めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4) 七夕祭りでしょう 文月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号-
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう   文 月
 
【七月に読んであげたい本】
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上の
子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つけ、
子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたければ、
一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてください」
との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたので、
わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見たの
は、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬を抱
えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、犬
を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会できた
のです。
ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕せ!」
などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、最後は、
うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に切れ(本
当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂け、水が
あふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さまは、毎
月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いてしまい、
それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
  日本民話の会・編 国土社 刊
 
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、舞台は日本ではなく、「羽衣伝説」は日本の他にあるの
かなと、不思議に思ったことを思い出します。何しろ天女は、三保の松原が最
も似合う場所と信じていましたから。世界文化遺産に登録された富士山、緑の
松と青い海を背にそびえる三保の松原からの眺めは、見た人でなければわから
ないのではと心配していましたが、わかっていた方が大勢いらっしゃったとい
うことですね。約7kmに渡る海岸線に、およそ5万4千本の松が茂る、国指
定の名勝、絶景です。
この他に、冬の夜、立ち往生した橇(そり)で過ごす少年の素晴らしい知恵を
描いた「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」
なども忘れられない素晴らしい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
◆お盆のはじまり◆
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆
の縁起を伝える話が残されています。
お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を引
きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の川
を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たので
す。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜の
中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人が、
母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお前の
母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自慢し、
お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだというのです。
上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字ずつお経
を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、カメを湯
の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大王にお礼
を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を集
め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養を
行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽浄
土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。上
人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野菜
を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
これが、お盆の始まりだそうです。
 日づけのあるお話 365日
     七月のむかし話 谷 真介 編・著 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、私は「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉か
ら、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではあり
ません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」
(岩波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべ
きなのです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりして
いたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪
深いことばかり考えていたからだよ」。
少子化時代のお母さん、過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちま
す。被害者は、お子さん自身であることに、早く気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」 
  藤原 兼輔 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社 刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。目下、孫バカにはまりそうで、自戒しています(笑)。
 
話に出てきた「羅漢」、小江戸と呼ばれる川越市の喜多院の境内にも、五百の
羅漢さんがいらっしゃいますが、同じ顔は一つもないそうです。喜多院には、
家光誕生の間や春日局が使っていた化粧の間があり、時の鐘、蔵造などと共に
欠かせない観光スポットになっています。
 
なぜ、春日局が家光の乳母になれたのか不思議に思っていたのですが、驚いた
ことに本能寺の変は、信長が光秀に命じて家康を討つ手はずが狂い起きたもの
で、「なぬ!」と目をむきたくなる事実を、光秀の子孫にあたる明智憲三郎氏
が「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫 刊)で解き明かしていま
す。
 
なぜ、あの用心深い信長や家康が、わずかな手兵で本能寺へやってきたのか、
(家康を油断させて光秀に討たせるため)。
なぜ、秀吉があれほど速く戦場から引き返し光秀を討つことが出来たのか、
(事前に計画を知っていた)。
そして光秀が本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句、「時は今雨がしたなる五月
かな」の「時」は「土岐一族」であり、「目下雨が滴る苦境の時だが、六月に
は晴れる」という意味であるとすると、光秀の謀反は土岐氏にとっては再興の
戦いで、「三日天下」の悪評も吹っ飛ぶものに。
 
事前に察知した家康は逃げ、謀反を起こした光秀は秀吉に討ち取られる。謀反
に加担した家康のことを知っていたが、口を割らずに処刑されたのが光秀の重
臣であった斉藤利三、その娘がお福で後の春日局。感謝の意味で乳母にしたと
のことで、単細胞の私は、納得してしまいました。
 
それにしても不可解なのが細川幽斎(藤孝)。長子、忠興の正室は、光秀の妹、
珠子、かの細川ガラシャ。再三の出陣の要請に応えなかった幽斎。本能寺の変
は、秀吉、家康、幽斎の3人が関わったことだが、光秀一人に責任を負わされ
たと結ぶ。膨大な資料と子孫の意地が、ここまで切り込むことを可能にしたの
でしょう。何が起きてもおかしくない戦国時代、まだ新たな事実を知る機会は
残されていると思いました。(感謝)
 
ちなみに、16万部売れたそうですが、サカキバラ某の「絶歌」の類は、出版
されるべきではない。パソコンで検索し、「神戸連続児童殺傷事件」(ウィキ
ペディア)を読むと吐き気をもよおすほど気分が悪くなり、自称、活字中毒気
味の私ですが、読む気になれません。(激憤)
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさんが
風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細い
にんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさん
の風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんが死にました。行き先は、
地獄です。
釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲に
乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さまの
耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたのでし
た。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからです。
閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にんじん
をあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使いの者
に渡しました。
神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって上
がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが引
き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、亡
者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足とな
り、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来た
と思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にんじ
んが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取りつ
いていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。
   九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
      日本民話の会・編 国土社 刊 
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、犍陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあ
さんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人にいわせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることが出来ます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。こんなことをいうと、芥川龍之介のファンか
ら「生意気いうな!」とお叱りを受けそうですが、気の小さな私は、蜘蛛を踏
み潰さなかった犍陀多の気持ちがよくわかりますし、このけちなばあさんのふ
てぶてしい言葉には、「さすが女性だな」と思うのですが、女性の方からブー
イングがあるかも知れません(笑)。こういった話に出会うと民話にも説得力
があり、読んでいて楽しくなります。
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし
編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っている
かもしれませんが、こういった話です。
 
においの値段
うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいまし
た。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓を
あけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、ご
飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれませ
んか」
「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではあり
ませんか。
「いくらですかな?」
驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、
信じられなかったからです。
「1月分ですから、ちょうど○○です」
「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てた
のを聞いたけちべえさんは、
「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあげ
ましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。私たちの世代にとってとんち話は、エ
スプリを磨くといってはオーバーですが、子ども達には人気がありました。し
かし、本は手に入らず、ほとんど祖父母や両親から聞いたものでした。今は、
あふれるほど本は出版されていますから、読まなければもったいないですね。
この「もったいない」という言葉、粗末に扱われているのではないでしょうか。
子ども達に、きちんと教えたい言葉の一つです。
 
環境保護と民主化に情熱を注ぎ続け、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞し
たケニアのワンガリ・マータイさんは、2011年10月25日に亡くなりま
したが、2005年に来日、「もったいない」という言葉に感銘を受け、「M
OTTAINAI キャンペーン」を世界中に展開していました。
「環境3R+Respect=もったいない」は、
Reduce(ゴミ消滅)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)
 という環境活動の3Rを、たった一言で表しただけではなく、かけがえのない
地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められた言葉「もったいない」。
マータイさんは、この美しい日本語を、環境を守る世界共通語
“MOTTAINAI”を広げるために活動された方です。
  (MOTTAINAI事務局スタッフBlogより要約)
  
3Rは何とか達成しているようですが、石油を湯水のように使い、環境を汚染
しているようでは、マータイさんも浮かばれません。電子力発電に代わるもの
がなければ、国は研究、開発に全力を注ぐべきだと思いますね。素人考えで噴
飯ものでしょうが、マータイさんは、私と同じ1940年生まれで、他人事と
は思えず、私なりに「もったいないキャンペーン」を心がけています。「人の
心に火をともす」、キャンペーンは、かくありたいものです。
 
それにしても、一言いいたくなるのは某都知事の辞任。
「不適切だが違法とは言えない」では「いいんだな」となり、「違法とは言え
ないが不適切」だと「ダメ!」のイメージになりませんか。弁護士は、クライ
アント、依頼人を守るのが仕事だから、「第三者の厳しい目」になれるわけが
ない。ニューヨークタイムズ紙にまで“SEKOI”などと報道され、恥ずか
しい限り。旧国鉄時代の総裁、石田礼助は、就任にあたり報酬を返上、新幹線
開業に辣腕を振るった方ですが、国鉄の内部統制を副総裁に任せたことを非難
されると、さっさと辞任。その時の名セリフが「粗にして野だが卑ではない」。
一昔前には、こういったさわやかな日本人がいたのですが、若い皆さん方は、
ご存じないかもしれませんね。辞任しても「卑」には変わりありません。(激怒!)
(次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)

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