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めぇでるコラム 4ページ目

2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★ [一]入学試験の出題範囲

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第26号>
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あけましておめでとうございます。
今年もご愛読のほどよろしくお願い致します。
志望校から招待状が頂けるよう、頑張りましょう。応援します。
 
さて、お正月には門松と鏡餅を飾りますが、その門松と鏡餅には、文句なしに、
すごい秘密が隠されているのです。植物界は、顕花植物と隠花植物から成り立
っていますが、その代表が勢揃いして、正月を迎えているのです。門松は、花
を咲かせ種を作る顕花植物から松、竹、梅が、鏡餅の下には、花を咲かせず胞
子で増える顕花植物から裏白が選ばれています。
昔から受け継がれているものには、やはり意味ありでした。
(メールマガジン「さわやかお受験のススメ 保護者編」より要約)
 
 
★★入試問題を分析する★★
 
[一]入学試験の出題範囲
 
テストの形式は、わかりましたから、今回は問題の内容を紹介しましょう。その前に、4歳や5歳児の心や身体は、どの程度、発達するのでしょうか。これは平成4年に改訂された「幼稚園指導要領」の解説に添付されていた資料で、昭和23年3月に文部省から出された保育要領(幼児教育の手引き)の中で紹介されたものです。
身体の成長は、現代っ子の方がまさっていますが、運動や知的能力、情緒の発達や社会性などの発達の内容は、現代でも通用する幼児教育のバイブルともいわれているそうです。
こういった資料を見ると、学校側のねらいは、どの辺にあるか理解できると思います。
 
★身体の運動的発達★
  [4 歳 児]
   1 スキップができる。
   2 片足立ちをしようとする。(少しの間ならできる)
   3 走り幅跳び、立ち幅跳びができる。
   4 ボールをじょうずに投げられる。 
   5 はさみで形の切り抜きができる。
   6 ひもを結ぶことができる。(固結び)
 
  [5 歳 児]
   1 片足立ちができる。
   2 小さい物を巧みに扱える。
   3 三角形を模写する。
   4 はしを巧みに使う。
 
★知的能力の発達★
  [4 歳 児]
   1 13まで正しく数える。
   2 重さの比較ができる。
   3 3つの数字の復唱ができる。
   4 3つの命令を正しく実行する。
   5 語彙数の増加が著しい。
   6 発音が正しくなり、赤ちゃんことばがなくなる。
   7 非常によく質問する。
   8 簡単な課題を解決する。
 
  [5 歳 児]
   1 求知心が強くなる。
   2 想像と現実との区別が十分につかないところが間々ある。
   3 1つのことを始める前に一定の計画を持っている。
   4 用途によって物の定義をする。
   5 手の指の数が正しく言える。
   6 右と左の区別ができる。
   7 成人との話が自由にできる。
   8 いろいろな貨幣の名前をいえる。
   9 昨日、今日、明日の区別ができる。
  10 具体的推理ができる。
 
 
運動テストやペーパーテストの内容を見ると、身体や知的な能力の発達を考慮して、入学試験は行われていることがよくわかります。こういう標準的な発達から逸脱しないばかりか、さらに生まれた月の差を考慮して試験を実施すると発表している小学校もありますが、このデータを見ているとうなずけます。何といっても、受験生は幼児だからです。
 
★情緒的発達★
  [4 歳 児]
   1 3歳児と同じようなことで泣きやすいが、だいぶ自制できるようになる。
   2 理由のない恐怖心(たとえば、暗やみに対する)が多い。
   3 かんしゃくは、ほとんど起こさなくなる。
   4 怒ったときの表情が次第に抑制されるようになってくる。
   5 小さい子供を可愛がることを喜ぶようになる。
   6 反抗期が終わり、大人の権威や命令に従うようになる。
 
  [5 歳 児]
   1 泣くことが非常に少なくなる。
   2 恐怖心が、やや 少なくなるのが普通である。
   3 怒り、かんしゃくは、ほとんど抑制される。
   4 感情や情緒は分化して、大人に見られる大部分の情緒が現われる。
    (例 はにかみ、恐れ、心配、怒り、しっと、うらやみ、失望、不快、いみきらい、親への愛情、小さい者への愛情、のぞみ、喜び、快い等) 
 
★社会的発達★
  [4 歳 児]
   1 自分で着物を着たり脱いだりする。
   2 排便のことは全部自分でできる。
   3 歯をみがく。
   4 顔を洗う。
   5 多人数の中にある自分というものを意識しはじめる。
   6 他の子供たちと協同的に遊びはじめるが、2人か3人グループが多い。
   7 簡単な遊戯の規則を守ることができる。
   8 ごっこ遊びが、最も盛んである。
 
  [5 歳 児]
   1 独立的で自信を持ち、従順になるので物事をまかせられる。
   2 小さい者をいたわる。
   3 自分の周囲の社会生活を遊びに取り入れる。
   4 2人ないし5人ぐらいのグループで協同的に遊べる。
   5 友達と遊ぶことを好む。
   6 自己主張をし、他人への依頼感を持ち社会的協同性を持つようになる。
 
いかがでしょうか。
親の手を借りずにできることが増え、一人の人間として、集団生活を送るために必要な能力の培われていく時期であることが、よくわかると思います。3歳頃から始まっていた、親のもとを離れる準備が、完了する時期といえます。就学前とは、小学校生活を送るにふさわしい能力を身につけ、自分の力で大地にしっかりと足を踏張り、自力で立つ時です。
 
こんな大切な時に、過保護や過干渉な育児になり、さらに、知的な能力だけを訓練して鍛えるのは、決して幼児にふさわしい受験準備ではありません。基本的な生活習慣やあいさつなどをきちんと身につけさせ、子どもの感性に刺激を与え、好奇心を引き出し、学習に意欲的に取り組める環境を作ってあげるのが、幼児期にふさわしい受験準備であり、こういった意識を持つことが、小学校の受験に取り組むご両親の、大切な心構えではないでしょうか。
 
よく練り上げられたカリキュラムをもとにした適切な指導は、決して過激で猛烈な受験勉強ではなく、子どもたちが楽しく学習しながら、合格への道を歩むパスポートであるはずなのです。
 
お子さんは、教室へ行くことを楽しみにしていますか。楽しみに通っているのであれば、心配ないでしょう。
 
「受験戦争の低年齢化!」「猛烈な準備に耐え、突破した子だけが合格する!」
などと言われることもあるようですが、これも怪情報、うわさの一つです。
お子さんが楽しんでいないようであれば、普段の生活を見直してみましょう。
ちなみに小学校受験は「お受験」とも言われますが、この言葉は1980年代後半から起きたバブル経済全盛期の頃にできた言葉です。
 
東京にある私立小学校は54校。※
 
2011年3月11日に起きた東日本大震災後、「安全な通学」も学校選びに欠かせない条件になり、学校側も説明会で自然災害対策の話をするようになりました。
 
そして、倍率の高い学校は、依然として入学の条件は厳しく、それなりの準備は必要です。
 
しかし、先程紹介したようなうわさを信じて準備を始めると、親子で受験地獄に陥ることになりかねません。そのようなことを避けるために、入学試験では、どのような問題をやっているのかを紹介していくことにしましょう。すると、いろいろな形で出題されているさまざまな領域の問題は、幼児の日常生活と深いかかわりのあることがわかるからです。
 
※この他、不登校児童を対象とした私立小学校もあります。
 
 (次回は、「合否を判定する必須十項目」についてお話しましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第9号-
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第2章 (4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
 
あけましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
初詣、お出かけになりましたか。
これからという方も、初詣に訪れ、大きな門松をご覧になったことがあると思います。
 
実は、この門松、文句なしに、すごい秘密が隠されています。
 
植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作る顕花植物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白(鏡餅の下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものには、それなりの意味があります。
詳しくは、次号からお話ししましょう。
 
 
 
【冬(十二月~一月)に読んであげたい本】
 
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさんあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
 
◆おぶさりてえのおばけ◆
 
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こえたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団にもぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になってもやめようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあがいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりとやみ、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけました。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をかけると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で床の間に運び、安心して寝てしまいました。
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越しをしたのでした。
  世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし 
     つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊
 
 
 
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆になるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
 
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
 
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじが押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなければならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢いよく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりです。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初めてだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮らしたのでした。
  日本むかしばなし 2
   子どものすきな神さま 民話の研究会編 巽弘一 絵 ポプラ社 刊
 
 
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
「かさ地蔵」です。
おじいさんの見返りを求めない無償の奉仕に、お地蔵さまが応えてあげるのがいいですね。こういうことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさんのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の恩」と言うではありませんか……。
 
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
 
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そうに立っています。
石のお地蔵さまでも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もってしまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのはやめすげ笠を買ったのですが、お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあげたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びます。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病息災で年を越せることを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、後は何の音もしません。眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵さまが、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたのでした。
 世界民話の旅 9
  日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守ってくれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになったのでした。
 
この話に出てくる「六地蔵」とは、
  地獄道 (地獄で苦しむこと)
  餓鬼道 (常に飢餓に苦しむこと)
  畜生道 (けだものの姿に生まれて苦しむこと)
  修羅道 (争いの絶えない世界で苦しむこと)
  人 道 (人の踏み行う道を外れて苦しむこと)
  天 道 (超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
 
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>よく聞かれる質問にお答えします。 

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第25号>
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よく聞かれる質問にお答えします。
 
 
その前に。
来週はクリスマスを迎えます。いつもであれば、街にはジングルベルのメロディが流れ、至る所、赤、緑、白の3色で飾られます。
 
この赤、緑、白の3色についてもいろいろ訳ありなんですね。
 
赤はキリストが人類のために十字架に流した血の色、緑はキリストの永遠の命を象徴する色、白はキリストの純潔を表す色。クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた「善意を知る木」で、キリストを表す不滅の生命の木。
ツリーの天辺に飾る星は、キリストが生まれたときに輝いた星で「ベツレヘムの星」といわれていますが、どの星かは不明です。クリスマス・リースは柊、刺はキリストの受難、赤い実はキリストの流した血を表したもので、節分で使う柊とは別種です。そして、クリスマスはキリストの誕生日ではありません。
聖書の中でも、誕生日は特定していません。ご存知でしたか。
 
 
それでは本題に戻りましょう。
 
今回は、読者の皆さまからよく聞かれる質問を編集した『さわやかお受験のススメ 小学校受験 Q&A編(100問)』から抜粋したものを紹介します。
 
Q「問題集をやりたがらないのですが、無理にでもさせた方がいいでしょうか」
A「教室から配布される家庭用の学習か、過去に出題された問題集での勉強か、状況がわかりませんが、問題集を使っての家庭学習の場合をお話しましょう。
 
 幼児の場合は、問題集を開いて、即、勉強とはなりません。
 赤ちゃん時代を思い出してください。
 例えば、歩くことを考えても、いきなり歩けるようになったわけではなく、はいはいをし、つかまり立ちをし、歩いては転ぶことを繰り返し、やっと歩けるようになったはずです。
 幼児が一つの能力を身につけるには、それにふさわしい体験を積むことにより習い学ぶ、体験学習が必要です。
 中高大学の入試と小学校の受験準備の異なるのは、勉強と学習の違いにあるといえます。
 勉強は、字のごとく「強いて勉める」であり、学習は「習い学ぶ」ことです。
 幼児は、体験していないことは理解できません。
 ですから、問題集を嫌がるのは、自分で体験していない領域のことをさせられているからではないでしょうか。
 泳げるようになると、十数年泳がなくても機会があれば泳げるのは、体が覚えている、中枢神経系に属しているからだそうです。
 教室での宿題であれば、体験したことの復習ですから、苦にしないはずです。
 
 『なぜ、嫌がるのか』、その点を見極め、無理をしないことが大切です。」
 
 
Q「幼稚園の先生から、話をきちんと聞いていないといわれているのですが」
A「小学校の受験で最も大切なのは、話を聞く姿勢を身につけることです。
 ペーパーテストのプリントを見ても、答えはダミーも含め出ていますが、設問はどこにも書かれていません。
 中高大の試験のように、『苦手な問題は飛ばして後でやろう』など、できない相談です。
 文字を使えませんから、スピーカーから流れる言葉を聞き取り、素早く対応しなければならないのです。
 行動観察型のテストも同様で、先生の言葉を聞き、理解し、迅速に対応しなければ、得点になりません。
 幼稚園の先生にいわれるまでもなく、ご家庭でもサインは出ているはずです。
 まず、お子さんの話をきちんと聞いてあげましょう。
 話を聞いてくれるのは、子ども達にはとてもうれしいことなのです。
 そこから、お子さんは『話はきちんと聞くものだ』ということを学習しているのです。
 そして、本をたくさん読んであげましょう。
 好きな本であれば、お子さんは静かに聞くはずです。
 『話をきちんと聞きなさい!』と柳眉を逆立て、何回言っても改まらないでしょう。
 
 話を聞く姿勢は、言葉のキャッチボール、楽しい会話と、お子さんが興味を持っている本を読んであげる、本の読み聞かせなどから身につくものだからです。」
 
 
Q「同じ本を何回も読んでくれとせがむのですが、記憶力が弱いのでしょうか」
A「そんなことはありません。
 お子さんは、読んでもらった話が面白いから、一所懸命に覚えているのです。
 読んでもらったときは、『面白いな!』といった漠然としたイメージが、繰り返し読んでもらうことで、物語を少しずつ覚え、小さな木が、時を経て成長するように、今では、かなりはっきりと話の筋を記憶しているものです。
 完全に覚えてしまうと、次の本へ移っていくはずです。
 一人になったとき、ぶつぶつと何やらつぶやきながら、本を見ていないでしょうか。
 お母さんに読んでもらった話を、思い出しているのです。
 また、読んであげている途中に、突然、『そこまでで、いいです』ということはないでしょうか。
 一人で思い出しながら読んでいるときに、忘れてしまったのか、そこをはっきりさせたくて『読んでください』と来るわけです。
 これは大変なことで、言葉を覚えることで語彙は増え、読解力が養われ、物語を記憶することで表現力もついてきます。
 話を聞く姿勢をきちんと身に付けることは、小学校受験で、もっとも大切なことですから、根気よく読んであげましょう。
 文字を習い、自分で読めるようになると、もう『読んでください』と来なくなりますから。」
 
 
Q「読んだ後に感想を聞いても、きちんと答えられないのですが」
A「読んだ後に感想を聞くのは、まだ、早いと思います。
 先にも触れましたが、1回だけ読んでもらい、きちんとした感想を言えないのは、その本に対するイメージが、まだ、できていないからです。
 何回か読んでもらうことで、次第に固まってきます。
 そこまで待ってあげましょう。
 ですから、1回だけ読んで、『面白かったでしょう』『何が面白かった』といった話かけは、するべきではありません。
 また、よく聞く話ですが、お母さん方は、子どもの頃に読んでもらい、面白かった本を読んであげることがあるようです。
 それはいいのですが、『どう、面白かったでしょう』と聞いたことはないでしょうか。
 そんな時、お子さんは、『……?』となったのではありませんか。
 まだ、しっかりとイメージ化ができていないと、答えようがないからです。
 2、3回読んだ後で、聞くようにしましょう。
 ただし、『お母さんは、おばあちゃんに読んでもらい、こういったことを学んだのですよ』と、お母さん自身の感想を言うのは、いいのではないでしょうか。
 『ママは、こういったことを感じたんだ』と、考えるヒントになるからです」
 
 
Q「昔話の出題率が高いようですが、なぜでしょうか」
A「常識の領域で、例えば、桃太郎と猿、犬、雉の家来や、黍団子、鬼など物語に出てくるものを線で結ぶといった形で出題されています。
 昔話は、多くの場合『昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住んでいました』と、『いつ、どこで、誰が』と明らかにし、『何を、なぜ、どのように』と、いわゆる[5W1H]の形式で展開しますから、わかりやすく構成されています。
 そして、内容は、勧善懲悪で、正しいものは必ず報われ、悪者は、懲らしめられます。
 5歳頃から未分化であった情緒が分化され、喜怒哀楽の感情がはっきりと表れてきます。
 それに刺激を与えられることで、ずるい人間には憤りを覚え、悲しい話には涙ぐみ、幼いなりにも善悪に対する分別、倫理観や道徳観を育んでいると考えられます。
 
 ですから、昔話が出題されるのも、うがった見方をすれば、昔話で学習した様々なことを、幼稚園や保育園の生活で実地訓練をし、社会性、協調性といった集団生活への適応力を養い、それが小学校生活をスムーズに送るための基礎となっているからではないでしょうか。
 
 ちなみに、日本の五大昔話は、『桃太郎』『花さかじいさん』『舌切り雀』『さるかに合戦』『かちかち山』です。皆さん方はお子さんに、この5つの昔話のあらすじを話すことができるでしょうか」
 
 蛇足ですが、暁星小学校の[鍛える教育]について、佐藤正吉前校長は説明会で、目標は日本昔物語のキャラクターでもある『気は優しくて力持ち』とおっしゃっていました。なお、佐藤前校長は幼稚園の園長を経て、2019年3月に退職されました。
 
 
Q「3月生まれですが、図書館へ行っても幼い内容の本しか選べません。心配ないでしょうか」
A「お子さんは3月生まれですから心配ありません。
 興味を持って選べたことを褒めてあげ、必ず読んであげましょう。
 お母さんが心を込めて読んであげれば、お子さんはきちんと理解し、次のステップへ向かい、確実に歩み始めるはずです。
 選んだ本が、自分で面白くないと判断できることが大切です。
 『何よ、こんなやさしい本を!』と言ってしまうと、お子さんの自尊心は傷つき、自分から本を選ぶ気持ちもなくなります。
 いろいろな本を読んでもらい、試行錯誤を積み重ねながら、取捨選択し、自力でレベルをあげていくものです。
 お母さんのお気に入りの本ばかり選んで読んであげても、内容をよく理解できなければ、読んでもらっている本人は、つらい思いをするだけで、結果的には本の嫌いな子になりかねません。
 
 ゆっくりと時間をかけ、お子さんの期待に応えてあげることが、レベルアップにつながるのです。3月生まれお子さんの場合、4月生まれのお子さんと1年近くの差があるのですから、そのことを忘れずに無理をしないことです。
 他のお子さんと比べて評価するのは、賢いお父さん、お母さんのすることではないと思います。」
 
(次回は、「入試問題の出題範囲」についてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(3)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第8号-
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第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
 
 
メリークリスマス!
クリスマスといえば、例のデコレーションケーキが主役だと思っていたのですが、最近は、少し違ってきているようです。お子さんのリクエストはいかがでしょうか。様々なショートケーキを食べる傾向にあるとか。
 
 
 
★★なぜ、大晦日というのですか★★
 
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
 
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも呼びます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つごもり)」とは、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛ったもので、どちらも毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を表すために、2つの言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」といい
ます。
[いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html]
 
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくなり満月、十五夜となり、そして次第に小さくなり、やがて見えなくなりますが、この状態を「月隠り」といいます。月が地球を一回りするには一ヶ月かかりますから、月の始まる新月の状態「朔」を訓読みして「ついたち」、また月の始まる「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになったのです。また、月末は月がこもって晦(くら)いので「晦日(つごもり)」といいます。
 
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて、「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」をつけて大晦日となったわけです。
 
 
 
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
 
年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、長生きできるように願ったもの」といわれています。また、そばは切れやすいことから、「一年分の苦労や災いを切り捨てる願い」もこめられていました。「細く、長く、切り捨てる」と縁起をかついでのことと思っていましたら、これも訳ありでした。
 
昔、金を使い細かいものを作っていた職人を金箔師といいますが、仕事場を掃除する時に、そばのだんごで畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集めたそうです。そこから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集める」という縁起となって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるようになり、江戸中期から始まった習わしといわれています。
 
さて、そのそばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白いいわれがあります。
 
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄める神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残すと、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ゲーム機やスマートフォンがない時代の室内遊びと言えば、カルタ、すごろく、トランプで、「ババ抜き」や「7並べ」、「神経衰弱」などでした。相手がいる遊びですから、負けてはなるものかと真剣に戦います。ゲームの結果に一喜一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、自分が負けていてもやめるわけにはいきません。ましてや、リセットボタンを押して、再戦などもできません。
 
「勝っても負けてもみんなで楽しむ。」
 
これも大切ではないでしょうか。年末年始に改めてこういった遊びをしてみるのもよいでしょう。
 
 
 
★★除夜の鐘の意味★★
 
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろとわけありです。
 
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町時代からは大晦日だけつくようになった」 
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
そして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるのです。
 
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初について、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますといわれる」
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程がわかります。
 
 
 
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
 
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩といいますが、私たち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
 
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟りという最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目をむいて怒ること、「瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは、「おろか、真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハmohaというが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音訳され、後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
〔年中行事を「科学」する P252 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚(しんい・しんに)」は難しいですね。「仏教の十悪」の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な話です。「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読み笑われたことがありましから、解脱などとてもできない相談ですね。
 
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
 
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意を持っていて、それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのとき三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれる。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ますのである。
  6  × 3  × 2 ×  3 =108
 (六根) (三不同) (染淨) (三世)
合わせて百八つの煩悩という。
〔年中行事を「科学」する P252 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなってきましたが、独自に解釈すると、「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染は物を色水に浸して色を付ける」という意味ですから「影響を受ける」、「淨は水が静かにおさまって濁りがない」ですから「影響を受けない」ということではないでしょうか。
 
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)があるので、12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わせるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
〔年中行事を「科学」する P253 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人間ということでしょうか。二十四節気については、改めて詳しく紹介します。
 
語呂合わせのようなものもあります。四苦八苦(4×9=36 8×9=72)
合わせて108、素直に肯いてしまいますね(笑)。
 
こだわるついでに、梵鐘には上の方にいぼ状の突起がありますが、この数は、何と108個だそうです。さらに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。
モクゲンジの実から出来ている数珠で、念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうです。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
 
ところで、日本人は不思議な民族です。12月から1月にかけての行事をみても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣をします。
キリスト教、仏教、神道の行事、イベントが生活に入り込んでいる国です。
日本文化の寛容さのあらわれですね。
このように様々な文化を取り入れ、受け継がれてきた日本文化、行事や昔話を、お子さんと一緒に楽しみながら伝えてあげましょう。
 
 (次回は「冬に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(5) 面接テスト  

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第24号>
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■■[2]5つの試験形式■■ 
(5) 面接テスト  
 
最後は、面接テストです。
ほとんどの学校は親子面接ですが、青山学院初等部、立教小学校、学習院初等科、成蹊小学校のようにお子様の面接のない両親面接のところもあります。
面接は、どの学校でも多くの場合、考査前に行われていますが、国府台女子学院小学部のように考査後に、学習院初等科、成蹊小学校、日出学園小学校のようにお子さんの考査当日に、暁星小学校、早稲田実業学校初等部のように一次試験合格者のみに行う学校もあります。
 
少し古くなりますが、雙葉小学校は母子面接でしたが、平成20年から父親も参加する親子面接になりました。これでお母さん一人が苦労しなくてよくなりました。
また、保護者面接であった暁星小学校は、平成25年から親子面接になりましたが、当時、試験間近の9月の説明会で公表しただけに、周りの父母の皆さん方から、「エッ!」といった驚きの声も聞こえ、直前講習に面接の講座を設けた教室もあったようです(令和3年度以降、コロナウィルス感染症を契機に保護者面接と作文という形式に変更になっています)。
保護者面接の学校は、形式に変更がないか、ホームページに目を通しておきましょう。
 
小学校側が面接をする目的は、保護者が考え、実行している育児の方針と小学校の教育方針に、共通認識があるか、限りなく同じ方向に近づいているかどうかを知ることです。
 
まず、大雑把に分けて説明しましょう。
 
「私どもは、共学で、宗教色のない小学校を希望します」
の場合は、慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、成城学園初等学校、成蹊小学校、早稲田実業学校初等部、昭和学院小学校、日出学園小学校、千葉日本大学第一小学校、聖徳大学附属小学校などがあります。
 
「共学で、宗教教育を行っている学校が、いいですね」
となると、ミッション系の青山学院初等部、玉川学園小学部、聖学院小学校、仏教の淑徳小学校などでしょう。
 
「男子だけの学校を考えています」
となれば、立教小学校か暁星小学校です。
 
「女の子で一人っ子ですから、女子だけの宗教教育をやっている学校が、合っていると思います」ということであれば、たくさんあります。
ミッション系では、雙葉小学校、田園調布雙葉小学校、横浜雙葉小学校、白百合学園小学校、湘南白百合学園小学校、聖心女子学院初等科、東洋英和女学院小学部、立教女学院小学校、光塩女子学院初等科、仏教系では国府台女子学院小学部、この辺で勘弁してください。
 
「女の子だけの学校で宗教教育をおこなっていない学校を希望します」
の場合は、日本女子大学附属豊明小学校、東京女学館小学校、川村小学校でしょう。
東京女学館大学は、残念ながら2017年の11月16日をもって閉校、高校までになりました。
 
「私どもの子は、一人っ子ですから、受験で苦労させたくないのですが」
となると、大学まである小学校を選ぶことになります。この発想は、あまり歓迎できませんが、過保護にならないことを祈っています。
 
「それがいやなんですよ。生きることは競争です。社会人になる前に、自分の能力を確かめられる受験を体験させておきたいのです!」
となれば、高校まである小学校を選べばいいですね。暁星小学校、日出学園小学校、昭和学院小学校(短大まであります)、桐朋小学校、桐朋学園小学校、森村学園初等部でしょう。桐朋は、小学校は共学ですが、中学から国立にある桐朋中学校は男子校に、調布市仙川にある桐朋女子中学校は女子校と別学になります。
 
国立市にある国立学園小学校は、幼稚園と小学校だけの特殊な学園です。
 
こういった、大雑把な希望から方向を定めて、それから、それぞれの小学校の教育方針と我が家の育児の方針が、合っているかどうかを検討するわけです。
       
幼稚舎の教育方針がわかりやすいので、紹介しておきましょう。作文も面接もなくなりましたが、願書には、志望理由を書きますから参考にしてください。
 
幼稚舎の徳育の根本は、独立自尊の精神にあります。その規範となるものが、「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)です。これは通信簿の第1ページにも記してあります。成績よりも前に目を通してほしい大切な事項だという意味です。新1年生になった時に3つの約束をしますが、「幼稚舎修身要領」の中から特に大切なものを取り上げたものです。
  1つ、うそをつかない。
  2つ、お父さん、お母さん、先生のいいつけを守る。
  3つ、自分でできることは自分でする。
これは福沢諭吉の精神を表した「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)の中から、特に大切な項目を選んだものです。
(「子どもと向かい合う教育」元慶應義塾幼稚舎長 川崎悟郎著 リヨン社刊)
 
普段、子どもにいって聞かせていることを考えると、
「うそをついてはいけません!」
「約束は、守りなさい!」
「自分でできることは自分でしなさい、お母さんを頼っても知りませんよ!」
だとします。これを破ると、叱り、諭しているとします。そうであれば、お母さんの育児の姿勢と幼稚舎の教育方針は、一致していることになります。
そして、共学が自然だと思っているとします。
宗教教育は、両親共に経験がないので、なじめないものがあると考えていたとします。
大学まであって、受験戦争に参加しなくて済みますし、学部がたくさんありますから、将来、目指す道が広いのも魅力だと思っているとします。
通学に約1時間、しかし、体力、気力ともに心配ないとしましょう。
前提となる学費は自己解決か、頼れる祖父母に助けてもらえるとしましょう。
こういう図式ができていれば、面接があったとしても、幼稚舎を選んだ理由を、きちんと胸を張って説明できます。これが、面接の目的です。
 
幼稚舎の他にも、面接を実施していないのは、桐朋小学校、桐朋学園小学校で、その理由ですが、以前にも紹介しました、桐朋学園小学校の鈴村元校長の話です。文言は正確ではありませんが、次のような内容でした。
 
「大人は、趣味を尋ねられると、本当は、競馬、競輪などの博打が大好きでも、『趣味は、読書と音楽鑑賞です』と平気でいうものです。演技もできます。ですから、やっても無駄なのです。本音をおっしゃいませんから。しかし、子どもを2日間預からせてもらうと、子どもは正直ですから、みんな本当の姿を見せてくれます。育てられている環境は、わかります。ですから、私どもでは、面接をしないのです。」 (注 3年度入試は一日)
 
その通りではないでしょうか。大人は、猫をかぶりますから、面接は、ニャーニャー大会かもしれません。子どもは正直で、演技をしませんから、育てられている環境を、そのまま見せてくれます。
ですから、面接で、つけ焼刃は効かないのです。
 
また、慶應義塾幼稚舎では、紋切り型のステレオタイプ的な回答が増え、面接をやる意味がないと考え、廃止したと伺ったことがあります。
 
面接では、付け焼刃は効かないとお話ししましたが、入学試験そのものも、メッキでは駄目なのです。メッキは、はげるものです。以前、紹介しました、あるミッション系の校長先生の言葉です。
 
「入学試験に必要な知識や礼儀作法なるものを、泥縄式に詰め込み、『受験準備、事足れり』とお考えでしたら、それは誤りであることに気づいてほしい。」
 
繰り返しますが、その通りではないでしょうか。赤ちゃんを育てたとき、あれこれと泥縄式に詰め込みましたか。そんなばかげたことは、しなかったはずです。子どもの成長に合わせ、一歩一歩、ゆっくりと、一緒に、階段をのぼってきたのではありませんか。
 
その心は、「できるまで待ってあげよう、忍の一字」ではなかったでしょうか。
小学校は、無理やり受験戦士に育てられた子を望んでいません。
 
子どもの知育は、子ども自身が、「知りたい、識りたい」と、身体全体から、ふつふつと湧き出るときに、与えるものであることが大切なのです。モンテッソーリの「その時期に最も活動が盛んになり成長する敏感期」です。お子さんの成長を見極め、学習するためにふさわしい環境を作ってあげるのが、親の役目です。主導権は、子ども自身にありです。それを、親が握り締めていないでしょうか。勉強だけではなく、遊びまでも……。
 
やはり、親は、教育に関して信念というか哲学を持つべきだと思います。しかし、これを言うのには、勇気が必要です。小学校の受験にしても早期教育にしても、私たち親は、子どものためによかれと思って始めますから、「そんなことは、余計なお世話だ!」となりがちです。  
しかし、学校選びは「はじめに我が家の育児の姿勢(方針)ありき」であるべきです。古い話で恐縮ですが、明治初期に、小学校の高等科(現在の5、6年生)の家庭に配布されたものだそうですが、
 
「教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実が成る」
 
これは含蓄のある言葉ではないでしょうか。
「ご家庭で育てた芽に、どういった花を咲かせるか。そのためにはどういった教育がふさわしいのか」、学校選びは、こうあってほしいものです。
 
来年1月から、国立、私立小学校の入試問題を紹介し、小学校の受験に何が必要なのかをお話ししましょう。誤った受験準備をしないことが、お子さんのためだからです。(面接に関する情報は令和5年度入試のものです。)
 
冬休みの講習会が始まります。まだ、入会されていない方、挑戦してみましょう。今、この時期に、学ぶべきことがたくさんあるからです。
 
(次回は、「よくある質問」についてお答えしましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第7号-
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第2章 (2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師走
 
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
 
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、私のような庶民はチキンで済ませています。七面鳥、やはり訳ありでした。
 
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリスト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにするために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっとも今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去形になるのは、今では家で炊くことがあまりないからです。「赤飯」、またの名を「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」という戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白米ではなく、赤米(あかまい・あかごめ)でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、炊きたての赤米は、本当においしかったに違いありません。
 
 
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
 
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があります。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
 
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスに新しい薪を燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃(たた)え、喜
びを分かち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマスケーキのそもそもの始まりだったのである。
 (注 「(たた)」は引用者)
 〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかりませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケーキ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちなみに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
 
 
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
 
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良なおじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイメージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラーク・ムーアー(1777-1863)が作った、[ Twas the Night before Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト(1842-1902)による絵が評判をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサンタクロースというイメージが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリスマス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人となり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっかりするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を与え続けるのですから、これはすごいものです。
 
それから、サンタさんにお手紙を書きたいとお子さんにせがまれたことはありませんか。安心してください。サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。しかも返事は夏になるようですから、保護者の方の工夫も必要です。「サンタの住所」で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることができます。検索してお子さんにプレゼントしてみませんか。
 
 
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
 
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
 
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることによって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせることです。
 
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイのひくそりに乗ってくるのかな?」と尋ねられたことはありませんか。先に紹介しました聖書学者クレメント・クラーク・ムーアが、自分の子どものために書いた「サンタクロースが来る」の中で、「サンタは8頭のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子どもたちにプレゼントを配る」と書かれており、これを踏まえて、ロバート・L・メイという通販会社の社員の書いた詩がもととなり、童話「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」が発表され、アニメ映画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」の曲が生まれ、世界中に広がったそうです。
 
 
 
★★クリスマス・カードのルーツ★★
 
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみのようです。
 
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリスのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったことをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝したり」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
 
 
 
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
 
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配ります。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう 半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚子湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカルシウムを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンAが多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れものです。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠かせません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子どもたちにはハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(3)についてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(4) 運動テスト

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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
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 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第23号>
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■■[2]5つの試験形式■■ 
 
(4) 運動テスト
 
みんなで一斉に行う集団テストと、一人ひとりで行う個別テストがあります。
集団テストには、先生のお手本を見て、その通りにする模倣体操や、タンバリンなどのリズムに合わせて行進をする、片足で30秒間ほど立つバランス感覚、指の屈伸などがあります。
 
個別テストは、ケンケン、ケンパー、くま歩き、ボール遊び、ゴム段、跳び箱、平均台といった運動をいくつか組み合わせて、先生の模範演技の後に一人ひとりが挑戦するものです。
 
たとえば、こういった組み合わせです。
「床に引かれた真っすぐな線の上をケンケンで進み、平均台を渡り、次に跳び箱に登り、跳び降りて、得意なポーズをする」
 
こういったテストは多くの学校でやっています。しかし、これは技を競う「競技大会」ではありません。
 
先ほどのような課題のほかにも、ボールを投げたり、ついたり、走ったりなどをしながら、年齢にふさわしい運動機能の発育状態を見ているだけです。ですから、難しいものはありません。何とか難度などは、オリンピックの話で、一所懸命、子どもらしく、挑戦できれば、いいのです。
 
これも生活体験が、そのまま出ます。
 
ボールをついたことのない子にボールをつけといってもできません。運動は、身体全体で学習するものですから、正直に表れます。これは、誰の責任でしょうか。ご両親です。運動器官に、何らかの障害がある場合はともかく、普通の発育状態で、みんなができる運動ができないのは、親がさせていないから、といえるのではないでしょうか。こういう子は、比較的に頭が良いそうです。頭だけ良くても、みんなができることができないと、いやな言葉ですが、いじめの原因になったりもします。
 
逆もあるそうです。スポーツ教室に通って、きちんと技をみがき、それは、それでいいのでしょうが、「みんな、下手だな……! こうやるんだよ!」見下しているのです。態度が大きいのです。ボール遊びなどでこういうこともあるそうですが、これも駄目ですね。
 
早期教育にも、こういう欠点が、表れがちではないでしょうか。
「九九もできないの!」
これと同じです。見下していたカメさんに抜かれるウサギさん、たくさんいるそうです。ウサギさんは、ひらめき型で、カメさんは、じっくり考えるタイプです。繰り返し試みるカメさんを、あたたかく見守ってあげるお母さんになりましょう。カメさんは、小学校の4年生頃から、ウサギさんを追い抜きはじめます。その理由は、選択肢が2つか3つの場合、直感力がすぐれているひらめき型のウサギさんは、あまり苦労することなく答えを選び出せますが、選択肢がふえてくると、直感力だけでは解決できなくなります。じっくり考えるカメさん型は、選択肢が少なくても、一つひとつ検証しながら答えを出すので、時間はかかりますが、試行錯誤、“trial and error”を積み重ね、きちんと考えて答えを出す習慣を身につけているからです。イソップの寓話「うさぎとかめ」は、油断を戒めたものですが、こういった解釈も可能ではないでしょうか。
 
余談になりますが、負けたウサギはどうなったかご存知でしょうか。カメに負けた駄目ウサギとして、ウサギ村から追放されますが、「子ウサギを餌に差し出せ!」と脅迫する狼をやっつけ、無事、ウサギ村に復帰します。狼をやっつける方法が、用心深いウサギらしく、傑作です。(「それからのうさぎ」読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話(上)  筑摩書房 刊)
 
話を戻しまして、問題点は、まだあります。指示されたとおりにできるかです。
先程のいろいろな運動を組み合わせたものや、模範演技をしっかり見て、理解し、同じようにできるかです。指示の理解と的確な行動力を判定しているのではないでしょうか。
 
まだ、あります。待っている間です。自分の番が来るまでは、緊張していますから心配ありませんが、自分の番が終わると、ゆるみがちです。他の子どもがやっている間、キチンと体操座りで待っていられるかです。これも学校側の狙いでしょう。
 
最後に、一言。これは、笑えない話ですね。あるミッション系の小学校の説明会で聞いた話です。
 
先生が模範演技をして、さて始めようとしたとき、一人の女の子が聞いたのでした。
「先生、これテストですか?」
「………!」
先生は、何ともいえません。どこの学校も、子どもたちには、テストというプレッシャーをかけないように気をつかっていますから、「テストです!」とは、いいがたいのです。
「テストでないなら、やりたくありません!」
 
子どもの正直な告白です。毎日、やること、全て、試験のための訓練になっているのでしょう。悲しくなりますね。しかし、体を動かすことをいやがる子どもなど、いるのでしょうか。「お子さんを追い込むような準備はしないでほしい」と、シスターはおっしゃっていました。やはり、おかしいです。
 
おかしくしているのは、誰でしょうか。「ほんの一部」の猛烈受験ママの話でしょうが、こういったことからマスコミのいう「受験戦争の低年齢化」となり、針小棒大に騒がれてしまうのでしょう。小学校受験はお子さんのためですから、こういったお父さんやお母さんにはならないでいただきたいとお願いしておきましょう。
 
昔の話ですが、お父さんが海外へ単身赴任しているお子さんの志望校は、ボールを使った運動テストが行われる暁星小学校でした。盛んに話しかけてくるので、やはり、寂しいのだなと耳を傾け、時には叱ったりしたものでした。子どもから聞いた話ですが、お母さんと近所の公園で、毎日のようにボール遊びや縄跳びをしていたそうです。試験のためではなくても、親子で汗を流すのは、素晴らしいスキンシップになっています。少し太めであったお母さんが、スリムになってきたので、絶対に合格するだろうと思いました。親子が心を一つにして目標に向かえば、望みはかなえられるものです。入学式の帰りに挨拶に見えましたが、一番うれしそうだったのは、何と初対面のお父さんでした。遠く海外にいて手を貸せなかったこその喜びでしょう。
 
何から何まで、塾や教室の先生方にお任せだけでは、良い結果は出ないことも覚えておいてください。
 
(次回は、「面接テスト」についてお話しましょう。)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章 (1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
 
暦の上では11月に立冬がありますが、幼児教室では冬は12月からとしています。
さて、その冬ですが、物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(すうそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となったという説が有力だそうですが、全てのことを「為果す(しはす)月」というのもあるそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、「子どもに伝えたい年中行事・記念日」(萌文書林 編集部編 萌文書林 刊)を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子どもたちが、もっとも楽しみにしている日ですから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか、という声も聞こえてくるかもしれません。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世界的な規模でのお祝いですが、実はよく知らないことや、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
 
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、といっては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、どうなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
  クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書
  の中では、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キ
  リスト教が広まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。
  その頃、力を持っていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12
  月25日に決められたといわれています。
  (えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰されていた太陽の神ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリストこそ、私たちの太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったのです。
信者の皆さま方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれたのでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つかりません。(陳謝)
 
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるのでしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどありません。私は子どもたちに、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
 
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでしょうか、これも訳ありでした。
 
  クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の
  木である。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。ア
  ダムは楽園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その
  実から木が育ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・
  ツリーはアダムの持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表
  す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、これまた驚きです。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
 
  プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル 
  (1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のク
  リスマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切
  った夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝
  きを、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木
  の枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現
  したのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年
  にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田 久 著 
 日本経済新聞社 刊〕
 
では、当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
  樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人
  々は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明
  日の命、永遠の命を讃(たた)え、祈った。さらに樅の木は天使が飾
  りつけをする意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、
  飾りつけの最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮
  名は引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たるかは、定かではないそうです。
 
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼントの飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひいらぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも訳ありでした。
 
  クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古
  くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥ
  ルナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き
  継ぎ、棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈
  を与え、クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy
  (神聖な)に通じる縁起もあるのだろう。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
まだまだクリスマスについてありますが、今回はここまでにしましょう。
 
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(2)についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(3)集団テスト

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第22号>
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(3)集団テスト
 
10名から20名位のグループで、部屋に置かれている遊び道具、ボールや縄
跳び、積み木や輪投げなどを使い、各人が自由に遊んでいる様子や、先生のま
ねをして踊ったり、熊や象などの動物のまねをしているところを観察するもの
や、話を聞いて、話の続きを想像して絵に描いたり、全く条件を与えられない
で好きな絵を描いたりします。
 
テストの狙いは、遊んでいる様子から自発性を、何かを作ったり、絵を描いた
りすることから表現力や創造力、巧緻性などを見ます。巧緻性は、きめ細かく
上手にできていることで、「手は第二の脳」(11号~14号)で詳しくお話
しましたから省略しますが、一言でいえば、普段、両手を使う作業をやってい
るかを見るわけです。親の手を借りずに、どのくらい自分自身でできるか、自
立心ですね。
 
さらに、基本的な生活習慣も関わっています。もちろん、積極的に参加する意
欲や自主性もわかりますから、手を抜けません。
 
また、たとえば、クリスマス・ツリーなどを作る課題を与えられ、5、6名の
友だちとグループを組み、相談をしながら、自分の考えをいい、相手の意見に
も耳をかたむけながら、仲良く作り上げていく問題もあります。社会性や協調
性が培われているかを見る行動観察型のテストです。
 
 
 
[自由遊び]
 
「好きな道具を選んで、自由に遊びなさい」
といわれて戸惑う子がいます。子どもは遊びが仕事ですから、信じられません
ね。
 
その原因は、日常生活が何から何まで管理されていることにあるのではないで
しょうか。
 
お母さんの指示どおりにしないと、お母さんの気持ちが済まないようで、その
心は、無事に〇〇小学校へ入るためです。これでは、学校側が求めている自発
性や自主性は、育たないと思いますね。お子さんの通っている幼稚園は、自由
保育です。お母さんのやっていることは、管理育児です。こんな言葉はないで
しょうけれど、保育の方針に逆らっています。
 
遊んでいるときに、子ども本来の姿が表れるもので、そこを学校側はみたいの
です。みんなが自分の好きな遊びに熱中している時に、何やら不安気に、ボー
ッとしていると、先生方は、どう思うでしょうか。育児が過干渉である証拠で、
自分の意志を持たない「受験サイボーグ戦士」と思われるかもしれません。そ
の心配なしとは言えませんね。
 
こんな子もいるそうです。今、ボールで遊んでいたと思ったら、今度は縄跳び、
と思う間もなく輪投げです。一ヶ所にジッとできません。これは、この時期に
見られる子どもの成長を現す一面で、目移りではなく、好奇心が旺盛なのです。
とは言っても、次から次へと手を出し、人が遊んでいるおもちゃを横取りした
り、いくつも独占したり、あげくのはてには散らかしっぱなしはどうでしょう
か。
これでは、好奇心が旺盛とは言えません。単なるわがままか、飽きっぽいだけ
で、育児が過保護になっている証拠です。
 
遊ばせると、子どもの育てられている環境はわかります。
 
幼児の試験に適していますね。子どもたちは、全身で育てられている環境を表
します。無心に遊ぶ、ちょっとしたしぐさから、育児の姿勢が伝わってくるも
のです。
 
 
 
[身体表現]
 
先生のやっている動作をまねる、いわゆる身体表現です。
たとえば、あざらしの歩き方をまねたりします。これは、かなり、難しいです
ね。両手で体重を支え、両足をそろえて伸ばし、両手を交互に出しながら前に
進みます。まさに、あざらしさんです。腕力と腹筋を使いますから、かなりき
ついですね。もちろん、あざらしそっくりにできればいいのですが、それだけ
ではありません。これも積極的に参加する意欲があるかどうかです。ちょっぴ
り照れながらも、顔を真っ赤にして挑戦する子、いいですね。
 
幼児は自分の考えを表すときに、言葉だけでは十分でない場合、どうするでし
ょうか。身体全体を使って表現しようとするものです。しかし、これは表現す
る対象をよく観察していないとできません。あざらしを見たことのない子に、
まねられるでしょうか。たとえお手本があっても、ぎごちないでしょう。見た
ことのある子は、「不思議な歩き方だな?」と思うはずです。「思う」とは、
注意を呼び起こされることです。「どこが、どう違うのかな?」と観察を始め
ます。幼児の学習は、これが基本です。
 
興味があれば、細かいところまで見極めようとします。他の動物との違いを見
つけられれば、素晴らしい学習になります。
 
大切なのは、実物を見ることです。
 
同じところと異なったところを見つける、「類似差異」の見分けです。そこか
ら、新しい知識が備わってきます。机の上で、いろいろと知識を詰め込まれて
も、あざらしを見たことがなければ、はつらつと表現できるでしょうか。この
テストの目的は、生活体験、自分を取り巻くものへの関心や、そういったもの
に対する観察力ではないでしょうか。
 
かつて、アメリカでベストセラーとなった「人生に必要な知恵はすべて幼稚園
の砂場で学んだ」の第1章 私の生活信条(クレド)に、「不思議だな、と思
う気持ちを大切にすること。(中略)ディックとジェーンを主人公にした子供
の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味を持つ言葉。“見
てごらん”」があります。(“  ”は発行者)幼児に大切なのは、教え込む
より、疑問や関心の芽を育ててあげることではないでしょうか。
 
 
 
[共同制作]
 
クリスマス・ツリーを作ることを考えてみましょう。折り紙、モール、きびが
ら、発泡スチロール、リボン、厚紙などの材料から、セロテープやのりなどの
接着剤、はさみ、穴あけパンチ、ホチキスといった道具が用意され、相談しな
がら作ります。共同制作です。
「制作、得意なんです、私に任せといて!」
「苦手なんだ、はさみを使うの。手を出さないで見てよう!」
そうはいきません。みんなで相談しながら作ります。自主制作ではありません、
共同制作です。
 
以前、日出学園小学校では、4、5人のグループで模造紙1枚とクレヨン1箱
だけ用意し、相談しながら絵を描かせる課題が出題されました。ある年は「弁
当箱」でした。クレヨン1箱ということは、同じ色は2本ないことです。さあ、
どうすれば絵は完成するのでしょうか。
 
これは、本当に大変です。
 
考えてください、全員、今日、初めて会ったのです。幼稚園や保育園、幼児教
室や近所の気心の知れた友だちではありません。名前も性格も能力も趣味も、
全く、わからない集りです。ですから、育てられている環境が、姿を表します。
「自分のことは自分でしなさい!」
と、ご両親が自主性を培う育児に徹していれば、一本しかない黄色のクレヨン、
どうすれば使えるかを自分で考えます。
 
過保護、過干渉な育児では、果たして自分の考えを言い、積極的に参加できる
でしょうか。学校側の狙いは、ここにあるのではないでしょうか。
 
 
 
[お絵描き]
 
かつて幼稚舎の試験に、こういうのがありました。
教室に紙を貼ったイーゼルが立てかけてあり、その前に数種類の絵具が用意さ
れ、絵を描かせたのです。学校の狙いは、何でしょう。絵の巧拙でしょうか。
それもあるかもしれませんが、それよりも挑戦する意欲をみているのではない
でしょうか。4、5歳の幼児が、イーゼルを使って絵を描く機会があるでしょ
うか。ほとんどの子どもは、「何だろう、これは?」となるに違いありません。
 
新しいもの、未知なるものに挑戦する意欲です。積極的に挑戦する子の好奇心
は、旺盛です。これですね。
 
体中から好奇心という触角を出して、うるさいほど知りたがるのが子どもです。
こういう子は、やります。筆につけすぎた絵具をボタボタ落としながらでも。
手や顔どころか、服まで絵具だらけになるかもしれませんが、幼稚舎の試験は、
体操着に着替えてしますから心配ありません。どうして、体操着に着替えるの
でしょうか。受験される方は、これを考えましょう。
 
ところで、「なぜ、イーゼルを使い絵を描かせたのですか」の質問に、「子ど
もの表情を見たかったのです」とおっしゃった当時の舎長のコメントが印象に
残っています。なぜなら、一心に絵を描いている子ども達の表情は、実に生き
生きとしているからです。知的能力だけではなく、身体全体から表われる子ど
もらしい成長の証(あかし)を見ているのです。ここがポイントではないでし
ょうか。
 
制作、絵画は、完成した作品の巧拙だけを見極めるのではありません。
 
積極的に楽しく取り組む意欲や共同で作業を進める協調性です。協調性は、社
会性と共に、大切な集団生活への適応力を育むものです。
 
ペーパーテストは満点を取っても、集団テストの苦手な子を、学校は歓迎する
とは考えにくいことです。社会性がどのくらい培われているか、子どもは態度
で示します。過保護、過干渉の環境では、意欲や集団生活への適応力に問題あ
りと判定されないでしょうか。
 
通っている幼稚園の先生や保育士さんに聞いてみましょう。「集団生活に、少
し心配な点がありますね」などの答えがあった場合は、「ものすごく心配な点
がある」と受け取り、お子さんに対する育児の姿勢、取り巻く環境を総点検す
る必要があります。
 
繰り返しますが、「ご両親の育児の姿勢」を総合的に判定するのが、小学校の
入学試験です。このことを、肝に銘じておくべきではないでしょうか。
 
  (次回は、運動テストについてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(3)情操教育、難しく考える必要はありません 季節の行事、これも欠かせません

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
 
   - 季節の行事、これも欠かせません - 
 
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
昔は農耕民族でしたから、1年の生活は農作業を中心に営まれ、休みも仕事の
進み具合により取るようにしていましたが、今は法律で定めた国民の祝日にな
っているものが多く、全国的に休暇を取るようになりました。以前は、祝祭日
に日の丸を掲げたことから「旗日」ともいわれていたのですが、今はあまり見
かけなくなりました。
 
祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているのでしょう。
元日に雑煮を食べない家庭もあるそうですから、当然かも知れません。しかし、
七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午の節句、これ
はおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。国産ではありません
が、クリスマスもきちんと祝い、ハロウィンも仲間入りしてきました。いずれ
も国産化され、本来の趣旨とは違ってきているようですね。
 
お父さん、お母さんに質問です。
 「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
 「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
 「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
 「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話してあげる
機会を少しでも多く持ちたいですね。
 
例えば、正月の門松です。
 
室町時代頃から飾るようになったそうですが、これには、きちんとした科学的
な根拠があるのです。詳しくは1月に説明しますが、ここでは、昔聞き、今で
も忘れられない話を紹介しましょう。
 
 「松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
  竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れへん我慢強さがある。しかも、
  中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』
  っていうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
  梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
  咲く姿は清らかや。
  みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
  これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生き
  て、家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていたものです。
今の時代、「男は」とか「女は」をつけると、何やら一言ありそうですが、昔
のこととして流してください。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものです。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思い
出として残してあげ、子どもが親になった時に、その楽しい思い出をわが子に
も伝える、そういった風習が残っていました。何しろ今と違い、情報量の少な
かった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけです。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など幼稚園や保育園では聞こえま
すが、ご家庭からは聞こえなくなりました。そんなことは迷信だといって、だ
んだん、影をひそめていくようです。
「月にうさぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタク
ロースはいる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送ら
れてきた手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。
 
 「迷信と切り捨てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」
とでは、どちらが子どもにとって幸せでしょうか。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻をしたり、短冊につたない
字で願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に
祝っていたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり
聞かれない言葉の一つになりましたけど……。
 
今のようにインターネットやテレビもなく、昔話の本などあまりなかった時代
は、ほとんど両親の記憶による話でした。その話も祖父母、先祖によって語り
継がれてきたもので、そういった昔話の原点が残っていました。
 
特に、鬼の話や地獄の話は恐かったものです。悪いことをすると地獄に落ち、
針の山に追われ、血の池に放りこまれる話などは、心から信じていました。こ
れも「情操教育」ですね。
 
こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の絆が薄くなった原因
の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々の行事も、心を培う「情
操教育」に欠かせない、家庭でやらなければならない大切なイベントだと思い
ます。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のある昔話を紹介しようと試
みたのですが、日本中の行事といえば気が遠くなるほどありますし、昔話とな
ると、とてもではありませんが手に負えない、ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせていただいたのは、永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日
本経済新聞社 刊)です。専門用語が使われ難しいものですから、独自に解釈
させていただきました。
 
昔話は、独断と偏見で選んでみました。そして、解釈も独自ですから、専門家
の諸先生方に一笑されるかもしれませんが、ご容赦ください。
 
紹介する話は、ほんの氷山の一角で、しかもダイジェスト版にしています。面
白いと思われましたら、本物を読んであげてください。
それも、本メールマガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが図書
館で読めるものです。お住まいになっている図書館の子ども部屋にはあると思
いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってください。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。
 
情操教育は、心の教育です。心の教育は、幼児期に基本的なことを学習してお
くべきです。今は学習ではなく、勉強が幼児の心をむしばんではいないでしょ
うか。文字の成り立ちからもわかるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強
は「強いて勉めること」です。幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。
 
親が勉強せず、子どもだけに勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。
情緒が不安定で、情操の乏しい子が増えているといわれていますが、知識を詰
め込むことにこだわり、心を育てる育児が、おろそかになっていないでしょう
か。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をし、やがて一人前に鳴けるよう
になる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、あえて言い切っておきましょう。
 
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境か
ら培われていくものだと考えています。
 
通信簿に表れた目先の結果だけにこだわらず、どのような子どもに育ってほし
いのか、大らかな心をもち、お子さんの教育について考える賢いお父さん、お
母さんになってあげましょう。それがご両親の役目、親の責任ではないでしょ
うか。
 
最後に、落語「桃太郎」の全編を紹介しましょう。大人用は、複雑に脚色され
た噺が多く、長くなりますから、「こども古典落語」から選びました。
「桃太郎」は、「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」
と共に、日本の五大お伽話といわれています。なんと、この五つの話を知らな
い子がいます。ご自身のお子様はどうでしょうか。
 
余談になりますが、落語ですから声を出して読んでみてください。黙読とは一
味違うはずです。
 
 
★★古典落語「桃太郎」の作者
    乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)の意図★★
 
桃太郎のお話を一席申し上げます。
近頃の子どもは学校に入る前に、大概、幼稚園や保育園に行っていますから、
昔とは大変に違います。昔は親が子どもを寝かしつけるのに、
「おとっつぁんが、面白い話をしてあげるから寝るんだよ。いいかい、あのね。
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいてね。ある日、
おじいさんは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだよ。そして、
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、家に持って
帰って割ってみると、男の子が生まれたんだよ。桃の中から生まれたから桃太
郎と名前をつけてね。大きくなると桃太郎は、犬と猿と雉を連れて、鬼が島に
鬼退治に行ったんだ。そうして、鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰って
きて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだよ。どうだい、面白かったかい
……。おや、坊や……。もう寝ちまったよ。子どもなんて罪のないもんだね」
という具合だったんですが、今は、そうはいきません。
「坊や、お父さんが面白い話をしてあげるから早く寝な」
「せっかく親が面白い話をしてくれるのに、寝ちゃあ失礼だよ」
「失礼でもいいから寝なよ」
「あのね、むかしむかし」
「むかしむかしって、何年前?」
「ずうっと昔だよ」
「それじゃ、何世紀頃のお話?」
「何世紀だって、いいじゃないか!」
「あるところに、おじいさんとおばあさんがいたんだ」
「あるところって、どこ? おじいさんとおばあさんの本名は?」
「あるところはあるところさ。おじいさんとおばあさんには、名前がないんだ
よ!」
「でも、名前がない人っていないよ」
「貧乏だから、名前を売っちゃったんだよ」
「変なこと言ってら!」
「黙って聞きなよ!」
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだ。おばあさ
んが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、これをもって帰って割っ
てみると、男の子が生まれたから、桃太郎と名前をつけた。この子が大きくな
ると、犬と雉と猿を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして鬼を退治
して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばした
んだ……。あれっ、まだ寝ないのかい?」
「お父さんの話を聞いていたら、さっきまで眠かったのに、パッと目が覚めち
ゃった。だってこの話は、もっと深い意味があるんだよ」
「ほう、そうかい?」
「話してあげようかい、君!」
「あれっ、親をつかまえて、“君”というやつがあるかい! まあ、話してご
らん」
「むかし、むかし、あるところにというのは、何時代のどこと決めてもいいん
だけど、日本中の子どもがこの話を聞くわけでしょう。だから、子どもたちの
想像させるために、わざとぼかしてあるんだよ。おじいさん、おばあさんとい
うのは、本当はお父さん、お母さんなんだけど、やわらかみを出すために、お
じいさん、おばあさんにしてあるんだ。そして、それぞれ山と川に行くでしょ。
あれはね、父の恩は山より高く、母の恩は海よりも深いということを表してい
るんだよ。そして、海のない地方もあるから、わかりいいように川にしたんだ」
「えっ……、なるほど。これは、大人が聞いてもためになるな」
「そうさ。桃の中から子どもが生まれたというけど、あれは、桃のようなかわ
いい赤ちゃんが生まれたということなんだよ。第一、桃の中から赤ん坊が生ま
れてごらん。果物屋さんは、赤ん坊だらけになっちゃうよ」
「なるほど、なるほど、それから?」
「そんなに前に乗り出してこないでよ。そしてね、鬼が島に行くというのは、
つまり、父母のもとを離れて、世間に出るということなんだよ。犬、雉、猿を
連れて行くというのはね、犬は思いやりというものがある。難しい言葉でいう
と仁というんだよ。猿には知恵がある。雉は勇気がある。つまり人間は、世間
に出たら、仁、知、勇、この3つを働かせなければいけない。そうすれば段々
に偉くなってきて、世間から信用という宝物を得ることができるということな
んだよ。それをお父さんみたいに、この話をしたんじゃ、このお話の作者が泣
くよ。わかったかい、お父さん……。お父さん、あれぇ、お父さん寝ちゃった
よ! へえー、大人なんて、罪のないもんだ!」
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
   小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
きび団子の説明が抜けていますが、きびでできた団子は美味いものではなく、
人間いかなる時もおごってはいけないという戒めを表しています。桃太郎伝説
のモデルといわれている岡山県の吉備津神社で食べたきび団子は美味かったの
で、子どもたちから「うそでしょう?」と言われるかもしれません。
 
いかがでしょうか、説得力があると思いませんか。
歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実に無駄がありません。
 
しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑いながら、人生修業を
しているのですから。落語は、最後の「下げ」が勝負になりますが、これも決
まっていますね。YouTubeで視聴できます。
 
最近、落語を聞く機会がなくなりましたが、落語は素晴らしい話芸です。疲れ
たときに聞いてみませんか。落語は、声を出して笑うことが、いかに大切であ
るかを教えてくれるからです。
 
「笑う門に福来る」とも言うではありませんか。ご両親の笑顔は、お子さんの
健やかな成長を支える促進剤です。
ちなみに英語では、“Fortune comes in by a merry gate”、面白いのは、
“Laugh and be fat”(笑えば肥る)とも言うそうで、後の方が、実感があり、
納得できますね。(「故事ことば辞典」より)
 
ところで、あるミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたこと
がありますか」と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのよ
うにお考えでしょうか。
 
 
  (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 
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