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めぇでるコラム : 2017保護者: 2016年9月

さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第47号-
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第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)
 
物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」とい
う意味です。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、
あまりいわれていないようですね。
 
★★なぜ、11月15日なのですか★★ 
11月といったら、七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。
三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、
新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りして、
普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるわけです。
氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神様で、鎮守の神、産土(うぶ
すな)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
     
七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)
の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15
日に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
 
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が
記されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、
「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大
凶のような感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入って
きた「宣命暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には
忌むべし」の日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経(すくようきょう 
人々の吉凶を知る方法を説く経典)に基づいて作られており、本家のインドで
も、鬼宿を尊んでいます。お釈迦様が生まれた紀元前463年4月8日は、鬼
宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけますね。
 
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には
山から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、その
ために人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝
するしきたりがありました。11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や
穀物と酒を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年
間の労働から開放された喜びの日です。後の五代将軍の五歳のお祝いが11月
15日に行われた理由は、ここにあったわけです。権力の頂点に君臨する将軍
ですから、そのご威光とお祭りの日が重なった鬼宿日こそ、祝日に最もふさわ
しい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められたの
でした。
 
★★七五三の本来の意味★★
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮
って、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自
由な日、という感じもしないわけではありません。
      
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、
この日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが
渇いてジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフト・ク
リームなどとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物
は大変高価ですが、奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心の
お祝いでは、こうなりがちですね。
 
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、
初めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしま
した。これを髪置(かみおき)といいます。
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はか
まぎ)といいます。
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新
しい着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)
といいます。
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。 
 
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の
子どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間
の子どもになることを
神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」と祝うのが、
本来の七五三の意味なのです。
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、
罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前
としての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳から
始まるのも、やはり、訳ありなのです。
 
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
 
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして
見ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなく
てはならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでも
あったのです。しかし、今は子離れのできないお母さんが、増えていると思え
てなりません。
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、私は子どもの成長過程をこう考え
ています。
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時代。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時代。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時代だということです。
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を
貸したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口を
はさみ、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。
 
五歳を過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん
自身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるもので
す。ここでも、「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、
「早くしなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、
自分でやろうとする意欲など育ちません。子ども達がいちばん嫌いな言葉は、
「早くしなさい!」です。できないから早くできないのであって、どれだけ無
理な注文をしているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、
お子さんと接するお母さんになってあげましょう。お母さん方が得意とする料
理、なぜ、レシピを見ないで素早く、上手に、美味しく作れるのでしょうか。
試行錯誤を積み重ねた結果ではありませんか。
 
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのも
お祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最
後の時期だと思います。
お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自
律心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であること
も、成長の理に適っているわけです。
 
★★千歳飴★★
七五三といえば千歳飴。記念写真を見ると、千歳飴と印刷された袋を持ってい
ますね。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。
袋には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁
や婆の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その
中に、これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、
江戸の宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の
一人であった平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めた
ものといわれているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大
きくなって、いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切っ
ても、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。でも、現代っ子は、食べて
いるのでしょうか。
 
★★人の一生の祝い★★
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳
新しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」と
なるかも知れません。
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じ
た、さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように
医学が進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でも
あったのです。本来、祝いの対象となる年齢は、生まれた年を1歳とする数え
年でしたが、今日では、生まれた年は0歳で翌年の誕生日の前日終了で1歳と
する満年齢で行われています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
 
[三日祝] 
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産
後ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
 
[お七夜]
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神
様に報告したものです。 
 
[お宮参り] 
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31
日に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませ
んから、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産
土神とは、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏
神ともいいます。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満
々です。
 
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、
ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自
分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
 
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句で
す。初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝
する日です。
 
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックス
ポケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を
入れると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという
意味です。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
 
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けてい
ただく  ために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体
的にも、子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあ
たるところから、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけ
です。
 
[成人式]
今は20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でし
た。奈良時代に起きた元服から始まった儀式で、ヨーロッパやアメリカにはな
いそうです。20歳になっても自由と権利だけを主張し、義務を無視している
自己中の子どもに育てるのは、親の責任不履行の結果ではないでしょうか。心
したいものです。
注 元服とは、奈良時代以降の男子の成人を示す儀礼、頭に冠を付ける意味。
  女子は裳着(もぎ)といって、平安時代以降、女子の成人を示す儀礼、
  初めて裳をきせるもの。裳とは、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、
  腰部から下の後方だけをまとった服。
       (「ウィキペディア フリー百科事典」より)
 
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達
した現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42
歳、女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意
現象として片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
 
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、
赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでし
ょうか。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
 
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじ
みの唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句だ
そうです。
(注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
 
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、
喜寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
 
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
 
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になるこ
とから、米寿の祝いとなりました。
 
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
 
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、
白寿とはしゃれています。
 
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108に
なることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108
歳の祝に。
 
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。高校
時代に漢文で習いましたが、それっきりで縁のなかった言葉でした(笑)。
 
[志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十有五にして学に志
    すから。
 [弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶる
    ことから。
[而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わっ
    て自分の立場ができあがる年。
[不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
    人生の方向が定まって迷わなくなる年。
[知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
    天から与えられた使命を知る年。
[耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
    修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
 
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、
昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけで
はなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」し
ながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、
お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに
託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考
えてみましょう。
 
ところで、日光の東照宮にある「三猿」の彫刻は、猿を通して人間の一生を8
面で表したもので、その2番目には「幼年期の3匹の猿」がありますが、こう
いった教えであるとは知りませんでした。
 
 いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の教えは、物心のつく幼年期には、
悪いことを見たり、言ったり、聞くことをしないで、良いものだけを受け入れ、
素直なままに成長させよという教えが暗示されている。
(「三猿の教え」東照宮ホームページより)
 
「三猿」でクリックすると教訓を読むことができます。「聞くは一時の恥、聞
かぬは一生の恥」ともいいますが、英語では簡単に“Ask much,know much”
(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、子どもにしっかりと教えたい教訓の
一つではないでしょうか。
(次回は、「11月に読んであげたい本1」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  日本の神さまでしょう  神無月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響と
ともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶの
ではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、
裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝
統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。その諏訪湖に
棲む龍神様の話です。
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集
まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる
出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集
まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1
週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神
様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな
訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句
が出始めると、「夜明けまえからここにいる」と声がしたので見上げると、天
井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、
「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて
行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾
が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいて
ほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜
神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇
が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に
「あり」という神様の紋がついていたそうです。
(日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 
 谷 真介 編著 金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒
様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主
命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に
建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向
きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではな
く、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなど
から、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味
する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)
というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられてい
たことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎
で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三が京三郎で京都御所の大極
殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御
所の大極殿というわけです。
(神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109
 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)
あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、
48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。高所恐怖症
の私には登れません。
 
井沢元彦氏の「卑弥呼伝」(集英社 刊)には、殺人事件を絡めて、卑弥呼が
殺された原因は日食にあったことや、邪馬台国の位置、政治体制から伊勢神宮
と出雲大社の関係がわかりやすく解き明かされています。天照大神が男神であ
るとの推理は江戸時代からあるそうで、哲学者、梅原猛氏の推論を紹介してい
る話には驚かされました。江戸時代は儒教が盛んで、男尊女卑が浸透していま
したから女神では気に入らず、天皇より将軍が威張っていたので、こういう発
想も自由にできたのでしょう。戦前のように、天皇が神格化された皇国史観の
時代にこういうことを言えば、「私は間違いなく死刑」と梅原氏はおっしゃっ
ていましたが、こういった本を読むたびに、不備なところがあるとはいえ、民
主主義の世の中に生まれてよかったと感謝せざるを得ません。
 
古事記には、大和朝廷が誕生するまでの熾烈(しれつ)な勢力争いが語られて
いると先生は分析しています。古事記は、語り部の稗田阿礼の覚えている話を
太安万侶が書きとめたといわれていますが、何人もの編集者がいて、その陰の
チーフは藤原不比等で、古事記と日本書紀を編纂し、日本建国の経緯を記録し
たものとの説は説得力があります。さらにその意を深めてくれたのは、阿刀田
高氏でした。
 
これからの数行は、学問的根拠の薄い私の文字通りの私見なのだが……神話と
いうものが歴史に入り込むのは、たいてい王国が興隆を極めた時である。周囲
の群雄勢力を平定し、強力な国家が誕生し、権勢ゆるぎない王が君臨すると、
「俺の血筋はそんじょそこいらの馬の骨とは違うんだ。ずっと昔から由緒のあ
るものとして、かくかくしかじかの歴史を持っているんだぞ」と、その礎(も
とい)の確かさを文献として残したくなる。つまり神から与えられた王座なん
だということを、あと追いの形で記録したくなる。古事記も日本書紀もそうだ。
他にも類似の例はたくさんある。
(「旧約聖書を知っていますか」 阿刀田 高 著 P241~242
 新潮社 刊)
 
イザナギ、イザナミの尊(みこと)の国造りの後、出雲族と天孫族が争い、天
孫族が勝って大和朝廷が誕生。律令国家として基礎固めが出来た時、国家の柱
となる天皇家とそれを支える藤原一族の繁栄と権威づけるために書かれたのが
記紀だとなると納得できますね。初代の神武天皇から九代開花天皇までは、百
歳をこえる年齢から実存しなかったのではと諸説紛々ですが、面白いのは、日
本はイザナギ、イザナミの尊が相和して国を作ったのに対し、旧約聖書によれ
ば天地創造は、「在って、在り続ける者」という神さまが7日間かけてお一人
で創られたそうです。神様には名前など必要ないのでしょうが、モーセがお伺
いを立てたところ「在って、在り続ける者」とお答えになったとか、阿刀田氏
の受け売りですが(笑)。
 
事実云々はともかくとして、古事記の「天地開闢」、旧約聖書の「天地創造」
を経て世界は誕生し、神武天皇から神話の世界は終わり、聖書では神様がアダ
ムとイブを作り、禁断の実を食べ神の園を追放されてから人類の歴史が始まり、
新約聖書の時代になったと考えるとわかりやすいのではないでしょうか。それ
にしても、常に宗教がらみの部族間、国家間の争いに終始しているのは、どう
したことでしょうか。紀元前13世紀頃、モーセに率いられてエジプトを脱出
し、イスラエルが建国されたのは1948年で、何と3000年という想像を
絶する歳月が流れたにしては、その後も争いが続いているのですから、熱しや
すく冷めやすいわが民族では、想像できないことです。その辺の経緯は、阿刀
田氏の「旧約聖書を知っていますか」に書かれていますが、肩の凝らないしゃ
れた表現がわかりやすく、興味のある方には、一読をお勧めします。
 
先に紹介しました「天の岩戸」の後には、「八俣大蛇」「因幡の白兎」「海幸彦と
山幸彦」の話が続きますが、私の年代では、子守唄代わりに聞かされていたと
記憶しています。およそ1300年前に書かれたものですが、今ある地名がた
くさん出てきますから、何やらタイムトンネルに迷い込んだような気持ちにな
りますね。
読んでみると、人間味あふれる神話から、なぜ、戦前に天皇の神格化というプ
ロパガンダ(組織的な主義、思想の宣伝活動)が生まれ、日本民族がのめり込
んでいったのか、不思議な気がしてなりません。この経緯を司馬遼太郎の「竜
馬がゆく 風雲編」(文芸春秋刊」や「この国のかたち 第3巻」(新潮社 
刊)に書かれており、力不足で足踏みしていますが、いつか紹介したいもので
す。
その「因幡の白兎」ですが、平成23年4月から教科書に採用されています。
戦後の教育では、古事記の神話は事実でないことから全部、否定され、軍国主
義復活の基になると切り捨てられ、日陰の存在として無視されていましたが、
これは歓迎すべきことではないでしょうか。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、
本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替え
る20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊
勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け
込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時
空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大
社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏
は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者で
はありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、
豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いま
すが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになっ
たもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは
天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。
おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を
解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(は
ばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、
「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401
より要約)
 
落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪
変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成にな
っている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある
日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯
ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな
食べ物を半分あげかわいがりました。       
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引
いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽ
を巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引い
てくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。それから、
うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができ
ません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、
お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を
首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力
が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の
声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘に
なって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、
幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話   きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修
           日本民話の会・編 国土社 刊 
 
池波正太郎の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があり
ます。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺さ
れてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもら
っていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮ら
しで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小
判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の
恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だ
そうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の
欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「す
るりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓
前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見る
ことができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔
がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、
墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人と
もお役に立っているようです(笑)。
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでし
ょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、
若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出か
けたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く
手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人
いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知
し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、
かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、
家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。
老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、
誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と
娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何か
あると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠っ
たふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模
様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げ
ようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりで
こするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づ
いた鬼は馬に乗り追いかけていきました。倒れていた大木を若者の馬は跳び越
えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。
倒れていた大木をみると榊でした。無事に家へ帰った若者は、それから神さま
を拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話
   赤羽 末吉 画       福音館書店 刊 
     
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めで
たし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷ
ぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うよう
です。
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作が
そろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草
木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さま
あり」ならではの話です。
     
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行
くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。和
尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さ
んはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、
和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。
少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、
水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった
小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありまし
たが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の
下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢がで
きません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシ
ャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの
頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴り
ました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭
は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせには、神
さまも吹き出すことでしょう。     
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなこ
とをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、
全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
      
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを
助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある
家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違い
だとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれ
ば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほし
い。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が
経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。
そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが
晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷
をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は
三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節
句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は
八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺
れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見
えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺
めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年
続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、
助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうし
て、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も
家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでし
た。     
 世界民話の旅 9  日本の民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊 
    
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を
招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話がある
ほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られない
ようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、
部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になる
のですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「た
くさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本
では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、
笑ってしまいますね。しかし「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す、
恙(つつが)なきや」、隋の煬帝に送った聖徳太子の国書ですが、「その意気
やよし」で、私は好きですね。「中華思想に負けてなるものか」ですよ。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣い
た赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。神話や民話は、私達祖先
の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こう
いった昔話ではないでしょうか。子どもは親が解説しなくても、分化されはじ
めたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていき
ます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。わが子を溺愛
する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操
豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。
そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。二人の子ど
もを育てた実感ですが、子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、
干渉していいのは、躾です。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教える
のはご両親です。
 
携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、躾が出来ていないと痛感しま
すね。なぜ、混んでいる道路などで、歩きながら見なければならないのかな。
そんなに急いで処理しなければならないほど切迫した事情があるとは思えない
が、他人に不快感を与えているのかわからないのかな。スマホを見ながら自転
車に乗っている若者、あれは病気ではないかな。世の中、そんなに安全なとこ
ろなどあるわけがなく、周りの者が気を遣っていることに気づかないのかな。
全くの自己中で、格好悪い。何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持
ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのではないだろうか。
「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心
であり、子どもにとっては、最高の有難い手本であると考えますが、若い皆さ
ん方は、どうお考えでしょうか。  
 
近くの小さな不老川の川辺には、彼岸花(曼珠沙華)が一斉に咲きました。花
言葉からも悪役的な存在で、ひっそりと咲く孤独な花と思っていましたが、埼
玉県日高市の「ひだか巾着田(きんちゃくだ)」、約500万本、一面真っ赤
で圧倒されました。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  神無月、風流です(2) 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。
私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇にはご先祖の位牌が、神棚に
は天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には氏神さまを祭った小さな祠があり、
父が、毎朝、この三つに、お水をあげて、お参りするのです。それが終わらな
いと食事は始まりません。仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でし
た。まだ、本地垂迹説など知りませんでしたから。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに
永遠に愛し
合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何
ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらに
もめたりしていますが、いろいろな教えや真情などの、よいところを少しずつ
いただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょ
うというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒
教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけ
ではないでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思
います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけ
で、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。
 
しかし、これだけはいえると思います。
木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、
出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気
持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでし
ょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」
「長い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作
品)などの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、
さすがと感激しました。
 
 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日
とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束
はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭でき
る神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 
[山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)山本周五郎 著 新潮社 刊]
 
またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、「なにごとの 
おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」これではないで
しょうか。私の勝手な思い込みかも知れませんが……。また、松尾芭蕉は、伊
勢神宮に参拝した折り、「何の木の花とはしらず匂哉(にほひかな)」と詠んで
いますが、和歌と俳句の違いというのでしょうか、和歌は心情を詠いあげてい
ますが、俳句はぐっと抑え込み読む者に任せる、といった感じがしますね。素
人のたわごとですが、以前に紹介しました五木寛之氏の「短歌はリズム、和歌
はメロディー」を思い出します。
「知らねども」「とはしらず」、いい言葉ですね。これが日本の神さまの姿で
はないでしょうか。
 
余談になりますが、私は山周こと、山本周五郎、大好き人間です。何かの随筆
で、「周五郎の嫌いな作家は川端康成」を読んだのですが、出典名を思い出せず
紹介を控えていました。不思議なもので、今年も置き場所のなくなった本を整
理しようと読み返していたところ、見つかったのです。周五郎が家を借りに行
ったところ、大家から「作家には貸せない」と断られ、その理由を聞くと、
「半年の家賃を踏み倒し、引越料をふんだくられたからだ」という。「誰です
か、その作家は?」と尋ねたところ、「川端康成」だったそうで。「これは許
せない!」と激怒。信じがたい話で、そういう時もあったといえばそれまでで
すが、「家を建てた大家の苦労を考えれば許せない!」と怒る周五郎の頑(か
たく)なな潔癖さがたまらなく好きなのです。埼玉県人ですが、某元都知事、
許せません。
([混沌の時代を生き抜く帝王学ノート P171~173より要約
 伊藤肇 著 PHPT文庫刊)
 
話を戻しまして、松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小
泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その
感動をこう述べています。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさし
く「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかな
る信仰もなし得なかったことである。
  (神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編
                      講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡
です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ない
ものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の
源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」
で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをしま
す。
出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度
打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一
般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させて
いただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれていま
す。
 
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから
参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を
[正中(せいちゅう)]といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが
正しいとされているそうです。明治神宮へ参拝した折り、「真中は明治天皇さ
まがお歩きになるので、わしらは端を歩くんだ」といって、端っこに寄せられ
た記憶があります。「天皇さまは神さま?」と聞きたいところでしたが、なに
しろ親父にとって昭和天皇(昭和30年代でしたから正しくは今上天皇)は、
現人神(あらひとがみ)でしたから、おっかなくて黙って歩いていました(笑)。
 
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、
これは外人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺
せます」というのと同じだそうです。
 
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時
記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうし
ても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り
事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてし
まいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約し
たもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。
勿論、私たちの年代、1940年生まれのものには、懐かしい話ばかりです。
僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記し
ました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌ
ボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げま
した。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下り
た二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本
列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の
神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコ
トは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれと
イザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生ま
れるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒
り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追
いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を
一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千
五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人
が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介し
たように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリ
シャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱失する際に、「振り向
かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じで
す。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナミは、身を清めるために体を洗い、いろいろな
神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラ
スオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと
海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツ
クヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きた
いと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。ア
マテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサ
ノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ
込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩
屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も
広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた
のです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いで
いるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸を
ひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の
戸隠山となったということです。
 
全くの余談ですが、東宝が1959年に、古事記を題材にし、主演三船敏郎で
制作した「日本誕生」で、アマテラスを演じたのは、伝説的な女優、原節子で
したが、2015年9月6日、冥界入りしました、享年95歳。ちなみに
YouTubeの予告編で、その美貌を見ることができます。岩戸の前で踊った神さ
まは音羽信子でしたが、若い皆さん方は、知らないかもしれませんね。(合掌)
 
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩
戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びにな
り、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワ
シノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、
諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、
浅草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ
戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を
祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を
鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武
尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。
                    (「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本
武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝
説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁
起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩とも
なっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかの
ぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守り
になったとは知りませんでした。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄
の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)
をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなお
かめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の
流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さん
にも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わった
そうです。
 
ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、そ
れはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶がある
のですが、定かではありません。
 
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィー
ンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を
祝い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊
もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀
元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそ
うです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、
ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子を
くれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、
日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようで
すね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりに
も狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地
獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がく
れた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャック
はそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という
言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボ
チャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりまし
た。  (『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理で
すね(笑)。
 
今年は台風の当たり年、などと言っては不謹慎のそしりを免れませんが、東北、
北海道方面に大被害をもたらしました。「日本の神さま、しっかり守ってくだ
さい!」と言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみません。私
が教室へ出かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、
いわゆる海抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、更に護
岸を高める工事が行われています。万が一の災害に備える防災対策は、決して
手を抜けないもので、「スーパー堤防は必要ですか」とおっしゃった政治家が
いたと記憶していますが,絶対に必要だと改めて思いました。
熊本地方の余震、収まらないことが気にかかりますね。
(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第44号-
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第12章 日本の神様でしょう  神 無 月(1)
 
神無月(かんなづき)は「かみなしづき」とも「かみなづき」ともいわれてい
ますが、そのいわれは、この月には、全国の神さまが出雲大社に集まり、男女
の縁結びの相談をすることから、神さまが留守になる「神無い月」というのが
わかりやすいですね。反対に、出雲地方では「神在月」となります。
これにも異説があり、「神嘗月(かんなめづき)」「神祭月(かみまつりづき)」
という説、おもしろいのには、10月は雷がならなくなるから「雷なし月」と
いうのもあるようです。
 
              ★★神無月、風流です (1)★★ 
何だか、おかしなテーマです。
神無月といえば、昔の十月の呼び名ではありませんか。睦月、如月、弥生、卯
月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、そして師匠も忙しく走
る師走ですが、何やら情緒があります。弥生賞、皐月賞というと、競馬の好き
な方には、おなじみでしょう。今まで紹介してきましたように、どの月も季節
感があります。詩情豊かで、こたえられません。1月、2月、3月よりも、睦
月、如月、弥生といった方が、何やら、雅やかな感じがしないでしょうか。
「年だからですよ」といわれそうですが、私は好きです。
 
その一つの神無月。
先程もお話しましたが、読んで字のごとく「神さまのいない月」です。とにか
く、日本人ほど、神さまの好きな民族は、いないのではないでしょうか。「八
百万の神」といって、何しろ八百万人、いや、神さまは人ではありませんから、
八百万の神さまです。「やおよろずの神」と読みますが、八百万の神さまがい
るわけではなく、たくさんいらっしゃるという意味でしょう。それにしても豪
勢ではありませんか。
 
若いお父さんやお母さん方には、あまり縁がないかもしれませんが、一軒の家
の中にもいろいろな神さまが住んでいらっしゃったのです。「いらっしゃった」
と過去形になっているのは、最近では、神社にしか神さまはいないと思われて
いるからです。
 
門には門神さま、家を守ってくれる家神さま、福の神と貧乏神がいらっしゃっ
たそうです。
台所に入ると、ガス、水道、電気のない時代ですから、あちらこちらに神さま
がいらっしゃって、火の神さま、水の神さま、かまどの神さま、井戸の神さま、
納戸の神さま、便所の神さまが、庭に出れば木の神さま、石の神さま、草の神
さま、花の神さま、外には山の神さま、川の神さま、森の神さま、まだいらっ
しゃいます、日の神さま、雲の神さま、風の神さま、雨の神さま、仏教でいう
ところの「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」をまね
ると、こんな言葉はないでしょうが、「神が宿る」と解釈して、「山川草木悉皆
宿神」でどうでしょうか(笑)。(悉皆“しっかい” ことごとく)
 
とにかく、どこにでも神さまがいらっしゃったわけです。人の集落がある所に
は、必ず、その土地を守る鎮守さまがあって、人々の生活と密接な関係をもっ
ていました。いろいろと取り上げてきた年中行事にも、こういった神さまが顔
を出し、大いに楽しませてくれます。四季折々の大きな祭りから村祭りや、家
ごとの祭りまで、主人公は、こういった神さま達です。ある時期まで、日本は
農耕社会でした。頼りは、自然ですから、神頼みにならざるをえません。でき
るだけ災害が起きないように、そして、秋には豊作を願い、神さまにお祈りを
したのも当然なのです。
 
ですから、キリスト教やイスラム教などとは違います。
これらは、正真正銘の宗教です、こんなことばが適当かどうかわかりませんが。
異教徒とは、絶対に相容れません。中近東の戦争も、原因は、宗教でしょう。
しかも、気が遠くなる程の、はるか昔、聖書の時代からの戦いです。アイルラ
ンドのカトリック派とプロテスタント派との争いも、インド、パキスタンの紛
争も、シリアの内戦も、信仰や民族間の争いに根ざしていますから、深刻にな
らざるをえないでしょう。かつてのユーゴスラビアに対するNATOの攻撃も、
キリスト教とイスラム教の戦いで、昔は十字軍が出かけて行き、けしからんと
やったあの戦いが、ずっと続いていたのです。イスラエルとパレスチナの争い
も同じで予断を許さない状況のようです。さらにイスラム国のテロ事件、国際
連合は、何のためにあるのか、嘆かわしい限りですね。
 
我がご先祖様は、仏教が盛んになった奈良時代に、日本の八百万の神さまは、
菩薩さまを始め様々な仏さまが化身して、日本の地に現れたものだと考えた本
地垂迹説を唱え、神さまと仏さまを一緒にお祀りしたのですから、争いごとは
大嫌いなんですね。仏教興隆に力をつくした聖徳太子の「和を以って貴しと為
す」は、神仏の世界まで浸透しているのですから、すごい話ではありませんか。
 
ところが、明治維新の神仏分離の影響で「仏教破壊運動」があり、寺や仏像な
ど数多くの貴重な文化財が壊されました。毎度お世話になりますが、この騒動
を簡潔明瞭に解説した話が、澤田ふじ子さんの小説にありました。
 
維新政府は新しい政策の第一段として、太政官布告で「神仏分離令」を発した。
江戸幕府は仏教を宗教政策の根幹にすえてきた。しかし維新政府は、今後の王
政復興は神武創業の初めに基づくものであり、神社神道をもって宗教政策を行
い、(中略)。神道の国教化をはかったのだ。祭政一致を唱え、神祇官が復活
される。仏教を祭ることが禁じられ、神前から梵鐘、仏具、鰐口(わにぐち)
などの撤去が命じられた。そしてこの神仏分離令は、寺請(てらうけ)、宗旨
人別改めの廃止などとともに、政府の意に反して過激な「廃仏毀釈(きしゃく)」
にと発展していく。
全国的に廃仏が行われ、同時に多くの寺院が破却された。畿内でも国宝的価値
を持つ寺院や仏教美術がつぎつぎに壊され、また焼かれた。奈良・興福寺では、
大勢の僧侶が春日神社の神官となり、寺宝は私物化され、現在国宝になってい
る五重塔が、二百五十円で売られるありさまだった。だが塔は幸い解体費が高
くつくため、破却をまぬがれた。
  〔雪 椿 澤田ふじ子 著 P274 廣済堂文庫 刊〕
[引用者注]
寺請(江戸時代に庶民がキリシタン信徒ではなく檀徒であることを証明された
制度)
          
興福寺の五重塔は、皆さん方も修学旅行で訪れたと思いますが、もし解体され
ていれば、猿沢の池だけでは写りが悪いですね。幸い、仏教派と神道派が、ま
なじりを決するほどの争いにはなりませんでしたが、徳川幕府により日陰の存
在として頭を抑えられていた神道が復活し、再び神様が姿を現したのでした。
討幕派の掲げた錦の御旗は、皇室のご紋である菊ですが、やはり意味ありなん
ですね。
 
ここまではよいとして、皇国史観を旗印に突っ走り、上りつめた「坂の上の雲」
から見た日本は、2発の原爆とB29のじゅうたん爆撃を受け、焦土と化した
無残な姿でした。そこから立ち上がった日本民族ですから、皆さんのお子さん
が、誇りをもち、夢を抱いて生きていける環境を、何としても作ってあげるべ
きではないでしょうか。
平成26年に、朝日新聞社が誤報を認めましたが、世界中に報道され、慰安婦
像まで建てられ、セックススレーブ(性奴隷)なる言葉まで広まってしまった
事実を、どうするのだろうか。素朴な疑問ですが、社に勤める方々は、次世代
を背負うわが子や孫が、世界中の人々から、どういった目で見られているか考
えたことがあるのでしょうか。「わが子だけは」と思うのは「親バカなんとか」
で、烙印を押された日本の子ども達は、全員、同じ視線にさらされるのですか
ら、凡人の私には不思議に思えますね。親父が生きていたら、「そんなに中国
や朝鮮がいいなら、さっさと移住すればいいじゃねえか!」とマジに怒るだろ
うな。
 
平成27年8月14日に発表された安倍首相の談話で素直にうなずけたのは、
「あの戦争に何ら関わりのない私達の子や孫、そしてその先の世代の子ども達
に、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」の部分で、子どもや孫、その
先の世代の子ども達のことを考えれば、答えは自ずと出るのではないでしょう
か。家庭を築き、安心して生活できる環境を作り、妻や子を守る、それを妨げ
るものには命をかけても立ち向かっていくのが父親であり母親ですが、健全な
財政確保と安全、政治も基本的には子育てと同じだと思いますが、若い皆さん
方はどうお考えでしょうか。
 
百田尚樹氏の「カエルの楽園」を読み、つくづく感じたのは、新聞の使命は
「正確で公正な報道であること」です。いわゆる「朝日新聞論法」を分かりや
すく実証した作品で、「殉愛」でこけた私でしたが、久しぶりに新刊本を購読
しました。「憲法九条さえあれば日本は平和である」と考える皆さんに読んで
頂ければと思いましたが、ネットには「左翼にとっては最悪の本」と出ていま
したから、難しそうですね。ウシガエル、デイブレイクとハンドレットなどい
ろいろなカエルが出てきますが、何を想像されますか。ウシガエルはまさにそ
のもので、後の2匹は“Day break”(夜明け)と“Hundred”(百)ですが(笑)。
占領軍であったアメリカの作った憲法を、左翼陣営が「改訂反対」と叫んでい
ることが不思議な気がするのですが……。議論は慎重に、しかし「反対」だけ
では国を守れません。
 
それはさておくとして、日本の神さまは、他の国の神さまとは違います。昔の
神さまは、いってみれば人間と同居していたのです。ですから、願い事は、す
ごく現実的で、日々の生活に密着していました。しかし、今の神さまは、怒っ
ています。何しろ、困った時だけの神頼みですから。正月にしか顔を見せない
人が、多いのではないでしょうか。安いお賽銭で、厚かましく、いろいろと祈
願しても、それは無理というものです。
 
神無月は、その神さま、八百万の神さまが、島根県の出雲大社にお集まりにな
る月で、盆暮れの民族大移動の比ではありません。何しろ、八百万の神さまで
すから、スケールが違います。
「神迎祭(かみむかえさい)」といい、集合日は旧暦の10月11日。場所は
稲佐浜(いなさのはま)、八百万の神さまは、竜蛇神(りゅうじゃしん)に導
かれ、海からお集まりになりまして、出雲大社へ向かわれます。滞在期間は、
17日までの7日間。神々のお宿は、境内の東西に並ぶ「十九社」、何とも素
朴な建物です。
 
本殿では、11日、15日、17日に「神在り祭(かみありさい)」が行われ
ます。本殿の高さは24メートル、大社造といわれ、わが国、最古の神社建築
様式で、神話でおなじみの「だいこくさま」と呼ばれている「大国主大神(お
おくにぬしのおおかみ)」が祀られています。
境内には、古代本殿の跡が発掘されており、何と柱の高さが8メートルもあり、
復元図を見ると、古の人々、平安時代の高度な建築技術に、たまげましたね。
驚くついでにもう一つ、拝礼を行う「拝殿」には、長さ7メートル、胴回り4
メートル、重さ1.5トンのしめ縄が、デーンと飾ってあります。このしめ縄
ですが、普通の神社で飾る向きと逆になっています。(これを覚えておいてく
ださい)
 
話題の中心は、何といっても自然災害回避、生産性向上、五穀豊穣、家内安全
です。       
たとえば、雨の神さまには、「えこひいきせずに全国に万遍なく雨を降らせな
さい」とか、風の神さまには、「稲が花を咲かせ実をつけるころには、情緒不
安定にならないように配慮してほしい」とか、雲の神さまには、「日輪の神さ
まと仲良くしてほしい」とか、「下野の国の何々村は、信心深いので豊作にな
るよう心してほしい」などと話し合うのでしょう。
 
次に、何といっても神さまの大切なお仕事は縁結びです。
こういうところが好きですね。子孫を残さないと神さまの存在意義がなくなり、
寂しいからだと推察します。いろいろな神さまが、適齢期の男女の情報を交換
し合い、これがよかろうと縁組を決め、次々と赤いひもを結んでいく、これが
「赤い糸」の伝説です。今はキリストの前で、愛を誓うのが流行っていますが、
昔は何といっても神前結婚でした。神さまに、添い遂げることを誓ったのでし
た。成田離婚など、赤い糸も頼りなくなりましたが、神さまも首を傾げている
のではないでしょうか。何といっても情報過多社会です。もしかしたら、神さ
ま方も混乱しているのではないでしょうか。そういえば、すっかり酔っ払って
しまった神さまが、変な糸の結び方をしてもつれてしまい、三角関係を作って
しまった落語があったと記憶しています。最近、若者に縁結びが少なくなって
いるのも、もしかすると、神様を蔑(ないがし)ろにしていることへの戒めで
はないでしょうか。(笑)。
 
誠に僭越な話ではありますが、普段、神さまは、どうやらお眠りになっていら
っしゃるのではないかと思える節があるのです。
神前で何かが始まるとき、必ず、大太鼓をドンドンと打ち鳴らし、神主さんも
「ゥ…………」と、これまた大音声を発します。仏さまも、鐘や木魚の音がお
好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会でも、ミサの始まる
前に、パイプオルガンをガンガン奏(かな)で、いや、荘厳に演奏し、賛美歌
を歌います。いずれも、神さまにお目覚め頂くための儀式ではないかと思えて
なりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。神
さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神さ
まの中には、酔っ払って人に迷惑をかけるお方もいるかもしれません。何しろ
日本の神さまは、お酒の上での問題には、実にご寛容です。その証拠に、神事
にはお酒を欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
ですから、民話や昔話には、実に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考え
ても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が出
てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢があ
るのです。そうです、夢があるんですね。夢や希望をもたせる、これも神さま
の大切なお仕事です。
 
そして25日(原文のまま)は、神さまが出雲を去っていく日で、この日を神
去日(かんさらび)といい、その夜は明るいうちから戸を閉め、外の便所にも
ゆかなかったとか。その頃から吹き始める季節風、西南西(あなじ)が、あた
かも神さまが道路を駆け去って行く風の音と考えられ、恐ろしさに震えていた
そうです。
(「菜の花の沖 2」P242 司馬遼太郎 著 文春文庫 刊より要約)
 (次回は、神無月、風流です2についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第43号-
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第11章  お月見です   長 月 4
【九月に読んであげたい本】
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があ
ります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説
明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
 
◆良寛と月とうさぎ◆   良寛 著
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神
様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を
着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと
歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言
うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎ
だけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮ら
していると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、
悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげ
られないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしま
ったのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、
猿も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。
中でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体
になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月ととも
に輝くのだ」と神様は
言ったのでした。       
 「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさ
ぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでし
た。
 
少年少女・類別/民話と伝説-二九  日本の心をうつ話
 関 英雄 編著 偕成社 刊 
    
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀
に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ
注訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになっ
ているのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙
ながらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、
中国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。
それを良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが
跳ねていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のま
だらなクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どち
らが子どもの感性を育むのでしょうか。
 
ところで、「月にむら雲、花に風」といいますが、これは名月には雲がかかり、
せっかくの月が見えず、満開の花には風が吹き、花を散らしてしまうことから、
「良いことはとかく邪魔が入りやすく、思うようにはいかないものだ」という
たとえですが、しかし、雲一つない夜空に、こうこうと輝く月よりも、一片の
雲のかかった月の方が趣もあり、月を肴に一献、かたむけたくなります。
 
      散る桜 残る桜も 散る桜
 
良寛さんの作品です。子ども達は、良寛さんの屈折する心を知っていたのでし
ょうかなどと、馬鹿なことをいっていますね、笑ってください。
 
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思いださない方はいないのではないで
しょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌って
います。その二番の歌詞ですが、
 
二、なんと おっしゃる うさぎさん  そんなら おまえと かけくらべ
  むこうの 小山の ふもとまで  どちらが さきに かけつくか
 
とあります。私が子どもの頃に見た挿絵は、小山の天辺にゴールの旗が立ち、
そこでかめさんが、両手をあげて、ガッツポーズをしていましたね。歌詞と違
っているのではと、子ども心にも思ったものですが、今は、どうなのでしょう
か。
 
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、
続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが、「子うさぎをよこせ!」
と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰
ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福
娘童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまい
ました(笑)。このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載さ
れたときの題名は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
 
次の話を読んでいると、外国の名作を思い出しませんか。
グリム作の「狼と七匹の子やぎ」です。子どもと鬼ばさのやり取りは、子やぎ
と狼のそれと、そっくりです。怒られそうですが、船戸与一氏風にいえば、思
わず「グスッ!」と、笑ってしまいます。
氏の「蝦夷地別件」(上中下3巻 新潮文庫)は、倭人と先住民アイヌとの戦
いを描いた作品ですが、アイヌの人々の憂いを秘めた目は、ここに原因がある
のだなと考えさせられたものです。アメリカの先住民インディアンと白人の戦
いは、日本にもあったわけで、映画「幌馬車」や「黄色いリボン」で、いつも
悪者にされていたインディアンは、白人が作った虚像でもあったのです。スペ
インの内戦を描いた「カディスの赤い星」などの著者、逢坂剛氏は、スペイン
内戦、ギターとフラメンコ、映画の西部劇に詳しい、大好きな作家ですが、シ
ベリア抑留の疑惑を追及した「牙をむく都会」(講談社 刊)に、これを実証
する話が載っています。
 
歴史とは、残念ながら、生きている間に真相を知り得ない事件が多いようです。
桓武王朝期、統一国家をめざし、坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐する経緯
を描いた澤田ふじ子さんの「陸奥甲冑記(みちのくかっちゅうき)」(中央文
庫 刊)といい、源頼朝が藤原一族の築いた陸奥の文化を抹殺する過程を描い
た梅原猛氏の「日本の深層」(集英社文庫 刊)といい、松前藩のアイヌ人を
苛酷なまでに搾取する「菜の花の沖」(司馬遼太郎 著 全6巻 文春文庫 
刊)といい、無知を叱責される思いで読んでいますが、「活字中毒症であれば
こそ」と感謝しています。しかし、いくら国家成立の大義名分があっても、そ
こに住む個人の命など、まるで虫けらのように切り捨ててしまう理不尽な行
為が、なぜ許されるのか。運命を定める神がいるのなら、何を基準にしている
のかと詰問したい。(痛憤・激怒)
    
◆てんとうさまと金のくさり◆   おざわ としお 再話
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでい
ました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけな
い」と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さ
んに化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母
さんはきれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、
きれいな声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて
手を見ると毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、
閉めてしまいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けて
おくれ」と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ば
さの化けた母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
 「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
 「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけ
てきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」
と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りに
しますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」
と、言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追
い詰められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。
すると、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。
鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶら
さがりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさ
の血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
    日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話
       赤羽末吉 画 福音館書店 刊 
    
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、
鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話
もあります。 2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレー
テル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリム
の「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑い
たくなるはずです。
    
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている
話とそっくりです。
 
◆ぬかふくとこめふく◆
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実
の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、
「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴か
ら落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってし
まったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった
母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋
に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのです
が、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続き
ます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、
「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふく
は、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふく
が、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくで
はないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わる
ことに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰っ
たのです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事を
していました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たち
が足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬ
かふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭
りには行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み
比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、
小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだの
でした。     
おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話  
水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊 
 
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻
限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後
の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
     よんべな こいた ねこのくそ  水けだった 毛だった
        今朝 こいた ねこのくそ  息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
       ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
        雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小
袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばら
しいではありませんか。
 
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうで
す。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に
「サンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム
兄弟の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、
どうやら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそ
うです。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのです
が、その真偽は定かではありません。
  注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表
    現の話に作り上げたもの。
 
ところで、「おしん」といえば橋田壽賀子さんの名が浮かびますが、坪内逍遥
にも「おしん物語」があります。
 
“おしんという少女は、ある町の商家のむすめで、十歳の時、実の母に死に別
れた。運わるくも、後の母は、善くない人であった。おこまという連れ子と二
人で、おしんを憎み、父が留守になると、いろいろと無理を言って、いじめる。
裁ち縫いから、拭き掃除、流し元の仕事、走り使いまで、おしんに言いつけ、
髪も結ってやらず、粗末な着物を着せて、下女も同じように遂(お)い使う。
おこまは、それに引きかえて、常普段、絹物ぐるみで、我儘勝手に遊び暮らし
ている。それでも、心だてのよいおしんは、少しも怨まず、すなおに、言う事
を聞いて、仕えていた“
と、冒頭の数行から見れば、おわかりのように、これは私たちがよく知ってい
るシンデレラのお話にほかならない。シンデレラがおしんだって「坪内先生も
シャレているね」と、ほほえましい。坪内逍遥の苦心はさらに細部に行きわた
り、おしんを助けてくれる魔法使いは弁天様、ガラスの靴は扇に変わり、閉じ
た扇の絵柄を正確に当てることがおしんの確認方法となっている。
 明治三十三年発行 国語読本 高等小学校用・巻1より
   (「物語風土記」 阿刀田 高 著 P353~354 集英社 刊)
 
同種の話は、東日本を中心に数十話を超えて分布しているそうですが、逍遥版
シンデレラが教科書にあるのがいいですね。代表作「小説神髄」「当世書生気
質」、「シェークスピアー戯曲の翻訳」などで知られていますが、こういった
しゃれた作品があるとは、全く知りませんでした。早稲田大学校内の記念演劇
博物館前に胸像が立っていますが、とても想像・・・、いや、さすがですね。
 
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共
通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、
口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのです
が、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、
兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙
な名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座
に記憶してしまうようですね。
 
◆ちょうふく山のやまんば◆   今村 素子 著
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、
お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人
も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、も
との月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいませ
ん。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役を
いいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途
中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、も
ちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人
も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていき
ます。
やまんばの家に着くと、
「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのではと
心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこ
いというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを
捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得し
たのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日
だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使って
も、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝い
となりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに
戻っていたのです。   
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
  日本むかしばなし 7  おにとやまんば 
   民話の研究会 編  松本 修一絵 ポプラ社 刊
 
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」など
も読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶していま
す。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べ
た話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなり
ますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
 
公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得と
していた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるのが
それで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるのだ。
山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられている
が、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、知恵
の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として決
め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉
(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
(祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279
 澤田ふじ子 著  中央文庫 刊)
(引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
 
パソコンで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子
ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、
長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、
子ども達には見せられません。
 
猛暑から一転して秋へ、台風のせいでしょうか。でも、まだ、油断はなりませ
ん。
(次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)
 

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