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さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落
月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁
が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめ
るので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。こ
れは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しか
し、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の
人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ3
00万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジ
アをはじめ他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずで
す。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、
その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会
も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であ
った」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー
元帥の言葉でしょう。
 
私は、長い間、宣戦布告もせず、真珠湾を奇襲攻撃し、戦争を始めたのは日
本であると思っていました。ところが、上智大学名誉教授である渡部昇一先
生の数々の著書や文芸春秋の名編集長であった堤堯氏の「ある編集者のオデ
ッセイ(戦争の仕掛人はルーズベルト大統領)」、西尾幹二氏の「日米百年
戦争」(徳間書房 刊)、山崎豊子さんの「二つの祖国」(上下 新潮社 刊)
などには、マッカーサー元帥の言葉を裏づける事実が証明されているではあ
りませんか。
 
そして、テレビでも放映された清朝が崩壊していく経緯を書いた破天荒な作
品、浅田次郎氏の「蒼穹の昴」 (4巻 講談社 刊)で、欧米人は、肌の色の
違う人種を決して認めない「人種差別」と「宗教の違い」を指摘し、「気づ
かないでいると大変なことになる」と憂慮していたことが現実となり、「石
油」を絶たれ、戦争でしか解決できないように追い込まれた結果、開戦のや
むなきに至ったのが、戦争の大きな原因ではなかったでしょうか。「日本は
戦争をしたくてやったのではない。仕掛けてきたのはアメリカやイギリスの
白人達だ!」と親父は、常に激怒していましたが、今は、その気持ちがよく
わかってきました。
 
とは言え、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。しかし、戦時中
は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民
は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を
交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、
1銭5厘です……。
 ※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤
紙という。(広辞苑)
 
「戦争反対」の四文字は、禁句の時代でした。叫ぶのも命がけです。非国民
と弾劾されながら、特高(特別高等警察の略。戦前の警察制度で政治思想関
係を担当した課の警察官のこと)の監視を逃れ、どれだけの人が戦えたか。
このことです……。その記録さえ、わずかしか残っていないのではないでし
ょうか。戦時体制になれば、国を挙げて戦争に協力しなければなりません。
しかも、それが正義、正論として、まかり通ります。協力しなければ非国民
となり、生活できなくなるのですから。
 
若いお父さんやお母さん方は、知らないかもしれませんが、日本の軍隊が他
国の地で戦ったことを、その国の人々は忘れません。日本人なら、広島と長
崎を忘れられないのと同じです。
昭和20年8月6日、午前8時15分、B29 爆撃機 エノラ・ゲイ号、
原爆の名前はリトルボーイ、死者約14万人。
同年8月9日、午前11時2分、B29 爆撃機 ボックス・カー号、原爆
の名前はファットマン(太った男)、死者約7万人。リトルボーイとファッ
トマンで死者約21万人、ふざけた名前に腹立たしくなります。いまだに後
遺症で苦しんでいる日本人がいることを、アメリカ人は知っているのだろう
か。
「戦後、原爆投下によって日本の降伏が早まったと、アメリカは宣伝したが、
それは全くの嘘である。新型爆弾の実験をしたかったというのが、本当のと
ころであろう」とは、左翼系の新聞が書きそうなことですが、朝日新聞と徹
底的に戦った故渡部昇一先生の指摘です。
 
いや、同年3月の東京大空襲も同じです。東京だけではありません。長い歴
史と文化遺産のある奈良、京都の一部を除き、多くの都市で大勢の人々が殺
されました。日本の木造家屋を燃やしやすいように、B29という爆撃機か
らガソリンをまき、焼夷弾(建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入
れた投下爆弾や砲弾)を落としていったのです。しかも、命を奪われたほと
んどの人が、武器をもたない非戦闘員、ごく普通の市民です。
 
「永遠の0」でデビューした百田尚樹氏の作品に「海賊とよばれた男」があ
ります。第二次世界大戦から1970年代まで、石油の生産を独占していた
7社、国際石油資本「セブンシスターズ(7人の魔女)」と出光興産の創業
者、出光佐三(いでみつ さぞう)の戦いは、アメリカの戦略で石油を断た
れ、南方に侵出しなければならなかった、戦争を始めなければならなかった
恨みを晴らすかのような凄まじい闘魂には、涙なくして読めませんでしたが、
それ以上にショックを受けたのは、この数字でした。
 
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、
大東亜戦争で失った徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁
船1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は60,00
0人以上に上る。彼らの戦死率は約43パーセントと推察され、これは陸軍
軍人の約20パーセント、海軍軍人の約16パーセントをはるかに上回る数
字である。自ら身を守る手段を持たない船乗りたちは、命懸けで貴重な物資
を日本に運び続けたが、それでも国内の需要を満たすことができず、国民は
慢性的な物質不足に苦しんでいた。
 (「海賊とよばれた男」 上巻 P373 講談社 刊) 
 
銃器や魚雷など武器を何も持たない船が、重装備をした軍艦に沈められたの
は、先にもお話しした日本の各都市をじゅうたん爆撃で徹底的に焼き尽くし
たのと同じではないですか。戦争で犠牲になるのは、国の根底を支える名も
無き普通の人々、つまり、私達です。平和ぼけしている日本人は、この事実
を忘れかけていないでしょうか。(合掌)
 
ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、
しっかりと伝えておきたいのです。何とか主義や何とかという思想のもとで、
戦争反対を叫ぶのとは違います。平和運動さえ派閥ができ亀裂が生じます。
これも、争いを生むもとですから、用心しなくてはいけません。戦争は、ゲ
ームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、
本当に「ゲーム・セット」ですから。現代っ子は、いとも簡単に人を殺めま
す、殺します。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけませ
ん。人間として、生きとし生ける者の掟、それは「共生」「ともいき」では
ないでしょうか。これを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事で
す。
 
しつこく繰り返しますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、
情操豊かな子に育つ環境を作ることです。そこから、自分自身で考え、行動
する力が身につくからです。価値観が多様化し、「何でもありの人生観」を
もつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考
えしか身につきません。などと年がいもなく青いことをほざいていますが、
恥をかくついでにもう一言、「共生の反対は自己中心、自己中」です。自己
中は、恥じることを知らない人のことです。ハードボイルドの作品は、刺激
が強すぎてあまり読まないのですが、レイモンド・チャンドラーの作品「プ
レイバック」には、「タフでなくては生きていけない。やさしくなければ生
きる権利はない」という忘れられない言葉があります。あまりにも強烈で座
右の銘にできませんが、心だけはタフでありたいと念じています。
 
ところで、1982年6月の国連軍縮特別総会で、ケロイドの広がる自身の
写真を振りかざしながら、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた日本原水爆被
害者団体協議会の代表委員、山口仙二さんが平成25年7月6日に亡くなり
ました。核兵器の犠牲者の存在を世界に知らしめた、鬼気迫る歴史的な瞬間
でしたが、どれだけの人がその業績をたたえ、冥福を祈ったでしょうか。
 
2016年5月27日、オバマ大統領は、原爆慰霊碑の前で演説をしました
が、その碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませ
ぬから」は、核保有国が言うべき言葉ではないか。その国の首脳者こそ、国
立広島原爆死没者追悼平和祈念館に足を運び、地獄絵図を見るべきではない
か。大統領が爆心地を訪問したとはいえ、核兵器の廃絶を、本気になって考
えた人々が、世界中にどれほどいたか、そのことを思うと、暗澹たる気持ち
にならざるを得ません。2017年7月に採択された「核兵器禁止条約」、
核保有が戦争の勃発の抑止力になる、アメリカの核の傘の下にいるから安全、
だから日本は賛成しないでは、持った方が勝ちの世界になります。何時まで
たっても国の安全をアメリカの力に頼っていては、本当の独立国といえない
でしょう、情けない。
 
戦後、73年を迎え、戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化さ
れているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実
は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人た
ちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民
話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっし
ゃっています。
 
浅はかにも、万物の霊長などと威張っていますが、人間だけではないでしょ
うか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。他の動物も同じ仲間同士、争いま
すが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、し
ま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。
極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。宗教と民族の問
題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込
んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、そ
の鏡の上には、こう書かれてあるそうです。 
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカで起きた武装集団のテロ
事件、被害に遭われた7名の同胞の方々に、何の落ち度があったのか。2度
とあのようなテロ事件を起こしてもらいたくない。
テロも怖いが、直ぐ近くに、核弾頭を装填したミサイル開発に力を入れてい
る国があることに、もっと恐怖を感じなければいけないのではと思いますが、
若い皆さん方は、どうお考えでしょうか。米朝会談、その成果はこれからで
しょう。
 
ところで、少しひっかかる言葉があります。「終戦記念日」です。
これで、親父と大げんかになったことがありました。
「敗戦記念日ではないのですか」
「ばか者! わが日本は、神州不滅の国や。日本は敗けん。天皇陛下様にお
かれては、人民の犠牲をすくのうするために、戦いをお止めになさったの
や!」
アジアの国々を戦火に巻き込んだモンスターの正体を確認しなければ、「戦
争を起こした東洋の鬼畜」と非難だけされ、やがてこの国は、元気のない国
に成り下がってしまうのではないでしょうか。
 
国際化などといわれていますが、自国が起こした戦争だからと、むやみに平
身低頭して謝るだけでは、他国から馬鹿にされるだけです。きちんとした見
識をもっていなければ、国際人として通用しないことを、もっと真剣に考え
るべきではないでしょうか。特に、これからの日本を背負ってたつ若い人達
は、自虐史観ではなく、自身の歴史観を身につける必要があります。「なぜ、
日本は戦争を起こしたか」、書店をのぞけば情報は山ほどあります。自分自
身のためです、わが子のためです。お読みになって、自身の考えを持ち、お
子さんに伝えるべきではないでしょうか。「水に流す」は、日本民族独特の
解決の仕方で、外国では絶対に通用しません。
渡部昇一先生の遺作となりましたが、「渡部昇一の少年日本史」(致知出版 
刊)」も、お薦めしたい1冊です。既刊の「[増補]決定版 日本史」(扶養文
庫刊)が基になっているのではないかと思いましたので、その本から紹介し
ましょう。これが自虐史観の正体です。
 
アメリカは、日本のような天然資源もない「持たざる国」がなぜ近代戦を戦
えたのかを分析し、「その源は日本精神にある」という答えにたどり着いた
のである。その「日本精神」を破壊するために、勝者が敗者を裁くという公
平性の全くない東京裁判で、「戦前の日本は悪い軍国主義で、侵略国家であ
る」と決めつけた。そして日本に戦争責任のすべてをなすりつけ、日本人に
自分たちが悪かったという負の意識を徹底的に刷り込んだ、いわゆる「東京
裁判史観」である。
    ([増補]決定版 日本史 P278 扶養文庫 刊)
 
 ところで、童謡に反戦歌があるのをご存知ですか。
 「里の秋」です。       
 
    里の秋
      作詞 斉藤 信夫   作曲 海沼 実 
 
      一 静かな静かな 里の秋
        お背戸に木の実の落ちる夜は
        ああ、母さんと ただ二人
        栗の実煮てます 囲炉裏端
 
      二 明るい明るい 星の空
        鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
        ああ、父さんの あの笑顔
        栗の実食べては 思い出す
 
      三 さよならさよなら 椰子の島  
        お船に揺られて 帰られる
        ああ、父さんよ ご無事でと  
        今夜も母さんと 祈ります  
     *お背戸(裏口のこと)  
 
終戦の年(1945年 昭和20年)の12月に、NHKの「外地引き上げ同
胞激励の午後」という番組で発表された曲で、兵隊になって戦地に行ったお
父さんが、引き上げ船に乗って帰ってくる、その日を待っている親子の気持
ちを歌ったものです。確か、古賀さと子さんという、可愛い童謡歌手が歌っ
ていたと記憶しています。しかし、当時は、こういった歌であるとは知りま
せんでした。なぜ、反戦歌になるのか、疑問に思われる方、「里の秋」でア
クセスしてみましょう。
作曲者の海沼実は、児童合唱団「音羽ゆりかご会」の設立者で、川田正子、
孝子、美智子の三姉妹をはじめ多くの童謡歌手を育てたことでも知られてい
ますが、若い皆さん方には、「みかんの花咲く丘」「見てござる」「あの子
はたあれ」などの作曲者といった方が、うなずけるのではないでしょうか。
 
ところで、戦後、外地で苦労された人々の話はたくさん残されています。山
崎豊子さんの「不毛地帯」も忘れられない小説の一つですが、完成させてほ
しかったと悔やむ作品があります。平成26年2月に新潮社から1巻のみ発
売された「約束の海」です。“海上自衛隊の潜水艦と釣り船が衝突、若き士
官を待ち受ける苛烈な日々。その父は昭和16年、真珠湾攻撃で捕虜となり
生き残った特攻隊員、「この日本の海を二度と戦場にしてはならぬ!」”、
これがキャッチフレーズ。残念ながら山崎さんは平成25年9月29日に亡
くなり、未完の大作となってしまいましたが、残された構想を読むと3巻の
予定で、最後まで読みたくなりますね。(残念)
 
かつて、森村誠一氏が、友人であった「木枯し紋次郎」など380数冊の著
者、故笹沢佐保の絶筆となった未完の「海賊船幽霊丸」を完成させた例もあ
ります。「海賊と呼ばれた男」の百田尚樹氏に完成させてほしいと思ってい
たのですが、「殉愛」を読み、「違うかな?」と諦めました。……が、「カ
エルの楽園」を読み、Daybreakを叩きまくったHundredに再び
希望を抱き、「今こそ、韓国に謝ろう」を読み、「何とかなるのでは!」な
どと、またしても期待を持ってしまいました(笑)。
   (次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについ
てお話しましょう)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第37号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(2)
 
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。なぜ、鳩なのでしょうか。事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノ
アの方舟」なのですから驚きです。
   
 「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよ
うと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつ
くるように命じました。
 ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつが
いを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて
海に沈みました。          
 数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻っ
てきました。
 それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をく
わえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
 
 この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広
まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」        
  平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
 
映画「天地創造」を思い出します。
歴史に「イフ」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
煙草のピースのデザインも変わっていたでしょうし、イトーヨーカ堂のロゴマ
ークにもなれなかったに違いありません。
煙草のピースですが、ヘビースモーカーであった私は、両切りにフィルターの
付いていないピースの愛好家の一人で、今でもそばでピースを吸われると、あ
の何とも言えない上品な香りに、クラクラとします。他の煙草の煙は今の私に
は単なる嫌な煙です。吸わない人には限りなく迷惑な煙害であることを、愛煙
者は十分に承知して吸ってほしいですね。禁煙してわかったのですが(笑)。
 
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。 
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あ
の鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人
気があるそうです。
ところで、都会では、鳩とカラスが厄介者になりつつあるのも、不思議な縁で
すね。
 
最近、知ったことですが、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続い
て、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と明記されていた文言も消えてしまっ
たそうです。ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、使
わなくなったと聞いたのですが、リオデジャネイロの入場式では使われません
でした。「五輪栄誉賞」の授賞式には登場したそうですが、残念ながら映像を見
ていません。
 
それにしても、東京五輪、何かとすっきりしませんね。「そもそもオリンピック
は、競技大会ではありませんか」と憎まれ口を叩きますが、選手抜きの祭典に
なっているのではありませんか。だったら止めればいい。切磋琢磨している選
手の皆様には申し訳ないですよね。聖火リレーの出発点が、福島に決まったと
か、でも、間に合うのかしら、そっちも心配ですね。
 
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズー
ポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童
謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)
のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽
しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われ
ておらず、よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名
で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞
けます。
         (大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225よ
り要約)
 
               ★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
平和のシンボルの話から一転して、自然の摂理についてお話しましょう、など
と気取ることはないのですが。
夏といえば、海水浴。海水パンツではなく、赤い褌(ふんどし)をしめて泳い
でいました。初めて海で泳いだとき、不覚にも海水を飲んでしまい、その辛い
こと、喉をゼイゼイならしながら鼻水を出した顔はゆがみ、こりているはずな
のに、またしても海水を目に入れたときの、あの痛さに泣いた記憶があります。
当然です。海水約4リットルには、およそ100グラムの塩が含まれていますか
ら、塩辛いわけですし、目に入れば痛いわけです。
 
では、なぜ、塩辛くなるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が、雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたた
めに塩辛くなったのです。
     
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生ま
れたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウム
を溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
 海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所 刊 P283)
 
この海水ですが、どこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、
38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
 
そして、当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
 
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
でも、酸性雨は別物で、これは恐ろしい。もっと「地球にやさしい暮らしをし
てほしい」と、地球自身が警告を発している気がしてなりません。
 
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
 
 海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入って
も泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が
出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈
川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴と
なりました。
    (心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本 裕之  講談
社 刊 P64)
 
小学生の頃から、川や海で泳いでいましたから、夏になれば真っ黒に日焼けし
たものです。瀬戸内海の底まで澄んで見えるきれいな海に育った私は、東京に出
てきて、波がドーンと砕ける江ノ島の海岸に立ったとき、これが海かと信じられ
ないほど汚く見えました。当時 (昭和25年頃)は、打ち寄せる波が砂を掘り
返すので汚れていたように見えたのですが、そこで大勢の人が泳いでいるので
すから、びっくりしたものです。
 
高度成長時代に入り、河川や海洋汚染がすすみ、公害をもたらし、日本の至る
所で自然は壊され、無残な姿をさらけだしていました。自然と無邪気に遊べる
のは、子ども時代だけです。川や海で泳げないなど、私には想像できないこと
でした。10数年前になりますが、日本はおろか世界中の川や湖沼をカヌーで
旅をするリバー・ツーリングのスペシャリスト、野田知佑氏の本を読むたびに
憤慨していたものですが、憤慨しても何も始まらないだけに、虚しくなるだけ
でした。
 
ところが、最近、多摩川は地域の人々や関係者などの努力により、鮎が遡上す
るほど清流が戻り、「江戸前の鮎」を食べられるようになりました。それについ
ては少し気になることがあります。平成24年は1、194万尾、25年は6
45万尾、26年は541万尾、27年は435万尾、28年は463万尾、
29年は158万尾と減少していることでしたが、30年は994万尾と平成
24年に次ぐ大量の遡上。自然を壊すのは簡単ですが、もとに戻すには、大変
な資金と労力と時間がかかります。地道な努力を続けることで、日本の自然は
息を吹き返し、子ども達に自然を返してあげることができるのではと大いに期
待をしています。
 
この鮎ですが、縄張り意識が強く、他の鮎が近づくと攻撃する習性があり、こ
れを利用したのが「鮎の友釣り」で、おとりの鮎を釣り竿につけ、縄張に近づ
け、攻撃する瞬間を狙って吊り上げるそうですが、最近、過密放流が原因か、
鮎自身が群れるようになり、このやり方では釣れなくなっていると新聞に出て
いましたが、世の中、うまくいかないもんですね(笑)。
 
話を戻しまして、野田知佑氏のエッセーは、どれを読んでもわくわくさせられ
ます。
特に、カヌー犬、ガクとの生活は、痛快そのものです。ガクの親は、野田氏と
椎名誠氏ですが、ガクは、人間だと思い込んでいるところがおもしろい。ガク
がご主人に内緒で外泊し(?)、朝帰りして言い訳する様子が、人間らしくて、
笑い転げましたね(大笑い)。
ちなみに、「岳物語」の主人公は、椎名氏の長男で、岳とガクが親友(?)であ
るところが、また、おかしい。「岳物語」は、私にとっては、父親とは何である
かを考えさせられた本でした。また、母親である渡辺一枝さんのエッセー「時
計のない保育園」も、育児の心構えを教えてくれた本でした。目下、岳の3人
の子どもを相手に、「孫はすべてが宝物」と語るエッセー「孫物語」が、笑わせ
てくれます。
 
ところで、「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が
残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と
出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話
ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続
けているとなっていたような記憶があるからです。
 
◆塩ひき臼◆
 金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
  ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に
帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねら
れます。
   「この夜ふけに何をしているのだ」
   「年神様に備える米がない」
  といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
 「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小
人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。
必ず、欲しがるから」
  そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない
宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみ
ると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
  「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止
まるものだ」
 家に帰って、むしろの上に臼を置き、
  「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
   といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
 そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、
盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入
れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと
船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べ
たのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、
  「塩、出ろ!」
   といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思
い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続
け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んで
いったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いので
す。
 
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
 
ところで、最近、「花火のできない子どもが増えている」そうですが、我が家の
周りでも、小さな子どもがいなくなったせいもありますが、見かけませんね。
マンションではやる場所がない、近所の公園は花火禁止、花火を楽しむ空間が
ないということでしょうか。夏の夕涼みの楽しみの一つであり、日本の夏の風
物詩でもある花火。子ども達が楽しむ手持ち花火は、狭い場所でも、バケツに
水をくみ、その上で楽しんだものですが、皆さん方はどうしていますか。
 
27年の芥川賞は「花火」ではなく「火花」。芥川賞を貰えなかった太宰治は、
泉下で、どう思ったでしょうか。線香花火で終わるか、豪快な打ち上げ花火を
上げ、作家の仲間入りができるか、真価を問われるのは第2作、出ましたね。
自称、元作家志望の後期高齢者から一言、「よかった!」。とにかく受賞は、大
変なことなのですから。「称賛、少し羨望をこめて」(笑)
 
7月6日(金)に「村上龍氏、芥川賞選考委員を辞任」と報じられましたが、
159回の選考で、北条祐子氏の「美しい顔」が候補に選ばれたこととは関係
ないようですが、権威がなくなってきたようです。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」などについ
てお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号-
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第9章(4)  七夕祭りでしょう   文 月
 
【七月に読んであげたい本】  
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
  やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、
上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見
つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたけ
れば、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてくだ
さい」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けた
ので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が
見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、
犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者
は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会
できたのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕
せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、
最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に
切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂
け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さ
まは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いて
しまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
  うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
      日本民話の会・編  国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思っ
たことを思い出します、何しろ、天女には、三保の松原が、最もお似合いの場
所だと信じていましたから。世界文化遺産に登録された富士山、三保の松原か
ら見た富士の姿は、見た人でなければわからないのではと心配していましたが、
わかっていた方が大勢いらっしゃったということですね。約7kmに渡る海岸
線に、およそ5万4千本の松が茂る、国指定の名勝、絶景です。富士山につい
ては、8月に詳しくお話しします。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少
年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子ど
もたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
◆お盆のはじまり◆
 七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お
盆の縁起を伝える話が残されています。
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を
引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の
川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たの
です。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜
の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人
が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお
前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自
慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだという
のです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字
ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、
カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大
王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を
集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養
を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽
浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野
菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日     七月のむかし話 谷 真介 編・著
 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、私は「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉か
ら、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではあり
ません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩
波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきな
のです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。「お
前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていた
のじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深い
ことばかり考えていたからだよ」。
少子化時代のお母さん、過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちま
す。被害者は、お子さん自身であることに、早く気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」   藤
原 兼輔 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社 刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。目下、孫バカにはまりそうで、自戒しています(笑)。
 
話に出てきた「羅漢」、小江戸と呼ばれる川越市の喜多院の境内にも、五百の
羅漢さんがいらっしゃいますが、同じ顔は一つもないそうです。喜多院には、
家光誕生の間や春日局が使っていた化粧の間があり、時の鐘、蔵造などと共に
欠かせない観光スポット。
なぜ、春日局が家光の乳母になれたのか、その訳は本能寺の変にあったのです。
本能寺の変は、信長が光秀に命じて家康を討つ手はずが狂い起きたもので、「な
ぬ!」と目をむきたくなる事実を、光秀の子孫にあたる明智憲三郎氏が「本能
寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫 刊)で解き明かしています。
なぜ、あの用心深い信長や家康が、わずかな手兵で本能寺へやってきたのか、
(家康を油断させて光秀に討たせるため)。なぜ、秀吉があれほど速く戦場か
ら引き返し光秀を討つことが出来たのか、(計画を知っていた)など、驚くこ
とばかり。謀反を事前に察知した家康は岡崎に帰り、甲斐、信濃の織田家に敵
対行動に出たが、光秀は秀吉に討ち取られる。加担した家康のことを知ってい
たが、口を割らずに処刑されたのが光秀の重臣であった斉藤利三、その娘がお
福で後の春日局。感謝の意味で乳母にしたとのことで、単細胞の私は、納得し
てしまいました(笑)。
 
そして光秀が本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句、「時は今天が下しる五月か
な」の「時」は「土岐一族」で、「天が下しる」は「天下を治(し)る、統治
する」、「六月には天下を取る」という意味で、光秀の謀反は土岐氏にとって
は再興の戦い。これは秀吉が書かせた「惟任退治記」にあるもので、この本を
もとに脚色され世に出たのが「明智軍記」、司馬遼太郎の「国盗り物語 全4
巻(新潮文庫 巻)」は、これを使ってベストセラーになったそうです。
 
本能寺の変は、秀吉、家康、幽斎の3人がかかわったことだが、光秀一人に責
任を負わされたと結ぶ。膨大な資料と子孫の意地が、ここまで切り込むことを
可能にしたのでしょう。何が起きてもおかしくない戦国時代、まだ新たな事実
を知る機会は残されていると思いました。(感謝)
 
それにしても不思議な存在が細川幽斎(藤孝)。長子、忠興の正室は、光秀の
妹、珠子、かの細川ガラシャ。再三の出陣の要請に応えなかった幽斎。「足利、
織田、秀吉、家康の4つの時代に生き、どの時代にも特別席に座り続けた、生
き方の名人」と司馬遼太郎は、「あとがき」で述べていますが、文武両道の達
人、戦国時代の生き様そのものに、度肝を抜かされますね。
蛇足ですが、松本清張の「火の縄」(講談社文庫 刊)では、珠子の違った性
格があぶり出されており、さすが巨匠とうなずかされる傑作もあります。
 
ちなみに、40万部売れたそうですが、「絶歌」は25万部売れたとか。パソ
コンで検索し、「神戸連続児童殺傷事件」(ウィキペディア)を読むと吐き気
をもよおすほど気分が悪くなり、自称、活字中毒気味の私ですが、読む気にな
れません。(激憤)2015年のことでしたが、どうなりましたか。
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさん
が風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細
いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさ
んの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんが死にました。行き先
は、地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲
に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さま
の耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたので
した。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからで
す。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にん
じんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使い
の者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって
上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが
引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、
亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足と
なり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来
たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にん
じんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取り
ついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。 
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
            日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、犍陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあ
さんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。こんなことをいうと、芥川龍之介のファンか
ら「生意気いうな!」とお叱りを受けそうですが、気の小さな私は、蜘蛛を踏
み潰さなかった?陀多の気持ちがよくわかりますし、このけちなばあさんのふ
てぶてしい言葉には、「さすが女性だな」と思うのですが、女性の方からブー
イングがあるかも知れません(笑)。こういった話に出会うと民話にも説得力
があり、読んでいて楽しくなります。
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」
(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかも
しれませんが、こういった話です。
 
においの値段
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいま
した。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓
をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、
ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれま
せんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
  といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたでは
ありませんか。
 「いくらですかな?」
  驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるな
ど、信じられなかったからです。
  「1月分ですから、ちょうど○○です」
  「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
   といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を
立てたのを聞いたけちべえさんは、
  「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払って
あげましょう」
   といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。私たちの世代にとってとんち話は、エ
スプリを磨くといってはオーバーですが、子ども達には人気がありました。し
かし、本は手に入らず、ほとんど祖父母や両親から聞いたものでした。今は、
あふれるほど本は出版されていますから、読まなければもったいないですね。
この「もったいない」という言葉、粗末に扱われているのではないでしょうか。
子ども達に、きちんと教えたい言葉です。
 
環境保護と民主化に情熱を注ぎ続けたケニアのワンガリ・マータイさんは、20
11年10月25日に亡くなりましたが、2005年に来日、「もったいない」
という言葉に感銘を受け、「MOTTAINAI キャンペーン」を世界中に
広めました。本家が無駄遣いをしているようでは、マータイさんも浮かばれま
せん。
「節電」を徹底し、無駄な電力は使わず、原子力発電だけに頼らなくても生活
できることを、実証すべきで、絵に描いた餅のようでは、いざという時に役立
ちません。計画停電や食料品、飲料水が、店頭から姿を消してしまった日のあ
ったことを忘れては、また自然災害が起きた時、後手に回り、塗炭の苦しみを
味わうだけではないでしょうか。
マータイさんは、私と同じ1940年生まれで、他人事とは思えず、私なりに
「もったいないキャンペーン」を心がけています。
「人の心に火をともす」、キャンペーンは、かくありたいものです。
 
昨年、幼稚舎の説明会へ参加した折、毎年見られた七夕飾りが、ありませんで
した。幼稚舎の子ども達の短冊に込められた願い事を知る機会でしたが、残念! 
今年は、7月14日に参加しますが、ちょっと遅いようで、だめかも知れませ
ん。七夕飾り、やっていますか。
   (次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第34号-
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第9章(3)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいますが、
これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりがお盆だ
から、こういう使い方をするのです。
 
正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあた
っての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、
師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があ
った。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会
(うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)
盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのであ
る。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社刊 P149)
 
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年 (606)に初めて催され、聖武天
皇天平5年 (733)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が「盆暮」と言葉
を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後期の終わりを暮
というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を意味するようになり、
盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている人に感謝の気持ちを
こめて、贈り物をするようになったのです。
「お年玉」と同様、「お盆玉」があるんですね。昨年4月に亡くなられた渡部昇一
先生は山形の出身で、ある随筆に「発祥の地は山形、江戸時代からある」と読
んだ記憶があります。今年も孫にやろうと思っていますが、家内からは「甘いん
だから!」とからかわれています(笑)。
 
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうりょう
まつり)があります。 
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った茎
のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼りに家に
帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの牛を内向き
に並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰ってくるとい
われているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをする意味でしょう。
私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
 
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほおずき、
ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうして久しぶりに
帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰めるということ
でしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたときに好きだった食
べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわれた新潟の酒)を1合
だけ、お願いしたいものです。
 
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになります。
これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、送り出す
ことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためでしょう。
 
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏様に
供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てるところも
あります。
 
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われていますが、
これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の京都は、
まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよくありませ
ん。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何やら風鈴の涼し
げな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませんか。
 
ところで、澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳シリーズ」は22巻になりました
が、その3巻目に、なぜ、大文字焼きは、大、左大文字、妙、法、舟形、鳥居か
らなっているか、その理由について、わかりやすい話が載っていましたので紹
介しましょう。
 
大文字と左大文字は、大乗仏教と小乗仏教をかたどり、妙と法は法華経
信仰に基づくもの、船形は七福神が船に乗って表されることから七福神、
または異国から到来した雑信仰を意味し、鳥居は申すまでもなく神道を
かたどったと考えたらいかがでござろう。
足利将軍義政公の頃、わが国は応仁の乱によって多くの人命が失われ申
した。京は死の町となった中から復興をとげました。それぞれ違った信
仰を持つ人々が集い、合議の末、かような行事を興したのではないかと、
私は考えております。
 (公事宿事件書留帳 三 拷問蔵  澤田ふじ子 著   幻冬舎 刊 P300)
 
平岩弓枝さんは江戸の「御宿かわせみ」(34巻 新シリーズ“7巻”)で、澤田さ
んは京都の公事宿「鯉宿」で、悪を懲らす時代小説(22巻)を書かれています
が、内容はいずれも、現代社会の悪行を暴いたものです。「罪を犯した厚顔無
恥な為政者は、さらし者にすべきだ」という澤田さんの憤りは、庶民の怒りであり、
読み始めると止まらなくなる事件書留帳です。茶道、立花、陶器、謡曲、日本
画、作庭など、京都文化に興味のある方必読の作品が、たくさん出版されてい
ます。蛇足ながら、11巻から始まった文芸評論家、縄田一男氏の解説が何とも
素晴らしく、毎回楽しみにしていたのですが、22巻でシリーズは終了。娘さん
の澤田瞳子さんが後を継ぐそうですが、残念ですね。しかし、「狐鷹の天(上
下) 徳間文庫 刊」を読み、十分に期待できそうでホッとしました。期待してい
ます!
 
本題に戻りまして、まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るために
捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太鼓と笛に合
わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場となり、夏に欠か
せないイベントの1つになっていますが、親子で「ドラえもん音頭」に合わせて
踊られてはいかがでしょうか。
 
余談になりますが、男子だけの立教小学校の入学試験に踊りを取り入れていま
す。照れ屋で、はにかみ屋で、小心で、用心深い男の子を躍らせるのは難しい
ことですが、お父さんが一緒に踊ってあげれば踊ります。盆踊りは絶好のチャ
ンス、受験を考えているお父さん、頑張ってください!
 
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力
で、夏の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今では
すっかり定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありま
せん。しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっています
から、おかしくないのでしょう。このサンバですが、みなさん上手です。「タンタン
ターン、タタンタターン♪」のリズムを完全にこなし、お見事の一言です。それも、
かなりの年配の方が、きちんとリズムをこなしています。しかも、実に楽しそうで
す。年配の方は、頭に手拍子、アクセントのある民謡でなければ、踊れないと思
っていましたが、認識を改めなくては怒られますね。本場のブラジルから応援
にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれま
す。
 
雷門から見つめる風神と雷神、仲見世を約300メートル行ったところにある宝
蔵門にどっしりと構えた仁王の目には、どのように映っているでしょうか。仁王の
お守りする御本尊は、宝蔵門の手前の浅草寺幼稚園の側にある「浅草寺縁
起」の絵で見ただけですが、小さな、小さな、何とも美しい観音様だからです。
この観音様は、信仰上の理由から普段、人には見せない秘仏ですが、長い間、
「実際に見た人はいないのではないか」といった話を小林秀雄と松本清張の対
談で読んだものと思っていました。ところが、今読んでいる梅原猛氏の影響を
受け、日本の神道と仏教の関係を調べようと、五木寛之氏の「百寺巡礼」(全10
巻 講談社 刊)を読み直していたところ、何と5巻目の「関東・信州編」の「41
番 浅草寺」に、この観音様の話が出ているではありませんか。明治に入り廃仏
毀釈の機運が高まった明治2年、役人が天皇の命令、勅命により厨子を強引
に開けさせたそうです。
 
すると、予想に反して、そこには確かにご本尊が祀られていたのでおそれい
った役人は、大切にせよと命じて、あわてて立ち去ったそうだ。これは松本
清張と樋口清之の共著「東京の旅」に書かれた一節だが、この話には続きが
ある。その時、手早い役人のひとりが、秘かに本尊をスケッチしてしまった
のである。このスケッチは昭和に入ってから遺族の手で寺に返され、今は浅
草寺が所蔵しているらしい。そのスケッチを見た人の話、というのが記され
ていた。焼けた跡がうかがえる高さ20センチほどの観音像で、両手が失われ
ていた。しかし、その意匠から、奈良時代頃の像であることは違いないという。
 (百寺巡礼 第5巻 関東・信州編 P20 五木寛之 著 講談社 刊)
 
五木氏も「秘仏が実在した記事を読み、ホッとしたような、がっかりしたような、妙
な気持ちだった」と書かれていますが、両手足が失われていたと知り、おいたわ
しい気持ちに落ち込み、浅草寺幼稚園のすぐそばにある「浅草寺縁起」の絵で
見たお姿を思い浮かべ、世の中、知らずに済めば、それに越したことはないも
のがあることを体験してしまいました。10月の神無月に紹介しますが、自説の
誤りに気づき出雲大社に出かけ、大国主命(おおくにぬしのみこと)に詫びた
梅原猛氏の謙虚な姿勢には頭が下がりました。スケールは大違いで恥ずかし
いのですが、私も真似て「小林秀雄と松本清張」ではなく、「松本清張と樋口清
之」の間違いであったことをお詫びいたします。何しろ、10年近く、自慢げに嘘
を書いていたのですから。(反省)
 
ところで、浅草寺には2つの大きな提灯があり、浅草のシンボルとして親しまれ
ています。入口の雷門には、「雷門」と書かれた提灯があり、高さ3.9メートル、
直径3.3メートル、重さ約700キロもあるもので、1865年に火災で焼失したも
のを、1960年に松下電器創業者の故松下幸之助の寄贈で95年ぶりに再現さ
れたものです。現在の提灯は6代目で、約10年ごとに新調されているそうで
す。
宝蔵門には「小舟町」と書かれ提灯があり、約4メートル、重さ260キロで、今か
ら300年ほど前に、日本橋の小舟町魚問屋の信徒が、江戸っ子の心意気を示
そうと、日本一大きな提灯を寄進したことから始まり、浅草寺の伝統として受け
継がれています。
 
ちなみに、浅草寺は正式には金龍山浅草寺といい、都内最古の寺院で、年間
約3千万人の参詣者が訪れます。民間信仰の中心地としてにぎわい、最近は、
外国人の姿も多くなっているようです。
 
余談になりますが、浅草寺のおみくじ、裏側は英語で書いてありますね。これだ
け多くの外人観光客が訪ねてくるのですから、浅草寺だけではないでしょうが、
知りませんでした。引いたおみくじは、ラッキーにも大吉で、“BEST 
FOUTUNE”と書いてありました。
 
少し脱線します。
観音様は、あのお顔といい、なまめかしいお姿といい、仏様に性別があると申し
上げるのも不謹慎なことですが、恥ずかしながら女性の仏様だと思っていたの
です。バカですね、笑ってください。先日、千葉県市川市にある国府台女子学
院に安置されている慈母観音様を拝見する機会に恵まれ、そのお姿が何とも
素晴らしく、後期高齢者の私は、はしなくも、しばらく見とれてしまいました
(笑)。
 
 本学院の「慈母観音」は女子校に飾られるということで、ご尊顔も一見笑み
を浮かべた女性のようで、おからだも柔らかく表現されているが、芳崖の「悲
母観音」のお顔に顎鬚が描かれているように、観音様は基本的には男性(正確
には性別を超越した存在)である。本学院の慈母観音像も胸元のあらわな装束
をお召しだが、これもこの理由だからである。誤解無きように。(笑)
  学院長 平田 史朗 (「国府台女子学院 広報 第157号」より)
 筆者注 顎鬚(あごひげ)
     芳崖 狩野芳崖のことで、幕末から明治期に活躍した日本画家で
     近代日本画の父。
 
慈母観音の作者、横江嘉純は、重要文化財に指定されている芳崖の「悲母観
音」を手本にしたそうですが、片手に水瓶(みずがめ)を提げ童子を慈しむお姿
は、女子校にぴったりの雰囲気をかもし出していました。氏は、アガベの像(東
京駅前)、愛の像(青山学院大学間島記念館)、祈りの像(広島平和記念公園)
などの作品で著名な彫刻家です。女子校の、しかも中高の校舎の正面玄関か
ら入った右側にある図書室の前に安置されていますから、残念ながら、いつで
も、気軽に、ご尊顔を拝することはできません(笑)。ところが、新装なった学園
の講堂、寿光殿は、中高の校舎内にあり、説明会はここで行われていますから、
参加するとお会いできることになったのです。「彦星と織姫と同じではないです
か!」と不謹慎にもつぶやき、希望を抱き、今年も明日、ご対面してきます。(感
謝)
 
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごった返
します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出ないも
のだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」であ
って、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激しくゆさ
ぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、そのた
めに、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
 
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための
乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたの
です。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていました。
その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったのです。
 (心を育てる 子ども歳時記 12か月  監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
 
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激しく
揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人の知
恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、コン
チキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭の
主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名な
悪い神様だそうです。
 
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。「節分」と一緒で年に4回ありま
す。前にもお話ししましたが、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞれの季節の始
まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その最初の日を
「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのですが、なぜか夏
の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょうか。それは、そ
れぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の名前がついている
からです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のことを「土用の丑の日」
といいます。
 
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビタミ
ン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバランスの
すぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何しろ「万葉
集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。読んでいる
と、思わず食べたくなる池波正太郎の食べ物に関するエッセーに、こういった
話があります。
 
かの万葉集に、
…石麻呂にわれ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り食(め)せ…
という一首がある。大伴家持の歌だ。そのころから、すでに、うなぎの豊かな
滋養が知られていたことになる。この歌でうなぎのことをムナギといっているのは、
うなぎの胸のあたりの淡黄色からついた名で、それが転じてうなぎとよばれるよう
になったのだそうな。
 
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、ステ
ーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無理でし
ょう。事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが
始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その
他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学
問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚
きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在で
あったわけです。源内のパトロンが、時の老中、田沼意次です。
 
私事で何ですが、池波正太郎の愛読者の一人で、「鬼平犯科帳」「剣客商売」
「仕掛人梅安」 など、何回読み返しても飽きません。この「剣客商売」の主人公、
秋山小兵衛の息、大治郎のお嫁さんが、田沼意次の実の娘、佐々木三冬です。
正妻の子でなかったために、佐々木家の養女となって登場しますが、女剣士、
妻、母親と変貌していく中で、物語に欠くことのできない重要な役目を果たして
います。意次は世評とは逆に、まつりごとに忙殺される政治家として描かれてい
ます。秋山小兵衛は、藤田まことの当たり役で、明治座で見たことがあり、歌が
うまいのにはびっくりしましたが、冥界に旅立ち、二度と見ることができなくなりま
した。
NHK大河ドラマ「真田丸」好評でしたが、氏にも「真田太平記」(新潮文庫12巻)
があり、言うまでもありませんが、傑作です。
 
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょん、
ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、うさぎ
は1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、よく理解
できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏教の影響
でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3匹とふ
えるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にしても、1本、
1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の方には、魔法のよ
うに思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だということですね。 
 
7月は、紀貫之の三十一文字で始まりましたから、最後は、俵万智さんの作品
から一首。
  「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日
7月6日は七夕の前日、この日だからいいのですね。バレンタインデーやクリス
マスイブでは、サラダ記念日は訴える力に欠けます。「わたくし流」ですから正し
い解釈かどうかわかりません。五七五七七に、こだわってみました。
      この味が いいねと君が いったから 
                七月六日は サラダ記念日
 
ところで、長い間、同じような感覚として、歌人で国文学の巨匠、土岐善麿 
(1885ー1980)作の「あなたは勝つものと……」を紹介していたのですが、とんで
もない誤解をしていたことを思い知らされました。「終戦の日を迎えて」と題した
コラムに、終戦後に詠んだ歌との解説があったのです。
 
  あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
 
「短歌研究 昭和21年3月号に掲載された「会話」という連作の冒頭の歌で、
次に、
「子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひ敗れよとしおもいのべるべかりしか」
という歌が続いていることはあまり知られていない。戦争に負けることは、味方の
犠牲が大きいということだから、戦争に行っている3人の子どもが死ぬことにつな
がる。親として子の死につながる敗戦を願うわけにはいかない、というわけである。
(コラム[紙つぶて] 筒井清忠 帝京大教授 東京新聞夕刊 
平成25年8月15日)
       
「老いたる妻のさびしげにいふ」理由が、敗戦だけではないことがわかり、「万智
さん以上に新鮮な感覚ですね、などとほざいては、どやされかねません。読み
流してください」などと、したり顔で紹介していたことが恥ずかしくなりました。(懺
悔)
 
今年の土用の丑の日は7月20日(金)と8月1日(水)ですが、我が家の食卓に
も、久しぶりに姿を見せるのではないかと期待していますが、……高そうですね
(笑)。
蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の
下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がのり美味
しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第33号-
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第9章(2)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
津波のもたらした痕跡が一掃されない被災地の皆様方には、七夕どころではな
いでしょうが、子ども達には、待ちかねている夏祭りではないでしょうか。昔
のように祭りを楽しむ日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。ゼウス
がパンドラに持たせた、あらゆる災いが詰まった箱(壺)を開けてしまい、中
から様々な災いが飛び出し世界中に散っていき、急いでふたをしたので希望だ
けが箱に残り、それから人間は酷いことにあっても希望を持つようになったと
いうギリシャの昔話「パンドラの箱」ではありませんが、希望の杖が、次第に
弱くなっているような気がします。追い打ちをかけるように発生した熊本地震、
人間は自然を征服できるわけがなく、共存共栄に徹しなければ、といっても何
ら具体的な考えは思い浮かばないのですが……。
 
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶた
を合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の
飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかし
くありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七
日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
 
  七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機
である。7月7日の夜、
  遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、聖なる乙女が機を
織る行事があり、
  その乙女を棚機女(たなばたつめ)、または乙棚機(おとたなばた)といっ
た。「七月七日の夕
  べの行事」であったために「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。
萬葉集には七夕は
  織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。「七夕」の字
は平安時代に当
  てられたものであることがわかる。
         (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞
社 刊 P121-122)
 
先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。
冗談はさておき、これも訳ありなのです。         
 
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、
平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の
上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日と
は別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思
い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行
事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕という
ことではありません。
 
  たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うの
は、どうもしっくり
  来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、8月7日な
らば一ヶ月延ば
  して行うという感覚が働いて、何となく旧暦という言葉のなかに埋め込ん
でしまえばわから
  ぬながら納得しようというものであろう。(中略)平均35日進んでいる現
行暦を30日戻すこ
  とになるから、季節感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけ
である。
        (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 
刊 P134)
  
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧
盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事です
から、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。お父さんも、お母さんも休みをとって、お子さんと
一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
 
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記
憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使って
いた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、
漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見てい
たのでしょう。プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見るのと、
どちらに夢があるでしょうか。
どなたの言葉かわかりませんが、「その国の発電量は文化のバロメーター」であ
るとか。しかし、明るくなって失ったものもたくさんあり、七夕にロマンを感
じなくなったのもその一つで、犠牲者は彦星と織姫ですが、実害は何もありま
せんから、話題にもならないようですね。
 
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、
流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、
七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説による
と記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れま
したが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめ
んには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がます
ような気がします。      
 
平成26年の暮れに亡くなられた宮尾登美子さんは、「そうめん大好き人間」で
した。
 
   そうめんは姿かたちも、のどごしのよさも、いまだに昔ながらのものだ
が、食べ方や製法
  についてはかなりいまふうになって来ているらしい。ただ私はガンコな保
守派で、つけめ
  んなんてとんでもない、茹でた三年そうめんを、昆布とカツブシのダシ汁
のなかに泳がせ、
  上にちょっぴり柚子をすりおろすだけの食べかた。これを毎年五月から九
月まで皆勤賞
  をもらえるほど、もう五十年以上毎昼食食べつづけている。
                (生きてゆく力 宮尾登美子 著 新潮文
庫 P133)
 
但し、ご主人は、おろし生姜のみで、柚子は邪道といって、ゆずらないそうで
す(笑)。かくいう私は、つけめん派で、茗荷と生姜の二本立て、ぬる燗の日本
酒と相性がよく、夏だけではなく、常に欠かせない酒の肴の一つです。
この後に、「満州の難民収容所の前後だが、餓死一歩手前で、毎晩の夢に必ずそ
うめんを見たものだ」と続くのですが、こういった過酷な戦争の体験が、宮尾
さんの作家魂を支えていたのではないかと勝手に思い込みながら、平和な時代
に生きていることを感謝しています。自叙伝的小説の主人公、綾子に5度目の
再会ができると期待していましたが、実現しませんでした。彼岸の地でも「な
めたらいかんぜよ!」と、だし汁にそうめんを泳がせて食べているでしょうか
(笑)。「鬼龍院花子の生涯」の夏目雅子さんの喪服姿が浮かんできます。
 
全くの余談になりますが、昨年の暮から、「そうめんより太くうどんより細い半
田オカベの麺」に変更、これが滅法うまくて、はまり込んでいます(笑)。
 
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
 
  茗荷という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のよう
な逸話があり
  ます。釈迦の弟子の周梨般特(スリバンドク)は熱心に修行をする好まし
い人物でした
  が、物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそうです。そこ
で釈迦が首
  から名札を下げさせました。彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきまし
た。生前自
  分の名を荷物のように下げていたことにちなんで、村人がこの草を「茗荷」
と名づけた
  という説があります。この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなると
いう俗説が生ま
  れました。        
(http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Myouga.htm より)
 
「名前を荷う」から「茗荷」とは、しゃれた名前を付けになったものですね。
物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊ま
っている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせ
るのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を貰うのを忘れてしまった
という、落語のような昔話があります。そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗
荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
 
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困
ったときの広辞苑によると、
「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」
「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、
日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」
と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そ
うめんと同じように植物油が塗られています。            
 
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと意
気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きちん
と、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1・3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素
麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
子どもの頃、母から冷麦とそうめんを区別するために、冷や麦には色のついた
麺が入っているのだと聞いたような気がするのですが、実際は、食感だけでは
なく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本ずつ色
麺を入れているそうです。数本しか入っていませんから、兄と取りっこをした
ものでした(笑)。
 
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントとい
う感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が
帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
 
  七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であ
った。人里離
  れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、翌日に七
夕送りをして、
  穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行事であった。盆に先立
つ、物忌みの
  ための祓えであった。
        (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 
刊 P122)
 
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何とい
っても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神様がいます。収穫祭は、
神様への感謝のお祭りでした。まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主
食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟
を神様に感謝したのです。この時に人々は、神様の乗り物として、きゅうりで
作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとし
て、ご先祖様の乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
                       
これは、私にも飾った記憶があります。こういった収穫祭とお盆を迎える「は
らえ」の信仰が、中国の星の伝説や「乞巧奠」の風習と混ざり合って、今の七
夕の行事ができたのです。しかし、先程もいいましたが、お盆は、8月の民族
大移動の15日前後、というイメージが強いのではないでしょうか。 
 
今回、「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」とは、 
「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあるときや、
神様にお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、「はらえ」は、
神様に祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行われ「おはらい」
です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、
伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」と
いって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古
いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳あり
なのですね。
 
最近、梅原猛氏の本を読みあさっていますが、この「みそぎはらえ」は、も
っと血なまぐさい政治上の儀式でもあったようで、何とか10月の神無月ま
でに結論を出したいと思っています。哲学者の解き明かす歴史上の事件は、
何とも凄まじく、のめりこむ一方で、藤原鎌足の子、藤原不比等は天智天皇
のご落胤であるとか、「竹取物語」でかぐや姫に求婚する倉持皇子のモデルで
あるとか、不比等が何やら大きなカギを握っているよう思われ、スライド式
の本棚の裏側に、眠りこけていた「古事記」と「日本書紀」を引っ張り出し、読
むはめになってしまいました(笑)。
「記紀」は読むのに根気がいりますが、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(梅
原 猛 著 新潮社 刊)と「楽しい古事記」(阿刀田 高 著 角川文庫 
刊)は、古事記に出てくる現地を探るルポルタージュで楽しく読ませてくれ
る優れものです。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第32号-
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第9章(1)  七夕祭りでしょう   文 月
 
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくなる
ようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようですが、
七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事ですから、
これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からとする説もある
そうです。
 
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
 
 たなばたさま
 作詞 林 柳波   作曲 下総 皖一
 
  一、 笹の葉さらさら       二、 五色の短冊
     軒端にゆれる           私が書いた
     お星さまきらきら          お星さまきらきら
     金銀砂子             空から見てる
 
何とものどかで、暑さも吹き飛び、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織姫星
も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イメー
ジが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの一つ
です。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。かの、
紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
 
   七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
 
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣き
と詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現す
るのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはり素晴らし
いことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささかオーバーですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化
は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句
を作ることもその一つではないでしょうか。小学生になると、特に教えなくても、
「五七五」の俳句を作るのですから。
 
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝
いをしているでしょうか。30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、七夕
祭りは選ばれていませんでしたが、幼稚園や保育園、小学校での夏のイベン
トになってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、中国
の星の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。   
 
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
 
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、
鮮やかな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、
天の川の西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後
は、機織りをしないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東
に帰らせた。ただ7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのであ
る。日本で最もよく知られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼし
が愛し合っていながら一年に一度しか会えないという物語が日本人の共感
を呼んで、万葉集の時代から「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せ
たのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 
P134-124)
 
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天女の
証(あかし)です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡が
なく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、文
章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄に飾
り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用いられていま
すが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、“To be natural and 
flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、類似語は、今で
もよく使われている「天真爛漫」です。
 
ところで、七夕の2つの星、彦星と織姫星は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から16光年の彼方
にあり、太陽の8倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、その16
倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側にある2つ
の星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
 
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。 
  
   星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
   おだになからましかば、まいて
       (第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊) 
 
すばるは、牡牛座にある星団プレアデスの和名、ひこぼしは、牽牛です。ゆふ
づつは、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、よばいぼしは、流
れ星のことです。 「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾は流
れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、ご存
知なかったことでしょうね。    
 
織姫、織女星は、琴座の1等星ヴェガのことで、地球から26光年離れ、明るさ
も太陽の48倍もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ヴ
ェガと天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ
星とで作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったのでしょう
けれども、記憶のかけらもありません。
 
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、
天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立
てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれの
伝説らしく、スケールが大きいですね。
 
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の
人々の注目を集めていました。
  
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の
川で銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえら
れ「乳の道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。 これはギリシャ神
話で、力持ちのヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強
く吸ったため、こぼれてできたといわれているからです。
 (心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊
 P65)
 
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、重
要な行事があり、こう書いてあるそうです。
 
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸
を通し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物
が上手になることを祈った」 
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 
P132)
 
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事
が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするようにな
ったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、笹
の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のように布か
ら紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手になること
よりも、ピアノが上手く弾けるようにとか何とか、何やら、椎名 誠氏風の表現で
恐縮ですが、願望成就希望達成型に変身したようです。
 
しかし、無理もない話です。
お母さん方、針を持って縫えますか。いや、その前に、裁縫箱を持っています
か。裁縫が上手になりたいと思っているお母さん方、いらっしゃるでしょうか。
何ですか、「……ますか、……ますか、……でしょうか」で、頼りのない話で
す。
「良妻賢母」が「料裁健母」と置き換えられた時代がありました。今は、「料裁健
夫」でなければ、お嫁さんにきてもらえないのでしょうか。独身男性が、増える
わけです。いや、嫁にきてもらうなどと消極的な考えでは、女性に敬遠される
のではないでしょうか。嫁さんは、自分で探すものです。
 
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
 
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほ
ど成長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托
し、天に届くようにと気持ちをこめたのです。
  (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
 
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入り
ました。
 
余談になりますが、12月に紹介しました妙心寺の沙羅双樹の花、「沙羅の花
を愛でる会」が6月15日から始まりました。抹茶と精進料理が賞味できるそうで、
普段は非公開ですから、地元の人が羨ましいですね(笑)。会は30日までで
すが、You Tubeでも少し楽しめます。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか他」についてお話ししまし
ょう)
 

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