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めぇでるコラム : 2023保護者 3ページ目

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(2)何にもないのかな 水無月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第29号-
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第八章 (2) 何にもないのかな   水 無 月
 
 
★★しみじみとうまいにぎり飯★★
 
日本人に生まれてよかったなと思うことはたくさんありますが、米の飯を食べ
られるのも、その一つです。米の飯ほどうまいものはありません。寿司や鰻重、
すき焼きなどでは、魚や鰻、肉が主役になり、称賛を浴びがちですが、どっこ
い、縁の下の力持ちは、何といっても「ご飯」です。米が、まずけりゃ話にな
りません。トロだろうが、天然物だろうが、霜降りだろうが、米に袖にされた
ら、もういけません。やっぱり、米は偉い。
 
しかし、何と言ってもしみじみと米のうまさがわかるのは、「にぎり飯」では
ないでしょうか。
 
炊きたてのご飯を、手につけた塩で握り、海苔をまいて食べる。中身は、梅干
しやかつお節があれば、もう、それで十分。こんなに簡単で、安く出来上がり、
満腹感を味わえる食べ物は、他にあるでしょうか。にぎり飯、というよりは、
「おにぎり」の方がふさわしいかもしれませんが、このおにぎりには、忘れが
たい思い出がしみ込んでいます。
 
何事も便利になった現代ですが、便利になりすぎると、失うものも出てきます。
 
このことを考えるべきではないでしょうか。
何事も工夫しなくなると、受け身になりがちです。コンビニやスーパーなどで
売っているおにぎりを、子どもに食べさせるのも考えものです。
 
お母さんの手作りだからこそ、「おにぎり」であり美味いのです。手作りだか
らこそ、お母さんの愛情が伝わるのではないでしょうか。
 
ちなみに、東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」と呼ばれていた
そうですが、コンビニのCMの影響もあり「おにぎり」優勢のように感じます。
 
さて、おにぎりの主役であるお米はいつから日本の主食になったのでしょうか。
 
 稲はもともと中国南部の山岳地帯で生まれたとされています。そこから北へ
 広がったものが、現在の日本で食べられているお米の短粒種“ジャポニカ米”
 です。“ジャポニカ米”は縄文時代後期に中国から北九州に伝わり、そこか
 ら長い年月をかけ、明治時代になりやっと北海道まで伝わりました。という
 ことは、お米が日本全国で主食になったのは、今からおよそ140年前、明
 治時代からだったのです。5月は田植えの季節です。美味しいお米ができる
 秋が楽しみですね。
   (平成25年5月時の「聖徳大学附属小学校のホームページ」より)
 
ところで、小学校入学後のことで気になる給食・お弁当問題。
時代の流れで、お弁当持参だった学校も注文弁当や給食を導入する学校が増え
てきました。
とは言え、弁当は、おふくろの味です。
おふくろの味は真心であり、世界に一つしかない専用のレストランで調理され、
しかも好みに合う美味しいメニューしかありません。その弁当ですが、やはり、
ご飯ですね(笑)。
手間はかかりますが、機会を見つけてはお弁当を食べさせてあげたいものです。
 
 
                            
★★衣替え★★
 
幼稚園児から学生さんからお父さん方のスーツまで、見事に様変わりする衣替
えは、ご存知のごとく6月1日と10月1日です。
 
衣替えの起こりは、宮中の行事として始まったもので、平安朝では、旧暦の4
月1日と10月1日に行われていましたが、室町時代から複雑になり、江戸時
代のお武家さんの世界では、何と年4回も衣替えをしていたのです。
4月1日から5月4日までと9月1日から9月8日までは袷(あわせ-裏地の
ついた着物)、
5月5日から8月末日までは帷子(かたびら-裏地のない単衣仕立ての着物)、
9月9日から3月末日までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)を着
るように定められていました。
 
冷暖房の施設もなかった時代ですから、衣替えで対処するのが生活の知恵だっ
たのでしょう。
現在のようになったのは明治以降で、学校や官公庁、銀行やデパートなど制服
を着る業界では、この日を境に冬装束から夏装束に改めます。
 
かつては、夏服に変わると、梅雨の湿った陽気にうんざりする心に、さわやか
な涼風を肌に送り10月には冬服に着替え、やってくる冬将軍に備えて気を引
き締めたものですが、今は、通勤、通学も冷暖房完備の電車ですし、家に帰れ
ばクーラー、ヒーターと至れり尽くせりですから、ファッションとしての要素
が強くなっているのではないでしょうか。
 
ところで、この衣替えには、衣類を虫やかびから守る大切な仕事が待ち受けて
います。特に女の子には、お手伝いをさせましょう。防虫剤を入れて、収納す
る仕事です。小さいときから、このような季節を肌で感じることができる仕事
は、なおさらです。整理整頓を苦手とする大人が増えているようですが、その
原因は、幼児期の体験の差にあるのではないでしょうか。
 
衣類だけではなく、部屋の模様替えも一緒にやって、気分転換をしましょう。
子ども心にも、親の手伝いをするのはうれしいものです。そして、何よりの収
穫は、特にお母さんがこういった家事を、笑顔でテキパキと片付けていく姿を
見て、子ども達はたくさんのことを学んでいます。「子は親の背を見て育つ」
は、まさに名言ではないでしょうか。
 
以前に紹介した、世界的なベストセラーになったドロシー・ロー・ノルトの
「子どもが育つ魔法の言葉」を思い出してください。この本こそ、親になる前
に出会いたかった数々の著書の一冊ですね。
 
この時期、不安定な気候が続くことがあります。そして梅雨。
そんな時、お母さんの笑顔こそ、うっとうしい季節を乗り越える清涼剤である
ことを、忘れないでほしいですね、お父さんも同じですが(笑)。
 
  (次回は「父の日、その他」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(1)何にもないのかな 水無月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第28号-
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第八章 (1) 何にもないのかな   水 無 月
 
暦の上では、6月から夏です。夏の読み方は、「暑(あつ)」の転化したもの
といわれていますが、他にも「生(な)る」「暑(ねつ)」などの転化したも
のという説もあるそうです。
 
水無月(みなづき)のいわれは、たくさんあります。
旧暦6月は、梅雨も終わり、炎天下の酷暑の季節に入り、文字通り、水もかれ
つきるという説と、逆に、田植えも終わり、田に水を張る月「水張り月」「水
月」からきた説、また、農家のもっとも重要なイベントでもあった田植えが終
わったことから「皆仕月(みなしつき)」「皆月(みなつき)」からきた説、
そして、雷が多い季節から「かみなり月」の「か」と「り」をとり、「みな月」
という説もあるそうです。最後の「ゴロ合わせ」ではなく「語呂合わせ」がお
かしいですね。
 
 
 ★★大切な田植えの時です★★
 
6月といったら、「何といっても……」というものがありません。
毎日、雨が降り、むし暑くて、うっとうしい梅雨です。
この梅雨のいわれですが、梅の実が熟する頃に降る雨から梅雨、湿っぽくて黴
(かび)が生えやすい気候から黴雨、この他に梅雨を「つゆ」と読む場合もあ
ります。しとしとと降る雨が、木々の梢や葉にまとわりつき、露となって落ち
ていく様子から“つゆ”とも呼ばれたのではないかと私流に思い込み、趣のあ
る言葉で好きなのですが、諸説があって本当のことはわからないようです。
 
梅雨前線が、日本列島にどっしりと腰をすえ、うんざりする毎日になります。
しかし、この時期に、しっかりと雨が降らなくては、困るものがあります。
 
お米です。
 
田植えの季節です。
菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)、柏の葉は、端午の節句の専売特許ではあり
ません。昔の5月は、今の6月頃にあたります。今のように、機械で苗を植え
るのと違い、田植えは、お百姓さんが、苗を1本1本、手で植えていました。
ですから、時間はかかり、田んぼが広ければ、人手もたくさん必要になります。
まさに、猫の手も借りたいほどの忙しさです。
「米」という字は、「八と十と八」からできています。お米は、種から芽を出
した苗を田んぼに植えて収穫し精米するまでに、人の手を八十八回わずらわす
といわれるほど、手がかかるのです。
 
さらに、天気にも左右されます。
ご存知のように、稲は水稲(すいとう)といって水田で栽培しますから、梅雨
にたくさん雨が降らなければ、田植えはできません。ちなみに、水稲より大量
の水を必要としない畑で栽培する稲、陸稲(おかぼ)もありますが、水稲に比
べ品質は劣り収穫量も少ないため、日陰の存在に甘んじているようです。
 
そして、夏に日照りが悪いと、稲はきちんと育ちません。
しかし、日が照りすぎても、田んぼの水が干上がって、稲は駄目になります。
また、稲は順調に育っても、収穫前に台風がきて、たわわに実った稲穂が強風
になぎ倒され、豪雨で水に浸かってしまっては使いものになりません。自然と
のかかわりは、宿命的な因果関係のごとく厳しいですから、神頼みにならざる
を得ないのです。
 
そこで、昔の人は知恵を絞り、田植えが無事に済み、たっぷりとお水をいただ
き、夏にはしっかりとお日さまに顔を出してもらい、稲が立派に育って、秋に
は、おいしいお米がたくさんとれるようにと、神様にお祈りをしたわけです。
米作りは、やり直しのきかない真剣勝負、人生そのものといえるのではないで
しょうか。
 
そのお祈りをするのは女性の役目で、早乙女(さおとめ)と呼ばれ、田植えを
する間、悪いことが起きないように、屋根を菖蒲の葉で作った小屋に集まり、
肉食を断つなどして身を清め、精進潔斎をし、一晩中、お祈りをしました。で
すから、昔の5月5日は、夏負けをしないように、匂いの強い草で、魔物を追
い出す日であり、田植えの準備の日でもあったのです。
 
ところで、浄瑠璃といえば近松門左衛門、そのすぐれた伝統芸能を観賞する機
会はほとんどありませんが、残された名作を本で読むことはできます。代表作
の一つ、どうしようもない放蕩無頼で、典型的な自己中の不良青年、与兵衛を
描いた「女殺油地獄」の中に、「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」とあ
り、男の祭りではなく、無事に田植えを行えるよう祈願する女性の祭りである
ことがわかります。
 
その田植えですが、本当に、大変な仕事です。
泥んこの田んぼに足をつけたまま、幅1メートルほどの範囲を、10センチ間
隔ほどに苗を植えていくのです、腰をかがめて。これを30分程続けると、完
全に腰にきます。伸ばすと、ボリッと音がするほど、筋肉は、まいってしまい
ます。
 
毎年、天皇陛下が苗を植える「お田植え」、お姿をテレビで拝見しています。
収穫された米は、宮中祭祀に使われたり、伊勢神宮に奉納されるそうです。
「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の実る国(神意によって稲が豊か
に実り、栄える国)」、これは日本国の美称として使われる言葉ですが、皇室
の儀式とはいえ、無理をなさらないでほしいですね。
 
最近、小学生が体験授業として、田植えをやる学校が増えているようですが、
米を作ることが大変な作業であることを実感できれば、「いただきます」の本
当の意味、「ありがたくいただきます」と感謝の気持ちを表していることも理
解できるのではないでしょうか。
 
さて、夏になると、稲のまわりに雑草が生えますが、これを取り除くのも一苦
労です。また、腰をまげて、手で雑草を取ります。これが、かんかん照りの太
陽のもとでの作業ですから、田んぼの水は、それこそ生ぬるく、草いきれで、
むっとする匂いには、泣かされます。人の血を吸う蛭(ひる)もいて、環境の
よい仕事場ではありません。日本の夏は高温多湿であるだけに、少しでも手を
抜くと雑草が生え、稲の成長を妨げますから手入れが大変で、まるでわが子を
育てるのと同じだとお百姓さんに聞いたことがあります。
 
子育ても手を抜いた分、親が考えもしなかった色に染まってしまうものです。
「手を抜く」といっても育児を放棄するのではなく、ちょっとした思い違いか
ら、親子の絆にひびの入ることもあるものです。「おかしいな?」と感じた時
は、親から子どもに話しかけるべきではないでしょうか。そういう時は、子ど
も自身も迷っているはずだからです。
 
話を元に戻しましょう。
そして最後の収穫。これも1株、1株、鎌(かま)で刈っていきます。繰り返
しますが、お百姓さんの腰が曲がるわけです。刈った稲を、今度は、天日で乾
かします。それを脱穀機で稲穂を取り、もみ殻にして、これを精米機にかけ、
やっとお米になるのです。
 
農業の機械化というのでしょうか、田植えから脱穀まで、全部、機械でできる
そうですから、これは、すごい省力化です。そういえば、最近、腰の曲がった
お百姓さんを、あまり、見かけません。
 
 
 
 ★★てるてる坊主★★
 
この月は、しっかりと雨が降ってくれなくては困りますが、雨が降ってほしく
ない時もあります。
子どもの頃、遠足や運動会の前日に、てるてる坊主を作ったものでした。今で
も、この風習は残っているようです。天気にしてくれた時には、目、鼻、口を
つけてあげた記憶があります。
 
   てるてる坊主
     作詞 浅原 鏡村  作曲 中山 晋平
 
  (1)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     いつかの夢の空のように はれたら金の鈴あげよ
 
  (2)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     私の願いを聞いたなら  甘いお酒をたんと飲ましょ
 
  (3)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ
             (注 浅原鏡村は、小説家浅原六郎の別名)
 
幼子の「どうしても晴れてほしいなぁ!」という気持ちが伝わってきます。
「しかし、しかしです」と何も興奮することはありませんが、「てるてる坊主
は、坊主ではなく娘さんです!」と聞けば、「ナヌ!?」となりませんか。発
祥の地は、またしても中国でした。
 
 てるてる坊主の起源は、中国で掃晴娘(そうせいじょ)とよばれる、ほうき
 を持った女性の紙人形をつるす風習からきている。娘がほうきで晴れ気を掃
 きよせ、晴天や幸運を招き寄せようとするまじないで、平安時代に日本へ入
 ってからは、なぜか坊主に代わってしまった。
  (日本の年中行事百科2 夏 民具で見る日本人のくらしQ&A P14
                  監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
お坊さんの頭は、つるつるで、何やら光り輝いていますし、明日の天気は神頼
み、いや、この場合は仏頼みで、晴れのイメージにつながったのでしょうか。
 
ところで、今はどうかわかりませんが、一時期、小学校の音楽の教科書の中に
はなく、ラジオなどで流す場合は3番をカットするケースがあったようです。
その理由は、歌詞の3番に、
「それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ」
とありますが、それは自分の願いを聞き届けさせようとする「脅迫信仰」であ
って、童謡らしくない残酷な表現だからだそうです。
 
作詞者のイメージとしては、残酷に処刑するのではなく、「晴れなかったら承
知しないからね!」と、どうしても晴れてほしい切実な願い、その気持ちを表
現したかったのではないでしょうか。
 
映画やテレビ、漫画、ゲームなどでは、もっと残酷な場面を映像で見せつけて
いるではありませんか。詩は、イメージです。こんなことまで規制されるのは、
情操教育を考えると、首を傾げたくなります。残酷な犯罪は、きちんとイメー
ジできないから起きるのではないでしょうか。
 
ですから、「イメージ化できる」ことは、非常に大切な感性です。感性こそ、
子どもの時から様々な経験を積み重ね、磨いていくものです。以前にもお話し
ましたが、イメージ化を培う力は、読書と何事にも自力で挑戦する生活体験で
す。文字を読み取り、その世界を作り上げる作業は、人格を築き上げる大切な
学習です。若者の活字離れが指摘され久しくなりますが、思考力や思想を構築
する力が劣るわけです。お子さんに本を読む習慣を身にけさせるには、本の読
み聞かせと、ご両親の読書をする姿をしっかりと見せておくことです。
 
そして、何事も自力で挑戦する意欲を育てましょう。失敗を恐れる子にしては
いけません。「為せば成る」ではありませんが、試行錯誤を積み重ねることか
ら、工夫する力も忍耐力も育まれます。
 
「そんなこともできないのは、駄目な子なの!」
などというお母さんがいると聞きますが、「できるように頑張る子に育てるの
が親の仕事」です。
 
幼児教育に携わってきて感じるのは、多くの場合お母さんがあまりにも不用意
に、子どもに劣等感を植え付ける言葉を投げがちです。同じ言葉をご主人に言
われれば、柳眉を逆立て、猛烈に反撃するでしょうに。
ご両親のさじ加減で、お子さんの潜在能力は開発されることを肝に銘じてほし
いものです。
 
蛇足になりますが、「成せばなる」は、本当はもっと長い文章で、その頭文字
の5個をとったものです。
 
江戸時代の後期、米沢藩主の上杉鷹山が、家臣に教訓として「為せば成る。為
さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」と詠み与えたものですが、
それより以前に、武田信玄が「為せば成る、為さねばならぬ。成る業を成らぬ
と捨つる人の儚(はかな)さ」と、よく似た歌を詠んでおり、鷹山の言葉は、
これを変えたものだといわれているそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 
ところで、これは最近、知ったことですが、4番まであった「てるてる坊主」
を、何と作曲者が1番を削除し、今の形にしたとか。その1番の歌とは、
 
 (1)てるてる坊主 てる坊主
    あした天気にしておくれ
    もしも曇って 泣いてたら
    空をながめて みんなで泣こう
    (www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.htmlより)
 
作詞家ではありません、作曲家の中山晋平です。
何ともやさしくて、いいと思いませんか。詳しいことをお知りになりたい方、
「てるてる坊主」で検索すると、いろんな情報にヒットできます。
 
  (次回は、「しみじみとうまいにぎり飯」他についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(4)端午の節句です 皐月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第27号-
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第7章 端午の節句です(4) 
 
 
★★五月に読んであげたい本★★  
 
「桃太郎」や「金太郎」は、おなじみのむかし話ですからさて置き、こわい話
を紹介しましょう。
 
 
◆めしを食わぬよめ◆   松谷 みよ子 著
 
むかし、ある村に、たいそうけちな男がいました。嫁に食わせる飯がもったい
ないから、飯を食わぬ嫁を探してくれというのです。
ある日のこと、十六、七の姉さまが訪ねてきて、ご飯を食べずに働くから嫁に
してくれという。暮らしてみると、ご飯を食べず、しかも働き者です。ところ
が、毎日、米もみそも減っています。不思議に思った男は、次の日、仕事に出
かけたふりをして、戸のふし穴からのぞいてみたところ、髪をほどいた頭の中
に、大きな口があり、飯にみそをつけ、にぎっては放りこみ、大がまの飯を全
部、食べてしまったのです。
男は、夕方になると、知らぬふりをして家に帰り、別れ話をすると、にわかに
髪をふりみだし、頭の口をパックリとあけて、恐ろしい山姥(やまんば)にな
ったのです。逃げ出そうとする男をつまみあげ、ふろ桶の中へ放りこみ、桶に
帯をかけて背負うと、山へむかって走りだしました。男は、何とか助かろうと、
桶から顔を出してみると、頭の上に木の枝があったのでとびつき、木からすべ
りおり、山をかけおり、ふもとまで来たのですが、気づいた山姥が、追いかけ
てきます。男は、そばの草むらに逃げ込みました。そこには、菖蒲がたくさん
生えていたのです。
「魔除けの菖蒲にはかなわない」と、山姥は悔しそうにいい、山へ帰って行っ
たのです。
菖蒲が魔除けの草として、五月の節句に飾られるようになったのは、この時か
らだといわれています。
   五月のはなし  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会 編 国土社 刊
 
話によっては、蓬(よもぎ)も生えている草むらになっているものや、風呂桶
ではなく背負いかごのもあります。面白いことに、「この日が、実は、5月5
日であった」という話も残っています。
 
子どもは、こわい話を聞きたがりますが、本当は、こわがりなのです。話だけ
では、頭に大口がある姿を想像できませんから聞いていますが、本の場合は絵
がありますから、こわがります。
 
ある時、絵本を見せながら読んだところ、こわそうな顔をして聞いていました。
喜怒哀楽の情緒も分化されてくる時期ですから、こわいものには、本当にこわ
がり始めます。
この話でも、頭の口で食べるところでは、
「これからこわーくなるから、こわい人は……、耳を、ふさいで、いいのだよ
ー」     
といかにもこわそうにいうと、耳をふさいで下を向くのは、男の子が多いです
ね。食い入るように話を聞いているのは、案外、女の子なのです。肝が座って
いるのですね、小さい頃から。
 
あまり恐怖感を与えるのは考えものですが、こういった刺激を与え、情緒を育
んでいくことも、昔話の大切な役目ではないでしょうか。恐怖感も、きちんと
結末で拭ってくれる配慮がしてあるからです。
 
 
 
探してみるものですね。この話を見つけたときは、本当にうれしくなりました。
鯉のぼりの制作者は、意外にも、お侍さんだったのです。
 
◆コイのぼりのはじまり◆(伝説 墨田区) 
 
江戸時代のことです。
端午の節句が近づいたある日、江戸の町を一人の侍が歩いていました。武家屋
敷の庭には、祝いの旗や、のぼりが立てられ、道では、侍の子が、紙のかぶと
をかぶり、しょうぶで作った刀を振り回していますが、町人の住む町の子ども
達は、かぶとも、しょうぶの刀も差していないことに気づいたのです。
染め物屋の家からは、のぼりを立ててくれとせがむ子どもの声が聞こえました。
「あれは、お侍さんが立てるものだからできない」と話しますが、納得しない
で、泣きじゃくっているではありませんか。
そこへ、お侍が入って来て、大きな紙4枚と太い筆を借り、1枚の紙に大きな
コイを描き、別の紙には、反対向きのコイを描きあげました。2枚の絵を合わ
せると、1匹のコイになるのです。もう1匹描くから、節句の前日までに、黒
と赤に染め上げてほしいといって店を出たのです。
約束の日に染め上げ、日に干していると、やってきた侍は、はさみと針を借り、
向きの違うコイ同士を、袋縫いに縫い合わせると、黒と赤の2匹のコイになっ
たのです。長いさおの先につけて、家の前に立てさせました。五月晴れの空を、
風に吹かれる真ゴイと緋ゴイ。周りには、町人や武士の子ども達も集まり嬉し
そうです。
お侍さんの名は赤荻柳和、武士というよりは俳句を作ることで知られた、心の
やさしい人だったそうです。こうして、次の年の5月5日から、江戸の町には
コイのぼりが、武士の家にも町人の家にも、立てられるようなったのです。
これが、コイのぼりの始まりだそうです。
 
 県別ふるさとの民話18 東京都の民話 日本児童文学者協会編 偕成社刊 
 
 
 
「八十八夜」「若葉」「茶摘み」「すげの笠」といいますと、かつては夏の近
いことを実感したものです。しかし、今はどうでしょうか。こういった風物詩
も、「テレビで拝見」で終わっているようです。季節を感じる余裕がなくなっ
てしまったのでしょうか、もったいないと思います。
 
自然が、四季折々の変化を告げてくれるのは、本当に有り難いことだからです。
 
この話に出てくる「ふるい屋」「古鉄(ふるがね)屋」も、説明がないとわか
らない仕事ですね。かつて、こういった行商屋さんが、金魚、風鈴、豆腐、納
豆、アイスキャンディーなどを売りに来たものです。その他に、鍋やかまなど
にできた穴を修理する「いかけ屋」さん。道の片隅にござを敷き、その上に道
具を並べ、小さなふいご(携帯用送風機)で火をおこし、焼けた鉄の棒で金属
同士をくっつけてしまう「半田付け(はんだづけ)」をしていました。
                   
◆お茶屋とふるい屋と古鉄屋(ふるがねや)◆(山梨県の話)
 
       夏もちかづく  八十八夜
       野にも山にも  若葉がしげる
       あれに見えるは 茶摘みじゃないか
       あかねだすきに すげの笠
 
小学校唱歌「茶つみ」の歌です。最近ではあまり聞かれなくなりましたが、女
の子が「せっせっせーのよいよいよい」といってから、この歌をうたいながら
遊ぶ、手遊びがありました。
この歌にある「八十八夜」は、暦の上で、立春の日(2月4日頃)から数えて
八十八日目、5月2日頃のことで、茶摘みが始まる季節です。
新しい芽を摘んで作った新茶売りの話があります。
 
ある日、一人のお茶売りが、「新茶ぁ、おいしい新茶だよ!」と、売り歩いて
いく後から、「ふるいー、ふるいー」といってふるい屋が歩いていきます。
「ふるい」とは、粉や砂など細かなものを、網目を通して落としたり、選り分
けする道具です。「新茶、ふるい」と売り声が並ぶと、新茶なのか古いのかわ
からず、誰も出てきません。
お茶屋さんは、新茶が売れないと怒りましたが、ふるい屋さんも、
「ここは天下の往来、文句があるなら、お前さんこそ、どこかへ行ってくれ」
とけんかを始めました。
そこへ、古鉄(ふるかね)屋さんが、通りかかり仲裁に入ったのです。古鉄屋
さんは、いらなくなった金物を買い取る商売です。二人から訳を聞くと、これ
から三人で売り歩こうといい、順番は、
「お茶屋さん、ふるい屋さん、私だ」という。
言われて三人が売り声をあげると、
「新茶ぁ、ふるいー、古鉄ぇ(ふるかねぇ)!」
となり、今度はいい商いができたのでした。
    
  日づけのあるお話365日 
         五月のむかしの話  谷 真介 編・著 金の星社 刊
 
落語にも「売り声」という噺があり、お茶屋さんに代わり「魚屋」さんで、い
わしを売っていたと記憶しています。「いわし、ふるいー、ふるかねえ!」
 
 
 
どうしても紹介しておきたい話があるのですが、季節感が希薄なのです。棚ぼ
た式に出世する話、こういったうまい話は、あるところにはあるものです。観
音さまのご利益なのですが、運命は、本当に、どなたが決めるのでしょう。こ
の話は、「今昔物語」の巻16の第28話に出ている他、古本説話集、宇治拾
遺物語、雑談集にも、「長谷寺観音の霊験譚」として残されています。思いが
けない交換から利益を得ることを主題にした致富譚(ちふたん)の一つで、原
作を読むのは、少々しんどいですが、子ども向けに翻訳された本は、おもしろ
く読めます。芥川龍之介の愛読書であることもわかります。
 
 
◆わらしべ長者◆   阿部 律子 著
 
むかし、あるところに、お父にもお母にも死なれ、独りぼっちの貧乏な若者が
いました。
ある日、村の観音さまに祈っているうちに寝てしまったのですが、夢の中に観
音さまが現われ、
「ここから東に行き、初めに手につかんだものを大切にすべし」
と、お告げがあったのです。
急いで戻ろうとしたとき、石につまずき転びましたが、起き上がると、片手に
わらしべを握っていたのです。観音さまのお告げは、このことかもしれないと
わらしべを懐にしまい、東の方に歩いて行くと、1匹のあぶが飛んできたので
捕まえ、わらしべの先にくくりつけました。すると、牛車に乗っていた男の子
が欲しいというのであげると、ただでもらってはと、みかんを3つくれたので
す。
しばらくいくと、男が道端に倒れていて、水がほしいという。みかんを差し出
すと、お礼に反物をくれたのでした。これも観音さまのお陰かもしれないと、
なおも東へ向かって行くと都に出たのです。
すると、倒れた馬を囲んで、人々が騒いでいました。馬の持ち主が、若者に、
急用があるので、馬をやるから好きなようにしてくれというので、ただでもら
うわけにはと、反物をあげたのです。
若者は、馬を引きながら、さらに東の方へ行くと、大きな家から、旅支度をし
た主人が出てきて馬をくれ、もし、3年たってもわしがもどらなかったら、こ
の家も畑も、お前にやると言い、返事も聞かずに行ってしまったのです。若者
は、田畑を耕しながら、主人の帰りを待ったのですが、帰ってきませんでした
ので、若者は、その屋敷に住み、やがて、わらしべ長者と呼ばれる大金持ちに
なったのです。
(わらしべ  米や麦など稲科植物の茎を乾燥させたもの。引用者注)
 
  日本むかしばなし 12
    ふしぎなゆめ 民話の研究会 編 田木 宗太 絵 ポプラ社 刊
     
このように、安物が高価な物と交換されていく話は、ヨーロッパにはあまり見
られず、なぜか、インド、ベトナム、朝鮮、日本といったように東南アジアに
分布しているようです。そういえば、インドの原始仏典「ジャータカ」には、
ねずみ1匹から交換が始まり、豪商の婿さまに納まる出世物語が収められてい
ます。
「ジャータカ物語」や「パンチャタントラ物語」(世界で最も古い子ども向け
の物語集)もお勧めしたいのですが、最近、図書館でも見かけなくなりました。
パソコンで検索すると、かなり出版されているようです。あらすじを紹介して
いるものもあり、内容を把握できますから、のぞいてみましょう。
 
   (次回は、「何もないのかな 水無月」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(3)端午の節句です 皐月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第26号-
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第7章(3)端午の節句です 
 
 
★★竜とドラゴンは、どこが違うのかな★★ 
         
「先生、竜って、どこにいるのかな?」
映画「ジュラシックパーク」を見た子どもが、こう質問したものです。絶滅し
たはずの恐竜が動き回っているのですから、不思議に思ったのでしょう。
ゴジラの時も、同じような質問を受けました。人間の脳は、動くものを見るこ
とで刺激を受け、新しい思考が始まるようです。空想の怪獣が動くことで、新
しい疑問を感じるのでしょう。
 
竜といえば、芥川龍之介の小説「龍」や、上野の不忍池に、夜な夜な水を飲み
に現れたという名工、左甚五郎の彫った「龍」などから、名前には親近感があ
りますが、存在感はありません。困ったとき、頼りになるのは広辞苑、心強い
味方です。
 
それによると、「竜は、インド神話で蛇を神格化した人面蛇身の半神、中国で
は神霊視される鱗虫(蛇などうろこのある虫)の長」であり、その姿は、多国
籍軍のような寄せ集めとはいいませんが、ものすごく複雑なのです。
「頭はラクダ、角は鹿、眼は兎、耳は牛、うなじ(首筋)は蛇、うろこは鯉、
爪は鷹、手のひらは虎に、それぞれ似ている」
といわれているようです。これだけ集まれば、さて、どのような性格になるの
でしょうか、想像もつきません。棲息地は人里離れた、何やら訳ありの深い淵。
しかも、水の中で、おとなしくしているだけではありません。空さえ飛んでみ
せ、天にも昇ります。昇天の際には、雲を起こし、雨を呼び、強風を吹かせて、
稲妻を光らせ、雷まで響かせる、いかにも不思議な存在です。
 
そのせいでしょうか、竜を使った四字熟語には、威勢のよい、縁起のよいもの
がたくさんあります。
新明解「四字熟語辞典」によると、
「竜章鳳姿」は、威厳に満ちた立派な容姿、 
「竜躍雲津」は、竜が空高く舞い上がり、銀河まで昇っていくように出世する
こと、
「龍虎相搏(そうはく)」「龍虎あいうつ」でおなじみの強いもの同士が戦う
こと、
「竜象之力」は、水中の竜や陸上の象のように、他に突出した力のことを表し
ます。
もっとも、「竜頭蛇尾」と、初めは勢いもよいのですが、終わりの方ではふる
わなくなる竜もいるようです。
 
幕末の志士といえば、忘れられないのが坂本龍馬ですが、その龍馬にふさわし
い故事があります。「竜馬(りゅうめ)の躓(つまず)き」、竜馬は足の速い
駿馬のことですが、駿馬でも何かのはずみで躓くことがあるという意味で、類
似語は「猿も木から落ちる」です。ちなみに英語では、“A horse may stumble 
though he has four legs”「4本足の馬も時には転ぶ」だそうです。(「故
事ことわざ辞典」より)
 
また、「逆鱗(げきりん)」ということばがありますが、この「鱗(うろこ)」
は、竜のあごの下に逆さまに生えるもので、これに触れると竜は怒り狂うとい
われ、中国の古典「韓非子」に、天子(国を治める者)を竜にたとえ、天子か
ら激しい怒りをかうことを「逆鱗に触れる」と記されています。
 
しかし、東洋では、姿形からして何やら憎みきれない善玉的存在です。日本で
は、「竜神様」といい立派な神さまですし、「辰」として干支にも入っていま
す。「独眼竜」といえば、おなじみの武将、伊達政宗です。
 
ところが、西洋になると、一変して悪玉となるから面白いですね。
 
ドラゴンで表す西洋の竜は、悪の化身です。聖書の「黙示録」に、「年を経た
蛇」として登場します。そういえば、禁断の木の実を食べさせようと誘ったの
は、蛇でした。このドラゴンを退治するために、英雄が登場します。これでは
完全な悪役に徹することになるのですが、竜が「宝の守護者」としての伝説が
あるのですから、やはり、摩訶不思議な伝説上の産物なんですね。
 
楽しい童話があります。竜に会いたいと願っていた子どもが、会えたばかりか
竜を感激させ、その背中にのって空を飛ぶ、浜田広介の「竜の目に涙」です。
以前にも紹介しました「泣いた赤鬼」とともに子どもに読んであげたい本です。         
 
 
 
★★五月五日は、母の日ですって…!?★★
 
「エッ、ウッソー!」と、いいたくなるでしょうが、嘘ではありません、本当
の話です。
 
昭和23年(1948)7月20日発布の法律第一七八号、国民の祝日に関す
る法律(祝日法)には、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとと
もに、母に感謝する日」と定められている。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100)
 
つまり、子どもの日は「法律的には母に感謝する日」でもあるのです。
 
「それでは、どうして、五月の第二日曜日が母の日で、カーネーションを贈る
ようになったのですか?」当然の疑問です、以下のような経緯があったのです。
 
 アメリカのウエストヴァージニアの教会に、ミス・ジャービスという女教師
 がいて、日曜学校の説教のとき、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」の
 章の解説に「母の恩の深いことを人に悟らせる方法を考えよ」と教えていた。
 彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われたとき、一人娘のアンナ・ジャ
 ービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げることで母
 の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配った。信
 者たちはそれを胸に飾り、教えの通り母への感謝を示したのである。
 この話を聞いたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1908年5月の
 第二日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えた。これ
 がレディー・ファーストの国アメリカで大反響を呼び、1914年に、議会
 の決議を経て、ウィルソン大統領により国民の祝日として、5月の第二日曜
 日を「母の日」と決めたのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100
  -101)
 
カーネーションの花言葉は「母の愛情」です。これも当然ながら意味がありま
す。
 
 カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落
 とした涙のあとに生じた可憐な花ともいわれ、母性愛の象徴となった。そし
 てそれはキリストの復活につながり、復活したキリストと共に生まれた花と
 して、愛と喜びのシンボルとなった。白いカーネーションは生前のキリスト
 とマリアの涙、赤いカーネーションは復活したキリストである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
バレンタインデーのチョコレートはチョコレート屋さん、母の日のカーネーシ
ョンは花屋さん、クリスマスのデコレーション・ケーキはお菓子屋さんの企み
という感じがしますが、発案者のアンナさんは、こういった商業化、コマーシ
ャリズムには反対で、心を痛めていたそうです。
 
 
 
★★花言葉★★
 
花言葉に関しては、お母さんの方が詳しいのではないでしょうか。母の日のカ
ーネーションにちなみ、年中行事に関係のある花を選んでみました。
 
冬(12月-2月)
[そば]懐かしい思い出 ◆(そばののど越しと香りがわかります)
[松]不老長寿 同情 慈悲
[竹]節度 節操のある
[梅]高潔 上品 忍耐 忠実 独立 厳しい美しさ あでやかさ 気品
[裏白]無限に   ◆(縁起物の門松と鏡餅だけに納得できます)
[ゆず]温情 太平 ◆(鏡餅の存在を暗示しています)
[福寿草]幸福 幸せを招く 永久の幸福 回想 思い出 悲しき思い出
[椿]幸福 謙遜(赤)気取らない美しさ 控えめな愛
        (白)申し分ない愛らしさ 理想的な愛情 冷ややかな美し
           さ
 
[せり]清廉潔白  ◆(せりのおひたしは、まさにこの味です)
[ナズナ]すべてを捧げます
[御形(母子草)]いつも思う 優しい人 永遠の思い
「はこべら」 ランデブー 愛らしさ
[仏の座]調和 輝く心
[すずな]助け
[すずしろ]潔白  ◆(以上は春の七草です)
 
[大豆]親睦 ◆(鬼と親睦を図るわけではありません)
[ひいらぎ]機知 先見 用心
 
春(3月-5月)
[桃]天下無敵 チャーミング(花、しだれ桃)私はあなたのとりこ(実)愛
   嬌
[橘]純潔 ◆(お雛様は天下無敵と純潔に守られています)
 
[よもぎ]幸福 平和
[菜の花]快活な愛 小さな幸せ
[桜]純潔 精神美 淡白 ◆(かつて日本民族の矜持、プライドでした!)
[しょうぶ]やさしい心 忍耐 あなたを信じる
[柏]勇敢 独立 自由
[栴檀]意見の相違
[タンポポ]前途洋々 威厳  ◆(全く逆の花言葉もあります)
[チューリップ] 博愛 名声(黄) 実らぬ恋(紫) 不滅の愛(白)
         長く待ちました(斑入り) 美しい目
 
夏(6月-8月)
[あじさい]移り気 高慢 辛抱強い愛情 元気な女 無情
[朝顔]愛情 愛情の絆 平静 結束 短い愛
[ひまわり]私の目はあなただけを見つめる 憧れ 崇拝 熱愛 光輝 愛慕
[笹]ささやかな幸せ  ◆(「ささやか」、響きのいい言葉ですね)
[なす]よい語らい 優美 希望
[きゅうり]しゃれ  ◆(……!)
[ほおずき]いつわり ぎまん ◆(漢字で書くと[鬼灯/酸漿]です)
 
秋(9月-11月)
[萩]思い 思案 柔軟な精神 
[すすき(尾花)]活力 心が通じる 永久 忍耐
[葛]治療
[女郎花]親切 美人 はかない恋 永久 忍耐
[撫子]永遠の愛情 純愛
[藤袴]ためらい 思いやり
[桔梗]変わらぬ恋 従順  ◆(秋の七草)
 
[秋桜(コスモス)]乙女の真心 乙女の愛情(ピンク) 少女の純愛(赤)
          調和(白) 美麗 純潔 誠実
[菊]ろうたけた愛 わずかな愛(黄) 真実 誠実(白)
   私を信頼してください(濃色)
[葉鶏頭]情愛 見栄坊  ◆(ケイトウというあだ名の友人がいましたが、
     納得!)
[彼岸花]悲しい思い出 情熱 独立 再会 あきらめ
[しゅうかいどう]片思い
[赤飯]節操 粋 健康 あなたのために役立ちたい 
[白粉花]あなたを思う 内気、臆病 ◆(新 秋の七草)
 
[榊]不明(やはり、神さまに似合うのはこれでしょう 花言葉 北斗 多一
   郎) ◆([不明]なのではなく、[不明]が花言葉です)
[栗]真心 豪華 満足
「さつま芋」乙女の純真  ◆(可憐な花です)
 
花言葉はたくさんあり選択に迷いましたが、ここでは花言葉のいわれを紹介す
るのではありませんから、年中行事に関係のあるものから選んでみました。掲
載した花言葉は、すべて「Yahoo! Japan」から検索したものです。「和紙つれ
づれ花言葉」は、出典を明らかにした親切な作品になっていましたが、検索し
たところヒットしませんでしたので、今回は「花言葉由来 hananokotoba.com/」
にもお世話になりました。
 
 (次回は、「五月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
 
 
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情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(2)端午の節句です 皐月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第25号-
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第7章(2)端午の節句です 
 
★★なぜ、菖蒲湯なのでしょうか★★
 
菖蒲が邪気を払ういわれは、中国の古くからの言い伝えで、王様が殺した不忠
の家来の魂が、毒蛇となって災いをもたらしたので、香りが強く、頭のところ
が赤く、青い葉の形が蛇に似ている菖蒲を酒に入れて飲んだところ、悪魔を降
伏させる術を授かり、蛇を退治した話によるものです。
 
昔は節分の時に、玄関に柊や鰯の頭を飾りましたが、あれと同じです。鬼や悪
魔は、香りの強いものを苦手としていました。そういえば、ヨーロッパのモン
スターの代表ドラキュラの苦手とするものは、十字架と太陽とにんにくです。
 
また、菖蒲が侍の家で大切にされたのは、武芸、軍事などを尊ぶ「尚武(武芸、
軍事などを尊ぶこと)」と同音だからでした。
 
 燕子花(かきつばた)は菖蒲(あやめ)と花がよく似ているため、「源氏物
 語」のなかで、―いずれがあやめか、かきつばた―と書かれて以来、酷似し
 ていることをいう雅言(がげん)となった。万葉集では加吉都播多(かきつ
 ばた)、安夜女具佐(あやめぐさ)とはっきり区別されている。
(花暦「花にかかわる十二の短編」P121 澤田ふじ子 著 徳間文庫 刊)
 
万葉仮名は、漢字本来の意味から離れて、仮名のように読みますから面白いで
すね。
雅言は、「洗練された言語、特に和歌などに用いられる古代、特に平安時代の
言葉」(広辞苑)で、「いずれがあやめか、かきつばた」は、美人が大勢いて
優劣がつけられないたとえだと、軽薄に思い込んでいたのですが、美人に限ら
ず、選択に迷うことのたとえなんですね(笑)。かきつばたは、今は「杜若」
と書きますが、難しくて読めません。
 
なお、あやめは、きれいな花を咲かせる花菖蒲のことで、葉は剣型で似ていま
すが、菖蒲湯として用いられることはありません。以前、「26日のクリスマ
スケーキ」を紹介しましたが、同じ意味で「6日の菖蒲」があります。
  
 菖蒲が6日に届いたのでは、節句に間に合わないので、そこから「時期に遅
 れて間に合わないこと」をいうそうです。
 (知らない日本語 教養が試される341語 P321 谷沢 永一 著 
  幻冬社 刊) 
    
 
 
★★粽(ちまき)のルーツは……?★★ 
 
物事には、何事も訳ありで、端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝え
があるのです。(以下、抄訳です)
 
  屈原(くつげん)は、楚の時代に、人々に愛された清廉潔白な憂国の詩人
  で、淵に身を投げ、命を絶った人ですが、そのなきがらを守り屈原の故郷
  まで運んだのは鯉でした。
  その日が、紀元前278年5月5日。
  命日になると、楚の人々は、竹の筒に米を入れて川に投げ、屈原の霊に捧
  げ、無事に運んでくれた忠義な鯉に、感謝の気持ちを表したのです。
  ところが、屈原の死後、300年経った時のことです。
  ある人の所に他人に身をやつした屈原が現われ、投げ入れてくれる竹筒の
  米は、淵に棲む主である竜に全部食べられてしまうので、竜の恐れる「楝
  (おうち)の葉っぱ」で米を包み、五色の糸で結んでほしいと告げたので
  す。そこで、屈原をとむらい、鯉に感謝してつくった「楝の葉で包み、五
  色の糸でしばった米」が、粽の始まりです。                  
  
  楝は、栴檀(せんだん)の昔の言い方で、香りがあるので虫もつかず、竜
  も嫌いであったのです。粽は、古くは「茅(ちがや)」の葉で巻いたから
  「ちまき」といい、五色の糸は、鯉のぼりの吹流しにも出てきましたが、
  竜の恐れた色です。端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝えがあ
  るのです。
  (年中行事を「科学」する 永田久著 日本経済新聞社刊 P110-113)
  
笹の葉、ではなかったんですね。
 
そして、驚いたことに、毎年、6月の第1日曜日に長崎で行われている「竜船
競渡(けいと)ドラゴンレース」は、淵に身を投げた屈原を、一刻も早く救う
ために、速く舟を漕ぐことを争うイベントなのです。
鯉のぼり、粽、競渡、いずれも、今からおよそ二千年前の中国の戦国時代にあ
った出来事が、現在まで伝えられているなどとは信じがたいのですが、本当の
話です。
 
故事、ことわざ、慣用句、私たちの祖先が残してくれた英知でもあるのですが、
書物の中で、イライラしながら出番を待っているのではないでしょうか。簡単
に手に入り、利用できる貴重な文化遺産でもあるのですが……。
 
栴檀はビャクダンの異称ですが、「栴檀は双葉より芳し」といって、発芽の頃
から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて
優れたところがあるたとえに用います。
 
同義語として、「実のなる木は、花から知れる」や「蛇は寸にして人を呑む」
があり、対義語は「大器晩成」です。ちなみに英語では、「栴檀は双葉より芳
し」は“Itearly pricks that will be a thorn”(茨になる木は早くから刺す)、
「大器晩成」は“Who goes slowly goes far”がわかりやすいですね。
 
 
 
★★柏餅のルーツも中国でしょうか★★
 
今は、粽よりも柏餅が、メインです。これも中国から伝わってきたと思ってい
ましたが、何と、日本生まれなのです。
 
  柏の木は新芽が出ない限り古い葉は落ちないので、家系が絶えないという縁
 起をかついで柏の葉で包んだ柏餅を食べる。
 柏餅は、楝(おうち)の葉の代わりに柏の葉を使ったことから生まれたもの
 で、江戸時代中期頃に作られたといわれている。柏の葉の表を外にするのが
 味噌入り、裏を表にするのが餡入りという。
  (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P113)
 
 
ところで、子どもの頃に歌った懐かしい歌に「背くらべ」があります。最後に、
富士山の出てくるところがすごいですね。
 
    背くらべ
      作詞 海野 厚
      作曲 中山 晋平
(一) 柱のきずは おととしの   五月五日の背くらべ
    ちまき食べ食べ 兄さんが  計ってくれた 背のたけ
    きのう比べりゃ 何のこと  やっと羽織の 紐のたけ
 
(二) 柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える  遠いお山も 背くらべ
    雲の上まで 顔だして        てんでに背伸び していても
    雪の帽子を ぬいでさえ       一はやっぱり 富士の山
 
粽のわからない子が、増えているのではないでしょうか。鉄筋コンクリート建
てでは「柱」も見あたりませんし、きずが残るほど背比べをする兄弟、姉妹も
いないでしょうね。この歌もあまり歌われていないような気もします。
 
しかし、その歳、その時でなければ歌わない、大切な歌があります。それは、
成長をつづる「心の歌」です。
お父さん、お母さん、思い出してください。小学校時代に歌った歌に、思い出
が残っているのではないでしょうか。
 
 
 
★★鍾馗さまって、わかりますか★★
 
ひな祭りには、おひな様を飾りましたが、男の節句は、鯉のぼりだけではあり
ません。外には旗やのぼり、家には、かぶとや武者人形も飾りました。武者人
形は、男らしい姿と気性にあやかりたいと願って飾られたものですが、昔の人
気者は、大きな目をして黒いひげを生やした鍾馗(しょうき)でした。今は、
どうでしょうか。金太郎、桃太郎は、よく見かけますが、最近、鍾馗は見られ
なくなったようです。
 
鍾馗は、中国の魔除けの神さまで、かの有名な玄宗皇帝(唐の時代)が、病気
にかかり夢うつつの時に、皇帝と楊貴妃が大切にしていた宝物を盗み、逃げよ
うとした悪い鬼を退治。目を覚ました皇帝は、熱も下がり、病気も治っていた
ので、夢で見た姿を口述しながら描かせたのが鍾馗だそうです。三国志の英雄、
関雲は鍾馗のようだと想像しています。このような豪傑は、今風ではないので
しょうか。
 
ところで、マリアの教えを建学の精神とする男子だけの学校でサッカーの強い
暁星小学校は、「鍛える教育」を実践していますが、その具体的な目標として、
佐藤前校長は、桃太郎や金太郎など日本昔話のキャラクターである「気は優し
くて力持ち」を掲げていました。
やはり、幼いこの時期にこそ昔話をたくさん読んであげ、正義感や弱い者いじ
めをしてはいけないことを、きちんと学習すべきではないでしょうか。
 
(次回は、「竜とドラゴン 他」についてお話しましょう)
 
 
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情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1)端午の節句です 皐月

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、
早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月
晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいです
ね。
 
 
 ★★端午の節句★★
 
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」と
いう意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」である
ことから、最初の午の日である5月5日を端午の節句として祝われるようにな
りました。また、男の子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、
たくましい男性に成長することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうで
す。
 
昔は3月3日が「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として
祝ったものですが、今は男の子も女の子も元気よく育つようにと祝う「子ども
の日」の方が、なじみやすいのではないでしょうか。
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルー
ツは、お武家さん、侍の世界です。侍の家では、立派な侍になるように、鯉の
ぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような
勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。
 
それがいつの頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と
成長を祝うための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身
を守る兜や鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。
 
その経緯は、5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのは
じまり」に記されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をの
せたり、菖蒲を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲
の節句」ともいいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を
売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。
 
ちなみに、枕草子にも平安時代の5月5日の情景が描かれています。
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
       蓬(よもぎ)     (枕草子 第四十六段)
 
 
 
 ★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
 
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、川や池、
沼に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、立
身出世の象徴ともされています。
 
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はい
くら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役
になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬(ももせ)の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
 
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
 
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなし
てさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く
滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる
という言い伝えがあります。そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」と
いい、「鯉の滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水
をさすようですが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる
言葉があります。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れ
 を昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表していま
 す。    
 (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊 P134)
 
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじ
たばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせ
られても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚
として、お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手
で胸に抱くようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随
筆で読みましたが、この習性を狙ったものでしょうか。
 
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入って
いません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのび
やかな姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気
性を表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくま
しくて立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもの
で、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、
青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、
簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表した
ものですが、これにも訳があります。
 
  五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべて
 の現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、
 水から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
  そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に
 黒があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになっ
 た。
  また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観
 があてられた。
  (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                   監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があ
ると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が
大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き
流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
 
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いから
ではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船
旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海
に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりま
した。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願
う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小
さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
 
(次回は、「第7章(2)端午の節句です 『なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか』
などについてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本 

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といっ
たものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の
中で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういうおじいさんは、いなくなるでし
ょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の
木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会っ
たのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
 春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊
 
 
  
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓に矢をつがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
   日づけのある話 365日
 四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」に、信仰について以
下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、そ
の種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
     (「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
 ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
ところで、東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津
波の話を思い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で
見つけましたので紹介しましょう。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の
村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやる
と―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」で
はないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説
明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火を
つけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、
何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆
け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り
囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの
海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
   「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著   
   WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防いだそうです。感謝を込め、
「浜口大明神」を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱り
つけて辞退。4メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防に
より、流失家屋は2軒だけでした。国指定史跡となった「広村堤防」は、今は
大きく育った樹木に覆われ、自然の中に溶け込んでいます。(インターネット
で「広村堤防」を見ることができます)
 
 
 
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物た
ちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
 
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくな
れば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それから
と言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
 ※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                   日本民話の会・編 国土社 刊
 
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありませんね。
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)

【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ
 
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子どもたちは、親のもとを離れて初
めて生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけ
です。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子どもたちも、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しい
ことばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ
行こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるから
です。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精一杯、努力をします。見ていると涙
ぐましいほどです。
 
しかし、このようなお父さん、お母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸かし器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・
溺愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(最近ではあまり使わなくなりまし
たね。空気読めない自己中)ママ、パパです。
「悪いのは友だち、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、保護者と子どもに原因があるのですが、恥ずか
しげもなく、こういう行動を起こす保護者ですから、保護者も子どももそのこ
とがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、保護
者から逃れられませんから。
 
幼稚園は、お父さん、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあるこ
とを実地体験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる
力をつける所ですから、お父さん、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、
客観的にわが子を見る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
 
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでは過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にして
あるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目
の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらねば
なりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているので、たくまし
くなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女の子、
二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にもこうい
った意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組む子をよく見まし
たが、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。
 
一般に、女の子は成長が早いので、あまり手がかからないものですが、男の子
は少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう
注意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。
もっともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子
育てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばし
ていく保育」に変わりました。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことをするのはやめて、自発的に活動できるように
導く保育です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく
「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律
できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子どもたちもクタクタに疲れて帰って来るでしょ
う。しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送
迎を義務付けられている幼稚園の場合は、保護者の方も体調を崩さないように
気をつけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
たちが新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからない
お母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子どもた
ちは、電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学することもあるはず
ですから、慣れるまで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車
に乗り込む子どもたちを見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
 
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか。あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
 
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」とも
言われますが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
 
そのようなことがあっても、翌日、子どもたちが元気に学校へ行くのは、家に
帰ればやさしいお母さんやお父さん方がいるからではありませんか。家庭でリ
フレッシュできるからこそ、明日に希望をもてるのです。
 
低学年時代は、主にお母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作
ってあげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子ど
もたちにはないからです。
 
そして、小学校低学年時代、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に生
きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要な
体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思います。
「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入れ替
えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、い
つか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心
身ともに強くて、心のやさしい子」、暁星小学校では、たくましい子どもとは
「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていましたが、そのためには、「心身
ともに強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。
 
「親の背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
小学校の低学年までに、生きる姿勢の基本的な枠組み、形が出来上がるのでは
ないかと考えています。そのお手本が、ご両親であることを肝に銘じておきま
しょう。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることも
ありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん
実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分が
いやだったことは、子どもだっていやなはずです。
 
論語にも「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」という言葉がありま
す。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタイによる福
音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもいいのですが、
こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
 
   (次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第六章(2)桜について
 
 
今年は例年のように場所取りをしてのお花見ではなく、歩きながらのお花見が
多いようですね。いつ元の花見に戻るのかなと思いつつ桜についてお話ししま
しょう。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあり
ませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りにな
り、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神
さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年
の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
 「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田
 の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木
 をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
  (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神さまを迎える儀式でしたが、武士の時代
と共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽
くした宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から
引きずりおろされ、今では、桜のもとで食事や酒盛りをして楽しむ行事となり
ました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさを酷評していますが。古来、桜は何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができるのです。
 
こうした川沿いに多い桜の名所ですが、その他にお侍さんの勤め先である城と
寺社にも多いですね。
私たち日本人は、こうした名所の他にも、なぜか桜の下に陣取り宴会を開きが
ちですが、面白いことに、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。
たびたびお世話になります樋口清之先生の監修された本に、校庭の桜について
何とも言えず考えさせられる話がありましたので、紹介しましょう。
 
 日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであった
 が、これが明治時代から少しおかしなことになった。
 それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
 本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠
 んだ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生
 まれてきたからである。
 さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美し
 いという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つ
 まり、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵
 舎に桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭
 にも桜が植えられるようになった。
 関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
 もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで
 校庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学か
 ら広まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
 
さて、ここからは桜の豆知識を2つ。
 
日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、アニメではありませんが、目が点になり
ますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ日蓮宗の古
寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」だそ
うで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられています。
 
そして、日本の三大桜もご紹介しましょう。この山高神代桜と福島県三春町の
三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の淡墨桜(樹齢千五百年)です。淡墨桜
は、つぼみの時は薄いピンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、こ
の散り際の色にちなみ命名されたそうです。
 
少し脱線。
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下
自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどっ
たものですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である
岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して
創った三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初
等部と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太
郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっ
ています。
 
最後に、桜と言えば、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう。
「さくら さくら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝(和楽器
の一つ)の手ほどきとして作られたもので、作者は不明です。
 
  さくら さくら
  (一)さくら さくら  
     やよいの空は  見わたす限り
     かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
     いざや いざや 見にゆかん
 
  (二)さくら さくら
     野山も里も   見わたす限り
     かすみか雲か  朝日ににおう
     さくら さくら 花盛り
          (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
 
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう。見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値ありです。六義園は小石川後楽園と
共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、見
事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子どもたちに伝えるのも、親の使命ではないかと考え
ますが、いかがでしょうか。
 
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月 

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号-
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第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではな
く、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
 
 ★★花祭り★★
 
キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれて
いますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(か
んぶつえ)」といいます。
現代では仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょうか。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王さまでシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な
夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かっ
た夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ち
ゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花
繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあ
った菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわ
いい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄
から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑
え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存
知の仏教です。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三
大法会(ほうえ)」といいます。
 
 
 
 ★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれになった
ばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し左手は
地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひしゃく)
で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、
お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
 
 
 ★★仏教童話★★
 
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
 「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な
 感情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対で
 あり、それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」
 「思いやりの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいも
 の、あたたかきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと
 私は考える。(中略)
  優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、
 作品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出て
 くると説教となって文学性を消滅する。
   (ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
         小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の多くの作品の中から、一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
  濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色
  の鹿が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にい
  ることを、誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。
  その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出
  して欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者は
  いないか、案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたの
  が、命を助けてもらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人で
  した。
  王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出しま
  す。
  「王さま、あれが金色の鹿です」
  と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人
  は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、
  かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこうい
  ったのです。
  「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せ
  ないなら、私を殺してください」
  それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、
  生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、
  恥ずかしくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私を
  まともな心に引き戻すために現れたのかもしれない。
  王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
  「生き物の命をとる狩をやめることができました。あなたさまも森へ帰っ
  て、いつまでも幸せに暮らしてください」
  といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男
  の腕に戻ってきたのでした。
      (仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音さまと孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥にな
ってしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が
本物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあっ
たけちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成
されています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさ
んの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を
表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさ
しく話しかける作品になっています。
 
この時期だからこそ、純真な子どもたちの心に、素直にしみこむものです。
図書館で見かけることがありましたら、ぜひ、お子さんに読んであげてくださ
い。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
 
      (次回は「桜について」をお話しましょう。)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

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