めぇでるコラム

2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号-
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第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあたり、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではなく、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
 
 ★★花祭り★★
 
キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれていますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(かんぶつえ)」といいます。
現代では仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょうか。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お父さまは王さまでシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かった夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ちゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあった菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわいい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
 
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになるように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存知の仏教です。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う12月8日の「成道会(じょうどうえ)」、入滅の日とされる2月15日の「涅槃会(ねはんえ)」を合わせて「三大法会(ほうえ)」といいます。

 
 ★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂といいます。そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれになったばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し左手は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひしゃく)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降ってきたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろなお願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
 
 
 ★★仏教童話★★
 
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とてもいいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話として再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
 「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な感情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対であり、それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」「思いやりの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいもの、あたたかきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと私は考える。(中略)
  優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、作品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出てくると説教となって文学性を消滅する。
   (ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の多くの作品の中から、一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
  濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色の鹿が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にいることを、誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出して欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者はいないか、案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたのが、命を助けてもらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人でした。
  王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出します。
  「王さま、あれが金色の鹿です」
  と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこういったのです。
  「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せないなら、私を殺してください」
  それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、恥ずかしくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私をまともな心に引き戻すために現れたのかもしれない。
  王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、「生き物の命をとる狩をやめることができました。あなたさまも森へ帰って、いつまでも幸せに暮らしてください」といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男の腕に戻ってきたのでした。
      (仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さまの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、観音さまと孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になってしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあったけちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成されています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさんの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさしく話しかける作品になっています。
 
この時期だからこそ、純真な子どもたちの心に、素直にしみこむものです。どちらも絶版になっていますが、図書館で見かけることがありましたら、ぜひ、お子さんに読んであげてください。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
      (次回は「桜について」をお話しましょう。)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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