達に自然を返してあげることがで
きるのではと大いに期待をしていますが、何とか原因を究明し頑張ってもらい
たいものです。
 
この鮎ですが、縄張り意識が強く、他の鮎が近づくと攻撃する習性があり、こ
れを利用したのが「鮎の友釣り」で、おとりの鮎を釣り竿につけ、縄張に近づ
け、攻撃する瞬間を狙って吊り上げるそうですが、最近、過密放流が原因か、
鮎自身が群れるようになり、このやり方では釣れなくなっていると新聞に出て
いましたが、世の中、うまくいかないもんですね(笑)。
 
話を戻しまして、野田知佑氏のエッセーは、どれを読んでもわくわくさせられ
ます。
特に、カヌー犬、ガクとの生活は、痛快そのものです。ガクの親は、野田氏と
椎名誠氏ですが、ガクは、人間だと思い込んでいるところがおもしろい。ガク
がご主人に内緒で外泊し(?)、朝帰りして言い訳する様子が、人間らしくて、
笑い転げましたね(大笑い)。
ちなみに、「岳物語」の主人公は、椎名氏の長男で、岳とガクが親友(?)で
あるところが、また、おかしい。「岳物語」は、私にとっては、父親とは何で
あるかを考えさせられた本でした。また、母親である渡辺一枝さんのエッセー
「時計のない保育園」も、育児の心構えを教えてくれた本でした。目下、孫た
ちとの楽しい奮戦記が、笑わせてくれます。
 
ところで、「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話
が残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者
と出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民
話ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り
続けているとなっていたような記憶があるからです。
 
◆塩ひき臼◆
金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に帰
ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねられま
す。
「この夜ふけに何をしているのだ」
「年神様に備える米がない」
といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小人
が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。必ず、
欲しがるから」
そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない宝
物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみると、
まだ、じいさんはいて、こういったのです。
「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止まる
ものだ」
家に帰って、むしろの上に臼を置き、
「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、
盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入れ、
石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと船で逃
げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べたのです
が、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、
「塩、出ろ!」
といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思い、止
めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続け、塩で
いっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んでいったので
した。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
 
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
 
ところで、最近、「花火のできない子どもが増えている」そうですが、我が家
の周りでも、小さな子どもがいなくなったせいもありますが、見かけませんね。
マンションではやる場所がない、近所の公園は花火禁止、花火を楽しむ空間が
ないということでしょうか。夏の夕涼みの楽しみの一つであり、日本の夏の風
物詩でもある花火。子ども達が楽しむ手持ち花火は、狭い場所でも、バケツに
水をくみ、その上で楽しんだものですが、皆さん方はどうしていますか。
 
27年の芥川賞は「花火」ではなく「火花」。芥川賞を貰えなかった太宰治は、
泉下で、どう思ったでしょうか。線香花火で終わるか、豪快な打ち上げ花火を
上げ、作家の仲間入りができるか、真価を問われるのは第2作、出ましたね。
自称、元作家志望の後期高齢者から一言、「よかった!」。とにかく受賞は、
大変なことなのですから。「称賛、少し羨望をこめて」(笑)
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」などについてお話
しましょう)
 
【お詫び】 前号の最後のところで、海沼実の作曲された曲の中に「夕焼け小
焼け」を紹介しましたが、私の思い違いで、正しくは「お猿のかごや」に訂正
させて頂きます。藤本
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号-
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第10章 終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」
の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡っ
てくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので
「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。これ
は、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、
私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が死
にました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命
が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ他国
の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけ
でも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、そ
の真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増
えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」
といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言
葉でしょう。
 
私は、長い間、宣戦布告もせず、真珠湾を奇襲攻撃し、戦争を始めたのは日本
であると思っていました。ところが、上智大学名誉教授である渡部昇一先生の
数々の著書や文芸春秋の名編集長であった堤堯氏の「ある編集者のオデッセイ
(戦争の仕掛人はルーズベルト大統領)」、西尾幹二氏の「日米百年戦争」
(徳間書房 刊)、山崎豊子さんの「二つの祖国」(上下 新潮社 刊)等に
は、マッカーサー元帥の言葉を裏づける事実が証明されているではありません
か。
 
そして、テレビでも放映された清朝が崩壊していく経緯を書いた破天荒な作品、
浅田次郎氏の「蒼穹の昴」(4巻 講談社 刊)で、欧米人は、肌の色の違う
人種を決して認めない「人種差別」と「宗教の違い」を指摘し、「気づかない
でいると大変なことになる」と憂慮していたことが現実となり、「石油」を絶
たれ、戦争でしか解決できないように追い込まれた結果、開戦のやむなきに至
ったのが、戦争の大きな原因ではなかったでしょうか。「日本は戦争をしたく
てやったのではない。仕掛けてきたのはアメリカやイギリスの白人達だ!」と
親父は、常に激怒していましたが、今は、その気持ちがよくわかってきました。
 
とは言え、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。しかし、戦時中は、
全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆ら
えません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させ
られたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘
です……。
※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙と
いう。(広辞苑)
 
「戦争反対」の四文字は、禁句の時代でした。叫ぶのも命がけです。非国民と
弾劾されながら、特高(特別高等警察の略。戦前の警察制度で政治思想関係を
担当した課の警察官のこと)の監視を逃れ、どれだけの人が戦えたか。このこ
とです……。その記録さえ、わずかしか残っていないのではないでしょうか。
戦時体制になれば、国を挙げて戦争に協力しなければなりません。しかも、そ
れが正義、正論として、まかり通ります。協力しなければ非国民となり、生活
できなくなるのですから。
 
若いお父さんやお母さん方は、知らないかもしれませんが、日本の軍隊が他国
の地で戦ったことを、その国の人々は忘れません。日本人なら、広島と長崎を
忘れられないのと同じです。
昭和20年8月6日、午前8時15分、B29 爆撃機 エノラ・ゲイ号、原
爆の名前はリトルボーイ、死者約14万人。
同年8月9日、午前11時2分、B29 爆撃機 ボックス・カー号、原爆の
名前はファットマン(太った男)、死者約7万人。リトルボーイとファットマ
ンで死者約21万人、ふざけた名前に腹立たしくなります。いまだに後遺症で
苦しんでいる日本人がいることを、アメリカ人は知っているのだろうか。
「戦後、原爆投下によって日本の降伏が早まったと、アメリカは宣伝したが、
それは全くの嘘である。新型爆弾の実験をしたかったというのが、本当のとこ
ろであろう」とは、左翼系の新聞が書きそうなことですが、朝日新聞と徹底的
に戦った渡部昇一先生の指摘です。
 
いや、同年3月の東京大空襲も同じです。東京だけではありません。長い歴史
と文化遺産のある奈良、京都の一部を除き、多くの都市で大勢の人々が殺され
ました。日本の木造家屋を燃やしやすいように、B29という爆撃機からガソリ
ンをまき、焼夷弾(建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入れた投下爆
弾や砲弾)を落としていったのです。しかも、命を奪われたほとんどの人が、
武器をもたない非戦闘員、ごく普通の市民です。
 
「永遠の0」でデビューした百田尚樹氏の作品に「海賊とよばれた男」があり
ます。第二次世界大戦から1970年代まで、石油の生産を独占していた7社、
国際石油資本「セブンシスターズ(7人の魔女)」と出光興産の創業者、出光
佐三(いでみつ さぞう)の戦いは、アメリカの戦略で石油を断たれ、南方に
侵出しなければならなかった、戦争を始めなければならなかった恨みを晴らす
かのような凄まじい闘魂には、涙なくして読めませんでしたが、それ以上にシ
ョックを受けたのは、この数字でした。
 
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、大
東亜戦争で失った徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁船
1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は60,000人
以上に上る。彼らの戦死率は約43パーセントと推察され、これは陸軍軍人の
約20パーセント、海軍軍人の約16パーセントをはるかに上回る数字である。
自ら身を守る手段を持たない船乗りたちは、命懸けで貴重な物資を日本に運び
続けたが、それでも国内の需要を満たすことができず、国民は慢性的な物質不
足に苦しんでいた。
(「海賊とよばれた男」 上巻 P373 講談社 刊) 
 
銃器や魚雷など武器を何も持たない船が、重装備をした軍艦に沈められたのは、
先にもお話しした日本の各都市をじゅうたん爆撃で徹底的に焼き尽くしたのと
同じではないですか。戦争で犠牲になるのは、国の根底を支える名も無き普通
の人々、つまり、私達です。平和ぼけしている日本人は、この事実を忘れかけ
ていないでしょうか。(合掌)
 
ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、
しっかりと伝えておきたいのです。何とか主義や何とかという思想のもとで、
戦争反対を叫ぶのとは違います。平和運動さえ派閥ができ亀裂が生じます。こ
れも、争いを生むもとですから、用心しなくてはいけません。戦争は、ゲーム
と違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に
「ゲーム・セット」ですから。現代っ子は、いとも簡単に人を殺めます、殺し
ます。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。人間と
して、生きとし生ける者の掟、それは「共生」「ともいき」ではないでしょう
か。これを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
 
しつこく繰り返しますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、
情操豊かな子に育つ環境を作ることです。そこから、自分自身で考え、行動す
る力が身につくからです。価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつ
のも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか
身につきません。などと年がいもなく青いことをほざいていますが、恥をかく
ついでにもう一言、「共生の反対は自己中心、自己中」です。自己中は、恥じ
ることを知らない人のことです。ハードボイルドの作品は、刺激が強すぎてあ
まり読まないのですが、レイモンド・チャンドラーの作品「プレイバック」に
は、「タフでなくては生きていけない。やさしくなければ生きる権利はない」
という忘れられない言葉があります。あまりにも強烈で座右の銘にできません
が、心だけはタフでありたいと念じています。
 
ところで、1982年6月の国連軍縮特別総会で、ケロイドの広がる自身の写
真を振りかざしながら、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた日本原水爆被害者
団体協議会の代表委員、山口仙二さんが平成25年7月6日に亡くなりました。
核兵器の犠牲者の存在を世界に知らしめた、鬼気迫る歴史的な瞬間でしたが、
どれだけの人がその業績をたたえ、冥福を祈ったでしょうか。
 
昨年の5月27日、オバマ大統領は、原爆慰霊碑の前で演説をしましたが、そ
の碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
は、核保有国が言うべき言葉ではないか。その国の首脳者こそ、国立広島原爆
死没者追悼平和祈念館に足を運び、地獄絵図を見るべきではないか。大統領が
爆心地を訪問したとはいえ、核兵器の廃絶を、本気になって考えた人々が、世
界中にどれほどいたか、そのことを思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ま
せん。8日に採択された「核兵器禁止条約」、核保有が戦争の勃発の抑止力に
なる、アメリカの核の傘の下にいるから安全、だから日本は賛成しないでは、
持った方が勝ちの世界になります。何時までたっても国の安全をアメリカの力
に頼っていては、本当の独立国といえないでしょう、情けない。
 
戦後、72年を迎え、戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化され
ているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事
実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために死んでいった人たちは
浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話では
ないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃってい
ます。
 
浅はかにも、万物の霊長などと威張っていますが、人間だけではないでしょう
か、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。他の動物も同じ仲間同士、争います
が、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬
がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状
態になると、何をしでかすかわからないのですから。宗教と民族の問題がから
むと、必ず、泥沼に落ち込みます。  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込ん
だ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡
の上には、こう書かれてあるそうです。
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
昨年、バングラデシュの首都ダッカで起きた武装集団のテロ事件、被害に遭わ
れた7名の同胞の方々に、何の落ち度があったのか。2度とあのようなテロ事
件を起こしてもらいたくない。
テロも怖いが、直ぐ近くに、核弾頭を装填したミサイル開発に力を入れている
国があることに、もっと恐怖を感じなければいけないのではと思いますが、若
い皆さん方は、どうお考えでしょうか。
 
ところで、少しひっかかる言葉があります。「終戦記念日」です。
これで、親父と大げんかになったことがありました。
「敗戦記念日ではないのですか」
「ばか者! わが日本は、神州不滅の国や。日本は敗けん。天皇陛下様におか
れては、人民の犠牲をすくのうするために、戦いをお止めになさったのや!」
アジアの国々を戦火に巻き込んだモンスターの正体を確認しなければ、「戦争
を起こした東洋の鬼畜」と非難だけされ、やがてこの国は、元気のない国に成
り下がってしまうのではないでしょうか。
 
国際化などといわれていますが、自国が起こした戦争だからと、むやみに平身
低頭して謝るだけでは、他国から馬鹿にされるだけです。きちんとした見識を
もっていなければ、国際人として通用しないことを、もっと真剣に考えるべき
ではないでしょうか。特に、これからの日本を背負ってたつ若い人達は、自虐
史観ではなく、自身の歴史観を身につける必要があります。「なぜ、日本は戦
争を起こしたか」、書店をのぞけば情報は山ほどあります。自分自身のためで
す、わが子のためです。お読みになって、自身の考えを持ち、お子さんに伝え
るべきではないでしょうか。「水に流す」は、日本民族独特の解決の仕方で、
外国では絶対に通用しません。
渡部昇一先生の遺作となりましたが、「渡部昇一の少年日本史」(致知出版 刊)」
も、お薦めしたい1冊です。まだ読んでいませんが、目次を見ると、既刊の
「[増補]決定版 日本史」(扶養文庫刊)が基になっていると思われます。その
本から紹介しましょう。これが自虐史観の正体です。
 
アメリカは、日本のような天然資源もない「持たざる国」がなぜ近代戦を戦え
たのかを分析し、「その源は日本精神にある」という答えにたどり着いたので
ある。その「日本精神」を破壊するために、勝者が敗者を裁くという公平性の
全くない東京裁判で、「戦前の日本は悪い軍国主義で、侵略国家である」と決
めつけた。そして日本に戦争責任のすべてをなすりつけ、日本人に自分たちが
悪かったという負の意識を徹底的に刷り込んだ、いわゆる「東京裁判史観」で
ある。
 ([増補]決定版 日本史 P278 扶養文庫 刊)
 
ところで、童謡に反戦歌があるのをご存知ですか。
「里の秋」です。
 
里の秋
作詞 斉藤 信夫   作曲 海沼 実 
 
一 静かな静かな 里の秋
  お背戸に木の実の落ちる夜は
  ああ、母さんと ただ二人
  栗の実煮てます 囲炉裏端
 
二 明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
  ああ、父さんの あの笑顔
  栗の実食べては 思い出す
 
三 さよならさよなら 椰子の島
  お船に揺られて 帰られる
  ああ、父さんよ ご無事でと
  今夜も母さんと 祈ります
*お背戸(裏口のこと)
 
終戦の年(1945年 昭和20年)の12月に、NHKの「外地引き上げ同
胞激励の午後」という番組で発表された曲で、兵隊になって戦地に行ったお父
さんが、引き上げ船に乗って帰ってくる、その日を待っている親子の気持ちを
歌ったものです。確か、古賀さと子さんという、可愛い童謡歌手が歌っていた
と記憶しています。しかし、当時は、こういった歌であるとは知りませんでし
た。
作曲者の海沼実は、児童合唱団「音羽ゆりかご会」の設立者で、川田正子、
孝子、美智子の三姉妹をはじめ多くの童謡歌手を育てたことでも知られていま
すが、若い皆さん方には、「みかんの花咲く丘」「見てござる」「夕焼け小焼
け」などの作曲者といった方が、うなずけるのではないでしょうか。
 
ところで、戦後、外地で苦労された人々の話はたくさん残されています。山崎
豊子さんの「不毛地帯」も忘れられない小説の一つですが、完成させてほしか
ったと悔やむ作品があります。平成26年2月に新潮社から1巻のみ発売され
た「約束の海」です。“海上自衛隊の潜水艦と釣り船が衝突、若き士官を待ち
受ける苛烈な日々。その父は昭和16年、真珠湾攻撃で捕虜となり生き残った
特攻隊員、「この日本の海を二度と戦場にしてはならぬ!」”、これがキャッ
チフレーズ。残念ながら山崎さんは平成25年9月29日に亡くなり、未完の
大作となってしまいましたが、残された構想を読むと3巻の予定で、最後まで
読みたくなりますね。(残念)
 
かつて、森村誠一氏が、友人であった「木枯し紋次郎」など380数冊の著者、
故笹沢佐保の絶筆となった未完の「海賊船幽霊丸」を完成させた例もあります。
「海賊と呼ばれた男」の百田尚樹氏に完成させてほしいと思っていたのですが、
「殉愛」を読み、「違うかな」と諦めました。……が、「カエルの楽園」を読
み、Daybreakを叩きまくったHundredに、また、希望を抱いてしま
いました(笑)。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話しましょう)
 

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