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さわやかお受験のススメ<保護者編>建国記念日と二月に読んであげたい本(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第15号-
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第4章 建国記念日と二月に読んであげたい本(2)
 
川崎市の中学1年生殺害事件、19歳の少年に判決が出ましたが、公判での殺
害する様子を聞くにつけ、あまりの残虐な行為に吐き気がし、許せない。なぜ、
こういった子どもになってしまったのか。清原の麻薬にしても、「これをやる
と、こうなる」ということさえ想像できないほど、バカだったのだろうか。清
原は、落合氏が指摘したように松井以上の才能の持ち主にもかかわらず、野球
を愛する人々を侮辱し、野球少年の夢を汚しただけに、これも許せない。「陰
口を叩かれるようなことをするな!」は、明治生まれの親父の口癖でしたが、
善悪を判断する物差しは、幼児期の両親の姿勢で培われるのではないだろうか。
「三つ子の魂百まで」は、育児の鉄則です。その教材の一つが昔話と考えてい
ますが……。
“The Leopard cannot change his spots”(故事ことわざ辞典)、以前に紹介
しましたが,
もっと強烈な英語版を見つけました。
“What is learned in the cradle is carried to the grave”
(“ゆりかごで覚えたものは墓場まで持って行かれる”「英語のことわざ」より)、
肝に銘じておきたいものです。
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、
若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さ
んが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡
くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者が、
わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いても若
者は答えず、退屈だろうから、13ある部屋で遊びなさいという。ただし「最
後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人さ
んたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみると、
小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が咲き
うぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、1月から
12月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入ると、
真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、びっ
くりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部屋
に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る目
を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、いっ
たかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘は、
がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。
日本むかしばなし 7 
おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社 刊
 
この13番目というのがすごいと思いませんか。この作者は、13日の金曜日
が、何の日か知らなかったでしょうね。キリストが、13番目の弟子であった
ユダに裏切られ、磔の刑を受けたのが金曜日。アダムとイブが楽園から追放さ
れたのも金曜日。ノアが方舟に乗ることになった大洪水も、降りはじめたのが
金曜日。絞首刑の階段が13段ということも……、これも不思議です。
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来て
も平気だと、「鬼は内! 福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつ
けられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきた
ではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まりま
す。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半ばくち
が大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は化けます。
それで、ばくちをするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て大もうけ
をしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、豪勢なも
のです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をします。しか
し、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、酒を飲
みすぎて死んでしまいました。
ばくち好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は
娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、
湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔
大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをして
もらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
  おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社 刊
 
どうしたら、こういう発想が生まれるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登ると
きは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当
に笑わされます。しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいま
すから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」
では、何やら不気味な感じがしますね。
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打(ばくち)をする話です。
 
◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入って
しまいました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋ね
たところ、「あっちの方に転がって行ったぞ」というその口元には、黄粉がつ
いています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さま
が、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。鬼達が
来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上るは
しごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、届
かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻込
みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図を
したら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵さ
まから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏が
鳴いたと勘違いして、「夜明けが近いぞ!」とあせってばくちをし、2回目に
は二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、
お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお
金をいただいて大金持ちになったのです。
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、
お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番
鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図
に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、「はぁ、一番鳥!」、「はぁ、二
番鳥!」といってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」と、
鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。
  日本の昔話 2
  したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社 刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかし
いのです。欲深じいさんが、天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わない
ふてぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているよ
うな気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの
間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。
粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるでは
ありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。し
かもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。
まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐かった鬼ですから勇気がいります。
 
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
ある秋のことです。
おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。そ
こでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のもの
をあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。計
られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしがも
らうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が葉
っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。
五月のはなし
ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会 編 国土社 刊 
 
大らかな話ではありませんか、鬼を手玉に取り、恐い鬼も形なしです。鬼は悪
魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の
「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、
手に取るようにわかります。
 
鬼が主人公の話ではありませんが、芥川龍之介の「杜子春」に出てくる地獄の
話も忘れられません。仙人になる修行中に、口をきいてはならぬと約束した杜
子春が、閻魔大王の前でも話さないものですから、怒った大王は杜子春の両親
を連れ出し、鬼どもに散々、むちで打たせるのですが、口をきこうとしません。
畜生道に落ちて馬になっているお母さんが、あえぎながらも、「心配をおしで
ないよ。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるなら、それより結構な
ことはないのだからね。大王が、何といってもいいたくないことは黙っておい
で」、こういうのでした。この場面にくると、決まったように涙が出たことを
覚えています。子を思うお母さんは、こんなにもやさしいものなのだなと……。
 
幼い子をいじめたり、折かんをしたり、果ては「しつけ」と称して、殺してし
まう親のいる時代。地獄に落ちて、同じ責め苦を受けなければ、殺された子は
浮かばれない。子どもに罪はない。母親は、育児をしながら自分自身を育てる
もの、父親も同じだが。みんなそうやって生きているんだ。わが子のあどけな
い寝顔を、かわいいと思ったことはないのか。何ら疑うことなく、安心して眠
っている子を手にかけるのは、人として許されない大罪。ましてや、虐待の仕
方をLINEで相談していたとはもってのほか、人のやるべきことではない。
(激憤)
興奮を静めて、「子は、かすがい」ということわざ、死んでいます。もっとも
「鎹(かすがい)」も意味不明の言葉となっているでしょうね。鎹は、二つの
材木をつなぎ止めるために打ち込む「コの字型のくぎ」で、そこから「子は夫
婦のあいだをつなぎ止める働きをする」という意味です。「豆腐にかすがい」
(まったく効果のない、手ごたえのなきことのたとえ)とならないように、親
子の絆は、しっかりと結びたいものです。   
 
ここでは取り上げませんでしたが、鬼を人間らしく扱った浜田廣介の「泣いた
赤鬼」は、童話とはいえ日本以外に、こういった作品はあるのだろうか。最後
の青鬼くんの置手紙には、不覚にも涙がこぼれてきます。お子さんはどのよう
な反応を示すでしょうか。
 
赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、こ
のまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それ
で、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体
を大事にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
(「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館 刊)
 
百田尚樹氏の「影法師」を読んだ後、頭に浮かんだのは「泣いた赤鬼」の青鬼
くんでした。
自己中が多い現代気質では、友達のために自分を犠牲にする気持ちは古臭いと、
馬鹿にされるかもしれませんが、読むたびに、わかっていても目頭が熱くなる
童話の一つです。
この他に、「ある島のきつね」「よぶこどり」「むくどりの夢」「りゅうの目
の涙」などは、学生時代に出会った童話ですが、年を取って読み返しても新鮮
な刺激を与えてくれることに驚かされます。こういう時ですね、活字中毒に育
ててくれた親父やおふくろを思い出すのは。(感謝)
 
ところで、百田氏の作品には、最後の1ページの1行で全てがわかるしゃれた
構成が面白い短編集「幸福な生活」、ファイティング原田を主人公にした
「『黄金のバンタム』を破った男」、ボクシングの青春物語「ボックス」、自
費出版の裏側を暴露した「夢を売る男」、身長以外は何でも整形できる世界を
描いた「モンスター」(仰天!)、この作品と対になっている多重人格者を扱
った「プリズム」、悪名高いオオスズメバチの生態を描いた「あらしの中のマ
リア」、映画化されテレビでも放映された「永遠のゼロ」、出光興産の創業者
をモデルにした「海賊とよばれた男(上下)」、激動の昭和時代を生きた作田
又三を主人公にした「錨を上げて(上下)」など、氏の肩のこらない話の展開
は、若い皆さん方にはわからないかと思いますが、私が学生の頃、面白がって
読んでいた「宮本武蔵」や「真田十勇士」(猿飛佐助など幸村に従った十人の
勇士)の講談本と同じで、まっすぐ一本道で気軽に読み切れ、理屈っぽくない、
一服の清涼剤的な読後感が好きでしたが、「殉愛」でこけました(笑)。なぜ、
氏が執筆されたのか、芸能界音痴で、この世界のことはわかりませんが、裁判
が始まりましたから、答えは出るのでしょけど……。
 
最後に、「春一番」は立春後に初めて吹く南風ですが、気象庁は、3月14日、
関東地方に春一番が吹いたと発表。川越ではあまり感じませんでしたが、教室
のある本八幡は、瞬間最大風速25、5メートルと、かなり吹いていましたね。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説
したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般
でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
(「昭和のこころ」日本の年中行事 So-net ブログより)
 
昨年は発生せず、一昨年は3月18日でした。ちなみに、最早記録は、昭和
63年(1988)2月5日、最晩記録は昭和47年(1972)3月20日だそ
うです。  
(「関東地方の春一番」気象庁天気相談所作成 2015年3月更新より)
      
「春一番」、英語では“The first spring storm”というそうですが、日本列
島に吹き荒れている「センテンス・スプリング」、ゲスの勘ぐりですが、第4
弾以降もありそうですね(笑)。
 
(次回は、「第五章 ひな祭りでしょう 弥生」についてお話しましょう)

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さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三ですね 霜月(3)11月に読んであげたい本 2 終わりにあたり 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第49号-
            最終回
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第13章 七五三でしょうな(3)  
【11月に読んであげたい本 2 終わりにあたり】
 
学生時代に映画で見た記憶があります。迫真の姥捨ての世界を描いた深沢七郎
の「楢山節考」を、木下惠介がメガホンを取ったもので、捨てられるおばあさ
ん、おりん役を田中絹代、背負っていく息子は高橋貞二といっても50年ほど
前の話ですから、若い皆さん方には、何のことやらわからないかもしれません
が、歌舞伎を見ているような導入部が印象に残った、怖い映画でした。映画は
恐かったのですが、ここでは、殿様を諌める話になっています。
 
◆うばすて山◆   吉村 輝夫 著
むかし、ある所に、年を取ったおっかあと息子が暮らしていました。その頃、
年寄は60歳になると山へ捨て、守らないと殺される掟があったのです。おっ
かあが60歳になったとき、山の奥までおぶって行ったのですが、捨てること
は出来ず、山を下り、家の裏に穴を掘って、隠したのです。
ある時、殿様が村の者に、「灰で縄を作ってこい」といってきました。灰は燃
えかすですから、縄などなえません。みんなが困っているのでおっかあに相談
すると、「わらで縄をきつく縛って、塩水につけてから燃やしてごらん」とい
うので、やってみると出来たのです。
すると今度は、「きれいに磨いた丸い棒を出して、どっちが根っこか調べてこ
い」というのです。太さも堅さも同じですからわかりません。また、おっかあ
に相談すると、「水に入れて、先の沈んだ方が根っこだ」と教わり解決します。
今度は、「玉に糸を通してこい」という。見ると、玉に糸の通る穴があいてい
ますが、曲がっているので、糸など通るわけがありません。そこで、おっかあ
に聞くと、「小さな蟻を捕まえて糸の先に縛り、穴の口に蜜を塗り、塗ってい
ない方の穴へ蟻を入れると、蟻は蜜の匂いに誘われ穴の中を進むはずだから、
糸を通せる」というのでした。やってみると、糸は通ったのです。
喜んだ殿様は、「こういった知恵は、どうして生まれたのか」と尋ねます。そ
こで、「60を過ぎたおっかあに教えてもらい、年寄は、何でもよく知ってい
るものです」と、震えながら告白したのです。決まりを破っていますから死刑
です。しかし、殿様は感心し、掟を改めたのでした。息子は褒美をもらって家
に帰り、穴蔵からおっかあを出し、仲良く暮らしたのです。
   寺村 輝夫のむかし話
      日本むかしばなし 4 寺村 輝夫・文/ヒサ クニヒコ・絵
         あかね書房 刊     
 
これと、そっくりな話が、チベットにあります。「賢い大臣」です。中国の唐
の時代の話で、皇帝の1人娘をめぐり、7つの国の王子さまが結婚を争うので
すが、その知恵比べとして皇帝から出された問題が、この話に出てくる殿様の
難題と同じでした。灰で縄をなう代わりに、五百頭の親馬と子馬を放ち、それ
ぞれ親子に分ける課題になっています。チベットの人は、馬の扱いになれてい
るからでしょう。その親子の分け方ですが、チベットの賢い大臣は、親馬にお
いしい牧草をたっぷりと与え、それから子馬を放します。すると親馬は、子馬
にむかっていななきます。その声を聞いて、子馬は母馬のところへ、一頭も間
違わずに行くのです。後の二題は同じで、見事に解決し、お姫様はチベットへ
嫁ぐ話です。
 
何度もいいますけれど、こういう話に出会うと嬉しくなります。遠くチベット
から陸を旅し、海を渡り、何百年も時を費やし、日本に伝わってくるのですか
ら、これは大変なことです。このように、昔話が長く語り継がれるのは、時代
が変わっても、共感する心に変わりがないからでしょう。
 
この話の馬の親子の様子が目に浮かぶ童謡、「おうま」があります。
(1)おうまのおやこは なかよしこよし いつでもいっしょにポックポックリあるく
(2)おうまのかあさん やさしいかあさん こうまをみながらポックリポックあるく
最近、知ったのですが、この歌の作曲者、松島彝(つね)は、国府台女子学院
の校歌の作曲者で、暁星学園、東洋英和女学院は、北原白秋、山田耕筰の大御
所コンビ、日出学園は、西条八十、山田耕作、聖徳大学附属学園は、サトウハ
チローの作詞と、私学の校歌も、有名人の手がけたものがあり、うかつにも見
逃していました(苦笑)。
 
ところで、年寄が増える高齢化社会です。
老後こそ人様に迷惑をかけないで生きたいものです。核家族化が進み、老後の
世話を誰が見てくれるのかと、老人受難の時代と嘆いても、若者からみれば、
これだけ多くなった年寄りの面倒をみるのですから、若者受難の時代だといわ
ざるを得ないでしょう。頼りは親子の絆ですが、これは小さい時に決まるよう
な気がします。過剰な愛情からは、強い絆は生まれないのではないでしょうか。
アルツハイマーになったら、頼りは連れ合いです。何だか寂しい話ですが、現
代版、「姥捨て山」、あちこちで聞かれます。年取ってからの生き方にこそ、
充実感を持ちたいものだと思います。体の健康も大事ですが、心の健康も大切
です。生きがいは、自分で作るものです。歳月で培われた知恵があるではない
ですかなどと、いきがることもありませんが(笑)。子どもの成長だけを生きが
いにするのは、子どもにとっても迷惑な話です。ましてや、「老後の面倒を子
どもに」と願うのは、年寄りのエゴではないかと考えます。「幼子に自立心を
養え」などと偉そうなことを言ってきましたが、年寄りこそ健康である限り、
自立心を強く持つべきではないでしょうか。ただし、若い皆様方には、「孝行
のしたい時分に親はなし」とならないようにお願いしておきましょう。
 
それはさておき、秋も深まってきました。紅葉狩りも、日本の風物詩に欠かせ
ない絶景の一つでしょう。♪秋の夕日に照る山もみじ♪ 童謡「もみじ」の世
界ですが、もみじという木があるわけではなく、カエデ科の木、ナラ、クヌギ
など赤や黄色に色づく落葉樹をもみじといい、「紅葉狩り」は「梨狩り」「き
のこ狩り」「潮干狩り」などと違い、木の枝や葉を取るのではなく、色づいた
木の葉を見て楽しむものですね。枝を折る不心得者もいますが、やめてほしい
ですね。
 
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた♪
私の住む川越の郊外には、こういった秋の気配を楽しめる自然が残っています。
一幅の絵になるような、郊外でよく見かける素朴な晩秋の景色です。柿がたわ
わに実り、桜の落ち葉からは、ほのかな匂いが漂う、そんな雑木林を散歩でき
る幸せを、月並みな表現で恥ずかしい限りですが、噛みしめています。ここ数
年、やってくるようになった鴨が、間もなく今年も近くを流れる不老川に戻っ
てくるでしょう。どういう仕組みになっているのでしょうか、不思議ですね。
今年の春のことでしたが、その鴨親子に石を投げている子ども達がいて叱りつ
けましたが、何と女の子でした。愕然としましたね。家庭での教育をしっかり
とやらねばいけないと思うのは、年寄りの愚痴であればいいのですが。
 
ところで、近所の雑木林を散歩していたら、ポトンと何か落ちてくる音がした
ので探してみると、かなり大きな丸いどんぐりでした。風が吹くたびに、ポト
ン、ポトンと落ちて来るのでびっくりしましたね。その時に思い出したのは、
「どんぐりころころ」の歌でした。私は、「どんぐりころころ どんぐり子」
だと思っていたのですが、進学教室の歌姫こと、まいちゃんが、「先生違うよ。
♪どんぐりころころ どんぶりこ♪ですよ」といって歌ってくれたことでした。
向田邦子さんもある随筆で、野口雨情の「赤い靴」の歌詞、「異人さんに連れ
られて」を「いい爺さんに連れられて」と覚えていたと読んだことがあります
が、誤って覚えてしまうことは結構あるようですね(笑)。
 
枯葉といえば、私たちの世代では、イブ・モンタン、ジュリエット・グレコの
歌ったシャンソン「枯葉」と、マイルス・デイビスの名演奏を忘れることはで
きません。シャンソンもモダンジャズも、どこかへ消えてしまったようでさみ
しい限りですが、夜中、ひそかにレコード盤へ針を下ろし聴いているフアンも
いるのではないでしょうか。私もその一人です。モンタン、グレコの心にしみ
る歌声、デイビスのミュートをきかせたトランペットの音色と小粋なソロ(即
興演奏)も、静かな秋の夜が似合います。月を肴に人肌のかん酒で過ごすひと
時、晩秋は、人生をゆっくりと考えさせる自然の恵みかもしれません
やはり、日本の四季は、素晴らしいですね。(感謝)
 
【最終回にあたり】
思い返せば、幼児教育ほど難しく、奥の深いものはないと痛感させられること
ばかりでした。むずかる子ども達を、巧みにあやしてしまうお母さん方や保育
園、幼稚園、幼児教室の先生方を見るにつけ、「これはかなわない」と何度も
弱気になったものでしたが、その度に心の支えとなったのは、この言葉でした。
 
 心に火を点ける
  凡庸な教師はただしゃべる。
  少しましな教師は理解させようと説明する。
  優れた教師は自らやってみせる。
  本当に優れた教師は生徒の心に火を点ける。 
    ウィリアム・アーサー・ワード (19世紀のイギリスの教育学者)
 
おこがましくも、教師の代わりに「親」を、生徒の代わりに「子ども」と置き
換えると、「本当に優れた親は子どもの心に火を点ける」となりますが、親を
40数年やって、「まさにその通りだな」とうなずかざるを得ません。私の好
きな響きのいい言葉に置き換えると、「わが子の心に火をともす」となります
が、これこそ育児の究極の目的、ご両親の仕事ではないでしょうか。
 
本メールマガジンの情報の基礎となっている「年中行事を『科学』する」(産
経新聞社 刊)のまえがきで永田久先生は、「年中行事は民族を象徴する。年
中行事を知ることは民族の歩みを知ることである」と述べています。将来に目
を向けることも大切ですが、私達の祖先が、どのように歩んできたかを、日常
生活を通して知ることも、意義があると思います。なぜなら、年中行事やむか
し話には、幼い子ども達が、楽しく生きるために心の糧となるヒントが、たく
さん詰まっているからです。
 
思惑通りになったかどうかわかりませんが、お子さんの小さな心に、ささやか
な灯火を点火できればと願い挑戦してみました。若い皆様の育児の参考になれ
ば幸いです。最後まで拙文をお読みいただきまして有難うございました。
 
お子さんの健やかな成長を、心からお祈りすると共に、素敵なお父さん、お母
さんになっていただきたく、一遍の詩を紹介しましょう。ここ数年、雙葉小学
校の説明会で配布されているものです。「この詩のプリントと入学試験は関係
ありません」と校長先生はおっしゃっていましたが、私には、とても難しいこ
とでしたが……(苦笑)。
 
★親の祈り★
 神さま
 もっと よい私にしてください。
 子どものいうことを よく聞いてやり
 心の疑問に 親切に答え
 子どもを よく理解する私にしてください。
 理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
 お助けください。
 子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
 子どもの小さい間違いには目を閉じて
 よいところを心から褒めてやり
 伸ばしてやることができますように。
 大人の判断や習慣で
 子どもを しばることのないように
 子どもが自分で判断し
 自分で正しく行動していけるよう
 導く智恵をお与えください。
 感情的に叱るのではなく
 正しく注意してやれますように。
 道理にかなった希望は、できるかぎりかなえてやり
 彼らのためにならないことは
 やめさせることができますように。 
 どうぞ 意地悪な気持ちを取り去ってください。
 不平を言わないように助けてください。
 こちらが間違ったときには
 きちんとあやまる勇気を与えてください。
 いつも穏やかな広い心を お与えください。
 子どもといっしょに成長させてください。
 子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
 子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。
 子どもも私も 神さまによって生かされ
 愛されることを知り
 他の人々の祝福となることができますように。
 
            平成28年10月吉日
            めぇでる教育研究所
               所長 藤本 紀元
お断り 
本文中に紹介しました作家名を、現役の男性には氏、亡くなられた方は敬称を
略しました。女性には、清少納言を除き全てさんをつけましたが、呼び捨てす
る勇気がなかったからです(笑)。

さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三ですね 霜月(2) 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第48号-
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第13章 七五三ですね 霜月(2) 
 
9月15日の十五夜の満月をご覧になった方、10月13日の十三夜も見てお
きたいものです。「箱根、仙石原のすすきが見頃」とネットに出ていましたが、
お子さんに、満月とすすき、日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
 
★★むかし話と伝説の違い★★
孫引きで気が引けるのですが、「昔話と伝説」について、わかりやすい解説が
ありますので、紹介しましょう。
 
昔話と伝説には区分がある。
「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんがいました」と始まるのは昔話の
ほうである。いつ、どこで、だれが……を特定していない。いつでも、どこで
も、だれでもかまわない。
そこへ行くと伝説のほうは、
「伊吹山と浅井岳は古くから高さを競い合っていたが、あるとき浅井岳が一夜
にして背を高くした。伊吹山の神タダミヒコはおおいに怒って浅井岳の神アサ
イヒメの首を斬った。首は琵琶湖に落ちて島となり、これが竹生島である」と
いったぐあいに、まことしやかである。いつ、どこで、だれが、といった事情
がそれなりにはっきりとしている。とりわけ土地との結びつきが深い。どこで
起きたことなのか具体的に記されている。
 柳田國男 (1875-1962)の言葉を借りれば、
「伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物のごとく、伝
説は植物のようなものであります。昔話は方々をとび歩くから、どこに行って
も同じ姿を見かけることができますが、伝説はある一つの土地に根を生やして
いて、そうして常に成長してゆくのであります。雀や頬白(ほおじろ)はみな
同じ顔をしていますが、梅や椿は一本一本に枝ぶりが変わっているので見覚え
があります」(「日本の伝説」はしがき)
とあって、このたとえ話はわかりやすい。
伝説は土地との関わりにおいていろいろな枝葉をつけ、人々の願望を反映して
成長していく。昔話はどこにでも移っていく。同じような話があちこちにある。
多少姿がちがっても「同じものだな」と見当がつく。
(集英社文庫 「ものがたり風土記」P23  阿刀田 高 著 集英社 刊)
 
「さすが、柳田國男先生」などとおこがましい限りですが、「昔話は動物のご
とく、伝説は植物のようなものであります」の一言ですね。桜の名所を訪ねる
のも訳ありなのです。雀やほおじろ、どこにでも顔を出しているので、素直に
納得しています。
 
【十一月に読んであげたい本 (1)】
七五三は、親が子どもの健やかな成長を祈る日です。しかし、かけ過ぎる愛情
は、子どもの成長を妨げがちです。七五三は、親の子どもに対する愛情チェッ
クの節目ではないかと思います。子を思う親の素朴な愛情を描いた昔話は、心
があたたまります。
 
蛇というと、嫌われものの代名詞のようで、昔話でも悪役が多いのですが、こ
の話は違います。もともと蛇は、水の霊、水の神さまのお使いと信じられてい
ました。この話は、自然の恐ろしさと、お母さんの子を思う姿を伝えた話です
が、嫌われがちな蛇だからこそ、説得力があります。親子の愛情、特に母親の
見返りを求めない無償のほほ笑み的な子を思う心は、理屈を越えた素晴らしい
ものです。
 
しかし、今では、この親子の絆が壊れかけているような気がしてなりません。
ほとんどの場合、親に責任ありと考えます。「あなたのために、お母さんは……!」
という言葉は、子どもにとって釈然としないものがあるのではないでしょうか。
育児は、皆さんのご両親がそうであったように無償です。エゴ丸出しのうとま
しい母性愛は、子ども達にも迷惑で、やがて嫌われるものではないでしょうか。
気持ちはわかるのですが……。
 
愛には、報われることを目標とするエロス的愛と、与えるだけで全くお返しを
期待しないアガペー的愛があることは言われているが、親でありながら、エロ
ス的愛しか持たぬものがけっこう多いのである。
(完本 戒老録 自らの救いのために P86 曽野綾子 著 祥伝社 刊)
 
「アガペーとエロス」、学生時代にキリスト教倫理学で習った記憶があります
が、この年になってお目にかかるとは思いませんでした(笑)。
曽野さんは聖心女子大学出身の才媛で、キリスト教倫理に基づく数々の小説や
歯に衣を着せぬ評論で知られていますが、アフリカなどでのボランティア活動
を知れば、さもありなんと納得せざるを得ません。近著の「人間にとって成熟
とは何か」(幻冬舎 刊)は、50代に出会いたかった本の一冊で、悔しい限り
です。(残念) 
現在、聖心女子学院には昭和46年に廃止したため幼稚園はありませんが、入
園した曽野さんは何かの随筆に、「私の時は、名前と年を聞かれただけでした」
と書かれていました。今、幼稚園があれば、とてもじゃありませんが、「名前
と年」だけでは済まないでしょう。学院は4・4・4制に移行し、中学受験は
なくなりました。
 
◆へびのよめさま◆   丸山 邦子 著
むかし、あるところに、一人のお百姓さんが住んでいました。
ある時、子どもたちがいじめていた蛇を助けてあげると、その晩、美しい女性
が、一晩泊めてほしいと訪ねてきました。次の日、お百姓さんが仕事を終えて
帰ってくると、その美しい女性が食事の支度をしていたのです。そうこうして
いる内に夫婦になり、子どもができ、お産の時は見てはいけないと言われまし
たが、心配のあまりのぞいたのです。
すると、部屋の中には大きな蛇がいて、とぐろの上に赤ん坊を乗せ、なめてい
たのです。
やがて、赤ん坊を抱いて出て来て、
「私は、助けてもらった蛇で恩返しに嫁になりましたが、姿を見られては、と
どまることは出来ません」と言い、赤ん坊が泣いたら、しゃぶらせてほしいと
美しい玉を渡すと、沼に姿を消したのです。赤ん坊は、玉をしゃぶり、健やか
に育ちました。
ところが、話を聞いた殿様は玉が欲しくなり、家来に言いつけて、取り上げて
しまったのです。腹を空かせた赤ん坊は、泣きやみません。途方に暮れたお百
姓さんは、沼の淵で、ことの次第を話しました。すると、大きな蛇が、口に玉
をくわえて現れたのです。一つの目から血が流れ、もう一つの目は、ふさがっ
ていました。美しい玉は、蛇の片目だったのです。取られたのなら仕方ないと、
もう片方の目玉をくれたのでした。
しかし、この玉も殿様に奪われてしまうのです。
お百姓さんが、このことを告げると、蛇は怒り、
「子どもを連れて山へ逃げてください!」
と言ったので、お百姓さんは、子どもを背負って駆け出しました。頂上に着い
たとき、沼の水が盛り上がり、城に向かって流れ出したのです。恐ろしい力で
向かってくる水の力に、城は、ひとたまりもありません。みんな流されたその
後は、湖になってしまったのでした。 
九月のはなし きのこのばけもの  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
        日本民話の会・編 国土社 刊 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破ると
破局を招く発想は、先に紹介しました「古事記」の上巻に、豊玉姫(トヨタマ
ヒメ)の出産をのぞいたことで離別する神話があります。姫の正体はふかでし
たが、その他にも、機を織る仕事場をのぞいてしまった「鶴の恩返し」や、魚
や貝が恩返しをする話などでよく知られています。「見ないでください」とい
われると見たくなるのは、「怖いもの見たさ」と同様、人間の悪しき性(さが)
のようですね。
 
これとよく似た話があります。
両目を失った蛇から、「私は盲目となってしまい、わが子の姿を見ることがで
きなくなりました。三井寺の鐘を毎日ついて、子どもの無事を知らせてくださ
い。年の暮れには、1年過ぎたことがわかるように、多くの鐘を撞いてくださ
い。お返しに人々に幸運を授けましょう」という滋賀県の伝説「三井寺の晩鐘」
です。以来、三井寺では、除夜の鐘に際し、多くの燈明を献じ、目玉餅を供え、
108に限らず、できるだけ多くの人に、できるだけ多く鐘を撞いてもらう特
別の儀式が行われています。
(www.shiga-miidera.or.jpより)
 
余談になりますが、晩鐘というとジャン=フランソワ・ミレーの馬鈴薯畑で働
く農夫が、教会から流れる夕方のアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げる名
画「晩鐘」があり、小学校6年生の頃、図工の先生が画集を持ってきては絵の
解説をしてくれたことを思い出します。「落ち穂拾い」「羊飼いの少女」と共
に忘れられない作品となりましたが、先生から「馬鈴薯はジャガ芋」、「アン
ジェラスはラテン語でエンジェル」と教わり、言葉の響きが新鮮で今でも覚え
ています。おそらく、自分で解説書を読んだだけでは、このような印象を受け
なかったのではないかと思います。そういったことからも音読は、非常に大切
ではないかと考え、小学生の子ども達に薦めています。井沢元彦氏の「言霊
(ことだま)の国・解体新書」(小学館文庫 刊)ではありませんが、言葉にも
生命があるような気がしますね。万葉集をはじめ古今集などの歌集が今でも読
まれているのも、言霊が脈々と生き続けいる証(あかし)ではないでしょうか。
 
ところで、最近、落語を聞く機会がほとんどなくなりましたが、「寿限無
(じゅげむ)」という噺があります。子どもがけんかをして、寿限無にぶたれ
た子が、こぶを寿限無の親に見せるのですが、名前があまりにも長いために、
文句をいっているうちに、こぶがへこんでしまった噺です。名前の長さは、こ
の話に出てくる名前の五倍ほどあり、それをきちんと覚えている噺家さんは、
すごい記憶力だなと、子ども心にも感心させられたものです。
YouTubeで若き日の故立川談志師匠の「寿限無」を聞くことができます。
気持ちはわかるのですが、親の愛情が行き過ぎると、妙な具合になる話です。
名前は、一生の付き合いですから、あまりこったものでは、本人が大変です。
そういえば、「悪魔」という名前を、役所で受け付けなかった話がありました
ね。
 
◆長い名まえ◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村外れに、「やぶん中」と呼ばれる家がありましたが、どうした
わけか、子どもが無事に育たず、3、4歳になると、あの世に行ってしまうの
です。ある年に、男の子が生まれ、心配したおじいさんは、長生きできるよう
に、長い名前をつけることにし、和尚さんにお願いしたのです。
つけた名前は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷
こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助」でした。これで、長生きできる
と、おじいさんは安心して帰るのです。
ある日のこと、長助は川へ菖蒲をとりにいき、丸太の橋を渡ったときに、足を
滑らせ落ちてしまったのでした。友達は、おじいさんに知らせました。
「やぶん中のおじちゃん、大変だぁ。おじいちゃんちの、一丁ぎりの丁ぎりの、
丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう
長助ちゃんが、落っこちたぁ、落っこちちゃったぁ、川ん中へ!」
声を聞いて、出てきたおじいちゃんは、
「おおい、子どもしゅう。一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山
こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助が、どうしたって。どう
したぁ?」
「川ん中へ落っこちたぁ!」
「そいつは、たいへん」
おじいさんは飛び出していき、近所の人も駆けつけ、間一髪のところで助かっ
たのでした。
 世界民話の旅 9
   日本の民話 浜田 廣介 著  さ・え・ら書房 刊
 
「長い名前で助かった」と思いたいのが人情ですね。原作では、井戸に落ちて
死んでしまうことになっているそうです。再話で命を救ったのは、作者、浜田
廣介の愛情ではないでしょうか。
 
私事でなんですが、名前を「紀元」(きげん)といいます。誕生日は昭和15
年2月11日で、今でいう「建国記念の日」でした。二月にお話しましたが、
当時は「紀元節」といい、日本の誕生した日を、日本書紀に記されている神武
天皇が即位されたといわれる年(西暦紀元前660年)を皇紀元年として、明
治5年(1872)に定めた祝日だったのです。しかも、昭和15年
(1940)は、皇紀二千六百年にあたり、時あたかも太平洋戦争の前の年で
もあり、戦意高揚のためか、皇室礼賛のためかわかりませんが、「紀元二千六
百年、ああ一億の胸がなる!」と歌を歌い、提灯行列をし、全国的にお祝いを
したそうです。「紀元二千六百年の二月十一日生まれで名前は紀元」ですから、
畏れ多い名前であったわけで、戦争に勝っていたら、名前負けをした非国民と
いわれたかもしれません。しかし、命名されても、名前負けをしない立派なも
のもあります。世界自然遺産に登録され、椋鳩十の「片耳の大鹿」の舞台であ
る屋久島にある杉の巨木、推定樹齢3千年の「紀元杉」です。いつの日か訪ね、
同名のよしみとしてご対面したいものです。ちなみに縄文杉の推定樹齢は7千
2百年で、世界最古の植物といわれていますが、あくまでも推定で、本当のこ
とはわからないようです。
 
ところで、世界の名機と言われたゼロ式艦上戦闘機「ゼロ戦」は紀元2600
年に開発され、年号の末尾のゼロを使い命名したそうで、宮崎駿監督最後の作
品「風立ちぬ」が上映されましたから、若い皆さん方にもおなじみになったの
ではないでしょうか。
ゼロ戦と聞くと特別攻撃隊、「特攻」のことを思い出します。私は国のために
命を捧げた純真な心には畏敬の念を抱いています。しかし、あまりにも人命を
無視した唾棄すべき史上最低の作戦であるため、涙なくして読めませんから読
みたくないのですが、250万部も売れていると聞き、百田尚樹氏の「永遠の
ゼロ」を読み、これは若い人達に読んでもらいたいと思いました。小説にも絶
対に謝らない日本の為政者、職業軍人の幹部、高級官僚、マスコミに怒りをぶ
ちまけていますが、読み終わり感じたことは、「少しも変わっていないな」と
いうことでした。先の大戦で300万人(戦場で230万人、原爆や空爆で70
万人)の命を失ったにもかかわらず、何もやってこなかった自分を棚に上げて
何ですが、むなしくなりましたね。(合掌) 
 
最後に、今は秋祭りの最中ではないでしょうか。
ここ川越市でも、来週の15(土)、16日(日)は、「川越まつり」でにぎわい
ます。大江戸天下祭りを今に伝える歴史ある祭りで、十数台の山車(だし)が、
蔵造りの街に姿を表し、にぎやかなお囃子と愉快な踊りが見所です。出会った
山車同士が、互いに向き合い、独自の囃子と踊りを競う「曳(ひ)っかわせ」
は、祭りの醍醐味で、一見の価値があります。パソコンで「川越まつり」を検
索すると、その様子を見ることができます。昨年6月に火災があった菓子屋横
町、火元にも店舗が出来上がり営業開始。もう一つの観光スポット、時の鐘は、
先にもお話ししましたように、29年1月の完成を目指し耐震化工事中のため、
シートをかぶっているかもしれません。
ところで、今年も3年連続でノーベル賞を受賞しました。以前、お話しました
が、母国語で自然科学など殆どの分野を日本語で学べるのは、奇跡に近いこと
です。それを支えているのが、漢字仮名交り文です。日本語をしっかりと学ぶ
ことが、いかに大切であるか、しっかりと子ども達に教えたいものです。他の
アジアの国の人々は、英語などで書かれた本を読むことになり、外国語をマス
ターしなければ、専門書は読めないことになっているようです。
(次回は、「11月に読んであげたい本(2)と最終回にあたり」についてお
話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第47号-
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第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)
 
物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」とい
う意味です。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、
あまりいわれていないようですね。
 
★★なぜ、11月15日なのですか★★ 
11月といったら、七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。
三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、
新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りして、
普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるわけです。
氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神様で、鎮守の神、産土(うぶ
すな)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
     
七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)
の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15
日に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
 
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が
記されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、
「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大
凶のような感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入って
きた「宣命暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には
忌むべし」の日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経(すくようきょう 
人々の吉凶を知る方法を説く経典)に基づいて作られており、本家のインドで
も、鬼宿を尊んでいます。お釈迦様が生まれた紀元前463年4月8日は、鬼
宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけますね。
 
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には
山から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、その
ために人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝
するしきたりがありました。11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や
穀物と酒を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年
間の労働から開放された喜びの日です。後の五代将軍の五歳のお祝いが11月
15日に行われた理由は、ここにあったわけです。権力の頂点に君臨する将軍
ですから、そのご威光とお祭りの日が重なった鬼宿日こそ、祝日に最もふさわ
しい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められたの
でした。
 
★★七五三の本来の意味★★
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮
って、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自
由な日、という感じもしないわけではありません。
      
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、
この日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが
渇いてジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフト・ク
リームなどとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物
は大変高価ですが、奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心の
お祝いでは、こうなりがちですね。
 
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、
初めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしま
した。これを髪置(かみおき)といいます。
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はか
まぎ)といいます。
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新
しい着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)
といいます。
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。 
 
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の
子どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間
の子どもになることを
神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」と祝うのが、
本来の七五三の意味なのです。
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、
罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前
としての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳から
始まるのも、やはり、訳ありなのです。
 
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
 
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして
見ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなく
てはならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでも
あったのです。しかし、今は子離れのできないお母さんが、増えていると思え
てなりません。
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、私は子どもの成長過程をこう考え
ています。
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時代。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時代。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時代だということです。
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を
貸したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口を
はさみ、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。
 
五歳を過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん
自身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるもので
す。ここでも、「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、
「早くしなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、
自分でやろうとする意欲など育ちません。子ども達がいちばん嫌いな言葉は、
「早くしなさい!」です。できないから早くできないのであって、どれだけ無
理な注文をしているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、
お子さんと接するお母さんになってあげましょう。お母さん方が得意とする料
理、なぜ、レシピを見ないで素早く、上手に、美味しく作れるのでしょうか。
試行錯誤を積み重ねた結果ではありませんか。
 
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのも
お祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最
後の時期だと思います。
お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自
律心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であること
も、成長の理に適っているわけです。
 
★★千歳飴★★
七五三といえば千歳飴。記念写真を見ると、千歳飴と印刷された袋を持ってい
ますね。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。
袋には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁
や婆の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その
中に、これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、
江戸の宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の
一人であった平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めた
ものといわれているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大
きくなって、いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切っ
ても、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。でも、現代っ子は、食べて
いるのでしょうか。
 
★★人の一生の祝い★★
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳
新しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」と
なるかも知れません。
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じ
た、さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように
医学が進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でも
あったのです。本来、祝いの対象となる年齢は、生まれた年を1歳とする数え
年でしたが、今日では、生まれた年は0歳で翌年の誕生日の前日終了で1歳と
する満年齢で行われています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
 
[三日祝] 
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産
後ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
 
[お七夜]
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神
様に報告したものです。 
 
[お宮参り] 
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31
日に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませ
んから、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産
土神とは、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏
神ともいいます。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満
々です。
 
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、
ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自
分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
 
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句で
す。初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝
する日です。
 
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックス
ポケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を
入れると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという
意味です。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
 
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けてい
ただく  ために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体
的にも、子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあ
たるところから、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけ
です。
 
[成人式]
今は20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でし
た。奈良時代に起きた元服から始まった儀式で、ヨーロッパやアメリカにはな
いそうです。20歳になっても自由と権利だけを主張し、義務を無視している
自己中の子どもに育てるのは、親の責任不履行の結果ではないでしょうか。心
したいものです。
注 元服とは、奈良時代以降の男子の成人を示す儀礼、頭に冠を付ける意味。
  女子は裳着(もぎ)といって、平安時代以降、女子の成人を示す儀礼、
  初めて裳をきせるもの。裳とは、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、
  腰部から下の後方だけをまとった服。
       (「ウィキペディア フリー百科事典」より)
 
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達
した現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42
歳、女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意
現象として片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
 
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、
赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでし
ょうか。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
 
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじ
みの唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句だ
そうです。
(注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
 
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、
喜寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
 
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
 
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になるこ
とから、米寿の祝いとなりました。
 
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
 
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、
白寿とはしゃれています。
 
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108に
なることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108
歳の祝に。
 
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。高校
時代に漢文で習いましたが、それっきりで縁のなかった言葉でした(笑)。
 
[志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十有五にして学に志
    すから。
 [弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶる
    ことから。
[而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わっ
    て自分の立場ができあがる年。
[不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
    人生の方向が定まって迷わなくなる年。
[知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
    天から与えられた使命を知る年。
[耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
    修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
 
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、
昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけで
はなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」し
ながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、
お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに
託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考
えてみましょう。
 
ところで、日光の東照宮にある「三猿」の彫刻は、猿を通して人間の一生を8
面で表したもので、その2番目には「幼年期の3匹の猿」がありますが、こう
いった教えであるとは知りませんでした。
 
 いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の教えは、物心のつく幼年期には、
悪いことを見たり、言ったり、聞くことをしないで、良いものだけを受け入れ、
素直なままに成長させよという教えが暗示されている。
(「三猿の教え」東照宮ホームページより)
 
「三猿」でクリックすると教訓を読むことができます。「聞くは一時の恥、聞
かぬは一生の恥」ともいいますが、英語では簡単に“Ask much,know much”
(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、子どもにしっかりと教えたい教訓の
一つではないでしょうか。
(次回は、「11月に読んであげたい本1」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  日本の神さまでしょう  神無月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響と
ともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶの
ではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、
裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝
統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。その諏訪湖に
棲む龍神様の話です。
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集
まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる
出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集
まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1
週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神
様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな
訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句
が出始めると、「夜明けまえからここにいる」と声がしたので見上げると、天
井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、
「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて
行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾
が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいて
ほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜
神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇
が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に
「あり」という神様の紋がついていたそうです。
(日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 
 谷 真介 編著 金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒
様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主
命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に
建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向
きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではな
く、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなど
から、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味
する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)
というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられてい
たことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎
で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三が京三郎で京都御所の大極
殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御
所の大極殿というわけです。
(神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109
 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)
あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、
48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。高所恐怖症
の私には登れません。
 
井沢元彦氏の「卑弥呼伝」(集英社 刊)には、殺人事件を絡めて、卑弥呼が
殺された原因は日食にあったことや、邪馬台国の位置、政治体制から伊勢神宮
と出雲大社の関係がわかりやすく解き明かされています。天照大神が男神であ
るとの推理は江戸時代からあるそうで、哲学者、梅原猛氏の推論を紹介してい
る話には驚かされました。江戸時代は儒教が盛んで、男尊女卑が浸透していま
したから女神では気に入らず、天皇より将軍が威張っていたので、こういう発
想も自由にできたのでしょう。戦前のように、天皇が神格化された皇国史観の
時代にこういうことを言えば、「私は間違いなく死刑」と梅原氏はおっしゃっ
ていましたが、こういった本を読むたびに、不備なところがあるとはいえ、民
主主義の世の中に生まれてよかったと感謝せざるを得ません。
 
古事記には、大和朝廷が誕生するまでの熾烈(しれつ)な勢力争いが語られて
いると先生は分析しています。古事記は、語り部の稗田阿礼の覚えている話を
太安万侶が書きとめたといわれていますが、何人もの編集者がいて、その陰の
チーフは藤原不比等で、古事記と日本書紀を編纂し、日本建国の経緯を記録し
たものとの説は説得力があります。さらにその意を深めてくれたのは、阿刀田
高氏でした。
 
これからの数行は、学問的根拠の薄い私の文字通りの私見なのだが……神話と
いうものが歴史に入り込むのは、たいてい王国が興隆を極めた時である。周囲
の群雄勢力を平定し、強力な国家が誕生し、権勢ゆるぎない王が君臨すると、
「俺の血筋はそんじょそこいらの馬の骨とは違うんだ。ずっと昔から由緒のあ
るものとして、かくかくしかじかの歴史を持っているんだぞ」と、その礎(も
とい)の確かさを文献として残したくなる。つまり神から与えられた王座なん
だということを、あと追いの形で記録したくなる。古事記も日本書紀もそうだ。
他にも類似の例はたくさんある。
(「旧約聖書を知っていますか」 阿刀田 高 著 P241~242
 新潮社 刊)
 
イザナギ、イザナミの尊(みこと)の国造りの後、出雲族と天孫族が争い、天
孫族が勝って大和朝廷が誕生。律令国家として基礎固めが出来た時、国家の柱
となる天皇家とそれを支える藤原一族の繁栄と権威づけるために書かれたのが
記紀だとなると納得できますね。初代の神武天皇から九代開花天皇までは、百
歳をこえる年齢から実存しなかったのではと諸説紛々ですが、面白いのは、日
本はイザナギ、イザナミの尊が相和して国を作ったのに対し、旧約聖書によれ
ば天地創造は、「在って、在り続ける者」という神さまが7日間かけてお一人
で創られたそうです。神様には名前など必要ないのでしょうが、モーセがお伺
いを立てたところ「在って、在り続ける者」とお答えになったとか、阿刀田氏
の受け売りですが(笑)。
 
事実云々はともかくとして、古事記の「天地開闢」、旧約聖書の「天地創造」
を経て世界は誕生し、神武天皇から神話の世界は終わり、聖書では神様がアダ
ムとイブを作り、禁断の実を食べ神の園を追放されてから人類の歴史が始まり、
新約聖書の時代になったと考えるとわかりやすいのではないでしょうか。それ
にしても、常に宗教がらみの部族間、国家間の争いに終始しているのは、どう
したことでしょうか。紀元前13世紀頃、モーセに率いられてエジプトを脱出
し、イスラエルが建国されたのは1948年で、何と3000年という想像を
絶する歳月が流れたにしては、その後も争いが続いているのですから、熱しや
すく冷めやすいわが民族では、想像できないことです。その辺の経緯は、阿刀
田氏の「旧約聖書を知っていますか」に書かれていますが、肩の凝らないしゃ
れた表現がわかりやすく、興味のある方には、一読をお勧めします。
 
先に紹介しました「天の岩戸」の後には、「八俣大蛇」「因幡の白兎」「海幸彦と
山幸彦」の話が続きますが、私の年代では、子守唄代わりに聞かされていたと
記憶しています。およそ1300年前に書かれたものですが、今ある地名がた
くさん出てきますから、何やらタイムトンネルに迷い込んだような気持ちにな
りますね。
読んでみると、人間味あふれる神話から、なぜ、戦前に天皇の神格化というプ
ロパガンダ(組織的な主義、思想の宣伝活動)が生まれ、日本民族がのめり込
んでいったのか、不思議な気がしてなりません。この経緯を司馬遼太郎の「竜
馬がゆく 風雲編」(文芸春秋刊」や「この国のかたち 第3巻」(新潮社 
刊)に書かれており、力不足で足踏みしていますが、いつか紹介したいもので
す。
その「因幡の白兎」ですが、平成23年4月から教科書に採用されています。
戦後の教育では、古事記の神話は事実でないことから全部、否定され、軍国主
義復活の基になると切り捨てられ、日陰の存在として無視されていましたが、
これは歓迎すべきことではないでしょうか。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、
本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替え
る20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊
勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け
込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時
空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大
社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏
は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者で
はありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、
豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いま
すが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになっ
たもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは
天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。
おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を
解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(は
ばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、
「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401
より要約)
 
落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪
変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成にな
っている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある
日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯
ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな
食べ物を半分あげかわいがりました。       
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引
いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽ
を巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引い
てくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。それから、
うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができ
ません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、
お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を
首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力
が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の
声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘に
なって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、
幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話   きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修
           日本民話の会・編 国土社 刊 
 
池波正太郎の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があり
ます。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺さ
れてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもら
っていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮ら
しで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小
判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の
恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だ
そうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の
欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「す
るりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓
前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見る
ことができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔
がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、
墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人と
もお役に立っているようです(笑)。
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでし
ょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、
若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出か
けたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く
手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人
いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知
し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、
かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、
家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。
老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、
誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と
娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何か
あると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠っ
たふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模
様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げ
ようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりで
こするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づ
いた鬼は馬に乗り追いかけていきました。倒れていた大木を若者の馬は跳び越
えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。
倒れていた大木をみると榊でした。無事に家へ帰った若者は、それから神さま
を拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話
   赤羽 末吉 画       福音館書店 刊 
     
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めで
たし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷ
ぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うよう
です。
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作が
そろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草
木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さま
あり」ならではの話です。
     
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行
くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。和
尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さ
んはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、
和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。
少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、
水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった
小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありまし
たが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の
下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢がで
きません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシ
ャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの
頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴り
ました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭
は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせには、神
さまも吹き出すことでしょう。     
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなこ
とをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、
全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
      
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを
助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある
家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違い
だとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれ
ば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほし
い。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が
経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。
そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが
晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷
をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は
三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節
句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は
八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺
れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見
えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺
めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年
続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、
助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうし
て、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も
家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでし
た。     
 世界民話の旅 9  日本の民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊 
    
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を
招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話がある
ほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られない
ようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、
部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になる
のですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「た
くさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本
では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、
笑ってしまいますね。しかし「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す、
恙(つつが)なきや」、隋の煬帝に送った聖徳太子の国書ですが、「その意気
やよし」で、私は好きですね。「中華思想に負けてなるものか」ですよ。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣い
た赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。神話や民話は、私達祖先
の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こう
いった昔話ではないでしょうか。子どもは親が解説しなくても、分化されはじ
めたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていき
ます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。わが子を溺愛
する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操
豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。
そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。二人の子ど
もを育てた実感ですが、子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、
干渉していいのは、躾です。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教える
のはご両親です。
 
携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、躾が出来ていないと痛感しま
すね。なぜ、混んでいる道路などで、歩きながら見なければならないのかな。
そんなに急いで処理しなければならないほど切迫した事情があるとは思えない
が、他人に不快感を与えているのかわからないのかな。スマホを見ながら自転
車に乗っている若者、あれは病気ではないかな。世の中、そんなに安全なとこ
ろなどあるわけがなく、周りの者が気を遣っていることに気づかないのかな。
全くの自己中で、格好悪い。何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持
ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのではないだろうか。
「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心
であり、子どもにとっては、最高の有難い手本であると考えますが、若い皆さ
ん方は、どうお考えでしょうか。  
 
近くの小さな不老川の川辺には、彼岸花(曼珠沙華)が一斉に咲きました。花
言葉からも悪役的な存在で、ひっそりと咲く孤独な花と思っていましたが、埼
玉県日高市の「ひだか巾着田(きんちゃくだ)」、約500万本、一面真っ赤
で圧倒されました。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  神無月、風流です(2) 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。
私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇にはご先祖の位牌が、神棚に
は天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には氏神さまを祭った小さな祠があり、
父が、毎朝、この三つに、お水をあげて、お参りするのです。それが終わらな
いと食事は始まりません。仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でし
た。まだ、本地垂迹説など知りませんでしたから。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに
永遠に愛し
合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何
ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらに
もめたりしていますが、いろいろな教えや真情などの、よいところを少しずつ
いただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょ
うというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒
教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけ
ではないでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思
います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけ
で、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。
 
しかし、これだけはいえると思います。
木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、
出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気
持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでし
ょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」
「長い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作
品)などの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、
さすがと感激しました。
 
 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日
とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束
はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭でき
る神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 
[山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)山本周五郎 著 新潮社 刊]
 
またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、「なにごとの 
おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」これではないで
しょうか。私の勝手な思い込みかも知れませんが……。また、松尾芭蕉は、伊
勢神宮に参拝した折り、「何の木の花とはしらず匂哉(にほひかな)」と詠んで
いますが、和歌と俳句の違いというのでしょうか、和歌は心情を詠いあげてい
ますが、俳句はぐっと抑え込み読む者に任せる、といった感じがしますね。素
人のたわごとですが、以前に紹介しました五木寛之氏の「短歌はリズム、和歌
はメロディー」を思い出します。
「知らねども」「とはしらず」、いい言葉ですね。これが日本の神さまの姿で
はないでしょうか。
 
余談になりますが、私は山周こと、山本周五郎、大好き人間です。何かの随筆
で、「周五郎の嫌いな作家は川端康成」を読んだのですが、出典名を思い出せず
紹介を控えていました。不思議なもので、今年も置き場所のなくなった本を整
理しようと読み返していたところ、見つかったのです。周五郎が家を借りに行
ったところ、大家から「作家には貸せない」と断られ、その理由を聞くと、
「半年の家賃を踏み倒し、引越料をふんだくられたからだ」という。「誰です
か、その作家は?」と尋ねたところ、「川端康成」だったそうで。「これは許
せない!」と激怒。信じがたい話で、そういう時もあったといえばそれまでで
すが、「家を建てた大家の苦労を考えれば許せない!」と怒る周五郎の頑(か
たく)なな潔癖さがたまらなく好きなのです。埼玉県人ですが、某元都知事、
許せません。
([混沌の時代を生き抜く帝王学ノート P171~173より要約
 伊藤肇 著 PHPT文庫刊)
 
話を戻しまして、松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小
泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その
感動をこう述べています。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさし
く「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかな
る信仰もなし得なかったことである。
  (神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編
                      講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡
です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ない
ものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の
源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」
で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをしま
す。
出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度
打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一
般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させて
いただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれていま
す。
 
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから
参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を
[正中(せいちゅう)]といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが
正しいとされているそうです。明治神宮へ参拝した折り、「真中は明治天皇さ
まがお歩きになるので、わしらは端を歩くんだ」といって、端っこに寄せられ
た記憶があります。「天皇さまは神さま?」と聞きたいところでしたが、なに
しろ親父にとって昭和天皇(昭和30年代でしたから正しくは今上天皇)は、
現人神(あらひとがみ)でしたから、おっかなくて黙って歩いていました(笑)。
 
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、
これは外人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺
せます」というのと同じだそうです。
 
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時
記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうし
ても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り
事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてし
まいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約し
たもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。
勿論、私たちの年代、1940年生まれのものには、懐かしい話ばかりです。
僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記し
ました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌ
ボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げま
した。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下り
た二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本
列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の
神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコ
トは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれと
イザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生ま
れるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒
り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追
いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を
一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千
五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人
が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介し
たように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリ
シャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱失する際に、「振り向
かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じで
す。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナミは、身を清めるために体を洗い、いろいろな
神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラ
スオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと
海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツ
クヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きた
いと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。ア
マテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサ
ノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ
込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩
屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も
広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた
のです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いで
いるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸を
ひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の
戸隠山となったということです。
 
全くの余談ですが、東宝が1959年に、古事記を題材にし、主演三船敏郎で
制作した「日本誕生」で、アマテラスを演じたのは、伝説的な女優、原節子で
したが、2015年9月6日、冥界入りしました、享年95歳。ちなみに
YouTubeの予告編で、その美貌を見ることができます。岩戸の前で踊った神さ
まは音羽信子でしたが、若い皆さん方は、知らないかもしれませんね。(合掌)
 
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩
戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びにな
り、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワ
シノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、
諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、
浅草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ
戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を
祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を
鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武
尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。
                    (「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本
武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝
説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁
起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩とも
なっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかの
ぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守り
になったとは知りませんでした。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄
の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)
をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなお
かめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の
流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さん
にも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わった
そうです。
 
ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、そ
れはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶がある
のですが、定かではありません。
 
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィー
ンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を
祝い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊
もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀
元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそ
うです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、
ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子を
くれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、
日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようで
すね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりに
も狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地
獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がく
れた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャック
はそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という
言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボ
チャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりまし
た。  (『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理で
すね(笑)。
 
今年は台風の当たり年、などと言っては不謹慎のそしりを免れませんが、東北、
北海道方面に大被害をもたらしました。「日本の神さま、しっかり守ってくだ
さい!」と言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみません。私
が教室へ出かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、
いわゆる海抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、更に護
岸を高める工事が行われています。万が一の災害に備える防災対策は、決して
手を抜けないもので、「スーパー堤防は必要ですか」とおっしゃった政治家が
いたと記憶していますが,絶対に必要だと改めて思いました。
熊本地方の余震、収まらないことが気にかかりますね。
(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)

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