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めぇでるコラム : 2015年4月 3ページ目

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第5章 雛祭りですね(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
 
★★早春賦、いいですね★★
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、
なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に
入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さ
ん達の歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学校
で習った唱歌、どのくらい歌えますか。
                              
 早春賦                    
作詞 吉丸 一昌  作曲 中田 章     
      
 一 春は名のみの 風の寒さや
   谷の鴬 歌は思えど
   時にあらずと 声もたてず
   時にあらずと 声もたてず
 
 二 氷解け去り 葦は角ぐむ
   さては時ぞと 思うあやにく
   今日もきのうも 雪の空
   今日もきのうも 雪の空
 
 三 春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急かるる 胸の思を 
   いかにせよと この頃か
   いかにせよと この頃か
 
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し長
くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやかな口
調がいいですね。
 
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を
待ちわびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょう
ど今ぐらいの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた
歌詞を現代風に訳すとこんな感じでしょうか。
題して〔春の誘い〕「いざない」と読んでいただければ……。
 
  一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
    谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
 
  二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
    さあ春は今だと思ったけれど あいにく
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
  
  三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
    聞いてしまうと急がされる気になってしまう この胸の思いを
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは 
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは   
  (http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm) 
 
ウェブで検索した「hideのお茶飲み話」を読んでいると、エロル・ガーナー
の作曲した「ミスティ(Misty)」をイントロに使った、この詩の解説に出
会いました。エロル・ガーナーは、左手のタッチがなんとも強烈で、独特のフィ
ーリングを持つ素晴らしいジャズピアニストです。ジャズのスタンダードナンバ
ーでもある「ミスティ」は、情けない表現で恥ずかしいのですが、本当に美しい
メロディーで、一度聴けば忘れられない名曲です。こういったブログに出会うと、
本当にうれしくなりますね。バックに流れていた、一世を風靡したモダンジャズ
の巨匠、マイルス・デイビスのミュートをかけたトランペットの演奏もご機嫌で
した。
 
★★彼岸と春分の日★★
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をいい
ます。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、とい
う気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんに経をあげてもらうなどして、
祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことではありませんか、
お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当たります。ご先祖
様がいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
 
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は此岸
(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先の霊が安
んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の世界、すなわ
ち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねはん)
の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
 
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。親父は、やって
いました。
朝は東に向かって、夕方も東に向かって柏手打ち、深々とおじぎをするのです。
しかし、親父は東方遥拝といって、確か東の方には、天皇陛下様がおられる皇居
があるからと話してくれましたから、太陽信仰とは違うかもしれません。この後
姿も、明治生まれの黙って生きざまを示す、親父の大きな背中であったわけです。
 
その太陽信仰ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈み
ます。極楽は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
    
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた太
陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥陀さ
まの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に達する
のである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
 
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼岸
会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、念
仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教えです
から、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。偉いお坊さんに、高いお布施
を払わなくても、いいのですから。
五木寛之氏の「連如」や「親鸞」(3部作完成しました)に、この経緯(いきさつ)
がわかりやすく書かれています。
 
こんなことをいうと、お寺さんからお叱りを受けそうですが、戒名って高いそう
ですね。
あれは彼岸に行くためのパスポートで、三途の川の渡り賃は、古来、一律六文、
しかも、印刷された偽物です。だからといって、渡し守の管轄は閻魔様でしょう
が、「偽札は困る」などと、文句のきている話は聞いたこともありません。
 
しかし、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、不思議
で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照大神で神
さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さまは仏さま
です。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の国」があると
信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生していることになります。
「困ったときの神頼み」、本気に信じていないのでしょうね。こういう国って、
日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
 
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれている井川一久氏によると
こうなのです。
 
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部と中
部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐と漬物と
緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽しみ、旧正月
(テツト)にはお年玉をばら撒く」
 
さらに、NHKの「世界遺産 ヒマラヤの古都カトマンズ」では、何とヒンズー
教と仏教が同居している様子を紹介していたではありませんか。この歳時記は、
筆者の不勉強から不用意な結論が出がちですが、笑って読み流してください。
 
★★おはぎ★★
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」ともいいます。今のよ
うにお金さえ出せば、食べたいお菓子を食べられる時代と違い、祝い物として、
その時しか食べられませんでしたから、美味しかったのです。もち米にうるち米
を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で包んだものです。
どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
 
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には豊穣
を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日
に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であるという仏教
の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語のbhuktaやパーリ
語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu,mude(やわらかい)が「もち」と
なって「ぼたもち」の名が定着したのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。            
「牡丹餅と書くのではありませんか」と言われそうですが、これは後の話だそう
です。語源は、サンスクリット語やパーリ語とは知りませんでした。
 
ところで、「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く季
節なので「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称されるよう
になったという説もあり、まだ他にも諸説あるようです。私の勝手な解釈ですが、
「ぼた餅」と聞くと胸焼けがしそうですが、「おはぎ」となると、何個でも食べ
られそうな気がします。
 
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春分
の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、昔、学校で習いました。ところ
が、違うのです。
 
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長いのであ
る。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では3月17日と9月27
日である。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをいう
ので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるのです。
何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。大気は、
光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮き上がって
見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えても、実際は、
下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じではなくなるのだそ
うです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。ちょっと、疲れる話で
したが、小学生のお子さんのいらっしゃる方は、理科の教科書をのぞいてみまし
ょう。もっとも、とっくの昔に改定されているかもしれませんが(笑)。
(次回は、「3月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

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