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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(3)情操教育、難しく考える必要はありません-本を読んであげてください〔2〕

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
 
- 季節の行事、これも欠かせません - 
 
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
昔は農耕民族でしたから、1年の生活は農作業を中心に営まれ、休みも仕事の進み具合により取るようにしていましたが、今は法律で定めた国民の祝日になっているものが多く、全国的に休暇を取るようになりました。以前は、祝祭日に日の丸を掲げたことから「旗日」ともいわれていたのですが、今はあまり見かけなくなりました。
 
祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているのでしょう。
元日に雑煮を食べない家庭もあるそうですから、当然かも知れません。しかし、七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午の節句、これはおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。国産ではありませんが、クリスマスもきちんと祝い、ハロウィンも仲間入りしてきました。いずれも国産化され、本来の趣旨とは違ってきているようですね。
 
お父さん、お母さんに質問です。
「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話してあげる機会を少しでも多く持ちたいですね。
 
例えば、正月の門松です。
 
室町時代頃から飾るようになったそうですが、これには、きちんとした科学的な根拠があるのです。詳しくは1月に説明しますが、ここでは、昔に聞き、今でも忘れられない話を紹介しましょう。
 
「松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れへん我慢強さがある。しかも中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』っていうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、咲く姿は清らかや。みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。
 そやから、これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生きて、家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていたものです。
今の時代、「男は」とか「女は」をつけると、何やら一言ありそうですが、昔のこととして流してください。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんなで祝ったものです。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思い出として残してあげ、子どもが親になった時に、その楽しい思い出をわが子にも伝える、そういった風習が残っていました。何しろ今と違い、情報量の少なかった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけです。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など幼稚園や保育園では聞こえますが、ご家庭からは聞こえなくなりました。そんなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。
 
「月にうさぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタクロースはいる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送られてきた手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。
 
「迷信と切り捨てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」とでは、どちらが子どもにとって幸せでしょうか。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻をしたり、短冊につたない字で願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝っていたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞かれない言葉の一つになりましたけど……。
 
今のようにインターネットやテレビもなく、昔話の本などあまりなかった時代は、ほとんど両親の記憶による話でした。その話も祖父母、先祖によって語り継がれてきたもので、そういった昔話の原点が残っていました。
 
特に、鬼の話や地獄の話は恐かったものです。悪いことをすると地獄に落ち、針の山に追われ、血の池に放りこまれる話などは、心から信じていました。これも「情操教育」ですね。
 
こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の絆が薄くなった原因の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々の行事も、心を培う「情操教育」に欠かせない、家庭でやらなければならない大切なイベントだと思います。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のある昔話を紹介しようと試みたのですが、日本中の行事といえば気が遠くなるほどありますし、昔話となると、とてもではありませんが手に負えない、ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料として使わせていただいたのは、永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日本経済新聞社 刊)です。専門用語が使われ難しいものですから、独自に解釈させていただきました。
なお、本書をご自宅用にと思われている方、今では中古本としてしか入手できなくなっていますのでご注意ください。
 
昔話は、独断と偏見で選んでみました。そして、解釈も独自ですから、専門家の諸先生方に一笑されるかもしれませんが、ご容赦ください。
 
紹介する話は、ほんの氷山の一角で、しかもダイジェスト版にしています。面白いと思われましたら、本物を読んであげてください。それも、本メールマガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが図書館で読めるものです。お住まいになっている図書館の子ども部屋にはあると思いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってください。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。
 
情操教育は、心の教育です。心の教育は、幼児期に基本的なことを学習しておくべきです。今は学習ではなく、勉強が幼児の心をむしばんではいないでしょうか。文字の成り立ちからもわかるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強は「強いて勉めること」です。幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。
 
親が勉強せず、子どもだけに勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。情緒が不安定で、情操の乏しい子が増えているといわれていますが、知識を詰め込むことにこだわり、心を育てる育児が、おろそかになっていないでしょうか。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。
うぐいすのひな鳥が、親鳥の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をし、やがて一人前に鳴けるようになる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。
心の教育は、お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでしょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改めるべきではないかと、あえて言い切っておきましょう。
 
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から培われていくものだと考えています。
 
通信簿に表れた目先の結果だけにこだわらず、どのような子どもに育ってほしいのか、大らかな心をもち、お子さんの教育について考える賢いお父さん、お母さんになってあげましょう。それがご両親の役目、親の責任ではないでしょうか。
 
事情があってお一人で育てられている場合は、お子さんのため、とは言いつつも二人分のことを一人で行うのですから大変だと思います。心から応援しています。
 
最後に、落語「桃太郎」の全編を紹介しましょう。大人用は、複雑に脚色された噺が多く、長くなりますから、「こども古典落語」から選びました。
 
「桃太郎」は、「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」と共に、日本の五大お伽話といわれています。なんと、この五つの話を知らない子がいます。ご自身のお子様はどうでしょうか。
 
余談になりますが、落語ですから声を出して読んでみてください。
黙読とは一味違うはずです。
 
 
★★古典落語「桃太郎」の作者
    乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)の意図★★
 
桃太郎のお話を一席申し上げます。
近頃の子どもは学校に入る前に、大概、幼稚園や保育園に行っていますから、昔とは大変に違います。昔は親が子どもを寝かしつけるのに、「おとっつぁんが、面白い話をしてあげるから寝るんだよ。いいかい、あのね。むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいてね。ある日、おじいさんは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだよ。そして、おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、家に持って帰って割ってみると、男の子が生まれたんだよ。桃の中から生まれたから桃太郎と名前をつけてね。大きくなると桃太郎は、犬と猿と雉を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして、鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだよ。どうだい、面白かったかい……。
おや、坊や……。もう寝ちまったよ。子どもなんて罪のないもんだね」
 
という具合だったんですが、今は、そうはいきません。
 
「坊や、お父さんが面白い話をしてあげるから早く寝な」
「せっかく親が面白い話をしてくれるのに、寝ちゃあ失礼だよ」
「失礼でもいいから寝なよ」
「あのね、むかしむかし」
「むかしむかしって、何年前?」
「ずうっと昔だよ」
「それじゃ、何世紀頃のお話?」
「何世紀だって、いいじゃないか!」
「あるところに、おじいさんとおばあさんがいたんだ」
「あるところって、どこ? おじいさんとおばあさんの本名は?」
「あるところはあるところさ。おじいさんとおばあさんには、名前がないんだよ!」
「でも、名前がない人っていないよ」
「貧乏だから、名前を売っちゃったんだよ」
「変なこと言ってら!」
「黙って聞きなよ!」
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだ。おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、これをもって帰って割ってみると、男の子が生まれたから、桃太郎と名前をつけた。この子が大きくなると、犬と雉と猿を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだ……。あれっ、まだ寝ないのかい?」
 
「お父さんの話を聞いていたら、さっきまで眠かったのに、パッと目が覚めちゃった。だってこの話は、もっと深い意味があるんだよ」
「ほう、そうかい?」
「話してあげようかい、君!」
「あれっ、親をつかまえて、“君”というやつがあるかい!まあ、話してごらん」
「むかし、むかし、あるところにというのは、何時代のどこと決めてもいいんだけど、日本中の子どもがこの話を聞くわけでしょう。だから、子どもたちの想像させるために、わざとぼかしてあるんだよ。おじいさん、おばあさんというのは、本当はお父さん、お母さんなんだけど、やわらかみを出すために、おじいさん、おばあさんにしてあるんだ。そして、それぞれ山と川に行くでしょ。あれはね、父の恩は山より高く、母の恩は海よりも深いということを表しているんだよ。そして、海のない地方もあるから、わかりいいように川にしたんだ」
「えっ……、なるほど。これは、大人が聞いてもためになるな」
「そうさ。桃の中から子どもが生まれたというけど、あれは、桃のようなかわいい赤ちゃんが生まれたということなんだよ。第一、桃の中から赤ん坊が生まれてごらん。果物屋さんは、赤ん坊だらけになっちゃうよ」
「なるほど、なるほど、それから?」
「そんなに前に乗り出してこないでよ。そしてね、鬼が島に行くというのは、つまり、父母のもとを離れて、世間に出るということなんだよ。犬、雉、猿を連れて行くというのはね、犬は思いやりというものがある。難しい言葉でいうと仁というんだよ。猿には知恵がある。雉は勇気がある。つまり人間は、世間に出たら、仁、知、勇、この3つを働かせなければいけない。そうすれば段々に偉くなってきて、世間から信用という宝物を得ることができるということなんだよ。それをお父さんみたいに、この話をしたんじゃ、このお話の作者が泣くよ。わかったかい、お父さん……。お父さん、あれぇ、お父さん寝ちゃったよ! へえー、大人なんて、罪のないもんだ!」
 
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
   小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
きび団子の説明が抜けていますが、きびでできた団子は美味いものではなく、人間いかなる時もおごってはいけないという戒めを表しています。桃太郎伝説のモデルといわれている岡山県の吉備津神社で食べたきび団子は美味かったので、子どもたちから「うそでしょう?」と言われるかもしれません。
 
いかがでしょうか、説得力があると思いませんか。
歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実に無駄がありません。
 
しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑いながら、人生修業をしているのですから。落語は、最後の「下げ」が勝負になりますが、これも決まっていますね。YouTubeで視聴できます。
 
最近、落語を聞く機会がなくなりましたが、落語は素晴らしい話芸です。疲れたときに聞いてみませんか。落語は、声を出して笑うことが、いかに大切であるかを教えてくれるからです。
 
「笑う門に福来る」とも言うではありませんか。ご両親の笑顔は、お子さんの健やかな成長を支える促進剤です。
ちなみに英語では、“Fortune comes in by a merry gate”、面白いのは、“Laugh and be fat”(笑えば肥る)とも言うそうで、後の方が、実感があり、納得できますね。(「故事ことば辞典」より)
 
ところで、あるミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたことがありますか」と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのようにお考えでしょうか。
 
 
  (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)

 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(2)情操教育、難しく考える必要はありません-本を読んであげてください〔2〕

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
 
- 本を読んであげてください 〔2〕 -
 
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみようかな!」となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像して描いたものではないでしょうか。ファンタジーの世界ですから夢もふくらみます。
 
絵を描こうとする動機は純粋です。
 
幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇心の芽を育む絶好のチャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる学校があるから、絵画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希望ではありませんから、絵を描くことが好きになるとは思えません。
 
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が培われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではないでしょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
 
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷咀嚼力)=描かれた絵
 
妙な式ですが、私見ですが私の経験では、感性は、子ども自身が与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた「自前の能力」ではないだろうかといいたいのです。親が、注文を付け始めると、おもしろくない絵になりがちだからです。
 
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
 
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、ある日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、横に真っすぐのびたままで、年長になって、やっと手も下におり、人間と認められる絵になったのではないでしょうか。
 
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。
 
絵は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。
うまい絵を求めるより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける雰囲気を作ってあげることが大切です。
 
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きください。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さんは子どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いておきましょう。
 
話を本題に戻しましょう。
 
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
昔話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義は、必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、きちんと学習しています。いってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」です。情操教育の基礎、基本を学習しています。
 
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を重ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情緒の分化が、5歳頃には出揃うと考えられています。
 
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言ですべての要求を表し、ついこの間までは、望みが叶わなければ何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言葉で表せるのは、格段の進歩ではないでしょうか。今まではおもちゃ箱の中に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はここ」、「ぬいぐるみはこっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理されて行く状態になるのです。
まだ、整然とはいきませんが。
 
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、怒り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を聞くことから、喜怒哀楽など心の動きが誘い起こされ、幼いなりに自我を作っているのです。
 
ずる賢い人には怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われると笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。
話をきちんと理解している証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュレーション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感を養っているのです。
 
それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習になっているのです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。小学校受験編でも紹介しましたが、英語では“The leopard cannot change his spots”というそうで、世の東西を問わず、育児の鉄則となっているようです。 
 
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お父さんやお母さんが感情こめて読んであげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話を静かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学校の勉強にスムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えであり、学習態度です。
 
話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算ができ、九九をそらんじていても、駄目です。
 
小学校の先生方に聞いてみると、みなさん、そうおっしゃいます。
それほど、話を聞く姿勢を身につけることは大切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強についていけず、落ちこぼれることにもなりかねません。
 
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつもいっているでしょう!」 
と、恐い顔して、厳しく、何十回といっても無駄、と言っても過言ではないでしょう。
 
言葉だけで説得できません、態度で示すに限ります。本を読んであげることで、保護者自身が、よいお手本を見せています。それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
 
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子になる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠ったことも考えられるのではないでしょうか。
 
「たがる大切な時期」をモンテッソーリ教育では「敏感期」といいます。その時期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽の程は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかったため、言葉を話せないまま成長したインドの狼少女は、敏感期を実証した話ではないでしょうか。
 
※マリア・モンテッソーリ
  イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教育を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象にした保護施設「子どもの家」において、独特の教育法を完成させた。以後、モンテッソ―リ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになった。
    (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
 
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つのことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。
気力や体力は、運動だけで培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物事に取り組む意欲や頑張る力も育まれます。
 
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお父さんやお母さんも、聞いているお子さんにも、まったくないはずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習しています。
 
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。
 
「教えない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思っていないにもかかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうとする気持ち、学習意欲が身につきます。
 
しつこいですけれど、まだ、あります。
 
親(保護者)の表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなのです。ですから、本をたくさん読んであげる親は、子どもに慕われます。
 
それは、親とお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の世界を楽しんでいるからです。大人は、こんな荒唐無稽な話などありえないと思っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さんのレベルに合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、心は通います。
 
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
 
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
 
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない本では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」などを買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こういったことは、小さい時から、とかくありがちです。気を使ってください、親の考えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、とかく子どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話となっている場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前に、親のエゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり。同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、その本とは一切関係ありません)
 
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることもあるでしょうが、「どう、面白かった?」といった言葉がけはやめましょう。
 
親のイメージを押し付けることになりがちだからです。
「ツバサちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
 
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメージが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
 
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお父さんやお母さんが選んであげ、後はお子さんに任せてみましょう。
お子さんが選んだ本は、たとえ、年齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげてください。そして、自分で選んだことを褒めてあげましょう。お子さん自身が興味を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご両親、保護者の優しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
 
また、お子さん自身が「読んでほしい」、と意欲的になる以前に「読書の時間です」などと、スケジュールをキッチリと組むのはどうでしょうか。
 
お子さん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。
 
まず、読み聞かせが習慣となり、読んでほしいという意欲を掻き立てるために、寝る前に読んであげると良いのではないかと思います。以前、横浜雙葉小学校の説明会で、当時の学園長が「お子さまと添い寝をしながら本を読んであげる機会が少なくなっているのでは」と懸念されていましたが、皆さん方はどうでしょうか。
 
最後に、図書館にはまだ紙芝居がたくさんありますので、利用してみましょう。紙芝居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で向き合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味をもっているかがわかるからです。
 
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教えるのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、お子さん自身です。
 
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュースなどをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うものは丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本から、育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
 
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期にきちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎(いしずえ)にもなるからです。繰り返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児期に身につく」ことを伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
 
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、心の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。
 
「文字よりも言葉」です。
 
小学生になれば、覚えた言葉を文字で表す学習に進み、国語を楽しく勉強できるようになるものです。これが「情操教育の基礎、基本」です。ご納得していただけたでしょうか。
 
 (次回は、季節の行事についてお話しましょう) 
 
 
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行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元
 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(1)情操教育、難しく考える必要はありません-本を読んであげてください〔1〕

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
 
 - 本を読んであげてください 〔1〕 -
 
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVD、スマートフォンで動画などに、子守をさせてはいけないと思います。確かに、このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽や効果音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。
 
これほど便利なものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、疑問を感じても質問できないといった不便な点もあります。
 
わからないままに、話はどんどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こしがちではないでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このことです……。
 
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵が主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進む物語になっていると思います。
 
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているのでしょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれる言葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで行われ、絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではないかと思います。
 
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。 
 「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お子さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、確実に語彙が増えていきます。
 
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいいながら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読んでもらった本がおもしろかったので、お父さんやお母さんの言葉を思い出しながら、確かめているのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもとに映像を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。
 
つまり、「言葉で考え、想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
 
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読んでくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
 「お母さん、ありがとう、そこまででいいです。」
といったことが、しばしば起こりがちです。
 
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりませんが、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。
イメージ化の中断です。
読んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えていますから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありません。覚えようとする力、「記憶力」がつきます。
 
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具体的になり、そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」の「転」はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立てる形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、わかりやすい例えがありますので紹介しましょう。
江戸時代後期の儒学者・詩人・歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
   京都西陣帯屋の娘    (起)
   姉は十八、妹は十六   (承)
   諸国の大名は刀で殺す  (転)
   姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の娘の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、鬼退治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと終わって、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。   
 
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
 
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえありません。話は、快く聞けるように仕組まれています。
しかも物語は、簡潔明瞭に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を理解する力、「理解力」が培われてきます。
 
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事でしょう。
 
イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決まっています。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住んでいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしているではありませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。
 
「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわかりません。 
「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前もありません。
 
みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どのように」と話は展開していきます。
 
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありません。奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄であろうが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまいます。時代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。
 
ですから、子どもたちは、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせながら、話の世界へ入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
 
これを、几帳面に、「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、大字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまとお熊という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはならないでしょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。
読むお母さん方も疲れてしまいますね。
 
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   何を(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W1H]から成り立っていますが、新聞記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従っているからです。
 
ということは、昔話を聞きながら、[5W1H]を小さい時から学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
もちろん、子どもたちは「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いているわけではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいきますから、繰り返し話を読んでもらい、話を覚え、絵本を見ながら言葉で表現することで、物事を筋道立てて考える訓練にもなっているのです。物事を組み立てる、考える力、「構成力や思考力」が自ずと身につきます。
 
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければできませんから、そのための訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、味わい、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
 
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこともできません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
 
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
 
「うん、パパも子どもの頃はよく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
 
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあげましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を覚えようとします。
 
そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
 
しかも、「覚えなさい!」といわれて覚えたものではなく、「話してみなさい!」といわれて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、楽しみながら積極的に挑戦し、能力を開発しているのですから、その効果は一石二鳥どころではなく、計り知れないものがあります。
 
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。
しかも、これだけではありません。
続きは次回お話ししましょう。
 
(次回は、「本を読んであげてください 2」
                 についてお話しましょう)
    
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中
行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元
 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね -師走-

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章
(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね -師走-
 
 
暦の上では11月に立冬がありますが、幼児教室では冬は12月からとしています。
その冬ですが、物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
 
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(すうそう:ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となったという説が有力だそうですが、全てのことを「為果す(しはす)月」というのもあるそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、「子どもに伝えたい年中行事・記念日」(萌文書林 編集部編 萌文書林 刊)を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえぎる声が聞こえそうです。
 
クリスマスですね、わかっています。子どもたちが、もっとも楽しみにしている日ですから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか、という声も聞こえてくるかもしれません。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世界的な規模でのお祝いですが、実はよく知らないことや、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
 
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
 
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第1号は、キリストの誕生日です。
 
読んだときはびっくりしました。例の、といっては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、どうなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。
その頃、力を持っていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
 (えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称、亜欧州)で信仰されていた太陽の神ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる日と考えられていました。
4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリストこそ、私たちの太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったのです。
 
信者の皆さま方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれたのでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つかりません。(陳謝)
 
 
 
★★ なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか ★★ 
 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるのでしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどありません。私は子どもたちに、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著  日本経済新聞社 刊〕
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
 
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでしょうか、これも訳ありでした。
 
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、これまた驚きです。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
 
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル (1483~1546)が、初めて採用したのです。
1529年のクリスマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切  った夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田 久 著  日本経済新聞社 刊〕
 
では、当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命を讃(たた)え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮名は引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。
今の樅の木は、華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たるかは、定かではないそうです。
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼントの飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。
しかし、あれは柊(ひいらぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも訳ありでした。
 
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁起もあるのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著  日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
まだまだクリスマスについてありますが、今回はここまでにしましょう。
 
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(2)についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第2号-
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-事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-
 
私は、長い間、幼児教育のパイオニアである大手教育研究所でお世話になっていました。「情操を育むために、年中行事と昔話が大切な役目を果たしているのではないか」と模索していたのは、幼児教育の本質が少しわかりかけてきた、50歳になった頃ではなかったでしょうか。「年中行事を『科学』する」という素晴らしい本にめぐり合い、進むべき道が見えてきました。
 
そして、この考えに「間違いはない」と自信らしいものが出てきたのは、ある経験からでした。
約10年間にわたり、板橋区にある淑徳幼稚園の課外保育であった進学教室を担当していたのですが、後半の5年間は、一人で年中組と年長組を指導することになりました。この間の子ども達のやり取りとお母さん方の反応から、年中行事と昔話を組み合わせた「情操教育歳時記」といった何とも大仰なタイトルですが、気軽に読んでいただける本を作ってみようと思い始めていたのです。
 
私どもの研究所の教室へやってくる子ども達は、全員、「受験のために勉強にきている」といった意識が、しっかりと培われていましたから、授業もやりやすかったのです。「幼児教室は、こういうものだ」と思っていた私には、この進学教室は、まさに青天の霹靂で、勝手が違い、思わぬ苦労をしました。
 
その日の保育が終わった後に、同じ教室でやるのですから、子ども達にとっては、「自分たちの土俵に変な先生が入ってきた、エイリアン!」といった感じだったのでしょう、いつものように授業を始めることができなかったのです。そのために、まず、授業に集中できる雰囲気を作ることからはじめました。
 
試行錯誤を積み重ねながらできあがったのは、授業の前に、その月の行事、11月でしたら七五三をテーマに、昔からの言い伝えを子ども達にわかるように話し、その月に関係ある昔話をするといった方法でした。
 
回を重ねる内にわかったのは、子ども達は「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」を知っていても「一寸法師」や「花さか爺さん」などの昔話を、あまり知らないことでした。しかし、話をしてみると、熱心に聞いてくれるのです。それならばと、徹底的に昔話をすることにしたのですが、年長組は週2回で月8回、1年間で、ざっと96の話をすることになり、少々心配になりました。「絵本を見ながら読んであげればいいか!」と気軽に考えていた私は、子ども達から思わぬしっぺ返しを食い、悪戦苦闘が始まったのです。
 
それは、本を見ながら話す時と見ないで話す時では、子どもの興味を示す様子が、微妙に違うことでした。話を覚えている場合は、子ども達の目を見ながら話をしますから、目をそらす子はいません。「目をそらさない」は、話をしっかりと聞く基本的な姿勢です。本文でも紹介しますが、「大勢の子ども達に、話を読み聞かせる重要なポイントは、話を記憶することだ」と教えてくれたのは、進学教室の子ども達でした。
 
毎週2つの話を記憶するのは大変でしたが、子ども達は私の話を楽しみに待ってくれ、授業にもスムーズに入れるようになりました。見つけた時には私も驚きましたが、「シンデレラ物語」とそっくりな話である「ぬかふくとこめふく」を話した時の、子ども達の驚いた顔を忘れることができません。
 
ある時、椋鳩十の動物の話をしてみました。すると、次の時間にもとリクエストがあり、動物達の話に興味があることもわかりました。そこで、長編でもある「丘の野犬」をアレンジして話したところ、何と熱心に聞いてくれ、涙さえ浮かべる子も出てきたのです。この時ばかりは、今、思い出しても、ぞくぞくするほど感激したものです。
 
進学教室の役目は、併設する淑徳小学校での勉強に、スムーズに対応できる力を身につけることでした。小学校へは、受験勉強をし、力をつけてきた大勢の子ども達が入学してきます。そういった子ども達に共通しているのは、「話を聞く姿勢」が身についていることで、小学校の受験でもっとも大切なのは、この「話を聞く力」なのです。ペーパーテストを例にとっても、プリントの上にダミーを含めて、答はすべて出ていますが、「設問」はどこにも書かれていませんから、話を聞き逃すと、解答できないわけです。
 
昔話や年中行事のいわれなどを聞きながら、子ども達は意識することなく、「話を聞く姿勢」を身につけてきたのです。こうなるとしめたもので、授業は私の仕事でしたから、後は楽なものでした。集中さえできれば、問題を解く力もつき、面白くなりますから、取り組む意欲も違ってきます。難易度の高い問題にも挑戦し始め、当時、毎月1回行われていた2,000名近くの子どもが参加する公開模擬テストで、10番以内に入る子も出てきたのです。
 
さらに、思わぬ収穫になったのは、お母さん方の反応でした。授業終了の5分ほど前に、お母さん方に集まっていただき、今日取り組んだ問題を解説しながら、家庭学習の要点を説明し、今月の行事とその日に話した昔話を紹介していました。
 
すると、「先生、ママが菱餅を買ってきて、何で三色なのか、先生と同じ話をしてくれたんだよ」と、女の子がいない家庭にもかかわらず、「おひな様を飾るわけや、菱餅の色」について、子どもに話をするお母さんも出てきたのです。
話してくれる子ども達の顔は、みんなうれしそうでした。四季折々の行事の意味を説明してきたことが、話だけで終わらずに、各ご家庭で祝ってくれるようになったのです。このことです……。
 
ここからは「わたし流の解釈」ですから、軽い気持ちで読み流してください。
話を聞こうとしなかった子ども達が、なぜ、楽しみに授業を待ってくれるようになったのか、それは子ども達の心の中に、幼いながらも、何らかの刺激を求める小さな芽が、しっかりと培われてきていたからだと考えました。後で詳しくお話しますが、その小さな芽は、分化され始めた「情緒」だったのです。
 
「情緒とは、喜怒哀楽の感情の表れたもの」と考えていただければ、わかりやすいと思います。きっかけを与えたのが、昔話であり年中行事であったわけです。育まれてきた小さな芽である情緒に刺激を与えてあげれば、素直に反応をすることもわかりました。
そうでなければ、あれほど真剣に話を聞くはずがないからです。
 
私の話でさえ一所懸命に聞くのですから、ご両親の話であれば、もっと歓迎するはずです。「パパがね、先生が話してくれた『おぶさりてえのおばけ』の本を買ってきてくれたんだよ!」と嬉しそうに話してくれる子ども達も増えてきました。話を聞く姿勢は幼児教室や塾で身につくものではなく、ご両親の「本の読み聞かせ」や「対話」から育まれるものです。
 
こういった体験を何とか記録に残し、皆様方に読んでいただきたいと考え、できあがったのが、このメールマガジンです。話を聞く姿勢さえ身につけば、小学校の受験は、決して難しくありません。また、年中行事を、ご家庭で楽しむことにより、楽しい思い出がたくさん残り、それが豊かな情操を育む礎になっていることも否めない事実です。
 
小学校の入試に季節の行事が出題されるのは、なぜでしょうか。
知識として知っているかを判断しているのではありません。四季折々の行事を楽しむ、ご家庭の文化があるかどうかを見ているのではないでしょうか。家庭の文化は、ご両親の育児の姿勢であり、それが受験する小学校の建学の精神や教育方針と限りなく近ければ、それが志望理由になるわけです。
 
新年長さんであれば、この1年間、お子さんは受験勉強に励むわけですから、保護者にも勉強をしていただき、ご家庭の文化を築き上げてほしいと思います。
 
話を聞く姿勢が身につくのも、豊かな情操が育まれるのも、ご両親の育児の姿勢次第です。
 
小学校の受験で必要な能力の基礎、基本は、「ご家庭で培われる」ことを学習していただき、お子さんと二人三脚、もしくは三人四脚、状況によっては四人五脚、五人六脚のこともあると思いますが、ゴールを目指して頑張ってほしいと願っています。
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中
行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元
 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<保護者編>創刊号

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第1号-
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人生は、出会いと別れの織りなすものともいわれていますが、この出会いの多い人が、幸せなのではないでしょうか。
そして、出会いが多い、少ないに関わらず、素晴らしい出会いを手軽に実現してくれるのが読書です。
 
永田久先生の書かれた「年中行事を『科学』する」(日本経済新聞社 刊)は、実に貴重な出会いの一冊となりました。
 
年中行事を、科学的に研究された方がいらっしゃったのには、驚かされました。初めて知ったことが多く、一つ一つ納得できましたが、難しいのです。
 
「自分の浅学を反省せずに、何だ!」と、先生からお叱りを受けるかもしれません。しかし、難しいのです。でも、素晴らしいのです。
 
今までは、何となく季節折々の行事や祭りを、生活とはあまり関係のないイベントとして見る習慣がついている保護者の方に、行事の由来やそれに関係のあるむかし話を紹介して、改めて行事や
祭に興味を持っていただきたい。そして、育児に取り入れるていただくことができれば、幼児期の心をはぐくむ教育に、よい影響を与えるのではないかと、漠然と考えていたのです。
 
この本が、ものすごい解答を示してくれました。
 
門松も、菱餅も、クリスマスケーキも、年越しそばも、そのもとを尋ねてみると、いずれも、自然と共生するための、貴重な教えになっているではありませんか。
 
そのもとは、「感謝」の心です。
 
感謝を忘れると大人は傲慢になり、子どもはわがままになりがちです。自己中心的な考えしかできない大人や、自分のことしか考えない子ども達が多くなったのも、共に生きるためのルールを守
らないからであり、いじめは、その最たるものではないでしょうか。
 
「やってはいけないことがある」という、だれでも守らなくてはならない約束事は、自立が始まる3歳頃から自律心を養う6歳頃にかけ、きちんと学習すべきことの一つです。
 
なぜ、子どもの頃に、むかし話を読み聞かせる必要があるのでしょうか。
 
その答えは、「桃太郎」一冊を読み返すだけでもよくわかります。
幼い子ども達の情操を培いながら、勧善懲悪をきちんと学べる大切なエッセンスが、楽しく生きるための心の糧となるヒントが、巧みに取り込まれ、心に染みる言葉で、やさしく語りかけている
からです。
 
心をはぐくむばかりか、話を聞く姿勢も身につきます。
 
小学校の受験でもっとも大切なのは、話を聞く力があるかどうかにかかっています。
 
そのことも本メールマガジンの重要な目的の一つです。
 
ところで、「桃太郎」「花さか爺さん」「かちかち山」「さるかに合戦」「舌きりすずめ」は、日本の五大おとぎ話といわれていますが、お子さんに読んであげているでしょうか。
 
そして、年中行事を祝うのも、むかし話を楽しむのも、家族というもっとも小さな集まりでのイベントであり、幼児期には欠かせない団欒のひと時です。
 
こういったことを、ご両親が率先して、きちんと楽しまれている家庭は素晴らしいと思います。
 
こうしたことを通して、家庭の文化が築き上げられていきます。
家庭の文化は、ご両親の育児の姿勢が表れたもので、そこから情操豊かな子ども達が育っていくのです。
 
「多様性」といわれる昨今ですが、子ども達が小さい頃から、家庭の文化を築き上げることは、今も昔も変わらず大切ではないでしょうか。
 
知識を詰め込むことに熱心な親より、豊かな情操を培うことに心を注ぐやさしいご両親こそ、子ども達にとっては、そうあってほしい親の姿です。
 
子どもと一緒に年中行事を楽しみ、話を読み聞かせるご両親のもとから、「元気で、明るく、素直な子」が育ちます。
 
皆さん方のお子さんが受験する国公立、私立小学校では、
「元気で明るく素直な子」
を求めています。
 
本メールマガジンが、小学校を受験される子ども達の情操面を育むお手伝いの一助になれば幸いです。
                   
 
めぇでる教育研究所 職員一同
 
 
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行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本紀元
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