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めぇでるコラム 2019保護者の最近のブログ記事

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
       
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響と
ともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶの
ではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、
裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝
統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。その諏訪湖に
棲む龍神様の話です。
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集
まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる
出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集
まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1
週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神
様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな
訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句
が出始めると、「夜明けまえからここにいるぞ!」と声がしたので見上げると、
天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、
「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて
行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾
が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいてほ
しい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜神
様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇が
押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あ
り」という神様の紋がついていたそうです。
 (日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 谷 真介 編著 
金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒
様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主
命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に
建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向
きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではなく、
右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、
怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
 平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味
する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)と
いうのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられていたこ
とが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎で大
和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三は京三郎で京都御所の大極殿で
す。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御所の
大極殿というわけです。
 (神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109 徳間書
房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)
あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、4
8mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。高所恐怖症の
私には登れません。
 
井沢元彦氏の「卑弥呼伝」(集英社 刊)には、殺人事件を絡めて、卑弥呼が殺
された原因は日食にあったことや、邪馬台国の位置、政治体制から伊勢神宮と
出雲大社の関係がわかりやすく解き明かされています。天照大神が男神(おが
み)であるとの推理は江戸時代からあるそうで、哲学者、梅原猛氏の推論を紹介
している話には驚かされました。江戸時代は儒教が盛んで、男尊女卑が浸透し
ていましたから女神では気に入らず、天皇より将軍が威張っていたので、こう
いう発想も自由にできたのでしょう。戦前のように、天皇が神格化された皇国
史観の時代にこういうことを言えば、「私は間違いなく死刑」と梅原氏はおっし
ゃっていましたが、こういった本を読むたびに、不備なところがあるとはいえ、
民主主義の世の中に生まれてよかったと感謝せざるを得ません。
 
古事記には、大和朝廷が誕生するまでの熾烈(しれつ)な勢力争いが語られてい
ると先生は分析しています。古事記は、語り部の稗田阿礼の覚えている話を太
安万侶が書きとめたといわれていますが、何人もの編集者がいて、その陰のチ
ーフは藤原不比等で、古事記と日本書紀を編纂し、日本建国の経緯を記録した
ものとの説は説得力があります。さらにその意を深めてくれたのは、阿刀田高
氏でした。
 
 これからの数行は、学問的根拠の薄い私の文字通りの私見なのだが……神話
というものが歴史に入り込むのは、たいてい王国が興隆を極めた時である。周
囲の群雄勢力を平定し、強力な国家が誕生し、権勢ゆるぎない王が君臨すると、
「俺の血筋はそんじょそこいらの馬の骨とは違うんだ。ずっと昔から由緒のあ
るものとして、かくかくしかじかの歴史を持っているんだぞ」と、その礎(もと
い)の確かさを文献として残したくなる。つまり神から与えられた王座なんだと
いうことを、あと追いの形で記録したくなる。古事記も日本書紀もそうだ。他
にも類似の例はたくさんある。
 (「旧約聖書を知っていますか」 阿刀田 高 著 P241~242 新潮
社 刊)
 
イザナギ、イザナミの尊(みこと)の国造りの後、出雲族と天孫族が争い、天孫
族が勝って大和朝廷が誕生。律令国家として基礎固めが出来た時、国家の柱と
なる天皇家とそれを支える藤原一族の繁栄と権威づけるために書かれたのが記
紀だとなると納得できますね。初代の神武天皇から九代開花天皇までは、百歳
をこえる年齢から実存しなかったのではと諸説紛々ですが、面白いのは、日本
はイザナギ、イザナミの尊が相和して国を作ったのに対し、旧約聖書によれば
天地創造は、神様が7日間かけてお一人で創られたそうです。神様には名前な
ど必要ないのでしょうが、モーセがお伺いを立てたところ「在って、在り続け
る者」とお答えになったとか、阿刀田氏の受け売りですが(笑)。
 
事実云々はともかくとして、私見ですが、古事記の「天地開闢」、旧約聖書の「天
地創造」を経て世界は誕生し、神武天皇から神話の世界は終わり、聖書では神
様がアダムとイブを作り、禁断の実を食べ神の園を追放されてから人類の歴史
が始まり、新約聖書の時代になったと考えるとわかりやすいのではないでしょ
うか。それにしても、常に宗教がらみの部族間、国家間の争いに終始している
のは、どうしたことでしょうか。紀元前13世紀頃、モーセに率いられてエジ
プトを脱出し、イスラエルが建国されたのは1948年で、何と3000年と
いう想像を絶する歳月が流れたにしては、その後も争いが続いているのですか
ら、熱しやすく冷めやすいわが民族では、想像できないことです。その辺の経
緯は、阿刀田氏の「旧約聖書を知っていますか」に書かれていますが、肩の凝
らないしゃれた表現がわかりやすく、興味のある方には、一読をお勧めします。
 
先に紹介しました「天の岩戸」の後には、「八俣大蛇」「因幡の白兎」「海幸彦と山
幸彦」の話が続きますが、私の年代では、子守唄代わりに聞かされていたと記
憶しています。およそ1300年前に書かれたものですが、今ある地名がたく
さん出てきますから、何やらタイムトンネルに迷い込んだような気持ちになり
ますね。
読んでみると、人間味あふれる神話から、なぜ、戦前に天皇の神格化というプ
ロパガンダ(組織的な主義、思想の宣伝活動)が生まれ、日本民族がのめり込
んでいったのか、不思議な気がしてなりません。この経緯を司馬遼太郎の「竜
馬がゆく 風雲編」(文芸春秋刊」や「この国のかたち 第3巻」(新潮社 刊)
に書かれており、力不足で足踏みしていますが、いつか紹介したいものです。
その「因幡の白兎」ですが、平成23年4月から教科書に採用されています。
戦後の教育では、古事記の神話は事実でないことから全部、否定され、軍国主
義復活の基になると切り捨てられ、日陰の存在として無視されていましたが、
これは歓迎すべきことではないでしょうか。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、本
殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替える
20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊勢神
宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込ん
でいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時空を
経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大社宮
司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏は国
を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者ではあ
りませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、
豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思います
が、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになっ
たもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは
天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。
おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を
解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(はば
か)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、「お
かげ横丁」で買えます。
 (伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401
より要約)
 
落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪
変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成にな
っている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある
日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯
ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな食
べ物を半分あげかわいがりました。       
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引い
てくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽを
巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引いて
くれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。それから、
うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができま
せん。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、お
暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を首に
結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力が入
らず、畑に出る日が少なくなったのでした。                             
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の
声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘に
なって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、
幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話   きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修
                        日本民話の会・編 国土
社 刊 
 
池波正太郎の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があり
ます。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺さ
れてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもら
っていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮ら
しで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小
判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の
恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だ
そうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の
欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「するり
と入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓前に
真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見ること
ができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔があ
る京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓
石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人とも
お役に立っているようです(笑)。
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでしょ
う。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、
若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出か
けたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く
手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人い
て、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知し、
老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、かん
ぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、家
の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。老
人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、誰
を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と娘に
は赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何かある
と思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠ったふ
りをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模様の
布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げようと
しましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりでこする
とかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼
は馬に乗り追いかけていきました。倒れていた大木を若者の馬は跳び越えまし
たが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れ
ていた大木をみると榊でした。無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝
む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話
赤羽 末吉 画      福音館書店 刊 
     
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めでた
し、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷぅ」
といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うようです。
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作が
そろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草木
悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さまあり」
ならではの話です。
     
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行
くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。和
尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さん
はこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、
和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。少
し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、水
の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった小
僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありました
が、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の下
から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢ができま
せん。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシャー
と小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの頭に
かかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。
すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭は、つんつ
るてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
    とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせには、神
さまも吹き出すことでしょう。     
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなこ
とをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、
全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
      
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを
助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある
家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違い
だとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれば」
と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほしい。し
かし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が経ち手
持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。そこは
一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着
をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞ
きました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は三月の
座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次
は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の
座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れてい
ます。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるの
です。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。
最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座
敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていた
だいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞき
なさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭もな
くなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。     
     世界民話の旅 9  日本の民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら
書房 刊 
    
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を
招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話があるほ
どで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られないよう
です。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、部屋
は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になるので
すが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「たくさ
んある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本では「八
百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、笑って
しまいますね。しかし「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す、恙(つつ
が)なきや」、隋の煬帝に送った聖徳太子の国書ですが、「その意気やよし」で、
私は好きですね。「中華思想に負けてなるものか」ですよ。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣いた
赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。神話や民話は、私達祖先の
精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こうい
った昔話ではないでしょうか。子どもは親が解説しなくても、分化されはじめ
たさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていきま
す。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。わが子を溺愛す
る過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操豊
かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。そ
のためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。二人の子ども
を育てた実感ですが、子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、
干渉していいのは、躾です。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教えるの
はご両親です。
 
携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、躾が出来ていないと痛感しま
すね。なぜ、混んでいる道路などで、歩きながら見なければならないのかな。
そんなに急いで処理しなければならないほど切迫した事情があるとは思えない
が、他人に不快感を与えているのかわからないのかな。死者の出た事故が起き
たにもかかわらず、スマホを見ながら自転車に乗っている若者、あれは病気で
はないかな。世の中、そんなに安全なところなどあるわけがなく、周りの者が
気を遣っていることに気づかないのかな。全くの自己中で、格好悪い。何でも
自分を中心にしか考えず、「思いやる気持ち」が薄れていくそのもとは、幼児期
の育児に問題があるのではないだろうか。「褒める時にはやさしく褒め、叱るべ
き時には厳しく叱る」、これは親の真心であり、子どもにとっては、最高の有難
い手本であると考えますが、若い皆さん方は、どうお考えでしょうか。  
 
近くの小さな不老川の川辺には、彼岸花(曼珠沙華)が咲きはじめました。花言
葉からも悪役的な存在で、ひっそりと咲く孤独な花と思っていましたが、埼玉
県日高市の「ひだか巾着田(きんちゃくだ)」、約500万本、一面真っ赤で圧
倒されました。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。
私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇には先祖のお位牌が、神棚に
は天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には氏神さまを祭った小さな祠があり、
父が、毎朝、この三つに、お水をあげてお参りするのです。それが終わらない
と食事は始まりません。仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でした。
まだ、本地垂迹説など知りませんでしたから。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに
永遠に愛し
合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何
ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらに
もめたりしていますが、いろいろな教えや信条などの、よいところを少しずつ
いただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょ
うというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒
教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけ
ではないでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思
います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけ
で、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。
 
しかし、これだけはいえると思います。
木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、
出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気
持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでし
ょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」「長
い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作品)な
どの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、さすが
と感激しました。
 
 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日
とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約
束はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らね
どもかたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低
頭できる神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 
    [山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)山本周五郎 著 新潮
社 刊]
 
またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、「なにごとの お
はしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」これではないでし
ょうか。私の勝手な思い込みかも知れませんが……。また、松尾芭蕉は、伊勢
神宮に参拝した折り、「何の木の花とはしらず匂哉(にほひかな)」と詠んでいま
すが、和歌と俳句の違いというのでしょうか、和歌は心情を詠いあげています
が、俳句はぐっと抑え込み読む者に任せる、といった感じがしますね。素人の
たわごとですが、以前に紹介しました五木寛之氏の「短歌はリズム、和歌はメロ
ディー」を思い出します。
「知らねども」「とはしらず」、いい言葉ですね。これが日本の神さまの姿では
ないでしょうか。
 
余談になりますが、私は山周こと、山本周五郎、大好き人間です。何かの随筆
で、「周五郎の嫌いな作家は川端康成」を読んだのですが、出典名を思い出せず
紹介を控えていました。不思議なもので、置き場所のなくなった本を整理しよ
うと読み返していたところ、見つかったのです。周五郎が家を借りに行ったと
ころ、大家から「作家には貸せない」と断られ、その理由を聞くと、「半年の家賃
を踏み倒し、引越料をふんだくられたからだ」という。「誰ですか、その作家は?」
と尋ねたところ、「川端康成」だったそうで。「これは許せない!」と激怒。信じ
がたい話で、そういう時もあったといえばそれまでですが、「家を建てた大家の
苦労を考えれば許せない!」と怒る周五郎の頑(かたく)なな潔癖さがたまらな
く好きなのです。
 ([混沌の時代を生き抜く帝王学ノート P171~173より要約 伊藤肇 著 
PHT文庫刊)
 
話を戻しまして、松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小
泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その
感動をこう述べています。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさし
く「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかな
る信仰もなし得なかったことである。      (神々の国の首都 小泉八
雲 著 平川 裕弘 編
                            講談社学術文庫 
刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡
です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ないも
のが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の源
ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」で、
二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをします。
出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度
打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一
般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させて
いただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれていま
す。
 
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから
参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を「正
中(せいちゅう)」といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが正しい
とされているそうです。明治神宮へ参拝した折り、「真中は明治天皇さまがお歩
きになるので、わしらは端を歩くんだ」といって、端っこに寄せられた記憶があ
ります。「天皇さまは神さま?」と聞きたいところでしたが、なにしろ親父にと
って昭和天皇(昭和30年代でしたから正しくは今上天皇)は、現人神(あらひ
とがみ)でしたから、おっかなくて黙って歩いていました(笑)。
 
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、こ
れは外人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺せま
す」というのと同じだそうです。
 
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時
記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうし
ても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り
事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてし
まいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約し
たもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。
勿論、私たちの年代、1940年生まれの者には、懐かしい話ばかりです。僭
越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記しま
した。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌ
ボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げま
した。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下り
た二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本
列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の
神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコ
トは亡くなります。
 
古事記は、大学生になって初めて読んだのですが、『成り余る処と成り合はざる
処云々』には、笑ってしまいましたね。親父の書架にもありましたが、一番上
で、しかも鍵がかかっていた理由がわかり、これまた、笑ってしまいました(笑)。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれと
イザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生ま
れるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒
り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追
いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を
一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千五
百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人が
死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介し
たように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリ
シャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱失する際に、「振り向か
ないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じです。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナミは、身を清めるために体を洗い、いろいろな
神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラ
スオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと
海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツ
クヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きた
いと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。ア
マテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサ
ノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ
込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩
屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も
広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた
のです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いでい
るのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸をひ
きはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の戸
隠山となったということです。
 
全くの余談ですが、東宝が1959年に、古事記を題材にし、主演三船敏郎で
制作した「日本誕生」で、アマテラスを演じたのは、伝説的な女優、原節子で
したが、2015年9月6日、冥界入りしました、享年95歳。ちなみにYouTube
の予告編で、その美貌を見ることができます。岩戸の前で踊った神さまは音羽
信子でしたが、若い皆さん方は、知らないかもしれませんね。(合掌)
 
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩
戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びにな
り、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワシ
ノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、諸国
の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、浅
草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ
戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を
祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を
鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武尊
が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。
                    (「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本
武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝
説によるものと言われています。[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌
文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁起
物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩ともな
っています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかのぼ
るとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守りに
なったとは知りませんでした。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄
の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)
をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなお
かめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の
流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さん
にも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わった
そうです。
 
ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、そ
れはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶がある
のですが、定かではありません。
 
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィー
ンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を祝
い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊
もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀
元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそ
うです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、
ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子をく
れないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、
日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようで
すね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりに
も狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地
獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がく
れた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャック
はそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という
言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボ
チャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりまし
た。  (『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理で
すね(笑)。
 
今年は横着な台風が、西日本方面に大被害をもたらしました。そして21号、
まるで追い打ちをかけるように震度7の大地震。「日本の神さま、しっかり守っ
てください!」と言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみませ
ん。
私が教室へ出かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、
いわゆる海抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、更に護
岸を高める工事が行われています。万が一の災害に備える防災対策は、決して
手を抜けないもので、「スーパー堤防は必要ですか」とおっしゃった政治家がい
たと記憶していますが,絶対に必要だと改めて思いましたね。備えあれば憂い
なしです。
   (次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第44号-
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第12章 日本の神様でしょう  神 無 月(1)
                              
神無月(かんなづき)は「かみなしづき」とも「かみなづき」ともいわれてい
ますが、そのいわれは、この月には、全国の神さまが出雲大社に集まり、男女
の縁結びの相談をすることから、神さまが留守になる「神無い月」というのが
わかりやすいですね。反対に、出雲地方では「神在月」となります。
これにも異説があり、「神嘗月(かんなめづき)」「神祭月(かみまつりづき)」
という説、おもしろいのには、10月は雷がならなくなるから「雷なし月」と
いうのもあるようです。
 
★★神無月、風流です (1)★★ 
何だか、おかしなテーマです。
神無月といえば、昔の十月の呼び名ではありませんか。睦月、如月、弥生、卯
月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、そして師匠も忙しく走
る師走ですが、何やら情緒があります。弥生賞、皐月賞というと、競馬の好き
な方には、おなじみでしょう。今まで紹介してきましたように、どの月も季節
感があります。詩情豊かで、こたえられません。1月、2月、3月よりも、睦
月、如月、弥生といった方が、何やら、雅やかな感じがしないでしょうか。「年
だからですよ」といわれそうですが、私は好きです。
 
その一つの神無月。
先程もお話しましたが、読んで字のごとく「神さまのいない月」です。とにか
く、日本人ほど、神さまの好きな民族は、いないのではないでしょうか。「八百
万の神」といって、何しろ八百万人、いや、神さまは人ではありませんから、
八百万の神さまです。「やおよろずの神」と読みますが、八百万の神さまがいる
わけではなく、たくさんいらっしゃるという意味でしょう。それにしても豪勢
ではありませんか。
 
若いお父さんやお母さん方には、あまり縁がないかもしれませんが、一軒の家
の中にもいろいろな神さまが住んでいらっしゃったのです。「いらっしゃった」
と過去形になっているのは、最近では、神社にしか神さまはいないと思われて
いるからです。
                                
門には門神さま、家を守ってくれる家神さま、福の神と貧乏神がいらっしゃっ
たそうです。
台所に入ると、ガス、水道、電気のない時代ですから、あちらこちらに神さま
がいらっしゃって、火の神さま、水の神さま、かまどの神さま、井戸の神さま、
納戸の神さま、便所の神さまが、庭に出れば木の神さま、石の神さま、草の神
さま、花の神さま、外には山の神さま、川の神さま、森の神さま、まだいらっ
しゃいます、日の神さま、雲の神さま、風の神さま、雨の神さま、仏教でいう
ところの「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」をまね
ると、こんな言葉はないでしょうが、「神が宿る」と解釈して、「山川草木悉皆宿
神」でどうでしょうか(笑)。(悉皆“しっかい” ことごとく)
 
とにかく、どこにでも神さまがいらっしゃったわけです。人の集落がある所に
は、必ず、その土地を守る鎮守さまがあって、人々の生活と密接な関係をもっ
ていました。いろいろと取り上げてきた年中行事にも、こういった神さまが顔
を出し、大いに楽しませてくれます。四季折々の大きな祭りから村祭りや、家
ごとの祭りまで、主人公は、こういった神さま達です。ある時期まで、日本は
農耕社会でした。頼りは、自然ですから、神頼みにならざるをえません。でき
るだけ災害が起きないように、そして、秋には豊作を願い、神さまにお祈りを
したのも当然なのです。
 
我がご先祖様は、仏教が盛んになった奈良時代に、日本の八百万の神さまは、
菩薩さまを始め様々な仏さまが化身して、日本の地に現れたものだと考えた本
地垂迹説を唱え、神さまと仏さまを一緒にお祀りしたのですから、争いごとは
大嫌いなんですね。仏教興隆に力をつくした聖徳太子の「和を以って貴しと為
す」は、神仏の世界まで浸透しているのですから、すごい話ではありませんか。
          
興福寺の五重塔は解体される予定でしたが、予算がなく無事に残りました。皆
さん方も修学旅行で訪れたと思いますが、もし解体さていれば、猿沢の池だけ
では写りが悪いですね。幸い、仏教派と神道派が、まなじりを決するほどの争
いにはなりませんでしたが、徳川幕府により日陰の存在として頭を抑えられて
いた神道が復活し、再び神様が姿を現したのでした。討幕派の掲げた錦の御旗
は、皇室のご紋である菊ですが、やはり意味ありなんですね。ここまでは良し
として、皇国史観を旗印に突っ走り、上りつめた「坂の上の雲」から見た日本
は、2発の原子爆弾とB29のじゅうたん爆撃を受け、焦土と化した無残な姿
でした。しかし、そこから立ち上がった日本民族ですから、皆さんのお子さん
が誇りを持ち、夢を抱いて生きていける環境を、何としても整えてあげるべき
ではないでしょうか。
 
平成27年8月14日に発表された安倍首相の談話で素直にうなずけたのは、
「あの戦争に何ら関わりのない私達の子や孫、そしてその先の世代の子ども達
に、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」の部分で、子どもや孫、その
先の世代の子ども達のことを考えれば、答えは自ずと出るのではないでしょう
か。家庭を築き、安心して生活できる環境を作り、妻や子を守る、それを妨げ
るものには命をかけても立ち向かっていくのが父親であり母親ですが、健全な
財政確保と安全、政治も基本的には子育てと同じだと思いますが、若い皆さん
方はどうお考えでしょうか。
 
それはさておくとして、日本の神さまは、他の国の神さまとは違います。昔の
神さまは、いってみれば人間と同居していたのです。ですから、願い事は、す
ごく現実的で、日々の生活に密着していました。しかし、今の神さまは、怒っ
ています。何しろ、困った時だけの神頼みですから。正月にしか顔を見せない
人が、多いのではないでしょうか。安いお賽銭で、厚かましく、いろいろと祈
願しても、それは無理というものです。
 
神無月は、その神さま、八百万の神さまが、島根県の出雲大社にお集まりにな
る月で、盆暮れの民族大移動の比ではありません。何しろ、八百万の神さまで
すから、スケールが違います。
「神迎祭(かみむかえさい)」といい、集合日は旧暦の10月11日。場所は稲
佐浜(いなさのはま)、八百万の神さまは、竜蛇神(りゅうじゃしん)に導かれ、
海からお集まりになりまして、出雲大社へ向かわれます。滞在期間は、17日
までの7日間。神々のお宿は、境内の東西に並ぶ「十九社」、何とも素朴な建物
です。
 
本殿では、11日、15日、17日に「神在り祭(かみありさい)」が行われま
す。本殿の高さは24メートル、大社造といわれ、わが国、最古の神社建築様
式で、神話でおなじみの「だいこくさま」と呼ばれている「大国主大神(おお
くにぬしのおおかみ)」が祀られています。
境内には、古代本殿の跡が発掘されており、何と柱の高さが8メートルもあり、
復元図を見ると、古の人々、平安時代の高度な建築技術に、たまげましたね。
驚くついでにもう一つ、拝礼を行う「拝殿」には、長さ7メートル、胴回り4
メートル、重さ1.5トンのしめ縄が、デーンと飾ってあります。このしめ縄で
すが、普通の神社で飾る向きと逆になっています。(これを覚えておいてくださ
い)
 
話題の中心は、何といっても自然災害回避、生産性向上、五穀豊穣、家内安全
です。       
たとえば、雨の神さまには、「えこひいきせずに全国に万遍なく雨を降らせなさ
い」とか、風の神さまには、「稲が花を咲かせ実をつけるころには、情緒不安定
にならないように配慮してほしい」とか、雲の神さまには、「日輪の神さまと仲
良くしてほしい」とか、「下野の国の何々村は、信心深いので豊作になるよう心
してほしい」などと話し合うのでしょう。                       
 
次に、何といっても神さまの大切なお仕事は縁結びです。
こういうところが好きですね。子孫を残さないと神さまの存在意義がなくなり、
寂しいからだと推察します。いろいろな神さまが、適齢期の男女の情報を交換
し合い、これがよかろうと縁組を決め、次々と赤いひもを結んでいく、これが
「赤い糸」の伝説です。今はキリストの前で、愛を誓うのが流行っていますが、
昔は何といっても神前結婚でした。神さまに、添い遂げることを誓ったのでし
た。成田離婚など、赤い糸も頼りなくなりましたが、神さまも首を傾げている
のではないでしょうか。何といっても情報過多社会です。もしかしたら、神さ
ま方も混乱しているのではないでしょうか。そういえば、すっかり酔っ払って
しまった神さまが、変な糸の結び方をしてもつれてしまい、三角関係を作って
しまった落語があったと記憶しています。最近、若者に縁結びが少なくなって
いるのも、もしかすると、神様をないがしろにしていることへの戒めではない
でしょうか(笑)。
 
誠に僭越な話ではありますが、普段、神さまは、どうやらお眠りになっていら
っしゃるのではないかと思える節があるのです。
神前で何かが始まるとき、必ず、大太鼓をドンドンと打ち鳴らし、神主さんも
「ゥ…………」と、これまた大音声を発します。仏さまも、鐘や木魚の音がお
好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会でも、ミサの始まる
前に、パイプオルガンをガンガン奏(かな)で、いや、荘厳に演奏し、賛美歌
を歌います。いずれも、神さまにお目覚め頂くための儀式ではないかと思えて
なりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。神
さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神さ
まの中には、酔っ払って人に迷惑をかけるお方もいるかもしれません。何しろ
日本の神さまは、お酒の上での問題には、実にご寛容です。その証拠に、神事
にはお酒を欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
ですから、民話や昔話には、実に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考え
ても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が出
てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢があ
るのです。そうです、夢があるんですね。夢や希望をもたせる、これも神さま
の大切なお仕事です。
 
そして25日(原文のまま)は、神さまが出雲を去っていく日で、この日を神
去日(かんさらび)といい、その夜は明るいうちから戸を閉め、外の便所にも
ゆかなかったとか。その頃から吹き始める季節風、西南西(あなじ)が、あた
かも神さまが道路を駆け去って行く風の音と考えられ、恐ろしさに震えていた
そうです。
   (「菜の花の沖 2」P242 司馬遼太郎 著 文春文庫 刊より要約)
 
台風21号、メルマガがお手元に届く頃、列島に上陸し、また被害をもたらす
のではないでしょうか。日本の神様、頑張ってください!
 (次回は、神無月、風流です2についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第43号-
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第11章  お月見です   長 月 4
      
「祝 花咲徳栄高校 埼玉県勢、初の全国制覇!」
昨年の結果ですが、「今年も!」と期待したいところでしたが、桐蔭の強烈な打
線と金足農の吉田投手一人では、やはり打たれましたね。881球、可愛そうで
観ていられませんでした。「投球制限をしたら」といった意見もありますが、こ
れをやられると、強豪私学が有利になり、公立校の殆どが出場できなくなるので
は。ピッチャーは一人か二人しかいませんから。やはり、休養日を増やすべきで
はないでしょうか。推薦入学なし、全員地元の出身、フィーバーするわけで、こ
れが素晴らしいですね。今年は、高校野球らしい大会でした。松井の始球式も見
られましたし(笑)。
 
【九月に読んであげたい本】
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があ
ります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説
明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
 
            ◆良寛と月とうさぎ◆   良寛 著
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神
様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を
着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと
歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言
うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎ
だけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮ら
していると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、
悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげら
れないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしまっ
たのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、猿
も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。中
でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体
になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
 「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月とと
もに輝くのだ」と神様は
言ったのでした。       
 「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさ
ぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでし
た。
   少年少女・類別/民話と伝説-二九  日本の心をうつ話 関 英雄 
編著 偕成社 刊 
    
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀
に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ注
訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになって
いるのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙な
がらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、中
国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。それ
を良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが跳ね
ていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のまだら
なクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どちらが
子どもの感性を育むのでしょうか。
 
ところで、「月にむら雲、花に風」といいますが、これは名月には雲がかかり、
せっかくの月が見えず、満開の花には風が吹き、花を散らしてしまうことから、
「良いことはとかく邪魔が入りやすく、思うようにはいかないものだ」という
たとえですが、しかし、雲一つない夜空に、こうこうと輝く月よりも、一片の
雲のかかった月の方が趣もあり、月を肴に一献、かたむけたくなります。
      散る桜 残る桜も 散る桜
良寛さんの作品です。子ども達は、良寛さんの屈折する心を知っていたのでし
ょうかなどと、馬鹿なことを言っていますね、笑ってください。
 
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思いださない方はいないのではないで
しょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌って
います。その二番の歌詞ですが、
 二、なんと おっしゃる うさぎさん  そんなら おまえと かけくらべ
   むこうの 小山の ふもとまで  どちらが さきに かけつくか
とあります。私が子どもの頃に見た挿絵は、小山の天辺にゴールの旗が立ち、
そこでかめさんが、両手をあげて、ガッツポーズをしていましたね。歌詞と違
っているのではと、子ども心にも思ったものですが、今は、どうなのでしょう
か。
 
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、
続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが、「子うさぎをよこせ!」
と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰
ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福娘
童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまいま
した(笑)。このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載された
ときの題名は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
 
次の話を読んでいると、外国の名作を思い出しませんか。
グリム作の「狼と七匹の子やぎ」です。子どもと鬼ばさのやり取りは、子やぎ
と狼のそれと、そっくりです。怒られそうですが、船戸与一氏風にいえば、思
わず「グスッ!」と、笑ってしまいます。
氏の「蝦夷地別件」(上中下3巻 新潮文庫)は、倭人と先住民アイヌとの戦い
を描いた作品ですが、アイヌの人々の憂いを秘めた目は、ここに原因があるの
だなと考えさせられたものです。アメリカの先住民インディアンと白人の戦い
は、日本にもあったわけで、映画「幌馬車」や「黄色いリボン」で、いつも悪
者にされていたインディアンは、白人が作った虚像でもあったのです。スペイ
ンの内戦を描いた「カディスの赤い星」などの著者、逢坂剛氏は、スペイン内
戦、ギターとフラメンコ、映画の西部劇に詳しい、大好きな作家ですが、シベ
リア抑留の疑惑を追及した「牙をむく都会」(講談社 刊)に、これを実証する
話が載っています。
 
歴史とは、残念ながら、生きている間に真相を知り得ない事件が多いようです。
桓武王朝期、統一国家をめざし、坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐する経緯
を描いた澤田ふじ子さんの「陸奥甲冑記(みちのくかっちゅうき)」(中央文庫 
刊)といい、源頼朝が藤原一族の築いた陸奥の文化を抹殺する過程を描いた梅原
猛氏の「日本の深層」(集英社文庫 刊)といい、松前藩のアイヌ人を苛酷なま
でに搾取する「菜の花の沖」(司馬遼太郎 著 全6巻 文春文庫 刊)といい、
無知を叱責される思いで読んでいますが、「活字中毒症であればこそ」と感謝し
ています。しかし、いくら国家成立の大義名分があっても、そこに住む個人の
命など、まるで虫けらのように切り捨ててしまう理不尽な行為が、なぜ許され
るのか。運命を定める神がいるのなら、何を基準にしているのかと詰問したい。
(痛憤・激怒)
    
     ◆てんとうさまと金のくさり◆   おざわ としお 再話
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでい
ました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけない」
と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さんに
化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母さんは
きれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、きれい
な声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて手を見る
と毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、閉めてし
まいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けておくれ」
と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ばさの化け
た母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
 「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
 「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけ
てきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」
と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りにし
ますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」と
言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追い詰
められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。する
と、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。
鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶらさ
がりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさの
血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
 日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話 赤羽末吉 画 
         福音館書店 刊 
    
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、
鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話
もあります。2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレーテ
ル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリムの
「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑いたく
なるはずです。
    
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている
話とそっくりです。
 
◆ぬかふくとこめふく◆
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実
の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、
「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴か
ら落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってし
まったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった
母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋
に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのです
が、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続き
ます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、
「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふく
は、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふく
が、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくでは
ないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わるこ
とに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰った
のです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事をし
ていました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たち
が足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬ
かふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭り
には行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み
比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、
小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだの
でした。     
    おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話  
             水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻
限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後
の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
 よんべな こいた ねこのくそ  水けだった 毛だった
       今朝 こいた ねこのくそ  息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
         ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
               雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小
袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばら
しいではありませんか。
 
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうで
す。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に「サ
ンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム兄弟
の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、どう
やら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそうで
す。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのですが、
その真偽は定かではありません。
  注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表現
の話に作り上げたもの。
 
蛇足ながら、宮尾登美子さんの作品に、失明という運命と戦いながら、新潟の酒造
家を舞台に生きる女性、烈を描いた「蔵」がありますが、烈が子ども時代に好きだ
った昔話に、「こめふくとぬかふく」が出てきます。
 
 「あるどこね、ぬかぶくとこめぶくというふたりの女の子があったてんがな。ほ
うしてぬかぶくは、せんの妻(かさ)の子で……」    (「蔵」 上 P149 宮
尾登美子 著 毎日新聞社 刊)
               
こういった感じですが、新潟弁がいいですね。宮尾さんの作品にしては、珍しく実
在のモデルがいま
せん。宮尾さんは酒を一滴も飲めないそうですが、酒造りを指南した方は、何と幻
の銘酒「越乃寒梅」を醸造された石本龍一氏。舞台は新潟でしたから、もしかした
らと思いながら読んでいましたが、あとがきのところに紹介があり、嬉しくなりま
した(笑)。
この作品も、宮尾さんでなければ書けない秀作で、ひたすら激しく生きる女性達の
姿に接するたびに、「何をやっているの、あなたは!」と主人公に叱責されている
ようで、「頑張らなくては」と元気を貰っています。(感謝)    
 
ところで、「おしん」といえば橋田壽賀子さんの名が浮かびますが、坪内逍遥に
も「おしん物語」があります。
 
“おしんという少女は、ある町の商家のむすめで、十歳の時、実の母に死に別
れた。運わるくも、後の母は、善くない人であった。おこまという連れ子と二
人で、おしんを憎み、父が留守になると、いろいろと無理を言って、いじめる。
裁ち縫いから、拭き掃除、流し元の仕事、走り使いまで、おしんに言いつけ、
髪も結ってやらず、粗末な着物を着せて、下女も同じように遂(お)い使う。
おこまは、それに引きかえて、常普段、絹物ぐるみで、我儘勝手に遊び暮らし
ている。それでも、心だてのよいおしんは、少しも怨まず、すなおに、言う事
を聞いて、仕えていた“
 と、冒頭の数行から見れば、おわかりのように、これは私たちがよく知って
いるシンデレラのお話にほかならない。シンデレラがおしんだって「坪内先生
もシャレているね」と、ほほえましい。坪内逍遥の苦心はさらに細部に行きわ
たり、おしんを助けてくれる魔法使いは弁天様、ガラスの靴は扇に変わり、閉
じた扇の絵柄を正確に当てることがおしんの確認方法となっている。
  明治三十三年発行 国語読本 高等小学校用・巻1より
   (「物語風土記」 阿刀田 高 著 P353~354 集英社 刊)
 
同種の話は、東日本を中心に数十話を超えて分布しているそうですが、逍遥版
シンデレラが教科書にあるのがいいですね。代表作「小説神髄」「当世書生気質」、
「シェークスピアー戯曲の翻訳」などで知られていますが、こういったしゃれ
た作品があるとは、全く知りませんでした。早稲田大学校内の記念演劇博物館
前に胸像が立っていますが、とても想像・・・、いや、さすがですね。
 
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共
通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、
口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのです
が、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、
兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙な
名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座に
記憶してしまうようですね。
 
◆ちょうふく山のやまんば◆   今村 素子 著
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、
お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
 「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人
も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、も
との月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいませ
ん。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役を
いいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途
中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、も
ちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人
も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていき
ます。
やまんばの家に着くと、
 「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのでは
と心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこ
いというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを
捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得し
たのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日
だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使って
も、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝い
となりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに
戻っていたのです。   
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
  日本むかしばなし 7  おにとやまんば 民話の研究会 編
       松本 修一 絵 ポプラ社 刊
 
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」なども
読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶していま
す。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べ
た話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなり
ますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
 
公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得
としていた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるの
がそれで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるの
だ。山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられて
いるが、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、
知恵の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
 近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として
決め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉
(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
(祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279 澤田ふじ子 著
  中央文庫 刊)
(引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
 
パソコンで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子
ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、
長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、
子ども達には見せられません。
 
赤とんぼが姿を現しました。しかし、まだ油断はなりませんね。
(次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第42号-
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第11章  お月見です   長 月(3)
  
★★菊花の約★★
突然、文学の世界に入りますが、“エニシング・ゴーズ”、何でもありの歳時記
です。
上田秋成(1743ー1809)の著作「雨月物語」に、“菊花の約(ちぎり)”がありま
す。 約束した帰国する日を守るために、自ら命を絶ち、霊魂となって百里の道
を帰ってきた話ですが、その約束の日が、9月9日の重陽の節句でした。義兄
弟の盟をした比左門と赤穴が、再会を約束する場面は、
  『重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし』
菊の花を飾り、お酒の用意をして待っていますから、この日を忘れないでくだ
さい、とあります。        
義兄弟の男の約束ですから、菊が似合います。桜や桃の花では、いささか華や
かすぎて霊魂になって帰れない雰囲気があります。この「菊花の約」の序が好
きでした。
 
『青々たる春の柳、家園(みちの)に種ゆることなかれ。交わりは軽薄の人
と結ぶことなかれ。
楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐めや。軽薄な人は交わりやすくし
て亦速なり。楊柳いくたび春に染れども、軽薄の人は絶えて訪ふ日なし』                      
      (「雨月物語」巻之一 菊花の約 上田秋成集 
              日本古典文学大系 56 岩波書店 刊)
                         
「柳は庭に植えるな、軽薄な人とはつきあうな、といったむかしの人がい
ました。柳という木は、春の若葉こそ青々しく美しいものですが、秋風がふく
とたちまち葉を落としてしまい、紅葉を楽しむひまもありません。
軽薄な人間も、気やすく近づいてきて、はじめのうちはまるで親友のよ
うですが、はなれていくのもはやく、いざというときのたよりにはなりません。
柳の木は、春がめぐってくると、また若葉の美しさを見せてくれますが、
軽薄な人は二度と戻ってこないでしょう。そんな人とはつきあいたくないもの
です。」                             
     [少年少女古典文学館 20 雨月物語(9頁)
         佐藤 さとる 著  株式会社 講談社 刊]
 
柳1本で、これだけのことを学べます。
古典は、その民族の歴史であり、歳月とともに培われ、伝えられてきた教養で
あり文化です。お子さんが世に出る頃は、学歴ではなく品格を備えた知性や教
養が重視されていると思います。そのためにも、「古典に親しみましょう」など、
小賢(こざか)しいことを言うのではありません。ご両親は、ご自身の教育観
を持つことが大切で、それを礎に子ども達は育っていくからです。
 
「模倣犯」で活躍したフリーライターの前畑滋子が、再び登場する宮部みゆき
さんの「楽園」には、両親に殺されてしまう茜(あかね)という少女がでてき
ますが、小説の世界だけの話ではないと考えさせられました。
 
 「わたしがちゃんとできないのは親が愛してくれないから。先生が不親切だ
から。環境が良
 くないから。みんな言い訳ですよ。(中略)何でもかんでも自分が自分がと主
張するくせに、
 悪いことやまずいことだけ他人のせいにするなんて、正しい日本人の考えで
はありません。
 輸入者の思想です。昔から日本人は、まず我が襟を正すという生き方をして
きたのです」 
           ((楽 園) 下巻 宮部 みゆき 著 文春文庫 刊 
P296-298) 
 
華道の先生に言わせるところがいいですね。
「襟を正して生きる」ではないでしょうか。汚れている襟に気が付かない親が
多くなりました。気持ちは分からなくありませんが、わが子だけかわいいでは、
後々困ったことになるのは子どもたち自身です。「KYJM(空気読めない自己中マ
マ)、何でも人のせいにして責任を取らないママ」のことだそうですが、そうい
った母親に育てられるとどうなるか、その答えは、いろいろな形で表れている
のではと思います。「自己を主張できるが、責任を取らない子」は、幼児期の育
児が過保護であったのではないでしょうか。何でも母親が尻拭いをしていては、
困難にぶつかった時にどうすればいいかわかりませんから、逃げ出すことにな
ります。信頼関係など生まれるわけがないのです。同級生とさえうまく関われ
ない若者が増えているようですが、ポケットに手を突っ込んで、ボーッとして
いて友達なんかできないでしょう。
友とは、己れの存在を認めてくれ、共有できる価値観を持ち、共に生きる共生
の素晴らしことを教えてくれる、有り難い存在です。本当に、「在り難い」ので
す。己れを認めてくれる教養を身につけ、品格を磨くべきで、自己中では友は
できません。どのような襟を持つか、それが育児の姿勢ではないでしょうか。
 
大阪で起きたとんでもない育児放棄事件(2010年8月)、襟を正すべき母親が、
襟を正さないとどうなるか、どんな母親であったかは知りませんが、新聞で見
た桜子ちゃんと楓ちゃんの笑顔が、哀れで、悲しくて、情けない。何も食べ物
がない冷蔵庫を開ける桜子ちゃん、その刹那を思うと……、最後につぶやいた
言葉は、「ママ?」ではなかったか。(合掌)    
       (2012年3月 無期懲役の判決が出ました)
 
放映された宮部さんの「ペテロの葬列」は、ご存知のように「誰か」「名も無き毒」
(トラブルメーカー、原田いずみには仰天!)に続く杉村三郎シリーズの第3作で
す。キリストの弟子であることを三度否認したペテロですが、杉村氏は二作とも「理
解されない人」になり、三作目でも理解されない人として、とんでもない結末を迎
え、唖然とさせられました。宮部さんの作品には、いつもドギマギさせられながら
読んでいますが、クリスマスの未明、一人の中学生の転落死、殺人か自殺か。学校
内裁判の始まり、「ソロモンの偽証」、文庫本で6巻、読ませてくれました。映画化
されましたから見た方も大勢いるのではないでしょうか。6巻の最後、20年後の
偽証、「負の方程式」、何だと思いました(笑)。
 
閑話休題。
「雨月物語」は、9つの話から成り立ち、前の話が後の話のテーマになってい
ます。一時、ホラーブームなどで、奇怪な映画が、若者たちに受けていたよう
ですが、この「雨月物語」こそ、知的怪異小説ですね。しかも、現実に起きそ
うなことだけに、そら恐ろしい気持ちになります。200年前の江戸時代の人々
の恐怖感は、大変なものだったと想像できます。
「浅茅が宿」は、死んだ妻に再会し、翌日、それが幽霊だった話。
「吉備津の釜」は、真心を裏切られた魂が、悪鬼となって復讐する話。
「蛇性の婬」は、中国の「白蛇伝」と同じで、東映のアニメでみた記憶があり
ますが、2匹の蛇が、これでもかと追いかける恐い話です。熊猫のようなパン
ダにお目にかかったのは、この映画ではなかったかと思います。
現代人が、とかく忘れがちな人間の情愛が、科学的な冷静な目で否定しがちな
不可思議な現象、とはいっても何もわかりませんが、怪異の世界でしっかりと
生きていることが、何とも新鮮な感じがします。「物足りて、心を失う」ですか
……、科学って、何なのでしょうね。
 
ところで、秋成のもう一つの代表作「春雨物語」には、紹介したい話がありま
す。それは、「捨石丸」で、読まれた方なら直ぐに、菊地寛の「恩讐の彼方」と
同じ題材だとわかります。耶馬蹊(大分県北西部にある渓谷)の岸壁を掘り抜
く話は、実話に基づくもので、その岩穴の道は「青の洞門」と呼ばれ、今も残
っています。また、昔話にも「捨て石丸物語」として語り伝えられています。
耶馬蹊の命名者は、第1章で「京都五条の帯屋の娘」で紹介しました江戸時代
の儒学者、頼山陽といわれています。
 
★★江戸時代の時の数え方★★
何かないものかと探していましたら、やはり、ありました。
江戸時代の「時の数え方」です。当時は、午前零時、午後零時(正午)を「九
つ」といい、「2時間を一時(いっとき)」とし、そこから2時間ずつ、ずらし
て八つ、七つ、六つ、五つ、四つという数え方をしていました。面白いことに、
「九つ」から始まって、「八つ」 「七つ」と減っていくのですから、現代人の
感覚だと戸惑います。しかし、これにはきちんとした理由があるのです。掛け
算の九九のお出ましです。
 
まず、鐘を9つ打つ時刻、午前零時、午後12時を「九つ」どきとして、次に
9の2倍の18を打つのですが、真夜中に18も鐘を打たれては、おちおち寝
ていられません。18では多すぎるので、十の位を除いて、2時間後の午前2
時に8つ打ち「八つ」として、以下、
 9×3=27で、十の位を除いて午前4時に7つ打ち「七つ」、      
 9×4=36で、十の位を除いて午前6時に6つ打ち「六つ」、       
 9×5=45で、十の位を除いて午前8時に5つ打ち「五つ」、      
 9×6=54で、十の位を除いて午前10時に4つ打ち「四つ」、
元に戻って、午前12時が「九つ」、午後2時が「八つ」、午後4時が「七つ」、
午後6時が「六つ」、午後8時が「五つ」、午後10時が「四つ」、そして午前零時
が「九つ」と、こういう仕掛けなのです。
 
素朴な疑問ですが、なぜ10から始めなかったのでしょうか。
その理由は、陰陽思想では十を完全な数として数の頂点と考え、十は最上のた
め満ち足りると次はなくなってしまう、満月が欠けていくのと同じで、九を陽
(奇数)の最上、八を陰(偶数)の最上の数と考え神聖視していたことによるもの
です。
余談になりますが、聖徳太子の「十七条の憲法」は陰と陽の最上の数を足した
もので、陰陽思想の影響を受けてできたと言われているそうです。
 
また、時刻の決め方も世界標準時間などない頃ですから、こういったことで決
めていました。
 
江戸の時刻は、太陽の上るのを明(あけ)六ツとして、日没を暮六ツとし
て、その間を六等 分して昼の一刻を決める。夜は日の入りから翌朝の日
の出までをやはり六等分して夜の一刻は決められた。従って、夏は日が長
いので、昼の一刻が夜の一刻より実際には長くなった。
(御宿かわせみ 16 八丁堀の湯屋 P250 平岩弓枝 著
 文春文庫 刊)
 
ところで、東京地方の民謡に、この時を表した「お江戸日本橋」があります。
「七つ」を現代の時刻7時と考えると、おかしな歌になってしまいます。東海
道五十三次を歌った長い歌で、全部残っている資料もあるそうで、興味のある
方、パソコンでご覧ください。
 
   お江戸日本橋 七つ立ち
   初のぼり
   行列そろえて アレワイサノサ
   コチャ 高輪`
   夜明けて 提灯(ちょうちん)消す
   コチャェ コチャェ
              
大名の参勤交代の行列を表した歌で、七つ(午前4時)に日本橋を出発し、「下に
~、下に~」の掛け声でゆっくりと進み、高輪で明け六つ(午前6時)を迎えて
提灯の火を消す、のんびりとした行列であることがわかります。正月恒例の箱
根駅伝、スタートの有楽町から高輪まで、あっという間ですから。歌詞に「初
のぼり」とありますが、江戸時代は京都へ行くのを上りといい今とは逆になっ
ています。当時の都は京都で、明治に東京へ遷都されて東京が都となり、東京
へ行くのが上りになりました。
日本橋は現在のコンクリートの橋を架けてから、平成23年10月で百年にな
りましたが、橋の上を高速道路が走り、窮屈で無残な姿になっています。あの
関東大震災や東京大空襲にも耐えた橋であり、親柱には「東京市の守護神・獅
子像」と「15代将軍徳川慶喜の揮毫(きごう)した銘板」が設置されている
由緒ある橋で、もっと優しく保存してあげるべきではないでしょうか。
 
ところで、小江戸と呼ばれる川越には、江戸時代の風情を今に残す蔵造りの家
並みを見下ろすように、「時の鐘」がそびえたっています。鐘楼の高さは15.
9メートル、トタン屋根三層作りの木造で、階段はありますが上れません。毎
日6時、正午、15時、18時の4回、時を告げ、平成4年(1996)に環境
庁主催の「残したい日本の風景百選」にも選ばれています。
時の鐘は、今から400年前に創建されたといわれ、現在建っているのは4代
目。明治26年に起きた川越大火災後に再建されたもので、耐震診断の結果、
「倒壊の恐れあり」と判明。明治27年の再建当時の姿に戻す復元工事も実施
され、平成29年1月、工事は無事終了。塔の下で売っている名物の焼き団子、
何とも香ばしい匂いに、素通りできません(笑)。
                              
最近、きかれなくなった落語に、「時そば」と題した噺があります。              
ちょうど九つどきに、屋台のそば屋で勘定を払う男が、細かい銭で済まないが
と、数えながらおやじさんに渡します。         
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ」       
ここまできたとき男が、いきなり、時間を聞きます。        
「何どきだい?」                               
「へぇ、ここのつで…!」                            
とおやじがいうと、九文目を払わないで、                   
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろ
く、ごちそうさん!」      
と、九をうまくとばして、お客さんが一文、見事にごまかします。 
これをまねた男が、今度は時を間違えて、多く払うはめになる話です。この噺
は、関西では「時うどん」になりますが、薄く透き通った関西風の味も、こた
えられません。やはり、この時の数え方も、訳ありでした。
 
「ひい、ふ、みい」は、漢字の訓読みですが、これを覚えておくと、日付の読み
方に役に立ちます。
一日を除き、「ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、こ
このか、とおか」となっています。十一日、十二日、十三日と音読みになり、
十四日は「じゅうよっか」と音訓読みになり、二十日は「はつか」となり、幼児
には、難しい読み方になっています。「ついたち」は、一月に紹介しました「十
二支の話」を思い出してください。毎日、カレンダーを見ながら、「今日は、9
月4日、金曜日」とやっていると、無理なく覚えらます。以前、「日づけの歌」
を紹介しましたが、お役に立ちましたか。お読みにならなかった方、YouTube
で見ることができます.
 
★★防災の日★★
9月1日は防災の日です。
ご存知のように、大正12年(1923)に、関東大震災が起きた日です。「災
害は、忘れた頃にやってくる」と言いますが、7年前に東日本大震災が起きま
した。当時、防災非常袋などに、飲料水や非常食、着替え、乾電池などを用意
し、万が一に備えていた方は、少なかったのではないでしょうか。用意した飲
料水などの消費期限(Use by date)をチェックし、想定外の災難に遭わないよ
うに心がけましょう。幼稚園や小学校でも避難訓練をやっていますが、小さい
子ども達は、自分で身を守るすべを知らないものです。幼稚園、小学校にいる
場合は、万全の態勢で臨んでいますから心配ありませんが、一人で外にいる場
合どうしたらよいか、しっかりと教えておきたいものです。
 
東日本大震災が起きるまでの学校選びは、「子どもの足で通える学校」でしたが、
「子どもが安心して通える学校」となりつつあるようです。私立小学校が1校
しかなかった埼玉県は5校に増え、神奈川県では、慶應義塾横浜初等部、日本
大学藤沢小学校が開校し30校に、茨城県では、つくばみらい市に開智小学校
が開校し7校になりました。千葉県の7校の内3校は、新装改築し教育環境の
充実をはかっています。ちなみに東京は53校ですが、平成31年4月に東京
農業大学稲花(とうか)小学校(世田谷)が開校しますから54校になります。
就学児童が減っている中で開校する学校側の狙いは、「安心して通える地元の学
校」ではないでしょうか。「教育は国家百年の計」ともいわれていますが、地方
の教育が充実するのは、長い目で見れば、わが国の教育のためにも歓迎すべき
ことだからです。
 
最後になりましたが、今年の二百十日(立春から数えて210日目)は9月1
日。この時季に、稲は花開き実を結びますが、台風が日本列島を襲い、農作物
が被害を受けるため、お百姓さんには厄日といわれ、奈良県大和神社の「風鎮
祭」、富山県の「おわら風の盆」など、各地で台風に暴れられないように、風雨
を鎮めるお祭りが行われています。
なお、二百十日は。2020年まで、ずっと9月1日で、閏年(うるうどし)
だけ8月31日になるそうです。
 
かまびすしい蝉の声が、少し静かになり、「秋、近し」を実感しています。期待
を込めて。
(次回は、「9月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第41号-
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第11章  お月見です   長 月(2)
  
★★秋の七草★★
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災
で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を
食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味で食べたのでしょう。これも昔の人の
生活の知恵です。
 
秋の七草は、どうでしょうか。
萩(はぎ) 薄(すすき) 葛(くず) 撫子(なでしこ) 女郎花(おみなえし) 
藤袴(ふじばかま) 桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が
多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉
は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。
 
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七
草といわれるようになったのです。
 
 秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花
   芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花
    女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花  
 
(万葉集八巻 山上憶良)
 
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした
感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめま
す。いや、もっと現実的な秋の七草があります。
 
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選ん
だ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、彼
岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいどう)
の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかっている
感じがします。
 
平成にふさわしい「秋の七草」は、インターネットの投票によると、春の七草
でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
 
    ハギ キキョウ  コスモス ススキ ヒガンバナ
          リンドウ ナデシコ 秋の七草
 
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わっ
てきますが、いかがでしょうか。
 
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、
何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任を
もって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、
強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を
咲かせます。さすが、メキシコ産と納得しているのは、私だけでしょうか。
「秋桜」と書いて「コスモス」と、今までになかった読み方が広まったのは、
山口百恵さんのヒット曲「秋桜(コスモス)」(1977年 昭和52年)から
だそうで、作詞、作曲者のさだ まさし氏は、「小春日和」と名づけていたとか。
嫁ぐ娘が母を思う曲で、
 
♪突然涙こぼし元気でと 何度も何度も繰り返す母
 ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
 こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせてください♪
 
泣かされましたね、男のくせに。(赤面)
もう一つのヒット曲「プレイバックPart2」にはびっくり。あんなリズムで歌
える歌手は、当時、いませんでしたから。「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ! 
Play back Play back!」と蓮っ葉なセリフが、かわいかったですね(笑)。 旧
伸芽会にお世話になっていた時、教室のあったマンションに三浦夫妻が住んで
おり、長男の小学校受験で、私がお世話をする可能性もあったのですが、引っ
越しをされ実現しませんでした。(残念!)
 
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰
暦9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの数
を重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、この
ように奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、神聖
視されていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
 
  この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よ
わいぐさ)」などとい
  われ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花
をひたして飲む
  と、長生きできるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊に
かぶせて露にしめら
  せた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。
        (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 
P180-181)
 
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集
めて作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を
治し、邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
そういえば、「菊政宗」という日本酒がありますが、命名のいわれは、これでし
ょう。菊正宗の純米酒は「上善如水(じょうぜん水のごとし)」で絶品です。適
量をたしなめば、酒も良薬の一種に違いないのですが、適量をたしなむのは至
難の業で、意志の強い持ち主でなければ難しいですね。苦労しています(笑)。
 
脱線しますが、千利休は「酒盃の銘」で、「一盃は、人、酒を呑む。二盃は、酒、
酒を呑む。三盃は、酒、人を呑む」といっていますが、けだし、名言ですね。
酒が人を呑むと虎に変身しますが、なぜ、酔っぱらいを虎というのか、親父の
話では、酒のことを「ささ」といい、笹の生えているところに虎がいるからだ
といっていましたが、酔っぱらいを収容する所を「トラ箱」というのもうなず
けますね。
 
蛇足ですが、「上善如水」は5月に紹介しましたが、老子道徳8章にある「水は
万物を潤し、利を与え、自分を主張することなく、器に添って形を変え、争わ
ず、流れに逆らわない。老子の無為自然の生き方」をいうもので、新潟の白龍
酒造にも「上善如水」があり、何だか名酒を賛美するための言葉のようですが、
とんでもない誤りで、酒飲みがカッコつけて飲むための言い訳にすぎません
(笑)。
 
「菊」は漢名(中国での名称)の「菊」を音読みしたもので、「菊」の漢
字は「散らばった米を一ヶ所に集める」の意味があり、菊の花弁を米に見
立てたもの。
また、漢名の「菊」は、「究極、最終」を意味し、1年の一番終わりに咲
くことから名づけられた。
(www.hana300.com/kiku00.htmlより)
 
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさ
わしい花であることも肯けます。
 
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の
画材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかっ
ている感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけよ
うのない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
 
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいで
すね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩
秋から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花は、ひっそりと咲いて
いるからこそ、もののあわれを誘います。
女性も、ひっそりと、ひかえめがいいのですが、今風ではありません。これを
いうのには、勇気がいります。「ますらお不在」といわれそうだからです。「ま
すらお」は「丈夫・益荒男」と書き、強くて、堂々とした、立派な男子のこと
です。
 
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に
菊を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊
花大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
この勲章を、断る方がいます。確固たる理由があるのでしょう。そういった話
を聞くたびに、なぜか、さわやかな気持ちになります。もっとも、私自身、勲
章をもらえる条件が何もなく、ひがんでいるにすぎないのですが(笑)。
 
リーズナブルな刺身についているプラスチック製の菊、あれは単なる飾り物で
すが、上等な刺身には、食用の生菊が、さん然と輝いています。これは高価な
ものですから、必ず、頂きましょう。菊の花をむしって、小皿の醤油に散らし、
刺身と一緒に食べます。
菊は、わさび、生姜、レモン、酢橘(すだち)、蓼(たで)と同様、食中毒や食
材の腐食を防ぐ自然の優れものです。これらの菊は、観賞用とは異なり食用と
して栽培されたもので、さっと湯がいて三杯酢で食べても、おひたしにしても、
なかなかおつなものです。
 
ところで、刺身をのせている「刺身のつま」というのでしょうか、面白い存在で
すね。
ほとんどが大根か海藻(おごのり)ですが、あれがついていないと、何か物足
りない感じがします。しかし、ほとんどの方は、決して、好んで、食べません。
明治生まれの親父は、それこそ一本も残さず食べていましたから、私も残せま
せん。主役の鮪や鯛の刺身を引き立たせる脇役を立派に果たしているのですが、
刺身のなくなった後の姿は、何とも哀れです。「人間、引き際が大切だと教えて
いるのではないでしょうか」などと、「よいしょ」することもありませんが、何
かかばってあげたくなりませんか(笑)。
 
話を戻して、五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県
花は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用いま
すから、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
 
日本の三大怪談話は、「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹燈籠」ですが、「1枚、
2枚……」と夜な夜な皿を数える幽霊の名は「お菊」だからいいのであって、
「おなべ」「おくま」「おとら」ではさまにならないという話を阿刀田 高氏の本
で読んだのですが、「アッハッハ!」と笑っただけで、出典を控えませんでした、
済みません。こういった幽霊なら、寝苦しい丑三つ時(午前2時ごろ)に出て
ほしいですね。丑三つ時は、幽霊の出動時間です(笑)。
 
最後に、ことわざを一つ。
  「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
蘭と菊は、四君子の二つです。 
島根県にも清水寺があることを、五木寛之氏の「百寺巡礼 第8巻」(講談社 
刊)を読んで知り、素晴らしい三重塔を見ようとパソコンで検索していた時に、
島根県江津市のホームページで、この解説を読んだのですが、わかりやすいの
で紹介しましょう。
 
   中国では、「梅」「蘭」「竹」「菊」の4種の草木は「四君子」と呼ばれ、
古来より人々
に愛されています。「君子」とは人徳・学識・礼儀に優れた人のことですが、
「梅蘭
竹菊」は気品の高い美しさを備え、梅は高潔、蘭は清逸、竹は節操、菊は
淡泊と
「君子」に似た特徴をもっていることから、草木の中の「四君子」に例え
られています。
      筆者注 清逸(せいいつ) 清く浮世離れしていること
        (島根県江津市のホームページ 
http://www.city.gotsu.lg.jp/6490.html)
 
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」
があります。菖蒲は5
月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用いるもので、6日と1
0日では間に合わな
いことから、「時期に遅れて役に立たないこと」のたとえです。類義語としては
「後の祭り」「夏炉冬
扇」、ちなみに英語では“a day after fair”だそうです。
    (kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
 
(次回は、「菊花の約」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です   長 月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第40号-
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第11章 お月見です   長 月(1)
 
暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、秋
空が 「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅(あ
か)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから「夜
長月」の略が、わかりやすいですね。
これにも、いろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」
を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあかりつ
き)」が略されたという説もあるそうです。
 
★★お月見ですね★★
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日
から20日頃が見頃です。
 
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあ
り、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったも
のです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を酌
み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、
お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたか
ら、とにかく自然が頼みの綱です。
 
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったの
です。
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けて
いきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には
半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けす
る月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作
業の時期、段取りを行っていました。 
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月
さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝
の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
 
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさん
と受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を
込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。私の
小学校時代(昭和20年代)の日本の景気は、米の収穫量で決まりですから、
何とか穏便にと思うのは、当然でしょう。
台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、ぼう然と
眺めていたお百姓さんの姿を、何回も見ましたが、子ども心にも悔しい思いを
したものでした。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物、
芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
 
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月17日頃)の
十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片
見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。十三夜は、
栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝来
したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、
こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋た
けなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確か
めてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出
となるものです。
 
ご覧になったかと思いますが、2016年は、7月に2回、2日と31日に満
月が現われました。これをブルームーンと呼び、2、3年に1度の割合で起こ
り、今年1月と3月にもみられた天体現象です。ブルームーンの名称の由来は、
英語の慣用句に“once in a blue moon”(珍しいことやまれなことのたとえ)
があり、まれな現象を「ブルームーン」ということだからだそうです。次回の
年間2回のブルームーンは19年後、年1回は2020年10月31日だそう
です。
 
「月光」といえば、ベートーベンの「ムーンライト・ソナタ 月光」を思い浮
かべる方が多いのではないでしょうか。私はグレン・ミラーの作曲した「ムー
ンライト・セレナード」で、ミラーの生涯を描いた「グレン・ミラー物語」を
1週間、毎日、映画館に通って観たものでした。「真珠の首飾り」「茶色の小瓶」
「イン・ザ・ムード」などの演奏も楽しみでしたが、全盛時代のジャズの王様、
ルイ・アームストロングの率いる、ほれぼれするようなメンバーの熱演を観る
ことができたからです。曲は「ベージン・ストリート・ブルース」で、ドラム
のジーン・クルーパーとコージー・コールのドラム合戦は、何回観ても飽きま
せんでした。入口のお姉さんと顔見知りになり、「私も長い間この仕事をやって
いるけど、学生さんのような人は初めて!」とあきれ顔でいわれました(笑)。
この頃から、ドラムに憧れていたのです、高校1年生の時でした。
                     
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得
力があります。これは、子どもの頃に、お百姓さんから聞いた話ですが、今で
もよく覚えています。なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由ですが、
すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れなが
ら、その穂で、しっかりと神様を捕まえ、豊作をお願いしたいからだといって
いました。今は、郊外に出かけないと見られなくなりましたが、子どもの頃に
は、そうですね、見上げるほどの高さですから、2メートルぐらいになるのも
あり、これなら神様を絶対に逃さないと思ったものです。       
                                
★★なぜ、お供え物に芋があったのでしょうか★★
米で作ったおだんごや果物、それに採れたての野菜などを供えたものです。
母からよく聞いた話ですが、お日さまには天照大神(あまてらすおおみかみ)
が、お月さまには月読命(つきよみのみこと)という神さまがお住みになり、
お日さまを浴びていろいろな物が育つように、お月さまの光にも不思議なエネ
ルギーがあって、その光を浴びた物を食べると、健康で長生きするからだとい
っていました。
「かぐや姫」のラストシーンで、月の光で侍が、ばたばた倒れますが、あれを
思い出し納得していました。数々の怪獣を一撃で倒すウルトラマンのスペシウ
ム光線ではありませんが、月光の威力に感嘆したものです。あの場面には、い
つも魅せられていました、UFOの世界です。こういった空想は、時代を超越
し、夢があります。科学が、1つ1つ、その根拠を壊していますけれど、サン
タのプレゼントと共に、幼児期の楽しい夢であり、一緒に楽しんであげるもの
ではないでしょうか。  
                      
このウルトラマンに目下、孫がはまっていて、「それはバルタン星人だろう」と
言ったら、「おじいちゃん、何で怪獣の名前を知っているの?」と尊敬されてし
まいました。もう40年前になりますが、長男が夢中になって遊んでいたもの
で、いまだ人気が衰えないようですね。女の子には、リカちゃん人形が人気の
的で、サンタの代わりに買いに出かけたものでしたが、新作、マサト君が出た
年は手に入れるのに苦労したことを思い出しました(笑)。
 
ところで、子どもの頃ですから、「夜露」がよくわかりませんでした。供えてあ
る果物や芋が、夜露に濡れて、月の明かりで光っているのです。神秘的でした。
ですから、夜露に光る果物を食べると、何やら力がつくような気がしましたし、
おいしいと思いました。感動して、母の話を信じていたものです。
「神秘的……」、響きのいい言葉ではありませんか。「迷信だ」といって信じな
い大人は結構ですが、そういって子どもの夢を簡単に壊すようでは、空想力や
想像力も育たないのではないかと思いますね。
    【注】 古事記には天照大御神、日本書紀には天照大神と明記されて
います。
 
今では、お月見に、だんごやすすきなどをお供えする家庭も少ないでしょうが、
芋を飾る話はさらに聞かないのではありませんか。ところが、私の子どもの頃
は、芋は、欠かせなかったようでした。
しかし、どうしてお月さまに芋を供えたのか、このことです。おだんごや果物
は、納得できましたが、芋はわかりませんでした。お月さまと芋は、どう考え
ても結びつきません。
これも、じいさまから聞いた話ですが、米が主食になる前は、里芋や山芋が主
食でした。今は、さつま芋掘りは、秋の観光イベントに欠かせないものですが、
その収穫が、ちょうど十五夜の頃でしたから、感謝の気持ちを表しお供えをし
たそうです。お月見は、芋などの畑作の収穫祭でもあったわけですね。それで、
中秋の名月を「芋名月」ともいったのです。
 
川越は、さつま芋の名産地で、秋には小さな子達が、芋掘りにやってきます。
盛り付けの鮮やかな和食「芋ご膳」からソフト・クリームまで、美味しいもの
がたくさんありますが、戦後の食糧難の時代に、朝、昼、晩と三食、さつま芋
を食べた世代ですから、見ただけで胸焼けがし、どうしても手が出ません。な
どと言いながら、さつま芋から作った地ビールだけは、飲んでいます(笑)。妙
にこだわりますが、ソフト・クリームは、正しくはsoft  ice  cream です。
 
ところで、「栗よりうまい十三里」ともいいますが、この語源、川越に住んで4
0数年になるというのに知りませんでした。酒の話が楽しいドイツ文学者、高
橋義孝教授の随筆に、「目からうろこ」の話がありました。正確には「目からう
ろこが落ちる」で、英語では“The scales fall from one’s eyes”だそうで
す。(「故事ことわざ辞典」より)
 くりよりうまい十三里、すなわちさつまいもの集散地は埼玉県の川越で、川
越は江戸から十三里へだたっているから、九里と四里とを合わせて十三里、川
越ということになり、その川越の名産物さつまいもは栗よりもうまいというこ
となのである。
                     (「叱言たわごと独り言」高橋義
孝 著 新潮文庫 刊)
叱言、「こごと」と読みます。辞書では「小言」となりますが、文学の世界では、
正式な表現でなくても、その文学者独自の考え方、表現が許されるからです。
小言は軽く聞き流せますが、叱言はかなり怖いですね(笑)。
 
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
今の小学生は、笑ってばかにしますが、私の子どもの頃は、宇宙船アポロなど
は、想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じていました、あ
る時期までは。うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をつ
いているようにも見えました。
 
           うさぎ うさぎ   なに見て跳ねる     
           十五夜お月さん見て 跳ねる     
 
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
 
ところで、私の子どもの頃のおじいさんたちは、本当に話がうまかったのです。
いま聞くと、吹き出したくなるものばかりでしょうが、夢がありました。これ
もその一つなのですが、お月さまにうさぎが住んでいる証拠は、
「満月の晩に見てみ、うさぎが餅をついているように見えるのは、あれは、う
さぎの国の旗、国旗だ。お月さんはうさぎの国だと、宣告しているのだよ」
といったものでした。戦後のことでしたが、戦争は、命を的にした領土の争奪
戦ですから説得力もありました。それで、私が、
「じゃ、おじいちゃん、地球を月のうさぎが見たら、どんな旗に見えるのかな?」
「そりゃ、人間に決まっとるがな」
理屈でなくて、何だかおかしな話でしたが、本当のような気がするのです。う
さぎが住んでいるから「うさぎの旗」、人間が住んでいるから「人間の旗」なの
だそうです。おじいちゃんの頭に浮かぶ人間は、絶対に日本人です。そして、
日の丸の旗を持っているに違いありません。もしかしなくても、旗を持ってい
るのは兵隊さんです。おじいちゃんにとって日本は、神州不滅の国でしたから。
こういったお年寄りとの楽しい会話が、懐かしく思い出されます。昔のお年寄
りは、一家の生活の一部を、きちんと担っていたのではないでしょうか、それ
も、尊敬されて、です……。
 
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝す
る心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操
教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空
を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にま
つわる伝説を知る機会になるかもしれません。3つの星が並ぶオリオン座と宵
の明星、金星しか識別できませんから、偉そうなことはいえませんが(笑)。
             
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、
いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、
こんなに違うものかと驚かされました。
 
中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいる
ともいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、
インドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひ
っかいた傷に見えるそうです。
        (心を育てる 子ども歳時記 12ヵ月  監修 橋本裕之 
講談社 刊 P83)
 
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いてい
たのですね。
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺め
てみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星
や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがで
しょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
 
長男が小学生の頃、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をして
いるのかな」とかなり大人を困らせる質問をしたものです。話をよく聞いてみ
ると、常に表だけ見えて、裏側はどうなっているかなんですね。言われてみれ
ばその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこが探求心の旺盛な子どもの
ことですから、困り果てました。友人に星座に詳しいロマンチストがいるのを
思い出し、聞いたところ、「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が一致
しているから、常に表しか見えない」といわれ、子どもにどう説明したか思い
出せませんが、多分、いい加減な話で煙に巻いたのではないかと思います(笑)。
皆さんは、どう説明しますか。
 
最後に、お月さまといえば、文部省唱歌の「月」(詩曲 作者不詳)を、懐かし
く思い出します。
 
1. 出た 出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような月が
2. 隠れた雲に   黒い 黒い 真っ黒い   墨のような 雲に
3. また出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような月が
 
といっても、しみじみと眺めた、詩情豊かなといった高尚なものではなく、つ
まらない遊びなのですが、なぜか、思い出すのです。この歌詞を、逆さまから
歌うだけの、ばかげた話ですが、これがおかしくって……。
 
1.たで たで がきつ  いるま いるま いるまんま  なうよのんぼ がきつ
2.たれくか にもく  いろく いろく いろっくま  なうよのみす にもく
 
みんなで、なぜだか、ゲラゲラ笑いながら、品悪く歌って、面白がっていたの
です。
「いーるま いーるま いるまんま」とか「いーろく いーろく いろっくま」
と声を張り上げて。
今、歌ってみても、笑っちゃいますね、ばかばかしくて(大笑い)。何しろ、戦
後の何もない時代でしたから、こんなことでも楽しかったんですね。この歌を
聞くと、いつもお腹をすかしていた、あの頃を思い出します。
 
台風12号、関東には直撃しませんでしたが、豪雨の災害からまだ復興してい
ない西日本地方には、大きな痛手となりました。関東には猛暑が戻り、川越は
1日に38度を超えたようです。熊谷の41,1度のときも38度を記録しま
したが、体温より高いですから、後期高齢者には、きついですね。(笑)
(次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(4)
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回は、戦争に
ついて、ご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
私見ですが、憲法学者が「自衛隊そのものが憲法違反」だといい、「憲法9条改
定についてはその必要なし」という。「自衛隊は憲法違反だが、9条は改定しな
くてよい」となれば、一体どうやって国を守ればいいのでしょうか。「攻撃する
能力があっても仕掛けないのが最大の防御」、これが世界大戦にならない抑止力
となっていると考えますが、皆さんは、いかがでしょうか。中国と北朝鮮の軍
事力に脅威を覚えない人はいないと思います。仲裁裁判所の判決を「紙くず同
然」と切り捨てる中国の傲慢な態度を見ると、「備えあれば憂いなし」、我が子
や孫のためにも、どういった政策がいいのか、私たち親は、真剣に考えるべき
ではないでしょうか。観念論だけでは、日本を守ることなど不可能です。もっ
とも、日本など中国の属国になればというのなら話は別ですが……。チベット、
新疆ウイグル問題を知らないはずはないのに、自由の有り難さを噛みしめる必
要はないのでしょうか。百田茂樹氏の「カエルの楽園」、寓話的な「警世の書」
であればいいのですが。「憲法9条さえ守っていれば日本は平和である。たとえ
滅んでも平和である」、滅んだ民族に平和があっても、何の価値もないだろうに。
最後は、ぞっとしましたね。
森友・加計問題にこだわった国会議員の先生方、トランプ大統領ではありませ
んが、「他にやることがないのか!」と言いたい。
 
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。もし、親父の転勤がなければ、この日で私の人生は終わっていた
かも知れません。東京の下町、日暮里に住んでいたからです。戦後、訪ねた親
父の話では、一面焼け野原で、知人は誰もいなかったそうです。
「東京大空襲ものがたり」、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当
時の世相や風習もわかりやすく解説されています。作者は早乙女勝元氏で、既
刊の「東京大空襲」は読みましたが、こういった映画があり、子どもたちにも読
める本があるとは知りませんでした。(怠慢!)ダイジェストにするのはおこが
ましいと思い、本文を少し紹介することにしました。
 
 今井正監督の「戦争と平和」。
主演は20歳になったばかりの愛らしい工藤夕貴。空襲のシーンは、思わず
息をのむ凄さです。主人公の電柱を巡って、次々に起こる悲しいできごと。
私は作者であることを忘れて涙が止まりませんでした。なお、映画の原作分
「戦争と平和」は講談社から刊行されましたが、私はこの電柱のことを子ど
も達に伝えようと、同じ題材で書いたのが、この「東京大空襲ものがたり」
となったのです。
 
 「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
 ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
 これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐ
れてしまったのです。
 二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つ
らく悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東
京下町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン
照りの日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、
私に、そしてみんなに語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわっ
て、こう呼びかけるのです。
  誰もが、平和を守るための努力を、
  そのための、小さな勇気を、
  わすれてはいけない、と。
     花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり  早乙女勝元 著 有原誠治 絵  金の星社 刊)
 
絵は、アニメの好きな方にはすぐわかる有原誠治氏。辛い体験をされた多くの
方々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があ
ったことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思いま
す。久しぶりに図書館に出かけ読んだのですが、「楽をするなよ!」と叱りつけ
られた気がしました。長女が小学生の頃、涙ながらに読んでいた「ガラスのう
さぎ」にも出会いました。(反省)
 
長崎のピカ
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死
んでいったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわ
たを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいった
けれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれい
な船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、お
いでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれ
ど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようには
れあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動か
ないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。下
の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなってい
くので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中だ
いて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
    夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編  国土社 刊
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけで
す。
私は広島に原子爆弾が落とされた時、岡山の県境にある忠臣蔵で名高い播州赤
穂、兵庫県赤穂町に住んでいました。真っ青に晴れ渡った暑い朝でした。突然、
空が濃霧のようなものに覆われ、真夏の太陽が肉眼で見えるほどになったので
す。これが、あの悪名高きキノコ雲が流れてきたのだとは知りませんでした。
「新型爆弾が落とされたらしい!」と、大人達が声をひそめて、ささやきあっ
ていたことを覚えています。
5歳の夏でした。 
 
8月6日は広島原爆忌。
慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻みながら、原発を受け入れ、想定
外の事故とはいえ、過ちを繰り返してしまいました。しかし、もう草木も生え
ないだろうといわれた廃墟の中から、広島も、長崎も、復興しました。快適な
文化生活を望み、その結果として原発は作られたことも、自分達の住む町にな
いことに胸をなでおろし、後ろめたい気持ちで、私達は承知していたのではな
いでしょうか。ですから、日本列島に50基もの原発が設置されたわけです。
東電や福島県民や設置された地域の皆さん方だけが苦労するだけではなく、国
民全員が、不便な生活へ戻ることを覚悟し、真摯な気持ちで「電力について」
考えるべきではないでしょうか。「原発反対」だけでは代替エネルギーは手に入
りません。この猛暑、クーラーなしの生活、考えただけでもぞっとしませんか。
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」、情けない話ですが、人間、本当に弱いですね。
性根を据えて考えるべきだと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
 
ところで、東京大学法学部出身の現役エリート官僚が書いた「原発ホワイトア
ウト」(若杉 冽 著 講談社 刊)を読み、モンスターシステムを知り、よく
ぞ発表できたものと脱帽しました。
私が学生の頃、週刊誌創設ブームで、トップ屋、事件記者として活躍し、その
後「黒の試走車」「赤いダイア」「汚職ざんまい」など、産業スパイや政財界を
舞台に、城山三郎と共に一世を風靡した作家、梶山季之が、企業の暗部や闇社
会を暴露しましたが、ある週刊誌のインタビューで、「こういったことを書いて
ぃると命を狙われるのでは」と問われ、「事実を書いている内は殺されません」
と答えていたことを思い出しました。
「大統領の殺し屋」(光文社文庫 刊)を再読しましたが、イケルヴィッチ、シ
ロカネスキーと池田隼人や黒金泰美がモデルとわかる人物が出てくる、自民党
総裁選挙に絡む汚職の実態を暴いたもので、最後の2行に「この作品は、すべ
て架空の物語です。しかし、もし事実の部分があるとしたら、筆者が何らかの
形で報復されるでしょう」と挑戦状を叩きつけた好漢。45歳の若さで香港に
て客死。報復されたのではとの疑念が消えないまま、旺盛なサービス精神が災
いし、寿命を縮めた逸材でした。
その後、森村誠一、清水一行、広瀬二紀、三好徹、高杉良など社会派が活躍し、
氏の精神は受け継がれていることがわかります。大好きな作家の1人で、本棚
にはかなりくたびれた文庫本が22冊、大きな顔をして残っています。困った
ことに、同じ棚には友人であった山口瞳の「けっぱり先生」(モデルは桐朋学園
の名物先生、生江義男)など20冊があり、いずれも読み始めると止まらず、
仕事に差しさわりが出て困っています(笑)。
 
元に戻して、読み応えがあるので粗筋は省きますが、原発の安全を脅かすのは、
地震や津波などの自然災害だけではなく、もっと簡単に福島以上の災害をもた
らすことが明らかにされています。送電する鉄塔を利用することなのですが…
…。「熱しやすく冷めやすい」私達に、「原発問題は、これでいいのか」と問い
かける警鐘ではないでしょうか。舞台は新潟、柏崎刈羽原発、山本議員らしき
人も出てきます。
 
◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは
特攻基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の
近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれて
いました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹
がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したの
です。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き
残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が
配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきた
のです。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘
達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」
と言いました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さん
が現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎ
られ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合
図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛い
ように伝わってきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さ
んが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん
達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を
聞いているようでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
  日本むかしばなし 23
   ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢 祐光 絵  ポプラ社 刊 
 
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、むなしい。多くの人達の犠牲でつか
んだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。特攻に関しては
11月にお話します。
 
4月に紹介した「同期の桜」の4番です。
 
    貴様と俺とは同期の桜  離れ離れに散ろうとも
    花の都の靖国神社    花の梢に咲いて会おう
 
戦場で命を落とすのは、多くは前途のある若者達です。終戦記念日には、毎年
のように親父に連れられ靖国神社へお参りしたもので、「今の平和は、ここに眠
る人々の愛国心から築かれたものだ。忘れるなよ、紀元!」、これが口癖でした。
60年安保闘争に参加した時、「日本の平和は憲法9条で守られているわけでは
ない。安保条約で守られていることがわからんのか! 反対なら、日本人をや
めて、とっととソ連へ移住しろ!」と怒鳴られたものでした。明治生まれのお
父さん方は、信念がありましたね。平和ボケ、親父が生きていたら嘆くだろう
な。しかし、段々と考えや言うことが、親父に似てきたようで、泉下で苦笑し
ているかもしれません。白百合学園小学校は靖国神社のすぐそばにありますが、
学校説明会へ参加した帰りには参拝し、境内に併設された同社の祭神ゆかりの
資料を集めた遊就館に出かけ、元気を頂いています。
 
盛夏、真夏に怪談話を一席。 
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り
替えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないでしょ
う。
 
◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いに
きたのです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日
目の晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青
ざめた顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめを
あげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来
ると姿を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさん
は、和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというので
す。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみ
つき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが
売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死ん
だら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭
はなかったのです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭
で、 毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏
を唱えたのでした。
          海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                        日本民話の会・編  国土社 刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
戦争の話はこれまでにして、全くの余談になりますが、NHKの大河ドラマ「花
燃ゆ」は、せっかちな私にはまどろっこしいテンポにイライラし、高杉晋作を
扱った本を読み直してみました。その中の一冊、幕末、官軍につくか幕府に従
うか、迷う長岡藩家老、河井継之助を描いた「峠 (上下)」(司馬遼太郎 著 
新潮社 刊)には、晋作は“ただ者”ではなかったことが書かれたおり、イラ
イラの源は、この本であったと納得しましたが、読書とは有り難いもので、今
回、読み落としていた3つのことに気づきました。
 
第1に、下巻の50~100頁には、福澤諭吉の西洋の自由と権利に基づく「独
立自尊」の精神が発酵する過程も描かれていたことです。付箋がたくさん貼っ
てあるのですが、このところは1枚もなし。30歳後半で、まだ幼児教育に手
を染めていないからでした。
 
第2は、官軍に囲まれ長岡で、戦いを挑む時に、継之助は土民を奮起させるた
めに、文章を書いて配ったのですが、読む相手を考え、漢文や候文(そうろう
ぶん)ではなく、話し言葉で書いてあることでした。いわゆる言文一致体、山
田美妙から始まったと思っていたのですが、何と、先輩がいました。
 
第3は、諭吉が酒好きであることでしたね。
母親が幼童の福澤の月代(さかやき)を剃るとき、痛さに我慢できなくなり泣
くと、母親は、「あとで酒をたべさせるから」となだめて剃ったとか。こういっ
た話に出会うと、うれしくなりますね。「酒をたべさせる」は誤植ではありませ
ん。酒粕ではないでしょうか。私も幼少のみぎり、少し食べて頬を染め、ボー
ッとなった記憶があるからです。この幼児体験が酒好きになったとは、単なる
言い訳です。以上、全くの余談ですが、長く引っ張ってきたのは、福澤諭吉が
酒好きであったことをいいたかったのです(笑)。
 (次回は、「お月見です」についてお話しましょう」

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第38号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(3)
 
★★日本に富士山はいくつあるでしょうか★★
皆さんの住む街に「○○銀座」と命名されている所はありませんか。かなり、
あるはずです。なぜ、全国、至る所に銀座があるのでしょうか。
 
銀座は、江戸幕府が銀貨の鋳造や発行をした役所のあった所で、明治を迎えて
廃止されましたが、文明開化のもと洋風建築の商店街がつくられ、以来、東京
随一の繁華街と発展し、「銀座」の名前は残ったのです。後発の新宿や池袋に押
され気味でしたが、現在では1丁目から8丁目まで、大人の街として東京の観
光スポットに欠かせない存在となっています。その繁栄にあやかろうと、各地
の中心街の地名に用いられるようになり、そこから人のにぎわう場所を表す言
葉ともなって、全国に300もの「○○銀座商店街」が生まれたのでした。そ
の栄光の第一号は、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」だそうです。
 
文化遺産に登録された富士の名も、銀座と同じように全国に見られます。
いうまでもなく富士山は、山梨と静岡の両県にまたがる日本の最高峰、標高3
776メートルの火山です。宝永4年(1707年 徳川吉宗の時代)の噴火
で宝永山ができ、以来、活動を中止していますが、いつ噴火しても不思議では
ない、歴然とした火の山です。古くから霊峰とあがめられ信仰登山が盛んで、
頂上には浅間(せんげん)神社が祭られ、富士、不二、不二山、不尽山、富岳
(ふがく)、芙蓉峰(ふようほう)、ふじやま、ふじのやま、富士の高根、とい
った名称で親しまれ、桜と共に日本のシンボルとして、世界の人々にも知られ
ています。  
 
ところで、自然環境保全などのために入山料1,000円(6月1日~9月1
1日)を徴収していますが、あの登山ラッシュの様子を見ていると、休む所も、
トイレなどの設備も十分とはいえず、また、安全登山を確保するのも、問題が
出そうですから、当然でしょう。ちなみに、白神山地は大人一人500円、屋
久島は日帰り1,000円、宿泊2,000円ですが、世界の最高峰エベレス
トにネパール側から入山する場合、一人250万円かかるそうです。
 
富士山へ1回だけ登りました。雲海は素晴らしい眺めで、神秘的な気持ちにな
りましたが、土と岩の殺風景な登山道は、人間を寄せ付けない無言の威圧を与
え、富士山は遠くから眺めるものだと痛感したものでした。様々な方角から眺
めるのが好きで、あちこちに出かけましたが、千円札の「逆さ富士」は本栖湖
に映る富士で、案外知られていないのではないでしょうか、絶景です。
 
上高地や尾瀬沼は、学生時代、重装備で登ったものですが、今は観光バスを利
用すればサンダル履きでも行けますから、人、人、人で味気なくなりました。
民話風でなんですが、人間があまり自然に手を加え過ぎると、山の神様の機嫌
を損じることにならないかなと懸念しています。地震と火山活動、日本列島に
住むからには覚悟の上とはいえ、何とか自然と仲良く暮らす知恵を働かせたい
ものです。これは古来、わが民族の宿命ではないでしょうか。
 
富士山に関して、自慢できることが一つ。
昭和44年に初めてジェット機に乗ったのですが、当時西へ行く便は、富士山
の上を飛んでいたので、山頂のすり鉢を見ることができ、写真も撮りました。
乱気流で事故があって以来、山頂は避けているようです。
その山頂にある浅間神社には、古事記によれば、絶世の美女といわれている木
花之佐久夜昆売命(コノハナノサクヤヒメミコ)が主神として祀られています。
読みにくい、覚えがたい神さまがたくさん出てきますが、一度で覚えてしまっ
たのは、女神様だからです(笑)。富士山麓には、日蓮宗を崇める寺院があり、
神道と仏教が仲良く共存しています。一神教では想像できないことですが、な
ぜ、信仰の問題で殺し合うのか、不思議に思うのは、私が不信心者だからでし
ょう。
           
さて、銀座が繁栄にあやかろうと普及したものなら、富士山は、その秀麗な姿
を愛する私たちの心に、いわく言いがたいやすらぎを与えてくれることから、
「おらが故郷の富士」と自賛する富士の名称が、全国に生まれたのではないで
しょうか。 
北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地に富士の名山ありなのです。ちなみ
に、日本には108の火山があり、不思議なことに、12月に紹介しました人
間の煩悩の数と同じでしたが、2017年現在、111だそうです。
一番多いのは北海道の29(北方領土に11)、二番目は何と東京都で、三原山
から最南端の日光火山に至る伊豆、小笠原諸島に21、三番目は鹿児島で10、
近畿、四国には活火山はありません。史上最悪の災害となった御岳山の噴火、
霧島山系の硫黄山周辺、箱根大涌谷、桜島など、地震と同様、自然災害には穏
便に願いたいものです。
 
おらが故郷の富士を紹介しておきましょう。
蝦夷富士(羊蹄山)標高 1,989m
 北海道には、この他に富士に似た山が16山あります。          
 
津軽富士(岩木山)標高 1,625m
 津軽の人々は、岩木山こそ日本一の美しい山で、本家を「駿河富士」と
 呼ばせたい思いがあるそうです。         
  
南部富士(岩手山)標高 2,038m
 静岡県から見た富士山に似ており、片側が削げているように見えること
 から南部片富士ともいわれています。   
  
吾妻富士(吾妻山)標高 1,707m
 浄土平のシンボル、別名吾妻小富士山、本家と同様、摺り鉢状の火口に
 は水はたまっていません。初めて訪れたとき、山頂から見上げる一切経
 山は、霧がかかり、地獄のような姿を見せてくれました。
  
榛名富士(榛名山)標高 1,391m
 榛名山中央にある火口丘で榛名湖の東にそびえ、湖畔に映る姿は美しく、
 頂上にある神社は縁結び、安産の神として信仰されています。
 
信濃富士(黒姫山)標高 2,053m
 黒姫山は妙高、戸隠、飯綱、斑尾山と並ぶ信越五山の一つで、野尻湖へ
 のびた裾野には世界中から集められたコスモスが咲く黒姫高原があります。 
   
伊豆富士(大室山)標高 581m
 お碗を伏せたようなやわらかな曲線の山で、山麓には35種3000本
 の桜を栽培した「さくらの里」があり10月から翌年5月まで咲いてい
 るそうです。  
 
八丈富士(八丈島 西山)標高 854m
 ひょうたん型に似た八丈島の北川にそびえる伊豆七島の最高峰、晴れて
 いれば、ご本家を眺望できます。
  
近江富士(三上山)標高 432m 
  湖国のシンボル、俵藤太の「百足伝説退治」で知られています。   
  
都富士(比叡山)標高 848m
 天台宗総本山延暦寺のある山で、西側の宝が池公園から見ると「ふるさ
 と富士」に見えます。     
  
有馬富士(角山)標高 374m 
 北摂・三田(さんだ)八景の一つで、「有馬富士 ふもとの海は霧に似て 
 波かと聞けば 小野の松風」と花山法皇が詠んだ花山院からの展望が絶景。
     
伯耆富士(大山)標高 1,711m
 鳥取西部にある火山、中国地方の最高峰。中腹に大山寺があり、伯耆(ほ
 うき)富士、出雲富士ともいわれています。     
  
安芸富士(広島 似島)標高 278m
 広島市の沖に浮かぶ似島で、原爆投下後、1万人もの被爆者が運びこま
 れた島。安芸富士は8月6日を忘れません。
  
讃岐富士(飯野山)標高 421m 
 台形型の代表である屋島、奇峰型の代表五剣山と共に香川県の山の典型。  
 
小富士(愛媛 興居島)標高 282m 
 霊峰富士を思い切って縮小すると、こうなるという見本のようなミニ富士
 で、興居島「ゴゴシマ」と読みます。
 
筑紫富士(浮岳)標高 805m
 浮岳は、越前と肥前を分ける背振山地の西端にある山で、唐津焼きで有名
 な唐津側から見ると富士の形に見えます。
  
豊後富士(由布岳)標高 1,584m
 日本を代表する温泉地湯布院町にあり、西峰で360度の展望を楽しめ、
 独立峰のため風が強く、冬は霧氷の名所として知られています。
 
薩摩富士(開聞岳)標高 922m          
 三方を海に囲まれた裾野がきれいな山で日本百名山の一つ。特攻隊員が
 目に止めた最後の内地の山。
 
パソコンで検索すると、標高2000メートルから300メートルに満たないミニ富
士まで、四季折々の富士の山を見ることができます。いずれも見慣れたコニー
デ、円錐状の山で、あるものだなと感心してしまいます。
 
富士山の語源は、日本語説、アイヌ語説、南方語説などあり決め手はないそう
ですが、日本語説は、「『万葉集 巻3』の山辺赤人が詠んだ富士の歌に『不尽
山』と書いてあるところから、永久に尽きることない、千古万古にそびえ立つ
山という意味を込めて、あて字をしたものであろうと解釈する説」だそうです。
   田子の浦うち出でて見れば真白にそ 不尽の高嶺に雪は降りける
    万葉集巻3(318)
(「つい誰かに話したくなる雑学の本」P65 講談社文庫刊 より要訳)
 
話は脇にそれますが、友人に少し斜に構えてものを見る面白い奴がいて、富士
の形は、国家権力を表すヒエラルキーだから、富士山を愛するなど「おめでた
い奴よ」とバカにしていましたね。ヒエラルキーとは、ピラミッド型の階層的
な組織のことですが、明治政府が国民に、日本は将軍に代わり、頂上に天皇を
いただく国であることを印象づけるための国策として、富士山をプロパガンダ
(思想などの宣伝)に利用したのだそうで、その証拠に、銭湯の壁面には、必
ず富士山と松と桜に青い海が描かれ、昔は内風呂のある家は少なく、銭湯を利
用していましたので、入る人は否応なしに見ることになりますから、「国家権力
に従順な人間をこしらえるための陰謀だったのよ」というのです。
 
4月に紹介しました桜が、軍国主義に利用されたことを考えれば、奴の考えも
的を射ているかなとも
思いますが、平和な時代に生きる私には、桜も富士山も平和のシンボルとみて
いいのではというと、
「だから、てめぇちは駄目な奴だというのよ!」と『吾輩は猫である』に出て
くる「クロ」の台詞をそっくり真似て、切って捨てられたものです。
奴は、難しい局面に出会うと、
   来て見れば 聞くより低し 富士の山
          釈迦や孔子も かくやあるらん  村田清風
と、うそぶいたものでした。村田清風は、司馬遼太郎の作品にしばしば登場し
ますが、幕末、長州藩の破産同然の財政を立て直した人です。
学生時代の話ですから、もう50数年前にもなりますが、人間の記憶は、摩訶
不思議な仕組みになっているようですね。すっかり忘れていたことが、突然、
よみがえってくるのですから。でも、奴のいうことが本当の話であったら、何
とも国家権力は、巧妙な手段をこうじるものだと舌を巻きますね。
 
神社の境内を散策するときや、富士の高嶺を仰いだときに感じる気持ち、あれ
が大和心なのではないかなどと、うっかり言おうものなら、「ケッ、年はきちん
と取りたいものよ!」と笑われたに違いありません。何事にも自分の意見を一
つ言わなければ気の済まない一言居士でしたから……。
 
奴は、日本のライオネル・ハンプトンといわれたビブラフォン奏者、スイング
ジャズの素晴らしさを教
えてくれた私の尊敬する大先生、平岡精二氏(生意気にも精ちゃんと呼んでい
ました!)の作った
「あいつ」や「つめ」が大好きでしたが、二人とも冥界に旅立ってしまいまし
た。
「あとに残された者は、いつまでも思い出を背負っていくものなんだな」など
と感傷的な言葉を並べようものなら、「キザは、およしよ!」と容赦なくやられ
るだろうな、奴のことだから……。奴の好きだった「つめ」、こういう歌詞です
が、かなりのロマンチストであったことも間違いありませんね。
 
次号でお話ししますが、当時、社会派の流行作家として大活躍していた梶山季
之が、建築学会と設計に関する醜い争いを暴露した傑作「女の斜塔」の中で、
この歌を紹介しています。氏も精ちゃんのファンであったのかと思ったもので
す。その「女の斜塔」、今読んでも十分、読み応えがあり、素晴らしいストリー
テラーであることがわかります。小説もジャズも、面白いことが生命ですね。
    
     つめ   作詞 作曲 平岡精二
(1)二人暮らしたアパートを  一人ひとりで出て行くの
   すんだことなの今はもう  とてもきれいな夢なのよ
   あなたでなくてできはしない 素敵な夢を持つことよ
   もうよしなさい悪いくせ 爪を噛むのはよくないわ
 
(2)若かったのねお互いに あの頃のこと嘘みたい
   もうしばらくはこの道も 歩きたくないなんとなく
   私のことは大丈夫よ そんな顔してどうしたの 
   直しなさいね悪いくせ 爪を噛むのはよくないわ
                      
精ちゃんの失恋の歌だと聞いていました。お相手は俳優の根上淳さんと結婚し
たペギー葉山さん。恥ずかしがり屋の精ちゃんが、つめを噛む姿を想像しがち
ですが、本当は、ペギーさんの癖だったそうです。
ペギーさんは大ヒットした「南国土佐を後にして」で、全国に知られるように
なりましたが、本当は江利ちえみさん(高倉健の元奥さん)、雪村いずみさんと
共に本格的なジャズを歌える、数少ないジャズシンガーだったのです。
 
ペギーさんのもう一つのビッグヒット曲、「蔦の絡まるチャペル」で始まる「学
生時代」は、青山学院時代に、当時の高等部の2年生であった精ちゃんが、男
子部校舎の窓から見ていたペギーさんの姿を見て作詩、作曲したもの。題名を
「大学時代」と決めていましたが、「大学に行っていない人もいるのだから」とペ
ギーさんが説得、最後は精ちゃんが折れたのだそうです。
 
正門から入って約1分、左側にあるベリーホール前に建てられた、歌詞と自筆
の譜面も刻み込まれた質素な歌碑で、青山学院初等部の学校説明会へ参加した
時には、必ず訪ねています。初めて歌碑を見たとき、50年ほど前の話ですが、
精ちゃんの演奏を聴くために、ジャズ喫茶に通っていた高校生時代を思い出し、
感無量でした。
「歌声喫茶」はロシア民謡などを、アコーディオンの伴奏で、みんなで歌えた
場所であり、「ジャズ喫茶」は、当時の一流ジャズメンの演奏を、一杯100円
のコーヒーで聴けたライブハウスで、70歳前後の方々には、青春時代のよき
思い出の一つになっているのではないでしょうか。しかし、若い皆さん方には、
何のことやらわからないかもしれませんが、年寄りの昔話と読み流してくださ
い。こだわりますが、「ライブハウス」は和製英語で、正しくは“Live  m
usic club”です(笑)。
ちなみに、学院の校歌である「青山学院」の作曲も精ちゃんです。ジャズプレ
ーヤーが、母校の校歌を作曲しているのも珍しいのではないでしょうか。
 
立教大学にも歌碑があります。
鈴木章治(戦後のスイングジャズを支えた名クラリネット奏者)とピーナッツ・
ハッコー(アメリカのクラリネット奏者)が競演して大ヒットした「鈴懸けの
径」の歌碑です。6月の立教小学校の説明会の帰りに見てきましたが、4号館
前の鈴懸けの並木路に、ひっそりとたたずんでいました。もっとも大ヒットを
したのは昭和30年代、作曲されたのは昭和17年ですから、無理のないこと
かもしれません(笑)。
 
余談ですが、私の大好きなシカゴジャズの大御所、エデイー・コンドン(ギタ
ー奏者)とピーナッツ・ハッコーが共演している映像をYouTubeで視聴できま
す。かつて来日した折に、一緒に演奏させて頂いたワイルド・ビル・デビソン
(コルネット奏者)も張り切って演奏しています。その時に収録したCDは、
私の唯一のお宝。バンドマスターの丸山が吹いていたコルネットは、トランペ
ットより音色が柔らかいワイルド・ビルから譲ってもらった、かなり高価な年
代物で、今はプロのトランペッターに、彼の遺言で贈呈し、余生を送っていま
す。いつか一緒に演奏し、その音色を楽しみたいのですが、プロの方との演奏
など、もう空恐ろしくて、できませんね(笑)。
 
猛暑、夏本番。近所の雑木林では、かしましいほどセミが鳴いていますが、日
中、35度を超えると、沈黙していますね。セミも暑いようです。
 
(次回は、「8月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第37号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(2)
 
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。なぜ、鳩なのでしょうか。事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノ
アの方舟」なのですから驚きです。
   
 「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよ
うと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつ
くるように命じました。
 ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつが
いを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて
海に沈みました。          
 数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻っ
てきました。
 それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をく
わえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
 
 この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広
まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」        
  平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
 
映画「天地創造」を思い出します。
歴史に「イフ」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
煙草のピースのデザインも変わっていたでしょうし、イトーヨーカ堂のロゴマ
ークにもなれなかったに違いありません。
煙草のピースですが、ヘビースモーカーであった私は、両切りにフィルターの
付いていないピースの愛好家の一人で、今でもそばでピースを吸われると、あ
の何とも言えない上品な香りに、クラクラとします。他の煙草の煙は今の私に
は単なる嫌な煙です。吸わない人には限りなく迷惑な煙害であることを、愛煙
者は十分に承知して吸ってほしいですね。禁煙してわかったのですが(笑)。
 
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。 
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あ
の鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人
気があるそうです。
ところで、都会では、鳩とカラスが厄介者になりつつあるのも、不思議な縁で
すね。
 
最近、知ったことですが、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続い
て、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と明記されていた文言も消えてしまっ
たそうです。ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、使
わなくなったと聞いたのですが、リオデジャネイロの入場式では使われません
でした。「五輪栄誉賞」の授賞式には登場したそうですが、残念ながら映像を見
ていません。
 
それにしても、東京五輪、何かとすっきりしませんね。「そもそもオリンピック
は、競技大会ではありませんか」と憎まれ口を叩きますが、選手抜きの祭典に
なっているのではありませんか。だったら止めればいい。切磋琢磨している選
手の皆様には申し訳ないですよね。聖火リレーの出発点が、福島に決まったと
か、でも、間に合うのかしら、そっちも心配ですね。
 
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズー
ポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童
謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)
のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽
しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われ
ておらず、よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名
で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞
けます。
         (大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225よ
り要約)
 
               ★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
平和のシンボルの話から一転して、自然の摂理についてお話しましょう、など
と気取ることはないのですが。
夏といえば、海水浴。海水パンツではなく、赤い褌(ふんどし)をしめて泳い
でいました。初めて海で泳いだとき、不覚にも海水を飲んでしまい、その辛い
こと、喉をゼイゼイならしながら鼻水を出した顔はゆがみ、こりているはずな
のに、またしても海水を目に入れたときの、あの痛さに泣いた記憶があります。
当然です。海水約4リットルには、およそ100グラムの塩が含まれていますか
ら、塩辛いわけですし、目に入れば痛いわけです。
 
では、なぜ、塩辛くなるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が、雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたた
めに塩辛くなったのです。
     
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生ま
れたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウム
を溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
 海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所 刊 P283)
 
この海水ですが、どこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、
38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
 
そして、当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
 
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
でも、酸性雨は別物で、これは恐ろしい。もっと「地球にやさしい暮らしをし
てほしい」と、地球自身が警告を発している気がしてなりません。
 
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
 
 海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入って
も泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が
出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈
川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴と
なりました。
    (心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本 裕之  講談
社 刊 P64)
 
小学生の頃から、川や海で泳いでいましたから、夏になれば真っ黒に日焼けし
たものです。瀬戸内海の底まで澄んで見えるきれいな海に育った私は、東京に出
てきて、波がドーンと砕ける江ノ島の海岸に立ったとき、これが海かと信じられ
ないほど汚く見えました。当時 (昭和25年頃)は、打ち寄せる波が砂を掘り
返すので汚れていたように見えたのですが、そこで大勢の人が泳いでいるので
すから、びっくりしたものです。
 
高度成長時代に入り、河川や海洋汚染がすすみ、公害をもたらし、日本の至る
所で自然は壊され、無残な姿をさらけだしていました。自然と無邪気に遊べる
のは、子ども時代だけです。川や海で泳げないなど、私には想像できないこと
でした。10数年前になりますが、日本はおろか世界中の川や湖沼をカヌーで
旅をするリバー・ツーリングのスペシャリスト、野田知佑氏の本を読むたびに
憤慨していたものですが、憤慨しても何も始まらないだけに、虚しくなるだけ
でした。
 
ところが、最近、多摩川は地域の人々や関係者などの努力により、鮎が遡上す
るほど清流が戻り、「江戸前の鮎」を食べられるようになりました。それについ
ては少し気になることがあります。平成24年は1、194万尾、25年は6
45万尾、26年は541万尾、27年は435万尾、28年は463万尾、
29年は158万尾と減少していることでしたが、30年は994万尾と平成
24年に次ぐ大量の遡上。自然を壊すのは簡単ですが、もとに戻すには、大変
な資金と労力と時間がかかります。地道な努力を続けることで、日本の自然は
息を吹き返し、子ども達に自然を返してあげることができるのではと大いに期
待をしています。
 
この鮎ですが、縄張り意識が強く、他の鮎が近づくと攻撃する習性があり、こ
れを利用したのが「鮎の友釣り」で、おとりの鮎を釣り竿につけ、縄張に近づ
け、攻撃する瞬間を狙って吊り上げるそうですが、最近、過密放流が原因か、
鮎自身が群れるようになり、このやり方では釣れなくなっていると新聞に出て
いましたが、世の中、うまくいかないもんですね(笑)。
 
話を戻しまして、野田知佑氏のエッセーは、どれを読んでもわくわくさせられ
ます。
特に、カヌー犬、ガクとの生活は、痛快そのものです。ガクの親は、野田氏と
椎名誠氏ですが、ガクは、人間だと思い込んでいるところがおもしろい。ガク
がご主人に内緒で外泊し(?)、朝帰りして言い訳する様子が、人間らしくて、
笑い転げましたね(大笑い)。
ちなみに、「岳物語」の主人公は、椎名氏の長男で、岳とガクが親友(?)であ
るところが、また、おかしい。「岳物語」は、私にとっては、父親とは何である
かを考えさせられた本でした。また、母親である渡辺一枝さんのエッセー「時
計のない保育園」も、育児の心構えを教えてくれた本でした。目下、岳の3人
の子どもを相手に、「孫はすべてが宝物」と語るエッセー「孫物語」が、笑わせ
てくれます。
 
ところで、「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が
残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と
出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話
ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続
けているとなっていたような記憶があるからです。
 
◆塩ひき臼◆
 金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
  ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に
帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねら
れます。
   「この夜ふけに何をしているのだ」
   「年神様に備える米がない」
  といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
 「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小
人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。
必ず、欲しがるから」
  そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない
宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみ
ると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
  「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止
まるものだ」
 家に帰って、むしろの上に臼を置き、
  「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
   といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
 そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、
盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入
れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと
船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べ
たのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、
  「塩、出ろ!」
   といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思
い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続
け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んで
いったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いので
す。
 
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
 
ところで、最近、「花火のできない子どもが増えている」そうですが、我が家の
周りでも、小さな子どもがいなくなったせいもありますが、見かけませんね。
マンションではやる場所がない、近所の公園は花火禁止、花火を楽しむ空間が
ないということでしょうか。夏の夕涼みの楽しみの一つであり、日本の夏の風
物詩でもある花火。子ども達が楽しむ手持ち花火は、狭い場所でも、バケツに
水をくみ、その上で楽しんだものですが、皆さん方はどうしていますか。
 
27年の芥川賞は「花火」ではなく「火花」。芥川賞を貰えなかった太宰治は、
泉下で、どう思ったでしょうか。線香花火で終わるか、豪快な打ち上げ花火を
上げ、作家の仲間入りができるか、真価を問われるのは第2作、出ましたね。
自称、元作家志望の後期高齢者から一言、「よかった!」。とにかく受賞は、大
変なことなのですから。「称賛、少し羨望をこめて」(笑)
 
7月6日(金)に「村上龍氏、芥川賞選考委員を辞任」と報じられましたが、
159回の選考で、北条祐子氏の「美しい顔」が候補に選ばれたこととは関係
ないようですが、権威がなくなってきたようです。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」などについ
てお話しましょう)

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