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めぇでるコラム 2020保護者の最近のブログ記事

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落
月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁
が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめ
るので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。こ
れは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しか
し、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の
人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ3
00万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジ
アをはじめ他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずで
す。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、
その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会
も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であ
った」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー
元帥の言葉でしょう。
 
私は、長い間、宣戦布告もせず、真珠湾を奇襲攻撃し、戦争を始めたのは日
本であると思っていました。ところが、上智大学名誉教授である渡部昇一先
生の数々の著書や文芸春秋の名編集長であった堤堯氏の「ある編集者のオデ
ッセイ(戦争の仕掛人はルーズベルト大統領)」、西尾幹二氏の「日米百年
戦争」(徳間書房 刊)、山崎豊子さんの「二つの祖国」(上下 新潮社 刊)
などには、マッカーサー元帥の言葉を裏づける事実が証明されているではあ
りませんか。
 
そして、テレビでも放映された清朝が崩壊していく経緯を書いた破天荒な作
品、浅田次郎氏の「蒼穹の昴」 (4巻 講談社 刊)で、欧米人は、肌の色の
違う人種を決して認めない「人種差別」と「宗教の違い」を指摘し、「気づ
かないでいると大変なことになる」と憂慮していたことが現実となり、「石
油」を絶たれ、戦争でしか解決できないように追い込まれた結果、開戦のや
むなきに至ったのが、戦争の大きな原因ではなかったでしょうか。「日本は
戦争をしたくてやったのではない。仕掛けてきたのはアメリカやイギリスの
白人達だ!」と親父は、常に激怒していましたが、今は、その気持ちがよく
わかってきました。
 
とは言え、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。しかし、戦時中
は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民
は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を
交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、
1銭5厘です……。
 ※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤
紙という。(広辞苑)
 
「戦争反対」の四文字は、禁句の時代でした。叫ぶのも命がけです。非国民
と弾劾されながら、特高(特別高等警察の略。戦前の警察制度で政治思想関
係を担当した課の警察官のこと)の監視を逃れ、どれだけの人が戦えたか。
このことです……。その記録さえ、わずかしか残っていないのではないでし
ょうか。戦時体制になれば、国を挙げて戦争に協力しなければなりません。
しかも、それが正義、正論として、まかり通ります。協力しなければ非国民
となり、生活できなくなるのですから。
 
若いお父さんやお母さん方は、知らないかもしれませんが、日本の軍隊が他
国の地で戦ったことを、その国の人々は忘れません。日本人なら、広島と長
崎を忘れられないのと同じです。
昭和20年8月6日、午前8時15分、B29 爆撃機 エノラ・ゲイ号、
原爆の名前はリトルボーイ、死者約14万人。
同年8月9日、午前11時2分、B29 爆撃機 ボックス・カー号、原爆
の名前はファットマン(太った男)、死者約7万人。リトルボーイとファッ
トマンで死者約21万人、ふざけた名前に腹立たしくなります。いまだに後
遺症で苦しんでいる日本人がいることを、アメリカ人は知っているのだろう
か。
「戦後、原爆投下によって日本の降伏が早まったと、アメリカは宣伝したが、
それは全くの嘘である。新型爆弾の実験をしたかったというのが、本当のと
ころであろう」とは、左翼系の新聞が書きそうなことですが、朝日新聞と徹
底的に戦った故渡部昇一先生の指摘です。
 
いや、同年3月の東京大空襲も同じです。東京だけではありません。長い歴
史と文化遺産のある奈良、京都の一部を除き、多くの都市で大勢の人々が殺
されました。日本の木造家屋を燃やしやすいように、B29という爆撃機か
らガソリンをまき、焼夷弾(建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入
れた投下爆弾や砲弾)を落としていったのです。しかも、命を奪われたほと
んどの人が、武器をもたない非戦闘員、ごく普通の市民です。
 
「永遠の0」でデビューした百田尚樹氏の作品に「海賊とよばれた男」があ
ります。第二次世界大戦から1970年代まで、石油の生産を独占していた
7社、国際石油資本「セブンシスターズ(7人の魔女)」と出光興産の創業
者、出光佐三(いでみつ さぞう)の戦いは、アメリカの戦略で石油を断た
れ、南方に侵出しなければならなかった、戦争を始めなければならなかった
恨みを晴らすかのような凄まじい闘魂には、涙なくして読めませんでしたが、
それ以上にショックを受けたのは、この数字でした。
 
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、
大東亜戦争で失った徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁
船1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は60,00
0人以上に上る。彼らの戦死率は約43パーセントと推察され、これは陸軍
軍人の約20パーセント、海軍軍人の約16パーセントをはるかに上回る数
字である。自ら身を守る手段を持たない船乗りたちは、命懸けで貴重な物資
を日本に運び続けたが、それでも国内の需要を満たすことができず、国民は
慢性的な物質不足に苦しんでいた。
 (「海賊とよばれた男」 上巻 P373 講談社 刊) 
 
銃器や魚雷など武器を何も持たない船が、重装備をした軍艦に沈められたの
は、先にもお話しした日本の各都市をじゅうたん爆撃で徹底的に焼き尽くし
たのと同じではないですか。戦争で犠牲になるのは、国の根底を支える名も
無き普通の人々、つまり、私達です。平和ぼけしている日本人は、この事実
を忘れかけていないでしょうか。(合掌)
 
ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、
しっかりと伝えておきたいのです。何とか主義や何とかという思想のもとで、
戦争反対を叫ぶのとは違います。平和運動さえ派閥ができ亀裂が生じます。
これも、争いを生むもとですから、用心しなくてはいけません。戦争は、ゲ
ームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、
本当に「ゲーム・セット」ですから。現代っ子は、いとも簡単に人を殺めま
す、殺します。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけませ
ん。人間として、生きとし生ける者の掟、それは「共生」「ともいき」では
ないでしょうか。これを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事で
す。
 
しつこく繰り返しますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、
情操豊かな子に育つ環境を作ることです。そこから、自分自身で考え、行動
する力が身につくからです。価値観が多様化し、「何でもありの人生観」を
もつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考
えしか身につきません。などと年がいもなく青いことをほざいていますが、
恥をかくついでにもう一言、「共生の反対は自己中心、自己中」です。自己
中は、恥じることを知らない人のことです。ハードボイルドの作品は、刺激
が強すぎてあまり読まないのですが、レイモンド・チャンドラーの作品「プ
レイバック」には、「タフでなくては生きていけない。やさしくなければ生
きる権利はない」という忘れられない言葉があります。あまりにも強烈で座
右の銘にできませんが、心だけはタフでありたいと念じています。
 
ところで、1982年6月の国連軍縮特別総会で、ケロイドの広がる自身の
写真を振りかざしながら、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた日本原水爆被
害者団体協議会の代表委員、山口仙二さんが平成25年7月6日に亡くなり
ました。核兵器の犠牲者の存在を世界に知らしめた、鬼気迫る歴史的な瞬間
でしたが、どれだけの人がその業績をたたえ、冥福を祈ったでしょうか。
 
2016年5月27日、オバマ前大統領は、原爆慰霊碑の前で演説をしまし
たが、その碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しま
せぬから」は、核保有国が言うべき言葉ではないか。その国の首脳者こそ、
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に足を運び、地獄絵図を見るべきではな
いか。大統領が爆心地を訪問したとはいえ、核兵器の廃絶を、本気になって
考えた人々が、世界中にどれほどいたか、そのことを思うと、暗澹たる気持
ちにならざるを得ません。2017年7月に採択された「核兵器禁止条約」、
核保有が戦争の勃発の抑止力になる、アメリカの核の傘の下にいるから安全、
だから日本は賛成しないでは、持った方が勝ちの世界になります。何時まで
たっても国の安全をアメリカの力に頼っていては、本当の独立国といえない
でしょう、情けない。
 
戦後、74年を迎え、戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化さ
れているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実
は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人た
ちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民
話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっし
ゃっています。
 
浅はかにも、万物の霊長などと威張っていますが、人間だけではないでしょ
うか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。他の動物も同じ仲間同士、争いま
すが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、し
ま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。
極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。宗教と民族の問
題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込
んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、そ
の鏡の上には、こう書かれてあるそうです。 
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカで起きた武装集団のテロ
事件、被害に遭われた7名の同胞の方々に、何の落ち度があったのか。2度
とあのようなテロ事件を起こしてもらいたくない。
テロも怖いが、直ぐ近くに、核弾頭を装填したミサイル開発に力を入れてい
る国があることに、もっと恐怖を感じなければいけないのではと思いますが、
若い皆さん方は、どうお考えでしょうか。トランプ大統領のツイッター外交
により再開した米朝会談、その成果はこれからでしょう。
 
ところで、少しひっかかる言葉があります。「終戦記念日」です。
これで、親父と大げんかになったことがありました。
「敗戦記念日ではないのですか」
「ばか者! わが日本は、神州不滅の国や。日本は敗けん。天皇陛下様にお
かれては、人民の犠牲をすくのうするために、戦いをお止めになさったの
や!」
アジアの国々を戦火に巻き込んだモンスターの正体を確認しなければ、「戦
争を起こした東洋の鬼畜」と非難だけされ、やがてこの国は、元気のない国
に成り下がってしまうのではないでしょうか。
 
国際化などといわれていますが、自国が起こした戦争だからと、むやみに平
身低頭して謝るだけでは、他国から馬鹿にされるだけです。きちんとした見
識をもっていなければ、国際人として通用しないことを、もっと真剣に考え
るべきではないでしょうか。特に、これからの日本を背負ってたつ若い人達
は、自虐史観ではなく、自身の歴史観を身につける必要があります。「なぜ、
日本は戦争を起こしたか」、書店をのぞけば情報は山ほどあります。自分自
身のためです、わが子のためです。お読みになって、自身の考えを持ち、お
子さんに伝えるべきではないでしょうか。「水に流す」は、日本民族独特の
解決の仕方で、外国では絶対に通用しません。
渡部昇一先生の遺作となりましたが、「渡部昇一の少年日本史」(致知出版 
刊)」も、お薦めしたい1冊です。既刊の「[増補]決定版 日本史」(扶養文
庫刊)が基になっているのではないかと思いましたので、その本から紹介し
ましょう。これが自虐史観の正体です。
 
アメリカは、日本のような天然資源もない「持たざる国」がなぜ近代戦を戦
えたのかを分析し、「その源は日本精神にある」という答えにたどり着いた
のである。その「日本精神」を破壊するために、勝者が敗者を裁くという公
平性の全くない東京裁判で、「戦前の日本は悪い軍国主義で、侵略国家であ
る」と決めつけた。そして日本に戦争責任のすべてをなすりつけ、日本人に
自分たちが悪かったという負の意識を徹底的に刷り込んだ、いわゆる「東京
裁判史観」である。
    ([増補]決定版 日本史 P278 扶養文庫 刊)
 
 ところで、童謡に反戦歌があるのをご存知ですか。
 「里の秋」です。       
 
    里の秋
      作詞 斉藤 信夫   作曲 海沼 実 
 
      一 静かな静かな 里の秋
        お背戸に木の実の落ちる夜は
        ああ、母さんと ただ二人
        栗の実煮てます 囲炉裏端
 
      二 明るい明るい 星の空
        鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
        ああ、父さんの あの笑顔
        栗の実食べては 思い出す
 
      三 さよならさよなら 椰子の島  
        お船に揺られて 帰られる
        ああ、父さんよ ご無事でと  
        今夜も母さんと 祈ります  
     *お背戸(裏口のこと)  
 
終戦の年(1945年 昭和20年)の12月に、NHKの「外地引き上げ同
胞激励の午後」という番組で発表された曲で、兵隊になって戦地に行ったお
父さんが、引き上げ船に乗って帰ってくる、その日を待っている親子の気持
ちを歌ったものです。確か、古賀さと子さんという、可愛い童謡歌手が歌っ
ていたと記憶しています。しかし、当時は、こういった歌であるとは知りま
せんでした。なぜ、反戦歌になるのか、疑問に思われる方、「里の秋」でア
クセスしてみましょう。
作曲者の海沼実は、児童合唱団「音羽ゆりかご会」の設立者で、川田正子、
孝子、美智子の三姉妹をはじめ多くの童謡歌手を育てたことでも知られてい
ますが、若い皆さん方には、「みかんの花咲く丘」「見てござる」「あの子
はたあれ」などの作曲者といった方が、うなずけるのではないでしょうか。
 
ところで、戦後、外地で苦労された人々の話はたくさん残されています。山
崎豊子さんの「不毛地帯」も忘れられない小説の一つですが、完成させてほ
しかったと悔やむ作品があります。平成26年2月に新潮社から1巻のみ発
売された「約束の海」です。“海上自衛隊の潜水艦と釣り船が衝突、若き士
官を待ち受ける苛烈な日々。その父は昭和16年、真珠湾攻撃で捕虜となり
生き残った特攻隊員、「この日本の海を二度と戦場にしてはならぬ!」”、
これがキャッチフレーズ。残念ながら山崎さんは平成25年9月29日に亡
くなり、未完の大作となってしまいましたが、残された構想を読むと3巻の
予定で、最後まで読みたくなりますね。(残念)
 
かつて、森村誠一氏が、友人であった「木枯し紋次郎」など380数冊の著
者、故笹沢佐保の絶筆となった未完の「海賊船幽霊丸」を完成させた例もあ
ります。「海賊と呼ばれた男」の百田尚樹氏に完成させてほしいと思ってい
たのですが、「殉愛」を読み、「違うかな?」と諦めました。……が、「カ
エルの楽園」を読み、「今こそ、韓国に謝ろう」を読み、「何とかなるので
は!」などと、またしても期待を持ってしまいました(笑)。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについ
てお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう   文 月
 
【七月に読んであげたい本】  
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
  やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、
上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見
つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたけ
れば、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてくだ
さい」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けた
ので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が
見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、
犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者
は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会
できたのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕
せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、
最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に
切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂
け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さ
まは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いて
しまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
  うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
      日本民話の会・編  国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思っ
たことを思い出します、何しろ、天女には、三保の松原が、最もお似合いの場
所だと信じていましたから。世界文化遺産に登録された富士山、三保の松原か
ら見た富士の姿は、見た人でなければわからないのではと心配していましたが、
わかっていた方が大勢いらっしゃったということですね。約7kmに渡る海岸
線に、およそ5万4千本の松が茂る、国指定の名勝、絶景です。富士山につい
ては、8月に詳しくお話しします。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少
年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子ど
もたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
◆お盆のはじまり◆
 七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お
盆の縁起を伝える話が残されています。
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を
引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の
川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たの
です。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜
の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人
が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお
前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自
慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだという
のです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字
ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、
カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大
王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を
集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養
を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽
浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野
菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日     七月のむかし話 谷 真介 編・著
 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、私は「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉か
ら、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではあり
ません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩
波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきな
のです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。「お
前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていた
のじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深い
ことばかり考えていたからだよ」。
少子化時代のお母さん、過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちま
す。被害者は、お子さん自身であることに、早く気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」   藤
原 兼輔 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社 刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。目下、孫バカにはまりそうで、自戒しています(笑)。
 
話に出てきた「羅漢」、小江戸と呼ばれる川越市の喜多院の境内にも、五百の
羅漢さんがいらっしゃいますが、同じ顔は一つもないそうです。喜多院には、
家光誕生の間や春日局が使っていた化粧の間があり、時の鐘、蔵造などと共に
欠かせない観光スポット。
なぜ、春日局が家光の乳母になれたのか、その訳は本能寺の変にあったのです。
本能寺の変は、信長が光秀に命じて家康を討つ手はずが狂い起きたもので、「な
ぬ!」と目をむきたくなる事実を、光秀の子孫にあたる明智憲三郎氏が「本能
寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫 刊)で解き明かしています。
なぜ、あの用心深い信長や家康が、わずかな手兵で本能寺へやってきたのか、
(家康を油断させて光秀に討たせるため)。なぜ、秀吉があれほど速く戦場か
ら引き返し光秀を討つことが出来たのか、(計画を知っていた)など、驚くこ
とばかり。謀反を事前に察知した家康は岡崎に帰り、甲斐、信濃の織田家に敵
対行動に出たが、光秀は秀吉に討ち取られる。加担した家康のことを知ってい
たが、口を割らずに処刑されたのが光秀の重臣であった斉藤利三、その娘がお
福で後の春日局。感謝の意味で乳母にしたとのことで、単細胞の私は、納得し
てしまいました(笑)。
 
そして光秀が本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句、「時は今天が下しる五月か
な」の「時」は「土岐一族」で、「天が下しる」は「天下を治(し)る、統治
する」、「六月には天下を取る」という意味で、光秀の謀反は土岐氏にとって
は再興の戦い。これは秀吉が書かせた「惟任退治記」にあるもので、この本を
もとに脚色され世に出たのが「明智軍記」、司馬遼太郎の「国盗り物語 全4
巻(新潮文庫 巻)」は、これを使ってベストセラーになったそうです。
 
本能寺の変は、秀吉、家康、幽斎の3人がかかわったことだが、光秀一人に責
任を負わされたと結ぶ。膨大な資料と子孫の意地が、ここまで切り込むことを
可能にしたのでしょう。何が起きてもおかしくない戦国時代、まだ新たな事実
を知る機会は残されていると思いました。(感謝)
 
それにしても不思議な存在が細川幽斎(藤孝)。長子、忠興の正室は、光秀の
妹、珠子、かの細川ガラシャ。再三の出陣の要請に応えなかった幽斎。「足利、
織田、秀吉、家康の4つの時代に生き、どの時代にも特別席に座り続けた、生
き方の名人」と司馬遼太郎は、「あとがき」で述べていますが、文武両道の達
人、戦国時代の生き様そのものに、度肝を抜かされますね。
蛇足ですが、松本清張の「火の縄」(講談社文庫 刊)では、珠子の違った性
格があぶり出されており、さすが巨匠とうなずかされる傑作もあります。
 
ちなみに、40万部売れたそうですが、「絶歌」は25万部売れたとか。パソ
コンで検索し、「神戸連続児童殺傷事件」(ウィキペディア)を読むと吐き気
をもよおすほど気分が悪くなり、自称、活字中毒気味の私ですが、読む気にな
れません。(激憤)2015年のことでしたが、どうなりましたか。
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさん
が風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細
いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさ
んの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんが死にました。行き先
は、地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲
に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さま
の耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたので
した。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからで
す。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にん
じんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使い
の者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって
上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが
引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、
亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足と
なり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来
たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にん
じんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取り
ついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。 
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
            日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、?陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあ
さんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。こんなことをいうと、芥川龍之介のファンか
ら「生意気いうな!」とお叱りを受けそうですが、気の小さな私は、蜘蛛を踏
み潰さなかった?陀多の気持ちがよくわかりますし、このけちなばあさんのふ
てぶてしい言葉には、「さすが女性だな」と思うのですが、女性の方からブー
イングがあるかも知れません(笑)。こういった話に出会うと民話にも説得力
があり、読んでいて楽しくなります。
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」
(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかも
しれませんが、こういった話です。
 
においの値段
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいま
した。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓
をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、
ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれま
せんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
  といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたでは
ありませんか。
 「いくらですかな?」
  驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるな
ど、信じられなかったからです。
  「1月分ですから、ちょうど○○です」
  「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
   といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を
立てたのを聞いたけちべえさんは、
  「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払って
あげましょう」
   といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。私たちの世代にとってとんち話は、エ
スプリを磨くといってはオーバーですが、子ども達には人気がありました。し
かし、本は手に入らず、ほとんど祖父母や両親から聞いたものでした。今は、
あふれるほど本は出版されていますから、読まなければもったいないですね。
この「もったいない」という言葉、粗末に扱われているのではないでしょうか。
子ども達に、きちんと教えたい言葉です。
 
環境保護と民主化に情熱を注ぎ続けたケニアのワンガリ・マータイさんは、20
11年10月25日に亡くなりましたが、2005年に来日、「もったいない」
という言葉に感銘を受け、「MOTTAINAI キャンペーン」を世界中に
広めました。本家が無駄遣いをしているようでは、マータイさんも浮かばれま
せん。
「節電」を徹底し、無駄な電力は使わず、原子力発電だけに頼らなくても生活
できることを、実証すべきで、絵に描いた餅のようでは、いざという時に役立
ちません。計画停電や食料品、飲料水が、店頭から姿を消してしまった日のあ
ったことを忘れては、また自然災害が起きた時、後手に回り、塗炭の苦しみを
味わうだけではないでしょうか。
マータイさんは、私と同じ1940年生まれで、他人事とは思えず、私なりに
「もったいないキャンペーン」を心がけています。
「人の心に火をともす」、キャンペーンは、かくありたいものです。
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第34号
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第9章(3)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいます
が、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりがお
盆だから、こういう使い方をするのです。
 
 正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあた
っての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、
師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があ
った。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会
(うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)
盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのであ
る。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
 
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年 (606)に初めて催され、聖武天
皇天平5年 (733)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が「盆暮」と
言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後期の終わり
を暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を意味するよ
うになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている人に感謝の
気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
「お年玉」と同様、「お盆玉」があるんですね。故、渡部昇一先生は山形の出身
で、ある随筆に「発祥の地は山形、江戸時代からある」と読んだ記憶がありま
す。今年も孫にやろうと思っていますが、家内からは「甘いんだから!」とか
らかわれています(笑)。
 
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうり
ょうまつり)があります。 
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った
茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼り
に家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの
牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰っ
てくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをす
る意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
 
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほお
ずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうし
て久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰
めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたと
きに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわれ
た新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
 
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになり
ます。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、
送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためで
しょう。
 
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏
様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てると
ころもあります。
 
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われています
が、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の
京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよ
くありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何
やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませ
んか。
 
ところで、澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳シリーズ」は22巻になりま
したが、その3巻目に、なぜ、大文字焼きは、大、左大文字、妙、法、舟形、
鳥居からなっているか、その理由について、わかりやすい話が載っていました
ので紹介しましょう。
 
 大文字と左大文字は、大乗仏教と小乗仏教をかたどり、妙と法は法華経信
仰に基づくもの、船形は七福神が船に乗って表されることから七福神、また
は異国から到来した雑信仰を意味し、鳥居は申すまでもなく神道をかたどっ
たと考えたらいかがでござろう。足利将軍義政公の頃、わが国は応仁の乱に
よって多くの人命が失われ申した。京は死の町となった中から復興をとげま
した。それぞれ違った信仰を持つ人々が集い、合議の末、かような行事を興
  したのではないかと、私は考えております。
(公事宿事件書留帳 三 拷問蔵  澤田ふじ子 著 幻冬舎 刊 P300)
 
平岩弓枝さんは江戸の「御宿かわせみ」(34巻 新シリーズ“7巻”)で、澤
田さんは京都の公事宿「鯉宿」で、悪を懲らす時代小説(22巻)を書かれて
いますが、内容はいずれも、現代社会の悪行を暴いたものです。「罪を犯した厚
顔無恥な為政者は、さらし者にすべきだ」という澤田さんの憤りは、庶民の怒
りであり、読み始めるとやめられなくなる事件書留帳です。茶道、立花、陶器、
謡曲、日本画、作庭など、京都文化に興味のある方必読の作品が、たくさん出
版されています。蛇足ながら、11巻から始まった文芸評論家、縄田一男氏の
解説が何とも素晴らしく、毎回楽しみにしていたのですが、22巻でシリーズ
は終了。娘さんの澤田瞳子さんが後を継ぐそうですが、残念ですね。しかし、
「狐鷹の天(上下) 徳間文庫 刊」を読み、十分に期待できそうでホッとし
ました。期待しています!
 
本題に戻りまして、まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るた
めに捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太
鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場とな
り、夏に欠かせないイベントの1つになっていますが、親子で「ドラえもん音
頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
 
余談になりますが、男子だけの立教小学校の入学試験に踊りを取り入れていま
す。照れ屋で、はにかみ屋で、小心で、用心深い男の子を躍らせるのは難しい
ことですが、お父さんが一緒に踊ってあげれば踊ります。盆踊りは絶好のチャ
ンス、受験を考えているお父さん、頑張ってください!
 
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力で、夏
の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今ではすっかり
定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありません。
しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていますから、
おかしくないのでしょう。このサンバですが、みなさん上手です。「タンタンタ
ーン、タタンタターン♪」のリズムを完全にこなし、お見事の一言です。それ
も、かなりの年配の方が、きちんとリズムをこなしています。しかも、実に楽
しそうです。年配の方は、頭に手拍子、アクセントのある民謡でなければ、踊
れないと思っていましたが、認識を改めなくては怒られますね。本場のブラジ
ルから応援にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのものすごさを想像
させてくれます。
 
雷門から見つめる風神と雷神、仲見世を約300メートル行ったところにある
宝蔵門にどっしりと構えた仁王の目には、どのように映っているでしょうか。
仁王のお守りする御本尊は、宝蔵門の手前の浅草寺幼稚園の側にある「浅草寺
縁起」の絵で見ただけですが、小さな、小さな、何とも美しい観音様だからで
す。
この観音様は、信仰上の理由から普段、人には見せない秘仏ですが、長い間、「実
際に見た人はいないのではないか」といった話を小林秀雄と松本清張の対談で
読んだものと思っていました。ところが、今読んでいる梅原猛氏の影響を受け、
日本の神道と仏教の関係を調べようと、五木寛之氏の「百寺巡礼」(全10巻 講
談社 刊)を読み直していたところ、何と5巻目の「関東・信州編」の「41
番 浅草寺」に、この観音様の話が出ているではありませんか。明治に入り廃
仏毀釈の機運が高まった明治2年、役人が天皇の命令、勅命により厨子を強引
に開けさせたそうです。
 
 すると、予想に反して、そこには確かにご本尊が祀られていたのでおそれい
った役人は、大切にせよと命じて、あわてて立ち去ったそうだ。これは松本清
張と樋口清之の共著「東京の旅」に書かれた一節だが、この話には続きがある。
その時、手早い役人のひとりが、秘かに本尊をスケッチしてしまったのである。
このスケッチは昭和に入ってから遺族の手で寺に返され、今は浅草寺が所蔵し
ているらしい。そのスケッチを見た人の話、というのが記されていた。焼けた
跡がうかがえる高さ20センチほどの観音像で、両手が失われていた。しかし、
その意匠から、奈良時代頃の像であることは違いないという。
 (百寺巡礼 第5巻 関東・信州編 P20 五木寛之 著 講談社 刊)
 
五木氏も「秘仏が実在した記事を読み、ホッとしたような、がっかりしたよう
な、妙な気持ちだった」と書かれていますが、両手足が失われていたと知り、
おいたわしい気持ちに落ち込み、浅草寺幼稚園のすぐそばにある「浅草寺縁起」
の絵で見たお姿を思い浮かべ、世の中、知らずに済めば、それに越したことは
ないものがあることを体験してしまいました。10月の神無月に紹介しますが、
自説の誤りに気づき出雲大社に出かけ、大国主命(おおくにぬしのみこと)に
詫びた梅原猛氏の謙虚な姿勢には頭が下がりました。スケールは大違いで恥ず
かしいのですが、私も真似て「小林秀雄と松本清張」ではなく、「松本清張と樋
口清之」の間違いであったことをお詫びいたします。何しろ、10年近く、自
慢げに嘘を書いていたのですから。(反省)
 
ところで、浅草寺には2つの大きな提灯があり、浅草のシンボルとして親しま
れています。入口の雷門には、「雷門」と書かれた提灯があり、高さ3.9メー
トル、直径3.3メートル、重さ約700キロもあるもので、1865年に火
災で焼失したものを、1960年に松下電器創業者の故松下幸之助の寄贈で9
5年ぶりに再現されたものです。現在の提灯は6代目で、約10年ごとに新調
されているそうです。
宝蔵門には「小舟町」と書かれ提灯があり、約4メートル、重さ260キロで、
今から300年ほど前に、日本橋の小舟町魚問屋の信徒が、江戸っ子の心意気
を示そうと、日本一大きな提灯を寄進したことから始まり、浅草寺の伝統とし
て受け継がれています。
 
ちなみに、浅草寺は正式には金龍山浅草寺といい、都内最古の寺院で、年間約
3千万人の参詣者が訪れます。民間信仰の中心地としてにぎわい、最近は、外
国人の姿も多くなっているようです。
 
余談になりますが、浅草寺のおみくじ、裏側は英語で書いてありますね。これ
だけ多くの外人観光客が訪ねてくるのですから、浅草寺だけではないでしょう
が、知りませんでした。引いたおみくじは、ラッキーにも大吉で、“BEST 
FOUTUNE”と書いてありました。
 
少し脱線します。
観音様は、あのお顔といい、なまめかしいお姿といい、仏様に性別があると申
し上げるのも不謹慎なことですが、恥ずかしながら女性の仏様だと思っていた
のです。バカですね、笑ってください。
以前にも紹介しましたが、千葉県市川市にある国府台女子学院に安置されてい
る慈母観音様を拝見する機会に恵まれたとき、そのお姿が何とも素晴らしく、
後期高齢者の私は、はしなくも、しばらく見とれてしまいました(笑)。
 
 本学院の「慈母観音」は女子校に飾られるということで、ご尊顔も一見笑
みを浮かべた女性のようで、おからだも柔らかく表現されているが、芳崖の
「悲母観音」のお顔に顎鬚が描かれているように、観音様は基本的には男性
(正確には性別を超越した存在)である。本学院の慈母観音像も胸元のあら
わな装束をお召しだが、これもこの理由だからである。誤解無きように。(笑)
学院長 平田 史朗 (「国府台女子学院 広報 第157号」より)
  筆者注 顎鬚(あごひげ) 芳崖 狩野芳崖のことで、幕末から明治期
に活躍した日本画家で近代日本画の父。
 
慈母観音の作者、横江嘉純は、重要文化財に指定されている芳崖の「悲母観音」
を手本にしたそうですが、片手に水瓶(みずがめ)を提げ童子を慈しむお姿は、
女子校にぴったりの雰囲気をかもし出していました。氏は、アガベの像(東京
駅前)、愛の像(青山学院大学間島記念館)、祈りの像(広島平和記念公園)な
どの作品で著名な彫刻家です。女子校の、しかも中高の校舎の正面玄関から入
った右側にある図書室の前に安置されていますから、残念ながら、いつでも、
気軽に、ご尊顔を拝することはできません(笑)。ところが、新装なった学園の
講堂、寿光殿は、中高の校舎内にあり、説明会はここで行われていますから、
参加するとお会いできることになったのです。「彦星と織姫と同じではないです
か!」と不謹慎にもつぶやき、希望を抱き、毎年、ご対面してきましたが、今
年は腰痛のため、機会を逃してしまいました。(残念)
 
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごった
返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出な
いものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」
であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激し
くゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、
そのために、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
 
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための
乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたの
です。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていま
した。その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったので
す。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月  監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
 
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激し
く揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人
の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、
コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭
の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名
な悪い神様だそうです。
 
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。「節分」と一緒で年に4回あ
ります。前にもお話ししましたが、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞれの季
節の始まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その最
初の日を「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのですが、
なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょうか。
それは、それぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の名前が
ついているからです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のことを「土
用の丑の日」といいます。
 
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビ
タミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバ
ランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何
しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
読んでいると、思わず食べたくなる池波正太郎の食べ物に関するエッセーに、
こういった話があります。
 
かの万葉集に、
 …石麻呂にわれ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り食(め)せ…
という一首がある。大伴家持の歌だ。そのころから、すでに、うなぎの豊
かな滋養が知られていたことになる。この歌でうなぎのことをムナギといって
いるのは、うなぎの胸のあたりの淡黄色からついた名で、それが転じてうなぎ
とよばれるようになったのだそうな。
 
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、
ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無
理でしょう。事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝を
したのが始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だった
そうです。源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていま
すが、その他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国
古来の学問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でし
たから驚きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ
的な存在であったわけです。源内のパトロンが、時の老中、田沼意次です。
 
私事で何ですが、池波正太郎の愛読者の一人で、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕
掛人梅安」 など、何回読み返しても飽きません。この「剣客商売」の主人公、
秋山小兵衛の息、大治郎のお嫁さんが、田沼意次の実の娘、佐々木三冬です。
正妻の子でなかったために、佐々木家の養女となって登場しますが、女剣士、
妻、母親と変貌していく中で、物語に欠くことのできない重要な役目を果たし
ています。意次は世評とは逆に、まつりごとに忙殺される政治家として描かれ
ています。秋山小兵衛は、藤田まことの当たり役で、明治座で見たことがあり、
歌がうまいのにはびっくりしましたが、冥界に旅立ち、二度と見ることができ
なくなりました。
NHK大河ドラマ「真田丸」好評でしたが、氏にも「真田太平記」(新潮文庫12
巻)があり、言うまでもありませんが、傑作です。
 
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょん、
ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、うさ
ぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、よ
く理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏教
の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3
匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にし
ても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の
方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だ
ということですね。 
 
7月は、紀貫之の三十一文字で始まりましたから、最後は、俵万智さんの作品
から一首。
 「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日
7月6日は七夕の前日、この日だからいいのですね。バレンタインデーやクリ
スマスイブでは、サラダ記念日は訴える力に欠けます。「わたくし流」ですから
正しい解釈かどうかわかりません。五七五七七に、こだわってみました。
  この味が いいねと君が いったから 
           七月六日は サラダ記念日
 
ところで、長い間、同じような感覚として、歌人で国文学の巨匠、土岐善麿 (1885
ー1980)作の「あなたは勝つものと……」を紹介していたのですが、とんでもな
い誤解をしていたことを思い知らされました。「終戦の日を迎えて」と題したコ
ラムに、終戦後に詠んだ歌との解説があったのです。
 
 あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
「短歌研究 昭和21年3月号に掲載された「会話」という連作の冒頭の歌で、
次に、「子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひを敗れよとしも祈るべかり
しか」という歌が続いていることはあまり知られていない。戦争に負けること
は、味方の犠牲が大きいということだから、戦争に行っている3人の子どもが
死ぬことにつながる。親として子の死につながる敗戦を願うわけにはいかない、
というわけである。
 (コラム[紙つぶて] 筒井清忠 帝京大教授 東京新聞夕刊 
   平成25年8月15日)
 
「老いたる妻のさびしげにいふ」理由が、敗戦だけではないことがわかり、「万
智さん以上に新鮮な感覚ですね、などとほざいては、どやされかねません。読
み流してください」などと、したり顔で紹介していたことが恥ずかしくなりま
した。(懺悔)
 
今年の土用の丑の日は7月27日(土)ですが、我が家の食卓にも、久しぶり
に姿を見せるのではないかと期待していますが、……高そうですね(笑)。
蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の下
りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がのり
美味しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第33号
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第9章(2)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
津波のもたらした痕跡が一掃されない被災地の皆様方には、七夕どころではな
いでしょうが、子ども達には、待ちかねている夏祭りではないでしょうか。昔
のように祭りを楽しむ日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。ゼウス
がパンドラに持たせた、あらゆる災いが詰まった箱(壺)を開けてしまい、中
から様々な災いが飛び出し世界中に散っていき、急いでふたをしたので希望だ
けが箱に残り、それから人間は酷いことにあっても希望を持つようになったと
いうギリシャの昔話「パンドラの箱」ではありませんが、希望の杖が、次第に
弱くなっているような気がします。人間は自然を征服できるわけがなく、共存
共栄に徹しなければ、といっても何ら具体的な考えは思い浮かばないのですが
……。
 
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶた
を合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の
飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかし
くありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七
日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
 
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機
である。7月7日の夜、遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、
聖なる乙女が機を織る行事があり、その乙女を棚機女(たなばたつめ)、また
は乙棚機(おとたなばた)といった。「七月七日の夕べの行事」であったため
に「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。
萬葉集には七夕は織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。
「七夕」の字は平安時代に当てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P121-122)
 
先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。
冗談はさておき、これも訳ありなのです。
 
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、
平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の
上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日と
は別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思
い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行
事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕という
ことではありません。
 
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うの
は、どうもしっくり来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるので
あって、8月7日ならば一ヶ月延ばして行うという感覚が働いて、何とな
く旧暦という言葉のなかに埋め込んでしまえばわからぬながら納得しよう
というものであろう。(中略)平均35日進んでいる現行暦を30日戻すこ
とになるから、季節感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけ
である。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134)
 
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧
盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事です
から、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。お父さんも、お母さんも休みをとって、お子さんと
一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
 
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記
憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使って
いた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、
漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見てい
たのでしょう。プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見るのと、
どちらに夢があるでしょうか。
どなたの言葉かわかりませんが、「その国の発電量は文化の目安である」とか。
しかし、明るくなって失ったものもたくさんあり、七夕にロマンを感じなくな
ったのもその一つで、犠牲者は彦星と織姫ですが、実害は何もありませんから、
話題にもならないようですね。
 
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、
流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、
七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説による
と記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れま
したが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめ
んには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がます
ような気がします。
 
平成26年の暮れに亡くなられた宮尾登美子さんは、「そうめん大好き人間」で
した。
 
そうめんは姿かたちも、のどごしのよさも、いまだに昔ながらのものだ
が、食べ方や製法についてはかなりいまふうになって来ているらしい。
ただ私はガンコな保守派で、つけめんなんてとんでもない、茹でた三年
そうめんを、昆布とカツブシのダシ汁のなかに泳がせ、上にちょっぴり
柚子をすりおろすだけの食べかた。これを毎年五月から九月まで皆勤賞
をもらえるほど、もう五十年以上毎昼食食べつづけている。
  (生きてゆく力 宮尾登美子 著 新潮文庫 P133)
 
但し、ご主人は、おろし生姜のみで、柚子は邪道といって、ゆずらないそうで
す(笑)。かくいう私は、つけめん派で、茗荷と生姜の二本立て、ぬる燗の日本
酒と相性がよく、夏だけではなく、常に欠かせない酒の肴の一つです。
この後に、「満州の難民収容所の前後だが、餓死一歩手前で、毎晩の夢に必ずそ
うめんを見たものだ」と続くのですが、こういった過酷な戦争の体験が、宮尾
さんの作家魂を支えていたのではないかと勝手に思い込みながら、平和な時代
に生きていることを感謝しています。自叙伝的小説の主人公、綾子に5度目の
再会ができると期待していましたが、実現しませんでした。彼岸の地でも「な
めたらいかんぜよ!」と、だし汁にそうめんを泳がせて食べているでしょうか
(笑)。「鬼龍院花子の生涯」の夏目雅子さんの喪服姿が浮かんできます。
 
全くの余談になりますが、そうめん好きの私でしたが、「そうめんより太くうど
んより細い半田オカベの麺」に変更、これが滅法うまくて、はまり込んでいま
す(笑)。
 
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
 
茗荷という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のよう
な逸話があります。釈迦の弟子の周梨般特(スリバンドク)は熱心に修行
をする好ましい人物でしたが、物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れ
てしまったそうです。そこで釈迦が首から名札を下げさせました。彼の死
後、墓から見慣れぬ草が生えてきました。生前自分の名を荷物のように下
げていたことにちなんで、村人がこの草を「茗荷」と名づけたという説が
あります。この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が
生まれました。
(http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Myouga.htm より)
 
「名前を荷う」から「茗荷」とは、しゃれた名前を付けになったものですね。
物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊ま
っている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせ
るのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を貰うのを忘れてしまった
という、落語のような昔話があります。そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗
荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
 
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困
ったときの広辞苑によると、
「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」
「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、
日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」
と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そ
うめんと同じように植物油が塗られています。
 
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと意
気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きちん
と、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1・3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素
麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
子どもの頃、母から冷麦とそうめんを区別するために、冷や麦には色のついた
麺が入っているのだと聞いたような気がするのですが、実際は、食感だけでは
なく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本ずつ色
麺を入れているそうです。数本しか入っていませんから、兄と取りっこをした
ものでした、味に変わりがあるわけではないのですが(笑)。
 
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントとい
う感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が
帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
 
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であ
った。人里離れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ご
し、翌日に七夕送りをして、穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓
えの行事であった。盆に先立つ、物忌みのための祓えであった。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P122)
 
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何とい
っても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神様がいます。収穫祭は、
神様への感謝のお祭りでした。まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主
食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟
を神様に感謝したのです。この時に人々は、神様の乗り物として、きゅうりで
作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとし
て、ご先祖様の乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
 
これは、私にも飾った記憶があります。こういった収穫祭とお盆を迎える「は
らえ」の信仰が、中国の星の伝説や「乞巧奠」の風習と混ざり合って、今の七
夕の行事ができたのです。しかし、先程もいいましたが、お盆は、8月の民族
大移動の15日前後、というイメージが強いのではないでしょうか。 
 
今回、「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」とは、 
「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあるときや、
神様にお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、「はらえ」は、
神様に祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行われ「おはらい」
です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、
伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」と
いって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古
いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳あり
なのですね。
 
最近、故 梅原猛氏の本を読みあさっていますが、この「みそぎはらえ」は、
もっと血なまぐさい政治上の儀式でもあったようで、何とか10月の神無月
までに結論を出したいと思っています。哲学者の解き明かす歴史上の事件は、
何とも凄まじく、のめりこむ一方で、藤原鎌足の子、藤原不比等は天智天皇
のご落胤であるとか、「竹取物語」でかぐや姫に求婚する倉持皇子のモデルで
あるとか、不比等が何やら大きなカギを握っているよう思われ、スライド式
の本棚の裏側に、眠りこけていた「古事記」と「日本書紀」を引っ張り出し、読
むはめになってしまいました(笑)。
「記紀」は読むのに根気がいりますが、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(梅
原 猛 著 新潮社 刊)と「楽しい古事記」(阿刀田 高 著 角川文庫 
刊)は、古事記に出てくる現地を探るルポルタージュで楽しく読ませてくれ
る優れものです。
 
ところで、大谷翔平選手、サイクルヒット! 3塁打のとんだ位置がよかっ
たとはいえ、お見事。欲を言って何ですが、ピッチングも見たいですね(笑)。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1)七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第32号
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第9章(1)  七夕祭りでしょう   文 月
 
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくな
るようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようで
すが、七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事です
から、これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からとす
る説もあるそうです。
 
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
 
 たなばたさま
 作詞 林 柳波   作曲 下総 皖一
  
 一、 笹の葉さらさら       二、 五色の短冊
    軒端にゆれる           私が書いた
    お星さまきらきら          お星さまきらきら
     金銀砂子             空から見てる
 
何とものどかで、暑さも吹き飛び、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織姫
星も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イ
メージが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの
一つです。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。
かの、紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
 
    七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
 
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣き
と詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現す
るのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはり素晴らし
いことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささかオーバーですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化
は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句を
作ることもその一つではないでしょうか。小学生になると、特に教えなくても、
「五七五」の俳句を作るのですから。
 
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝
いをしているでしょうか。30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、
七夕祭りは選ばれていませんでしたが、幼稚園や保育園、小学校での夏のイベ
ントになってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、
中国の星の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。   
 
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
 
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、
鮮やかな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、
天の川の西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した
後は、機織りをしないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西
と東に帰らせた。ただ7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許した
のである。日本で最もよく知られた七夕の星の物語である。おりひめと
ひこぼしが愛し合っていながら一年に一度しか会えないという物語が日
本人の共感を呼んで、万葉集の時代から「星祭」として、七夕にさまざま
な思いを馳せたのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 
P134-124)
 
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天女
の証(あかし)です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡が
なく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、
文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄
に飾り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用いられ
ていますが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、“To be natural and 
flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、類似語は、
今でもよく使われている「天真爛漫」です。
 
ところで、七夕の2つの星、彦星と織姫星は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から16光年の彼方
にあり、太陽の8倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、
その16倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側に
ある2つの星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
 
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。 
  
   星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
   おだになからましかば、まいて」
      (第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊) 
 
すばるは、牡牛座にある星団プレアデスの和名、ひこぼしは、牽牛です。ゆふ
づつは、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、よばいぼしは、流
れ星のことです。 「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾
は流れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、
ご存知なかったことでしょうね。    
 
織姫、織女星は、琴座の1等星ヴェガのことで、地球から26光年離れ、明る
さも太陽の48倍もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。
ヴェガと天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ
星とで作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったのでしょう
けれども、記憶のかけらもありません。
 
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、
天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立
てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれ
の伝説らしく、スケールが大きいですね。
 
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の
人々の注目を集めていました。
  
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の
川で銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえら
れ「乳の道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。 これはギリシャ神
話で、力持ちのヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強
く吸ったため、こぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P65)
 
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、
重要な行事があり、こう書いてあるそうです。
 
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸
を通し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物
が上手になることを祈った」 
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P132)
 
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事
が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするように
なったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、
笹の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のよう
に布から紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手に
なることよりも、ピアノが上手く弾けるようにとか何とか、何やら、椎名 誠
氏風の表現で恐縮ですが、願望成就希望達成型に変身したようです。
 
しかし、無理もない話です。
お母さん方、針を持って縫えますか。いや、その前に、裁縫箱を持っています
か。裁縫が上手になりたいと思っているお母さん方、いらっしゃるでしょうか。
何ですか、「……ますか、……ますか、……でしょうか」で、頼りのない話です。
「良妻賢母」が「料裁健母」と置き換えられた時代がありました。今は、「料裁
健夫」でなければ、お嫁さんにきてもらえないのでしょうか。独身男性が、増
えるわけです。いや、嫁にきてもらうなどと消極的な考えでは、女性に敬遠さ
れるのではないでしょうか。嫁さんは、自分で探すものです。
 
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
 
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほ
ど成長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托
し、天に届くようにと気持ちをこめたのです。
       (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
 
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入り
ました。
 
余談になりますが、12月に紹介しました妙心寺の沙羅双樹の花、「沙羅の花を
愛でる会」が6月15日から始まりました。抹茶と精進料理が賞味できるそう
で、普段は非公開ですから、地元の人が羨ましいですね(笑)。会は30日まで
ですが、You Tubeでも少し楽しめます。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか他」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(4)何にもないのかな 水無月【六月に読んであげたい本】

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第31号
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第八章 (4)何にもないのかな
【六月に読んであげたい本】
 
梅雨というと、三題噺(お客さんから3つの題を出させ即座に一席の落語とする
もの)ではありませんが、「あじさい、かたつむり、かえる」です。しかし、最
近、かたつむりやかえるはどこに行きましたかね、見かけなくなりました。洋
食が苦手な私ですが、後学のため食べましたエスカルゴ、美味しかったですが、
「梅雨が来たから食べるか」とはなりませんで、わずか1回だけでした(笑)。
 
かえると雨、これにも、おかしな因果関係があるようです。おもしろい話があ
ります。これから紹介する「かえるの親子」、人間の親子関係にもいえそうです。
過保護な母親に育てられたわがままな子が、少子化に加え核家族化も進む中で
増えているようです。一人っ子では、何が過保護なのかわからないのかも知れ
ません。しかし、やがて子どもは、一人で生きていかなければならない、“頼れ
るのは自分だけ”の生活が待っていることを、親は忘れてはならないでしょう。
 
自己中で、他人との関わりがうまくできない若者が増えています。
最近の脳科学者の話では、自己抑制力の臨界期は3歳まで、協調性や社会性の
臨界期は12歳までといわれているようです。臨界期とは、その時期を過ぎる
と、ある行動の学習が身につかなくなる限界の時期をいい、モンテッソーリの
もっとも盛んに活動し成長する時期、「敏感期」と同じであると考えればわかり
やすいと思います。言葉の敏感期を過ぎると、真偽は定かではないそうですが、
インドの狼少女のように、人は言葉を話せなくなります。
誤解を恐れずにいえば、3歳は自立の始まる時期、幼稚園は自律心を養い、社
会性や協調性といった集団生活への適応力の基礎を築く時期、6年間の小学校
生活は、それらをきちんと身につける大切な時期です。
幼児期から小学校時代に、人としての配線図は、組み立ててしまわれるわけで
すね。「三つ子の魂、百まで」「鉄は熱い内に打て」、先人の教えには、無駄があ
りません。「鉄は熱い内に打て」は、英語の“Strike while the irons hot”を
訳したことわざだそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 ※マリア・モンテッソーリ
 イタリア、ローマの精神病院で働いていた女医。知的障害児へ感
 覚教育を実施し、知的水準を上げる効果を見せ、1907年に貧
 困層の健常児を対象にした保育施設「子どもの家」で独特の教育
 法を完成させた。モンテッソーリ教育の行われる施設を「子ども
 の家」と呼ぶようになった。
 (ウィキペディア フリー百科事典より)
                                                
◆あまがえる不孝◆   八百板 洋子 著
むかし、かえるの親子がいました。母さんがえるは、子どもをかわいがっ
たのですが、子がえるは、親のいうことを聞きません。母さんがえるが、右
に行こうというと左に行くし、山に登ろうというと川にもぐり、暑い日とい
うと寒い日と逆らうのです。             
ある日のこと、母さんがえるは、重い病気にかかりました。助からない
とあきらめた母さんがえるは、墓だけは、日のよく当たる、山の上に作って
ほしいと思ったのですが、何事にも逆らう子がえるのことです。山に埋めて
ほしいといえば、川のそばに埋めるに違いありません。
考えた母がえるは、
「私が死んだら、川のそばに埋めるのだよ」
といって、息をひきとったのでした。母さんがいなくなると、子がえるは、
逆らってばかりいたことを後悔し、反省して、川のそばにお墓を作ったので
す。
雨が降れば川の水も増え、お墓は流されそうになります。心配な子がえ
るは、雨が降るたびに、お墓が流れないようにと、今でも鳴いているのだそ
うです。
 六月の話  あまがえる不孝 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
               日本民話の会・編 国土社 刊 
 
親不孝な動物話の典型ですが、中国や朝鮮にも同じ話があることから、大陸か
ら半島を経て伝わったものと考えられます。「日本は文化の吹き溜まり」とも言
われていますが、自国流にアレンジし、生活の中に取り込んでしまう知恵を、
我がご先祖は、身につけていたようです。 
 
  青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか  芥川龍之介
 
こういった情景に出会うのは、もう、無理かもしれませんね。
 
霧雨が似合うあじさい、咲いているうちに色が変わることから「あじさいの七
変化」といわれ、花言葉では「移り気」「浮気」などと芳しくありません。一方
で「辛抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」などといったものもありますが、
後の方が似合う気配が漂っているような気がします。
漢字では「紫陽花」と書きますが、これは唐の詩人・白居易が、別の花(この花
の名前はわかりません)に名づけたものを、平安時代の学者、源順がこの漢字
を当てはめたことから、誤って広まったといわれているそうです。           
(ウィキペディア フリー百科事典より)
 
ところで、今、かえるの合唱を、聞く機会はあるでしょうか。とにかく、もの
すごい鳴声でした。
しかし、この鳴声が、何やら豊作の雄叫びのように聞こえ、子ども心にも、安
心したものです。雨がしっかり降って、田植えが終わらないことには、かえる
の合唱は聞こえませんから。
その田植えについてですが、おかしな話があります。
 
◆田うえねこ◆   水谷 章三 著
むかし、ある家に、年を取り寝てばかりいる猫がいました。
田植えの時期になり、おかみさんは、
「お前さんはいいね。猫の手も借りたい忙しいときに、寝ていられるのだか
ら」というと、猫は大きなあくびをして起き上がり、どこかへ行ってしまっ
たのです。
その日は、田植えのおしまいの日で、大勢の人が手伝いに来ていました。お
かみさんもわき目もふらずに田植えをしていましたが、見知らぬ娘さんがい
て、仕事ぶりが、手際よく鮮やかなのです。それに負けてなるものかと若い
衆も張り切ったので、夕方にならぬ内に終わったのでした。
娘さんにお礼をいおうとしましたが、見当たりません。探していたところ、
その娘さんが背中を見せて、歩き去っていくではありませんか。追いかけて
いくと、おかみさんの家のところで姿を消し、探したのですが、見つかりま
せん。ところが、今朝、拭いたはずの縁側に、猫の足跡のような泥の跡がつ
いていたのです。足跡をたどっていくと、家の隅っこの所で、猫が泥だらけ
の足をなめていました。
「お前のことを、うらやましいといったものだから、娘になって田植えを
手伝ってくれたのだろうか。猫は、年をとると化けるというけれど」
と、おかみさんは、猫の顔をのぞきこみました。すると、猫は足をなめるの
を止めて、前足でおかみさんのひざをグイと押さえて立ち上がり、背伸びを
し、そのままどこかへ行ってしまい、二度と姿を見せることはありませんで
した。
  六月の話   田うえねこ    松谷みよ子/吉沢和夫 監修   
        日本民話の会・編 国土社 刊 
                  
「猫の手も借りたい」忙しいときに、猫が手を貸すのがおかしいですね。この
話も全国に、いろいろな形で語り継がれています。お地蔵さまが、見知らぬ若
者に姿をかえて手伝う「田植え地蔵」などは、よく知られているようです。猫
の足が泥だらけだったように、お地蔵さまの足が汚れていたのでわかる仕掛け
は、同じです。 
 
今度は、恐い話です。
 
◆かにの恩返し◆   根岸 真理子 著
むかし、ある村に、庄屋どんと娘が住んでいました。娘は、かにが子を生む
頃になると、庭の小川で米をとぎ、その汁を流してあげたのです。かには、
嬉しそうに飲んでいました。
ある年のこと、日照りが続き、田植えができません。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを
蛇が聞いていたのです。
やがて、雨が降り出し、田植えができると、村の人たちは喜びました。
その時、庄屋どんの足元で、
「約束を破れば、大雨を降らせ田畑を流すぞ」
といい残し、蛇は姿を消したのでした。しかし、嫁にやるわけにはいかず、
庄屋どんは庭に頑丈なお堂を建て、娘を入れることにしたのです。
 
嫁入りの日が来ました。
娘は、白い着物を着て、お堂に入り、中から鍵をかけました。そこへ、若侍
が現われ、お堂に戸口がないのを知り、怒り、姿を大蛇に変え、お堂を七巻
きに巻きしめたのです。すると嵐になり、蛇は、雨風の力を借りて、お堂を
根こそぎつぶそうと、揺さ振り始めました。
その時、娘の耳に、タプタプと寄せる水音に交じって、サワサワ、サワサ
ワと小さな音が聞こえてきたのです。音は、次第に数を増して、お堂のまわ
りを取り囲みました。すると、ドォン、ダァンと何やらのたうつ音がして、
サワサワ、ドォン、ダァン、と、二つの音は、低く響き続けました。           
 
やがて音が止み、ひび割れたお堂の透き間から、朝日が射し込んできたので
す。
庄屋どんに、手を引かれて外に出た娘は、老いた松の木のような大蛇が、お
堂の周りを取り巻き、転がっているのを見たのです。そして、めくれ上がっ
たうろこの下には、娘にお米のとぎ汁をもらっていたかに達が、一匹、一匹、
はさみつき、そのまま死んでいたのでした。
 六月の話   かにの恩返し 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
        日本民話の会・編 国土社 刊 
 
この他に、蛇をやっつけるのにひょうたんと針を使ったものや、蛇に変わって、
猿やかっぱの場合もあります。これもお馴染みの民話でしょう。
かにの恩返し説話は、古くから語りつがれ「日本霊異記」や「今昔物語」に記
録されています。学生時代に、京都の山城の町にある蟹満寺というお寺を訪ね
た時、この話とそっくりの「蟹満寺縁起」が残されていました。
 
それにしても、悪役の蛇は、哀れです。
もとはといえば、約束を破った庄屋どんが、その責めを受けるべきです。
事実、進学教室でこの話をした時に、「悪いのは庄屋さん!」と、不満そうにい
った女の子達が何人もいました。子ども達は、「事の善し悪し」を考え、自分な
りに判断し、それを言葉で表現できる年齢に差し掛かっています。こういった
ことからも、「話の読み聞かせ」は、ご両親の大切な仕事であることがわかりま
すね。
 
また、「安珍清姫」の話も、大きくなったら妻にしようと戯れにいったことを信
じた清姫が、だまされたことを知り、道成寺に逃れ、釣り鐘に隠れた安珍を、
蛇に変身した清姫が七巻にして殺しますが、これも悪いのは、戯言(ざれごと)
をいった安珍です。
「か弱き女性をだますと、あとが恐いよ!」
と、その執念深さを、蛇が演じているだけに、一層、説得力がありますね(笑)。  
 
仏教には殺生、妄語、偸盗、邪淫、飲酒を戒めた五戒がありますが、庄屋は、
動物の妻にするのは邪淫戒になり、嘘をついたので妄語戒と二つの戒めを破り、
安珍は嘘をついたので妄語戒を犯したにことになりますから、それぞれ厳罰を
受けるのですが、庄屋は助かるのは、子どもが聞く昔話だからでしょうが、子
どもたちはしっかりと怒っていますね。(偉い!)
 
もう一つ紹介しましょう。
きつねが人を化かす話も、むかし話にはたくさんありますが、新美南吉の「ご
んぎつね」の悲しい結末と違い、ほのぼのとなる話があります。
                          
◆きつねのかんちがい◆
 むかし、あるところに、惣五郎という若者がいました。
ある年の田植どきのことです。惣五郎さんは三反御作(広さ30アール)も
あるたんぼを、一日で田植えをし、家へ帰る途中、畑の中にある井戸水を飲
もうと、つるべ(水を汲み上げる桶)を上げると、その中に、溺れ死んだ子
ぎつねが、入っていたのでした。惣五郎さんは、かわいそうに思い、畑の隅
に穴を掘って埋めてあげました。
      
ところが、夜中に大勢の人が声を合わせて、
「お田を引いたで惣五郎! 三反御作みんな引いただ!」
と、怒ったような声で歌い、二、三回繰り返すと静かになったのです。惣五
郎さんは、不思議に思ったのですが、そのまま眠ってしまいました。     
      
翌朝、たんぼへ行くと、田植えをしたばかりの‘三反御作’の苗が全部、引
き抜かれていたのです。きつねの仕業かなと思った惣五郎さんは、子ぎつね
を埋めた所へ行ってみると、穴は、掘り返されていました。きつねは、勘違
いをしたなと思った惣五郎さんは、きつねの棲んでいそうな竹薮や、林の中
を歩きながら、
「死んでいた子ぎつねを拾い、お墓を作ったんだ。誤解しないでくれ!」      
と、大声で叫んだのです。
 
すると夜中に、
「お田引いて すまなんだ! 三反御作 また植えたあ!」
と、二度ほど繰り返し歌い、静かになったのです。
あくる朝、戸をあけると大きな鏡餅が一枚置いてあり、三反御作の苗も、
植え直してありました。
惣五郎さんは、きつねに気持ちが通じたことがわかり、とても嬉しかった
のでした。
 新訂・子どもに聞かせる 日本の民話   大川 悦生 著
    実業之日本社 刊 
 
坪田譲治の、子どものために命をなくした「きつねとぶどう」や、新美南吉の、
人間と子ぎつねの心あたたまるやりとりを描いた「手袋を買いに」なども、ぜ
ひ読んであげたい童話です。
また、小川未明の、信仰とは何かを考えさせられる「頭を下げなかった少年」(最
後の一言が鮮やかです)や、献身的な子育ての後に子猫の幸せのために姿を消す
親猫を描いた「どこかに生きながら」も、見た目の美しさより、実用を重んじ
て作った茶わんを褒める「殿様と茶わん」、神様からの授かりものといって可愛
がっていた娘を売り飛ばし、報復を受ける老夫婦を描いた「赤いろうそくと人
魚」などの童話は、大人が読むべきで、キザな言葉で照れますが、心が洗われ
ます。
お母さん方にお勧めしたいのは、「小川未明童話集 赤いろうそくと人魚 新潮
文庫」です。
 
ちなみに、日本語の表現の多彩さを少々。
春雨、五月雨(さみだれ)、夕立、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう 夕立
の漢語的表現)、秋雨、時雨(しぐれ 秋から冬にかけて降る通り雨)氷雨、雨
雪(みぞれのこと)、四季折々の雨、やはり、日本人の感性は繊細ですね。
 
雨で忘れられない童謡があります。当時(昭和20年代)、私達は蛇の目の傘を
さしていました。中心部と周辺を黒、紺、赤色に塗り、中を白くして蛇の目の
形を表した傘で、竹骨に紙を貼り、油をひいた粗末なものでした。
 
 あめふり
 北原白秋 作詞  中山晋平 作曲
  あめあめ ふれふれ かあさんが
  じゃのめで おむかい うれしいな
  ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
  かけましょ かばんを かあさんの
  あとから ゆこゆこ かねがなる
  ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
  あらあら あのこは ずぶぬれだ
  やなぎの ねかたで ないている
  ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
  かあさん  ぼくのを かしましょか
  きみきみ このかさ さしたまえ
  ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
  ぼくなら いいんだ かあさんの
  おおきな じゃのめに はいってく
  ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
2行目の「おむかい」は、原詩は歴史的仮名遣いの「オムカヒ」になっており、
「おむかい」と読みます。昔の日本語は、書き方と読み方が違うからですが、
東京方面の古い方言で、「おむかえ」がなまって「おむかい」になったそうです。
発表された大正14年頃、白秋は小田原に住んでいたので、この言葉を使った
のですが、「改訂版 しょうがくせいおんがく」(昭和33年発行)から「おむ
かえ」に変えて掲載。このときから「おむかえ」と歌い始めたそうです。(「Yahoo!
知恵袋」より要約)
 
繰り返しますが、童謡は情操の発達と深いかかわりを持つ、思い出のしみこむ
「成長の記録」ではないでしょうか。お子さんが一緒に歌える童謡、あります
か。
 
全く手入れをしない我が家の紫陽花は、けなげにも花を咲かせ、きちんと季節
を伝えてくれています。紫陽花には雨が似合いますが、梅雨入りしませんね。
昨年は6月7日でしたが、さて、今年はどうなるでしょうか。メルマガが配信
される頃になるのでは……。
(次回は「七夕祭りでしょう」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(3)何にもないのかな 水無月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第30号
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第八章 (3) 何にもないのかな   水 無 月
 
★★父の日、これもアメリカ生まれです★★
6月の第3日曜日は、父の日です。
母の日がアメリカ生まれですから、父の日も同じでしょう。母の日があって父
の日がなくては、男女同権の国ですから、男の立つ瀬がありません。いかにも
アメリカらしいですね。
 
1910年に、アメリカのワシントン州でジョン・ブルース・ドット夫人
が、妻を亡くして男手一つで育ててくれた父に感謝するパーティーを開い
たのが始まりとされている。
その後、1934年に父の日委員会が結成され、母の日にならって6月第
3日曜日を「父の日」と定めたのである。日本では、母の日に遅れること
4年後、昭和28年(1953年)から、一般的な行事として認められるよ
うになった。          
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
父の日に贈られる花は、何でしょうか。まだ、子どもが小さかった頃にもらっ
た記憶はありますが、花の名前は思い出せません。バラの花だそうです。たい
そう気品のある花ですから、何か訳がありそうです。
カーネーションが、十字架にかけられたキリストを見送った、聖母マリアが落
とした涙の後に咲いた花でしたから、おそらくバラもキリストと関係あるでし
ょう。予想どおりでした。十字架にかけられたキリストの血が落ちて、そこか
らバラが花を咲かせたそうです。さらに、こういった説もあります。
 
父の日の花はバラである。バラは花の美しさと香りの気高さのため、古代
から人々に愛されてきた。ローマ教皇はバラを手にし、信者はロザリオで
祈りを唱える。ロザリオrosaryはラテン語rosa(バラ)、rosarium(バラ園)
に由来し、尊敬と喜びのしるしであった。
古代ローマでは、祭日の日には神殿も戦車もバラで飾られ、将軍は賞讃の
しるしとしてバラの花束を手に持った。
現代でも音楽会の終わりにはバラの花束を捧げて演奏を讃える風景が見ら
れる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
聖なるバラです。
花言葉は「尊敬と愛の情熱」です。お父さん方は、承知してもらっているでし
ょうか。
承知のうえでしたら、頑張らざるをえないですね。父権は、かなり喪失したと
いわれていますが、やはり、お父さんは頼られています。お父さんは、「一家の
大黒柱であるべきだ」と1940年生まれの私は思うのですが……。
この花言葉、前回にも紹介しましたが、調べると面白いですね。パソコンで簡
単に検索できますから、退屈なときアクセスしてみましょう。
    
ところで、小学校の入学試験に「話の記憶」といった問題がありますが、ある
ミッション系の学校で、「母の日にお母さんに贈る花の絵に○をつけましょう」
といった出題がありました。5つの花の中から選ぶのですが、その中に、何と
バラの花も入っていたではありませんか。さすがだと思いました。
事の起こりは、キリストに関係があるのですから。出題校は、暁星小学校です。
 
★★夏 至★★
二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、春分、秋分、冬至と、それぞれ楽
しい行事があります
が、夏至には、何かあるのでしょうか。暑い盛りではありませんが、うっとう
しい日が続く頃です。
一年中で、いちばん昼の長い日ですから、何だか疲れを感じがちです。これは、
夏至のとき、お日さまは、もっとも北に寄っているからです。ですから、北極
ではお日さまが沈みません、白夜です。
逆に、南極ではお日さまの姿を見ることはできません。土用の日のように、う
なぎを食べて元気をつけることもないようですし、何だか夏至だけが、冷たく
あしらわれているような気もしなくはありません。しかし、夏至だけ問題にす
るのは不公平です。雨水、清明、芒種などといわれても、何やらわかりません
が、これも夏至と仲間の二十四節気のことです。
 
正しい季節を示すために作られた目印を二十四節気といった。太陰太陽暦
では暦の上の月日と季節がくいちがいをおこすので、暦の月日とは別に、
農事に必要な季節の標準を示す必要があったからである。1太陽年を24
等分して、太陽が最も低く昼間の最も短い冬至から始めて、1年を24等
分した分点を二十四節気とした。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P39)
 
二十四節気とは、正しい季節を示す目印と考えるとわかりやすいですね。日本
は農耕民族です、今は疑わしいですが。昔は、太陰太陽暦を使っていましたか
ら、今のグレゴリオ暦では、暦の上の月日と季節とが、食い違いを起こすので、
暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったのです。よく、
テレビなどで、             
「今日は、啓蟄の日です。冬ごもりをしていた虫たちも、はい出る日といわれ
……」 
などとやっています、あれです。 今年の二十四節気は以下の通りです。
 
★★二十四節気★★
 春  立 春  2月  4日 頃    夏 立 夏  5月  6日 頃
        雨 水  2月 19日         小 満  5月 21日
    啓 蟄  3月  6日        芒 種  6月  6日
    春 分  3月 21日        夏 至  6月 22日
    清 明  4月  5日         小 暑  7月  7日
    穀 雨  4月 20日        大 暑  7月 23日
       
 秋  立 秋  8月  8日 頃    冬 立 冬 11月  8日 頃 
    処 暑  8月 23日        小 雪 11月 22日
    白 露  9月  8日        大 雪 12月  7日
    秋 分  9月 23日        冬 至 12月 22日
    寒 露 10月  8日        小 寒  1月  6日
    霜 降 10月 24日        大 寒  1月 20日
    (「国立天文台発表」より)
 
立春 旧冬と新春の境目、まだ、寒さの厳しい頃です。
雨水(うすい) 雨水がぬるみ、草木が芽を出し始めます。
啓蟄(けいちつ) 冬眠している虫たちも、穴からはい出してきます。
春分 昼夜が等しく分かれ、昼間が長くなり、夜が短くなってきます。
清明(せいめい) 桜花爛漫、春の盛となり、天地万物に清新の気があふれる
時期。
穀雨(こくう) 春雨は、田畑をうるおし、穀物の成長するときです。 
 
立夏 春は去り、爽快な夏の気配を感じる頃です。
小満(しょうまん) 日増しに暑くなり、草木が繁り天地に満ち始める時です。
芒種(ぼうしゅ) 芒(のぎ・稲や麦などについているとげ)のある穀物を植
える時。
夏至 日の長きに至る、昼がもっとも長くなる日。梅雨のさかりで、田植えの
時期。
小暑(しょうしょ) 日増しに暑さが加わり、この日から暑中見舞いを出し始
めます。
大暑(たいしょ) 暑さがもっとも厳しくなる頃。
 
立秋 暦の上だけの秋、まだ、真夏の頃。この日から残暑見舞いとなります。
処暑(しょしょ) 暑さが止み、秋風が吹く頃。「処」は「とどまる」の意。
白露(はくろ) 秋も本格的となり、野草に甘い露の宿る頃。
秋分 昼夜が等しく分かれ、春分とは逆に、昼が短く夜が長くなります。
寒露(かんろ) 野草に冷たい露が宿る頃。
霜降(そうこう) 秋の気配も去り、朝霜のおりる頃。
 
立冬 冬の気配がうかがえる頃。
小雪(しょうせつ) 寒さもさほどでもなく、雪も少ない頃。
大雪(だいせつ) 北風が強くなり、寒さも厳しく、雪が降り始めます。
冬至 日の短きに至り、夜が長くなる日です。
小寒(しょうかん) 寒気が加わり、雪が積もる頃。
この日を「寒の入り」とし、寒中見舞いを出し始めます。
大寒(だいかん) 冬将軍がもっとも威勢のよい時期ですが、寒さの中にも「春
とおからず」の希望がふくらむ頃。
 
しかし、漢字って、いいですね。
「雨水」「処暑」など見ているだけで、何やら、日本を訪れる季節の兆しが、思
い浮かびませんか。
今から2000年前の頃、中国の周王朝により華北の気象状況にあわせて作ら
れたそうです。何と2000年前のことです、感動しませんか。感動しますが、
何だか実感がありません。大暑といえば、実感としては、8月7日の立秋の頃
ではないでしょうか。日本でいうと、岩手県の季節と合っているそうです。東
京でも、ピンとこないのですから、九州地方のみなさんは、どうでしょう。
この原因は、今は、グレゴリオ暦を使っているからです。二十四節気は、先程
もいいましたように、むかし使われていた太陰太陽暦によって決められていま
すから、1ヵ月位の差が出るのです。
 
かつてある新聞に、気象協会では、新「二十四節気」を作ると出ていました。
その訳は、「寒いのに立春、暑いのに立秋―。中国伝来の二十四節気は、季節の
移り変わりに彩を添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか」(原文のま
ま)(中略)同協会は「現代の日本の季節感になじみ、親しみを感じる言葉を選
びたい」のだそうです。どんな言葉が作られるかわかりませんが、1月、2月
より、睦月、如月の方が、季節感を味わえる世代には、想像もつきません。
 
昔から親しまれていた町名を、無味乾燥な番地に変えてしまったことを思い出
しますね。もっとも、温もりのない、冷ややかなコンクリート・ジャングルに
は、ふさわしいかもしれませんが……。
“コンクリート・ジャングル”、英語のようですが、ナイター、サラリーマン、
パトカーと同様、和製英語です。驚いたことに、といっても私だけでしょうが、
「オーダーメイド」「デコレーション・ケーキ」も和製英語で、正しくは“custom 
made”、“fancy cake”だそうです。パソコンで「和製英語」を検索すると、正し
い英語を知ることができます。ちなみに、パソコンも和製英語で、正しくは
“personal computer”です。
 
昨年まで、「新二十四節気」について紹介しませんでしたが、「季節のことば36
選」で検索したところヒットしました。ウッカリしていましたが、平成25年
春に発表されていました。(陳謝)
 
  季節のことば36選                   二十四節気
    1月 初詣 寒稽古 雪おろし            小寒 大寒
    2月 節分 バレンタイン 春一番          立春 雨水
    3月 ひな祭り なごり雪 朧月夜          啓蟄 春分
    4月 入学式 花吹雪 春眠             清明 穀雨
    5月 風薫る 鯉のぼり 卯の花           立夏 小満
    6月 あじさい 梅雨 蛍舞う            芒種 夏至
    7月 蝉しぐれ ひまわり 入道雲 夏休み       小暑 大暑
    8月 原爆忌(広島、長崎) 流れ星 朝顔       立秋 処暑
    9月 いわし雲 虫の音 お月見           白露 秋分
   10月 紅葉前線 秋祭り 冬支度           甘露 霜降
   11月 木枯らし1号 七五三 時雨              立冬 小雪
   12月 冬将軍 クリスマス 除夜の鐘           大雪 冬至
         (「一般財団法人 日本気象協会編」より)
 
参考までに、二十四節気も掲載しておきましたが、いかがでしょうか。
七夕が行われる7月7日、小暑といわれていますが、選ばれていませんでした
ね。星の祭りである七夕も、幼稚園や保育園、小学校の夏のイベントになり、
ご家庭で楽しむ年中行事ではなくなったようです。(残念!)
 
ところで、「人のうわさも七十五日」といわれていますが、その語源が二十四節
気と関わりがあるのですから、面白いですね。七十五日を四十五日、四十九日、
七十九日というのは誤りです。
 
「日本には二十四節気という季節の区切り方があります。365日を24等分
するので、一節気はおよそ15日。昔から五節気経てばまったく違う季節にな
るといわれていましたから、15×5=75日となります。75日も経てばま
ったく新しい季節になるのだから、それまでのことは忘れようという意味なの
でしょう」
 (「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」
   なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P18)
 
ちなみに英語では、“A wonder lasts but nine days”(「驚きも九日しか続か
ない」故事ことわざ辞典より)だそうですが、日本と違い、個人主義が定着して
いる国では、噂の消えるのも短いということでしょうか(笑)。
 
平成28年5月27日が、「核兵器絶滅を実現するための歴史的な日」になって
ほしいと心から願っています。オバマ大統領が平和記念公園を訪れた日だから
です。詳しくは、8月にお話ししますが、オバマ大統領の演説で素直にうなず
けたのは、
「朝一番の子どもたちの笑顔。愛する人と食卓を囲む、安らぎのひととき。両
親からの抱擁。そのかけがえのない瞬間が、71年前のこの場所にもあったの
だと思い知らされます」
でした。亡くなられたおよそ14万人の一人ひとりに痛恨の思いを寄せた、核
兵器絶滅を願う大統領の、決意を新たにした力強い宣言だと信じたい。しかし、
隣の国では……。(合掌)
 
蛇足になりますが、第32回「サラリーマン川柳」大賞に、「5時過ぎた カモ
ンベイビー USA(うさ)ばらし」、作者は60代の女性だそうで(笑)。年代別
60代以上の1位は、「いい数字 出るまで計る 血圧計」、わかりますね。私
も、かなりやっています。でもこれは笑えません!
 (次回は「6月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(2)何にもないのかな 水無月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第29号
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第八章 (2) 何にもないのかな   水 無 月
 
★★しみじみとうまいにぎり飯★★
日本人に生まれてよかったなと思うことはたくさんありますが、米の飯を食べ
られるのも、その一つです。米の飯ほどうまいものはありません。寿司や鰻重、
すき焼きなどでは、魚や鰻、肉が主役になり、称賛を浴びがちですが、どっこ
い、縁の下の力持ちは、何といっても「ご飯」です。米が、まずけりゃ話にな
りません。トロだろうが、天然物だろうが、霜降りだろうが、米に袖にされた
ら、もういけません。やっぱり、米は偉い。
 
この話をすると、何とも貧弱な食生活をと思われるかもしれません。事実、そ
の通りで食も細いのですが、しかし、しみじみと米のうまさがわかるのは、「に
ぎり飯」ではないでしょうか。
炊きたてのご飯を、手につけた塩で握り、海苔をまいて食べる。中身は、梅干
しやかつお節があれば、もう、それで十分。こんなに簡単で、安く出来上がり、
満腹感を味わえる食べ物は、他にあるでしょうか。小さく握ると、これが酒の
肴になり、こたえられません。にぎり飯、というよりは「おにぎり」の方がふ
さわしいかもしれませんが、このおにぎりには、忘れがたい思い出がしみ込ん
でいます。
現代っ子には、絶対に味わえない食べ物、それは「おこげのおにぎり」です。
今は電気炊飯器で米を炊きますが、昔はまきを燃やし釜で炊いていましたから、
熱効率の関係で、釜の底に、こげたご飯がへばりついていたものでした。これ
に、少し醤油をかけ、しゃもじでかき集め、握ってもらうのです。何ともうま
かった、絶品でしたね。
戦後の食糧難の時代で、とにかくお腹を空かしていましたから、これが楽しみ
でした。
 
電気炊飯器では、上手に炊けて、おこげなどできないようですが、便利になり
すぎると、失うものも出てきます。このことを考えるべきではないでしょうか。
何事も工夫しなくなると、受け身になりがちです。コンビニやスーパーなどで
売っているおにぎりを、子どもに食べさせてはいけないと思いますね。
お母さんの手作りだからこそ、「おにぎり」であり美味いのです。手作りだから
こそ、お母さんの愛情が伝わるのではないでしょうか。何とも不遜な言葉で嫌
いですが、飽食の時代とか、「しみじみとうまい!」などといった味わい方を、
どこかへ置き忘れているようですね。
ちなみに、東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」と呼ばれているそ
うで、私は小学校5年生まで関西に住んでいたためか、「おにぎり」だと思って
いました(笑)。
 
ところで、お米はいつから日本の主食になったのでしょうか。
 
稲はもともと中国南部の山岳地帯で生まれたとされています。そこか
ら北へ広がったものが、現在の日本で食べられているお米の短粒種
“ジャポニカ米”です。“ジャポニカ米”は縄文時代後期に中国か
ら北九州に伝わり、そこから長い年月をかけ、明治時代になりやっ
と北海道まで伝わりました。ということは、お米が日本全国で主食
になったのは、今からおよそ140年前、明治時代からだったので
す。5月は田植えの季節です。美味しいお米ができる秋が楽しみで
すね。
(平成25年5月現在の「聖徳大学附属小学校のホームページ」より)
 
お米といえば思い出すのが、日本画の巨匠、横山大観のエピソードで、「酒は米
から造るのだから、酒を呑んでいれば飯を食べたことになる」とおっしゃり、
主食は酒だったそうです。まるで仙人のようで、私もあやかりたいのですが、
真偽のほどは、定かではありません(笑)。
 
巨匠の逸話が出たところで、といっては畏れ多い話ですが、地方には、とてつ
もない立派な美術館があります。
島根県安来市にある足立美術館もその一つです。
大観をはじめ近代日本画と陶芸、彫刻、蒔絵など魅力的なコレクションには堪
能させられますが、日本で初めて女性として、さらに親子で文化勲章を受章さ
れた上村松園画伯の生涯を描いた宮尾登美子さんの小説「序の舞」を読み、一
度は本物にお目にかかりたいものだと願っていただけに、傑作といわれている
「娘美雪」を目の前にしたときの感激は、今でも忘れがたい思い出となってい
ます。思わぬ巡り会い、旅の醍醐味ですね。
 
さらに、主役の美術館に勝るとも劣らぬ脇役の日本庭園が何とも素晴らしく、
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』
が実施している、全国900ヵ所以上の名所旧跡の日本庭園ランキング
(Shiosai Ranking)では、初回の2003年から2018年まで、連続16年
間日本一の栄耀に輝き、フランスの『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』
では、3つ星の評価を受けたと同美術館のホームページに出ていました。
☆☆☆は必見、わざわざ旅行する価値がある、☆☆は寄り道する価値がある、
☆は興味深いで評価した外国人観光客向けのガイドブックです。
「足立美術館」と打ち込むだけで、世界が認めた庭園と展示されている作品を
見ることができますから、ご覧になってはいかがでしょうか。四季の庭園の様
子をライブで紹介していますが、「素晴らしい!」の一言ですね。
2018年日本庭園ランキング上位5位までを紹介しておきましょう、いずれ
もパソコンで見ることができます。
 1位 足立美術館(島根県)
 2位 桂離宮(京都府)
 3位 佳翆苑皆美(島根県)
 4位 山本亭(東京都)
 5位 京都平安ホテル(京都府)
 
それにしても、宮尾登美子さんは、すごい。
「序の舞」の津也、「一弦の琴」の苗、「松風の家」の由良子、「伽羅の香り」の葵、
「きのね」の光乃、「蔵」の烈、「陽暉楼」の房子、「櫂」の喜和、そして「天涯
の花」の珠子など、凄まじい生き方に圧倒されてしまいます。
御年八十云歳の宮尾さんは、執筆意欲は衰えず、自伝的長編「櫂」「春燈」「朱
夏」「仁淀川」の続編に挑戦する話を新聞で読み、中国からそれこそ着のみ着の
ままで郷里、土佐に帰ってきた主人公、綾子に、五度、巡り合える日を楽しみ
にしていたのですが、冥界へ旅立たれてしまい、再会できませんでした。(泪)
 
何かと話題になる慰安婦問題、宮尾さんのお父さんもその種の仕事をしていた
ので、従軍看護婦はいても従軍慰安婦など存在していなかったことがわかるだ
けに、歯がゆい思いをしているのは私だけでしょうか。国と国とが条約で決め
たことを蒸し返され、ひたすら謝るだけでは解決しません。次世代の子ども達
に顔向けできないほど深刻な事態になっていることを、わが子を育てる親の立
場で考える必要があるのではないでしょうか。「水に流す式」の日本独特の解決
策は、日本人だけに通じるもので、外国では「意味不明」となり、「不信感を与え
るだけだろ」と明治生まれの頑固親父は、事あるごとにいっていましたが、一
理あると思います。文章できちんと残しておく、それでも反古にしてしまう国
もあるのですから。(注 反古 一方的に約束を破ること 新明解辞典)
 
話を元に戻しまして、これまた何かと話題になる給食問題。
その是非は置くとして、お母さんが真心をこめて弁当を作ってあげていれば、
親子の絆は切れることはありません、食べている本人が、お母さんの愛情をか
みしめているからです。給食から、何かが築かれていくのでしょうか。
「男の人にはわかるもんですか。毎日の献立だって大変なんですから、弁当ま
で手の回るわけがないでしょう」。
でも、お母さん方が、弁当を作ってもらった経験があれば、こういった声は出
ないと思います。
 
千葉県にある日出学園小学校の教育の特色に、こう書かれています。
「お弁当」お昼はお弁当です。
創立者、青木要吉先生の「お昼ご飯は、お母さんの愛情いっぱい詰まっ
たお弁当…」ということで、70年以上もの間、受け継がれております。 
 
ところが、働くお母さん方を応援することから、本校でも購買部での販売を始
め、今ではインターネットで注文できるようになっています。すでに実施して
いる桐朋学園小学校は、「当日、寝坊したから学校の弁当を」はできない前月に
申し込むシステムですが、本校では、前日8時45分から当日8時45分まで
に申し込めば、昼食に間に合います。昭和学院小学校も週2回給食で、残りの
3回は弁当または学院内の食堂で定期的に注文できるチャイルドランチで対応、
国府台女子学院小学部も本年度から希望者に弁当販売を、インターネットから
注文できるようになりました。日本女子大学附属豊明小学校や聖心女子学院初
等科が学童保育をはじめましたから、これも時代の流れでしょうか。
 
とは言え、弁当は、おふくろの味です。
おふくろの味は真心であり、世界に一つしかない専用のレストランで調理され、
しかも好みに合う美味しいメニューしかありません。その弁当ですが、やはり、
ご飯ですね(笑)。
 
ところで、日本、いや、世界中を探険しているかと思うほど、あちらこちらに
出かけ、面白い探険記を読ませてくれる椎名誠氏といえば、生ビールとかつお
が大好きなことは、よく知られているようですが、何を隠そう、ご飯、大好き
人間なのです。
簡単明瞭に、エイ、ヤァ!と一刀両断にした傑作な文章があります。
 
 コメ、というのも非常にすぐれた携帯食料である。
1.食べるときに3倍以上に増える
2.常温でいつまでも腐りにくい
3.水と火さえあればいつでも食べられる。
 この3項目だけでもつくづく素晴らしい。
 これに対してパンはどうか。
1.中身がたいしてないくせにかさばる
2.ほうっておくとパサパサ化してカビがはえる
3.原料からつくるとなるとやれイースト菌はどこだとか、7
時間はネカセロだとか、オーブンはどこだ! トースター
を持ってこい! とかできたら早くくえ、などとうるさい
ことはなはだしい。
  (「でか足国探険記」 椎名誠 著 新潮社 刊 P153)
 
1ヵ月以上、旅に出るときの必携3点セットは、何と、ショーユ、コメ、カツ
オブシで、これに海苔があれば、我々いくところ無敵であるそうな。
「これに梅干しを加えていただきたいと、私は断固、主張したい!」
などと、東海林さだお氏風に言い張ることもないのですが。
この後、脆弱で傲慢なレタスを俎上にあげ、玉ねぎを尊敬し敬愛し嘆賞するの
ですが、これもおかしい。
もっとおかしいのは、ペンギンの話。歳時記に関係がありませんから省略しま
すが、この本は電車内など人目のあるところでは、絶対に読めないと、しみじ
みと思ったものです。突然、顔の筋肉が意志に関係なくゆるみ、押さえるのに
苦しい思いをするからです(笑)。
 
★★衣替え★★
幼稚園児から学生さん、そしてOL嬢の制服からお父さん方のスーツまで、見
事に様変わりする衣替えは、ご存知のごとく6月1日と10月1日です。
衣替えの起こりは、宮中の行事として始まったもので、平安朝では、旧暦の4
月1日と10月1日に行われていましたが、室町時代から複雑になり、江戸時
代のお武家さんの世界では、何と年4回も衣替えをしていたのです。
4月1日から5月4日までと9月1日から9月8日までは袷(あわせ-裏地の
ついた着物)、5月5日から8月末日までは帷子(かたびら-裏地のない単衣
仕立ての着物)、9月9日から3月末日までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を
入れた着物)を着るように定められていました。
冷暖房の施設もなかった時代ですから、衣替えで対処するのが生活の知恵だっ
たのでしょう。
現在のようになったのは明治以降で、学校や官公庁、銀行やデパートなど制服
を着る業界では、この日を境に冬装束から夏装束に改めます。
 
かつては、夏服に変わると、梅雨の湿った陽気にうんざりする心に、さわやか
な涼風を肌に送り10月には冬服に着替え、やってくる冬将軍に備えて気を引
き締めたものですが、今は、通勤、通学も冷暖房完備の電車ですし、家に帰れ
ばクーラー、ヒーターと至れり尽くせりですから、ファッションとしての要素
が強くなっているのではないでしょうか。
しかし、今年も節電を心がけ、今まで便利すぎた生活から無駄を省き、原子力
発電だけに頼らない社会を構築する心構えを持ちたいものです。
 
ところで、お母さん方には、衣類を虫やかびから守る大切な仕事が待ち受けて
います。女の子には、お手伝いをさせましょう。防虫剤を入れて、収納する仕
事です。小さいときから、このような季節を肌で感じることができる仕事は、
なおさらです。整理整頓を苦手とする女性が増えているようですが、その原因
は、幼児期の体験の差にあるのではないでしょうか。
 
衣類だけではなく、部屋の模様替えも一緒にやって、気分転換をしましょう。
子ども心にも、親の手伝いをするのはうれしいものです。そして、何よりの収
穫は、お母さんがこういった家事を、笑顔でテキパキと片付けていく姿を見て、
子ども達はたくさんのことを学んでいます。「子は親の背を見て育つ」は、まさ
に名言ではないでしょうか。
以前に紹介した、世界的なベストセラーになったドロシー・ロー・ノルトの「子
どもが育つ魔法の言葉」を思い出してください。この本こそ、親になる前に出
会いたかった数々の著書の一冊ですね。
確か今上陛下も皇太子時代に、この魔法の言葉を紹介されていたと記憶してい
ます。
 
連日の夏日、初旬には4月中旬に戻るなど、不安定な気候が続いていますが、
間もなく梅雨前線は、日本列島を覆い尽くします。そんな時、お母さんの笑顔
こそ、うっとうしい季節を乗り越える清涼剤であることを、忘れないでほしい
ですね、お父さんも同じですが(笑)。
(次回は「父の日、その他」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(1)何にもないのかな 水無月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第28号
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第八章 (1) 何にもないのかな   水 無 月
 
暦の上では、6月から夏です。夏の読み方は、「暑(あつ)」の転化したものと
いわれていますが、他にも「生(な)る」「暑(ねつ)」などの転化したものとい
う説もあるそうです。
 
水無月(みなづき)のいわれは、たくさんあります。
旧暦6月は、梅雨も終わり、炎天下の酷暑の季節に入り、文字通り、水もかれ
つきるという説と、逆に、田植えも終わり、田に水を張る月「水張り月」「水月」
からきた説、また、農家のもっとも重要なイベントでもあった田植えが終わっ
たことから「皆仕月(みなしつき)」「皆月(みなつき)」からきた説、そして、
雷が多い季節から「かみなり月」の「か」と「り」をとり、「みな月」という説
もあるそうです。最後の「ゴロ合わせ」ではなく「語呂合わせ」がおかしいで
すね。
 
★★大切な田植えの時です★★
6月といったら、「何といっても……」というものがありません。
毎日、雨が降り、むし暑くて、うっとうしい梅雨です。
この梅雨のいわれですが、梅の実が熟する頃に降る雨から梅雨、湿っぽくて黴
(かび)が生えやすい気候から黴雨、この他に梅雨を「つゆ」と読む場合もあ
ります。しとしとと降る雨が、木々の梢や葉にまとわりつき、露となって落ち
ていく様子から“つゆ”とも呼ばれたのではないかと私流に思い込み、趣のあ
る言葉で好きなのですが、諸説があって本当のことはわからないようです。
 
梅雨前線が、日本列島にどっしりと腰をすえ、うんざりする毎日です。しかし、
この時期に、しっかりと雨が降らなくては、困るものがあります。
お米です。
田植えの季節です。
菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)、柏の葉は、端午の節句の専売特許ではありま
せん。昔の5月は、今の6月頃にあたります。今のように、機械で苗を植える
のと違い、田植えは、お百姓さんが、苗を1本1本、手で植えていました。で
すから、時間はかかり、田んぼが広ければ、人手もたくさん必要になります。
まさに、猫の手も借りたいほどの忙しさです。
「米」という字は、「八と十と八」からできています。お米は、種から芽を出し
た苗を田んぼに植えて収穫し精米するまでに、人の手を八十八回わずらわすと
いわれるほど、手がかかるのです。
 
さらに、天気にも左右されます。
ご存知のように、稲は水稲(すいとう)といって水田で栽培しますから、梅雨
にたくさん雨が降らなければ、田植えはできません。ちなみに、水稲より大量
の水を必要としない畑で栽培する稲、陸稲(おかぼ)もありますが、水稲に比
べ品質は劣り収穫量も少ないため、日陰の存在に甘んじているようです。
そして、夏に日照りが悪いと、稲はきちんと育ちません。しかし、日が照りす
ぎても、田んぼの水が干上がって、稲は駄目になります。また、稲は順調に育
っても、収穫前に台風がきて、たわわに実った稲穂が強風になぎ倒され、豪雨
で水に浸かってしまっては使いものになりません。自然とのかかわりは、宿命
的な因果関係のごとく厳しいですから、神頼みにならざるを得ないのです。
 
そこで、昔の人は知恵を絞り、田植えが無事に済み、たっぷりとお水をいただ
き、夏にはしっかりとお日さまに顔を出してもらい、稲が立派に育って、秋に
は、おいしいお米がたくさんとれるようにと、神様にお祈りをしたわけです。
米作りは、やり直しのきかない真剣勝負、人生そのものといえるのではないで
しょうか。
 
そのお祈りをするのは女性の役目で、早乙女(さおとめ)と呼ばれ、田植えを
する間、悪いことが起きないように、屋根を菖蒲の葉で作った小屋に集まり、
肉食を断つなどして身を清め、精進潔斎をし、一晩中、お祈りをしました。で
すから、昔の5月5日は、夏負けをしないように、匂いの強い草で、魔物を追
い出す日であり、田植えの準備の日でもあったのです。
 
浄瑠璃といえば近松門左衛門、そのすぐれた伝統芸能を観賞する機会はほとん
どありませんが、残された名作を本で読むことはできます。代表作の一つ、ど
うしようもない放蕩無頼で、典型的な自己中の不良青年、与兵衛を描いた「女
殺油地獄」の中に、「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」とあり、男の祭り
ではなく、無事に田植えを行えるよう祈願する女性の祭りであることがわかり
ます。
 
その田植えですが、本当に、大変な仕事です。
私も、子どもの頃に猫の手になり、手伝った経験があります。泥んこの田んぼ
に足をつけたまま、幅1メートルほどの範囲を、10センチ間隔ほどに苗を植
えていくのです、腰をかがめて。これを30分程続けると、完全に腰にきます。
伸ばすと、ボリッと音がするほど、筋肉は、まいってしまいます。
毎年、天皇陛下が苗を植えるお姿をテレビで拝見していますが、収穫された米
は伊勢神宮に奉納されるそうです。「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)
の実る国(神意によって稲が豊かに実り、栄える国)」、これは日本国の美称と
して使われる言葉ですが、皇室の儀式とはいえご高齢だけに、無理をなさらな
いでほしいと思っていました。やがて天皇陛下初のお田植えのお姿を見ること
ができるでしょう。100株だそうですが、本当に大変な仕事なのです(笑)。
最近、小学生が体験授業として、田植えをやる学校が増えているようですが、
米を作ることが大変な作業であることを実感できれば、「いただきます」の本当
の意味、「ありがたくいただきます」と感謝の気持ちを表していることも理解で
きるのではないでしょうか。
 
さて、夏になると、稲のまわりに雑草が生えますが、これを取り除くのも一苦
労です。また、腰をまげて、手で雑草を取ります。これが、かんかん照りの太
陽のもとでの作業ですから、田んぼの水は、それこそ生ぬるく、草いきれで、
むっとする匂いには、泣かされました。蛭(ひる)という人の血を吸う虫もい
て、環境のよい仕事場ではありませんでした。日本の夏は高温多湿であるだけ
に、少しでも手を抜くと雑草が生え、稲の成長を妨げますから手入れが大変で、
まるでわが子を育てるのと同じだとお百姓さんに聞いたことがありますが、子
どもを育てて実感しました。
手を抜いた分、親が考えもしなかった色に染まってしまうのですから。「手を抜
く」といっても育児を放棄するのではなく、ちょっとした思い違いから、親子
の絆にひびの入ることもあるものです。「おかしいな?」と感じた時は、親から
子どもに話しかけるべきではないでしょうか。そういう時は、子ども自身も迷
っているはずだからです。
 
そして最後の収穫、これも1株、1株、鎌(かま)で刈っていきます。繰り返
しますが、お百姓さんの腰が曲がるわけです。刈った稲を、今度は、天日で乾
かします。それを脱穀機で稲穂を取り、もみ殻にして、これを精米機にかけ、
やっとお米になるのです。農業の機械化というのでしょうか、田植えから脱穀
まで、全部、機械でできるそうですから、これは、すごい省力化です。そうい
えば、最近、腰の曲がったお百姓さんを、あまり、見かけません。「農業に従事
する若者がいないのですよ」といわれそうですが、省力化の結果ではないでし
ょうか。
 
田植えは、実りの秋への出発点です。ですから、この時期の天候は、本当に神
頼みでした。私の住んでいる川越でも、田んぼに水が張られ、まもなく田植え
が始まります。JR埼京線や東武東上線の車窓からの眺めは、関東平野であるこ
とを実感できます。
 
勝手な思い込みですが、日本のお米ほどうまいものはありません。
貿易の自由化で外米が入ってきても、「私は日本産のお米しか食べません!」な
どと農家を援護するけなげな心構えのようですが、本当のことをいえば、日本
酒が大好きだからです(笑)。日本酒がうまいのは、美味しいお米と水があるか
らで、またしても日本人に生まれたことを感謝せざるを得ませんね。
 
★★てるてる坊主★★
この月は、しっかりと雨が降ってくれなくては困りますが、雨が降ってほしく
ない時もあります。
子どもの頃、遠足や運動会の前日に、てるてる坊主を作ったものでした。今で
も、この風習は残っているようです。天気にしてくれた時には、目、鼻、口を
つけてあげた記憶があります。
 
 てるてる坊主
 作詞 浅原 鏡村  作曲 中山 晋平
 
(1)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   いつかの夢の空のように はれたら金の鈴あげよ
 
(2)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   私の願いを聞いたなら  甘いお酒をたんと飲ましょ
 
(3)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ
          (注 浅原鏡村は、小説家浅原六郎の別名)
 
幼子の「どうしても晴れてほしいなぁ!」という気持ちが伝わってきます。
「しかし、しかしです」と何も興奮することはありませんが、「てるてる坊主は、
坊主ではなく娘さんで
す!」と聞けば、「ナヌ!?」となりませんか。発祥の地は、またしても中国で
した。
 
てるてる坊主の起源は、中国で掃晴娘(そうせいじょ)とよばれる、ほうき
を持った女性の紙人形をつるす風習からきている。娘がほうきで晴れ気を掃
きよせ、晴天や幸運を招き寄せようとするまじないで、平安時代に日本へ入
ってからは、なぜか坊主に代わってしまった。
(日本の年中行事百科 2 夏   民具で見る日本人のくらしQ&A
 P14        監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
お坊さんの頭は、つるつるで、何やら光り輝いていますし、明日の天気は神頼
み、いや、この場合は仏頼みで、晴れのイメージにつながったのでしょうか。
 
ところで、今はどうかわかりませんが、一時期、小学校の音楽の教科書の中に
はなく、ラジオなどで流す場合は3番をカットするケースがあったようです。
その理由は、歌詞の3番に、
「それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ」
とありますが、それは自分の願いを聞き届けさせようとする「脅迫信仰」であ
って、童謡らしくない残酷な表現だからだそうです。
作詞者のイメージとしては、残酷に処刑するのではなく、「晴れなかったら承知
しないからね!」と、どうしても晴れてほしい切実な願い、その気持ちを表現
したかったのではないでしょうか。
映画やテレビ、漫画、DSのゲームなどでは、もっと残酷な場面を映像で見せ
つけているではありませんか。詩は、イメージです。こんなことまで規制され
るのは、情操教育を考えると、首を傾げたくなります。残酷な犯罪は、きちん
とイメージできないから起きるのではないでしょうか。
 
ですから、「イメージ化できる」ことは、非常に大切な感性です。感性こそ、子
どもの時から様々な経験を積み重ね、磨いていくものです。以前にもお話しま
したが、イメージ化を培う力は、読書と何事にも自力で挑戦する生活体験です。
文字を読み取り、その世界を作り上げる作業は、人格を築き上げる大切な学習
です。若者の活字離れが指摘され久しくなりますが、思考力や思想を構築する
力が劣るわけです。お子さんに本を読む習慣を身にけさせるには、本の読み聞
かせと、ご両親の読書をする姿をしっかりと見せておくことです。
 
そして、何事も自力で挑戦する意欲を育てましょう。失敗を恐れる子にしては
いけません。「為せば成る」ではありませんが、試行錯誤を積み重ねることから、
工夫する力も忍耐力も育まれます。
「そんなこともできないのは、駄目な子なの!」
などというお母さんがいると聞きますが、「できるように頑張る子に育てるのが
親の仕事」です。
幼児教育に携わってきて感じるのは、お母さん方はあまりにも不用意に、子ど
もに劣等感を植え付ける言葉を投げがちです。同じ言葉をご主人に言われれば、
柳眉を逆立て、猛烈に反撃するでしょうに。(立腹!)
ご両親のさじ加減で、お子さんの潜在能力は開発されることを肝に銘じてほし
いものです。
 
蛇足になりますが、「成せばなる」は、私たちの世代では、東京オリンピック(1
964年)で「東洋の魔女」を率いて、女子バレーボールで金メダルを勝ち取
った、故、大松博文監督の言葉としてなじみ深いものですが、本当はもっと長
い文章で、その頭文字の5個をとったものです。
 
江戸時代の後期、米沢藩主の上杉鷹山が、家臣に教訓として「為せば成る。為
さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」と詠み与えたものですが、
それより以前に、武田信玄が「為せば成る、為さねばならぬ。成る業を成らぬ
と捨つる人の儚(はかな)さ」と、よく似た歌を詠んでおり、鷹山の言葉は、
これを変えたものだといわれているそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 
ところで、これは最近、知ったことですが、4番まであった「てるてる坊主」
を、何と作曲者が1番を削除し、今の形にしたとか。その1番の歌とは、
(1)てるてる坊主 てる坊主
   あした天気にしておくれ
   もしも曇って 泣いてたら
   空をながめて みんなで泣こう
             
(www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.htmtより)
作詞家ではありません、作曲家の中山晋平です。
何ともやさしくて、いいと思いませんか。詳しいことをお知りになりたい方、
「てるてる坊主」で検索すると、いろんな情報にヒットできます。
(次回は、「しみじみとうまいにぎり飯」他についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(4)端午の節句です★★五月に読んであげたい本★★

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第27号
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第7章 端午の節句です(4)
★★五月に読んであげたい本★★
 
天皇陛下の即位を祝う令和初の一般参賀は、4日皇居・宮殿で行われ、平成へ
の代替わり時を3万人上回る14万人以上の人々が訪れました。「暑い中、きて
いただいたことに感謝致します」、さわやかに令和元年、皇紀二千六百七十九年
が始まりました。心からお祝い申し上げます。
 
「桃太郎」や「金太郎」は、おなじみのむかし話ですからさて置き、こわい話
を紹介しましょう。
 
◆めしを食わぬよめ◆   松谷 みよ子 著
むかし、ある村に、たいそうけちな男がいました。嫁に食わせる飯がもったい
ないから、飯を食わぬ嫁を探してくれというのです。
ある日のこと、十六、七の姉さまが訪ねてきて、ご飯を食べずに働くから嫁に
してくれという。暮らしてみると、ご飯を食べず、しかも働き者です。ところ
が、毎日、米もみそも減っています。不思議に思った男は、次の日、仕事に出
かけたふりをして、戸のふし穴からのぞいてみたところ、髪をほどいた頭の中
に、大きな口があり、飯にみそをつけ、にぎっては放りこみ、大がまの飯を全
部、食べてしまったのです。
男は、夕方になると、知らぬふりをして家に帰り、別れ話をすると、にわかに
髪をふりみだし、頭の口をパックリとあけて、恐ろしい山姥(やまんば)にな
ったのです。逃げ出そうとする男をつまみあげ、ふろ桶の中へ放りこみ、桶に
帯をかけて背負うと、山へむかって走りだしました。男は、何とか助かろうと、
桶から顔を出してみると、頭の上に木の枝があったのでとびつき、木からすべ
りおり、山をかけおり、ふもとまで来たのですが、気づいた山姥が、追いかけ
てきます。男は、そばの草むらに逃げ込みました。そこには、菖蒲がたくさん
生えていたのです。
「魔除けの菖蒲にはかなわない」と、山姥は悔しそうにいい、山へ帰って行っ
たのです。
菖蒲が魔除けの草として、五月の節句に飾られるようになったのは、この時か
らだといわれています。
 五月のはなし  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                  日本民話の会 編 国土社 刊
 
話によっては、蓬(よもぎ)も生えている草むらになっているものや、風呂桶
ではなく背負いかごのもあります。面白いことに、「この日が、実は、5月5日
であった」という話も残っています。
 
子どもは、こわい話を聞きたがりますが、本当は、こわがりなのです。話だけ
では、頭に大口がある姿を想像できませんから聞いていますが、本の場合は絵
がありますから、こわがります。
ある時、絵本を見せながら読んだところ、こわそうな顔をして聞いていました。
喜怒哀楽の情緒も分化されてくる時期ですから、こわいものには、本当にこわ
がり始めます。
この話でも、頭の口で食べるところでは、
「これからこわーくなるから、こわい人は……、耳を、ふさいで、いいのだよ
ー」
といかにもこわそうにいうと、耳をふさいで下を向くのは、男の子が多いです
ね。食い入るように話を聞いているのは、案外、女の子なのです。肝が座って
いるのですね、小さい頃から。
あまり恐怖感を与えるのは考えものですが、こういった刺激を与え、情緒を育
んでいくことも、昔話の大切な役目ではないでしょうか。恐怖感も、きちんと
結末で拭ってくれる配慮がしてあるからです。
 
探してみるものですね。この話を見つけたときは、本当にうれしくなりました。
鯉のぼりの制作者は、意外にも、お侍さんだったのです。
 
◆コイのぼりのはじまり◆(伝説 墨田区)
江戸時代のことです。
端午の節句が近づいたある日、江戸の町を一人の侍が歩いていました。武家屋
敷の庭には、祝いの旗や、のぼりが立てられ、道では、侍の子が、紙のかぶと
をかぶり、しょうぶで作った刀を振り回していますが、町人の住む町の子ども
達は、かぶとも、しょうぶの刀も差していないことに気づいたのです。
染め物屋の家からは、のぼりを立ててくれとせがむ子どもの声が聞こえました。
「あれは、お侍さんが立てるものだからできない」と話しますが、納得しない
で、泣きじゃくっているではありませんか。
そこへ、お侍が入って来て、大きな紙4枚と太い筆を借り、1枚の紙に大きな
コイを描き、別の紙には、反対向きのコイを描きあげました。2枚の絵を合わ
せると、1匹のコイになるのです。もう1匹描くから、節句の前日までに、黒
と赤に染め上げてほしいといって店を出たのです。
約束の日に染め上げ、日に干していると、やってきた侍は、はさみと針を借り、
向きの違うコイ同士を、袋縫いに縫い合わせると、黒と赤の2匹のコイになっ
たのです。長いさおの先につけて、家の前に立てさせました。五月晴れの空を、
風に吹かれる真ゴイと緋ゴイ。周りには、町人や武士の子ども達も集まり嬉し
そうです。
お侍さんの名は赤荻柳和、武士というよりは俳句を作ることで知られた、心の
やさしい人だったそうです。こうして、次の年の5月5日から、江戸の町には
コイのぼりが、武士の家にも町人の家にも、立てられるようなったのです。
これが、コイのぼりの始まりだそうです。
  県別ふるさとの民話 18  東京都の民話  
                日本児童文学者協会 編 偕成社 刊 
 
「八十八夜」「若葉」「茶摘み」「すげの笠」といいますと、俳句の季語のような
感じがして、夏の近いことを実感したものです。しかし、今はどうでしょうか。
こういった風物詩も、「テレビで拝見」で終わっているようです。季節を感じる
余裕がなくなってしまったのでしょうか、もったいないと思います。
自然が、四季折々の変化を告げてくれるのは、本当に有り難いことだからです。
 
この話に出てくる「ふるい屋」「古鉄(ふるがね)屋」も、説明がないとわから
ない仕事ですね。私の子どもの頃は、こういった行商屋さんが、金魚、風鈴、
豆腐、納豆、アイスキャンディーなどを売りに来たものです。中でも印象に残
っているのは、鍋やかまなどにできた穴を修理する「いかけ屋」さんで、道の
片隅にござを敷き、その上に道具を並べ、小さなふいご(携帯用送風機)で火
をおこし、焼けた鉄の棒で金属同士をくっつけてしまう「半田付け(はんだづ
け)」が、不思議だったことを覚えています。
 
◆お茶屋とふるい屋と古鉄屋(ふるがねや)◆(山梨県の話)
    夏もちかづく  八十八夜
    野にも山にも  若葉がしげる
    あれに見えるは 茶摘みじゃないか
    あかねだすきに すげの笠
小学校唱歌「茶つみ」の歌です。子どもの頃、女の子が「せっせっせーのよい
よいよい」といってから、この歌をうたいながら遊ぶ、手遊びがありました。
この歌にある「八十八夜」は、暦の上で、立春の日(2月4日頃)から数えて
八十八日目、5月2日頃のことで、茶摘みが始まる季節です。
 
新しい芽を摘んで作った新茶売りの話があります。
ある日、一人のお茶売りが、「新茶ぁ、おいしい新茶だよ!」と、売り歩いてい
く後から、「ふるいー、ふるいー」といってふるい屋が歩いていきます。「ふる
い」とは、粉や砂など細かなものを、網目を通して落としたり、選り分けする
道具です。「新茶、ふるい」と売り声が並ぶと、新茶なのか古いのかわからず、
誰も出てきません。
お茶屋さんは、新茶が売れないと怒りましたが、ふるい屋さんも、
「ここは天下の往来、文句があるなら、お前さんこそ、どこかへ行ってくれ」
とけんかを始めました。
そこへ、古鉄(ふるかね)屋さんが、通りかかり仲裁に入ったのです。古鉄屋
さんは、いらなくなった金物を買い取る商売です。二人から訳を聞くと、これ
から三人で売り歩こうといい、順番は、
「お茶屋さん、ふるい屋さん、私だ」という。
言われて三人が売り声をあげると、
「新茶ぁ、ふるいー、古鉄ぇ!」
となり、今度はいい商いができたのでした。
  日づけのあるお話365日 
       五月のむかしの話  谷 真介 編・著 金の星社 刊
 
落語にも「売り声」という噺があり、お茶屋さんに代わり「魚屋」さんで、い
わしを売っていたと記憶しています。「いわし、ふるいー、ふるかねえ!」
 
どうしても紹介しておきたい話があるのですが、季節感が希薄なのです。棚ぼ
た式に出世する話、こういったうまい話は、あるところにはあるものです。観
音さまのご利益なのですが、運命は、本当に、どなたが決めるのでしょう。こ
の話は、「今昔物語」の巻16の第28話に出ている他、古本説話集、宇治拾遺
物語、雑談集にも、「長谷寺観音の霊験譚」として残されています。思いがけな
い交換から利益を得ることを主題にした致富譚(ちふたん)の一つで、原作を
読むのは、少々しんどいですが、子ども向けに翻訳された本は、おもしろく読
めます。芥川龍之介の愛読書であることもわかります。
 
◆わらしべ長者◆   阿部 律子 著
むかし、あるところに、お父にもお母にも死なれ、独りぼっちの貧乏な若者が
いました。
ある日、村の観音さまに祈っているうちに寝てしまったのですが、夢の中に観
音さまが現われ、
「ここから東に行き、初めに手につかんだものを大切にすべし」
と、お告げがあったのです。
急いで戻ろうとしたとき、石につまずき転びましたが、起き上がると、片手に
わらしべを握っていたのです。観音さまのお告げは、このことかもしれないと
わらしべを懐にしまい、東の方に歩いて行くと、1匹のあぶが飛んできたので
捕まえ、わらしべの先にくくりつけました。すると、牛車に乗っていた男の子
が欲しいというのであげると、ただでもらってはと、みかんを3つくれたので
す。
しばらくいくと、男が道端に倒れていて、水がほしいという。みかんを差し出
すと、お礼に反物をくれたのでした。これも観音さまのお陰かもしれないと、
なおも東へ向かって行くと都に出たのです。
すると、倒れた馬を囲んで、人々が騒いでいました。馬の持ち主が、若者に、
急用があるので、馬をやるから好きなようにしてくれというので、ただでもら
うわけにはと、反物をあげたのです。
若者は、馬を引きながら、さらに東の方へ行くと、大きな家から、旅支度をし
た主人が出てきて馬をくれ、もし、3年たってもわしがもどらなかったら、こ
の家も畑も、お前にやると言い、返事も聞かずに行ってしまったのです。若者
は、田畑を耕しながら、主人の帰りを待ったのですが、帰ってきませんでした
ので、若者は、その屋敷に住み、やがて、わらしべ長者と呼ばれる大金持ちに
なったのです。
  日本むかしばなし 12
      ふしぎなゆめ 民話の研究会 編 田木 宗太 絵  
             ポプラ社 刊
 
このように、安物が高価な物と交換されていく話は、ヨーロッパにはあまり見
られず、なぜか、インド、ベトナム、朝鮮、日本といったように東南アジアに
分布しているようです。そういえば、インドの原始仏典「ジャータカ」には、
ねずみ1匹から交換が始まり、豪商の婿さまに納まる出世物語が収められてい
ます。
「ジャータカ物語」や「パンチャタントラ物語」(世界で最も古い子ども向けの
物語集)もお勧めしたいのですが、最近、図書館でも見かけなくなりました。
パソコンで検索すると、かなり出版されているようです。あらすじを紹介して
いるものもあり、内容を把握できますから、のぞいてみましょう。
(次回は、「何もないのかな 水無月」についてお話しましょう)

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