めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 二月に読んであげたい本(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第15号-
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第4章 二月に読んであげたい本 2
 
今朝(16日)の新聞に、文部科学省は五輪でメダル獲得が有望な競技を支援するマルチサポート事業で、女子のフィギュアスケーをAランクから最低のCランクに下げたとありましたが、去年の今頃、真央ちゃんが素晴らしい演技を見せてくれ盛り上がっていたのですが。うろ覚えで間違っているかもしれませんが、亡くなったお母さんは「フィギュアスケートは、勝った、負けたではないと思うのです。その人の生きざまをどう氷の上で見せるか、それがフィギュアスケートではないですか」とおっしゃっていましたが、まさにその通りの4分間でした。もう二度と見ることはできないのでしょうか。
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さんが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いても若者は答えず、退屈だろうから、十三ある部屋で遊びなさいという。ただし「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみると、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、一月から十二月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入ると、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、びっくりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部屋に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る目を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、いったかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘は、がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。        
日本むかしばなし 7 
      おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社 刊
 
この十三番目というのがすごいと思いませんか。この作者は、十三日の金曜日が、何の日か知らなかったでしょうね。キリストが、十三番目の弟子であったユダに裏切られ、磔の刑を受けたのが金曜日。アダムとイブが楽園から追放されたのも金曜日。ノアが方舟に乗ることになった大洪水も、降りはじめたのが金曜日。絞首刑の階段が十三段ということも……、これも不思議です。
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来ても平気だと、「鬼は内! 福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつけられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきたではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まります。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半ばくちが大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は化けます。それで、ばくちをするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をします。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、酒を飲みすぎて死んでしまいました。
 ばくち好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをしてもらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
       おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社 刊
 
どうしたら、こういう発想ができるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登るときは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当に笑わされます。
しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいますから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」では、何やら不気味な感じがしますね。
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打(ばくち)をする話です。
 
      ◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
 ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入ってしま
いました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋ねたところ、
「あっちの方に転がって行ったぞ」
というその口元には、黄粉がついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さまが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。
鬼達が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上るはしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
 やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏が鳴いたと勘違いして、夜明けが近いぞとあせってばくちをし、2回目には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお金をいただいて大金持ちになったのです。    
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、
「はぁ、一番鳥!」
「はぁ、二番鳥!」
と言ってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」という訳で、鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。        
  日本の昔話 ②
    したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社 刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかしいのです。欲深じいさんが、天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふてぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているような気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるではありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。しかもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐かった鬼ですから勇気がいります。
                                          
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
 ある秋のことです。
 おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のものをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしがもらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。        
 五月のはなし
  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会 編 国土社 刊 
 
大らかな話ではありませんか、鬼を手玉に取り、恐い鬼も形なしです。鬼は悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、手に取るようにわかります。           
 
鬼が主人公の話ではありませんが、芥川龍之介の「杜子春」に出てくる地獄の話も忘れられません。仙人になる修行中に、口をきいてはならぬと約束した杜子春が、閻魔大王の前でも話さないものですから、怒った大王は杜子春の両親を連れ出し、鬼どもに散々、むちで打たせるのですが、口をきこうとしません。畜生道に落ちて馬になっているお母さんが、あえぎながらも、「心配をおしでないよ。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるなら、それより結構なことはないのだからね。大王が、何といってもいいたくないことは黙っておいで」、こう言うのでした。この場面にくると、決まったように涙が出たことを覚えています。子を思うお母さんは、こんなにもやさしいものなのだなと……。
              
幼い子をいじめたり、折かんをしたり、果ては殺してしまう親のいる時代です。地獄に落ちて、同じ責め苦を受けなければ、殺された子は浮かばれません。子どもに罪はないのですから。子どもを育てる心構えは、自分自身でするもので、その人の人生観ではありませんか。わが子のあどけない寝顔を、かわいいと思ったことはないのでしょうか。何ら疑うことなく、安心して眠っている子を手にかけるのは、人として許されない大罪です。
「子は、かすがい」ということわざ、死んでいます。もっとも「鎹(かすがい)」も意味不明の言葉となっているでしょうね。鎹は、二つの材木をつなぎ止めるために打ち込む「コの字型のくぎ」で、そこから「子は夫婦のあいだをつなぎ止める働きをする」という意味です。「豆腐にかすがい」(まったく効果のない、手ごたえのなきことのたとえ)とならないように、親子の絆は、しっかりと結びたいものです。   
 
ここでは取り上げませんでしたが、鬼を人間らしく扱った浜田廣介の「泣いた赤鬼」は、童話とはいえ日本以外に、こういった作品はあるのでしょか。最後の青鬼くんの置手紙には、不覚にも涙がこぼれてきます。お子さんはどのような反応を示すでしょうか。
 
  赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、この
まま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、
ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事
にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
(「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館 刊)
 
百田尚樹氏の「影法師」を読んだ後、頭に浮かんだのは「泣いた赤鬼」の青鬼くんでした。
自己中が多い現代気質では、友達のために自分を犠牲にする気持ちは古臭いと、馬鹿にされるかもしれませんが、読むたびに、わかっていても目頭が熱くなる童話の一つです。
この他に、「ある島のきつね」「よぶこどり」「むくどりの夢」「りゅうの目の涙」などは、学生時代に出会った童話ですが、年を取って読み返しても新鮮な刺激を与えてくれることに驚かされます。こういう時ですね、活字中毒に育ててくれた親父やおふくろを思い出すのは。(感謝)
 
ところで、百田氏の短編集「幸福な生活」は、めくった最後の1ページのわずか1行で、全てがわかるしゃれた構成で楽しませてくれましたが、一つだけ、コロッと騙される作品があり、まるで書評を担当した評論家のごとく、丁寧に読み返し、やっとわかりました(笑)。
また、私も熱狂的なファンであったファイティング原田を主人公にした「『黄金のバンタム』を破った男」、月並みの表現で情けないのですが、またしても感激! 世界最強のバンタム級チャンピオンであったエデル・ジョフレ(ブラジル)の戦績は、78戦、KO勝ち50で、負けたのは2回だけ。この2敗の対戦相手は、いずれもファイティング原田。1960年代の話ですが、今であれば国民栄誉賞でしょう。世界バンタム級チャンピオン、ファイティング原田は、日本人の誇りでした。リングネーム「ファイティング」は、野球の背番号の欠番と同じ欠名扱いで、現役選手が名乗ることはできません。その他に、身長以外は何でも整形できる世界を描いた「モンスター」(仰天!)、この作品と対になっている多重人格者を扱った「プリズム」、悪名高いオオスズメバチの生態を描いた「あらしの中のマリア」、映画化されテレビでも放映されましたからご覧になった方もいらっしゃると思いますが「永遠のゼロ」、出光興産の創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」は8月にお話しします。百田氏の肩のこらない話の展開は、若い皆さん方にはわからないかと思いますが、私が学生の頃、面白がって読んでいた「宮本武蔵」や「忠臣蔵」などの講談本と同じで、まっすぐ一本道で気軽に読み切れ、理屈っぽくないのが有難いですね。
 
最後に「春一番」は立春後に初めて吹く南風のことですが、待ち遠しいですね。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
         (「昭和のこころ」日本の年中行事 So-net ブログより)
 
昨年は3月14日、一昨年は3月1日でしたが、今年はどうでしょうか。
 
  (次回は、「第五章 ひな祭りでしょう 弥生」についてお話しましょう)                                    
 

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