月別 アーカイブ

HOME > めぇでるコラム > 2023保護者 > さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

めぇでるコラム

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(4)
 
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機
に、戦争についてご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
 
【八月に読んであげたい本】
 
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解でき
るのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにしま
す。
 
  ◆東京大空襲ものがたり◆   早乙女 勝元 著
 
 「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
 ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
 これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
 東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐ
 れてしまったのです。
 二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
 亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つら
 く悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下
 町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの
 日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、
 そしてみんなに語り続けているように思われます。
 でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、
 こう呼びかけるのです。
  誰もが、平和を守るための努力を、
  そのための、小さな勇気を、
  わすれてはいけない、と。     花房ゆかり 眞一
 
 (東京大空襲ものがたり  早乙女勝元著 有原誠治絵  金の星社 刊)
 
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれ
たのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子ども
に伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
 
 
 
  ◆長崎のピカ◆
 
 昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
 一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
 3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死
 んでいったの。
 最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわ
 たを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいった
 けれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれい
 な船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、お
 いでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけ
 れど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのよう
 にはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も
 動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
 下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなって
 いくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中
 だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
 次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
 私は、12歳でした。
           
  夏休みのはなし
  「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊                                          
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけで
す。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
 
 
  ◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
 
 前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは
 特攻基地でした。
 特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の
 近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれて
 いました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹
 がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したの
 です。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き
 残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が
 配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
 昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきた
 のです。
 娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘
 達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやって
 ね」と言いました。
 翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さん
 が現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎ
 られ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの
 合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛
 いように伝わってきました。
 その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さ
 んが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん
 達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を
 聞いているようでした。               
 「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
 おばさんは、ぽつんと言いました。
   日本むかしばなし 23
     ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵  ポプラ社刊 
                                         
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠
牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
 
 
                                         
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。 
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り
替えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないかもしれ
ませんね。                
 
 
 ◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
 
 ある夏の暑い晩のこと。
 あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いに
 きたのです。
 それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日
 目の晩のことでした。
 「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざ
 た顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげ
 ました。
 「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来る
 と姿を消したのです。
 すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、
 和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
 先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというので
 す。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみ
 つき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが
 売ったあめでした。
 昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだ
 ら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭は
 なかったのです。
 和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭
 で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏
 を唱えたのでした。                     
    海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                             日本民話の会・編  国土社刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
     ( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

カテゴリ:

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

同じカテゴリの記事

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(3)

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第38号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(3)
 
 
★★日本に富士山はいくつあるでしょうか★★
 
皆さんの住む街に「○○銀座」と命名されている所はありませんか。かなり、
あるはずです。なぜ、全国、至る所に銀座があるのでしょうか。
 
銀座は、江戸幕府が銀貨の鋳造や発行をした役所のあった所で、明治を迎えて
廃止されましたが、文明開化のもと洋風建築の商店街がつくられ、以来、東京
随一の繁華街と発展し、「銀座」の名前は残ったのです。後発の新宿や池袋に
押され気味でしたが、現在では1丁目から8丁目まで、大人の街として東京の
観光スポットに欠かせない存在となっています。その繁栄にあやかろうと、各
地の中心街の地名に用いられるようになり、そこから人のにぎわう場所を表す
言葉ともなって、全国に300もの「○○銀座商店街」が生まれたのでした。
その栄光の第一号は、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」だそうです。
 
文化遺産に登録された富士の名も、銀座と同じように全国に見られます。
いうまでもなく富士山は、山梨と静岡の両県にまたがる日本の最高峰、標高3
776メートルの活火山です。宝永4年(1707年 徳川吉宗の時代)の噴
火で宝永山ができて、以来、活動を中止していますが、いつ噴火しても不思議
ではない、歴然とした火の山です。
 
ちなみに、日本には111の活火山があます。
 
一番多いのは北海道の31(北方領土に11)、二番目は何と東京都で、三原山
から最南端の日光火山に至る伊豆、小笠原諸島に21、三番目は鹿児島で11、
近畿、四国には活火山はありません。史上最悪の災害となった御岳山の噴火、
霧島山系の硫黄山周辺、箱根大涌谷、桜島など、地震と同様、自然災害には穏
便に願いたいものです。
 
富士山の話に戻りましょう。
 
古くから霊峰とあがめられ信仰登山が盛んで、頂上には浅間(せんげん)神社
が祭られ、富士、不二、不二山、不尽山、富岳(ふがく)、芙蓉峰(ふようほ
う)、ふじやま、ふじのやま、富士の高根、といった名称で親しまれ、桜と共
に日本のシンボルとして、世界の人々にも知られています。  
 
富士山の山頂にある浅間神社には、古事記によれば、絶世の美女といわれてい
る木花之佐久夜昆売命(コノハナノサクヤヒメミコ)が主神として祀られてい
ます。また、富士山麓には、日蓮宗を崇める寺院があり、神道と仏教が仲良く
共存しています。一神教では想像できないことではないでしょうか。
 
さて、銀座が繁栄にあやかろうと普及したものなら、富士山は、その秀麗な姿
を愛する私たちの心に、いわく言いがたいやすらぎを与えてくれることから、
「おらが故郷の富士」と自賛する富士の名称が、全国に生まれたのではないで
しょうか。 
北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地に富士の名山ありなのです。
 
おらが故郷の富士を紹介しておきましょう。
 
蝦夷富士(羊蹄山)標高 1,989m
   北海道には、この他に富士に似た山が16山あります。          
 
津軽富士(岩木山)標高 1,625m
   津軽の人々は、岩木山こそ日本一の美しい山で、本家を「駿河富士」と
   呼ばせたい思いがあるそうです。         
  
南部富士(岩手山)標高 2,038m
   静岡県から見た富士山に似ており、片側が削げているように見えること
   から南部片富士ともいわれています。   
  
吾妻富士(吾妻山)標高 1,707m
   浄土平のシンボル、別名吾妻小富士山、本家と同様、摺り鉢状の火口に
   は水はたまっていません。初めて訪れたとき、山頂から見上げる一切経
   山は、霧がかかり、地獄のような姿を見せてくれました。
  
榛名富士(榛名山)標高 1,391m
   榛名山中央にある火口丘で榛名湖の東にそびえ、湖畔に映る姿は美しく、
   頂上にある神社は縁結び、安産の神として信仰されています。
 
信濃富士(黒姫山)標高 2,053m
   黒姫山は妙高、戸隠、飯綱、斑尾山と並ぶ信越五山の一つで、野尻湖へ
   のびた裾野には世界中から集められたコスモスが咲く黒姫高原がありま
   す。 
   
伊豆富士(大室山)標高 581m
   お碗を伏せたようなやわらかな曲線の山で、山麓には35種3000本
   の桜を栽培した「さくらの里」があり10月から翌年5月まで咲いてい
   るそうです。  
 
八丈富士(八丈島 西山)標高 854m
   ひょうたん型に似た八丈島の北川にそびえる伊豆七島の最高峰、晴れて
   いれば、ご本家を眺望できます。
  
近江富士(三上山)標高 432m 
   湖国のシンボル、俵藤太の「百足伝説退治」で知られています。   
  
都富士(比叡山)標高 848m
   天台宗総本山延暦寺のある山で、西側の宝が池公園から見ると「ふるさ
   と富士」に見えます。     
  
有馬富士(角山)標高 374m 
   北摂・三田(さんだ)八景の一つで、「有馬富士 ふもとの海は霧に似
   て波かと聞けば 小野の松風」と花山法皇が詠んだ花山院からの展望が
   絶景。
     
伯耆富士(大山)標高 1,711m
   鳥取西部にある火山、中国地方の最高峰。中腹に大山寺があり伯耆(ほ
   うき)富士、出雲富士ともいわれています。     
  
安芸富士(広島 似島)標高 278m
   広島市の沖に浮かぶ似島で、原爆投下後、1万人もの被爆者が運びこま
   れた島。安芸富士は8月6日を忘れません。
  
讃岐富士(飯野山)標高 421m 
   台形型の代表である屋島、奇峰型の代表五剣山と共に香川県の山の典型。  
 
小富士(愛媛 興居島)標高 282m 
   霊峰富士を思い切って縮小すると、こうなるという見本のようなミニ富
   士で、興居島「ゴゴシマ」と読みます。
  
筑紫富士(浮岳)標高 805m
   浮岳は、越前と肥前を分ける背振山地の西端にある山で、唐津焼きで有
   名な唐津側から見ると富士の形に見えます。
  
豊後富士(由布岳)標高 1,584m
   日本を代表する温泉地湯布院町にあり、西峰で360度の展望を楽しめ、
   独立峰のため風が強く、冬は霧氷の名所として知られています。
 
薩摩富士(開聞岳)標高 922m          
   三方を海に囲まれた裾野がきれいな山で日本百名山の一つ。特攻隊員が
   目に止めた最後の内地の山。
 
 
パソコンで検索すると、標高2000メートルから300メートルに満たない
ミニ富士まで、四季折々の富士の山を見ることができます。いずれも見慣れた
コニーデ、円錐状の山で、あるものだなと感心してしまいます。
 
富士山の語源は、日本語説、アイヌ語説、南方語説などあり決め手はないそう
ですが、日本語説は、「『万葉集 巻3』の山辺赤人が詠んだ富士の歌に『不
尽山』と書いてあるところから、永久に尽きることない、千古万古にそびえ立
つ山という意味を込めて、あて字をしたものであろうと解釈する説」だそうで
す。
 
  田子の浦うち出でて見れば真白にそ 不尽の高嶺に雪は降りける
                         万葉集巻3(318)
(「つい誰かに話したくなる雑学の本」P65 講談社文庫 刊 より要訳)
 
 
 
(次回は、「8月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第37号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第10章 終戦記念日、このことです  葉 月(2)
 
 
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
 
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。
 
なぜ、鳩なのでしょうか。
 
事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノアの方舟」なのですから驚きです。
   
 「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよ
 うと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟を
 つくるように命じました。
  ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつ
 がいを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はす
 べて海に沈みました。          
  数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
 しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻
 ってきました。
  それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝を
 くわえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
 
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に
広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
 (「今さら誰にも聞けない555の疑問」        
          平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
 
歴史に「If」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
 
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
 
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。 
 
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あ
の鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人
気があるそうです。
 
豆知識を一つ。
 
以前、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続いて、平和を象徴する
鳩が解き放たれる」と記載されていました。ところが、ソウル五輪で、聖火台
で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、その文言は削除されたそうです。
 
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズ
ーポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、
童謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)
のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽
しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われ
ていません。
「えっ」と思うかもしれませんが、現在よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩
ポッポ♪は「鳩」という題名で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、
音は悪いですがYouTubeで聞くことができます。
   (大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225より要約)
 
 
 
★★海水浴は治療の一種だった!★★
 
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
 
 海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入って
も泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が
出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈
川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴と
なりました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社刊 P64)
 
 
 
★★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
 
それでは、海の水が塩辛いのにも理由があるのでしょうか。
 
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたため
に塩辛くなったのです。
     
 海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生ま
 れたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
 当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウム
 を溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
 海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
  (「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所刊 P283)
 
この海水ですが、ではどこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出
し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
 
当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
 
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
 
科学の話はここまで。
 
「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が残されて
います。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と出版社が
わかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話ではなか
ったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続けている
となっていたような記憶があるからです。
 
◆塩吹き臼◆
 金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
 ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に
 帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねら
 れます。
  「この夜ふけに何をしているのだ」
  「年神様に備える米がない」
 といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
 「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小
  人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。
  必ず、欲しがるから」
 そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない
 宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみ
 ると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
 「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止ま
  るものだ」
 家に帰って、むしろの上に臼を置き、
 「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
 といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
 そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
 翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、
 盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入
 れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと
 船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べ
 たのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、
 「塩、出ろ!」
 といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思い、
 止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続け、
 塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んでいっ
 たのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
 
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
 
 
  (次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」
                     などについてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」
の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡っ
てくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので
「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
 
★★終戦記念日★★
 
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。これ
は、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、
私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が亡
くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人
の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ
他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実
だけでも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、そ
の真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増
えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」
といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言
葉でしょう。
 
その他、真珠湾攻撃の前に日本の暗号が解読されていた、など当時の書類が公
開されてきました。原爆についてのことなど、今までの通説とは異なる事実が
出てくるのではないでしょうか。
 
それらの内容はともかくとして、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪で
す。そして、戦時中は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権
力は絶対で、国民は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たっ
た1つの生命を交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の
葉書の値段)、1銭5厘です……。今ではドラマでしか見ることができない、
という世の中でよかったです。
 ※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙
     という。(広辞苑)
 
浅はかにも、人間は万物の霊長などと表現されますが、その人間だけではない
でしょうか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。
 
他の動物も同じ仲間同士、争いますが、負けのサインを出すと、攻撃しないも
のです。満腹のライオンは、しま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人
間って、不思議な動物です。極限状態になると、何をしでかすかわからないの
ですから。宗教と民族の問題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。
  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込ん
だ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡
の上には、こう書かれてあるそうです。                                               
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
そして、世界ではともかく、日本では戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事と
して、風化されているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないこと
です。事実は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くな
った人たちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現
代の民話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はお
っしゃっています。また、山崎豊子さんの「不毛地帯」のように、外地で苦労
された人々の話も読んでおきたいものです。
 
戦争は、ゲームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オー
バーで、本当に「ゲーム・セット」ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二
度と繰り返してはならないことを、しっかりと伝えておきたいのです。人間は、
お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。「共生」「ともいき」
ということを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
 
たびたび申し上げていますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではな
く、情操豊かな子に育つ環境を作ることです。
 
そこから、自分自身で考え、行動する力が身につくからです。
 
価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつのも自由ですが、「共に生
きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか身につきません。「共生の
反対は自己中心」ではないでしょうか。自己中は、恥じることを知らない人の
ことです。
 
 
 (次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」
                  などについてお話ししましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月【七月に読んであげたい本】 

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第9章 (4) 七夕祭りでしょう   文 月
 
 
【七月に読んであげたい本】  
 
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
 
 ◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
 やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上
の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つ
け、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたけれ
ば、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてくださ
い」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたの
で、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見
たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬
を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、
犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会でき
たのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕
せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、
最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に
切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂
け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さ
まは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いて
しまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
 うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
   七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」
     松谷 みよ子/吉沢 和夫監修 日本民話の会・編 国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思っ
たことを思い出します。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた
「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、
子どもたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
 
 
 ◆お盆のはじまり◆
 
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆
の縁起を伝える話が残されています。
 
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を
引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の
川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たの
です。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜
の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人
が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお
前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自
慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだという
のです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字
ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、
カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大
王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。               
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を
集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養
を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽
浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野
菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
  日づけのあるお話 365日 七月のむかし話 
                   谷真介編・著 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉から、
子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではありませ
ん。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩波
国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきなの
です。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
 
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりして
いたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪
深いことばかり考えていたからだよ」
 
少子化時代に過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちます。被害者
は、お子さん自身であることに、気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」 藤原 兼輔 
 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
 (知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。
 
 
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
 
 ◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさん
が風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細
いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさ
んの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんは死にましたが、行き
先は地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲
に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さま
の耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたので
した。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからで
す。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にん
じんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使い
の者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって
上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが
引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、
亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足と
なり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来
たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にん
じんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取り
ついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。                    
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、カン陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このば
あさんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。。
 
 
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし
編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っている
かもしれませんが、こういった話です。
 
 
 ◆においの値段◆
 
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいま
した。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓
をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、
ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれま
せんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではあり
ませんか。
 「いくらですかな?」
 驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、
信じられなかったからです。
 「1月分ですから、ちょうど○○です」  
 「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てた
のを聞いたけちべえさんは、
 「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあ
げましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。
 
 
  (次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第34号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 第9章(3)  七夕祭りでしょう   文 月
 
 
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
 
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいま
すが、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりが
お盆だから、こういう使い方をするのです。
 
 正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあた
 っての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、
 師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があ
 った。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会
 (うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)
 盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたの
 である。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
 
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年(606年)に初めて催され、
聖武天皇天平5年 (733年)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」
が「盆暮」と言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、
後期の終わりを暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末
を意味するようになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になってい
る人に感謝の気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
 
また、お正月に「お年玉」があるのと同様、お盆にも「お盆玉」があるのをご
存じでしたか。江戸時代、山形県の風習がはじまりとか。
文具メーカーから盆玉のポチ袋が発売されたり、日本郵便からも「お盆玉袋」
が発売されたりもしていたようです。
 
 
 
★★お盆の風物詩★★
 
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうり
ょうまつり)があります。 
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った
茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼り
に家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの
牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰っ
てくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをす
る意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。                         
 
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほお
ずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうし
て久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰
めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたと
きに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわ
れた新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
 
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになり
ます。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、
送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためで
しょう。
 
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏
様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てると
ころもあります。      
 
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われています
が、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の
京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよ
くありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何
やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませ
んか。
 
まだ、あります。盆踊りです。
 
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るた
めに捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太
鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場とな
り、夏に欠かせないイベントの1つになっていますね。親子で「ドラえもん音
頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
 
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力で、夏
の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今ではすっかり
定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありません。
しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていますから、
おかしくないのでしょう。本場のブラジルから応援にきている女性軍団の踊り、
リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれます。
 
 
 
★★お神輿と山車の違い★★
 
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごっ
た返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出
ないものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
 
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」
であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激し
くゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、
そのために、元気よく担ぐのだそうです。
 
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
 
 お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための
 乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたの
 です。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていま
 した。その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったの
 です。
 (心を育てる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
 
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激し
く揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人
の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、
コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭
の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名
な悪い神様だそうです。
 
 
 
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
 
「土用」というのは、何も夏だけではありません。
 
「節分」と一緒で年に4回あります。前にもお話したと思いますが、立春、立
夏、立秋、立冬はそれぞれの季節の始まりです。そして、それぞれの前の18
日間を「土用」といい、その最初の日を「土用の入り」といいます。土用は、
四季、それぞれにあるのですが、なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、な
ぜ「丑の日」というのでしょうか。それは、それぞれの日にちには、正月で取
り上げた「十二支」の動物の名前がついているからです。それで、夏の土用の
内にやってくる丑の日のことを「土用の丑の日」といいます。
 
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビ
タミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバ
ランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何
しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
 
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、
ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無
理でしょう。
 
事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが始ま
りといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
 
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その
他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学問)、
劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚きで
す。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在であ
ったわけです。
 
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょ
ん、ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、
うさぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、
よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏
教の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
 
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3
匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にし
ても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の
方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だ
ということですね。 
                               
最後に蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、
「秋の下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)
も脂がのり美味しいですね。
 
 
  (次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

このページのトップへ

テスト案内 資料請求