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めぇでるコラム : 2020保護者: 2019年1月

さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第13号
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第4章 節分と建国記念の日でしょう  如 月(1)   
 
 祝 大坂なおみ選手 全豪オープン初優勝!
   史上26人目の世界女王に輝く!
   昨年の全米オープン初制覇に続く4大大会2連勝の快挙、すごい。
   しかし、疲れますね、応援している選手のテレビ観戦は(笑)。
 
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
 
★★二月といったら、節分、豆まきでしょう★★
父が煎った豆の入っている一升舛を持ち、玄関から始めて、すべての部屋の窓
を開け、
「鬼は外!福は内!」とやるのですから豪勢でした。終わって豆の配分になり
ます。自分の年に1つだけ上乗せした数だけもらえました。父は40数個あっ
ても、私は10本の指に満たない数です。これが不満でしたが、不満を解消す
る道は残されていました。部屋にまかれた豆を拾って食べるのは、黙認されて
いたからです。「汚い!」と思うかもしれませんが、昔のお母さん方は、ほうき
とはたきと雑巾だけでまめに掃除をしていたので、廊下などは磨かれたように
光り、畳もいぐさの茎につやがある程でした。夕飯が終わると、皿を持って部
屋を回ります。豆を集め、それを食べるのが楽しみでした。
 
そして、こたつに入って父や母から話を聞くのが楽しみでした。現代っ子と比
べると、情報量は圧倒的に少なかったはずですが、自前で映像を作り上げる力、
イメージ化は、培われていたような気がします。鬼といえば、パンチパーマの
頭に二本の角が生え、真っ赤な顔に牙が生え、虎の皮で作ったパンツをはき、
金棒を持った、本当に恐い存在でした。地獄も閻魔さまも信じていましたから、
恐ろしかったのです。しかも電球は、蛍光灯のように部屋中を明るくしない、
60ワットの少々暗めの明るさなのです。何だかおかしな表現ですが、電球は、
かぶせてある電気傘の具合で、真下からその近辺だけ照らし、部屋の隅は、ほ
の暗いのです。怪談など聞いたときは、夜中に便所へ行けない雰囲気でした。
ところで、思い出はとかく誇張されやすいものですが、節分の夜に食べた脂が
のった鰯、おいしかったですね。ある女子大学で、魚介類の評価をしたところ、
上は鯛、下は鰯だったそうです。鰯、字からして頼りなさそうですが、新鮮な
握り鮨は絶品でこたえられません。しかし、柊と一緒に飾ってあった鰯の頭、
あの臭いには往生しました。あとで説明しますが、豆も鰯の頭も柊もそれなり
に存在理由があったのです。
 
「鰯」は日本人が初めてつくった漢語である。中国の辞典には載っていない。
日本人は鰯が好きで中国人は食べないのかもしれない。イワシは弱い魚だとい
うので、8世紀に早くも日本人が造語した一例である。
 (国民の歴史 西尾幹二 著 P107 産経新聞社 刊)
 
本書は、日本の歴史を1万年前の縄文時代から現代までたどった大長編(773
ページ)の労作で、その中に、いかにしてわが祖先が漢籍を読み下し、漢字をカ
タカナや平仮名にしたか、その経緯が書かれており、当時は「阿治(あじ)」「佐
米(こめ)」「乃利(のり)」と万葉仮名のように音読みにしていたのが、この「鰯」
だけは初めて訓読みで表されていることから、造語の第一号になったそうです。
わが祖先の繊細な感性がうかがえる話ではないでしょうか。
 
★★節分って……?★★
文字通り「節」を「分ける」ことで、「節」とは季節、四季のことですから、季
節の移り変わるときという意味です。昔は月が地球を一周する時間をもとに作
った暦、太陰暦を使っていました。今は地球が太陽の周りを一回りする時間を
一年とする暦、太陽暦です。その陰暦で季節の区分、その変わり目を示す日を
「節季」といい、立春から大寒まで二十四あったので二十四節気といったので
す。その中で、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを
表した言葉で、季節がジワッと伝わってくるような気がしますが、実感はあり
ません。子どもの頃、立春と聞けば、「春だ!」と、何やらほのぼのとした気持
ちになったものですが、立夏、立秋、立冬となると、何ら思い出がありません。
立夏は5月6日頃、立秋は8月8日頃、立冬は11月7日頃ですから、1ヶ月
程早く、実感がわかなかったのも当然なのです。
この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいます。明日から季節が変わ
る前夜祭にあたり、先程お話しした豆を1つ多く食べたのは、旧暦では節分は
大晦日になり、年が明ければ1つ年を取るからなのです。しかし、立春の前の
日の節分だけが、なぜか有名になりました。
私の勝手な想像ですが、昔の冬は寒く、夜は暗かったのです。今は電気という
便利なものがあり、夜になっても明るく、ガスや電気ストーブ、ファンヒータ
ー、床下暖房、エアコンと暖房機器で寒さを防ぎ、寒い外へ出かけるときには
防寒具も完備していますが、昔は電気も石油もなく、建物は木造です。勿論、
断熱材もガラスもなく、紙を貼った障子です。夜は真っ暗で、月明かりが無け
れば、鼻を摘まれてもわからない漆黒の闇です。自然と仲良く共存していまし
たから、地球の温暖化とは縁がなく、冬は寒かったに違いありません。春を待
つ気持ちは、現代人の想像を越えた強烈な願いではなかったでしょうか。鬼は
悪魔と信じられていましたから、立春を迎える前の日に、鬼に春を取られては
一大事と、鬼の嫌いな豆や鰯の頭を刺した柊を玄関に飾ったのでした。昔の人
の春を待つ、必死な気持ちが伝わってきませんか。
 
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★
いろいろな説がありますが、紙芝居で見たこの話が印象に残っています。
 
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいました。ある時のこと、困っている
人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現わ
れ、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令したのです。鬼は
悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことから「魔目」、すなわち
「豆」となったそうです。
   
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じるから
だという話もあります。「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていますね。
漢字はよく工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことがわかり、
楽しいものです。
 
★★なぜ、豆を煎るのですか★★
地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同じような
民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく塚を作る
約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
           (注 塚…一里塚など土を高く盛って距離を表す標識)
 
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼の
勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったので、
神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声をはりあ
げた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のところで負
けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散した。神様
は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
[年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
 
この話は、進学教室の子ども達に受けると思い探したのですが、原作は見つか
りませんでしたので、わたし流にアレンジして話していました。
 
むかし、金がたくさん取れた佐渡島に鬼が住んでいました。そこへ神さまが鬼
退治にきたのです。これがおもしろい神さまで、「今夜の内に、金山に百段の石
段を作れば、おまえの勝ちにしよう」と賭けをしたのです。負けると佐渡島は
鬼の支配下になるではありませんか。いくら神さまでもやり過ぎで、誰もが心
配します。その心配が的中し、鬼は夜更けの内に九十九段まで作り上げました。
絶体絶命のピンチ。しかし、そこは全知全能の神さま、しばらく考えていまし
たが、何と鶏の鳴き声をまねたのです。すると、鶏たちが、一斉に、「トーテン
コー! トーテンコー!」と鳴き始めました。「トーテンコー」は「東天紅」と
書き、東の空が紅くなってきたので、「夜が明けるぞ!」と、鶏たちが皆に報せ
ているのです。時計のなかった時代ですから、鶏さんの鳴声は目覚まし時計で
した。朝になったと勘違いした鬼は、神さまに負けたと思ったのです。鬼は、
あと一段で負けたのを悔しがり、「残念じゃが、お日さまには勝てん。豆に芽が
出る頃に、また来るぞ!」と捨てぜりふを吐き逃げたのでした。そこで、神さ
まは豆の芽が出ないように、人々に豆を煎るように命令したのです。煎った豆
から芽は出ません。芽が出なければ鬼も来ませんから、節分には、煎った豆を
まくようになったのです。
 
すると、「どうして、鬼は鶏の鳴声を恐がるのですか?」といった質問があった
のです。
「別に、鬼は鶏を恐がっているのではなく、鶏が鳴く頃になると、お日さまが
昇って来るんだよ。鬼は真っ暗な闇の世界に住んでいるから、お日さまが恐い
んだなぁ。だから逃げたんだよ」
「それなら、ドラキュラと一緒だ!」
何やらしたり顔でうなずき、納得していました。これは説得できましたが、次
がいけませんでした。
「何で、『トーテンコー』なんて、おかしな鳴き方をするのですか?」
「トーテンコー」と鳴かないと、この話は成り立ちませんから困りました。「お
日さまは東から昇るので、『東天』は『夜明けの東の空という意味だ』といって
もうなずきませんし、『紅』は赤い色で、みんながお日さまを描くとき赤く塗る
でしょう。東の空が赤く染まってくる様子を見た鶏は、『朝が来た!』とみんな
に報せているのですよ」と説明しても、「なぜ、夜明けに鶏が鳴くのですか?」
と変な顔をします。現代っ子は聞いたことがないでしょう。「なぜ、鶏は朝にな
ると鳴くのか」、このことです。やはり、子どもの疑問を追求する目は鋭く、妥
協しません。これを説明しなければ、子ども達は、納得できないわけです。「鶏
は鳥目といわれ、暗いところでは物が見えません。夜になると、いたちなどに
襲われる不安があるので、夜明けになると、ほっとして、一斉に鳴き出すのだ
よ」と苦し紛れにこじつけて話したところ、「なるほど!」とうなずきはじめま
した。
 
子どもがわかるように話をするのは、本当に難しいですね。実際にやってみる
と、ほとほと困るときがあります。お母さん方は勿論のこと、幼稚園や保育園、
幼児教室の先生方は、何の苦もなくやっているように見えますが、大変だなと
思い、敬意を払うのは、こういう時です。我が子でさえ、「……?」といった表
情が続くと、面倒になってやめたくなりましたから(笑)。
 
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
豆まきをしない家が増えているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
 
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。「柊」は、字そのものが寒そうで、冬そのものといった感じがし
ます。葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛む
ことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひいら
ぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったそうです。
 
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾ったのですが、その行事は今でも残っています。葉のとげで、
鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わります。とげの
ある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
 
話は変わりますが、魚は魚偏から出来ています。しかし、木偏の魚がいて、そ
の名を「柊」といい、命名の由来は、鰭(ひれ)のところに柊と同じように鋭
いとげがあるからだそうです。これが網にひっかかるので漁師さんから嫌われ
ていますが、味の程は好評で、塩焼き、干物、刺身でもいけるとか。ただし、
骨が硬く、身も少ないため、市場に姿を現さないそうです。宮尾登美子さんの
随筆に、「にぎろ」という魚の話が出ています。大森望氏の解説によると、「に
ぎろは、ススキ目ヒイラギ科の魚で、全国的にはヒイラギとよばれているらし
く、うちは煮付けで食べていました」とあり、本文にはこう書かれていました。
 
ニギロという小魚がよく釣れた。お隣の愛媛県では畑の肥料にするというが、土
佐では、一日干(ひいといぼ)しにして軽く炙ってよし、二杯酢にしてよし、ごく
親しまれている魚だ。宮家の筆頭伏見宮家の長女として生まれ、大正天皇妃の候
補にもなった山内豊景(土佐山内家十七代当主)侯爵夫人禎子(さちこ)さんは、ニ
ギロの刺身が大好きで、あの小さい、小さい魚を女中さんが苦労して身を削いで
は食卓に載せていたそうである。
     (「生き行く力」 宮尾登美子 著 P215 新潮社 刊) 
 
子どもの頃、瀬戸内海を挟んだ兵庫県は赤穂に住んでいましたから食べたかも
しれません。
 
読むたびに作家魂とは、かくも凄まじきものかを叩きこんでくれた宮尾さんは、
2014年12月30日に、老衰のため逝去されました。(合掌)
 
もっと凄い魚がいます。何と「猫またぎ」と呼ばれ、漁師に嫌われるどころか、
小骨が多いため、猫もまたいで見向きもしないほど無視されていたのが、うな
ぎに似たあの鱧(はも)です。ところが京都では、骨を食べやすく「骨切り」
(高等技術だそうです)をし、硬い皮を食べやすく「湯引き」、熱湯にくぐらせ、
氷で冷やし、梅肉やからし酢味噌などで食べ、夏の味覚として珍重されており、
祇園祭りに食べる習慣があるのですから驚きです。
日本酒の肴に珍味な海鼠(なまこ)と、その腸である海鼠腸(このわた)があ
りますが、最初に食べた人の勇気をたたえると共に、いつも感謝していただい
ています(笑)。料理も包丁人(料理人)の度胸と工夫、腕次第なんですね。
 
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが日本的なのでしょう。日本では、神さまと仏
さまが同居していますから、遠慮しているのかもしれません。
 
★★鬼のルーツは…?★★
陰陽(おんよう)五行説、聞きなれない言葉ですが、中国の易学のことです。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、男、
春、奇数などは陽、月、女、秋、偶数などは陰と考えられ、奇数が縁起のいい
数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
 
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
 (「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
 
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考え
から、今の鬼が定着しました。
 
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。NHKの大河ドラマの
放映以来、訪れる人が増えているそうですが、天璋院篤姫の墓所は寛永寺にあ
ります。
 
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」とい
う7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世にな
って民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
   (2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
 
インフルエンザは、鬼と同様、目に見えないだけに、現代人には恐ろしい存在
に違いありません。今年も猛威をふるっているようですが、何とか穏便に願い
たいものです。被害者は、弱い子ども達であり高齢者だからです。鳥インフル
エンザは、渡り鳥に予防接種するわけにいきませんから困ったものですが、今
のところ何とかおさまっているようです。今年も寒波の襲来で世界的に冷え切
っていますが、豪雪地帯の雪害は、高齢者が多いだけに被害は深刻です。震災
の復興ままならない東北地方の皆さん方に、雪害による被害が広がらないよう
に願ってやみません。昨年の1月には大雪が降り、我が家のベランダには、何
と25センチ程積もりました。今年も寒い日が続いていますが、雨が降りませ
んね。
 
ところで、食べられる方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙っ
て丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近ではバレンタイ
ンデーのチョコレートのように、全国で行われているようです。恵方とは、「陰
陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、2019年の恵方は東北東で
す。七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、きゅうり、椎茸、玉子、おぼ
ろ、高野豆腐など7種類の具を巻き、包丁で切らず、福を丸ごとかじって食べ
るのが定法で、江戸時代に行われていた大阪の伝統習俗を復活させたものです。
 
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗談
めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪魔は
外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、お
釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子ど
もの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけです
が、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているからだ
そうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですから、
「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節分」
を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
    (生活情報サイトAll About より)
 
ところで、2月の童謡には「豆まき」などもありますが、歌った記憶がありま
せん。ただ1曲だけ、40代になって子ども達と歌った「鬼のパンツ」があり
ます。イタリアのヴェスヴィオ火山の山頂まで行く登山電車のコマーシャルソ
ング、あの『フニクリ・フニクラ』のメロデイーを使った替え歌ですが、作詞
者は不明だそうです。YouTubeで視聴できます。
 
       鬼のパンツ
   鬼のパンツは いいパンツ  強いぞ 強いぞ
   虎の毛皮で できている   強いぞ 強いぞ
   5年はいても 破れない   強いぞ 強いぞ
   10年はいても 破れない  強いぞ 強いぞ
   はこう はこう 鬼のパンツ はこう はこう 鬼のパンツ
   あなたも あなたも あなたも あなたも みんなではこう鬼のパンツ
       (世界の民謡・童話 worldfolksong.comより)
 
30数年前の話で、毎年、夏になると草津で2泊3日の合宿を行い、バスで出
かけていましたが、子ども達の車酔いを防ぐために、皆で歌ったことを思い出
します。もう社会人になり、家庭を持ち、子育てをしているかもしれません。
この歌、覚えているだろうか。もしかすると、我が子と一緒に歌っているかも
しれませんね(笑)。
 
昨年の今頃は大雪でしたが、雪だるま、見かけませんね。「近所に、小さいお子
さんがいないからですよ」と家内は言っていましたが、高齢者の町になりつつ
あるようです。それはともかく、雨が降りませんね。直ぐ側の雑木林、枯れ葉
がカラカラに乾燥しています。煙草の火でも燃えそうで、怖いですね。一雨、
欲しいものです。
 
(次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本1」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(3)何といっても正月ですね 睦月【一月に読んであげたい本】

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第12号
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第3章(3)何と言っても正月ですね
【一月に読んであげたい本】
 
前回お知らせしました、第33回東京私立小学校児童作品展「ほら、できたよ」
は、1月30日(水)から2月4日(月)まで銀座松屋で開催されます。参加
校は雙葉小学校など25校、今回のテーマは「喜びを色と形に」、今年も意欲的
な作品が期待できそうです。詳しくはホームページご覧ください。
 
雪は降りませんでしたが、寒い日が続いています。今朝、起きた時、寒暖計を
見ると、何と2度しかありません。風邪が流行っているようです。お子さんに
手洗いとうがいを励行するように心がけましょう。難しいですが、習慣になれ
ば黙ってもやるようになります。
 
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、こ
れを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りません
でした。
 
◆十二支のはじまり   小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を
守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神さまからのお触れが出て、
動物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く、本当
は運悪くですが、会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られた
とも知らずに、ねこは神さまのお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、「十
二支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神さまに怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこ
は寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追い
かけるようになったのでした。            
 ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた
神さまでしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だ
から。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」
をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつけ
る大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続け
ていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようになっ
たのです。
    一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 
                   日本民話の会 編 国土社 刊 
 
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、
こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、
しばらく笑いが止まりませんでした。神さまといたちのやりとりが、本当にお
かしいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像く
ださい。
 
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日
は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、き
ちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、
「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」
と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれ
ど、これで覚えられるでしょう。
(※実際には妊娠期間が20日だそうです <編集者注>)
 
ところで、かつて小学校1年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがある
といって歌ってくれましたが、実にうまくできていて、これで簡単に覚えられ
ます。題名を思い出せなかったのですが、何でもありのYouTubeで見つけまし
た。「日付の歌」でクリックすると、2曲続けて出てきました。歌詞の紹介で「と
おか」が「とうか」となっていましたが、よく間違える仮名遣いで、1年生の
時に習います。「遠くの、大きな、氷の上を、多くの、狼が、十ずつ、通った」
は全部「お」と子どもの頃に習ったと、“YAHOO! JAPAN 知恵袋”に出ていまし
た。やはり、間違えやすいんですね(笑)。
 
      日付の歌
♪いちは「ついたち」には「ふつか」 さんは「みっか」でよんは「よっか」 
ごは「いつか」ろくは「むいか」 ななは「なのか」はちは「ようか」
きゅうは「ここのか」じゅうは「とおか」 にじゅうは「はつか」♪
 
  “Days of the month in Japanese”
♪ついたち ふつか みっか よっか いつか
 むいか なのか ようか ここのか とおか
 じゅうよっか じゅうくにち はつかは私の誕生日♪
(少し省略しています)
 
「日付の歌」は、スローテンポで二十日までの入門編。リズミカルに歌うのが、
“Days of the month in Japanese”で、子どもが歌ってくれたのはこれだと思
います。少し難しいかなと思いましたが、子ども達は、興味があれば、すぐに
覚えてしまうものです。苦手なようでしたら、「日付の歌」で検索してみましょ
う。
 
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神さま一人ひと
りの紹介はありませんが、七福神の話です。これと似た話で、大晦日に長者に
宿を断られた乞食が、貧乏人の家に泊めてもらい、そのお礼に若水をもらい若
返った話を聞いた長者が、乞食を無理やり泊まらせ若水を強要し、あまり欲張
ったために猿になった話や、赤ん坊になってしまうのもあります。暮れから正
月の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
(注 若水…縁起を祝い、元日の朝早く汲む水。古くは立春の日に汲んだもの)
 
◆正月の神さん   渋谷 勲 著
 ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸して
ほしいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまってい
たご祝儀用の合羽を貸したのでした。
 それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意が
できずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入って
きたではありませんか。実は、旅人は神さまで、笠のお礼にきたのでした。打
出の小槌から、米や魚やら二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくな
るほどです。もっと欲しいものはないかという神さまに、「もう少し若ければ、
子どもを授かりたいものだ」とおばあさんはいいました。すると神さまは、「明
日は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをしなさい」といって帰
ったのです。
 元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、
八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安
穏に暮らしたのでした。
  
  一月のおはなし
   ねこの正月 松谷みよ子/吉沢和夫 監修 日本民話の会・編
                          国土社 刊
 
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」
に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を
統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七
福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。     
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の
威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
 
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天
と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿
老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
異教の神様や仏様を、いくら「呉越同舟」(呉・越、共に中国は春秋十二国の一
つで、互いによく争ったことから、仲の悪いもの同士が一所にいること)の四
字熟語があるからといって、同じ船にお乗せして問題が起こらないのでしょう
か。キリスト教など他の宗教では考えられないことです。「融通無碍(ゆうずう
むげ)考え方や行動が、何事にもとらわれず自由であること」というのでしょ
うか、本当に、日本人らしいですね。
 
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです
が、私もそのようにした記憶はありませんから、かなり前の話のようです。そ
の夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町
時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、
除夜は起き明かす習慣となり、元旦の夜に見る夢となっていましたが、「すべて
の事始めは二日」ということから、今では二日の夜に見る夢となったのです。
これも、一つ紹介しておかないといけないでしょう。
 
◆ゆめみこぞう   渋谷 薫 著
 ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうと
いいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて
木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
 二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる
前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれ
ば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に
針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊
の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみ
るがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を
持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
 着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人
達が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰
坊は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま! 死
んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案内
され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になった
のです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
 
 一月のおはなし
  ねこの正月 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編
                        国土社 刊
 
正月ですから、ご祝儀を一つ。
これも、むかし話の定番ですが、継母の子どもいじめです。「親になるにもライ
センスが必要」とおっしゃった方がいるそうですが、幼子への虐待は、親とい
えども許されることではありません。ましてや親の手にかかり殺される子は、
どんな気持ちでこの世を去ったのでしょう。殺人犯は、実の親なのですから…
…。また、ごく普通の家庭でも、父親は女の子に、母親は男の子に甘くなりが
ちです。子どもは、小さい目で、しっかり見ていることを忘れないでほしいも
のです。
 
話に出てくる季節の変わる様子は、古い話で恐縮ですが、高校時代に観た映画、
マルシャークの「森は生きている」を思い出します。気まぐれな女王が、真冬
に4月の花であるマツユキソウをほしいといい、継母の言いつけで吹雪の森へ
行き、12の月の妖精たちに出会う話となっています。これと同じような話が、
スロバキアの民謡に「マルーシカと12の月」があります。こういった話を聞
くたびに、人間の考えることは「同じなんだな」と、しみじみと嬉しくなりま
す。
 
◆六月のむすこ   松谷 みよ子 著 
 むかし、あるところに母親と二人の娘がいて、妹は実の子、姉はまま子でし
た。ある年の正月、妹はいちごを食べたいといいます。母親も取り合わなかっ
たのですが、わがままに育てられていますから押し切られ、姉は取ってこいと
かごを背負わされて、山へ向かいますが、いちごなどあるわけがありません。
 途方にくれていると、白いひげのじいさまと会い、訳を聞いてくれ、あたた
かい感じのする家に案内されたのでした。いろりの前に姉を座らせ、この家に
一月から十二月まで、十二の月の兄弟と住んでいて、どの息子も自分の月を呼
び出せるといい、声をかけると、奥から一人の若者が出てきたのです。訳を話
すと、今は一月、私の出る番の六月まで、一月から五月までの五人の兄弟の助
けが必要だという。再び声をかけると、五人の若者が現れ、みんな外へ出たの
です。すると雪がとけ、あたたかな日がさし、土が姿を見せ、草や木の芽がも
え、花が咲き、小鳥は歌い、いちごが実ったのです。かごいっぱいに摘んだの
を見たじいさまに、「雪が降らない内に帰りなさい」といわれ、走るように山を
下った後から雪が降りはじめ、ふもとに着くと山は、もとの銀世界でした。
 家に帰ると、二人でいちごを瞬く間に食べたばかりか、妹はもっと食べたい
と泣きわめき、母親は殿さまにあげればご褒美にありつけたと悔しがり、再び
山へ行けというのです。
 姉は不思議なじいさまとの出会いを話し、二度は無理だというのですが、「い
うことを聞けんのか!」と怒り狂っていましたが、急に気が変わり、二人でじ
いさまに会ってくると出かける準備をはじめます。姉は必死に止めましたが、
大きなかごを背負い山へ出かけたきり、二度と戻って来ませんでした。
 
 日本むかしばなし 18
  まほうをとくむすめ 民話の研究会編 櫓良良春 絵  ポプラ社 刊
 
最近、継母という言葉は余り聞かないようになりましたが、幼児虐待の話はよ
く聞きます。
それも、育児に一所懸命なお母さんが虐待しがちだと聞くと、救いがありませ
ん。四六時中、お子さんと顔を合わせていますから、あまりのわからず屋にカ
ッとなる時もあるでしょう、わかります。しかし、そこが我慢のしどころです。
育児には、「耐えて、忍ばなければならない時期」があります。心の傷は間違い
なく子どもの心に残り、それを背負って生きていくものです。子育ては、「育児」
しながら「育自」することです。お母さん方は、自力で自身を成長させなくて、
誰がさせてくれますか。誰も、力を、機会を与えてくれません。その教材が、
お子さんと考えてはいかがでしょうか。お子さんは、ご両親で作る環境でしか
育ちません。ご両親が心を一つにして育児に専念するのは、幼児期だけではな
いでしょうか。子どもは授かりものです。授からない人も、多くいることを考
えてみましょう。
そして、ご自身を育ててくれたご両親、特にお母さん方は、同じ苦労をしてき
たことを思い起こすべきで、この気持ちを忘れないことが大切ではないでしょ
うか。
 
「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。若いときは、とかく親のこと
など考えないものです。だから「今の若い者は」などと口幅ったいことは言い
ません。しかし、「親孝行、したいときには親はなし」……実感しています。
 
この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太郎」
など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。中でも傑作なのは「猫の
草紙」で、昔は猫も首輪をされていたそうです。ところが、「首輪をしてはなら
ぬ」とのお触れが出て、それまで自由に走り回っていたねずみは、猫に捕まり
食い殺される恐怖の世界に一変するのです。
「十二支の始まり」と同様、猫とねずみの因果関係を納得させられる話です。
原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学
生向きに書き直されたものがあり気軽に読めます。現代人が忘れかけているも
のがたくさんありますが、ロマンも、その一つではないでしょうか。
 
◆七草草紙 北畠 八穂 著
 正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそ
ばに住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親
は百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くし
たいと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕
方、帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(し
ゅみせん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八
千年も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両
親の命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬
にする方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたき
だし、七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝
にも届き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月
七日に七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽く
す人には、天の幸いが授かるのです。 
 御伽草子  古典文学全集 13 ポプラ社 刊
 
元旦に井戸から水を汲み年神様に供えた「若水」、これを飲むと1年中の邪気を
払うといわれたしきたりも姿を消したようですね。飲料水を井戸から汲むこと
もなくなったのではないでしょうか。
 
来週は節分ですね。お父さん、大きな声を出して、元気いっぱいに豆まきをし
ましょう。最近、やらない家庭が増えているようですが、お子さんには、楽し
い思い出になります。幼稚園や保育園で、節分の話を聞いているはずです。小
さな夢を育ててあげましょう。
(次回は、「第4章 豆まき、節分でしょう」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(2)何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第11号
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第3章(2)何といってもお正月ですね  睦月
 
今年で34回を迎える「東京私立小学校児童作品展 ほら、できたよ」は、1
月30日(水)から2月4日(月)まで、銀座の松屋で開催されます。毎年、
意欲的な作品が展示されますのでぜひ足を運んでみてください。
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただくのがお節料理です。木製できれいな絵や模様で飾
られ、二重から五重に積み重ね最上段にふたのある重箱にいろいろな料理を詰
めます。お節料理は、元旦の朝に神さまと一緒にお祝いをして、家族が健康で
良いことがたくさんあるように、お祈りをするための食事ですから、縁起もの
しか選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
      (年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色、豆は「まめに生きる」、真面目に健康に
生きる願いが、数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから「数
多い子」、子孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、「春告魚」とも書き「春よ、
早く来い!」と願い、ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を、牛蒡(ごぼ
う)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥を表したも
のです。
この三つは、必ず食べたそうで、私は、きんとん、だて巻き、かまぼこ、海老
や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。きんとんは「金
団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美しいさま」、かま
ぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ頭は「人の頭に立
つ人になってほしいことを願っている」といったように、お節料理は縁起を担
いだ食べ物からできています。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には
三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい金団、ゆず玉、
だて巻などオードブルが、三の重は海老や鮑、鯛などの「海の幸」を、四の重
は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、里芋などの「山の幸」を入れ、
詰める品数は奇数がよいとされ、ここまでこだわります。  
料理の中心は煮物ですが、素材をそのまま煮炊きできませんから、下ごしらえ
に手間がかかり、味付けで素材の持ち味が決まる料理ですから、暮の台所はま
さに戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではなく、全部自前でこし
らえていましたから大変な騒ぎであったことを覚えています。お節料理は、三
が日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる配慮があったと聞き
ましたが、その通りではなかったでしょうか。
 
ところで、祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やん
ごとなき魚なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の
名前は「鯉」といいますが、王さまからお祝いに鯉を頂いたことから命名され
たそうで、当時、中国での魚の王さまは鯉でした。ところが、江戸時代になる
と鯛が祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に許していませ
ん。「めでたい」の語呂だけではなく、姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼い
ても汁にしてもうまい、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べ
られるから旬がなく、その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹
や秋刀魚も、いつでも食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、その
ために失ったものもたくさんあります。季節感が希薄になったのも、その一つ
でしょう。魚に限らず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わい
ましょう。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした味
醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、「おめ
でとうございます」と父が言わないことには、新年の朝祝いは始まりません。
これは不老長寿の効き目があると言われ、正月の祝い酒でした。山椒はうなぎ
を食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、桔梗は根
を干したものはせき止めの薬で、ぼうふうはセリの仲間です。聞いただけで飲
むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもらいましたが、
大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気がしました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の邪
気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられ、正月には欠かせない祝い酒
でもあったのです。屠蘇で乾杯して大人はお酒です。子どもはお節料理を食べ
ながら、お雑煮を頂きますが、両親とも着物です。母は着物の上に、袖付きの
前掛けというのでしょうか、割烹着をつけていました。親父は立派に見え、母
はきれいだと思ったものです。そして、なぜか子どもたちも新しい服を着せら
れていました。新しい年神さまを、誠心誠意でお迎えした雰囲気がありました
ね。
 
当時は、4本足の座卓、ちゃぶ台で、正座をして食事をしていました。姿勢が
崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方ですが、真剣に、
真面目に食べていました。ですから姿勢もよくなり、マナーも身についたもの
です。現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方の子もいます。
ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます。食事中はテレビを消しましょ
う。4、5歳の子には、「食べながら見る」といった二つの作業をこなすのは難
しいものです。私の子ども時代と最も違ったのは食事ではないでしょうか。テ
レビはありませんから、食事は人が中心で、一家団欒の一時であり、家族の会
話があったような気がします。しかし、椅子とテーブルになって、子どもたち
の足が長くなりスタイルもよくなりましたが、子どもに教えるべき生活習慣や
しつけの面で失ったものも、数々あります……。昔から守られてきたよき習慣、
礼儀作法などが姿を消してしまったのも、私たち親が選択したのであり、子ど
もたちの責任ではありません。「現代っ子は……」という前に、反省すべきは、
そういう環境を作ってきた私たち、大人であることを、肝に銘じておきたいも
のです。
 
そして、年の順にお年玉を貰いますが、これが楽しみでした。でも、わずかで
したね。
現代っ子は、銀行に預けるほど貰えるようですが、これは不労所得です。汗水
を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。子
ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないでしょ
うか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。全国的に有名な神社、仏
閣に参拝しているようですが、生まれた土地の神さま、産土(うぶすな)神社
へ、神さまに失礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。
そして、お子さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせ
ましょう。目に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことでは
ありません。親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始めた
ような気がしてなりません。(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著 新潮社 
刊 P193)
   
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
忘れられない一言となっています。今でも「透明な存在である自分」なのか聞
いてみたい。2015年6月に発売された「絶歌」、元少年A(33歳)は、10
0万部売れると豪語したとか。それにしても、いつまで元少年Aで過ごすのか。
(憤怒)
 
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕焼
けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、そ
の年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん最初
に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、国土全体では日本の最東端にあたる
南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では犬吠崎です。しかし、南鳥島は一般
の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁と気象庁の職員しか拝めませんし、
富士山頂は氷点下何十度という所ですから、誰でもは無理ということで、正解
は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が海開きに当たり海水浴も楽しめるそ
うです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに「The world is waiting for the 
sunrise」(世界は日の出を待っている)があります。アメリカ人に「太陽遥拝」
の信仰があるのではなく、第一次世界大戦後の不況から脱出したい願いをこめ
て作られた曲です。ジャズの演奏スタイルは時代と共に変わりましたが、大雑
把に分けるとデキシーランド、スイング、モダンの3つがあり、デキシーラン
ドには、ニューオーリンズ派とシカゴ派があります。ニューオーリンズ派の名
クラリネット奏者、ジョージ・ルイスの率いるバンドが、オハイオ州立大学で
行ったコンサートの中に、この曲の名演奏が入っています。バンジョーの名手、
ローレンス・マレロが、正確無比なビートで最高にスイングするソロを聴かせ
てくれます。沈んだ夕日が昇ってくるのではと思うほどアグレッシブな演奏で、
モノラルで音はよくありませんが、いつ聴いても感動を新たにさせてくれる、
ご機嫌な演奏です。私の正月は、これを聴くことから始まったものでした。
ジョージ・ルイスの素晴らしい音色を絶賛したのは、前衛ジャズの大御所、サ
ックス奏者のジョン・コルトレーン。ルイスの作曲した“Burgundy Street Blues”
(バーガンディ・ストリート・ブルース)ではなかったでしょうか。音楽に新
しい古いはないと思います、自前の感性に訴えるものがあれば、いいのですか
ら。私はドラムを少しやっていますが、学生時代、ある黒人のドラム奏者に、
「なぜ、そんなにスイングできるのですか」とあほみたいな質問をしたところ、
「なぜ、あなた方は、フォークソング(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れる
のか」と言われ、ジャズのリズム(4ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8
ビート)に抱いていた劣等感を拭い去ることができたような気がしました。そ
れぞれの民族は、長い時空を経て培われたリズム感があるということです。そ
れから、下手の横好きですが、私流のリズムを刻むことを覚えました。
ジョージ・ルイス(George Lewis)の演奏はYouTubeで視聴できます。“Burgundy 
Street Blues”は、黒人独特の哀愁を奏でた名演で、いつ聴いても涙ぐんでし
まいますね(笑)。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることができず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました 
(笑) 。再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダー
の丸山が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼がい
たからジャズの醍醐味を味わえたと感謝しています。26年5月に、演奏会の
度に香港から駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、ご自分のバン
ドを率いて「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が参加できず、
ピンチヒッターでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニシャンである
外人の方が3名いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽しむものだよ!」
とまたしても教えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、これは偶然だ
ったのですが、会場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と全く同じで、
追悼演奏ができたと感無量でした。冥界入りして5年、あちこち痛みの出てき
た私ですが、夢に出てくる彼は、全く年をとっていないので、うらやましくな
りますね(笑)。
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。
今の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲ
ーム等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょう
か。小学校時代に友だちと遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちませ
ん。社会性が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では
生きられないことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがま
まを助長するのは、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えてい
ます。「訓練されていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長は
おっしゃっていますが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であること
を真剣に考えましょう。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイ
コロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり
戻ったりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上
下、左右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こうい
う遊びで覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1
個ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使い
ませんが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物
が、トランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードに
はマークと数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表され
ています。
Kはキングで王さま、Qはクイーンで女王さまですが、Jは何を表しているか
ご存じですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごく
ありふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく
耳にする名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つ
のマークは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と
身分階級を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生にな
り英語を習ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べ
ティは「花子」にあたるのでしょうか(笑)。
 
                ★★春の七草★★   
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏の
座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)のこ
とです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎて、
お腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、春を
実感していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リュウ
マチに、なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利尿作
用に、はこべらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、すずな、
すずしろは骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。(三島函南
農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
  すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時
代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たら
ない役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものである
が、大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長
く刻んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書
いた。千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んで
しまう人もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もい
る。六本というのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。  
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
 
最近はニンジンを切る時にも使われているようですが、語源を知っていると永
田先生でなくても笑えますね。
     (次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 市原悦子さんが亡くなりました。先に冥界入りした常田富士男さんとの名コ
ンビ、アニメ「日本昔ばなし」で子どもたちにたくさんの思い出を残してくれ
たお二人に感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(1)何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第10号
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第3章(1)何といっても正月ですね 睦月
 
物の本によれば、睦月(むつき)のいわれには、正月は身分の上下、老若男女、
分け隔てなく行き来し、親族一同、仲よく「睦み合う」という説が有力だそう
で、その他にも「元つ月」、草木が萌えいずる「萌(もゆ)月」、春陽が発生す
る「生む月」、稲の実を初めて水に浸す「実(み)月」なのだとする説もあるよ
うです。
 
  お正月の歌
   ♪もういくつ寝るとお正月   お正月には凧あげて
    こまを回して遊びましょう  早く来い来いお正月♪
 
正月になるとこの歌を思い出します。子どもの頃の思い出といえば、正月に
まさるものはなかったですね。恥ずかしい話ですが、お餅を食べられるのと
お年玉を貰えるからでした。今と違い餅は正月しか食べませんでしたし、小
遣いとなると現代っ子のように毎月貰えるものではなく、正月や祭りの時だ
けでしたから、本当に待ち遠しかったものです。今の子どもたちがクリスマ
スを待つ心境と同じではなかったでしょうか。
ところで、この歌の作曲者はどなただと思いますか。瀧廉太郎です。童謡や
唱歌には素晴らしいものがたくさんあります。お子さんと一緒に歌うべきだ
と思いますね。幼児期の思い出は、こういった歌からも残っていくものでは
ないでしょうか。
 
さて、元日の朝ですが、いつもの朝と違い「特別な朝」という感じがしたも
のです。いつもと変わらない朝ですが、元日の朝だけは別です。なぜか、天
気はよく、大雪とか氷雨といった経験はほとんどありません。瀬戸内海に面
した兵庫県の赤穂市と東京の新宿、川越市にしか住んだことがないからかも
しれませんが、毎年、いかにも新しい神さまがいらっしゃった朝という気持
ちになったものです。元日は、その年の神さま、年神さまがやってきて、前
の年の神さまと交代する日でした。ですから、神さまを中心に生活が営まれ
ていた時代には、「おめでとうございます」といっていたのは、人と人が挨拶
をするのではなく、新しい神さまを迎える言葉として使っていたそうです。
ですから、「あけおめ」などという言葉を聞くと「何と不謹慎なことよ!」と
腹が立ちますね(笑)。門松、しめ飾り、鏡餅、そしておせち料理も、みんな
神さまをお迎えするセレモニーに必要なものだったのです。中には何やら語
呂合わせのようなものもありますが、「これはすごい!」と思わず膝を叩きた
くなるのもあります。
 
★★正月の三点セット★★
◇しめ飾り◇
本来、しめ縄は、神前など神聖なものと不浄なものとの境界線を示すために張
る縄のことで、わらを左捻(よ)りにして、三筋、五筋、七筋と順々にひねり
垂らし、その間に四手を下げたものです。四手とは、横綱の化粧まわしの上に
しめられた綱にさがっている、あれです。   
稲や麦の茎を干したわらで作ったしめ飾りで神さまを迎えるのも、農耕民族の
生活の基盤は米ですから、わかるような気がしませんか。
地方によっては、えびや橙(だいだい)を一緒に飾った豪華版もあります。え
びは「海老」とも書きますが、文字、そのものが「海のご隠居さん」で、体が
曲がっている姿からお年寄りにたとえ、長寿を祈願したものです。これが漢字
の楽しいところで、何となくイメージが浮かんできます。“LOBSTER”と
書かれていても、何のイメージもわきませんが、字の並びに何か意味があるの
でしょうか。橙は、一家の幸せが、「代々」続いて欲しいという語呂合わせです。
神さまを迎えるしめ縄に、いろいろとお願いするのですから、頼まれる神さま
も大変です。
 
◇門 松◇
門松の方が、まだ受け継がれているかもしれません。しかし、庶民派の門松は
松だけです。銀行やデパート、大きな会社の入り口には、立派な門松が飾られ
ています。松竹梅、何やらのどが鳴りそうですが、これも当然、意味ありでし
ょう。
 
松は常緑樹ですから、葉は一年中、緑色で冬の寒さをものともしません。
竹は真っすぐ伸びていきますから、横道にそれない芯の強さがあり、雪の日な
ど他の木は雪の重みで折れがちですが、竹はしなって頑張り、雪の方が我慢で
きずに滑り落ちます。
かぐや姫の生れ故郷は竹の中、空っぽで「腹に一物もなく」、唐竹を割ると一直
線に割れることから曲がったことが嫌い、生一本のシンボルです。ちなみに「生
一本」とは、単一の酒造で造られた混ざり物のない純米酒のことです(笑)。
梅は北風が吹き荒れ、他の木々は葉を落とし寒そうですが、梅は頑張って小さ
な花をリンと咲かせ、「春近し」を告げています。春告鳥と書いて「うぐいす」
ですから、春告花で「うめ」はどうでしょうか。木偏に春と書いて「うめ」と
読みたいですが、「椿」がありますからだめですね。
 
この椿が映えるのは、茶室ではないでしょうか。一輪挿しの椿は、和敬静寂の
雰囲気を見事にかもし出していました。
 
「和敬静寂」は千利休の言葉で、和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。寂とは淋しいものではなく、あた
たかな静けさなのです。そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生ま
れてくるのです。そこで「和敬静寂」が禅のこころといわれ、茶のこころとい
われるようになりました。
(「命のことば」 瀬戸内寂聴さんの著から 利休の茶室日記 gooブログよ
り)
 
利休の命名は、「名利共に休す、名誉も利益も求めない」という禅語からとった
ものといわれていますが、墓所は織田信長の菩提寺である大徳寺の隣にある聚
光院です。大徳寺の山門を寄付したのは利休で、そのお礼に寺側が利休の木像
を掲げたことが秀吉の逆鱗に触れ切腹を命じられました。年は利休が上ですが、
茶道では信長の弟子で、隣同士で眠っていることは、あまり知られていないの
ではないでしょうか。
 
それはともかくとして、松竹梅、語呂もいいですね。この縁起物の三つを玄関
に飾り、年神さまが、確実に我が家に来ていただくための道標、表札の役をし
ていたのではないでしょうか。昔は盆にはきゅうりの馬となすで作った牛を飾
りましたが、正月は神さまを、盆には仏さまを迎えるための飾り物で、季節折々
の花や農作物を供えるところからも、農耕民族であることがわかります。
何かにつけて、事の起こりは中国ではと考えますが、松竹梅も、厳しい冬を堪
えて生きるみやびやかな木、「厳冬の三友」といわれ、それが日本に伝わり、「長
寿・節操・清廉」などの解釈を加え、めでたいもののシンボルとなったのです。
いや、それだけではありません。後程、紹介しますが、あっと驚く秘密が隠さ
れているではありませんか。
 
◇鏡 餅◇
鏡餅は、年神さまから頂いた新しい魂を表したものです。丸い形は、角を立て
ないように、みんなで仲良く暮らそうという意味が込められています。お飾り
は、地方によって勝栗、干柿、扇など多種多彩ですが、橙、ゆずり葉、昆布、
裏白などが一般的でしょう。橙は長寿、ゆずり葉は新しい葉が出てから古い葉
が落ちることから「譲り葉」、家督を子孫に譲ること、昆布は「喜ぶ」の語呂合
わせと子生(こぶ)、子どもが生まれることを願い、裏白は葉の裏側が白いしだ
類(わらび、ぜんまいの仲間)で、うしろ暗いところがなく、清らかで汚れの
ない心を表しています。
 
★★松竹梅に隠された秘密★★
何やら週刊誌の見出し風ですが、文句なしにすごい秘密が隠されているのです。
初めて読んだときの驚きといったらありませんでした。少し長くなりますが、
紹介しましょう。
 
 陰陽の立場から松竹梅をみると、松は陽、竹も陽、そして梅は陰である。
松竹梅は陰と陽が相まって完全な世界を構成するという哲理にもかなっているわ
けである。さらに、植物学の上から考えると、松竹梅が植物界を代表しているこ
とが知られている。植物を分類すると、顕花植物と隠花植物に分けられ、顕花植
物は裸子植物と被子植物から成り立っている。さらに被子植物は、単子葉類と双
子葉類に分類される。ところで、松は種子を裸にしているので裸子植物であり、
竹は種子が実の中にあって、しかも子葉が一枚しかないので、被子植物の単子葉
類、梅も被子植物であるが子葉を二枚持っているので双子葉類というわけで、松
竹梅が顕花植物の典型的な代表例となっている。このすばらしい事実を古代人が
知っていたのであろうか。松竹梅の意義の深さに、めでたいということよりも、
頭の下がる思いがする。
 ついでに隠花植物について述べると、正月飾りとしてすでに述べた裏白を
その代表にあげることができる。こうして松竹梅と裏白とで植物界をおおうこと
によって、正月をより意義のあるものにすることができるというわけである。
 
■植 物 界■
 ◆花が咲き実を結び種を作る(顕花植物)
  種が裸のもの  (裸子植物)………………………………… 松 
  種が実の中のもの(被子植物) 葉が一枚(単子葉類)…… 竹 
  葉が二枚(双子葉類)…… 梅   
 ◆花は咲かせず胞子で増える(隠花植物)……………………… 裏白 
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P28-29)
 
いかがでしょうか。先生の書かれた図を参考に、わたし流に書き加えると以下
のようになります。植物には、梅、桜のように種を作るものと、コケやシダの
ように花を咲かせないで胞子でふえるものがあります。種には、竹や梅のよう
に種が実の中に包まれているものと、松、銀杏(いちょう)、蘇鉄(そてつ)のよ
うに種が裸のままのものがあります。種が実の中にあるものをまくと、芽を出
した時に最初に出る葉が、一枚のものと二枚のものとあります。
松竹梅というと、寿司屋などでは、上中並と同じように値段を表すのに使って
いますが、実は、こういう素晴らしい意味があるのです。本当に不思議ですね。
「なるほど!」と納得するばかりではなく、感動しませんか。昔から受け継が
れているものには、それなりの意味があるわけです。また、こういったことを
科学的に実証する先生がいらっしゃったのも、頼もしい限りではありませんか。
 
★★正月の食べ物★★
正月の食べ物といえば、雑煮とお節料理でした。しかし、現代っ子は、雑煮や
お節料理を食べているでしょうか。私の子どもの頃は、餅は正月しか食べられ
ませんでしたから、楽しみであり、しかもご馳走でした。今は、一年中、売っ
ていますし、いつでも食べられますから、魅力の点で引きつける力がないので
しょう。餅も季節感を奪われてしまった被害者です。非常食としても優れもの
ですけれど。
 
◇雑 煮◇
雑煮は、大晦日の夜に、神さまをお迎えするためにお供えをした食べ物を、神
さまと一緒に食べ、神さまの力を授かる食べ物です。雑煮は、必ず、青い葉っ
ぱを入れるのが決まりで、「葉っぱを入れる」「菜を入れる」から「名をあげる」
「成功して名前が知られるようになる」に通じるので、青い葉っぱを入れるの
だそうです。
 
餅は本来、丸いものですが、東日本では四角に切った切り餅を、関西では丸い
餅を使っています。雑煮の作り方ですが、東京では、餅を焼いてから椀に入れ、
具や汁を入れますが、大阪では、ゆでてから椀に入れます。私は父が関西の出
身でしたから、ゆでるのに慣れていますが、焼いてから食べるのも香ばしくて
おいしいものです。
 
織田信長に面白い逸話が残されています。ある年の元日の朝、信長の雑煮の膳
に、箸が片方しか添えられていなかったのです。あの短気な信長のことですか
ら、平穏に収まるわけがありません。しかし、怒り心頭に発した信長を、木下
藤吉郎(後の太閤秀吉)が、「今年から諸国をかたはし取りにされる吉兆でござい
ます」と言い換え、ご機嫌が直ったそうです。「曽呂利新左衛門のとんち話」の
中に、病気見舞いに送られてきた松竹梅の盆栽が枯れたのを見て落胆した秀吉
を、新左衛門の機知で吉報に変えてしまう話があります。世の中、めぐり合わ
せですね。
とんち話には傑作な話がたくさんありますが、おすすめは、寺村輝夫のとんち
話シリーズ「一休さん」・「吉四六(きっちょうむ)さん」・「彦一さん」
(あかね書房 刊)で、大人でもしっかりと笑えます(笑)。
(次回は、「正月の食べ物」他についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第9号
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第2章(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
 
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
初詣、お出かけになりましたか。
大きな門松をご覧になったと思いますが、文句なしに、すごい秘密が隠されて
います。植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作
る顕花植物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白
(鏡餅の下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものに
は、それなりの意味があります。詳しくは、1月編「文句なしに正月です」で
紹介します。
 
【冬(十二月~一月)に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
      
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こえ
たので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団にもぐ
りこんでしまうのです。
声は、夜中になってもやめようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあが
いうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりと止み、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけまし
た。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。       
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
  世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし         
     つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊        
 
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
      
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。      
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけれ
ばならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初めて
だ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、出
ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。         
  日本むかしばなし 2
   子どものすきな神さま 民話の研究会編 巽弘一 絵 ポプラ社 刊
 
 
12月といえば、私には忘れられない歴史的な事件、といってもかなり脚色さ
れた話になっていますが、四十七名の赤穂浪士が、主君、浅野内匠頭(たくみ
のかみ)の仇を討った「忠臣蔵」があります。
8月に出てきますが、広島に原子爆弾が落とされた時、岡山と兵庫の県境にあ
る赤穂市に住んでいたせいもあるかもしれません。戦前は、小さな子どもでも
知っていた話ですが、今はどうでしょうか。こんな話が残されています。
 
◆キツネも喜んだ討ち入り◆
京都の紫野の南に、狐の霊を祭る小さな社があり、「忠臣蔵」で知られる兵庫県
の赤穂の殿さま、浅野内匠頭(たくみのかみ)が建てたもので、浅野神社ともい
われています。殿さまの恨みを果たそうと、家老、大石内蔵助(くらのすけ)
以下、四十七名の浪士が、江戸の本所松坂町にあった吉良上野介(こうずけの
すけ)の屋敷に討ち入り、仇をとったのは、1720年(元禄15年)の12
月14日の夜でした。
同じ日の深夜、浅野神社の境内に数百人の人々が集まり、にぎやかな踊りが始
まったのです。
「こんな夜更けに何事か!」と近くに住む人々は驚いて神社まで行って見ると、
数え切れないほどのキツネたちが、社を取り巻き、後ろ足で立ち上がりながら、
前足を手のように打ち振り、踊り狂っていたのです。
家を飛び出してきた人々は、びっくりしてしまいました。浪士が討ち入りを果
たした事件が京に伝えられたのは、三日後のことです。それなのに、同じ日の
夜に、何百キロも離れた京のキツネたちは、霊力でそれを知って喜び、踊って
いたのです。
「キツネというのは、本当に魔物じゃ。不思議なことじゃのう……」
キツネたちの踊りを見た人々は、後にそういって、キツネの霊力に感心したと
いう話です。
 (「雪窓夜話抄 上野 忠親 著」
   必ずその日のお話がある 365のむかし話 谷真介編・著 講談社刊)
 
 
当日、雪が降っていたかどうかわかりませんが、14日ですから満月であった
ことは確かです。井沢元彦氏の「逆説の日本史 全17巻」の受け売りですが、
本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日は月の姿はない闇夜で、
そのために隠密に行動でき成功したとあります。月の運行の様子から遠い昔の
事件の夜空を想像できるとは知りませんでした。(笑)  
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
おじいさんが、笠を売りに行ったものの、まったく売れなくて、お地蔵さまに
かぶせてあげる話が多いのですが、私は、この話が好きです。おじいさんの見
返りを求めない無償の奉仕に、お地蔵さまが応えてあげるのがいいですね。こ
ういうことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民
の素朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさん
のご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の恩」
と言うではありませんか……。
                           
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵さまでも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もっ
てしまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのは止めてすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せることを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしません。眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。            
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、
中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵さまが、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたの
でした。
 世界民話の旅 9
  日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊     
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
 
それにふさわしい童謡があります。
 
 見てござる
  山上 武夫 作詞  海沼 実 作曲
   村の外れのお地蔵さんは いつもにこにこ見てござる
   仲良しこよしのじゃんけんぽん ホイ 石けり なわとび かくれんぼ
   元気で遊べと見てござる ソレ 見てござる
 
私の年代では、日本で最も伝統のある合唱団「音羽ゆりかご会」の創設者であ
り、「みかんの花咲く丘」「里の秋」「あの子はたあれ」の作曲者で、山田耕筰、
中山晋平と共に著名な作曲家として、また童謡歌手、川田正子、孝子、美智子
の三姉妹の育ての親として知られていますが、若い皆さん方にはどうでしょう
か。
  
この話に出てくる「六地蔵」とは、
  地獄道 (地獄で苦しむこと)
  餓鬼道 (常に飢餓に苦しむこと)
  畜生道 (けだものの姿に生まれて苦しむこと)
  修羅道 (争いの絶えない世界で苦しむこと)
  人 道 (人の踏み行う道を外れて苦しむこと)
  天 道 (超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
学生時代、京都の浄瑠璃寺へ歩いて行った時、途中の山道でたくさんの石仏と
出会い、感動したことがありました。今は、バスで山門前まで行けますから、
見過ごすかもしれません。浄瑠璃寺は、薬師仏とそれを祀る素朴ですばらしい
三重塔、横一列に並んでいるどっしりと存在感のある阿弥陀仏九体とその本堂、
宝池を中心とした庭園が、平安時代のまま揃っている唯一の寺で、奈良にある
女人高野と呼ばれていた室生寺と同様、一人で訪ねたい寺です。名刹を散策す
るには、晩秋から初冬がいいですね。
(注 室生寺 高野山は開創当時から明治5(1872)年まで女人禁制、そ
れに対して当寺院は、女性の参詣が自由であったので、女人高野と呼ばれるよ
うになった。(About Koyasanより)
 
  (次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)

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