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めぇでるコラム : 2017保護者: 2016年6月

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3) 七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第34号-
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第9章(3)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいま
すが、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりが
お盆だから、こういう使い方をするのです。
 
正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあたっ
ての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、師
などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があった。
(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会(うらぼ
んえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)盆は7月
15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
 
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年(606)に初めて催され、聖
武天皇天平5年(733)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が
「盆暮」と言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後
期の終わりを暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を
意味するようになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている
人に感謝の気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
最近、ブームになっているそうですが、「お盆玉」があるんですね。今年は孫
にやろうかなと思っていますが、家内からは「甘いんだから!」とからかわれ
ています(笑)。
 
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうり
ょうまつり)があります。 
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った
茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼
りに家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となす
の牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰
ってくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えを
する意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
 
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほお
ずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうし
て久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰
めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたと
きに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわ
れた新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
 
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになり
ます。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、
送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためで
しょう。
 
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏
様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てると
ころもあります。      
 
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われています
が、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の
京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよ
くありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何
やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませ
んか。
 
ところで、澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳シリーズ」は22巻になりま
したが、その3巻目に、なぜ、大文字焼きは、大、左大文字、妙、法、舟形、
鳥居からなっているか、その理由について、わかりやすい話が載っていました
ので紹介しましょう。
 
大文字と左大文字は、大乗仏教と小乗仏教をかたどり、妙と法は法華経信仰に
基づくもの、船形は七福神が船に乗って表されることから七福神、または異国
から到来した雑信仰を意味し、鳥居は申すまでもなく神道をかたどったと考え
たらいかがでござろう。足利将軍義政公の頃、わが国は応仁の乱によって多く
の人命が失われ申した。京は死の町となった中から復興をとげました。それぞ
れ違った信仰を持つ人々が集い、合議の末、かような行事を興したのではない
かと、私は考えております。
(公事宿事件書留帳 三 拷問蔵  澤田ふじ子 著   幻冬舎 刊 P300)
 
平岩弓枝さんは江戸の「御宿かわせみ」(34巻 新シリーズ“5巻”)で、
澤田さんは京都の公事宿「鯉宿」で、悪を懲らす時代小説(21巻)を書かれ
ていますが、内容はいずれも、現代社会の悪行を暴いたものです。「罪を犯し
た厚顔無恥な為政者は、さらし者にすべきだ」という澤田さんの憤りは、庶民
の怒りであり、読み始めると止まらなくなる事件書留帳です。茶道、立花、陶
器、謡曲、日本画、作庭など、京都文化に興味のある方必読の作品が、たくさ
ん出版されています。蛇足ながら、11巻から始まった文芸評論家、縄田一男
氏の解説が何とも素晴らしく、毎回楽しみにしています。辞職した某元都知事、
どのようにさばくか楽しみにしています。
 
本題に戻りまして、まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るた
めに捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太
鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場とな
り、夏に欠かせないイベントの1つになっていますが、親子で「ドラえもん音
頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
 
余談になりますが、男子だけの立教小学校の入学試験に踊りを取り入れていま
す。照れ屋で、はにかみ屋で、小心で、用心深い男の子を躍らせるのは難しい
ことですが、お父さんが一緒に踊ってあげれば踊ります。盆踊りは絶好のチャ
ンス、受験を考えているお父さん、頑張ってください!
 
「やっとせ、もっとせ!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫
力で、夏の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今では
すっかり定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもあり
ません。しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていま
すから、おかしくないのでしょう。このサンバですが、みなさん上手です。
「タンタンターン、タタンタターン♪」のリズムを完全にこなし、お見事の一
言です。それも、かなりの年配の方が、きちんとリズムをこなしています。し
かも、実に楽しそうです。年配の方は、頭に手拍子、アクセントのある民謡で
なければ、踊れないと思っていましたが、認識を改めなくては怒られますね。
本場のブラジルから応援にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのもの
すごさを想像させてくれます。
 
雷門から見つめる風神と雷神、仲見世を約300メートル行ったところにある
宝蔵門にどっしりと構えた仁王の目には、どのように映っているでしょうか。
仁王のお守りする御本尊は、宝蔵門の手前の浅草寺幼稚園の側にある「浅草寺
縁起」の絵で見ただけですが、小さな、小さな、何とも美しい観音様だからで
す。
この観音様は、信仰上の理由から普段、人には見せない秘仏ですが、長い間、
「実際に見た人はいないのではないか」といった話を小林秀雄と松本清張の対
談で読んだものと思っていました。ところが、今読んでいる梅原猛氏の影響を
受け、日本の神道と仏教の関係を調べようと、五木寛之氏の「百寺巡礼」
(全10巻 講談社 刊)を読み直していたところ、何と5巻目の「関東・信
州編」の「41番 浅草寺」に、この観音様の話が出ているではありませんか。
明治に入り廃仏毀釈の機運が高まった明治2年、役人が天皇の命令、勅命によ
り厨子を強引に開けさせたそうです。
 
すると、予想に反して、そこには確かにご本尊が祀られていたのでおそれいっ
た役人は、大切にせよと命じて、あわてて立ち去ったそうだ。これは松本清張
と樋口清之の共著「東京の旅」に書かれた一節だが、この話には続きがある。
その時、手早い役人のひとりが、秘かに本尊をスケッチしてしまったのである。
このスケッチは昭和に入ってから遺族の手で寺に返され、今は浅草寺が所蔵し
ているらしい。そのスケッチを見た人の話、というのが記されていた。焼けた
跡がうかがえる高さ20センチほどの観音像で、両手が失われていた。しかし、
その意匠から、奈良時代頃の像であることは違いないという。
(百寺巡礼 第5巻 関東・信州編 P20 五木寛之 著 講談社 刊)
 
五木氏も「秘仏が実在した記事を読み、ホッとしたような、がっかりしたよう
な、妙な気持ちだった」と書かれていますが、両手足が失われていたと知り、
おいたわしい気持ちに落ち込み、浅草寺幼稚園のすぐそばにある「浅草寺縁起」
の絵で見たお姿を思い浮かべ、世の中、知らずに済めば、それに越したことは
ないものがあることを体験してしまいました。10月の神無月に紹介しますが、
自説の誤りに気づき出雲大社に出かけ、大国主命(おおくにぬしのみこと)に
詫びた梅原猛氏の謙虚な姿勢には頭が下がりました。スケールは大違いで恥ず
かしいのですが、私も真似て「小林秀雄と松本清張」ではなく、「松本清張と
樋口清之」の間違いであったことをお詫びいたします。何しろ、10年近く、
自慢げに嘘を書いていたのですから。(反省)
 
ところで、浅草寺には2つの大きな提灯があり、浅草のシンボルとして親しま
れています。入口の雷門には、「雷門」と書かれた提灯があり、高さ3.9メ
ートル、直径3.3メートル、重さ約700キロもあるもので、1865年に
火災で焼失したものを、1960年に松下電器創業者の故松下幸之助の寄贈で
95年ぶりに再現されたものです。現在の提灯は6代目で、約10年ごとに新
調されているそうです。
宝蔵門には「小舟町」と書かれ提灯があり、約4メートル、重さ260キロで、
今から300年ほど前に、日本橋の小舟町魚問屋の信徒が、江戸っ子の心意気
を示そうと、日本一大きな提灯を寄進したことから始まり、浅草寺の伝統とし
て受け継がれています。
 
ちなみに、浅草寺は正式には金龍山浅草寺といい、都内最古の寺院で、年間約
3千万人の参詣者が訪れる、民間信仰の中心地としてにぎわい、最近は、外国
人の姿も多くなっているようです。
 
余談になりますが、浅草寺のおみくじ、裏側は英語で書いてありますね。これ
だけ多くの外人観光客が訪ねてくるのですから、浅草寺だけではないでしょう
が、知りませんでした。引いたおみくじは、ラッキーにも大吉で、
“BEST FOUTUNE”と書いてありました。
 
少し脱線します。
観音様は、あのお顔といい、なまめかしいお姿といい、仏様に性別があると申
し上げるのも不謹慎なことですが、恥ずかしながら女性の仏様だと思っていた
のです。バカですね、笑ってください。先日、千葉県市川市にある国府台女子
学院に安置されている慈母観音様を拝見する機会に恵まれ、そのお姿が何とも
素晴らしく、後期高齢者の私は、はしなくも、しばらく見とれてしまいました(笑)。
 
本学院の「慈母観音」は女子校に飾られるということで、ご尊顔も一見笑みを
浮かべた女性のようで、おからだも柔らかく表現されているが、芳崖の「悲母
観音」のお顔に顎鬚が描かれているように、観音様は基本的には男性(正確に
は性別を超越した存在)である。本学院の慈母観音像も胸元のあらわな装束を
お召しだが、これもこの理由だからである。誤解無きように。(笑)
 学院長 平田 史朗 (「国府台女子学院 広報 第157号」より)
  筆者注 顎鬚(あごひげ)
      芳崖 狩野芳崖のことで、幕末から明治期に活躍した日本画家で
         近代日本画の父。
 
慈母観音の作者、横江嘉純は、重要文化財に指定されている芳崖の「悲母観音」
を手本にしたそうですが、片手に水瓶(みずがめ)を提げ童子を慈しむお姿は、
女子校にぴったりの雰囲気をかもし出していました。氏は、アガベの像(東京
駅前)、愛の像(青山学院大学間島記念館)、祈りの像(広島平和記念公園)
などの作品で著名な彫刻家です。女子校の、しかも中高の校舎の正面玄関から
入った右側にある図書室の前に安置されていますから、残念ながら、いつでも、
気軽に、ご尊顔を拝することはできません(笑)。ところが、新装なった学園
の講堂、寿光殿は、中高の校舎内にあり、説明会はここで行われていますから、
参加するとお会い出来ることになりました。「彦星と織姫と同じではないです
か!」と不謹慎にもつぶやき、希望を抱いてしまいました。(感謝)
 
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごっ
た返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出
ないものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」
であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激し
くゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、
そのために、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
 
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための乗
り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたのです。
これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていました。そ
の後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったのです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月  監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
 
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激し
く揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人
の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、
コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭
の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名
な悪い神様だそうです。
 
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。「節分」と一緒で年に4回
あります。前にもお話ししましたが、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞれの
季節の始まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その
最初の日を「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのです
が、なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょ
うか。それは、それぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の
名前がついているからです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のこと
を「土用の丑の日」といいます。
 
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビ
タミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバ
ランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何
しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
読んでいると、思わず食べたくなる池波正太郎の食べ物に関するエッセーに、
こういった話があります。
 
  かの万葉集に、
…石麻呂にわれ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り食(め)せ…
  という一首がある。大伴家持の歌だ。そのころから、すでに、うなぎの豊
かな滋養が知られていたことになる。この歌でうなぎのことをムナギといって
いるのは、うなぎの胸のあたりの淡黄色からついた名で、それが転じてうなぎ
とよばれるようになったのだそうな。
 
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、
ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無
理でしょう。事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝を
したのが始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だっ
たそうです。源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られてい
ますが、その他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中
国古来の学問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流
でしたから驚きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィ
ンチ的な存在であったわけです。源内のパトロンが、時の老中、田沼意次です。
 
私事で何ですが、池波正太郎の愛読者の一人で、「鬼平犯科帳」「剣客商売」
「仕掛人梅安」 など、何回読み返しても飽きません。この「剣客商売」の主
人公、秋山小兵衛の息、大治郎のお嫁さんが、田沼意次の実の娘、佐々木三冬
です。正妻の子でなかったために、佐々木家の養女となって登場しますが、女
剣士、妻、母親と変貌していく中で、物語に欠くことのできない重要な役目を
果たしています。意次は世評とは逆に、まつりごとに忙殺される政治家として
描かれています。秋山小兵衛は、藤田まことの当たり役で、明治座で見たこと
があり、歌がうまいのにはびっくりしましたが、冥界に旅立ち、二度と見るこ
とができなくなりました。
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」好評のようですが、氏にも「真田太平記」(新
潮文庫12巻)があり、これも、また傑作です。
 
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょ
ん、ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、
うさぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、
よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏
教の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3
匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にし
ても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の
方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だ
ということですね。 
 
7月は、紀貫之の三十一文字で始まりましたから、最後は、俵万智さんの作品
から一首。
「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日
7月6日は七夕の前日、この日だからいいのですね。バレンタインデーやクリ
スマスイブでは、サラダ記念日は訴える力に欠けます。「わたくし流」ですか
ら正しい解釈かどうかわかりません。五七五七七に、こだわってみました。
 この味が いいねと君が いったから 
   七月六日は サラダ記念日
 
ところで、長い間、同じような感覚として、歌人で国文学の巨匠、土岐善麿 
(1885ー1980)作の「あなたは勝つものと……」を紹介していたのですが、とん
でもない誤解をしていたことを思い知らされました。「終戦の日を迎えて」
と題したコラムに、終戦後に詠んだ歌との解説があったのです。
 
  あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
 
「短歌研究 昭和21年3月号に掲載された「会話」という連作の冒頭の歌で、
次に、「子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひ敗れよとしおもいのべるべ
かりしか」という歌が続いていることはあまり知られていない。戦争に負ける
ことは、味方の犠牲が大きいということだから、戦争に行っている3人の子ど
もが死ぬことにつながる。親として子の死につながる敗戦を願うわけにはいか
ない、というわけである。
(コラム[紙つぶて] 筒井清忠 帝京大教授 東京新聞夕刊 平成25年
8月15日)
 
「老いたる妻のさびしげにいふ」理由が、敗戦だけではないことがわかり、
「万智さん以上に新鮮な感覚ですね、などとほざいては、どやされかねません。
読み流してください」などと、したり顔で紹介していたことが恥ずかしくなり
ました。(懺悔)
 
今年の土用の丑の日は7月30日、昨年は7月24日と8月5日と2回ありま
したが、我が家の食卓には、今年も姿を見せないようです、高いですね(笑)。
蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の
下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がの
り美味しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2) 七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第33号-
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第9章(2)  七夕祭りでしょう   文 月
 
おめでとう、イチロー!
彼の精進と野球に対する情熱から考えても、まだまだやれます。
インタビューでのこの一言が忘れられません。
「僕は子どもの頃から人に笑われてきたことを、常に達成してきている自信は
ある」、イチローでなければ言えませんね、筋金入りです。1本でも多くのヒ
ットを打って、昔の草野球少年団を楽しませてください。頑張れ!
 
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
復興が、いまだに進まない被災地の皆様方には、七夕どころではないでしょう
が、子ども達には、待ちかねている夏祭りではないでしょうか。自宅に帰り、
昔のように祭りを楽しむ日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。ゼウ
スがパンドラに持たせた、あらゆる災いが詰まった箱(壺)を開けてしまい、
中から様々な災いが飛び出し世界中に散っていき、急いでふたをしたので希望
だけが箱に残り、それから人間は酷いことにあっても希望を持つようになった
というギリシャの昔話「パンドラの箱」ではありませんが、希望の杖が、次第
に弱くなっているような気がします。追い打ちをかけるように4月14日に発
生した熊本地震、人間は自然を征服できるわけがなく、共存共栄に徹しなけれ
ば、といっても何ら具体的な考えは思い浮かばないのですが……。
 
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶた
を合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の
飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかし
くありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月
七日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
 
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機で
ある。7月7日の夜、
遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、聖なる乙女が機を織る
行事があり、
その乙女を棚機女(たなばたつめ)、または乙棚機(おとたなばた)といった。
「七月七日の夕べの行事」であったために「たなばた」に「七夕」の字を当て
たのである。萬葉集には七夕は織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕
となっている。「七夕」の字は平安時代に当てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P121-122)
 
先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。
冗談はさておき、これも訳ありなのです。         
 
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、
平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の
上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日と
は別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思
い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行
事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕という
ことではありません。
 
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うのは、
どうもしっくり来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、
8月7日ならば一ヶ月延ばして行うという感覚が働いて、何となく旧暦という
言葉のなかに埋め込んでしまえばわからぬながら納得しようというものであろ
う。(中略)平均35日進んでいる現行暦を30日戻すことになるから、季節感
としての行事は5日進んでいると考えればよいわけである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134)
 
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧
盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事です
から、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。お父さんも、お母さんも休みをとって、お子さんと
一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
 
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記
憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使って
いた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、
漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見てい
たのでしょう。プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見るのと、
どちらに夢があるでしょうか。
どなたの言葉かわかりませんが、「その国の発電量は文化のバロメーター」で
あるとか。しかし、明るくなって失ったものもたくさんあり、七夕にロマンを
感じなくなったのもその一つで、犠牲者は彦星と織姫ですが、実害は何もあり
ませんから、話題にもならないようですね。
 
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、
流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、
七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説によ
ると記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触
れましたが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りの
そうめんには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食
欲がますような気がします。      
 
平成26年の暮れに亡くなられた宮尾登美子さんは、「そうめん大好き人間」
でした。
 
そうめんは姿かたちも、のどごしのよさも、いまだに昔ながらのものだが、
食べ方や製法についてはかなりいまふうになって来ているらしい。ただ私は
ガンコな保守派で、つけめんなんてとんでもない、茹でた三年そうめんを、
昆布とカツブシのダシ汁のなかに泳がせ、上にちょっぴり柚子をすりおろす
だけの食べかた。これを毎年五月から九月まで皆勤賞をもらえるほど、もう
五十年以上毎昼食食べつづけている。
(生きてゆく力 宮尾登美子 著 新潮文庫 P133)
 
但し、ご主人は、おろし生姜のみで、柚子は邪道といって、ゆずらないそう
です(笑)。かくいう私は、つけめん派で、茗荷と生姜の二本立て、ぬる燗
の日本酒と相性がよく、夏だけではなく、常に欠かせない酒の肴の一つです。
この後に、「満州の難民収容所の前後だが、餓死一歩手前で、毎晩の夢に必
ずそうめんを見たものだ」と続くのですが、こういった過酷な戦争の体験が、
宮尾さんの作家魂を支えていたのではないかと勝手に思い込みながら、平和
な時代に生きていることを感謝しています。自叙伝的小説の主人公、綾子に
5度目の再会ができると期待していましたが、実現しませんでした。彼岸の
地でも「なめたらいかんぜよ!」と、だし汁にそうめんを泳がせて食べてい
るでしょうか(笑)。「鬼龍院花子の生涯」の夏目雅子さんの喪服姿が浮かん
できます。
 
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
 
茗荷という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のような
逸話があります。釈迦の弟子の周梨般特(スリバンドク)は熱心に修行をす
る好ましい人物でしたが、物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしま
ったそうです。そこで釈迦が首から名札を下げさせました。彼の死後、墓か
ら見慣れぬ草が生えてきました。生前自分の名を荷物のように下げていたこ
とにちなんで、村人がこの草を「茗荷」と名づけたという説があります。こ
の話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれました。
(http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Myouga.htm より)
 
「名前を荷う」から「茗荷」とは、お釈迦さまもしゃれた名前をお付けにな
ったものですね。物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗
説を利用して、泊まっている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗
荷をたくさん食べさせるのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を
貰うのを忘れてしまったという、落語のような昔話があります。そういえば、
東京メトロ丸ノ内線に「茗荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさん
の茗荷畑があったそうです。
 
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。
困ったときの広辞苑によると、「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水
でひやし、汁を付けて食べるもの」「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、
これに植物油を塗り細く引き伸ばし、日光にさらして乾した食品。茹でまた
は煮込んで食する」と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。
うどんの乾麺には、そうめんと同じように植物油が塗られています。
 
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」など
と意気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、
きちんと、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1・3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が
素麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えま
す。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
子どもの頃、母から冷麦とそうめんを区別するために、冷や麦には色のつい
た麺が入っているのだと聞いたような気がするのですが、実際は、食感だけ
ではなく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本
ずつ色麺を入れているそうです。
 
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントと
いう感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖
様が帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
 
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であっ
た。人里離れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、
翌日に七夕送りをして、穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行
事であった。盆に先立つ、物忌みのための祓えであった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P122)
 
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何と
いっても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神様がいます。収穫
祭は、神様への感謝のお祭りでした。まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、
豆が主食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがな
どの成熟を神様に感謝したのです。この時に人々は、神様の乗り物として、
きゅうりで作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事
の盆飾りとして、ご先祖様の乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれて
いるのです。
 
これは、私にも飾った記憶があります。こういった収穫祭とお盆を迎える
「はらえ」の信仰が、中国の星の伝説や「乞巧奠」の風習と混ざり合って、
今の七夕の行事ができたのです。しかし、先程もいいましたが、お盆は、
8月の民族大移動の15日前後、というイメージが強いのではないでしょう
か。 
 
今回、「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」
とは、 「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れが
あるときや、神様にお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くこと
で、「はらえ」は、神様に祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神
社で行われ「おはらい」です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」と
もいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれ
で、伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」
といって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、
古いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳あ
りなのですね。
 
最近、梅原猛氏の本を読みあさっていますが、この「みそぎはらえ」は、も
っと血なまぐさい政治上の儀式でもあったようで、何とか10月の神無月ま
でに結論を出したいとは思っています。哲学者の解き明かす歴史上の事件は、
何とも凄まじく、のめりこむ一方で、藤原鎌足の子、藤原不比等は天智天皇
のご落胤であるとか、「竹取物語」でかぐや姫に求婚する倉持皇子のモデル
であるとか、不比等が何やら大きなカギを握っているよう思われ、スライド
式の本棚の裏側に、眠りこけていた「古事記」と「日本書紀」を引っ張り出し、
読むはめになってしまいました(笑)。
「記紀」は読むのに根気がいりますが、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」
(梅原 猛 著 新潮社 刊)と「楽しい古事記」(阿刀田 高 著 角川
文庫 刊)は、古事記に出てくる現地を探るルポルタージュで楽しく読ませ
てくれる優れものです。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1) 七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第32号-
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第9章(1)  七夕祭りでしょう   文 月
 
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくな
るようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようで
すが、七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事です
から、これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からと
する説もあるそうです。
 
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
 
 たなばたさま
       作詞 林 柳波   作曲 下総 皖一
  
一、 笹の葉さらさら       二、 五色の短冊
   軒端にゆれる           私が書いた
   お星さまきらきら          お星さまきらきら
   金銀砂子             空から見てる
 
何とものどかで、暑さもふきとぶ、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織女
星も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イ
メージが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの
一つです。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。
かの、紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
 
七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
 
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣
きと詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現
するのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはりすばら
しいことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささかオーバーですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化
は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句を
作ることではないでしょうか。小学生になると、特に教えなくても、「五七五」
の俳句を作るのですから。
 
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝
いをしているでしょうか。30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、
七夕祭りは選ばれていませんでしたが、幼稚園や保育園での夏のイベントにな
ってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、中国の星
の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。   
 
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
 
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、鮮や
かな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、天の川の
西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後は、機織りを
しないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東に帰らせた。ただ
7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのである。日本で最もよく知
られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼしが愛し合っていながら一年
に一度しか会えないという物語が日本人の共感を呼んで、万葉集の時代
から「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134-124)
 
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天
女の証です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡
がなく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、
文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄
に飾り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用い
られていますが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、
“To be natural and flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)
だそうで、類似語は、今でもよく使われている「天真爛漫」です。
 
ところで、七夕の2つの星、彦星と織女は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から16光年の彼方
にあり、太陽の8倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、
その16倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側に
ある2つの星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
 
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。 
 
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
おだになからましかば、まいて」
 (第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊)
 
すばるは、牡牛座にある星団プレアデスの和名、ひこぼしは、牽牛です。ゆふ
づつは、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、よばいぼしは、流
れ星のことです。 「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾
は流れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、
ご存知なかったことでしょうね。    
 
織女は、琴座の1等星ヴェガのことで、地球から26光年離れ、明るさも太陽
の48倍もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ヴェガ
と天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ星とで
作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったのでしょうけれど
も、記憶のかけらもありません。
 
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、
天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立
てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれ
の伝説らしく、スケールが大きいですね。
 
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の
人々の注目を集めていました。
 
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の川で
銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえられ「乳の
道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。 これはギリシャ神話で、力持ち
のヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強く吸ったため、こ
ぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P65)
 
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、
重要な行事があり、こう書いてあるそうです。
 
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸を通
し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物が上手に
なることを祈った」
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P132)
 
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事
が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするように
なったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、
笹の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のよう
に布から紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手に
なることよりも、ピアノが上手く弾けるようにとか何とか、何やら、椎名 誠
氏風の表現で恐縮ですが、願望成就希望達成型に変身したようです。
 
しかし、無理もない話です。
お母さん方、針を持って縫えますか。いや、その前に、裁縫箱を持っています
か。裁縫が上手になりたいと思っているお母さん方、いらっしゃるでしょうか。
何ですか、「……ますか、……ますか、……でしょうか」で、頼りのない話で
す。
「良妻賢母」が「料裁健母」と置き換えられた時代がありました。今は、「料
裁健夫」でなければ、お嫁さんにきてもらえないのでしょうか。独身男性が、
増えるわけです。いや、嫁にきてもらうなどと消極的な考えでは、女性に敬遠
されるのではないでしょうか。嫁さんは、自分で探すものです。
 
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
 
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほど成
長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托し、天に
届くようにと気持ちをこめたのです。
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
 
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入り
ました。
 
余談になりますが、12月に紹介しました妙心寺の沙羅双樹の花、「沙羅の花
を愛でる会」が6月15日から始まりました。会は30日までですが、
You Tubeでも楽しめます。
 
話題にするのもはしたない限りですが、明治生まれの親父は、社会人になった
ら「タダ酒は飲むな。人は酒に飲まれ、味を覚えると品性が卑しくなる。タダ
程、人間を堕落させるものはない」といっていました。あの方のお父さんも、
いや、余計な詮索は止めるとして、父親は限りなく責任の重いことを痛感させ
られましたね。かくいう私は、他者の目が気になる小心者で、家内や子どもの
ことを考えると、とてもじゃありませんが、こういった恥をさらすことに耐え
られません。(激憤)
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか他」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第8章(4)何にもないのかな【六月に読んであげたい本】

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第31号-
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第八章 (4) 何にもないのかな
【六月に読んであげたい本】
 
大和くん、無事、発見!
ある精神科の先生が、「今はボーッとしているからいいが、これからのケアが
大切」とおっしゃっていましたが、6日間の想像を絶する体験(私個人の見解)、
大和くんの心が壊れないだろうか。トラウマにならなければ、余計な心配かも
しれませんね。強そうだから。後出しじゃんけんのようで気が引けますが。
 
梅雨というと、三題噺(お客さんから3つの題を出させ即座に一席の落語とす
るもの)ではありませんが、「あじさい、かたつむり、かえる」です。しかし、
最近、かたつむりやかえるはどこに行きましたかね、見かけなくなりました。
洋食が苦手な私ですが、後学のため食べましたエスカルゴ、美味しかったです
が、「梅雨が来たから食べるか」とはなりませんで、わずか1回だけでした(笑)。
 
かえると雨、これにも、おかしな因果関係があるようです。おもしろい話があ
ります。これから紹介する「かえるの親子」、人間の親子関係にもいえそうで
す。
過保護な母親に育てられたわがままな子が、少子化に加え核家族化も進む中で
増えているようです。一人っ子では、何が過保護なのかわからないのかも知れ
ません。しかし、やがて子どもは、一人で生きていかなければならない、“頼
れるのは自分だけ”の生活が待っていることを、親は忘れてはならないでしょ
う。
 
自己中で、他人との関わりがうまくできない若者が増えています。
最近の脳科学者の話では、自己抑制力の臨界期は3歳まで、協調性や社会性の
臨界期は12歳までといわれているようです。臨界期とは、その時期を過ぎる
と、ある行動の学習が身につかなくなる限界の時期をいい、モンテッソーリの
もっとも盛んに活動し成長する時期、敏感期と同じであると考えればわかりや
すいと思います。言葉の敏感期を過ぎると、真偽は定かではないそうですが、
インドの狼少女のように、人は言葉を話せなくなります。
誤解を恐れずにいえば、3歳は自立の始まる時期、幼稚園は自律心を養い、社
会性や協調性といった集団生活への適応力の基礎を築く時期、6年間の小学校
生活は、それらをきちんと身につける大切な時期です。
幼児期から小学校時代に、人としての配線図は、組み立ててしまわれるわけで
すね。「三つ子の魂、百まで」「鉄は熱い内に打て」、先人の教えには、無駄
がありません。「鉄は熱い内に打て」は、英語の
“Strike while the irons hot”
を訳したことわざだそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 ※マリア・モンテッソーリ
 イタリア、ローマの精神病院で働いていた女医。知的障害児へ感覚教育を実
 施し、知的水準を上げる効果を見せ、1907年に貧困層の健常児を対象に
 した保育施設「子どもの家」で独特の教育法を完成させた。モンテッソーリ
 教育の行われる施設を「子どもの家」と呼ぶようになった。
 (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
◆あまがえる不孝◆   八百板 洋子 著
むかし、かえるの親子がいました。母さんがえるは、子どもをかわいがったの
ですが、子がえるは、親のいうことを聞きません。母さんがえるが、右に行こ
うというと左に行くし、山に登ろうというと川にもぐり、暑い日というと寒い
日と逆らうのです。
ある日のこと、母さんがえるは、重い病気にかかりました。助からないとあき
らめた母さんがえるは、墓だけは、日のよく当たる、山の上に作ってほしいと
思ったのですが、何事にも逆らう子がえるのことです。山に埋めてほしいとい
えば、川のそばに埋めるに違いありません。
考えた母がえるは、
「私が死んだら、川のそばに埋めるのだよ」
といって、息をひきとったのでした。母さんがいなくなると、子がえるは、逆
らってばかりいたことを後悔し、反省して、川のそばにお墓を作ったのです。
雨が降れば川の水も増え、お墓は流されそうになります。心配な子がえるは、
雨が降るたびに、お墓が流れないようにと、今でも鳴いているのだそうです。
 六月の話  あまがえる不孝 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
       日本民話の会・編 国土社 刊 
 
親不孝な動物話の典型ですが、中国や朝鮮にも同じ話があることから、大陸か
ら半島を経て伝わったものと考えられます。まさしく日本は、文化の吹き溜ま
りですが、しかし、自国流にアレンジし、生活の中に取り込んでしまう知恵を、
我がご先祖は、身につけていたようです。 
 
  青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか  芥川龍之介
 
こういった情景に出会うのは、もう、無理かもしれませんね。
 
霧雨が似合うあじさい、咲いているうちに色が変わることから「あじさいの七
変化」といわれ、花言葉では「移り気」「浮気」などと芳しくありません。一
方で「辛抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」などといったものもありま
すが、後の方が似合う気配が漂っているような気がします。
漢字では「紫陽花」と書きますが、これは唐の詩人・白居易が、別の花(この
花の名前はわかりません)に名づけたものを、平安時代の学者、源順がこの漢
字を当てはめたことから、誤って広まったといわれているそうです。
  (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
ところで、今、かえるの合唱を、聞く機会はあるでしょうか。とにかく、もの
すごい鳴声でした。
しかし、この鳴声が、何やら豊作の雄叫びのように聞こえ、子ども心にも、安
心したものです。雨がしっかり降って、田植えが終わらないことには、かえる
の合唱は聞こえませんから。
その田植えについてですが、おかしな話があります。
 
◆田うえねこ◆   水谷 章三 著
むかし、ある家に、年を取り寝てばかりいる猫がいました。
田植えの時期になり、おかみさんは、
「お前さんはいいね。猫の手も借りたい忙しいときに、寝ていられるのだから」
というと、猫は大きなあくびをして起き上がり、どこかへ行ってしまったので
す。
その日は、田植えのおしまいの日で、大勢の人が手伝いに来ていました。おか
みさんもわき目もふらずに田植えをしていましたが、見知らぬ娘さんがいて、
仕事ぶりが、手際よく鮮やかなのです。それに負けてなるものかと若い衆も張
り切ったので、夕方にならぬ内に終わったのでした。
娘さんにお礼をいおうとしましたが、見当たりません。探していたところ、そ
の娘さんが背中を見せて、歩き去っていくではありませんか。追いかけていく
と、おかみさんの家のところで姿を消し、探したのですが、見つかりません。
ところが、今朝、拭いたはずの縁側に、猫の足跡のような泥の跡がついていた
のです。足跡をたどっていくと、家の隅っこの所で、猫が泥だらけの足をなめ
ていました。
「お前のことを、うらやましいといったものだから、娘になって田植えを手伝
ってくれたのだろうか。猫は、年をとると化けるというけれど」
と、おかみさんは、猫の顔をのぞきこみました。すると、猫は足をなめるのを
止めて、前足でおかみさんのひざをグイと押さえて立ち上がり、背伸びをし、
そのままどこかへ行ってしまい、二度と姿を見せることはありませんでした。
 六月の話   田うえねこ    松谷みよ子/吉沢和夫 監修
       日本民話の会・編 国土社 刊 
 
「猫の手も借りたい」忙しいときに、猫が手を貸すのがおかしいですね。この
話も全国に、いろいろな形で語り継がれています。お地蔵さまが、見知らぬ若
者に姿をかえて手伝う「田植え地蔵」などは、よく知られているようです。猫
の足が泥だらけだったように、お地蔵さまの足が汚れていたのでわかる仕掛け
は、同じです。 
 
今度は、恐い話です。
 
◆かにの恩返し◆   根岸 真理子 著
むかし、ある村に、庄屋どんと娘が住んでいました。娘は、かにが子を生む頃
になると、庭の小川で米をとぎ、その汁を流してあげたのです。かには、嬉し
そうに飲んでいました。
ある年のこと、日照りが続き、田植えができません。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が
聞いていたのです。
やがて、雨が降り出し、田植えができると、村の人たちは喜びました。
その時、庄屋どんの足元で、
「約束を破れば、大雨を降らせ田畑を流すぞ」
といい残し、蛇は姿を消したのでした。しかし、嫁にやるわけにはいかず、庄
屋どんは庭に頑丈なお堂を建て、娘を入れることにしたのです。
 
嫁入りの日が来ました。
娘は、白い着物を着て、お堂に入り、中から鍵をかけました。そこへ、若侍が
現われ、お堂に戸口がないのを知り、怒り、姿を大蛇に変え、お堂を七巻きに
巻きしめたのです。すると嵐になり、蛇は、雨風の力を借りて、お堂を根こそ
ぎつぶそうと、揺さ振り始めました。
その時、娘の耳に、タプタプと寄せる水音に交じって、サワサワ、サワサワと
小さな音が聞こえてきたのです。音は、次第に数を増して、お堂のまわりを取
り囲みました。すると、ドォン、ダァンと何やらのたうつ音がして、サワサワ、
ドォン、ダァン、と、二つの音は、低く響き続けました。
 
やがて音が止み、ひび割れたお堂の透き間から、朝日が射し込んできたのです。
庄屋どんに、手を引かれて外に出た娘は、老いた松の木のような大蛇が、お堂
の周りを取り巻き、転がっているのを見たのです。そして、めくれ上がったう
ろこの下には、娘にお米のとぎ汁をもらっていたかに達が、一匹、一匹、はさ
みつき、そのまま死んでいたのでした。
 六月の話   かにの恩返し 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
        日本民話の会・編 国土社 刊 
 
この他に、蛇をやっつけるのにひょうたんと針を使ったものや、蛇に変わって、
猿やかっぱの場合もあります。これもお馴染みの民話でしょう。
かにの恩返し説話は、古くから語りつがれ「日本霊異記」や「今昔物語」に記
録されています。学生時代に、京都の山城の町にある蟹満寺というお寺を訪ね
た時、この話とそっくりの「蟹満寺縁起」が残されていました。
 
それにしても、悪役の蛇は、哀れです。
もとはといえば、約束を破った庄屋どんが、その責めを受けるべきです。
事実、進学教室でこの話をした時に、「悪いのは庄屋さん!」と、不満そうに
いった女の子達が何人もいました。子ども達は、「事の善し悪し」を考え、自
分なりに判断し、それを言葉で表現できる年齢に差し掛かっています。こうい
ったことからも、「話の読み聞かせ」は、ご両親の大切な仕事であることがわ
かりますね。
 
また、「安珍清姫」の話も、大きくなったら妻にしようと戯れにいったことを
信じた清姫が、だまされたことを知り、道成寺に逃れ、釣り鐘に隠れた安珍を、
蛇に変身した清姫が七巻にして殺しますが、これも悪いのは、戯言(ざれごと)
をいった安珍です。
「か弱き女性をだますと、あとが恐いよ!」
と、その執念深さを、蛇が演じているだけに、一層、説得力がありますね(笑)。
 
仏教には殺生、妄語、偸盗、邪淫、飲酒を戒めた五戒がありますが、庄屋は、
動物の妻にするのは邪淫戒になり、嘘をついたので妄語戒と二つの戒めを破り、
安珍は嘘をついたので妄語戒を犯したにことになりますから、それぞれ厳罰を
受けるのですが、庄屋は助かるのは、子どもが聞く昔話だからでしょうが、子
どもたちはしっかりと怒っていますね。(偉い!)
 
もう一つ紹介しましょう。
きつねが人を化かす話も、むかし話にはたくさんありますが、新美南吉の「ご
んぎつね」の悲しい結末と違い、ほのぼのとなる話があります。
 
◆きつねのかんちがい◆
むかし、あるところに、惣五郎という若者がいました。
ある年の田植どきのことです。惣五郎さんは三反御作(広さ三十アール)もあ
るたんぼを、一日で田植えをし、家へ帰る途中、畑の中にある井戸水を飲もう
と、つるべ(水を汲み上げる桶)を上げると、その中に、溺れ死んだ子ぎつね
が、入っていたのでした。惣五郎さんは、かわいそうに思い、畑の隅に穴を掘
って埋めてあげました。
 
ところが、夜中に大勢の人が声を合わせて、
 「お田を引いたで惣五郎! 三反御作みんな引いただ!」
と、怒ったような声で歌い、二、三回繰り返すと静かになったのです。惣五郎
さんは、不思議に思ったのですが、そのまま眠ってしまいました。     
 
翌朝、たんぼへ行くと、田植えをしたばかりの‘三反御作’の苗が全部、引き
抜かれていたのです。きつねの仕業かなと思った惣五郎さんは、子ぎつねを埋
めた所へ行ってみると、穴は、掘り返されていました。きつねは、勘違いをし
たなと思った惣五郎さんは、きつねの棲んでいそうな竹薮や、林の中を歩きな
がら、
「死んでいた子ぎつねを拾い、お墓を作ったんだ。誤解しないでくれ!」
と、大声で叫んだのです。
  
すると夜中に、
「お田引いて すまなんだ! 三反御作 また植えたあ!」
と、二度ほど繰り返し歌い、静かになったのです。
あくる朝、戸をあけると大きな鏡餅が一枚置いてあり、三反御作の苗も、植え
直してありました。
惣五郎さんは、きつねに気持ちが通じたことがわかり、とても嬉しかったので
した。
 新訂・子どもに聞かせる 日本の民話   大川 悦生 著
    実業之日本社 刊 
      
坪田譲治の、子どものために命をなくした「きつねとぶどう」や、新美南吉の、
人間と子ぎつねの心あたたまるやりとりを描いた「手袋を買いに」なども、ぜ
ひ読んであげたい童話です。
また、小川未明の、信仰とは何かを考えさせられる「頭を下げなかった少年」
(最後の一言が鮮やかです)や、献身的な子育ての後に子猫の幸せのために姿
を消す親猫を描いた「どこかに生きながら」も、見た目の美しさより、実用を
重んじて作った茶わんを褒める「殿様と茶わん」、神様からの授かりものとい
って可愛がっていた娘を売り飛ばし、報復を受ける老夫婦を描いた「赤いろう
そくと人魚」などの童話は、大人が読むべきで、キザな言葉で照れますが、心
が洗われます。
お母さん方にお勧めしたいのは、「小川未明童話集 赤いろうそくと人魚 新
潮文庫」です。
 
ちなみに、日本語の表現の多彩さを少々。
春雨、五月雨(さみだれ)、夕立、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう 夕
立の漢語的表現)、秋雨、時雨(しぐれ 秋から冬にかけて降る通り雨)氷雨、
雨雪(みぞれのこと)、四季折々の雨、やはり、日本人の感性は繊細ですね。
 
雨で忘れられない童謡があります。当時(昭和20年代)、私達は蛇の目の傘
をさしていました。中心部と周辺を黒、紺、赤色に塗り、中を白くして蛇の目
の形を表した傘で、竹骨に紙を貼り、油をひいた粗末なものでした。
 
 あめふり
  北原白秋 作詞  中山晋平 作曲
 あめあめ ふれふれ かあさんが
 じゃのめで おむかい うれしいな
 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
 かけましょ かばんを かあさんの
 あとから ゆこゆこ かねがなる
 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
 あらあら あのこは ずぶぬれだ
 やなぎの ねかたで ないている
 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
 かあさん  ぼくのを かしましょか
 きみきみ このかさ さしたまえ
 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
 ぼくなら いいんだ かあさんの
 おおきな じゃのめに はいってく
 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
 
2行目の「おむかい」は、原詩は「おむかひ」と歴史的仮名遣いになっていま
すが、「東京方面のなまり」で、発表された大正14年頃、白秋は小田原に住
んでいたので、この言葉を使ったそうです。「改訂版 しょうがくせいおんが
く」(昭和33年発行)から「おむかえ」に変えて掲載。このときから「おむ
かえ」と歌い始めたそうです。(「Yahoo!知恵袋」より抄訳)
 
繰り返しますが、童謡は情操の発達と深いかかわりを持つ、思い出のしみこむ
「成長の記録」ではないでしょうか。お子さんが一緒に歌える童謡、あります
か。
 
全く手入れをしない我が家の紫陽花は、けなげにも花を咲かせ、きちんと季節
を伝えてくれています。紫陽花には雨が似合いますね。「関東地方も梅雨入り
したとみられます」と頼りない宣言? 昨年より2日遅く、例年より3日早い
そうです。先日、夏日があった北海道で雪が降り、日光には霜が降りました。
セコイ政治屋に、日本の神さまも怒っているぞ。見苦しい!(激怒)
(次回は「七夕祭りでしょう」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第8章(3)何にもないのかな 水無月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第30号-
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第八章 (3) 何にもないのかな   水 無 月
 
★★父の日、これもアメリカ生まれです★★
6月の第3日曜日は、父の日です。
母の日がアメリカ生まれですから、父の日も同じでしょう。母の日があって父
の日がなくては、男女同権の国ですから、男の立つ瀬がありません。いかにも
アメリカらしいですね。
 
1910年に、アメリカのワシントン州でジョン・ブルース・ドット夫人が、
妻を亡くして男手一つで育ててくれた父に感謝するパーティーを開いたのが始
まりとされている。
その後、1934年に父の日委員会が結成され、母の日にならって6月第3日
曜日を「父の日」と定めたのである。日本では、母の日に遅れること4年後、
昭和28年(1953年)から、一般的な行事として認められるようになった。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
父の日に贈られる花は、何でしょうか。まだ、子どもが小さかった頃にもらっ
た記憶はありますが、花の名前は思い出せません。バラの花だそうです。たい
そう気品のある花ですから、何か訳がありそうです。
カーネーションが、十字架にかけられたキリストを見送った、聖母マリアが落
とした涙の後に咲いた花でしたから、おそらくバラもキリストと関係あるでし
ょう。予想どおりでした。十字架にかけられたキリストの血が落ちて、そこか
らバラが花を咲かせたそうです。さらに、こういった説もあります。
 
父の日の花はバラである。バラは花の美しさと香りの気高さのため、古代から
人々に愛されてきた。ローマ教皇はバラを手にし、信者はロザリオで祈りを唱
える。ロザリオrosaryはラテン語rosa(バラ)、rosarium(バラ園)に由来し、
尊敬と喜びのしるしであった。古代ローマでは、祭日の日には神殿も戦車もバ
ラで飾られ、将軍は賞讃のしるしとしてバラの花束を手に持った。現代でも音
楽会の終わりにはバラの花束を捧げて演奏を讃える風景が見られる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
聖なるバラです。
花言葉は「尊敬と愛の情熱」です。お父さん方は、承知してもらっているでし
ょうか。
承知のうえでしたら、頑張らざるをえないですね。父権は、かなり喪失したと
いわれていますが、やはり、お父さんは頼られています。お父さんは、「一家
の大黒柱であるべきだ」と1940年生まれの私は思うのですが……。
この花言葉、前回にも紹介しましたが、調べると面白いですね。パソコンで簡
単に検索できますから、退屈なときアクセスしてみましょう。
 
ところで、小学校の入学試験に「話の記憶」といった問題がありますが、ある
ミッション系の学校で、「母の日にお母さんに贈る花の絵に○をつけましょう」
といった出題がありました。5つの花の中から選ぶのですが、その中に、何と
バラの花も入っていたではありませんか。さすがだと思いました。
事の起こりは、キリストに関係があるのですから。出題校は、暁星小学校です。
 
★★夏 至★★
二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、春分、秋分、冬至と、それぞれ楽
しい行事がありますが、夏至には、何かあるのでしょうか。暑い盛りではあり
ませんが、うっとうしい日が続く頃です。
年中で、いちばん昼の長い日ですから、何だか疲れを感じがちです。これは、
夏至のとき、お日さまは、もっとも北に寄っているからです。ですから、北極
ではお日さまが沈みません、白夜です。
逆に、南極ではお日さまの姿を見ることはできません。土用の日のように、う
なぎを食べて元気をつけることもないようですし、何だか夏至だけが、冷たく
あしらわれているような気もしなくはありません。しかし、夏至だけ問題にす
るのは不公平です。雨水、清明、芒種などといわれても、何やらわかりません
が、これも夏至と仲間の二十四節気のことです。
 
正しい季節を示すために作られた目印を二十四節気といった。太陰太陽暦では
暦の上の月日と季節がくいちがいをおこすので、暦の月日とは別に、農事に必
要な季節の標準を示す必要があったからである。1太陽年を24等分して、太陽
が最も低く昼間の最も短い冬至から始めて、1年を24等分した分点を二十四
節気とした。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P39)
 
二十四節気とは、正しい季節を示す目印と考えるとわかりやすいですね。日本
は農耕民族です、今は疑わしいですが。昔は、太陰太陽暦を使っていましたか
ら、今のグレゴリオ暦では、暦の上の月日と季節とが、食い違いを起こすので、
暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったのです。よく、
テレビなどで、
「今日は、啓蟄の日です。冬ごもりをしていた虫たちも、はい出る日といわれ……」 
などとやっています、あれです。 今年の二十四節気は以下の通りです。
 
★★二十四節気★★
 立 春  2月  4日 頃
 雨 水  2月 19日 
 啓 蟄  3月  5日
 春 分  3月 20日
 清 明  4月  4日
 穀 雨  4月 20日 
 
 立 夏  5月  5日 頃
 小 満  5月 20日  
 芒 種  6月  5日  
 夏 至  6月 21日  
 小 暑  7月  7日  
 大 暑  7月 22日 
 
 立 秋  8月  7日 頃
 処 暑  8月 23日
 白 露  9月  7日
 秋 分  9月 22日
 寒 露 10月  8日
 霜 降 10月 23日
 
冬  立 冬 11月  7日 頃 
 小 雪 11月  22日
 大 雪 12月   7日
 冬 至 12月  21日
 小 寒  1月   6日
 大 寒  1月  21日
(「国立天文台 天文情報センター」より)
 
立春 旧冬と新春の境目、まだ、寒さの厳しい頃です。
雨水(うすい) 雨水がぬるみ、草木が芽を出し始めます。
啓蟄(けいちつ) 冬眠している虫たちも、穴からはい出してきます。
春分 昼夜が等しく分かれ、昼間が長くなり、夜が短くなってきます。
清明(せいめい) 桜花爛漫、春の盛となり、天地万物に清新の気があふれる時期。
穀雨(こくう) 春雨は、田畑をうるおし、穀物の成長するときです。 
 
立夏 春は去り、爽快な夏の気配を感じる頃です。
小満(しょうまん) 日増しに暑くなり、草木が繁り天地に満ち始める時です。
芒種(ぼうしゅ) 芒(のぎ・稲や麦などについているとげ)のある穀物を植える時。
夏至 日の長きに至る、昼がもっとも長くなる日。梅雨のさかりで、田植えの時期。
小暑(しょうしょ) 日増しに暑さが加わり、この日から暑中見舞いを出し始めます。
大暑(たいしょ) 暑さがもっとも厳しくなる頃。
 
立秋 暦の上だけの秋、まだ、真夏の頃。この日から残暑見舞いとなります。
処暑(しょしょ) 暑さが止み、秋風が吹く頃。「処」は「とどまる」の意。
白露(はくろ) 秋も本格的となり、野草に甘い露の宿る頃。
秋分 昼夜が等しく分かれ、春分とは逆に、昼が短く夜が長くなります。
寒露(かんろ) 野草に冷たい露が宿る頃。
霜降(そうこう) 秋の気配も去り、朝霜のおりる頃。
 
立冬 冬の気配がうかがえる頃。
小雪(しょうせつ) 寒さもさほどでもなく、雪も少ない頃。
大雪(だいせつ) 北風が強くなり、寒さも厳しく、雪が降り始めます。
冬至 日の短きに至り、夜が長くなる日です。
小寒(しょうかん) 寒気が加わり、雪が積もる頃。
この日を「寒の入り」とし、寒中見舞いを出し始めます。
大寒(だいかん) 冬将軍がもっとも威勢のよい時期ですが、寒さの中にも
   「春とおからず」の希望がふくらむ頃。
 
しかし、漢字って、いいですね。
「雨水」「処暑」など見ているだけで、何やら、日本を訪れる季節の兆しが、
思い浮かびませんか。
今から2000年前の頃、中国の周王朝により華北の気象状況にあわせて作ら
れたそうです。何と2000年前のことです、感動しませんか。感動しますが、
何だか実感がありません。大暑といえば、実感としては、8月7日の立秋の頃
ではないでしょうか。日本でいうと、岩手県の季節と合っているそうです。東
京でも、ピンとこないのですから、九州地方のみなさんは、どうでしょう。
この原因は、今は、グレゴリオ暦を使っているからです。二十四節気は、先程
もいいましたように、むかし使われていた太陰太陽暦によって決められていま
すから、1ヵ月位の差が出るのです。
 
かつてある新聞に、気象協会では、新「二十四節気」を作ると出ていました。
その訳は、「寒いのに立春、暑いのに立秋―。中国伝来の二十四節気は、季節
の移り変わりに彩を添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか」(原文
のまま)(中略)同協会は「現代の日本の季節感になじみ、親しみを感じる言
葉を選びたい」のだそうです。どんな言葉が作られるかわかりませんが、1月、
2月より、睦月、如月の方が、季節感を味わえる世代には、想像もつきません。
 
昔から親しまれていた町名を、無味乾燥な番地に変えてしまったことを思い出
しますね。もっとも、温もりのない、冷ややかなコンクリート・ジャングルに
は、ふさわしいかもしれませんが……。
“コンクリート・ジャングル”、英語のようですが、ナイター、サラリーマン、
パトカーと同様、和製英語です。驚いたことに、といっても私だけでしょうが、
「オーダーメイド」「デコレーション・ケーキ」も和製英語で、正しくは
“custom made”、“fancy cake”だそうです。パソコンで「和製英語」を検
索すると、正しい英語を知ることができます。ちなみに、パソコンも和製英語
で、正しくは“personal computer”です。
 
昨年まで、「新二十四節気」について紹介しませんでしたが、「季節のことば3
6選」で検索したところヒットしました。ウッカリしていましたが、平成25
年春に発表されていました。(陳謝)
 
  季節のことば36選                 二十四節気
    1月 初詣 寒稽古 雪おろし          小寒 大寒
    2月 節分 バレンタイン 春一番        立春 雨水
    3月 ひな祭り なごり雪 朧月夜        啓蟄 春分
    4月 入学式 花吹雪 春眠           清明 穀雨
    5月 風薫る 鯉のぼり 卯の花         立夏 小満
    6月 あじさい 梅雨 蛍舞う          芒種 夏至
    7月 蝉しぐれ ひまわり 入道雲 夏休み    小暑 大暑
    8月 原爆忌(広島、長崎) 流れ星 朝顔    立秋 処暑
    9月 いわし雲 虫の音 お月見         白露 秋分
   10月 紅葉前線 秋祭り 冬支度         甘露 霜降
   11月 木枯らし1号 七五三 時雨           立冬 小雪
   12月 冬将軍 クリスマス 除夜の鐘       大雪 冬至
              (「一般財団法人 日本気象協会編」より)
 
参考までに、二十四節気も掲載しておきましたが、いかがでしょうか。
七夕が行われる7月7日、小暑といわれていますが、選ばれていませんでした
ね。星の祭りである七夕も、幼稚園や保育園、小学校の夏のイベントになり、
ご家庭で楽しむ年中行事ではなくなったようです。(残念!)
 
ところで、「人のうわさも七十五日」といわれていますが、その語源が二十四
節気と関わりがあるのですから、面白いですね。七十五日を四十五日、四十九
日、七十九日というのは誤りです。
 
「日本には二十四節気という季節の区切り方があります。365日を24等分
するので、一節気はおよそ15日。昔から五節気経てばまったく違う季節にな
るといわれていましたから、15×5=75日となります。75日も経てばま
ったく新しい季節になるのだから、それまでのことは忘れようという意味なの
でしょう」
 (「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」
     なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P18)
 
ちなみに英語では、“A wonder lasts but nine days”(「驚きも九日しか続
かない」故事ことわざ辞典より)だそうですが、日本と違い、個人主義が定着
している国では、噂の消えるのも短いということでしょうか(笑)。
 
5月27日は、広島、長崎だけではなく、「核兵器絶滅を実現するための歴史
的な日」になってほしいと心から願っています。詳しくは、8月にお話ししま
すが、オバマ大統領の演説で素直にうなずけたのは、
「朝一番の子ども達の笑顔。愛する人と食卓を囲む、安らぎのひととき。両親
からの抱擁。そのかけがえのない瞬間が、71年前のこの場所にもあったのだ
と思い知らされます」
でした。亡くなられたおよそ14万人の一人ひとりに痛恨の思いを寄せた、核
兵器絶滅を願う大統領の、決意を新たにした力強い宣言ではなかったでしょう
か。(合掌)
(次回は「6月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

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