クラス/講習のご案内

  • 年長児クラス
  • 年中児クラス
  • 3歳児クラス
  • 2歳児クラス
  • 1歳児クラス
  • 特別講習
  • 時間割・日程

模擬テスト・講演会

  • 年長児模擬テスト
  • 年中児模擬テスト
  • 3歳児模擬テスト
  • 2歳児模擬テスト
  • 全統オープン
  • 合格テスト / テスト講習
itsuaki__240_p_01.jpg

めぇでる小学部

  • ことばの学校
出版物・問題集のご案内 よくある質問 めぇでる教育研究所 ワクわくアトリエ メールマガジン お受験情報・リンク

HOME > めぇでるコラム > アーカイブ > 2020保護者の最近のブログ記事

めぇでるコラム 2020保護者の最近のブログ記事

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(1)何にもないのかな 水無月

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第28号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第八章 (1) 何にもないのかな   水 無 月
 
暦の上では、6月から夏です。夏の読み方は、「暑(あつ)」の転化したものと
いわれていますが、他にも「生(な)る」「暑(ねつ)」などの転化したものとい
う説もあるそうです。
 
水無月(みなづき)のいわれは、たくさんあります。
旧暦6月は、梅雨も終わり、炎天下の酷暑の季節に入り、文字通り、水もかれ
つきるという説と、逆に、田植えも終わり、田に水を張る月「水張り月」「水月」
からきた説、また、農家のもっとも重要なイベントでもあった田植えが終わっ
たことから「皆仕月(みなしつき)」「皆月(みなつき)」からきた説、そして、
雷が多い季節から「かみなり月」の「か」と「り」をとり、「みな月」という説
もあるそうです。最後の「ゴロ合わせ」ではなく「語呂合わせ」がおかしいで
すね。
 
★★大切な田植えの時です★★
6月といったら、「何といっても……」というものがありません。
毎日、雨が降り、むし暑くて、うっとうしい梅雨です。
この梅雨のいわれですが、梅の実が熟する頃に降る雨から梅雨、湿っぽくて黴
(かび)が生えやすい気候から黴雨、この他に梅雨を「つゆ」と読む場合もあ
ります。しとしとと降る雨が、木々の梢や葉にまとわりつき、露となって落ち
ていく様子から“つゆ”とも呼ばれたのではないかと私流に思い込み、趣のあ
る言葉で好きなのですが、諸説があって本当のことはわからないようです。
 
梅雨前線が、日本列島にどっしりと腰をすえ、うんざりする毎日です。しかし、
この時期に、しっかりと雨が降らなくては、困るものがあります。
お米です。
田植えの季節です。
菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)、柏の葉は、端午の節句の専売特許ではありま
せん。昔の5月は、今の6月頃にあたります。今のように、機械で苗を植える
のと違い、田植えは、お百姓さんが、苗を1本1本、手で植えていました。で
すから、時間はかかり、田んぼが広ければ、人手もたくさん必要になります。
まさに、猫の手も借りたいほどの忙しさです。
「米」という字は、「八と十と八」からできています。お米は、種から芽を出し
た苗を田んぼに植えて収穫し精米するまでに、人の手を八十八回わずらわすと
いわれるほど、手がかかるのです。
 
さらに、天気にも左右されます。
ご存知のように、稲は水稲(すいとう)といって水田で栽培しますから、梅雨
にたくさん雨が降らなければ、田植えはできません。ちなみに、水稲より大量
の水を必要としない畑で栽培する稲、陸稲(おかぼ)もありますが、水稲に比
べ品質は劣り収穫量も少ないため、日陰の存在に甘んじているようです。
そして、夏に日照りが悪いと、稲はきちんと育ちません。しかし、日が照りす
ぎても、田んぼの水が干上がって、稲は駄目になります。また、稲は順調に育
っても、収穫前に台風がきて、たわわに実った稲穂が強風になぎ倒され、豪雨
で水に浸かってしまっては使いものになりません。自然とのかかわりは、宿命
的な因果関係のごとく厳しいですから、神頼みにならざるを得ないのです。
 
そこで、昔の人は知恵を絞り、田植えが無事に済み、たっぷりとお水をいただ
き、夏にはしっかりとお日さまに顔を出してもらい、稲が立派に育って、秋に
は、おいしいお米がたくさんとれるようにと、神様にお祈りをしたわけです。
米作りは、やり直しのきかない真剣勝負、人生そのものといえるのではないで
しょうか。
 
そのお祈りをするのは女性の役目で、早乙女(さおとめ)と呼ばれ、田植えを
する間、悪いことが起きないように、屋根を菖蒲の葉で作った小屋に集まり、
肉食を断つなどして身を清め、精進潔斎をし、一晩中、お祈りをしました。で
すから、昔の5月5日は、夏負けをしないように、匂いの強い草で、魔物を追
い出す日であり、田植えの準備の日でもあったのです。
 
浄瑠璃といえば近松門左衛門、そのすぐれた伝統芸能を観賞する機会はほとん
どありませんが、残された名作を本で読むことはできます。代表作の一つ、ど
うしようもない放蕩無頼で、典型的な自己中の不良青年、与兵衛を描いた「女
殺油地獄」の中に、「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」とあり、男の祭り
ではなく、無事に田植えを行えるよう祈願する女性の祭りであることがわかり
ます。
 
その田植えですが、本当に、大変な仕事です。
私も、子どもの頃に猫の手になり、手伝った経験があります。泥んこの田んぼ
に足をつけたまま、幅1メートルほどの範囲を、10センチ間隔ほどに苗を植
えていくのです、腰をかがめて。これを30分程続けると、完全に腰にきます。
伸ばすと、ボリッと音がするほど、筋肉は、まいってしまいます。
毎年、天皇陛下が苗を植えるお姿をテレビで拝見していますが、収穫された米
は伊勢神宮に奉納されるそうです。「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)
の実る国(神意によって稲が豊かに実り、栄える国)」、これは日本国の美称と
して使われる言葉ですが、皇室の儀式とはいえご高齢だけに、無理をなさらな
いでほしいと思っていました。やがて天皇陛下初のお田植えのお姿を見ること
ができるでしょう。100株だそうですが、本当に大変な仕事なのです(笑)。
最近、小学生が体験授業として、田植えをやる学校が増えているようですが、
米を作ることが大変な作業であることを実感できれば、「いただきます」の本当
の意味、「ありがたくいただきます」と感謝の気持ちを表していることも理解で
きるのではないでしょうか。
 
さて、夏になると、稲のまわりに雑草が生えますが、これを取り除くのも一苦
労です。また、腰をまげて、手で雑草を取ります。これが、かんかん照りの太
陽のもとでの作業ですから、田んぼの水は、それこそ生ぬるく、草いきれで、
むっとする匂いには、泣かされました。蛭(ひる)という人の血を吸う虫もい
て、環境のよい仕事場ではありませんでした。日本の夏は高温多湿であるだけ
に、少しでも手を抜くと雑草が生え、稲の成長を妨げますから手入れが大変で、
まるでわが子を育てるのと同じだとお百姓さんに聞いたことがありますが、子
どもを育てて実感しました。
手を抜いた分、親が考えもしなかった色に染まってしまうのですから。「手を抜
く」といっても育児を放棄するのではなく、ちょっとした思い違いから、親子
の絆にひびの入ることもあるものです。「おかしいな?」と感じた時は、親から
子どもに話しかけるべきではないでしょうか。そういう時は、子ども自身も迷
っているはずだからです。
 
そして最後の収穫、これも1株、1株、鎌(かま)で刈っていきます。繰り返
しますが、お百姓さんの腰が曲がるわけです。刈った稲を、今度は、天日で乾
かします。それを脱穀機で稲穂を取り、もみ殻にして、これを精米機にかけ、
やっとお米になるのです。農業の機械化というのでしょうか、田植えから脱穀
まで、全部、機械でできるそうですから、これは、すごい省力化です。そうい
えば、最近、腰の曲がったお百姓さんを、あまり、見かけません。「農業に従事
する若者がいないのですよ」といわれそうですが、省力化の結果ではないでし
ょうか。
 
田植えは、実りの秋への出発点です。ですから、この時期の天候は、本当に神
頼みでした。私の住んでいる川越でも、田んぼに水が張られ、まもなく田植え
が始まります。JR埼京線や東武東上線の車窓からの眺めは、関東平野であるこ
とを実感できます。
 
勝手な思い込みですが、日本のお米ほどうまいものはありません。
貿易の自由化で外米が入ってきても、「私は日本産のお米しか食べません!」な
どと農家を援護するけなげな心構えのようですが、本当のことをいえば、日本
酒が大好きだからです(笑)。日本酒がうまいのは、美味しいお米と水があるか
らで、またしても日本人に生まれたことを感謝せざるを得ませんね。
 
★★てるてる坊主★★
この月は、しっかりと雨が降ってくれなくては困りますが、雨が降ってほしく
ない時もあります。
子どもの頃、遠足や運動会の前日に、てるてる坊主を作ったものでした。今で
も、この風習は残っているようです。天気にしてくれた時には、目、鼻、口を
つけてあげた記憶があります。
 
 てるてる坊主
 作詞 浅原 鏡村  作曲 中山 晋平
 
(1)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   いつかの夢の空のように はれたら金の鈴あげよ
 
(2)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   私の願いを聞いたなら  甘いお酒をたんと飲ましょ
 
(3)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
   それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ
          (注 浅原鏡村は、小説家浅原六郎の別名)
 
幼子の「どうしても晴れてほしいなぁ!」という気持ちが伝わってきます。
「しかし、しかしです」と何も興奮することはありませんが、「てるてる坊主は、
坊主ではなく娘さんで
す!」と聞けば、「ナヌ!?」となりませんか。発祥の地は、またしても中国で
した。
 
てるてる坊主の起源は、中国で掃晴娘(そうせいじょ)とよばれる、ほうき
を持った女性の紙人形をつるす風習からきている。娘がほうきで晴れ気を掃
きよせ、晴天や幸運を招き寄せようとするまじないで、平安時代に日本へ入
ってからは、なぜか坊主に代わってしまった。
(日本の年中行事百科 2 夏   民具で見る日本人のくらしQ&A
 P14        監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
お坊さんの頭は、つるつるで、何やら光り輝いていますし、明日の天気は神頼
み、いや、この場合は仏頼みで、晴れのイメージにつながったのでしょうか。
 
ところで、今はどうかわかりませんが、一時期、小学校の音楽の教科書の中に
はなく、ラジオなどで流す場合は3番をカットするケースがあったようです。
その理由は、歌詞の3番に、
「それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ」
とありますが、それは自分の願いを聞き届けさせようとする「脅迫信仰」であ
って、童謡らしくない残酷な表現だからだそうです。
作詞者のイメージとしては、残酷に処刑するのではなく、「晴れなかったら承知
しないからね!」と、どうしても晴れてほしい切実な願い、その気持ちを表現
したかったのではないでしょうか。
映画やテレビ、漫画、DSのゲームなどでは、もっと残酷な場面を映像で見せ
つけているではありませんか。詩は、イメージです。こんなことまで規制され
るのは、情操教育を考えると、首を傾げたくなります。残酷な犯罪は、きちん
とイメージできないから起きるのではないでしょうか。
 
ですから、「イメージ化できる」ことは、非常に大切な感性です。感性こそ、子
どもの時から様々な経験を積み重ね、磨いていくものです。以前にもお話しま
したが、イメージ化を培う力は、読書と何事にも自力で挑戦する生活体験です。
文字を読み取り、その世界を作り上げる作業は、人格を築き上げる大切な学習
です。若者の活字離れが指摘され久しくなりますが、思考力や思想を構築する
力が劣るわけです。お子さんに本を読む習慣を身にけさせるには、本の読み聞
かせと、ご両親の読書をする姿をしっかりと見せておくことです。
 
そして、何事も自力で挑戦する意欲を育てましょう。失敗を恐れる子にしては
いけません。「為せば成る」ではありませんが、試行錯誤を積み重ねることから、
工夫する力も忍耐力も育まれます。
「そんなこともできないのは、駄目な子なの!」
などというお母さんがいると聞きますが、「できるように頑張る子に育てるのが
親の仕事」です。
幼児教育に携わってきて感じるのは、お母さん方はあまりにも不用意に、子ど
もに劣等感を植え付ける言葉を投げがちです。同じ言葉をご主人に言われれば、
柳眉を逆立て、猛烈に反撃するでしょうに。(立腹!)
ご両親のさじ加減で、お子さんの潜在能力は開発されることを肝に銘じてほし
いものです。
 
蛇足になりますが、「成せばなる」は、私たちの世代では、東京オリンピック(1
964年)で「東洋の魔女」を率いて、女子バレーボールで金メダルを勝ち取
った、故、大松博文監督の言葉としてなじみ深いものですが、本当はもっと長
い文章で、その頭文字の5個をとったものです。
 
江戸時代の後期、米沢藩主の上杉鷹山が、家臣に教訓として「為せば成る。為
さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」と詠み与えたものですが、
それより以前に、武田信玄が「為せば成る、為さねばならぬ。成る業を成らぬ
と捨つる人の儚(はかな)さ」と、よく似た歌を詠んでおり、鷹山の言葉は、
これを変えたものだといわれているそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 
ところで、これは最近、知ったことですが、4番まであった「てるてる坊主」
を、何と作曲者が1番を削除し、今の形にしたとか。その1番の歌とは、
(1)てるてる坊主 てる坊主
   あした天気にしておくれ
   もしも曇って 泣いてたら
   空をながめて みんなで泣こう
             
(www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.htmtより)
作詞家ではありません、作曲家の中山晋平です。
何ともやさしくて、いいと思いませんか。詳しいことをお知りになりたい方、
「てるてる坊主」で検索すると、いろんな情報にヒットできます。
(次回は、「しみじみとうまいにぎり飯」他についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(4)端午の節句です★★五月に読んであげたい本★★

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第27号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第7章 端午の節句です(4)
★★五月に読んであげたい本★★
 
天皇陛下の即位を祝う令和初の一般参賀は、4日皇居・宮殿で行われ、平成へ
の代替わり時を3万人上回る14万人以上の人々が訪れました。「暑い中、きて
いただいたことに感謝致します」、さわやかに令和元年、皇紀二千六百七十九年
が始まりました。心からお祝い申し上げます。
 
「桃太郎」や「金太郎」は、おなじみのむかし話ですからさて置き、こわい話
を紹介しましょう。
 
◆めしを食わぬよめ◆   松谷 みよ子 著
むかし、ある村に、たいそうけちな男がいました。嫁に食わせる飯がもったい
ないから、飯を食わぬ嫁を探してくれというのです。
ある日のこと、十六、七の姉さまが訪ねてきて、ご飯を食べずに働くから嫁に
してくれという。暮らしてみると、ご飯を食べず、しかも働き者です。ところ
が、毎日、米もみそも減っています。不思議に思った男は、次の日、仕事に出
かけたふりをして、戸のふし穴からのぞいてみたところ、髪をほどいた頭の中
に、大きな口があり、飯にみそをつけ、にぎっては放りこみ、大がまの飯を全
部、食べてしまったのです。
男は、夕方になると、知らぬふりをして家に帰り、別れ話をすると、にわかに
髪をふりみだし、頭の口をパックリとあけて、恐ろしい山姥(やまんば)にな
ったのです。逃げ出そうとする男をつまみあげ、ふろ桶の中へ放りこみ、桶に
帯をかけて背負うと、山へむかって走りだしました。男は、何とか助かろうと、
桶から顔を出してみると、頭の上に木の枝があったのでとびつき、木からすべ
りおり、山をかけおり、ふもとまで来たのですが、気づいた山姥が、追いかけ
てきます。男は、そばの草むらに逃げ込みました。そこには、菖蒲がたくさん
生えていたのです。
「魔除けの菖蒲にはかなわない」と、山姥は悔しそうにいい、山へ帰って行っ
たのです。
菖蒲が魔除けの草として、五月の節句に飾られるようになったのは、この時か
らだといわれています。
 五月のはなし  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                  日本民話の会 編 国土社 刊
 
話によっては、蓬(よもぎ)も生えている草むらになっているものや、風呂桶
ではなく背負いかごのもあります。面白いことに、「この日が、実は、5月5日
であった」という話も残っています。
 
子どもは、こわい話を聞きたがりますが、本当は、こわがりなのです。話だけ
では、頭に大口がある姿を想像できませんから聞いていますが、本の場合は絵
がありますから、こわがります。
ある時、絵本を見せながら読んだところ、こわそうな顔をして聞いていました。
喜怒哀楽の情緒も分化されてくる時期ですから、こわいものには、本当にこわ
がり始めます。
この話でも、頭の口で食べるところでは、
「これからこわーくなるから、こわい人は……、耳を、ふさいで、いいのだよ
ー」
といかにもこわそうにいうと、耳をふさいで下を向くのは、男の子が多いです
ね。食い入るように話を聞いているのは、案外、女の子なのです。肝が座って
いるのですね、小さい頃から。
あまり恐怖感を与えるのは考えものですが、こういった刺激を与え、情緒を育
んでいくことも、昔話の大切な役目ではないでしょうか。恐怖感も、きちんと
結末で拭ってくれる配慮がしてあるからです。
 
探してみるものですね。この話を見つけたときは、本当にうれしくなりました。
鯉のぼりの制作者は、意外にも、お侍さんだったのです。
 
◆コイのぼりのはじまり◆(伝説 墨田区)
江戸時代のことです。
端午の節句が近づいたある日、江戸の町を一人の侍が歩いていました。武家屋
敷の庭には、祝いの旗や、のぼりが立てられ、道では、侍の子が、紙のかぶと
をかぶり、しょうぶで作った刀を振り回していますが、町人の住む町の子ども
達は、かぶとも、しょうぶの刀も差していないことに気づいたのです。
染め物屋の家からは、のぼりを立ててくれとせがむ子どもの声が聞こえました。
「あれは、お侍さんが立てるものだからできない」と話しますが、納得しない
で、泣きじゃくっているではありませんか。
そこへ、お侍が入って来て、大きな紙4枚と太い筆を借り、1枚の紙に大きな
コイを描き、別の紙には、反対向きのコイを描きあげました。2枚の絵を合わ
せると、1匹のコイになるのです。もう1匹描くから、節句の前日までに、黒
と赤に染め上げてほしいといって店を出たのです。
約束の日に染め上げ、日に干していると、やってきた侍は、はさみと針を借り、
向きの違うコイ同士を、袋縫いに縫い合わせると、黒と赤の2匹のコイになっ
たのです。長いさおの先につけて、家の前に立てさせました。五月晴れの空を、
風に吹かれる真ゴイと緋ゴイ。周りには、町人や武士の子ども達も集まり嬉し
そうです。
お侍さんの名は赤荻柳和、武士というよりは俳句を作ることで知られた、心の
やさしい人だったそうです。こうして、次の年の5月5日から、江戸の町には
コイのぼりが、武士の家にも町人の家にも、立てられるようなったのです。
これが、コイのぼりの始まりだそうです。
  県別ふるさとの民話 18  東京都の民話  
                日本児童文学者協会 編 偕成社 刊 
 
「八十八夜」「若葉」「茶摘み」「すげの笠」といいますと、俳句の季語のような
感じがして、夏の近いことを実感したものです。しかし、今はどうでしょうか。
こういった風物詩も、「テレビで拝見」で終わっているようです。季節を感じる
余裕がなくなってしまったのでしょうか、もったいないと思います。
自然が、四季折々の変化を告げてくれるのは、本当に有り難いことだからです。
 
この話に出てくる「ふるい屋」「古鉄(ふるがね)屋」も、説明がないとわから
ない仕事ですね。私の子どもの頃は、こういった行商屋さんが、金魚、風鈴、
豆腐、納豆、アイスキャンディーなどを売りに来たものです。中でも印象に残
っているのは、鍋やかまなどにできた穴を修理する「いかけ屋」さんで、道の
片隅にござを敷き、その上に道具を並べ、小さなふいご(携帯用送風機)で火
をおこし、焼けた鉄の棒で金属同士をくっつけてしまう「半田付け(はんだづ
け)」が、不思議だったことを覚えています。
 
◆お茶屋とふるい屋と古鉄屋(ふるがねや)◆(山梨県の話)
    夏もちかづく  八十八夜
    野にも山にも  若葉がしげる
    あれに見えるは 茶摘みじゃないか
    あかねだすきに すげの笠
小学校唱歌「茶つみ」の歌です。子どもの頃、女の子が「せっせっせーのよい
よいよい」といってから、この歌をうたいながら遊ぶ、手遊びがありました。
この歌にある「八十八夜」は、暦の上で、立春の日(2月4日頃)から数えて
八十八日目、5月2日頃のことで、茶摘みが始まる季節です。
 
新しい芽を摘んで作った新茶売りの話があります。
ある日、一人のお茶売りが、「新茶ぁ、おいしい新茶だよ!」と、売り歩いてい
く後から、「ふるいー、ふるいー」といってふるい屋が歩いていきます。「ふる
い」とは、粉や砂など細かなものを、網目を通して落としたり、選り分けする
道具です。「新茶、ふるい」と売り声が並ぶと、新茶なのか古いのかわからず、
誰も出てきません。
お茶屋さんは、新茶が売れないと怒りましたが、ふるい屋さんも、
「ここは天下の往来、文句があるなら、お前さんこそ、どこかへ行ってくれ」
とけんかを始めました。
そこへ、古鉄(ふるかね)屋さんが、通りかかり仲裁に入ったのです。古鉄屋
さんは、いらなくなった金物を買い取る商売です。二人から訳を聞くと、これ
から三人で売り歩こうといい、順番は、
「お茶屋さん、ふるい屋さん、私だ」という。
言われて三人が売り声をあげると、
「新茶ぁ、ふるいー、古鉄ぇ!」
となり、今度はいい商いができたのでした。
  日づけのあるお話365日 
       五月のむかしの話  谷 真介 編・著 金の星社 刊
 
落語にも「売り声」という噺があり、お茶屋さんに代わり「魚屋」さんで、い
わしを売っていたと記憶しています。「いわし、ふるいー、ふるかねえ!」
 
どうしても紹介しておきたい話があるのですが、季節感が希薄なのです。棚ぼ
た式に出世する話、こういったうまい話は、あるところにはあるものです。観
音さまのご利益なのですが、運命は、本当に、どなたが決めるのでしょう。こ
の話は、「今昔物語」の巻16の第28話に出ている他、古本説話集、宇治拾遺
物語、雑談集にも、「長谷寺観音の霊験譚」として残されています。思いがけな
い交換から利益を得ることを主題にした致富譚(ちふたん)の一つで、原作を
読むのは、少々しんどいですが、子ども向けに翻訳された本は、おもしろく読
めます。芥川龍之介の愛読書であることもわかります。
 
◆わらしべ長者◆   阿部 律子 著
むかし、あるところに、お父にもお母にも死なれ、独りぼっちの貧乏な若者が
いました。
ある日、村の観音さまに祈っているうちに寝てしまったのですが、夢の中に観
音さまが現われ、
「ここから東に行き、初めに手につかんだものを大切にすべし」
と、お告げがあったのです。
急いで戻ろうとしたとき、石につまずき転びましたが、起き上がると、片手に
わらしべを握っていたのです。観音さまのお告げは、このことかもしれないと
わらしべを懐にしまい、東の方に歩いて行くと、1匹のあぶが飛んできたので
捕まえ、わらしべの先にくくりつけました。すると、牛車に乗っていた男の子
が欲しいというのであげると、ただでもらってはと、みかんを3つくれたので
す。
しばらくいくと、男が道端に倒れていて、水がほしいという。みかんを差し出
すと、お礼に反物をくれたのでした。これも観音さまのお陰かもしれないと、
なおも東へ向かって行くと都に出たのです。
すると、倒れた馬を囲んで、人々が騒いでいました。馬の持ち主が、若者に、
急用があるので、馬をやるから好きなようにしてくれというので、ただでもら
うわけにはと、反物をあげたのです。
若者は、馬を引きながら、さらに東の方へ行くと、大きな家から、旅支度をし
た主人が出てきて馬をくれ、もし、3年たってもわしがもどらなかったら、こ
の家も畑も、お前にやると言い、返事も聞かずに行ってしまったのです。若者
は、田畑を耕しながら、主人の帰りを待ったのですが、帰ってきませんでした
ので、若者は、その屋敷に住み、やがて、わらしべ長者と呼ばれる大金持ちに
なったのです。
  日本むかしばなし 12
      ふしぎなゆめ 民話の研究会 編 田木 宗太 絵  
             ポプラ社 刊
 
このように、安物が高価な物と交換されていく話は、ヨーロッパにはあまり見
られず、なぜか、インド、ベトナム、朝鮮、日本といったように東南アジアに
分布しているようです。そういえば、インドの原始仏典「ジャータカ」には、
ねずみ1匹から交換が始まり、豪商の婿さまに納まる出世物語が収められてい
ます。
「ジャータカ物語」や「パンチャタントラ物語」(世界で最も古い子ども向けの
物語集)もお勧めしたいのですが、最近、図書館でも見かけなくなりました。
パソコンで検索すると、かなり出版されているようです。あらすじを紹介して
いるものもあり、内容を把握できますから、のぞいてみましょう。
(次回は、「何もないのかな 水無月」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(3)端午の節句です

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第26号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第7章(3)端午の節句です
★★竜とドラゴンは、どこが違うのかな★★ 
 
「先生、竜って、どこにいるのかな?」
映画「ジュラシックパーク」を見てきた子どもが、こう質問したものです。絶
滅したはずの恐竜が動き回っているのですから、不思議に思ったのでしょう。
怪獣ゴジラにキングギドラが戦いを挑んだときも、同じような質問を受けまし
た。人間の脳は、動くものを見ることで刺激を受け、新しい思考が始まるよう
です。空想の怪獣が動くことで、新しい疑問を感じるのでしょう。
竜といえば、芥川龍之介の小説「龍」や、上野の不忍池に、夜な夜な水を飲み
に現れたという名工、左甚五郎の彫った「龍」などから、名前には親近感があ
りますが、存在感はありません。困ったとき、頼りになるのは広辞苑、私には
心強い味方です。
 
それによると、「竜は、インド神話で蛇を神格化した人面蛇身の半神、中国では
神霊視される鱗虫(蛇などうろこのある虫)の長」であり、その姿は、多国籍
軍のような寄せ集めとはいいませんが、ものすごく複雑なのです。
「頭はラクダ、角は鹿、眼は兎、耳は牛、うなじ(首筋)は蛇、うろこは鯉、
爪は鷹、手のひらは虎に、それぞれ似ている」
といわれているようです。これだけ集まれば、さて、どのような性格になるの
でしょうか、想像もつきません。棲息地は人里離れた、何やら訳ありの深い淵。
しかも、水の中で、おとなしくしているだけではありません。空さえ飛んでみ
せ、天にも昇ります。昇天の際には、雲を起こし、雨を呼び、強風を吹かせて、
稲妻を光らせ、雷まで響かせる、いかにも不思議な存在です。
 
そのせいでしょうか、竜を使った四字熟語には、威勢のよい、縁起のよいもの
がたくさんあります。
新明解「四字熟語辞典」によると、
「竜章鳳姿」は、威厳に満ちた立派な容姿、
「竜躍雲津」は、竜が空高く舞い上がり、銀河まで昇っていくように出世する
こと、
「龍虎相搏(そうはく)」「龍虎あいうつ」でおなじみの強いもの同士が戦うこ
と、
「竜象之力」は、水中の竜や陸上の象のように、他に突出した力のことを表し
ます。
もっとも、「竜頭蛇尾」と、初めは勢いもよいのですが、終わりの方ではふるわ
なくなる竜もいるようです。
 
幕末の志士といえば、忘れられないのが坂本龍馬ですが、その龍馬にふさわし
い故事があります。「竜馬(りゅうめ)の躓(つまず)き」、竜馬は足の速い駿馬の
ことですが、駿馬でも何かのはずみで躓くことがあるという意味で、類似語は
「猿も木から落ちる」です。回天寸前に暗殺された龍馬、まさに「竜馬の躓き」
で、歴史は、非凡な人間に嫉妬するかのように、非情な運命を背負わすもので
すね。ちなみに英語では、“A horse may stumble though he has four legs”
「4本足の馬も時には転ぶ」だそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 
また、「逆鱗(げきりん)」ということばがありますが、この「鱗(うろこ)」は、
竜のあごの下に逆さまに生えるもので、これに触れると竜は怒り狂うといわれ、
中国の古典「韓非子」に、天子(国を治める者)を竜にたとえ、天子から激し
い怒りをかうことを「逆鱗に触れる」と記されています。
 
しかし、東洋では、姿形からして何やら憎みきれない善玉的存在です。日本で
は、「竜神様」といい立派な神さまですし、「辰」として干支にも入っています。
「独眼竜」といえば、おなじみの武将、伊達政宗です。
 
ところが、西洋になると、一変して悪玉となるから面白いですね。ドラゴンで
表す西洋の竜は、悪の化身です。聖書の「黙示録」に、「年を経た蛇」として登
場します。そういえば、禁断の木の実を食べさせようと誘ったのは、蛇でした。
このドラゴンを退治するために、英雄が登場します。これでは完全な悪役に徹
することになるのですが、竜が「宝の守護者」としての伝説があるのですから、
やはり、摩訶不思議な伝説上の産物なんですね。
 
楽しい童話があります。竜に会いたいと願っていた子どもが、会えたばかりか
竜を感激させ、その背中にのって空を飛ぶ、浜田広介の「竜の目に涙」です。
我が子が幼稚園時代に、夢中になってみていたテレビマンガ「日本昔話」のタ
イトルに、竜に乗った子どもが出てきた記憶があります。以前にも紹介しまし
た「泣いた赤鬼」とともに読んであげたい本です。
 
★★五月五日は、母の日ですって…!?★★
「エッ、ウッソー!」と、いいたくなるでしょうが、嘘ではありません、本当
の話です。
 
昭和23年(1948)7月20日発布の法律第一七八号、国民の祝日に関する
法律(祝日法)には、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、
母に感謝する日」と定められている。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100)
 
つまり、子どもの日は「法律的には母に感謝する日」でもあるのです。
「それでは、どうして、五月の第二日曜日が母の日で、カーネーションを贈る
ようになったのですか?」当然の疑問です、以下のような経緯があったのです。
 
アメリカのウエストヴァージニアの教会に、ミス・ジャービスという女教師
がいて、日曜学校の説教のとき、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」の
章の解説に「母の恩の深いことを人に悟らせる方法を考えよ」と教えていた。
彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われたとき、一人娘のアンナ・ジャ
ービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げることで母
の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配った。信
者たちはそれを胸に飾り、教えの通り母への感謝を示したのである。
この話を聞いたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1908年5月の
第二日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えた。これ
がレディー・ファーストの国アメリカで大反響を呼び、1914年に、議会
の決議を経て、ウィルソン大統領により国民の祝日として、5月の第二日曜
日を「母の日」と決めたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100
-101)
 
カーネーションの花言葉は「母の愛情」です。これも当然ながら意味がありま
す。
 
カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落
とした涙のあとに生じた可憐な花ともいわれ、母性愛の象徴となった。そして
それはキリストの復活につながり、復活したキリストと共に生まれた花として、
愛と喜びのシンボルとなった。白いカーネーションは生前のキリストとマリア
の涙、赤いカーネーションは復活したキリストである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
バレンタインデーのチョコレートはチョコレート屋さん、母の日のカーネーシ
ョンは花屋さん、クリスマスのデコレーション・ケーキはお菓子屋さんの企み
という感じがしますが、発案者のアンナさんは、こういった商業化、コマーシ
ャリズムには反対で、心を痛めていたそうです。
 
★★花言葉★★
花言葉に関しては、お母さんの方が詳しいのではないでしょうか。母の日のカ
ーネーションにちなみ、年中行事に関係のある花を選んでみました。
 
冬(12月-2月)
[そば]懐かしい思い出 ◆(そばののど越しと香りがわかります)
[松]不老長寿 同情 慈悲
[竹]節度 節操のある
[梅]高潔 上品 忍耐 忠実 独立 厳しい美しさ あでやかさ 気品
[裏白]無限に   ◆(縁起物の門松と鏡餅だけに納得できます)
[ゆず]温情 太平 ◆(鏡餅の存在を暗示しています)
[福寿草]幸福 幸せを招く 永久の幸福 回想 思い出 悲しき思い出
[椿]幸福 謙遜(赤)気取らない美しさ 控えめな愛
        (白)申し分ない愛らしさ 理想的な愛情 冷ややかな美しさ
 
[せり]清廉潔白  ◆(せりのおひたしは、まさにこの味です)
[ナズナ]すべてを捧げます
[御形(母子草)]いつも思う 優しい人 永遠の思い
「はこべら」 ランデブー 愛らしさ
[仏の座]調和 輝く心
[すずな]助け
[すずしろ]潔白  ◆(以上は春の七草です)
 
[大豆]親睦 ◆(鬼と親睦を図るわけではありません)
[ひいらぎ]機知 先見 用心
 
春(3月-5月)
[桃]天下無敵 チャーミング(花、しだれ桃)私はあなたのとりこ(実)愛嬌
[橘]純潔 ◆(お雛様は天下無敵と純潔に守られています)
[よもぎ]幸福 平和
[菜の花]快活な愛 小さな幸せ
[桜]純潔 精神美 淡白 ◆(かつて日本民族の矜持、プライドでした!)
[しょうぶ]やさしい心 忍耐 あなたを信じる
[柏]勇敢 独立 自由
[栴檀]意見の相違
[タンポポ]前途洋々 威厳  ◆(全く逆の花言葉もあります)
[チューリップ] 博愛 名声(黄) 実らぬ恋(紫) 不滅の愛(白)
         長く待ちました(斑入り) 美しい目
 
夏(6月-8月)
[あじさい]移り気 高慢 辛抱強い愛情 元気な女 無情
[朝顔]愛情 愛情の絆 平静 結束 短い愛
[ひまわり]私の目はあなただけを見つめる 憧れ 崇拝 熱愛 光輝 愛慕
[笹]ささやかな幸せ  ◆(「ささやか」、響きのいい言葉ですね)
[なす]よい語らい 優美 希望
[きゅうり]しゃれ  ◆(……!)
[ほおずき]いつわり ぎまん ◆(漢字で書くと[鬼灯/酸漿]です)
 
秋(9月-11月)
[萩]思い 思案 柔軟な精神 
[すすき(尾花)]活力 心が通じる 永久 忍耐
[葛]治療
[女郎花]親切 美人 はかない恋 永久 忍耐
[撫子]永遠の愛情 純愛
[藤袴]ためらい 思いやり
[桔梗]変わらぬ恋 従順  ◆(秋の七草)
[秋桜(コスモス)]乙女の真心 乙女の愛情(ピンク) 少女の純愛(赤)
          調和(白) 美麗 純潔 誠実
[菊]ろうたけた愛 わずかな愛(黄) 真実 誠実(白)
   私を信頼してください(濃色)
[葉鶏頭]情愛 見栄坊  ◆(ケイトウというあだ名の友人がいましたが、納得!)
[彼岸花]悲しい思い出 情熱 独立 再会 あきらめ
[しゅうかいどう]片思い
[赤飯]節操 粋 健康 あなたのために役立ちたい 
[白粉花]あなたを思う 内気、臆病 ◆(新 秋の七草)
[榊]不明(やはり、神さまに似合うのはこれでしょう 花言葉 北斗 多一郎)
 ◆([不明]なのではなく、[不明]が花言葉です)
[栗]真心 豪華 満足
「さつま芋」乙女の純真  ◆(可憐な花です)
 
花言葉はたくさんあり選択に迷いましたが、ここでは花言葉のいわれを紹介す
るのではありませんから、年中行事に関係のあるものから選んでみました。掲
載した花言葉は、すべて「Yahoo! Japan」から検索したものです。「和紙つれづ
れ花言葉」は、出典を明らかにした親切な作品になっていましたが、検索した
ところヒットしませんでしたので、今回は「花言葉由来 hananokotoba.com/」
にもお世話になりました。
 
かつて、花を傘で切り倒す事件がありましたが、花に八つ当たりして、何かが
解決したのでしょうか。私たちが困難に立ち向かうときに、花や小動物が、い
かに勇気を与えてくれるか、体験したことがないのでしょうね。残念でなりま
せん。
 
余談になりますが、ご家庭での受験準備、いかがでしょうか。
先日、「おじいちゃん、かぶと虫を折ってください!」と孫からリクエストがあ
り、これが難しくてパソコン相手に苦戦しています。第24号でもお話ししま
したが、折り方の解説、難しいですね。わかっている人には簡単なのでしょう
が、うまく折れません。
これは皆さんがやっている家庭学習でも同じことがいえるのではないでしょう
か。お子さんが「わかんない!」といったときは、本当にわからないのです。
「わかった!」と笑顔でいってくれるまで頑張る、賢いお母さんになってあげ
ましょう。
なかなか、完成図のようにならずにイライラしますが、孫の期待に背くわけに
もいかず、頑張らざるを得ません(笑)。
 
ところで、澤田ふじ子さんの小説には、粋な表現があり、嬉しくなるときがし
ばしばありますが、これなど、今年の陽気の変化を見事に表しており、またう
なずいてしまいました。
「こう暖かいと、つい油断してしまいますわ。風邪の奴は、そんなところへ付
け込んできますのやな。季節には嘘がまじっているとは、身体のためをいう言
葉。昔のお人はなんでもうまい表現をしはります」(公事宿事件書留帳五 相続
人 P153より)
 
このメルマガは、毎週火曜日に担当者に原稿を渡すのですが、偶然にも平成最
後の日になりました。日本には神武天皇が即位されたとする年を元年とする独
特の紀年法、皇紀がありますが、令和元年は皇紀2679年になります。私は
昭和15年2月11日生まれで、皇紀2600年でしたから、下2桁に年齢を
足すと皇紀になり、昭和15年は西暦1940年で、同じく年齢を足すと20
19年になります。ちなみに皇紀2600年は、紀元2600年にあたり、私
の命名の由来となっています。名前負けしていますが(笑)。
(次回は、「五月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(2)端午の節句です

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第25号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第7章(2)端午の節句です 
 
★★なぜ、菖蒲湯なのでしょうか★★
 
昔は、今のように風呂のある家は、少なかったものです。銭湯といって、お金
を払い、みんなと一緒に入りました。大勢の人が入りますから湯船も広く、そ
こへ、どっさりと菖蒲を入れるのですから、その香りでいっぱいになります。
 
菖蒲が邪気を払ういわれは、中国の古くからの言い伝えで、王様が殺した不忠
の家来の魂が、毒蛇となって災いをもたらしたので、香りが強く、頭のところ
が赤く、青い葉の形が蛇に似ている菖蒲を酒に入れて飲んだところ、悪魔を降
伏させる術を授かり、蛇を退治した話によるものです。
昔は節分の時に、玄関に柊や鰯の頭を飾りましたが、あれと同じです。鬼や悪
魔は、香りの強いものを苦手としていました。そういえば、ヨーロッパのモン
スターの代表ドラキュラの苦手とするものは、十字架と太陽とにんにくです。
世界中の妖怪は、香りや匂いの強いものに弱い共通点がありますが、朝鮮半島
に住む妖怪は、にんにくは効かないのではないでしょうか。
また、菖蒲が侍の家で大切にされたのは、 武芸、軍事などを尊ぶ「尚武(武芸、
軍事などを尊ぶこと)」と同音だからでした。
 
 燕子花(かきつばた)は菖蒲(あやめ)と花がよく似ているため、「源氏物語」の
なかで、―いずれがあやめか、かきつばた―と書かれて以来、酷似しているこ
とをいう雅言(がげん)となった。万葉集では加吉都播多(かきつばた)、安夜女
具佐(あやめぐさ)とはっきり区別されている。
 (花暦「花にかかわる十二の短編」P121 澤田ふじ子 著 徳間文庫 刊)
 
万葉仮名は、漢字本来の意味から離れて、仮名のように読みますから面白いで
すね。
雅言は、「洗練された言語、特に和歌などに用いられる古代、特に平安時代の言
葉」(広辞苑)で、「いずれがあやめか、かきつばた」は、美人が大勢いて優劣
がつけられないたとえだと、軽薄に思い込んでいたのですが、美人に限らず、
選択に迷うことのたとえなんですね(笑)。かきつばたは、今は「杜若」と書き
ますが、難しくて読めません。
余談になりますが、ブックオフで、与謝野晶子さんが現代語に訳した「全訳源
氏物語」(上中下3巻 角川文庫 刊 172万部発売)を、何と300円で見
つけ、びっくりして、あたふたと買ってきましたが、読み上げるのにひと月か
かりました。およそ千年前、ダンテより三百年前、シェクスピアより六百年前、
ゲーテより八百年前に書かれた長編写実小説、圧倒されて疲れましたが、時々、
こういった幸運に恵まれるのも、何だか本が呼び寄せてくれるようで感謝して
います。1冊100円、与謝野昌子さんには申し訳ない。この年になって初め
て完読、夢達成!(笑)
 
なお、あやめは、きれいな花を咲かせる花菖蒲のことで、葉は剣型で似ていま
すが、菖蒲湯として用いられることはありません。以前、「26日のクリスマス
ケーキ」を紹介しましたが、同じ意味で「6日の菖蒲」があります。
  
 菖蒲が6日に届いたのでは、節句に間に合わないので、そこから「時期に遅
れて間に合わないこと」をいうそうです。
 (知らない日本語 教養が試される341語 P321 谷沢 永一 著 
幻冬社 刊) 
    
読むたびに教えられることばかりだった博識の先生は、平成23年に亡くなら
れましたが、英文学者、渡部昇一先生も28年4月に、冥界へ旅立ちました。
お二人の共著や対談集を時々読み返していますが、その度に肯かざるを得ない
話題にあふれ、刺激を受けるのは、失礼な言い方で気が引けますが、勤勉であ
った両先生の性格が表れたものだと圧倒されてしまいます。どんなお話をして
いるでしょうか。(合掌)
 
★★粽(ちまき)のルーツは……?★★ 
物事には、何事も訳ありで、端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝え
があるのです。(以下、抄訳です)
 
  屈原(くつげん)は、楚の時代に、人々に愛された清廉潔白な憂国の詩人
  で、淵に身を投げ、命を絶った人ですが、そのなきがらを守り屈原の故郷
  まで運んだのは鯉でした。
  その日が、紀元前278年5月5日。
  命日になると、楚の人々は、竹の筒に米を入れて川に投げ、屈原の霊に捧
  げ、無事に運んでくれた忠義な鯉に、感謝の気持ちを表したのです。
  ところが、屈原の死後、300年経った時のことです。
  ある人の所に、他人に身をやつした屈原が現われ、投げ入れてくれる竹筒
  の米は、淵に棲む主である竜に全部食べられてしまうので、竜の恐れる
  「楝(おうち)の葉っぱ」で米を包み、五色の糸で結んでほしいと告げたの
  です。そこで、屈原をとむらい、鯉に感謝してつくった「楝の葉で包み、
  五色の糸でしばった米」が、粽の始まりです。
  
  楝は、栴檀(せんだん)の昔の言い方で、香りがあるので虫もつかず、竜
  も嫌いであったのです。粽は、古くは「茅(ちがや)」の葉で巻いたから
  「ちまき」といい、五色の糸は、鯉のぼりの吹流しにも出てきましたが、
  竜の恐れた色です。端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝えがあ
  るのです。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P110-113)
  
私が知っている粽は、笹の葉で巻いたものでした。
そして、驚いたことに、毎年、6月の第1日曜日に長崎で行われている「竜船
競渡(けいと)ドラゴンレース」は、淵に身を投げた屈原を、一刻も早く救う
ために、速く舟を漕ぐことを争うイベントなのです。
鯉のぼり、粽、競渡、いずれも、今からおよそ二千年前の中国の戦国時代にあ
った出来事が、現在まで伝えられているなどとは信じがたいのですが、本当の
話です。楚の項羽が漢軍に包囲されたとき、周囲から楚の歌ばかりが聞こえて
くるので、楚の人々が漢に降伏したのかと驚いた故事「四面楚歌」、あの時代で
す。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」(3巻 新潮社刊)は読みやすく、解説が谷沢
永一先生であることも嬉しいですね。
 
故事、ことわざ、慣用句、私たちの祖先が残してくれた英知でもあるのですが、
書物の中で、イライラしながら出番を待っているのではないでしょうか。簡単
に手に入り、利用できる貴重な文化遺産でもあるのですが……。
栴檀はビャクダンの異称ですが、「栴檀は双葉より芳し」といって、発芽の頃か
ら早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優
れたところがあるたとえに用います。同義語として、「実のなる木は、花から知
れる」や「蛇は寸にして人を呑む」があり、対義語は「大器晩成」です。ちな
みに英語では、「栴檀は双葉より芳し」は“It
early pricks that will be a thorn”(茨になる木は早くから刺す)、「大器晩
成」は
“Who goes slowly goes far”がわかりやすいですね。
  
ところで、楚辞(楚の地方において謡われた詩の形式 全17巻)に、屈原と
漁師の面白い話があります。最後の3行ですが、清廉潔白な屈原の嘆きに対し、
「滄浪の水が清らかに澄んだときは、自分の冠のひもを洗えばよい。もし滄浪
の水が濁ったときは、自分の足を洗えばよい」と小舟の船ばたを叩きつつ歌い
ながら水の上を去っていったそうですが、清濁を合わせて呑んでしまう私は、
漁師の歌に納得してしまいますね。単なる怠け者の、いい加減な生き方ですが
(笑)。
 (要訳 「大河の一滴」P40 五木寛之 著 幻冬舎 刊)
 注 滄浪 あおあおとした波 中国湖北省を流れる漢水の一部の異称 コト
バンクより
 
言い訳になりますが、学生時代、中国文学の野口定男教授から老子の「水は万
物を潤し、利を与え、自分を主張することなく、器に添って形を変え、対立せ
ず争わない。流れに逆らわず、無為自然の生き方」を教わり、かくありたいと
生きてきましたが、凡人の私には「難しい!」の一言でしたね。先生は、砂押
監督に鍛えられた長嶋、杉浦、本屋敷などが活躍し、立教大学野球部の黄金時
代を築いた時の部長で、生意気盛りの私たちともよく酒を飲んで説教をしてく
れたものです。今、こういった教授はいないのではと思いますね。当時、幻の
銘酒といわれ貴重な酒であった「越乃寒梅」(新潟産)を、大学の近くにあった
酒房笹周で飲ませてくれたのも先生で、もう50数年前になりますが、学生時
代を懐かしく思い出しました。(感謝)
 
★★柏餅のルーツも中国ですか★★
今は、粽よりも柏餅が、メインです。これも中国から伝わってきたと思ってい
ましたが、何と、日本生まれなのです。
 
  柏の木は新芽が出ない限り古い葉は落ちないので、家系が絶えないという縁
起をかついで柏の葉で包んだ柏餅を食べる。
柏餅は、楝(おうち)の葉の代わりに柏の葉を使ったことから生まれたもので、
江戸時代中期頃に作られたといわれている。柏の葉の表を外にするのが味噌
入り、裏を表にするのが餡入りという。
     (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P113)
 
私の子どもの頃にもありましたから覚えていますが、柏餅の中身は、あんこだ
けではなく、味噌もあり、柏の葉っぱの表を外にしてあるのは味噌が、裏を外
にしてあるのにはあんこが入っていました。
 
ところで、子どもの頃に歌った懐かしい歌に「背くらべ」があります。最後に、
富士山の出てくるところがすごいですね。
 
    背くらべ
 作詞 海野 厚
 作曲 中山 晋平
(一) 柱のきずは おととしの   五月五日の背くらべ
    ちまき食べ食べ 兄さんが  計ってくれた 背のたけ
    きのう比べりゃ 何のこと  やっと羽織の 紐のたけ
 
(二) 柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える  遠いお山も 背くらべ
    雲の上まで 顔だして        てんでに背伸び していても
    雪の帽子を ぬいでさえ       一はやっぱり 富士の山
     
粽のわからない子が、増えているのではないでしょうか。鉄筋コンクリート建
てでは「柱」も見あたりませんし、きずが残るほど背比べをする兄弟、姉妹も
いないでしょうね。もう、この歌も歌われていないような気もします。
音楽など勉強しなくてもいいと思われているようでしたら、それは間違いです。
その歳、その時でなければ歌わない、大切な歌があります。それは、成長をつ
づる「心の歌」です。
小学校時代に母と一緒に歌った歌は、童謡と唱歌だけでしたから、今でもその
歌を覚えています。
お父さん、お母さん、思い出してください。小学校時代に歌った歌に、思い出
は残っていませんか。なかったとしたら、やはり、不幸なことではないでしょ
うか。勉強だけやっていればいい子といった教育観は、子どもの心をゆがめて
いることを、もっと真剣に考えましょう。
 
ビートたけしさんは、「いかに小学唱歌がすぐれていたかわかりますよ。あんな
格調高い詩なんて今はどこを探したって出てきやしないもの」(「だから私は嫌
われる」P10 ビートたけし 著 新潮社 刊)と、若いタレントたちの言葉を
駆使した表現力の幼さを切り捨てていましたが、言葉と思考力は、同格だと思
います。私たちは、言葉で考えているのですから。
若者に人気のある漫画、訂正、子どもから大人まで夢中になって読んでいる漫
画、「ギラギラ」「ガンガン」「バキューン」など騒々しい擬声語、オノマトペと
いうそうですが、言葉がなくても話は通じるようですね。それが言葉の代役を
果たしているのですから、読みこなしているならば、表現力も豊かになるはず
ですが、逆に、低下する一方ではないでしょうか。言葉や文章で表現すること
が、いかに大切であるかを知るのは、多くの場合、社会に出てからのようです。
またしても出てきましたが、「学生時代に、もっと勉強をしておけばよかった!」、
こうなりがちです。「後悔、先に立たず」、わかっているのですが、わかったと
きは手遅れなんですね(笑)。類義語は「転ばぬ先の杖」、ちなみに英語では、
“Repentance comes too late”「後悔しても手遅れ」(故事ことわざ辞典よ
り)だそうです。
注 オノマトペ(onomatopee)擬声語を意味するフランス語
    擬音語 ドカーン サラサラ ワンワン等
    擬態語 ツンツン デレデレ ニヤニヤ等
    約4500語あるそうです。(「日本語 オノマトペ辞典」より)
平成28年1月に松屋銀座で開催された「第31回私立小学校児童作品展 ほ
ら、できたよ」で、学習院初等科が「オノマトペ」の映像化に挑戦、発想がユ
ニークで見応えがありました。初等科のHPを開き「初等科NEWS」をクリ
ックすると作品の一部をみることができたのですが、本年度のHPは一新され、
この項目はなくなっていました。
 
ところで、「一家の大黒柱」、この言葉も、あまり耳にしなくなりました。父権
喪失は、子どもにとって、決してよいことではありません。母親の強いのは、
善し悪しだと思います。日本史の面白いことを教えてくれたのは、司馬遼太郎
氏と英文学者の渡辺昇一先生ですが、先生は、こうおっしゃっています。
 
 父親の権威はどうやって作るか。これは幼い時に悪いことをしたら、きちん
と叱るということですね。子どもは悪いことをしてひっぱたかれれば、どこ
か心の深いところで気持ちいいんです。「叱られたい」という欲求を持ってい
るのです。そして、さらに大切なのは、母親が父親のことを「立派な仕事を
しているんだ」と、子どもに言い聞かせ続けることです。それと同時に大切
なのは、小さい頃から、かわいがられて育てられたという記憶です。その記
憶があるから、子どもは自制する。親に迷惑かけてはいかんと思う。だから、
子どもが小さい頃は母親がそばにいてあげるほうがいいということなんです。
  (今、「エリートの罪」を裁くとき 誰が国賊か P254
             谷沢永一 渡辺昇一 著 文春文庫 刊)
    
お断りしておきますが、「母親がそばにいてあげるほうがいい」といっても、過
保護、過干渉になってはダメだということです。また、子どもの前で、お父さ
んの悪口を言ったり、やっつけてしまうお母さん方もいるようですが、子ども
にとってつらく悲しいことに、どうして気づかないのでしょうか。逆も同じで
すが、強いお父さんは少なくなっているようです。男の節句であるにもかかわ
らず、何やら暗いムードになってしまいました。「頑張れ、お父さん!」と、エ
ールを送っておきましょう。
 
★★鍾馗さまって、わかりますか★★
ひな祭りには、おひな様を飾りましたが、男の節句は、鯉のぼりだけではあり
ません。外には旗やのぼり、家には、かぶとや武者人形も飾りました。武者人
形は、男らしい姿と気性にあやかりたいと願って飾られたものですが、私の頃
の人気者は、大きな目をして黒いひげを生やした鍾馗(しょうき)でした。今
は、どうでしょうか。金太郎、桃太郎は、よく見かけますが、最近、鍾馗は見
られなくなったようです。
 
鍾馗は、中国の魔除けの神さまで、かの有名な玄宗皇帝(唐の時代)が、病気に
かかり夢うつつの時に、皇帝と楊貴妃が大切にしていた宝物を盗み、逃げよう
とした悪い鬼を退治。目を覚ました皇帝は、熱も下がり、病気も治っていたの
で、夢で見た姿を口述しながら描かせたのが鍾馗だそうです。三国志の英雄、
関雲は鍾馗のようだと想像しています。このような豪傑は、今風ではないので
しょうか。
 
ところで、マリアの教えを建学の精神とする男子だけの学校でサッカーの強い
暁星小学校は、「鍛える教育」を実践していますが、その具体的な目標として、
桃太郎や金太郎など日本昔話のキャラクターである「気は優しくて力持ち」を
掲げています。
やはり、幼いこの時期にこそ昔話をたくさん読んであげ、正義感や弱い者いじ
めをしてはいけないことを、きちんと学習すべきではないでしょうか。
(次回は、「竜とドラゴン 他」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1)端午の節句です 皐 月

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、
早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月晴
れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいですね。
 
★★端午の節句★★
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」とい
う意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であること
から、最初の午の日である5月5日を端午の節句として祝われるようになりま
した。また男の子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくま
しい男性に成長することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。昔
は3月3日が「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝
ったものですが、今は男の子も女の子も元気よく育つようにと祝う「子どもの
日」の方が、なじみやすいのではないでしょうか。床の間に、さまざまな幟(の
ぼり)を背にした神武天皇を中心に、武者人形や兜(かぶと)を飾った記憶が
あります。
 
枕草子にも、平安時代の5月5日の情景が描かれています。
 
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
       蓬(よもぎ)     (枕草子 第四十六段)
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルー
ツは、お武家さん、侍の世界です。侍の家では、立派な侍になるように、鯉の
ぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような
勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。それがいつ
の頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成長を祝う
ための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を守る兜や
鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。その経緯は、
5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじまり」に記
されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせたり、菖蒲
を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節句」とも
いいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を
売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。確かに、匂いが
強いですから、風邪薬の感じはありましたが、頭脳明晰になるとは、子ども心
にも信じていませんでした。どちらかといえば、けんかに強くなるイメージは
ありました。菖蒲の葉は、先が細長くとがっているので、刀のような感じがす
るからです。新聞紙で折ってもらったかぶとをかぶり、木で作った刀でちゃん
ばらごっこ。これが、私たちの遊びの定番でした。「ちゃんばら」は、「チャンチ
ャンバラバラ」の略で、歌舞伎の立ち回りや、映画の殺陣(たて)をまねたごっ
こ遊びのことですが、今どき、こんな遊びをする子はいないでしょうね。
 
余談ですが、お母さん方、兜を折れますか。パソコンで「兜の折り方」を検索す
ると、簡単なものから複雑なものまでヒットできます。孫のリクエストで18
工程もある兜に挑戦しましたが、これは難しい。最後に「お疲れ様でした! 最
後までありがとうございました」のコメントの下に、さんざん失敗した紙を足元
に散らかした女性が、パソコンの前でうなだれている写真が載っていましたが、
これが傑作で、思わず笑ってしまいました。中々うまく折れませんから、ほっ
としますね(笑)。(「折り紙 かぶとの折り方 NAVERまとめ」より)
 
そして、私には楽しみでしたが、粽や柏餅を食べる日です。粽(ちまき)や柏
餅は、おいしかったのですが、蓬で作った草餅は、子どもにとっては匂いが強
烈で、喜んで「頂きます」とはなりませんでしたが、何しろ蓬の葉には、悪魔
を追い払う力があるといわれ、私は男の子だけに、食べざるをえない雰囲気が
あり、否応もなかったのです。しかし、今の蓬の草餅は、おいしいですね。匂
いといい、味といい、まるで違ったものを食べている感じがします。
                   
★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、泥沼の
川や池に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、
立身出世の象徴ともされています。
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はいく
ら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役に
なる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
鯉のぼり (文部省唱歌)
  作詞 不明
  作曲 広田 竜太郎
一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
  橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
 
二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
  ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
 
三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
  わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなし
てさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く
滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる
言い伝えがあり、そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉の
滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすようで
すが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉がありま
す。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れ
を昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。
   (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊
P134)
 
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじ
たばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせ
られても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚
として、お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手
で胸に抱くようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随
筆で読みましたが、この習性を狙ったものでしょうか。
 
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入って
いません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのび
やかな姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気
性を表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくま
しくて立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもの
で、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、
青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、
簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表した
ものですが、これにも訳があります。
 
 五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての
現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、水
から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
 そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒
があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
 また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観が
あてられた。
 (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                             監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があ
ると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が
大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き
流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いから
ではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船
旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海
に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりま
した。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願
う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小
さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
プロ野球の好きな方へ、広島東洋カープは、なぜ「カープ(鯉)」なのでしょう
か。命名の由来は、何と城の名前です。原爆ドームのすぐそばにある広島城(築
城 毛利輝元)は、別名を「鯉城(りじょう)といい、そこから『広島カープ』
となったもので、城の名前をつけている球団は、他にありません。原爆で倒壊
した天守閣は、昭和33年に復元されましたが、学生時代に訪れた時、中御門
跡付近には原爆でこげた石垣があり、風化されてなるものかと訴えているよう
な気がしました。G7の外相、オバマ大統領が爆心地を訪れましたが、どこか
の国の方こそ、広島平和記念資料館に足を運び、並の神経では正視できない残
虐非道、その記録を見るべきではないだろうか。死者14万人、その倍以上の
人間をどうやって殺し、死体を処分したのか、私にはわかりませんが、南京大
虐殺、若い皆さん方はどう考えますか。
 
話題を変えて、今年の日本人の大リーガー、投手ではヤンキースのマー君、レ
ンジャーズのダルビッシュ有、ドジャースの前田、そして打者ではマリナーズ
のイチローは引退しましたが、日米通算で参考記録とはいえ、ローズの425
6本を抜き4257本で1位、世界記録の保持者、何とも素晴らしい。202
5年に米野球殿堂入りの資格を得て、初の両国殿堂入り選手に。ブルーワーズ
の青木とカブスの上原は帰ってきましたが、二刀流の大谷翔平、鮮やかなデビ
ュー。怪我さえしなければと祈るだけでしたが、やはり心配が的中。しかし、
復帰も間近とか、頑張れ!
 
ところで、日本球界に復帰した選手が、満足に働けない姿を見るにつけ、本場
の野球のすさまじさを想像できます。日程と試合数を見ただけでも、エネルギ
ーを搾り取られる感じがしますから、技術の前に体力と精神力、これが秀でて
いなければ活躍する場はないですね。イチローの凄さがわかります。古巣に帰
ってきたムネリンこと川崎、やはり参っていたんですね。
 
大リーガーといえば、忘れてならないのは野茂英雄投手で、日本の野球界は、
快く渡米させなかったことを思い出します。とかく開拓者には、逆風が吹きが
ちですが、それを乗り越える実力も、精神力も、体力も備えた、すばらしい選
手でした。彼には国民栄誉賞をもらう資格が十分あるのでは。「名球界ベースボ
ールフェステバル2016」で、例のトルネード投法を久しぶりに見ましたが、
少し太ったとはいえ、往年のしなるようなフォームは、全く変わっていないの
には脱帽しました。
 
かつて名勝負といわれた野茂と清原某、対決を見たくて西武球場へ足を運びま
したが、無冠の帝王の名が泣いていますね。父親は、子どもにとって限りなく
大きな存在。消すことのできない傷、誰が癒すのか。
 
「鬼平犯科帳」の著者、池波正太郎は、「自由というものは人間の社会生活には
なく、個人の胸の内に大きく存在する」(「男のリズム」P167 角川文庫刊)、
国府台女子学院 平田史郎学院長は、「訓練されていない個性は野性である」と
おっしゃっていますが、こういったことをキチンと子どもに教えるのも、私た
ち親の務めではないだろうか。偉そうなことをほざいてなんですが。(苦笑)
 
日本の歴史を通史として執筆、わかりやすく解説する博学多識に圧倒され愛読
者に。新聞の使命は『正確な情報を伝えること』をしっかりと教えていただい
た故渡部昇一先生の書籍を読み直しています。先生のご母堂の教育方針は、「教
育の道は家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実がな
る」だったそうですが、それを探すためです。50冊ほどあり、読み始めると
やめられなくなり困っています(笑)。学校選びの基本は、まさに「はじめにご
家庭の教育方針ありき」であるべきですね。育ててきた芽に、どんな花を咲か
せるか。それにはどういった教育が必要か。その道を作ってあげるのが、ご両
親の役目ではないでしょうか。
 
ノートルダム寺院の火災が報じられていましたが、ゴシック建築を代表する世
界遺産大聖堂、パリ市民だけではなく、世界中の人々にショックを与えたので
は。改修工事中の火災とか、石造建築ですから、すべてを消失するわけではな
いでしょうが、修復された聖堂、どういった姿になるのでしょうか。
 
(次回は、「第7章(2) なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか」などについてお話
しましょう)
 
お詫び 前号で紹介しました松本清張の作品、題名を飛ばしていました。『神と
野獣の日』(角川文庫 刊)です。

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本 

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第23号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といった
ものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の中
ですから、「渡る世間は鬼ばかり」で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういう
おじいさんは、いなくなるでしょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の木
の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会った
のも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
 春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊
 
三代目、桂三木助師匠の名人芸を思い出します。新宿の末広演芸場で聞いた時
のことですが、演じる師匠と聞く客が一体となって楽しんでいました。何とも
和やかな雰囲気で、気がねなく大声で笑ったものです。
最近、みんなで大笑いする機会が、少なくなっていないでしょうか。自己中の
人(注:自己中心的な人)は、笑い顔を見せませんね。「笑う門には福きたる」
ともいわれていますが。新宿のバーで知り合った春風亭小柳枝師匠の話を聞く
ために末広に出かけますが、若い人はあまりいませんね。人情話なんか、かっ
たるくて聞く気がしないのでしょうか。「人情」を辞書で引くと、「人として自
然にそなわっている、心の動き、特に愛情、情け、思いやり」(岩波 国語辞典)
とあります。人の情けは、楽しく生活を過ごすための潤滑油の役割を果たして
いたのですが、「プライバシーの重視」とか何とかで影が薄くなってしまいまし
た。
落語は、笑いながら学べるエスプリの塊のようなもので、すぐれた話芸は心に
沁みこむものですが、その火を消すのも今、生きている私達なんですね。三木
助師匠の左甚五郎の逸話を語る長編落語(CD約45分)「ねずみ」や「三井の大
黒」は、いつ聞いても心が和み、励まされたものでしたが……。
 
ところで、文中に、「霞がかかり、桜も菜の花も、今を盛りと…」とありますが、
これを読むと文部省唱歌の「朧月夜」を思い出します。「早春賦」のところでも
お話ししましたが、中学生の頃まで、この歌も、お姉さん達の歌声でなければ
「承知できない。許せない!」と、なぜか、かたくなに信じていたのです。大
好きな歌でしたが、歌うことには抵抗がありましたね。しかし、こういう風情
を味わえる時代があったことは、確かなのです。そこかしこに、自然は息吹い
ていました。
 
よく知られている与謝野蕪村の句に、
   菜の花や 月は東に 日は西に
があります。
春の日暮れを思い描ける好きな句の一つですが、司馬遼太郎氏の随筆の中に、
この句について語るところがあります。代表作の一つである「坂の上の雲」、先
進国に追いつくために、富国強兵と駆け足で上がってみた雲は、大きな犠牲を
払った太平洋戦争で、雲散霧消してしまいました。NHKでドラマ化されまし
たが、氏は映画化されることを望んでいなかったはずですが、どうしたことで
しょうか。学校で習った「日本史」は面白くありませんでしたが、幕末から明
治時代の歴史は、氏の著書で楽しく学べます。私たち親も含めてですが、若者
に欠けているのは、歴史に対する認識ではないでしょうか。司馬遼太郎氏、永
井路子さん、澤田ふじ子さん、諸田玲子さんなどの歴史小説を読んでほしいで
すね。教科書ではわからなかったことが、たくさん書かれています。外国人と
対等な付き合いをするには、自国の文化を知らなければならないのですが……。
 
  堤上に立てば、月は東の生駒山系にのぼり、日は西のかなたはるか一の
  谷の雲間に沈む。両岸(淀川)の野は、菜の花の黄があるのみである。
      (「以下、無用なことながら」(489頁)文春文庫
                 司馬遼太郎 著 文芸春秋社 刊)
 
朧月夜には、黄色が似合いますね。
 
話は変わりますが、松本清張氏にSF的な野心作があります。Z国から東京に向
かって誤射された、5メガトン級の核弾頭ミサイルが5個、飛んで来る恐ろし
い話。ある地下室で最後を迎えた一団が歌を歌うところがあり、老人が歌った
のは「朧月夜」。「歌いながら、男も女も涙を流していた」場面を、この歌が好
きだったせいでしょう、昭和48年発売にも関わらず、今でも覚えています。
壊滅寸前の東京のある所で、死を前にして春を思い描く清張氏の心象風景がた
まらなく好きでしたね。すぐ隣の国から、ミサイルが飛んでくる可能性のある
ことを考えると、SFの世界ではなくなりました。日本を守るのは、日本人自身
であることを、真剣に考えるべきではないかと心配しますが、若い皆さん方は、
どうお考えでしょうか。
 
       朧月夜
         作詞 高野 辰之  作曲 岡野 貞一
 
    一 菜の花畠に 入日薄れ
      見わたす山の端 霞ふかし
      春風そよふく 空を見れば
      夕月かかりて にほひ淡し
 
    二 里わの火影(ほかげ)も、森の色も
      田中の小路を たどる人も
      蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
      さながら霞める 朧月夜
 
        里わ(里曲・さとみの誤読 人里の辺り) 
        にほひ(“におい”の旧仮名遣い)
 
ところで、現在、文部省は文部科学省といわれていますから、文部省唱歌も文
部科学省唱歌といわなければならないのかなと検索したところ、以下のような
回答にヒットしました。
 
 文部省唱歌という呼称は法律や何かで規定されたものではありません。明治
時代に文部省が教科書用にした唱歌が自然発生的にそう呼ばれているので、文
部科学省とは直接に関係を持たないのです。ということで、回答としては「なり
ません」か「できません」です。                  
                (文部省唱歌jp.ask.com/)
 
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。小泉八雲も「常
識」という題で書いています。まさに常識ですが、妙な宗教にはまる若者も、
その原因を指摘する声はいろいろ聞こえてきますけれど、一つは、良識に欠け
ている隙をつかれるのではないでしょうか。
 
神を感じるのは心であり、理性ではない  パスカル〔パンセ〕
まことに神の本質を言い当てている。理性ではない、心に祀る神を、人間は悪
用、あるいは乱用している。神の御名において、神の御心のままに、などと自
分にとって都合のよいところだけをすくい取りして、人間の声を天声に変えて
しまう。
    (忘れかけていた人生の名言・名句 森村 誠一 著 P226
                     角川 春樹 事務所 刊)
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありません。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓を矢につがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
       日づけのある話 365日
       四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」(「最後の晩餐」の斬
新な解説には脱帽!)に、信仰について以下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、その
種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
 (「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
        ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
「信者には神聖なことかもしれないが、信者でない者には、おかしな話になる
ものだよ」と明治生まれの親父はよくいっていましたね。しかし親父は、「天皇
陛下様は神聖にしておかすべからず」が口癖でしたから、説得力に欠けていま
したが、言わんとすることは理解でき、若い頃、宗教にはまることはありませ
んでした。
 
東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思
い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけまし
たので紹介しましょう。
大震災後、64年ぶりに小学校の教科書に復活しました。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の
村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやる
と―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」で
はないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説
明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火を
つけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、
何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆
け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り
囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの
海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
これは、戦前の小学校・国語教科書に載っていた「稲むらの火」の「あらすじ」
で、原作は
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品。安政年間、紀伊・和歌山を襲った大
地震・津波
での実話を伝えたものです。
     「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著
      WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防ぐ。感謝を込め「浜口大明神」
を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4メ
ートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋は
2軒だけ。国指定史跡となった「広村堤防」は、大きく育った樹木に覆われ、
自然の中に溶け込んでいる。(インターネットで「広村堤防」を見ることができ
ます)
  
東京新聞“筆洗”に出ていたコラムの要約ですが、自然と共生するには「想定外
はない」ことを真摯に受け止め、「広村堤防」のように住んでいる人々の生活を
考え、大胆に計画、構築できないものでしょうか。
国民の安全と教育は行政の要であり、長期的な視野に立った計画でなければで
きません。
8年たった今現在、原発事故の収束はおろか、住む町に帰れない人々がいるこ
とを、私達は忘れようとしているのではないでしょうか。
 「何かできることはないか」などと力んでみても、できないのが現実ですから、
せめて節電を心がけ、原発だけに依存しない生活を営み、次世代の人々にバト
ンタッチをしたいものですが、これだけ電気に依存する便利な生活に慣れてし
まうと、こんな考えは絵空事で、説得力などありませんね。「その国の発電量は
文化のバロメーター」、誰の言葉か思い出せないのですが、これは確かではない
でしょうか。
 
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物た
ちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
 
春に来て子を育て秋に南の国へ帰り、そして生まれた所へ帰り子育てをする、
不思議な習性を持つツバメ。近くの関越高速道路の陸橋の下に、よく巣をかけ
ていたツバメが、ここ数年、全く姿を現さなくなりました。
また、ここ2、3年のことですが、10月頃になると日暮近くにスズメやムク
ドリの大群が、ねぐらを求めて東上線川越駅前の街路樹に群がっていました。
およそ300羽もいるでしょうか、その騒々しいこと。アルフレッド・ヒッチ
コックの名作「鳥」ではありませんが、小さなスズメやムクドリでも、あれだけ
数がそろうと怖いですね。もっとも、糞害ですが(笑)。ところが、平成25年
に駅前の街路樹は、新しい駅前広場に改築されるため伐採され一本もなくなり、
帰ってきた鳥たちは、電信柱や近くのビルの屋上で羽を休めていましたが、昨
年の秋は、ほとんど姿を見せませんでした。引っ越し先を見つけたのでしょう
か。人間にとって快適な環境でも、残念ながら恩恵を受けない生き物が、たく
さんいるということですね。ツバメも同じではないでしょうか。「地球にやさし
く」と自然環境を守る運動に参加を呼びかけられた時、「人間の存在自体が自然
環境の破壊になっているのに」などと、したり顔で言っていた自分を思い出し
ました。年は取ってもいささかも貢献していませんね、「地球にやさしく」に(笑)。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくなれ
ば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それからと
言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
      ※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
               日本民話の会・編 国土社 刊
  
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
ところで、「深谷ねぎ」で知られる埼玉県深谷市のあるお宅に、どうしたことか
雀が舞い込み、家族の一員として過ごしていると埼玉新聞に出ていました。人
懐っこい雀で「ピーちゃん」と呼ばれ近所でも評判とか。事の起こりは、奥さ
んが近所の十字路で小学生の交通指導をしていた時に肩に止まり、「人懐っこい
スズメだこと」と感心していたのですが、奥さんが家に帰るとついてきて、追
っても、追っても家に入ってき、そのまま住み着いてしまったそうです。ご主
人の手に乗り餌を食べている写真も出ていました。「舌切り雀」のような話でほ
ほ笑ましくなりましたが、ツバメといいスズメといい、あの小さな体のちっこ
い脳に、どのような働きがあるのか、不思議ですね。
 
名物「深谷のねぎ」、これがねぎかと信じがたいほど甘みがあり、生でガリガリ
とかじって食べられるのにはびっくりしました。焼くと甘みが増し、ねぎのイ
メージが変わったことを覚えています。親父はこれを肴に、焼酎をストレート
でグビリと飲んでいましたが、嫌いではない私も、この真似はできません(笑)。
 
余談ですが、イチローが国民栄誉賞を辞退しましたが、彼らしくていいではな
いですか。「与え過ぎ、廃止しろ!」といった意見もありましたが、王さん以下、
受賞者の栄誉はどうなるのだろうか。並の才能と努力だけではとてもできない
ことをやり遂げた人たちです。失礼ではありませんか!
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第22号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
 
新元号は「令和」、「明治」以来の3音で響きがいいですね。4月1日12時現
在、まだ「れいわ」で変換できませんが、ローマ字で打ち込むと、Yahoo検索
でヒットしました。何かと使いますので、早速、辞書登録しておきました。素
晴らしい時代になることを期待しています。
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子どもたちは、親のもとを離れて初
めて生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけ
です。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子どもたちも、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しい
ことばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ
行こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるから
です。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精いっぱいの努力をします。見ている
と涙ぐましいほどです。
 
しかし、変なお母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸かし器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・
溺愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(空気読めない自己中)ママです。
「悪いのは友だち、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、お母さんと子どもに原因があるのですが、恥ず
かしげもなく、こういう行動を起こすお母さんですから、お母さんも子どもも、
そのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、
お母さんから逃れられませんから。
 
幼稚園は、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体
験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける
所ですから、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見
る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでしたら過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にして
あるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目
の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらねば
なりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているので、たくまし
くなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女の子、二
番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にもこういっ
た意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。進学教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組んでいました
が、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。一
般に、女の子は成長が速いので、あまり手がかからないものですが、男の子は
少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注
意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。も
っともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育
てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばして
いく保育」に変わっています。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことをするのはやめて、自発的に活動できるように
導く保育という意味です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく「自
律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律できな
い、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子どもたちもくたくたに疲れて帰って来るでしょ
う。しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送
迎を義務付けられている幼稚園の場合は、お母さん方も体調を崩さないように
気をつけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
たちが新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからない
お母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子どもた
ちは、電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学するはずですから、
慣れるまで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む
子どもたちを見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか、あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」は、
明治生まれの親父の口癖でしたが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」 
と落ち込む時もあります。
しかし、翌日、子どもたちが元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母
さん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明
日に希望をもてるのです。
低学年時代は、お母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作って
あげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子どもた
ちにはないからです。
 
小学校低学年時代は、勉強はできても利己主義より、勉強はほどほどであって
も、友だちと仲良くできる子の方がいいと考えるのは、私が昭和15年(19
40)生まれだからでしょうか。
もちろん、勉強も大切ですが、お子さんが、この時期に体験しなければならな
いことが、たくさんがあるはずです。桜の花ではありませんが、魅力がなけれ
ば、友も寄って来ません。今、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に
生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要
な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思いま
す。「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入れ
替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、
いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心身
ともに強くて、心のやさしい子」、最近は暁星小学校が、たくましい子どもとは
「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていますが、そのためには、「心身とも
に強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。「親の
背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
私事でなんですが、嫁ぐ娘から、「お父さんは、生まれたときから私のただ一人
のお父さんでした」といわれ、少なからず狼狽したことを覚えています。子ど
もは、間違いなく「お父さん、お母さん」として評価しています。
 
これからの毎日は、お子さんの記憶の中にきちんと刻み込まれていきます。「三
つ子の魂百まで」といいますが、私は小学校の低学年時代に、生きる姿勢の基
本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本が、
ご両親であることを肝に銘じておきましょう。2017(平成29)年度中の
全国、小学生、中学生の不登校児童生徒は、14万4031人で過去最多を記
録。千人当りでは28年度の13,5人から、29年度14,7人と増えています。
【2018年文部科学省初等中等教育局児童生徒課 速報値より】無責任な言
い方で恐縮ですが、その原因は、ご両親の育児の姿勢にもあると思います。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることもあ
りますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん実行
し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分がいや
だったことは、子どもだっていやなはずです。
種を明かせば、論語の「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」の受け売
りです(笑)。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタイによ
る福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもいいのですが、
こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
最近、ひょんなことから、理想的な親子関係を表しているではないかと思える
歌を見つけました。といっても、例によって「わたし流」の解釈ですが。
 
  映るとも 月も思わず 映すとも 水も思わぬ 広沢の池
 
この歌から教えられるのは、育児は結局のところ、「親はよい手本をみせ、子は
意識することなく見習う」にあるのではないでしょうか。剣豪、塚原ト伝、柳
生新陰流の開祖、石舟斎の作ともいわれているそうですが、およそ「剣の道」
とは縁のない私ですから、とんでもない思い込みで、その道の方々から嘲笑さ
れるかもしれません(笑)。なお、広沢の池で検索すると、四季折々の景色を見
ることができます
 
ところで、ぴかぴかの一年生と聞けば、頭に浮かぶのはランドセルでしょう。
 
 このランドセルを日本で最初に使った人は伊藤博文で、大正天皇が学習院に
入学されたときに献上したのです。その後、学習院御用達となり、それが全国
に普及しました。ランドセルは、オランダ語の「ランセル」がなまったもので、
ランセルとは、兵隊さんが背負っている「背嚢(はいのう)」のことです。つま
り、軍国主義の時代に、軍人を尊敬してあこがれていた子ども達の心に合わせ
て、通学用かばんとして考案されたものなのです。
(頭にやさしい雑学読本 3 竹内 均 編 三笠書房 刊 P290)  
 
昨年の3月26日のことですが、「児童文学のノーベル賞」とも呼ばれている「2
018年国際アンデルセン賞」の作家賞に、「魔女の宅急便」などで知られる作
家の角野栄子さんが選ばれました。宮崎駿監督により1989年にアニメ化さ
れ、また2014年には映画化されましたから、ご覧になった方も多いのでは
ないでしょうか。角野さんは83歳、ビッグプレゼントに拍手喝采!!  
1年前のメールマガジン、かなり興奮気味に書いていましたが、快挙でしたね。
   (次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第6章(2)桜について
 
開花宣言が出て寒の戻り、寒いですね。昨年の今頃は、ここ川越でも雪が1c
mほど積もりました。川越の桜は、まだ蕾。東京の桜、この寒さで、今年も入
学式まで何とか持ちそうで、ぴかぴかの一年生、大きく羽ばたいてほしいもの
です。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪の
菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まいを正
して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上戸も
無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜は、
木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさい!」
と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあり
ませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りにな
り、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神
さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年
の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田
の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木
をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
     (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神さまを迎える儀式でしたが、武士の時代
と共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽
くした宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から
引きずりおろされ、今では、はからずも、夜桜のもとで酒盛りをし、カラオケ
を楽しむ行事と成り下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようで
す。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさをこき下ろしていますが、古来、何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
酔って人に迷惑をかける人たちは、無礼講をはきちがえた無礼者ですが、日本
人が桜や桃、梅を愛したのは、いずれの木にも宿る生命力を、分けていただこ
うと考えたに違いありません。一種の自然信仰であり、外国で行われている森
林浴と同じではないでしょうか。
ドンちゃん騒ぎは、桜にとっては迷惑な話だけで、ご利益などあるはずが、い
や、期待していないでしょうね。
あのライトアップですが、桜にとっては迷惑な話で、夜になってもゆっくりと
休めないと思いませんか。お日様が沈み、「さぁ、寝ようかな!」と思ったとた
ん、いきなり明るくなるのですから。「桜の樹権」などという言葉はないでしょ
うが、そっとしてあげられないものでしょうか。
JR高尾駅から徒歩10分ほどのところにある多摩森林科学園で、「本日、休林
日」の看板を見たことがありましたが、そこで働く人々の自然を愛する心意気を
感じ、うれしくなったものです。
 
ところで、桜の木は、にぎやかに盛り上がるだけではなく、人生を静かに、深
く、考察の場に導く花でもあります。いきなり雰囲気は変わりますが、黒船が
来る前に幕府に上申した「海防八策」は、明治維新の路線そのままであったに
もかかわらず、評価されずに暗殺された幕末の洋学者、佐久間象山は、
 折りにあはば 散るもめでたし 山桜 めずるは花の 盛りのみかは
と辞世の句を詠っています。これを真に受け、若い頃は、「人生、幸せな時ばか
りがあるわけないよ。闇夜もあるけど、日は、また、昇る!」などといきがっ
ていたものでしたが、何やら勘違いしていたようです。「人生は、プロセスが大
切なのです。一日、一日が人生ですよ」とおっしゃっているのでしょうね、な
どと何も気取ることはないのですが(笑)。蛇足ながら、象山の奥方は勝海舟の
妹です。
 
子育て奮戦中のお母さん方ですから、よくおわかりかと思いますが、育児もプ
ロセスが大切ですね。生まれ月に応じて、一歩一歩、確かな歩みを見守りなが
ら、大らかな気持ちで育てるべきです。そして、育児しながら「育自」(誤植で
はありません)するお母さんであってほしいと願っています。
 
    願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
 
西行法師の歌ですが、古来「花」といえば、奈良時代は「梅」のことでしたが、
平安時代から「桜」になったようです。俗界から逃れ、出家された中世の隠遁
者が、かくも桜の花に心を寄せているのですから、古くから人々に愛されてい
たことがわかります。西行は願い通り、「その如月の望月の頃」、お釈迦さまが
入滅された2月15日に、この世を去ったそうです。が、しかし、澤田ふじ子
さんの作品を読み、隠遁者のイメージが少し壊われかけてきました。
 (お断り 「花の下」と書き「花のした」とも読まれていますが、「花のもと」
の方が響きがいいので、勝手ながらひらがなにしました)
 
古今和歌集から一首、好きなのです。
 
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ  紀 友則 
 
和歌を解説するなど野暮の極みですが、「日の光がこんなにものどかな春の日に、
どうして桜の花だけは、さっさと散ってしまうのだろうか」、日本人の桜のイメ
ージは、これではないでしょうか。紀友則は「土佐日記」の著者、貫之のいとこ
です。
 
この和歌を口ずさむたびに、宮城道雄の秀作「春の海」の調べを思い浮かべ、
桜の花の散る、日本ならではの詩情豊かな情景が浮かぶと同時に、何とも言え
ない寂しい気持ちになる不思議な曲です。昭和7年に共演されたフランスのル
ネ・シュメーのヴァイオリンと箏(そう)の二重奏ですが、世界に誇ってよい
素晴らしい演奏だと思います。音はよくありませんが、パソコンで検索すると
聴けます。宮城道雄は、広島県福山市鞆ノ浦の出身だそうで、学生の頃に訪ね
たことのある仙酔島から眺めた春の海が、印象に残っていました。
♪ターンタ タタタタタンー ターンタ タタタタタンー♪
曲想は、瀬戸内海の春の海なのですね。その時は知らなかったのですが、最近、
厳島に出かけたとき、バスガイドさんから教えてもらい、「さもありなん!」と
納得しました。バスガイドさんの中には、物知りの方がいますね。豊かな経験
から身に付いた自然な語りは、一級の話術で旅情を盛り上げてくれます。
 
さらに、もう一首。
    春の海 ひねもすのたり のたりかな  与謝 蕪村
俳句が出たところで脱線します。学生時代に読んだ雑誌の対談に出ていたと記
憶しますが、五木寛之氏は、こうおっしゃっていました。「短歌はリズム、和歌
はメロディー、物語はハーモニー」と。横文字を漢字に置き換えると「律動・
旋律・調和」となり、もう50数年前になりますが、今でも納得できます。「さ
らばモスクワ愚連隊」を読んだ時、自称、文学青年であった私は、潔く、作家
の道を断念しました、冗談ですが(笑)。
 
ムードを変えまして、桜の散りぎわが潔いことから武士道の象徴となり、「花に
嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」といったように人生観にたとえ
られるなど、何かにつけて桜は姿を現しています。原詩は中国の詩人、于武稜(ウ 
ブリョウ)作の「勧酒」です。
 
    勧君金屈巵  君に勧む金屈巵
    満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いざれ
    花発多風雨  花発(ひらけ)ども風雨多し
    人生足別離  人生、別離に足る
 金屈巵(きんくつし)=曲がった把手(とって)の付いた黄金の盃
 不須(もちいず)=~する必要はない
 足=多い
 
これを井伏鱒二が意訳したもので、僭越ながらこちらの方が響きもいいですね。
※意訳 原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとり、
    翻訳すること(辞書「コトバンク」より)
 
    この盃を受けてくれ
    どうぞ、なみなみつがしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    「さよなら」だけが人生だ
 (「十八史略の人物学」伊藤 肇 著 PHP文庫 P229より」
 
「黒い雨」など種本が明らかになり、前都知事の猪俣直樹氏も「盗作ではない
か」と指摘しましたが、この「勧酒」は、「阿佐ヶ谷会」文学アルバム(幻戯
書房 刊)によれば、井伏の意訳に間違いないとのことです。
これを読むたびに思い出すのが、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 夜半
(よわ)に嵐の吹かぬものかは」です。12月の沙羅双樹のところで、お釈迦
さまの教えである「今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことが
よい一日を生きる道である」を紹介しましたが、怠け者の私には耳が痛いばか
りで、「明日やればいいか……」と過ごしがちです、わかっているのですが(笑)。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができます。人望のある人のもとには、自
然と人々が集まるものでしょう。人間もかくありたいものです。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下自
成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどったも
のですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である岩崎
弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して創っ
た三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初等部
と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太郎と
大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになってい
ます。
   
ところで、桜の名所は、お侍さんの勤め先である城と寺社、そして河川に多い
ですね。面白いことに、私たち日本人は、なぜか、桜の下に陣取り、宴会を開
きがちですが、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。たびたび
お世話になります樋口清之先生の監修された本に、桜について見過ごせない話
がありましたので、紹介しましょう。
 
日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであったが、
これが明治時代から少しおかしなことになった。
それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠ん
だ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生まれ
てきたからである。
さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美しい
という美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つまり、
死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵舎に桜を
植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭にも桜が植
えられるようになった。
関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。も
ともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで校庭
の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学から広ま
った歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
 (樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
「大和心」とか「大和魂」は、右翼的な考え方や国粋主義から生まれた言葉だ
と思っていましたが違うようで、明治以降の国家権力により利用されただけな
んですね。「学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった」云々は、為政者の巧
妙な施政が実行されたことの結果であることに寒気を覚えますね。学生時代、
酒場で「同期の桜」を歌っていた時、「お前たち若者が歌う歌ではない!」と年
配の方に叱責されたことがありました。もしかすると、戦友を亡くされたか、
戦死されたお子さんがいたのではないでしょか。若い時はどうしようもないも
ので、「若気の至り」とはいえ、今思うと恥ずかしい限りです。
 
同期の桜
 作詞 西條八十 作曲 大村能章
(一)貴様と俺とは同期の桜   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのが定め 見事散ります国のため
 
哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に兵隊ソングとして兵士
間で流行し巷にも愛された。(www.geocities.jp/GUNKA より)
   
最後に、もう一首、皆さんよくご存知の名作がありますね。
 
 いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな 伊勢 大輔
 
「大和心」は、こういうものではないでしょうか。とにかく桜は、日本人にと
って、何はともあれ、春に咲かなければ落ち着きませんし、承知できない花で
あることは確かです。
 
名優、渥美清のはまり役、「寅さんこと、車 寅次郎」の妹の名は、「さくら」
でなくてはおさまらないだろうなと思っているのは、私だけでしょうか。山田
洋次監督の笑顔が浮かんできそうです。
面白い話を紹介しましょう。佐藤利明氏の随筆「寅さんのことば 風の吹くま
ま 気の向くまま」(東京新聞 夕刊 平成25年4月)に、東大寺正倉院に保
管されている、現存する古代の戸籍部「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(西暦721
年)には、嶋俣里(しままたり)、これは葛飾柴又のことで、その戸籍の中に、
孔王部 刀良(あなほべ とら)と佐久良賣(さくらめ)という名前まで記載
されているそうで、昭和の寅さんは家出をしましたが、奈良時代の刀良さんは
村長になったそうです。映画を見て、ひたすら笑っていましたが、元をただせ
ば、「とら」も「さくら」も昔からある由緒ある名前なんですね。寅さんが自分
で照れてしまう表情がたまらなく好きで、こういった演技のできる俳優は、も
う出ないかもしれません。
 
外国にもある桜の名所、ワシントンのポトマック湖畔の桜は、大正元年に、時
の東京市長であった尾崎行雄が、日米親善のために寄贈した染井吉野のほか1
0種、3千本の苗木が成長したものだそうです。そして、またしても驚きです
が、私も、てっきりそうだと信じていましたが、事実は違うのです。有名な話
ですから、皆さんも誤解していたのではないでしょうか。こういうことだそう
です。
 
このワシントンの地名は、初代大統領ジョージ・ワシントンからきている。
この人物が少年のときに、桜の木を切った過失をわびた正直さが立志伝の挿
話として有名だが、ポトマックの桜がその桜だと思い込んでいる人がかなり
いるそうだ。
 (新々ちょっといい話 戸板康二 著 文藝春秋 刊)
 
ところで、日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、ちびまる子ちゃんではありませんが、目
が点になりますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ
日蓮宗の古寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざく
ら)」だそうで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられ
ています。神話の時代から花を咲かせ続けている姥桜(罰が当たるかな!)、イ
ンターネットで見ましたが、「どうも、これは、いや、はや……」と椎名誠氏風
ですが、襟を正さずにいられませんでした。白一色の駒ヶ岳(標高2967m)も
すばらしく、いつかたずねてみたいと思っています。
なお、日本の三大桜は、福島県三春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の
薄墨桜(樹齢千五百年)と山高神代桜で、黄門様の印籠と比べるのもなんです
が、ただ、ひたすら、畏れ入るだけですね。淡墨桜は、つぼみの時は薄いピン
ク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、この散り際の色にちなみ命名
されたそうです。30数年前、初めて訪ねたときは、今のように観光地化され
ておらず、静かな山里にどっしりと根を張る雄姿には、いたく感動したもので
した。
 
最後に、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう、「さくら さく
ら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたもの
ですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また(二)
を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡と表記
される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝の手ほどきとし
て作られたもので、作者は不明です。
 
  さくら さくら
(一)さくら さくら
   やよいの空は  見わたす限り
   かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
   いざや いざや 見にゆかん
 
(二)さくら さくら
   野山も里も   見わたす限り
   かすみか雲か  朝日ににおう
   さくら さくら 花盛り
(フリー百科事典 Wikipediaより)
 
日本のどこにでもある春の景色を淡々と詠んだ歌詞も素晴らしいですが、宮城
道雄の「さくら変奏曲」は、春の情緒を醸し出す名演奏で、いつ聴いても安ら
ぎを与えてくれます。
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう、見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値はあります。六義園は小石川後楽園
と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、
見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                 在原業平 (古今和歌集)
 
桜の〆は、やはり、これでしょうね。
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子どもたちに伝えるのも、親の使命ではないかと考え
ますが、いかがでしょうか。
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではなく、
「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
★★花祭り★★
4月といえば、私たちの年代では、花祭りですね。
しかし、今は仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょう
か。キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれ
ていますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(か
んぶつえ)」といいます。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王さまでシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な
夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かっ
た夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ち
ゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花
繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあ
った菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわ
いい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄か
ら生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑え、
心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存知の
仏教です。
 
花祭りは、お釈迦さまの誕生日をお祝いするお祭りですが、今ではキリストの
誕生日であるクリスマスの方が盛大ではないでしょうか。同じアジア民族とし
て、ちょっと寂しい気がします。そうはいっても、仏壇のある家は、少ないの
ではないでしょうか。ご先祖さまがいたから、今の自分があるのです。感謝の
心、忘れていませんか。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三大
法会(ほうえ)」といいます。
 
ところで、法隆寺、五重塔の最下部の内陣には、奈良時代の初めに造られた、
仏典中の有名な場面がパノラマのように東西南北の4面に表現されていますが、
北面には、お釈迦さまの入滅を嘆く素晴らしい塑像があり、「聖徳太子の死に対
する号泣の声ではないか」と考えた哲学者、梅原猛氏は、「隠された十字架 法
隆寺論」で、その独自の解釈を披露しています。それはさておき、号泣する塑
像は、まるで生きているようで、息をのむほど圧倒されますが、その写真は氏
の著書「塔(上)」(集英社文庫 刊)のP220-221で見ることができます。
 
お釈迦さまの「天上天下 唯我独尊」について、作家の五木寛之氏は、次のよ
うにおっしゃっています。
 
この言葉には、いろんな解釈があります。世間にはそれを、世の中で自分
だけ尊く、偉いんだ、と解釈する人も少なくありません。しかし、私はこ
れを自分流に、次のように解釈しています。
「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」と。
この世の中で、自分の価値を決めるのは、あくまでも自分であって、他人
に決めてもらったり、他人との比較で決まるものではありません。自分は
「生老病死」を背負った世界でただ一人の人間だという自覚が必要です。
 (「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P71)
 
誰しも「ただ一人の存在」であり、誰しも「不透明な存在である自分」を励ま
しながら生きているからこそ、人を殺めることは、絶対に許されません。相手
は「誰でもよかった」その「誰」が自分自身であったならば、その恐ろしさに
思いいたらないのでしょうか。人を思いやる心を失うと、他人をねたましく思
い、不満を内に抱え込み、人間は限りなくばか者になるだけです。社会は、基
本的には自己責任で成り立っていることを、何としても、親は子どもに教え、
成人させたいものです。「自分でまいた種は自分で刈り取れ」、これも明治生ま
れの親父の口癖でした。それにしても、我が子を縛り水風呂に入れる親、おの
れらは何様だと思っているのか。(激怒)
 
★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。  そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれにな
ったばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し、
左手は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひ
しゃく)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、
お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
余談になりますが、子どもの頃、硯に紅茶を入れて墨をすると、字がうまくな
るといわれ、何回も挑戦しましたが、私には全く効き目がありませんでした(笑)。
 
★★仏教童話★★
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な
感情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対で
あり、それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」
「思いやりの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいも
の、あたたかきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと
私は考える。(中略)
優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、
作品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出て
くると説教となって文学性を消滅する。
(ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の作品は、宗教がむきむきに出てきませんから、抹香臭くなくて分かりや
すく、清らかに生きる人々の話からは、勇気と感動さえ与えてくれます。子ど
もの頃には、似たような話をお年寄りから聞き、「正直に生きないと地獄に落ち
るのだよ!」と脅かされていましたね(笑)。私たちの年代は、こういったこと
も情操を養う機会となっていたのではないでしょうか。多くの作品の中から、
一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色
の鹿が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にい
ることを、誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。
その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出
して欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者は
いないか、案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたの
が、命を助けてもらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人で
した。
王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出しま
す。
「王さま、あれが金色の鹿です」
と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人
は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、
かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこうい
ったのです。
「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せ
ないなら、私を殺してください」
それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、
生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、
恥ずかしくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私を
まともな心に引き戻すために現れたのかもしれない。
王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
「生き物の命をとる狩をやめることができました。あなたさまも森へ帰っ
て、いつまでも幸せに暮らしてください」
といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男
の腕に戻ってきたのでした。
 (仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音さまと孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になっ
てしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本物
であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあったけ
ちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成されて
います。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさん
の童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を表
したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさし
く話しかける作品になっています。
淑徳幼稚園は仏教系だけにお釈迦さまの教えに違和感はないとはいえ、進学教
室でこういった話をするたびに、この時期だからこそ、純真な子どもたちの心
に、素直にしみこむものだと教えられました。幼児期の情操教育、こういった
体験からも培われるものではないでしょうか。図書館で見かけることがありま
したら、ぜひ、お子さんに読んであげてください。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
余談ですが、「Wの悲劇」「第三の女」「喪失」などで楽しませてくれた推理作
家の夏樹静子さんは、平成28年3月19日に冥界へ旅立たれました。「椅子が
こわい 私の腰痛放浪記」(文春文庫 刊)の3年間にわたる悪戦苦闘、自殺まで
考えたときもあったとか、痛みの原因は心身症。同じ痛みに悩む私は、「椅子が
こわい」を実感しています。わからないことは図書館で調べた頃と違い、何でも
パソコンのお世話になってから、椅子が一段と怖くなりました。「楽をするな!」
との警告かもしれませんね(笑)。ご主人は、「海賊とよばれた男」、出光興産の
創業者、出光佐三氏の甥であることは、あまり知られていないようです。
勝手な思い込みで恥ずかしい限りですが、私にとり宮尾登美子さんは母上、夏
樹さんは2歳年上の姉上といった有り難い存在でした。(感謝)
 
ところで、平成28年10月、鳥取県中部を襲った地震で、断崖絶壁に建つ三
徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)の奥の院、投入堂(なげいれどう 国宝)
の参拝路に亀裂が入り、参拝できない状態が続いていましたが、参拝道修復プ
ロジェクトが資金を募集し、工事も終わり、29年4月18日(火)から入山
が可能になりました。三徳山の建立は建築様式から平安時代までさかのぼるこ
とができるそうで、絶壁のくぼみに、字のごとく投げ入れたにように収まって
いるお堂、どうやって建てたのか、我がご先祖さまの途方もない技術に、驚か
されるばかりですね。三仏寺で検索すると見ることができます。(脱帽)この
歳ではあの山道を登るのは無理で、なぜ、若い時に訪れておかなかったのか、
悔やまれてなりません。
(次回は「さくら」ついてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
雛祭りですから、楽しい話がありそうですが、あまり縁がありません。やはり、
私が男だからでしょうか。その中でも、この話は珍しいと思います。
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
 むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥
さんは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
 ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。
神さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するの
で、いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、
書付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから赤ちゃん
が生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年たち、50
人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でなくなります。
そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、もう一人の
母さんを訪ね、会うことができたのです。
50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れ
られず、娘達は、川下と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をし
たのでした。
 この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやか
ろうと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったの
です。三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。
 日づけのあるお話 365日
   3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」のよ
うに、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜き
です。親孝行ですが、近頃、この言葉に肩身の狭い思いをさせているようです。
「親孝行、したい時には親はなし」、胸にしっかりと刻んでおきましょう。
 
ところで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に、こんな話がさり気なく語られてい
ます。
 
   その日は3月4日。
   雛の節句である。
   土佐藩では、節句は3日に行わずに4日に祝う習慣があった。
 
五節句(正しくは五節供)を定めたのは徳川幕府ですが、それに従わない藩も
在ったわけです。何気ない描写ですが、いごっそう(頑固で気骨ある様子)の
人物が多い土佐藩であることに意義があり、素直に肯いてしまいます。氏が、
珍しく女性を主人公にした作品に「功名が辻(1~4)」(文春文庫 刊)があ
ります。持参金を出して馬を買い、主人を出世させた内助の功は、かなり知ら
れていますが、あれはどうやら事実ではないようで、例の山内一豊とその妻、
千代の物語です。信長、秀吉、家康に仕えた一豊が見た、三者三様の生き方が
描かれており、時代小説の苦手な女性の方にも気軽に読めるのではないでしょ
うか。「内助の功」、感謝されているお父さん方も多いのでは……、いつの時代
も女性は強いということですね(笑)。
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
 むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。
ある晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不
思議なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てず
に帰ってしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、
娘の顔が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通
した針を娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくように
いったのです。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさす
と、若者は大声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っ
ていったのです。翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、
山奥の大蛇が棲むといわれている淵に、吸い込まれるように入っているでは
ありませんか。すると、淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞
き耳を立てると、娘は蛇の子をみごもっているというのです。驚いたお母さ
んでしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見
事に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、ももの
花酒を飲むいわれが語られています。
 おはなし12ケ月 三月のおはなし
   「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
     日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁に
やってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、娘
を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうたん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神さまから地
をはって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお
使いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからも親し
めませんね。
 
古事記にも似たような話があります。
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神さまであるところが古事記
らしく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神さまが宿るといわ
れた奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこに
いた蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社 刊)
に出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。
子どもの頃、螢を取りに行ったとき、「光が消えないのは蛇の目だから手を出し
てはダメ!」と兄が教えてくれたことを思い出します。信じがたい話でしょう
が、川端のあちこちに蛍が灯をともしていましたね。川がきれいだった証(あ
かし)です。
 
余談になりますが、最近、再読した宮尾登美子さんの「平家物語(4)玄武の
巻」に、昔話と同じような話、豊後(大分県)の「大蛇の三郎」が紹介されて
いました。学生時代に訪れた清盛の娘、建礼門院徳子が隠棲した寂光院の鮮や
かな紅葉を思い出します。どの本を読んでも好きになれないのが源頼朝で、判
官(ほうがん)びいきでもないのですが(笑)。
(注 判官びいき「不遇な人や弱者に同情して肩を持ち応援すること。「判官」
は「九郎判官」と呼ばれた源義経のこと)
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れるこ
とはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいです
が、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
           
◆ふえふき三太とオイヌ◆
 むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近く
に住んでいた笛の上手な三太わらしの話が伝わっています。
 三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮ら
していましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役
をさせて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになったあ
る日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オイヌ達
が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、父ちゃ
譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音色を聞く
ようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来た母ちゃは、
三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立てた母ちゃは、
三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達は、火をくぐり、
三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴の方へ導くのでした。
炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ちゃも助けようとしました。
オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと進んでいったのです。
 そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にの
って、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と呼
ぶようになったのです。
 この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人
達が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手
な若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守る
ように控えていたそうです。
「遠野物語」の国へ 平野 直 著  つぼの ひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まると、
本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきましょ
う。
 
 「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんで
いた人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味
や関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝え
られてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知
らせたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いので
はないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれ
たものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残し
てくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原の狼と高原の狼」があります。
 
 食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切な
おじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、そ
れを全部盗もう といい、もう一匹の狼は止めますが、聞く耳をもちません。
狼は仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことにな
り、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼を、
インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい心を持
っているから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配がなくな
った草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
題名を思い出せないのですが、日本にも、足に刺さったとげを抜いてもらった
狼が、少年を襲った狼たちから守るという楽しい童話もあり、進学教室の子ど
もたちも大好きでした。動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界
でしか経験できないだけに、新鮮な驚きを感じるようですね。人間と動物のロ
マンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
最初に紹介しましたが、私には狼を主人公にした話で、忘れられない思い出が
あります。椋 鳩十の「丘の野犬」です。
 
              ◆丘の野犬◆ 
野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗ま
れる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉
を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫り
ます。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食べ
たアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日の
こと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じっ
と見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでした。
しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったのです
が……。
「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
当時、私は子どもたちに聞かせたい話をテープに吹き込み、教室の希望者に配
布していました。「母と子の20分読書運動」を広げ、読書の素晴らしさ、楽し
さを普及する運動に力をつくした椋 鳩十の作品からも、戦争で殺さなければ
ならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けよう
と滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を助け
る「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品を10巻作りまし
たが、「丘の野犬」は45分ほどにもなるので、園児たちに聞かせるのは無理で
すから、適当にアレンジしながら話してみました。授業に参加していた園児は
30名。15分ほどにもなりましたが、みんな真剣に聞いてくれ、最後に犯人
は「人間」であることがわかった時、「何だ、何だ!」といった雰囲気になり、
涙ぐむ女の子もいました。子どもは興味があれば、それこそ一心不乱に集中で
きます。大勢の子どもたちの前で話をするには、物語を記憶し、子どもたちの
目を見ながら話してあげることが大切です。
 
このことを教えてくれたのは、かわいい、小さな瞳がきらきらと輝く、幼い園
児たちでした。(涙)
 
 (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)

123

« 2019幼稚園受験 | メインページ | アーカイブ | 2020小学校受験 »

このページのトップへ