めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第37号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(2)
 
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。なぜ、鳩なのでしょうか。事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノ
アの方舟」なのですから驚きです。
   
 「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよ
うと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつ
くるように命じました。
 ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつが
いを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて
海に沈みました。          
 数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻っ
てきました。
 それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をく
わえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
 
 この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広
まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」        
  平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
 
映画「天地創造」を思い出します。
歴史に「イフ」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
煙草のピースのデザインも変わっていたでしょうし、イトーヨーカ堂のロゴマ
ークにもなれなかったに違いありません。
煙草のピースですが、ヘビースモーカーであった私は、両切りにフィルターの
付いていないピースの愛好家の一人で、今でもそばでピースを吸われると、あ
の何とも言えない上品な香りに、クラクラとします。他の煙草の煙は今の私に
は単なる嫌な煙です。吸わない人には限りなく迷惑な煙害であることを、愛煙
者は十分に承知して吸ってほしいですね。禁煙してわかったのですが(笑)。
 
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。 
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あ
の鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人
気があるそうです。
ところで、都会では、鳩とカラスが厄介者になりつつあるのも、不思議な縁で
すね。
 
最近、知ったことですが、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続い
て、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と明記されていた文言も消えてしまっ
たそうです。ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、使
わなくなったと聞いたのですが、リオデジャネイロの入場式では使われません
でした。「五輪栄誉賞」の授賞式には登場したそうですが、残念ながら映像を見
ていません。
 
それにしても、東京五輪、何かとすっきりしませんね。「そもそもオリンピック
は、競技大会ではありませんか」と憎まれ口を叩きますが、選手抜きの祭典に
なっているのではありませんか。だったら止めればいい。切磋琢磨している選
手の皆様には申し訳ないですよね。聖火リレーの出発点が、福島に決まったと
か、でも、間に合うのかしら、そっちも心配ですね。
 
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズー
ポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童
謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)
のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽
しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われ
ておらず、よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名
で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞
けます。
         (大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225よ
り要約)
 
               ★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
平和のシンボルの話から一転して、自然の摂理についてお話しましょう、など
と気取ることはないのですが。
夏といえば、海水浴。海水パンツではなく、赤い褌(ふんどし)をしめて泳い
でいました。初めて海で泳いだとき、不覚にも海水を飲んでしまい、その辛い
こと、喉をゼイゼイならしながら鼻水を出した顔はゆがみ、こりているはずな
のに、またしても海水を目に入れたときの、あの痛さに泣いた記憶があります。
当然です。海水約4リットルには、およそ100グラムの塩が含まれていますか
ら、塩辛いわけですし、目に入れば痛いわけです。
 
では、なぜ、塩辛くなるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が、雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたた
めに塩辛くなったのです。
     
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生ま
れたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウム
を溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
 海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所 刊 P283)
 
この海水ですが、どこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、
38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
 
そして、当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
 
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
でも、酸性雨は別物で、これは恐ろしい。もっと「地球にやさしい暮らしをし
てほしい」と、地球自身が警告を発している気がしてなりません。
 
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
 
 海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入って
も泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が
出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈
川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴と
なりました。
    (心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本 裕之  講談
社 刊 P64)
 
小学生の頃から、川や海で泳いでいましたから、夏になれば真っ黒に日焼けし
たものです。瀬戸内海の底まで澄んで見えるきれいな海に育った私は、東京に出
てきて、波がドーンと砕ける江ノ島の海岸に立ったとき、これが海かと信じられ
ないほど汚く見えました。当時 (昭和25年頃)は、打ち寄せる波が砂を掘り
返すので汚れていたように見えたのですが、そこで大勢の人が泳いでいるので
すから、びっくりしたものです。
 
高度成長時代に入り、河川や海洋汚染がすすみ、公害をもたらし、日本の至る
所で自然は壊され、無残な姿をさらけだしていました。自然と無邪気に遊べる
のは、子ども時代だけです。川や海で泳げないなど、私には想像できないこと
でした。10数年前になりますが、日本はおろか世界中の川や湖沼をカヌーで
旅をするリバー・ツーリングのスペシャリスト、野田知佑氏の本を読むたびに
憤慨していたものですが、憤慨しても何も始まらないだけに、虚しくなるだけ
でした。
 
ところが、最近、多摩川は地域の人々や関係者などの努力により、鮎が遡上す
るほど清流が戻り、「江戸前の鮎」を食べられるようになりました。それについ
ては少し気になることがあります。平成24年は1、194万尾、25年は6
45万尾、26年は541万尾、27年は435万尾、28年は463万尾、
29年は158万尾と減少していることでしたが、30年は994万尾と平成
24年に次ぐ大量の遡上。自然を壊すのは簡単ですが、もとに戻すには、大変
な資金と労力と時間がかかります。地道な努力を続けることで、日本の自然は
息を吹き返し、子ども達に自然を返してあげることができるのではと大いに期
待をしています。
 
この鮎ですが、縄張り意識が強く、他の鮎が近づくと攻撃する習性があり、こ
れを利用したのが「鮎の友釣り」で、おとりの鮎を釣り竿につけ、縄張に近づ
け、攻撃する瞬間を狙って吊り上げるそうですが、最近、過密放流が原因か、
鮎自身が群れるようになり、このやり方では釣れなくなっていると新聞に出て
いましたが、世の中、うまくいかないもんですね(笑)。
 
話を戻しまして、野田知佑氏のエッセーは、どれを読んでもわくわくさせられ
ます。
特に、カヌー犬、ガクとの生活は、痛快そのものです。ガクの親は、野田氏と
椎名誠氏ですが、ガクは、人間だと思い込んでいるところがおもしろい。ガク
がご主人に内緒で外泊し(?)、朝帰りして言い訳する様子が、人間らしくて、
笑い転げましたね(大笑い)。
ちなみに、「岳物語」の主人公は、椎名氏の長男で、岳とガクが親友(?)であ
るところが、また、おかしい。「岳物語」は、私にとっては、父親とは何である
かを考えさせられた本でした。また、母親である渡辺一枝さんのエッセー「時
計のない保育園」も、育児の心構えを教えてくれた本でした。目下、岳の3人
の子どもを相手に、「孫はすべてが宝物」と語るエッセー「孫物語」が、笑わせ
てくれます。
 
ところで、「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が
残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と
出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話
ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続
けているとなっていたような記憶があるからです。
 
◆塩ひき臼◆
 金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
  ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に
帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねら
れます。
   「この夜ふけに何をしているのだ」
   「年神様に備える米がない」
  といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
 「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小
人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。
必ず、欲しがるから」
  そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない
宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみ
ると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
  「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止
まるものだ」
 家に帰って、むしろの上に臼を置き、
  「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
   といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
 そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、
盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入
れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと
船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べ
たのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、
  「塩、出ろ!」
   といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思
い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続
け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んで
いったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いので
す。
 
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
 
ところで、最近、「花火のできない子どもが増えている」そうですが、我が家の
周りでも、小さな子どもがいなくなったせいもありますが、見かけませんね。
マンションではやる場所がない、近所の公園は花火禁止、花火を楽しむ空間が
ないということでしょうか。夏の夕涼みの楽しみの一つであり、日本の夏の風
物詩でもある花火。子ども達が楽しむ手持ち花火は、狭い場所でも、バケツに
水をくみ、その上で楽しんだものですが、皆さん方はどうしていますか。
 
27年の芥川賞は「花火」ではなく「火花」。芥川賞を貰えなかった太宰治は、
泉下で、どう思ったでしょうか。線香花火で終わるか、豪快な打ち上げ花火を
上げ、作家の仲間入りができるか、真価を問われるのは第2作、出ましたね。
自称、元作家志望の後期高齢者から一言、「よかった!」。とにかく受賞は、大
変なことなのですから。「称賛、少し羨望をこめて」(笑)
 
7月6日(金)に「村上龍氏、芥川賞選考委員を辞任」と報じられましたが、
159回の選考で、北条祐子氏の「美しい顔」が候補に選ばれたこととは関係
ないようですが、権威がなくなってきたようです。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」などについ
てお話しましょう)

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