月別 アーカイブ

HOME > めぇでるコラム > アーカイブ > 2015年3月 > 2ページ目

めぇでるコラム : 2015年3月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 二月に読んであげたい本(2)

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第15号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第4章 二月に読んであげたい本 2
 
今朝(16日)の新聞に、文部科学省は五輪でメダル獲得が有望な競技を支援するマルチサポート事業で、女子のフィギュアスケーをAランクから最低のCランクに下げたとありましたが、去年の今頃、真央ちゃんが素晴らしい演技を見せてくれ盛り上がっていたのですが。うろ覚えで間違っているかもしれませんが、亡くなったお母さんは「フィギュアスケートは、勝った、負けたではないと思うのです。その人の生きざまをどう氷の上で見せるか、それがフィギュアスケートではないですか」とおっしゃっていましたが、まさにその通りの4分間でした。もう二度と見ることはできないのでしょうか。
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さんが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いても若者は答えず、退屈だろうから、十三ある部屋で遊びなさいという。ただし「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみると、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、一月から十二月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入ると、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、びっくりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部屋に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る目を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、いったかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘は、がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。        
日本むかしばなし 7 
      おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社 刊
 
この十三番目というのがすごいと思いませんか。この作者は、十三日の金曜日が、何の日か知らなかったでしょうね。キリストが、十三番目の弟子であったユダに裏切られ、磔の刑を受けたのが金曜日。アダムとイブが楽園から追放されたのも金曜日。ノアが方舟に乗ることになった大洪水も、降りはじめたのが金曜日。絞首刑の階段が十三段ということも……、これも不思議です。
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来ても平気だと、「鬼は内! 福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつけられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきたではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まります。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半ばくちが大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は化けます。それで、ばくちをするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をします。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、酒を飲みすぎて死んでしまいました。
 ばくち好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをしてもらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
       おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社 刊
 
どうしたら、こういう発想ができるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登るときは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当に笑わされます。
しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいますから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」では、何やら不気味な感じがしますね。
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打(ばくち)をする話です。
 
      ◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
 ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入ってしま
いました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋ねたところ、
「あっちの方に転がって行ったぞ」
というその口元には、黄粉がついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さまが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。
鬼達が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上るはしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
 やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏が鳴いたと勘違いして、夜明けが近いぞとあせってばくちをし、2回目には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお金をいただいて大金持ちになったのです。    
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、
「はぁ、一番鳥!」
「はぁ、二番鳥!」
と言ってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」という訳で、鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。        
  日本の昔話 ②
    したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社 刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかしいのです。欲深じいさんが、天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふてぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているような気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるではありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。しかもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐かった鬼ですから勇気がいります。
                                          
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
 ある秋のことです。
 おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のものをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしがもらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。        
 五月のはなし
  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会 編 国土社 刊 
 
大らかな話ではありませんか、鬼を手玉に取り、恐い鬼も形なしです。鬼は悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、手に取るようにわかります。           
 
鬼が主人公の話ではありませんが、芥川龍之介の「杜子春」に出てくる地獄の話も忘れられません。仙人になる修行中に、口をきいてはならぬと約束した杜子春が、閻魔大王の前でも話さないものですから、怒った大王は杜子春の両親を連れ出し、鬼どもに散々、むちで打たせるのですが、口をきこうとしません。畜生道に落ちて馬になっているお母さんが、あえぎながらも、「心配をおしでないよ。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるなら、それより結構なことはないのだからね。大王が、何といってもいいたくないことは黙っておいで」、こう言うのでした。この場面にくると、決まったように涙が出たことを覚えています。子を思うお母さんは、こんなにもやさしいものなのだなと……。
              
幼い子をいじめたり、折かんをしたり、果ては殺してしまう親のいる時代です。地獄に落ちて、同じ責め苦を受けなければ、殺された子は浮かばれません。子どもに罪はないのですから。子どもを育てる心構えは、自分自身でするもので、その人の人生観ではありませんか。わが子のあどけない寝顔を、かわいいと思ったことはないのでしょうか。何ら疑うことなく、安心して眠っている子を手にかけるのは、人として許されない大罪です。
「子は、かすがい」ということわざ、死んでいます。もっとも「鎹(かすがい)」も意味不明の言葉となっているでしょうね。鎹は、二つの材木をつなぎ止めるために打ち込む「コの字型のくぎ」で、そこから「子は夫婦のあいだをつなぎ止める働きをする」という意味です。「豆腐にかすがい」(まったく効果のない、手ごたえのなきことのたとえ)とならないように、親子の絆は、しっかりと結びたいものです。   
 
ここでは取り上げませんでしたが、鬼を人間らしく扱った浜田廣介の「泣いた赤鬼」は、童話とはいえ日本以外に、こういった作品はあるのでしょか。最後の青鬼くんの置手紙には、不覚にも涙がこぼれてきます。お子さんはどのような反応を示すでしょうか。
 
  赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、この
まま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、
ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事
にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
(「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館 刊)
 
百田尚樹氏の「影法師」を読んだ後、頭に浮かんだのは「泣いた赤鬼」の青鬼くんでした。
自己中が多い現代気質では、友達のために自分を犠牲にする気持ちは古臭いと、馬鹿にされるかもしれませんが、読むたびに、わかっていても目頭が熱くなる童話の一つです。
この他に、「ある島のきつね」「よぶこどり」「むくどりの夢」「りゅうの目の涙」などは、学生時代に出会った童話ですが、年を取って読み返しても新鮮な刺激を与えてくれることに驚かされます。こういう時ですね、活字中毒に育ててくれた親父やおふくろを思い出すのは。(感謝)
 
ところで、百田氏の短編集「幸福な生活」は、めくった最後の1ページのわずか1行で、全てがわかるしゃれた構成で楽しませてくれましたが、一つだけ、コロッと騙される作品があり、まるで書評を担当した評論家のごとく、丁寧に読み返し、やっとわかりました(笑)。
また、私も熱狂的なファンであったファイティング原田を主人公にした「『黄金のバンタム』を破った男」、月並みの表現で情けないのですが、またしても感激! 世界最強のバンタム級チャンピオンであったエデル・ジョフレ(ブラジル)の戦績は、78戦、KO勝ち50で、負けたのは2回だけ。この2敗の対戦相手は、いずれもファイティング原田。1960年代の話ですが、今であれば国民栄誉賞でしょう。世界バンタム級チャンピオン、ファイティング原田は、日本人の誇りでした。リングネーム「ファイティング」は、野球の背番号の欠番と同じ欠名扱いで、現役選手が名乗ることはできません。その他に、身長以外は何でも整形できる世界を描いた「モンスター」(仰天!)、この作品と対になっている多重人格者を扱った「プリズム」、悪名高いオオスズメバチの生態を描いた「あらしの中のマリア」、映画化されテレビでも放映されましたからご覧になった方もいらっしゃると思いますが「永遠のゼロ」、出光興産の創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」は8月にお話しします。百田氏の肩のこらない話の展開は、若い皆さん方にはわからないかと思いますが、私が学生の頃、面白がって読んでいた「宮本武蔵」や「忠臣蔵」などの講談本と同じで、まっすぐ一本道で気軽に読み切れ、理屈っぽくないのが有難いですね。
 
最後に「春一番」は立春後に初めて吹く南風のことですが、待ち遠しいですね。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
         (「昭和のこころ」日本の年中行事 So-net ブログより)
 
昨年は3月14日、一昨年は3月1日でしたが、今年はどうでしょうか。
 
  (次回は、「第五章 ひな祭りでしょう 弥生」についてお話しましょう)                                    
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 建国記念日と二月に読んであげたい本(1)

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第14号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第4章 建国記念日と二月に読んであげたい本(1)
 
★★建国記念の日★★
2月11日は、建国記念の日です。昭和24年(1967)2月11日から、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日に定められたものです。
しかし、建国記念日は昭和生まれではなく、明治6年に紀元節として誕生しま
した。紀元節は、日本書紀に記されている、神武天皇が即位され、日本の国が
始まった日と定めた祝日でした。その根拠は、日本書紀第三巻・神武天皇の項
に、以下のようにあります。
 
「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」
辛酉(かのとり)の年の庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)、一月一日、天皇
は橿原宮にご即位になった。この日を天皇の元年とする。
 
これを根拠として、紀元節は誕生しました。しかし、昭和23年に、紀元節が
戦争の原因になった国家主義や軍国主義を象徴する祝日であったことや、日本
の誕生した日はいつであるか、歴史的な根拠が明白でないことなどから廃止さ
れ、その後、様々な論争が続き,紆余曲折を経て、やっと「の」の一字を入れ
ることで」建国記念の日」ができたわけです。
 
紀元節の根拠は日本書紀にあるとお話ししましたが、果たして正しいのでしょ
うか。暦のことなど研究したことのない私でも、秘密を解くポイントは、「辛
酉(年春正月)・庚辰・朔」にあるのではと推察しますが、暦学的に検証する
と、その根拠は立証されているのですから驚きです。「年中行事を科学する」
(永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P54~65)には、「辛酉・庚辰・
朔」について、西暦紀元前660年は辛酉年、2月11日の干支は庚辰、月齢
はゼロであり、現在、建国記念の日となっている2月11日は、「日本国は神
武天皇の即位をもって建国とする」との日本書紀の記述と一致することが証明
されています。西暦紀元前660年といってもピンと来ないかもしれませんが、
縄文時代です。この歳時記は、筆者の不見識から驚くことばかり出てきますが、
これもまさしく驚きです。計算の方法は難しくて私の手には負えませんが、興
味のある方は、ぜひお読みになって下さい。
 
西暦は、キリスト誕生の年(実は生後4年目)を元年として数える年代ですが、
日本には、先に実証されたと紹介しました日本の紀元を、神武天皇即位の年を
元年とした皇紀があり、平成27年は皇紀、紀元2675年になります。私は
紀元2600年、西暦1940年、昭和15年2月11日生まれですから、自
分の年齢75を下二桁に入れると、今年は紀元2675年であり、西暦では下
二桁に75を足すと、2015年とわかるという便利な年回りになっています。
 
ところで、ご存知のように、日本に残る最古の書物は「古事記」で、第40代、
天武天皇が、わが国に言い伝えられてきた事柄を整理し、語部(かたりべ)で
ある稗田阿礼(ひえだのあれ)に覚えさせ、第43代、元明天皇が太安万侶
(おおのやすまろ)に文字に書かせ、西暦712年に完成したものです。その
8年後の720年に、第44代、元正天皇が年代も入れ詳しく編集したものを
残そうと、舎人(とねり)親王に書かせたのが日本書紀です。ですから、記紀
に書かれている話は、古代の人々が語り伝えてきた話を文字に書き留めた神話
(天地の創造を擬人的に説明し、森羅万象に宿る霊の存在や、民族の祖先の活
動を述べる物語 新明解国語辞典 三省堂)で、一人の人が作った話ではあり
ません。本当かなと思う話もありますが、宇宙の始まりはどうだったか、国は
どのようにして作られたか、人間はどのように生まれたか、そして生きてきた
かを物語るものです。地球という星が、陸と空に分かれて出来ていく様子を描
いた、巻一の「天地開闢(かいびゃく)と神々」は、どうしてこういったこと
がわかっていたのか、不思議に思えるほど科学的で、またしても驚かざるを得
ません。
 
世界の文明が発祥した各地にも、ギリシャ神話、ユダヤ神話、インド神話や数
々の民話などが残されており、民族やその地域の特徴が伝えられていますが、
共通する話の展開に、思わず膝を叩き、考えていることは同じなのだと思うと、
年甲斐もない話でなんですが嬉しくなります。そこに住んでいる人々が作った
神話であるからこそ、価値があるのではないでしょうか。それが民族の持つ固
有の歴史であり文化だと思います。私が心酔してやまない哲学者、梅原猛氏の
「神々の流竄(るざん)」、「葬られた王朝」、「天皇家のふるさと日向へゆ
く」、阿刀田高氏の「古事記を知っていますか」、そして井沢元彦氏の「言霊
(ことだま)・怨霊信仰」「聖徳太子の和の精神」を解説している「逆説の日
本史」など読まなくてはならない本ばかりで、うれしい悲鳴を上げています。
「10月の神無月」で詳しくお話しする予定です、無理かもしれませんが(笑)。
 
今上陛下は、神武天皇から数えると百二十五代目にあたるそうです。先にもお
話ししましたが、今年は皇紀、紀元2675年になります。世界で最も古い歴
史を持つ国であり、古来の文化を単なる歴史の遺産としてではなく、現在まで
生活の中に生かし続けている国はあるのでしょうか。
天照大神を祀る伊勢神宮では、平成25年に20年ごとの式年遷宮が執り行わ
れましたが、持統天皇4年(690)以降、1300年以上、続けられています。
建築方式は弥生建築といわれ、聖徳太子が活躍した飛鳥時代以前のもので、脈
々と受け継がれているのは、「世界広し」といえども日本だけです。
注 式年遷宮 伊勢神宮の内宮と外宮の二つ正宮の正殿などを作り替え神座を
移すこと。
 
日本は、もっとも短く見積もっても二千年ぐらいまで遡ることができます。世
界で二番目に長い国はデンマークで一千数十年、次がイギリスで九百四十年余
り、アメリカ、フランスは二百年そこそこ、中国はたった六十四年。「四千年
の歴史」なんて大嘘ですからね(笑)。
(著者インタビュー 武田恒泰 著 「日本人はいつ日本か好きになったのか」
月刊雑誌 WiLL 12月号(2013年) P144 ワックス出版社 刊)
 
日本人が大切に守ってきた様々な文化を、親が子ども達にきちんと伝えるべき
だと思います。国旗を掲揚し、国家を歌うのも、法律で決められたからではな
く、親が子ども達に、「なぜ、国旗があり、国歌を歌うのか」、きちんと答え
を出してあげたいものです。国のために家庭があるわけではなく、家庭がある
からこそ国が成り立つのではないでしょうか。「個々のアイデンティティは、
家庭で育てるもの」などと何も意気がることではありませんが、幼児期の教育
の原点は、家庭にあるからです。家庭教育の低下を防ぐのは、私たち親、保護
者であることを肝に銘じておきたいものです。世界的な不況や政治の混迷、東
日本大震災や原発問題など、ここ数年元気がありませんでしたが、やっと立ち
上がる兆しが見えてきた今だからこそ、日本に生まれた幸せを、もっともっと
噛みしめ、感謝しなければいけないのではないでしょうか。
 
★★2月に読んであげたい本1 ★★
鬼に関する話はたくさんあります。代表作は「桃太郎」「こぶとり爺さん」で
すが、これはお染みの話ですから紹介するのは遠慮しておきましょう。子ども
に聞かせる話ですから、恐怖感をあおるようなものはあまりありません。節分
ですから、やはり豆まきの話からにしましょう。
 
◆豆をいるわけ◆   谷 真介 著
むかし、まだ鬼があちこちの山奥に住んでいた頃の話です。その年は、春から
日照り続きで、稲は枯れだしました。心配した庄屋さんが、「雨を降らしてく
れたら、一人娘のお福を嫁にやってもよい」と言ったその声を山奥の鬼が聞き、
大雨を降らせたのです。約束を迫られ嫁がせますが、その時、お母さんが知恵
を働かせます。「道に落としながら行きなさい」
と菜の花の種を渡しました。それを足元に落としながら、鬼に連れられて行く
のでした。
翌年の春、菜の花は咲き、それを道しるべに娘は家に帰れたのです。取り返し
にきた鬼にお母さんは、「酒ばかり飲んでいる者にお福はやれぬ!」と迫り、
「もう、飲まん!」と約束をした鬼に、戸のすき間からいった豆を投げ、「そ
の豆を植えて花を咲かせてみろ。その花を持ってきたら、お福をやる!」と言
ったのです。何年も続けましたが、咲くわけがありません。鬼も次第に豆を見
るのが嫌になり、お福の家にも来なくなりました。この話を聞いた村の人達は
鬼が来ないように、いった豆を家の周りにまくようになったのです。
これが二月三日、節分の豆まきの始まりだそうです。
 日づけのあるお話 365日
    二月のむかし話 谷 真介 編著 金の星 刊
 
節分の豆まきは、「いった豆」がキーワードのようです。童話の名作「ヘンゼ
ルとグレーテル」の著者はグリム兄弟ですが、ドイツ人です。菜の花の種をま
く作戦と小石とパンのかけらを目印にした共通の作戦は、面白いではありませ
んか。世界中の童話や昔話を読んでいて、話の筋や仕掛け、舞台装置が、そっ
くりなものに出会うとうれしくなります。その話がほほ笑ましいとなおさらで
す。
 
イギリスの民話にも日本の昔話とそっくりなものがあります。「トム・テイッ
ト・トット」の翻訳ともいわれているそうです。日本の題名は「鬼六」といい
ますが、文句なく面白い話です。
 
◆鬼 六◆
むかし、ある所に、大きくて流れの速い河がありました。その河へ橋を架けて
ほしいと頼まれ、やってきた名人は、一目で難しい仕事とわかり頭を抱えます。
すると、河の中から大きな鬼の首だけが現われ、「橋を架けてあげるから、お
礼にあなたの目玉をくれないか!」
と言ったのです。困りはてていた大工さんは、約束をします。橋は出来てほし
いが、出来れば目玉をあげなくてはと、大工さんは一晩中、眠れません。    
翌朝、行ってみると、何と立派な橋が架かっているではありませんか。喜んだ
大工さんですが、鬼との約束を思い出し、肩を落とします。そこへ鬼が顔を出
し「目玉をよこせ」と言う。どうしたものかと考えていると、「明日の朝まで
に私の名前を当てたら、目玉はい
らないよ!」と言って、また沈んでしまったのでした。大工さんに鬼の名前が
わかるはずもありません。途方に暮れて歩いていると、山奥に入いりこんでし
まい、引き返そうとしたその時に歌が聞こえてきたのです。木陰からのぞくと、
鬼の子ども達が歌っていました。
♪オニロク オニロク オニロクさん
 早く目玉をもってこい
 大工の目玉をもってこい
 橋のお礼をもってこい
 オニロク オニロク オニロクさん♪
大工さんは、それを聞いてほっとし、笑みを浮かべるのでした。   
翌朝、大工さんが河に行くと、顔を出した鬼は、名前のわかるはずがないと自
信満々です。
そこで大工さんは自信なさそうに、「河鬼!」、「橋鬼!」などといって、鬼
を得意にさせておき、最後に大声で、「オニロクー!」と叫ぶと、鬼はブクブ
クと泡だけ残して消えてしまい、二度と姿を現しませんでした。
  子どものための世界のお話
 福光 えみ子 福知 トシ 福井 研介 大江 多慈子 編 新福音社 刊     
 
この話を研究されて、一冊の本にまとめた方がいるほど知られているそうです。
幼児教室でこの話をしたところ、「ドイツで聞いたことがある!」とお父さん
の仕事でドイツに住んでいた子が言ったので、調べてみると本当の話でした。
鬼といえば、てっきり東洋生まれだと思っていましたから驚きました。
 
世界中の民話や童話、昔話を読んでいると同じような話がたくさんあります。
ドイツには、この他に「こぶとりじいさん」とそっくりな話もあります。ノッ
クグラフトンの伝説「こぶとり」です。背中にこぶのあるラズモアという帽子
屋さんが、歌と踊りがたいへん上手だったので、また一緒に遊ぼうと、約束の
証拠に背中のこぶを預かるといって取られてしまいます。 日本では相手は鬼
でしたが、ドイツでは小人さんです。この話を聞いた歌も踊りも下手な、こぶ
のある青年が行くと、あまりにも下手なので、預かっていたこぶをもらってし
まうというところもそっくりです。グリムの作品にも「小人の贈り物」と題し
た同じ話があります。肌の色が、言葉が、生活習慣が、宗教が違っても、人間、
 
考えることは皆、同じなのだと思うとうれしくなりますね。
 
ある年のことですが、教室の人気者であった物知り博士のケンちゃんが、「ど
うして、鬼が人間の目玉を欲しがるのですか」と質問をしたものです。素朴な
疑問ですが鋭い質問です。眼は音読みだと「ガン」です。「鬼六サンのお身内
か友達に、ガンにかかった人がいてね。目のお医者さんを眼科のお医者さんと
いうでしょう。そのガンによく効く薬は人間の眼、つまりガンだから欲しかっ
たのでしょうね」とだじゃれのように説明しましたが、ケンちゃんは「信じら
れない!」といった顔をし、子ども達にも、全然、受けませんでした。子ども
は、こういった疑問には納得しないと絶対に妥協しません。ですから子どもの
前で、いい加減なことを言うと信用をなくします。子どもの疑問にあいまいな
答えは通じません。それだけ純真なのです。純真ということは、探求心が旺盛
ですから遠慮がなく、追求の手をゆるめません。それだけ残酷でもあるのです。
お母さん方が「カッ!」となるのも、こんな時ではないでしょうか。悪気はな
いのです。率直なだけなのです。もっと言えば、その言葉で相手がどう思うか
など考えていないからです。まだそんな時期なのです。大らかに応対してあげ
ましょう。でも、こういった大人が増えていますね。いわゆる「自己中心・ジ
コチュウ」で、相手を思いやる気持ちは爪の垢(あか)程もありません。これ
は率直ではなく、精神年齢は子ども以下ということです。相手を思いやる気持
ちを育むのは、ご両親の育児の姿勢にあるのも間違いありません。子は間違い
なく親の背を見て育つのですから,しっかりと観察されていることを肝に銘じ
ておきましょう。
 
で、結末はどうなったか。「本当は、先生もわからないのよ!」と言ったとこ
ろ、「先生でもわからないことがあるの?」と不満そうでしたが、ケンちゃん
は矛を収めてくれました。(猛省)
 
 (次回は、「第三章 2月に読んであげたい本2」についてお話しましょう)
 

<<前のページへ12

« 2015年2月 | メインページ | アーカイブ | 2015年4月 »

このページのトップへ

テスト案内 資料請求