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めぇでるコラム : 2015年7月 3ページ目

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第9章(2)七夕祭りでしょう

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第33号-
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第9章(2)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
復興が、いまだに進まない被災地の皆様方には、七夕どころではないでしょう
が、子ども達には、待ちかねている夏祭りではないでしょうか。自宅に帰り、
昔のように祭りを楽しむ日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。ゼウ
スがパンドラに持たせた、あらゆる災いが詰まった箱(壺)を開けてしまい、
中から様々な災いが飛び出し世界中に散っていき、急いでふたをしたので希望
だけが箱に残り、それから人間は酷いことにあっても希望を持つようになった
というギリシャの昔話「パンドラの箱」ではありませんが、希望の杖が、次第
に弱くなっているような気がしますが、何とかならないものでしょうか。
 
仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶたを合わせて、東北の三大
夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の飾りで埋まっている感じ
がします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかしくありませんか。七夕は、
五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七日と、七が二つ重なると
ころに意味があるのではなかったでしょうか。
 
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機で
ある。7月7日の夜、遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、
聖なる乙女が機を織る行事があり、その乙女を棚機女(たなばたつめ)、また
は乙棚機(おとたなばた)といった。「七月七日の夕べの行事」であったため
に「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。萬葉集には七夕は織女と書
かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。「七夕」の字は平安時代に
当てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P121-122)
 
だとすれば、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。冗談
はさておき、これも訳ありなのです。         
 
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、
平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の
上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日と
は別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思
い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行
事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕という
ことではありません。
 
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うのは、
どうもしっくり来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、
8月7日ならば一ヶ月延ばして行うという感覚が働いて、何となく旧暦という
言葉のなかに埋め込んでしまえばわからぬながら納得しようというものであろ
う。(中略)平均35日進んでいる現行暦を30日戻すことになるから、季節
感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134)
 
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧
盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事です
から、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。お父さんも、お母さんも休みをとって、お子さんと
一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
 
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記
憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使って
いた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、
漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見てい
たのでしょう。プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見るのと、
どちらに夢があるでしょうか。
 
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、
流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、
七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説による
と記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れま
したが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめ
んには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がます
ような気がします。
 
昨年の暮れに亡くなられた宮尾登美子さんは、何を隠そうと言うほどではあり
ませんが、「そうめん大好き人間」です。
 
そうめんは姿かたちも、のどごしのよさも、いまだに昔ながらのものだが、食
べ方や製法についてはかなりいまふうになって来ているらしい。ただ私はガン
コな保守派で、つけめんなんてとんでもない、茹でた三年そうめんを、昆布と
カツブシのダシ汁のなかに泳がせ、上にちょっぴり柚子をすりおろすだけの食
べかた。これを毎年五月から九月まで皆勤賞をもらえるほど、もう五十年以上
毎昼食食べつづけている。
(生きてゆく力 宮尾登美子 著 新潮文庫 P133)
 
但し、ご主人は、おろし生姜のみで、柚子は邪道といって、ゆずらないそうで
す(笑)。かくいう私は、つけめん派で、茗荷と生姜の二本立て、ぬる燗の日
本酒と相性がよく、夏には欠かせない酒の肴の一つです。
この後に、「満州の難民収容所の前後だが、餓死一歩手前で、毎晩の夢に必ず
そうめんを見たものだ」と続くのですが、こういった過酷な戦争の体験が、宮
尾さんの作家魂を支えていたのではないかと勝手に思い込みながら、平和な時
代に生きていることを感謝しています。自叙伝的小説の主人公、綾子に5度目
の再会ができると期待していましたが、ついに世に出ることなく宮尾さんは逝
ってしまいました。彼岸の地でそうめんを食べているでしょうか。
 
ところで、この茗荷には、おもしろい話が残っています。
 
茗荷という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のような逸
話があります。釈迦の弟子の周梨般特(スリバンドク)は熱心に修行をする好
ましい人物でしたが、物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそ
うです。そこで釈迦が首から名札を下げさせました。彼の死後、墓から見慣れ
ぬ草が生えてきました。生前自分の名を荷物のように下げていたことにちなん
で、村人がこの草を「茗荷」と名づけたという説があります。この話から、茗
荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれました。
    (http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Myouga.htm より)
 
物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊ま
っている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせ
るのですが、その効果がまったくなかったという落語のような、むかし話があ
ります。そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗荷谷駅」がありますが、江戸
時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
 
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困
ったときの広辞苑によると、
「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」
「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、
日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」
と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そ
うめんと同じように植物油が塗られています。            
 
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと
意気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きち
んと、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1・3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素
麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
そうめんにはありませんが……。
 
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントとい
う感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が
帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
 
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であっ
た。人里離れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、翌
日に七夕送りをして、穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行事で
あった。盆に先立つ、物忌みのための祓えであった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P122)
 
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何とい
っても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神様がいます。収穫祭は、
神様への感謝のお祭りでした。まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主
食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟
を神様に感謝したのです。この時に人々は、神様の乗り物として、きゅうりで
作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとし
て、ご先祖様の乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
 
これは、私にも飾った記憶があります。こういった収穫祭とお盆を迎える「は
らえ」の信仰が、中国の星の伝説や「乞巧奠」の風習と混ざり合って、今の七
夕の行事ができたのです。しかし、先程もいいましたが、お盆は、8月の民族
大移動の15日前後、というイメージが強いのではないでしょうか。
 
今回、「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」
とは、 「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあ
るときや、神様にお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、
「はらえ」は、神様に祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行
われ「おはらい」です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれ
ているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、
伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」とい
って、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古い
ものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳ありなの
ですね。
 
最近、梅原猛氏の本を読みあさっていますが、この「みそぎはらえ」は、もっ
と血なまぐさい政治上の儀式でもあったようで、何とか10月の神無月までに
結論を出したいとは思っています。哲学者の解き明かす歴史上の事件は、何と
も凄まじく、のめりこむ一方で、藤原鎌足の子、藤原不比等は天智天皇のご落
胤であるとか、「竹取物語」でかぐや姫に求婚する倉持皇子のモデルであると
か、不比等が何やら大きなカギを握っているよう思われ、「古事記」と「日本
書紀」を本棚から引っ張り出し、読むはめになってしまいました(笑)。
「記紀」は読むのに根気がいりますが、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」
(梅原 猛 著 新潮社 刊)と「楽しい古事記」(阿刀田 高 著 角川文
庫 刊)は、古事記に出てくる現地を探るルポルタージュで楽しく読ませてく
れる優れものです。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第9章(1)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第32号-
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第9章(1)  七夕祭りでしょう   文 月
 
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくな
るようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようで
すが、七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事です
から、これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からと
する説もあるそうです。
 
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
 
 たなばたさま
 作詞 林 柳波   作曲 下総 皖一
  
一、 笹の葉さらさら   二、 五色の短冊
   軒端にゆれる       私が書いた
   お星さまきらきら      お星さまきらきら
   金銀砂子         空から見てる
 
何とものどかで、暑さもふきとぶ、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織女
星も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イ
メージが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの
一つです。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。
かの、紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
 
七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
 
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣
きと詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現
するのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはりすばら
しいことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささかオーバーですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化
は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句を
作ることではないでしょうか。小学生になると、特に教えなくても、「五七五」
の俳句を作るのですから。
 
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝
いをしているでしょうか。幼稚園や保育園での夏のイベントになっているので
はありませんか。七夕祭りの事の起こりは、中国の星の伝説でおなじみの「織
姫と彦星」の話です。   
 
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
 
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、鮮や
かな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、天の川の
西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後は、機織りを
しないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東に帰らせた。ただ
7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのである。日本で最もよく知
られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼしが愛し合っていながら一年
に一度しか会えないという物語が日本人の共感を呼んで、万葉集の時代から
「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134-124)
 
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天
女の証です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡
がなく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、
文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄
に飾り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用い
られていますが、語源は「天衣」なんですね。例によって類似語は、今でもよ
く使われている「天真爛漫」です。
 
ところで、七夕の2つの星、彦星と織女は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から16光年の彼方
にあり、太陽の8倍の明るさがあります。
1光年は、9兆4605億キロで、その16倍です。
本当にはるか、はるか、かなたです。
アルタイル星の両側にある2つの星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。 
  
「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。おだになか
らましかば、まいて」
(第二百五十四段 新潮日本古典集 下巻)
 
すばるは、牡牛座にある星団プレアデスの和名、ひこぼしは、牽牛です。ゆふ
づつは、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、よばいぼしは、流
れ星のことです。「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾は
流れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、ご
存知なかったことでしょうね。
 
織女は、琴座の1等星ヴェガのことで、地球から26光年離れ、明るさも太陽
の48倍もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ヴェガ
と天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ星とで
作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったのでしょうけれど
も、記憶のかけらもありません。
 
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、
天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立
てたのでしょう。
作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれの伝説らしく、ス
ケールが大きいですね。
 
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の
人々の注目を集めていました。
 
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の川で
銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえられ「乳の
道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。 これはギリシャ神話で、力持ち
のヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強く吸ったため、こ
ぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P65)
 
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、
重要な行事があり、こう書いてあるそうです。
 
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸を通
し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物が上手に
なることを祈った」 
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P132)
 
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事
が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするように
なったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を、短冊のように切っ
て、笹の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今の
ように布から紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上
手になることよりも、ピアノが上手く弾けるようにとか何とか、何やら、椎名
 誠氏風の表現で恐縮ですが、願望成就希望達成型に変身したようです。
 
しかし、無理もない話です。
お母さん方、針を持って縫えますか。いや、その前に、裁縫箱を持っています
か。裁縫が上手になりたいと思っているお母さん方、いらっしゃるでしょうか。
何ですか、「……ますか、……ますか、……でしょうか」で、頼りのない話で
す。
「良妻賢母」が「料裁健母」と置き換えられた時代がありました。今は、「料
裁健夫」でなければ、お嫁さんにきてもらえないのでしょうか。独身男性が、
増えるわけです。いや、嫁にきてもらうなどと消極的な考えでは、女性に敬遠
されるのではないでしょうか。嫁さんは、自分で探すものです。
 
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
 
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほど成
長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托し、天に
届くようにと気持ちをこめたのです。
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
 
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入り
ました。
 
余談になりますが、12月に紹介しました妙心寺の沙羅双樹の花、「沙羅の花
をめでる会」が始まりました。会は30日までですが、You Tubeでも楽しめま
す。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか他」についてお話ししましょう)
 

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