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めぇでるコラム : 2018年7月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>面接ケース・スタディー2

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第36
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面接 ケース・スタディー編 (2)
「あれっ、あの人………?」
 
何が起こるかわからないのが、幼児の世界です。
今まで静かに待っていたユミちゃんは、係りの先生が呼びに来たので、立ち上
がりました。
面接室の前まで来たのですが、中をのぞいたところで、急に、お母さんの後ろ
に隠れてしまったのです。
何が起きたのでしょうか。
 
「幼稚園の先生とお話しをするだけだから、こっちへ出てきなさい!」
お母さんが、振り返るなり、ユミちゃんの手を強く引っ張ったのです。 
いやいやをしながら、今にも泣き出さんばかりです。
困ったことに、面接をする先生方からは、よく見える位置でした。
 
「パパと手をつないでいこうね!」
この一言で、先生方の前まで進みましたが、心は不安で、いっぱいです。
見かねた先生が、
「今日は、ユミちゃんですね!」
と声をかけてくれたのですが、返事をしたユミちゃんの声は、当然のごとく、
小さく、かぼそかったのです。
それこそ消え入るような声でいえたのがやっとでした。
「大きな声で答えなければ、先生方に聞こえないでしょう!」
きつい追い打ちです、何を考えているのでしょうか。
 
このような事態になったのは、実は、ユミちゃんがシスターを見るのは、初め
てだったからです。
それで、びっくりしてしまったのでした。
よく聞く話です。
気配りが足りません、あまりにも不用意ではないでしょうか。
 
入園説明会などは、
「小さなお子さんをお連れにならないでください」
といっていますし、普段、園内には入れません。
しかし、いくらでも方法はあります。
外からの見学は自由ですから、降園時などに行ってみましょう。
 
「一人っ子で、私が余りにも手をかけ過ぎたせいでしょう、初めての人と会っ
たり、初めてのところへ行くと、すっごく、用心深くなるんです。主人も『見
せておいたほうがいいよ』と心配し、それで、受験する幼稚園の周りを何回も
散歩とかにぃ、出かけました。
ある時、シスターさんが出てこられたのです。
娘は、予想通り、私の後ろに隠れ、スカートを力いっぱい握りしめているんで
す。
私は、『こんなチャンスはないわ!』と自分にいい聞かせ、意を決し、
『今日は!』
と、あいさつしました。
すると、シスターさんもあいさつしてくださったばかりか、娘に向かって、
『今日は、お嬢さん!』
と言葉をかけてくれたのです。
小さな声でしたが、娘もあいさつでき、力が入っていたスカートを握る手もゆ
るみ、
『ママ、だあれ?』
と聞かれ、私の説明に納得し、うなずいていました。
面接が終わったあとで、
『ママ、この間の、おばちゃまですよね?』
といった程度の認識なんですが、やはり、見せておいてといっては失礼ですが、
よかったと思います」
 
この気配りです。
シスターには悪いのですが、見たことのない子には、奇妙な感じを与えないで
しょうか。
怒られそうですが、映画で見るようなシスターとは違いますし、普段、見慣れ
ていないはずだからです。
当日が本番では、ユミちゃんのようになりかねません。
しかし、お母さん、「すっごく」や「散歩とかにぃ………」は、もう卒業しま
しょう、お子さんのためですよ。
 
また、幼児の初体験は、大人の想像を遥かに越えた大変なものです。
たとえば、園舎です。
校舎に比べれば小さい建物ですが、それでも幼児にとっては、相当、大きく見
えます。
それだけで、萎縮してしまうのが子どもです。
見慣れておくことも大切ではないでしょうか。
できれば試験前に、お父さんにはひげをそってもらい、当日、着ていくだろう
スーツを着、3人で出かけておきましょう。
初めての場所は、大人でも緊張しがちだからです。
 
まだ、あります。
入試当日は、大勢の親子が集まります。
お子さんは、そんな体験をしていないはずです。
「どうなっているのだろう?」
ほとんどの子は、驚いています。
「ママ、帰る!」
こういう子もいるそうです。
びっくりして、感情の揺れ動く気持ちを、しっかりと理解しておきましょう。
 
ましてや、動揺しているわが子に、
「聞こえないでしょう!」
と追い打ちをかけるようでは、母親、いや、保護者としていかがなものでしょ
うか。
私は、その資格なしだと思います。
見ているシスターの心も、おそらく怒りでふるえていたはずです。
こういう無神経な母親には、試験を受けてもらいたくないでしょうね。
合格するはずはありません。
 
幼い子どもの、微妙な心のざわめきを察知できないようでは、保護者とはいえ
ません。
幼稚園の受験の難しいことを、しっかりと心に刻んでいただきたいと思います。
 
梅雨も明け、猛暑が続き、夏本番です。お子さんの健康管理には、充分に気を
つけてあげましょう。
 (次回は、面接ケース・スタディー編 3についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落
月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁
が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめ
るので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。こ
れは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しか
し、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の
人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ3
00万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジ
アをはじめ他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずで
す。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、
その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会
も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であ
った」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー
元帥の言葉でしょう。
 
私は、長い間、宣戦布告もせず、真珠湾を奇襲攻撃し、戦争を始めたのは日
本であると思っていました。ところが、上智大学名誉教授である渡部昇一先
生の数々の著書や文芸春秋の名編集長であった堤堯氏の「ある編集者のオデ
ッセイ(戦争の仕掛人はルーズベルト大統領)」、西尾幹二氏の「日米百年
戦争」(徳間書房 刊)、山崎豊子さんの「二つの祖国」(上下 新潮社 刊)
などには、マッカーサー元帥の言葉を裏づける事実が証明されているではあ
りませんか。
 
そして、テレビでも放映された清朝が崩壊していく経緯を書いた破天荒な作
品、浅田次郎氏の「蒼穹の昴」 (4巻 講談社 刊)で、欧米人は、肌の色の
違う人種を決して認めない「人種差別」と「宗教の違い」を指摘し、「気づ
かないでいると大変なことになる」と憂慮していたことが現実となり、「石
油」を絶たれ、戦争でしか解決できないように追い込まれた結果、開戦のや
むなきに至ったのが、戦争の大きな原因ではなかったでしょうか。「日本は
戦争をしたくてやったのではない。仕掛けてきたのはアメリカやイギリスの
白人達だ!」と親父は、常に激怒していましたが、今は、その気持ちがよく
わかってきました。
 
とは言え、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。しかし、戦時中
は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民
は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を
交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、
1銭5厘です……。
 ※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤
紙という。(広辞苑)
 
「戦争反対」の四文字は、禁句の時代でした。叫ぶのも命がけです。非国民
と弾劾されながら、特高(特別高等警察の略。戦前の警察制度で政治思想関
係を担当した課の警察官のこと)の監視を逃れ、どれだけの人が戦えたか。
このことです……。その記録さえ、わずかしか残っていないのではないでし
ょうか。戦時体制になれば、国を挙げて戦争に協力しなければなりません。
しかも、それが正義、正論として、まかり通ります。協力しなければ非国民
となり、生活できなくなるのですから。
 
若いお父さんやお母さん方は、知らないかもしれませんが、日本の軍隊が他
国の地で戦ったことを、その国の人々は忘れません。日本人なら、広島と長
崎を忘れられないのと同じです。
昭和20年8月6日、午前8時15分、B29 爆撃機 エノラ・ゲイ号、
原爆の名前はリトルボーイ、死者約14万人。
同年8月9日、午前11時2分、B29 爆撃機 ボックス・カー号、原爆
の名前はファットマン(太った男)、死者約7万人。リトルボーイとファッ
トマンで死者約21万人、ふざけた名前に腹立たしくなります。いまだに後
遺症で苦しんでいる日本人がいることを、アメリカ人は知っているのだろう
か。
「戦後、原爆投下によって日本の降伏が早まったと、アメリカは宣伝したが、
それは全くの嘘である。新型爆弾の実験をしたかったというのが、本当のと
ころであろう」とは、左翼系の新聞が書きそうなことですが、朝日新聞と徹
底的に戦った故渡部昇一先生の指摘です。
 
いや、同年3月の東京大空襲も同じです。東京だけではありません。長い歴
史と文化遺産のある奈良、京都の一部を除き、多くの都市で大勢の人々が殺
されました。日本の木造家屋を燃やしやすいように、B29という爆撃機か
らガソリンをまき、焼夷弾(建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入
れた投下爆弾や砲弾)を落としていったのです。しかも、命を奪われたほと
んどの人が、武器をもたない非戦闘員、ごく普通の市民です。
 
「永遠の0」でデビューした百田尚樹氏の作品に「海賊とよばれた男」があ
ります。第二次世界大戦から1970年代まで、石油の生産を独占していた
7社、国際石油資本「セブンシスターズ(7人の魔女)」と出光興産の創業
者、出光佐三(いでみつ さぞう)の戦いは、アメリカの戦略で石油を断た
れ、南方に侵出しなければならなかった、戦争を始めなければならなかった
恨みを晴らすかのような凄まじい闘魂には、涙なくして読めませんでしたが、
それ以上にショックを受けたのは、この数字でした。
 
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、
大東亜戦争で失った徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁
船1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は60,00
0人以上に上る。彼らの戦死率は約43パーセントと推察され、これは陸軍
軍人の約20パーセント、海軍軍人の約16パーセントをはるかに上回る数
字である。自ら身を守る手段を持たない船乗りたちは、命懸けで貴重な物資
を日本に運び続けたが、それでも国内の需要を満たすことができず、国民は
慢性的な物質不足に苦しんでいた。
 (「海賊とよばれた男」 上巻 P373 講談社 刊) 
 
銃器や魚雷など武器を何も持たない船が、重装備をした軍艦に沈められたの
は、先にもお話しした日本の各都市をじゅうたん爆撃で徹底的に焼き尽くし
たのと同じではないですか。戦争で犠牲になるのは、国の根底を支える名も
無き普通の人々、つまり、私達です。平和ぼけしている日本人は、この事実
を忘れかけていないでしょうか。(合掌)
 
ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、
しっかりと伝えておきたいのです。何とか主義や何とかという思想のもとで、
戦争反対を叫ぶのとは違います。平和運動さえ派閥ができ亀裂が生じます。
これも、争いを生むもとですから、用心しなくてはいけません。戦争は、ゲ
ームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、
本当に「ゲーム・セット」ですから。現代っ子は、いとも簡単に人を殺めま
す、殺します。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけませ
ん。人間として、生きとし生ける者の掟、それは「共生」「ともいき」では
ないでしょうか。これを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事で
す。
 
しつこく繰り返しますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、
情操豊かな子に育つ環境を作ることです。そこから、自分自身で考え、行動
する力が身につくからです。価値観が多様化し、「何でもありの人生観」を
もつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考
えしか身につきません。などと年がいもなく青いことをほざいていますが、
恥をかくついでにもう一言、「共生の反対は自己中心、自己中」です。自己
中は、恥じることを知らない人のことです。ハードボイルドの作品は、刺激
が強すぎてあまり読まないのですが、レイモンド・チャンドラーの作品「プ
レイバック」には、「タフでなくては生きていけない。やさしくなければ生
きる権利はない」という忘れられない言葉があります。あまりにも強烈で座
右の銘にできませんが、心だけはタフでありたいと念じています。
 
ところで、1982年6月の国連軍縮特別総会で、ケロイドの広がる自身の
写真を振りかざしながら、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた日本原水爆被
害者団体協議会の代表委員、山口仙二さんが平成25年7月6日に亡くなり
ました。核兵器の犠牲者の存在を世界に知らしめた、鬼気迫る歴史的な瞬間
でしたが、どれだけの人がその業績をたたえ、冥福を祈ったでしょうか。
 
2016年5月27日、オバマ大統領は、原爆慰霊碑の前で演説をしました
が、その碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませ
ぬから」は、核保有国が言うべき言葉ではないか。その国の首脳者こそ、国
立広島原爆死没者追悼平和祈念館に足を運び、地獄絵図を見るべきではない
か。大統領が爆心地を訪問したとはいえ、核兵器の廃絶を、本気になって考
えた人々が、世界中にどれほどいたか、そのことを思うと、暗澹たる気持ち
にならざるを得ません。2017年7月に採択された「核兵器禁止条約」、
核保有が戦争の勃発の抑止力になる、アメリカの核の傘の下にいるから安全、
だから日本は賛成しないでは、持った方が勝ちの世界になります。何時まで
たっても国の安全をアメリカの力に頼っていては、本当の独立国といえない
でしょう、情けない。
 
戦後、73年を迎え、戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化さ
れているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実
は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人た
ちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民
話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっし
ゃっています。
 
浅はかにも、万物の霊長などと威張っていますが、人間だけではないでしょ
うか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。他の動物も同じ仲間同士、争いま
すが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、し
ま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。
極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。宗教と民族の問
題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込
んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、そ
の鏡の上には、こう書かれてあるそうです。 
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカで起きた武装集団のテロ
事件、被害に遭われた7名の同胞の方々に、何の落ち度があったのか。2度
とあのようなテロ事件を起こしてもらいたくない。
テロも怖いが、直ぐ近くに、核弾頭を装填したミサイル開発に力を入れてい
る国があることに、もっと恐怖を感じなければいけないのではと思いますが、
若い皆さん方は、どうお考えでしょうか。米朝会談、その成果はこれからで
しょう。
 
ところで、少しひっかかる言葉があります。「終戦記念日」です。
これで、親父と大げんかになったことがありました。
「敗戦記念日ではないのですか」
「ばか者! わが日本は、神州不滅の国や。日本は敗けん。天皇陛下様にお
かれては、人民の犠牲をすくのうするために、戦いをお止めになさったの
や!」
アジアの国々を戦火に巻き込んだモンスターの正体を確認しなければ、「戦
争を起こした東洋の鬼畜」と非難だけされ、やがてこの国は、元気のない国
に成り下がってしまうのではないでしょうか。
 
国際化などといわれていますが、自国が起こした戦争だからと、むやみに平
身低頭して謝るだけでは、他国から馬鹿にされるだけです。きちんとした見
識をもっていなければ、国際人として通用しないことを、もっと真剣に考え
るべきではないでしょうか。特に、これからの日本を背負ってたつ若い人達
は、自虐史観ではなく、自身の歴史観を身につける必要があります。「なぜ、
日本は戦争を起こしたか」、書店をのぞけば情報は山ほどあります。自分自
身のためです、わが子のためです。お読みになって、自身の考えを持ち、お
子さんに伝えるべきではないでしょうか。「水に流す」は、日本民族独特の
解決の仕方で、外国では絶対に通用しません。
渡部昇一先生の遺作となりましたが、「渡部昇一の少年日本史」(致知出版 
刊)」も、お薦めしたい1冊です。既刊の「[増補]決定版 日本史」(扶養文
庫刊)が基になっているのではないかと思いましたので、その本から紹介し
ましょう。これが自虐史観の正体です。
 
アメリカは、日本のような天然資源もない「持たざる国」がなぜ近代戦を戦
えたのかを分析し、「その源は日本精神にある」という答えにたどり着いた
のである。その「日本精神」を破壊するために、勝者が敗者を裁くという公
平性の全くない東京裁判で、「戦前の日本は悪い軍国主義で、侵略国家であ
る」と決めつけた。そして日本に戦争責任のすべてをなすりつけ、日本人に
自分たちが悪かったという負の意識を徹底的に刷り込んだ、いわゆる「東京
裁判史観」である。
    ([増補]決定版 日本史 P278 扶養文庫 刊)
 
 ところで、童謡に反戦歌があるのをご存知ですか。
 「里の秋」です。       
 
    里の秋
      作詞 斉藤 信夫   作曲 海沼 実 
 
      一 静かな静かな 里の秋
        お背戸に木の実の落ちる夜は
        ああ、母さんと ただ二人
        栗の実煮てます 囲炉裏端
 
      二 明るい明るい 星の空
        鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
        ああ、父さんの あの笑顔
        栗の実食べては 思い出す
 
      三 さよならさよなら 椰子の島  
        お船に揺られて 帰られる
        ああ、父さんよ ご無事でと  
        今夜も母さんと 祈ります  
     *お背戸(裏口のこと)  
 
終戦の年(1945年 昭和20年)の12月に、NHKの「外地引き上げ同
胞激励の午後」という番組で発表された曲で、兵隊になって戦地に行ったお
父さんが、引き上げ船に乗って帰ってくる、その日を待っている親子の気持
ちを歌ったものです。確か、古賀さと子さんという、可愛い童謡歌手が歌っ
ていたと記憶しています。しかし、当時は、こういった歌であるとは知りま
せんでした。なぜ、反戦歌になるのか、疑問に思われる方、「里の秋」でア
クセスしてみましょう。
作曲者の海沼実は、児童合唱団「音羽ゆりかご会」の設立者で、川田正子、
孝子、美智子の三姉妹をはじめ多くの童謡歌手を育てたことでも知られてい
ますが、若い皆さん方には、「みかんの花咲く丘」「見てござる」「あの子
はたあれ」などの作曲者といった方が、うなずけるのではないでしょうか。
 
ところで、戦後、外地で苦労された人々の話はたくさん残されています。山
崎豊子さんの「不毛地帯」も忘れられない小説の一つですが、完成させてほ
しかったと悔やむ作品があります。平成26年2月に新潮社から1巻のみ発
売された「約束の海」です。“海上自衛隊の潜水艦と釣り船が衝突、若き士
官を待ち受ける苛烈な日々。その父は昭和16年、真珠湾攻撃で捕虜となり
生き残った特攻隊員、「この日本の海を二度と戦場にしてはならぬ!」”、
これがキャッチフレーズ。残念ながら山崎さんは平成25年9月29日に亡
くなり、未完の大作となってしまいましたが、残された構想を読むと3巻の
予定で、最後まで読みたくなりますね。(残念)
 
かつて、森村誠一氏が、友人であった「木枯し紋次郎」など380数冊の著
者、故笹沢佐保の絶筆となった未完の「海賊船幽霊丸」を完成させた例もあ
ります。「海賊と呼ばれた男」の百田尚樹氏に完成させてほしいと思ってい
たのですが、「殉愛」を読み、「違うかな?」と諦めました。……が、「カ
エルの楽園」を読み、Daybreakを叩きまくったHundredに再び
希望を抱き、「今こそ、韓国に謝ろう」を読み、「何とかなるのでは!」な
どと、またしても期待を持ってしまいました(笑)。
   (次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについ
てお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>創刊号

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        「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ現年中児 今から始める小学校受験
            創刊
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
 
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2020 さわやかお受験のススメ
現年中児 今から始める小学校受験  創刊号
 
「教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、社会の教えで
実がなる」
 
古い話で恐縮ですが、明治6年の頃、文部省から高等科(現在の5,6年生)
の家庭に配布された「教育の心得」だそうです。
 
受験を考えられている皆さん方は、今まで手塩にかけて育てられてきた我が子
の小さな芽に、どういった花を咲かせ、そのためにはどういった教育が必要で
あるか、それを的確に見極め、レールを敷いてあげたいと思っているのではな
いでしょうか。
 
小学校から高校、大学まである学校がいいのか、共学校か別学校か、宗教教育
がふさわしいのか、出身者でなければ、わからないことが多いわけです。バブ
ル経済全盛期の頃のように、何が何でも私学志向が強かったときは、ブランド
志向、いわゆる名門校に憧れ受験する方が多く、こういった基本的な条件を無
視し、そのために無理な準備も行われていたようです。
 
しかし、現在では、受験生が減ったにもかかわらず、私立小学校は増え、学校
の選択の幅も広がり、しっかりと準備をすれば、お子さんにふさわしい花を咲
かせる機会は増えていることも事実です。
 
「しっかりとした準備」というと「受験勉強」といったイメージを持ちがちで
すが、そこから出発すると、希望する小学校から、招待状、合格通知はいただ
けません。
 
あるミッション系の説明会で校長先生は、こうおっしゃっていました。
「受験に必要な知識や礼儀作法、言葉遣いなどを詰め込み、受験準備、こと足
れりとお考えになるのは誤りであることに気づいてほしい」
 
では具体的に、どういった受験準備が求められているかと言えば、最近の説明
会でよく聞く話ですが、「当たり前のことが当たり前にできる子」に育てること
なのです。もっと簡単にいえば、「自分のことは自分でできる子」なのです。
 
「何だ、そんなことで名門小学校へ入れるのか」と言われるかもしれませんが、
「そんな事」の実態を理解することが大切なのです。
 
本メールマガジンは、長年にわたり、小学校受験について、情報を提供してき
ました。そのために学校説明会にはできるだけ参加し、「受験に必要な“そんな
事”」を紹介してきました。そのノウハウをもとに、出発点は年中の7月とし、
10月までの4カ月に、最も大切な“そんな事”を身につけ、そこから本格的
な受験に必要な知識を学ぶ面白さを紹介していきます。ご両親には、「どんな
花を咲かせたいのか」、「それにふさわしい学校はどのように選ぶのか」など
について、具体的なアドバイスをしたいと考えています。
 
「無理なく、楽しく準備をする」、一緒に挑戦してみませんか。
微力ながら応援させていただきます。
 
平成30年7月
めぇでる教育研究所  所長 藤本 紀元

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>建学の精神、教育方針の理解の仕方 (2)

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第52号
 年長児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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建学の精神、教育方針の理解の仕方 (2)
 
★説明会情報★
7月7日(土)、慶應義塾幼稚舎の説明会に参加される方、自尊館ロビーの壁
に掲げられている福澤諭吉の「人生萬事戯来戲去」(実際は右書き)の額を見
ることもお忘れなく。「人生は本来戯れにすぎない」ではありきたりで翁には
失礼と思っていましたが、KEIO YOCHISHA SCHOOL GUIDEによると、「たかが人
生、されど人生。だからこそ、その時その時を大切に、何事にも最善を尽くそ
う。何かをすることが人間の努めだということを言い表しています」と紹介さ
れていました。私は、「人間万事塞翁が馬」が好きで、お子さんの人生が5歳
の秋に決まるものではないと考え、ゆとりを持って挑戦しましょう。
 
説明会の会場がなかなか発表されませんでした暁星小学校、今年も上智大学で
午前と午後の2回、開催されます。定員はそれぞれ600名。25日(月)か
ら申込みの受付が始まりました。慶應義塾幼稚舎のことがありましたから、9
時30分頃にアクセスしたところ、「申込状況0」でした。受付期間は9月9
日(日)23:59までです。
 
もやしっ子をなくすためにサッカーを取り入れた学校といえば、暁星小学校で
す。今は、どうでしょうか。もやしっ子は、たくましくなり、全国高校サッカ
ー選手大会に出るほどの実力を備え、強豪といわれるまでになりました。
サッカーは、かなり、過激なスポーツです。手は使えませんから、体を張った
足技が、ものすごいですね、このことです。
サッカーは、まさしく格闘技です。ワールドカップを見ていても、「ここまで
やるか!」といったプレーが随所に見られました。ですから、イエロー・カー
ドやレッド・カードと、反則に厳しいペナルティーを与えます。「ルールを守
って戦うフェアーな精神の持ち主」であることも大切な条件です。さらに、1
1人で戦うゲームですが、一人ひとりは、敵を自分に引き付けておき、ぎりぎ
りのところで味方にパスをつなぎ、最後にゴールポストにシュートを決めるチ
ャンスを勝ち取れるのは、たった一人です。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あり」
ではありませんが、犠牲的な精神が求められます。チームワークです。フェア
ーな戦いとチームワーク、ここに学園の教育の礎があるのではないでしょうか。
 
小学校の門には、「困苦や欠乏に耐え、進んで鍛練の道を選ぶ気力のある少年
以外は、この門をくぐってはならない」と書かれた額が掲げられています。以
前は小学校のエントランスに掲げてありましたから、校舎見学など以外には見
ることができませんでした。昨年の説明会は上智大学で行われ、願書は当日発
売の予定はありませんから、小学校の事務室へ行くことになり、すべての方が、
「ご対面」ということになりました。今年も上智大学で行われますが、昨年と
同様、願書の配布日9月5日(水)に校舎見学できます。貴重な機会ですから、
1階にあるチャペルで少し時間を過ごしてみましょう、何か感じることがある
はずだからです。
 
27年の説明会では、小学校時代、運動の苦手だった子が、友の誘いでサッカ
ーに挑み、サッカーチームの一員となったばかりか、切磋琢磨して難関校へ合
格、共に励ましながら目標を達成する「鍛える教育」の成果を作文で披露しま
したが、よくわかる話でした。
 
高校までの一貫教育に関しては、そのまま大学へ進んでしまうより、社会へ出
る前に受験勉強をし、その厳しさを体験させるべきだと考えるお父さん方が多
いようで、進学状況を見ても、生徒はしっかりと応えていることもわかります。
 
「宗教教育」「別学の教育環境」「高校までの一貫教育制度」に期待すること、
プラス、「困苦や欠乏に耐える気力のある少年」をどのように解釈するか、こ
こがポイントではないでしょうか。「質実剛健」だけでは、説明しきれないの
ではと考えます。
最近の説明会で佐藤校長は、暁星小学校の求める子ども像として、日本昔話の
キャラクターでもある「気は優しくて力持ち」といっていましたが、この比喩
はわかりやすいのではないでしょうか。昨年から吉川直剛校長になりましたが、
同じ話を聞くことができました。
 
ここ数年の面接は、志望理由や育児の方針といった質問はなく、お子さんとゲ
ームをしながら、その対応の仕方や、そばで見ているお母さんにゲームの様子
を聞くなど、従来の面接とは違った形で行われています。模擬面接の時、入室
して席を決めるじゃんけんをしますが、「最初はグー、じゃんけんぽん!」、
わずか数秒のことですが、照れずにじゃんけんに興ずる親子、見ていてもほの
ぼのとしますね。今年はどうなるか予想はつきませんが、学校側の目的は、あ
りのままの親子の姿、家庭を見ることにあったのではないでしょうか。
 
青山学院初等部は、ミッションスクールは別学が多い中で、めずらしく共学で
す。ランドセルも通信簿もありません。これが、青山の教育方針です。
ランドセルは、昭和40年に廃止しています。その理由は、ランドセルは、「学
校追従型のシンボル」と考えているからだそうです。1に勉強、2に勉強、3、
4がなくて5も勉強です、現代っ子は。
家で宿題やら予習やら復習をひたすらこなす前に、「家庭で、きちんと身につ
けなければならないことがありませんか」ということではないでしょうか。
家庭でしっかりとやらなくてはならない基本的な生活習慣や躾、言葉遣い、そ
して情操教育が、なおざりにされていないでしょうか。青山は、家庭での教育
を重視しているということです。
 
通信簿は、相対評価が多いものです。
5が2人いれば1も2人といった評価ですから、通信簿は相手との比較表にな
りがちです。比較表ではなく、学習の質を問うのが勉強の評価ではないでしょ
うか。ですから、期末試験の結果や出てきた偏差値といった評価をする資料の
ない状態で、先生と子ども、先生と保護者が、直接、話し合うそうです。
通信簿がないことは、結果よりプロセスを重視する学習観ではないでしょうか。
自分で考え、判断して、行動する、自発性です。結果さえよければそれでいい
という価値観と違い、思考力、判断力、行動力を育てる教育で、新学習指導要
領が掲げる“アクティブ・ラーニング”と同じではないでしょうか。
 
ところで、意外に知られていないことがあります。
初等部のHPを開き、「教育」のところの「国内短期留学・止揚学園」をご覧くださ
い。30数年前、ある本を読み知ったのですが、「すべてが教場」の意味を理
解できたものでした。青山学院は、こういう教育を実施している学校でもある
のです。大学生の不祥事が報道されましたが、初等部では、こういった教育を
実施しているだけに、残念です。
 
「宗教教育」「共学」「大学までの一貫教育制度」に期待することは何でしょ
うか。「共学」を忘れがちですが、これも大きな特徴です。そういったことか
ら、まとめてみましょう。
 
国府台女子学院のことを、千葉の白百合学園とさえおっしゃるお母さん方がい
ました。小学部の入学試験の難しさといい、大学への進学状況を見ても、「さ
もありなん」と思わざるをえないほど実績を上げています。
 
価値観が多様化し、社会全般が「エニシング・ゴーズ、何でもあり」の風潮を
歓迎するムードがありますが、そういったウイルスに感染することなく、小さ
い頃から一つの価値観に基づいた教育を受けさせたい、そう考えるご両親が増
えていることも事実です。
 
仏教に基づく教育を行い、女子だけの、高校までの一貫教育校です。
月毎に行われる仏教行事は、本学院の教育理念である「敬虔・勤勉・高雅」を
身につけるための、貴重で重要な教養、教化となっています。「教養は、徳を
みがき、人格を高めること」で、「教化は、キョウゲと読み、人を教え、よい
影響を与えて善に導くこと」だそうです。となると、教育理念である「敬虔・
勤勉・高雅」を、どのように解釈するかが問題になってきます。
 
たいへん難しい言葉です。HPにも解説がありますが、わたくし流に考えると、
こうなります。
「敬虔」は、仏につつしんで仕えることから、深く敬って態度をつつしむさま。
「勤勉」は、勤めて骨を折ることから、何事も一所懸命。
「高雅」は、気高く、雅(みやび)やかなことから、だれからも愛される気品。
 
このように置き換えてみると、わかりやすいのではないでしょうか。「つつま
しく、一所懸命に頑張る、心のやさしい子」といった子ども像が浮かんできま
す。そういった子どもに育ってほしいと考え、育児の基本にしているご両親で
あれば、学校の教育方針と一致していることになります。
以前、教育理念を俳句もどきに、
             ひたむきで つつしみぶかく みやびやか
などとお母さん方に紹介していたこともありました(笑)。
 
24年の説明会は、小学部、改築中のため中高の校舎内で行われ、そのおかげ
で素晴らしい「慈母観音像」を拝することができ、何とも優美なお姿に、しば
し見とれてしまいました。25年の説明会は新装なった寿光殿(講堂)で行われ
ましたが、ホールは中高の校舎と直結しているため、またしても、慈母観音像
にお会いできました。説明会に参加すればお会いできる、「七夕の彦星ではな
いですか」と無礼を省みず思ってしまいました。こんなことを言っては罰が当
たるかもしれませんが、まさに、「直向でで 慎み深く 雅やか」でした。今
年も30日(土)に、ご対面してきます。
余談になりますが、広隆寺(京都)や中宮寺(奈良)の弥勒菩薩を始め、日本
の仏像の優しいお顔と優美なお姿には、お粗末な言葉ですが、心が和みます。
 
ある年の説明会で、平田史郎学院長は、不作法で言葉遣いの乱暴な者を評して、
「訓練されていない個性は野性である」とおっしゃっていました。
創立記念日に招かれ、講堂に案内されたとき、左手に数珠を持ち、私の左側に、
腰をかがめながら先導してくれた、児童のその姿が何とも優雅であったことが
印象に残っています。また、1年生が、きちんと挨拶をするのにも驚かされま
した。宗教教育は、形から入って心を作っていくものと思っていましたが、納
得したものです。
 
女子だけの環境については、「女子だけだからいいのです。女の子しかいない
ので、男子のする仕事までやることになり、体験の幅が豊かになります」とい
われ、共学にする予定は、まったくないと断言しています。今年の幼児教室対
象説明会でも、女子の理系に進む「リケジョ」現象は、右上がりで進んでいる
ことを、入学実績をあげ指摘していました。
 
こういったことをヒントに、「宗教教育」「女子だけの教育環境」「高校まで
の一貫教育制度」に期待することをまとめてみましょう。
 
2回に分けて、「私学の建学の精神、教育方針の理解の仕方」について、「お
とうさん、おかあさんの受験対策」(めぇでる教育研究所 刊)からピックアッ
プして紹介しましたが、これは、あくまでも「わたし流の考え」にすぎません。
こういった解釈を情報として公表するのには、少し、心配があります。それは、
幼稚舎が作文を止め、面接を廃止した理由が、あまりにも「傾向と対策化され
ている現状から意味がないと判断したから」とおっしゃったことと同じ理由か
らです。一つの考え方、ヒントとしてお読みいただき、ご自身の言葉でお話し
できるようにしていただきたいと、老婆心ながらお願いしておきたいと思いま
す。
 
間もなく夏休みに入りますが、夏休みの講習会に参加し、キチンと計画を立て
て、乗り切りましょう。「夏を制する者は秋を制す」、この気持ちで頑張って
ください。
(次回は、「夏休みの過ごし方」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>面接ケース・スタディー1

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第35
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面接ケース・スタディー1
         「ジッとしてなさいといったって……!」
 
これから紹介します話は、幼稚園を受験された方々から伺った面接に関する話
や私が担当しています模擬面接、また実際に面接を担当されている先生方から
教えていただいた話などをまとめたものです。
合格された方が意外にも、
「今だから言えますが、こんな幼い子に受験させていいものかと不安のあまり、
何回受験をあきらめようと考えたかわかりませんでした。そのたびに、『私ども
の教室では、背伸びをさせる無理な受験準備は一切しません。ご両親の考えが
一つになれば、期待通りの結果が出ますから頑張りましょう』と励まされまし
た。大切なのは、両親は迷わずに、幼児教室の先生の指導にお任せすることで
すね」
と笑いながら話してくれました。
まさに、2、3歳児の受験の難しさを表す言葉ではないでしょうか。繰り返し
申し上げますが、ポイントを握っているのは、ご両親なのです。
 
それでは、ご両親の育児の姿勢や受験に対する考えが、どのように表れてくる
かを、面接のいろいろな場面を通して紹介しましょう。
 
面接が始まるまで、控室で待ちます。
ここで毎年、いろいろな光景が繰り広げられているようです。
多くの場合、お子さんはもちろんのことですが、両親にとっても、おそらく、
生まれて初めて入った場所でしょうから、緊張するのは当然です。しかし、ご
両親は、自身で選んだ道ですから、自力で解決できないようでは困ります。お
子さんは、もっと、もっと緊張しています。子どもは、緊張しなくても、じっ
としているのは苦手です。控室で、座っていられなく、立ち上がったとしたら、
どうしますか。
 
「ジッとしてなさい!」
この一言で、いろいろなことがわかります。
お子さんのことを少しも考えていない不用意な言葉です。
お子さんの緊張した状態を考えれば、こういった言葉を口には出来ないはずで
す。
困ったことにお母さんの顔は、恐い表情に変わってきています。
顔だけではなく、言葉も、声も怒っていると、お子さんは感じないはずはあり
ません。
これでは、ますます緊張するだけで、中には泣き出すお子さんさえいるそうで
す。そのような親子を見た幼稚園の先生方は、どう思われるでしょうか。
 
一歩外へ出れば、その時から、守らなければならないルールがあり、マナーが
あります。ルールやマナーは、その場で取り繕って、教えるものではありませ
んし、ましてや、このお母さんのように言葉できつく叱責しても、お子さんは
静かに待つようになるものでもありません。
 
普段、図書館など公共の施設を利用した時や、電車やバスに乗った時など、ど
んなことに注意しているでしょうか。
静かに待つ工夫をしているのではありませんか。
大勢人が集まるところでのマナーは、小さい時から、年齢相応に教えているは
ずです。
 
静かに待つために、お子さんの好きな絵本を用意したり、混んだ電車では、お
子さんをひざに乗せたり、外を見る時は靴を脱がせるなどしていると思います。
こういったことは、受験のためにやってきたことではないはずです。一人の人
間として生きるために守らなければならないルールを教えてきたのではないで
しょうか。この積み重ねが、幼い子どもなりのマナーとなって身につくのです。
 
マナーは、肝心な時に表れます。
手抜きをしていると、抜いている分だけ、正直に、子どもは表現します。
そこで慌てても、手遅れです。
子どもの責任ではありません。
きつい言葉で注意を促されても、子どもは混乱するだけです。
 
このように、緊張を強いられるような場面で、お子さんが何よりも頼りにして
いるのは、お母さんのほほ笑みです。
お母さんは「保護者」です。
保護者は、弱いものを守る義務があります。
この控室へ連れてきたのは、ご両親ではありませんか。
上がってしまうようでは、お子さんに申し訳ないと考えましょう。
お子さんの小さな心臓は、ドキンドキンと激しく波打っているはずです。
その鼓動を聞いてあげられる余裕を持ちましょう。
上がっている暇などありません。
普段と変わらないお母さんが、そこにいれば、お子さんも安心して、いつもと
変わらないはずです。
 
お子さんが興味を持っている絵本など用意して、緊張をほぐしてあげましょう。
ただし、お子さんがいくら興味を持っているからといって、怪獣のおもちゃや
ぬいぐるみを持っていくのは、面接や試験を受ける控室には、ふさわしくあり
ません。幼児教室へ通う時に、おもちゃなどを持っていく習慣がついていると、
試験当日だけ「駄目!」は、お子さんに通じないと心得ておきたいものです。
 
また、教室の控室などで、入室する前に、ジュースやお菓子を食べさせること
もあるようですが、幼児の場合は、こういった習慣がつくと、肝心な時に、お
菓子がないといってぐずる場合もあるようです。
こういった生活習慣のけじめも、きちんとつけておきたいものです。
 
お母さんと絵本を見ながら、静かに待っているお子さん。
ゆったりと構えて順番を待つお父さん。
育児にご自身の哲学を持ってほしいとは、こういうことなのです。
このような親子を、幼稚園が歓迎しないわけがありません。
 
育児に「付け焼刃はきかない」ことを肝に銘じておきましょう。
 (次回は、面接ケース・スタディー編2をお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号-
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第9章(4)  七夕祭りでしょう   文 月
 
【七月に読んであげたい本】  
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
  やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、
上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見
つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたけ
れば、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてくだ
さい」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けた
ので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が
見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、
犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者
は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会
できたのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕
せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、
最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に
切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂
け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さ
まは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いて
しまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
  うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
      日本民話の会・編  国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思っ
たことを思い出します、何しろ、天女には、三保の松原が、最もお似合いの場
所だと信じていましたから。世界文化遺産に登録された富士山、三保の松原か
ら見た富士の姿は、見た人でなければわからないのではと心配していましたが、
わかっていた方が大勢いらっしゃったということですね。約7kmに渡る海岸
線に、およそ5万4千本の松が茂る、国指定の名勝、絶景です。富士山につい
ては、8月に詳しくお話しします。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少
年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子ど
もたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
◆お盆のはじまり◆
 七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お
盆の縁起を伝える話が残されています。
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を
引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の
川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たの
です。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜
の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人
が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお
前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自
慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだという
のです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字
ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、
カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大
王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を
集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養
を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽
浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野
菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日     七月のむかし話 谷 真介 編・著
 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、私は「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉か
ら、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではあり
ません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩
波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきな
のです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。「お
前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていた
のじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深い
ことばかり考えていたからだよ」。
少子化時代のお母さん、過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちま
す。被害者は、お子さん自身であることに、早く気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」   藤
原 兼輔 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社 刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。目下、孫バカにはまりそうで、自戒しています(笑)。
 
話に出てきた「羅漢」、小江戸と呼ばれる川越市の喜多院の境内にも、五百の
羅漢さんがいらっしゃいますが、同じ顔は一つもないそうです。喜多院には、
家光誕生の間や春日局が使っていた化粧の間があり、時の鐘、蔵造などと共に
欠かせない観光スポット。
なぜ、春日局が家光の乳母になれたのか、その訳は本能寺の変にあったのです。
本能寺の変は、信長が光秀に命じて家康を討つ手はずが狂い起きたもので、「な
ぬ!」と目をむきたくなる事実を、光秀の子孫にあたる明智憲三郎氏が「本能
寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫 刊)で解き明かしています。
なぜ、あの用心深い信長や家康が、わずかな手兵で本能寺へやってきたのか、
(家康を油断させて光秀に討たせるため)。なぜ、秀吉があれほど速く戦場か
ら引き返し光秀を討つことが出来たのか、(計画を知っていた)など、驚くこ
とばかり。謀反を事前に察知した家康は岡崎に帰り、甲斐、信濃の織田家に敵
対行動に出たが、光秀は秀吉に討ち取られる。加担した家康のことを知ってい
たが、口を割らずに処刑されたのが光秀の重臣であった斉藤利三、その娘がお
福で後の春日局。感謝の意味で乳母にしたとのことで、単細胞の私は、納得し
てしまいました(笑)。
 
そして光秀が本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句、「時は今天が下しる五月か
な」の「時」は「土岐一族」で、「天が下しる」は「天下を治(し)る、統治
する」、「六月には天下を取る」という意味で、光秀の謀反は土岐氏にとって
は再興の戦い。これは秀吉が書かせた「惟任退治記」にあるもので、この本を
もとに脚色され世に出たのが「明智軍記」、司馬遼太郎の「国盗り物語 全4
巻(新潮文庫 巻)」は、これを使ってベストセラーになったそうです。
 
本能寺の変は、秀吉、家康、幽斎の3人がかかわったことだが、光秀一人に責
任を負わされたと結ぶ。膨大な資料と子孫の意地が、ここまで切り込むことを
可能にしたのでしょう。何が起きてもおかしくない戦国時代、まだ新たな事実
を知る機会は残されていると思いました。(感謝)
 
それにしても不思議な存在が細川幽斎(藤孝)。長子、忠興の正室は、光秀の
妹、珠子、かの細川ガラシャ。再三の出陣の要請に応えなかった幽斎。「足利、
織田、秀吉、家康の4つの時代に生き、どの時代にも特別席に座り続けた、生
き方の名人」と司馬遼太郎は、「あとがき」で述べていますが、文武両道の達
人、戦国時代の生き様そのものに、度肝を抜かされますね。
蛇足ですが、松本清張の「火の縄」(講談社文庫 刊)では、珠子の違った性
格があぶり出されており、さすが巨匠とうなずかされる傑作もあります。
 
ちなみに、40万部売れたそうですが、「絶歌」は25万部売れたとか。パソ
コンで検索し、「神戸連続児童殺傷事件」(ウィキペディア)を読むと吐き気
をもよおすほど気分が悪くなり、自称、活字中毒気味の私ですが、読む気にな
れません。(激憤)2015年のことでしたが、どうなりましたか。
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさん
が風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細
いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさ
んの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんが死にました。行き先
は、地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲
に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さま
の耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたので
した。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからで
す。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にん
じんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使い
の者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって
上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが
引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、
亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足と
なり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来
たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にん
じんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取り
ついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。 
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
            日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、犍陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあ
さんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。こんなことをいうと、芥川龍之介のファンか
ら「生意気いうな!」とお叱りを受けそうですが、気の小さな私は、蜘蛛を踏
み潰さなかった?陀多の気持ちがよくわかりますし、このけちなばあさんのふ
てぶてしい言葉には、「さすが女性だな」と思うのですが、女性の方からブー
イングがあるかも知れません(笑)。こういった話に出会うと民話にも説得力
があり、読んでいて楽しくなります。
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」
(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかも
しれませんが、こういった話です。
 
においの値段
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいま
した。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓
をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、
ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれま
せんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
  といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたでは
ありませんか。
 「いくらですかな?」
  驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるな
ど、信じられなかったからです。
  「1月分ですから、ちょうど○○です」
  「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
   といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を
立てたのを聞いたけちべえさんは、
  「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払って
あげましょう」
   といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。私たちの世代にとってとんち話は、エ
スプリを磨くといってはオーバーですが、子ども達には人気がありました。し
かし、本は手に入らず、ほとんど祖父母や両親から聞いたものでした。今は、
あふれるほど本は出版されていますから、読まなければもったいないですね。
この「もったいない」という言葉、粗末に扱われているのではないでしょうか。
子ども達に、きちんと教えたい言葉です。
 
環境保護と民主化に情熱を注ぎ続けたケニアのワンガリ・マータイさんは、20
11年10月25日に亡くなりましたが、2005年に来日、「もったいない」
という言葉に感銘を受け、「MOTTAINAI キャンペーン」を世界中に
広めました。本家が無駄遣いをしているようでは、マータイさんも浮かばれま
せん。
「節電」を徹底し、無駄な電力は使わず、原子力発電だけに頼らなくても生活
できることを、実証すべきで、絵に描いた餅のようでは、いざという時に役立
ちません。計画停電や食料品、飲料水が、店頭から姿を消してしまった日のあ
ったことを忘れては、また自然災害が起きた時、後手に回り、塗炭の苦しみを
味わうだけではないでしょうか。
マータイさんは、私と同じ1940年生まれで、他人事とは思えず、私なりに
「もったいないキャンペーン」を心がけています。
「人の心に火をともす」、キャンペーンは、かくありたいものです。
 
昨年、幼稚舎の説明会へ参加した折、毎年見られた七夕飾りが、ありませんで
した。幼稚舎の子ども達の短冊に込められた願い事を知る機会でしたが、残念! 
今年は、7月14日に参加しますが、ちょっと遅いようで、だめかも知れませ
ん。七夕飾り、やっていますか。
   (次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)

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