めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4)雛祭りとお彼岸ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
 
雛祭りですから、楽しい話がありそうですが、あまり縁がありません。やはり、
私が男だからでしょうか。その中でも、この話は珍しいと思います。
 
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
 
 むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥
 さんは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
 ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。
 神さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対する
 ので、いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が
 拾い、書付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから
 赤ちゃんが生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年
 たち、50人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でな
 くなります。そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、
 もう一人の母さんを訪ね、会うことができたのです。
 50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れ
 られず、娘達は、川下と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をし
 たのでした。
 この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやか
 ろうと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったの
 です。三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
    日づけのあるお話 365日
        3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」の
ように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜
きです。親孝行ですが、近頃、この言葉に肩身の狭い思いをさせているようで
す。「親孝行、したい時には親はなし」、胸にしっかりと刻んでおきましょう。
 
ところで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に、こんな話がさり気なく語られてい
ます。
 
   その日は3月4日。
   雛の節句である。
   土佐藩では、節句は3日に行わずに4日に祝う習慣があった。
 
五節句(正しくは五節供)を定めたのは徳川幕府ですが、それに従わない藩も
在ったわけです。何気ない描写ですが、いごっそう(頑固で気骨ある様子)の
人物が多い土佐藩であることに意義があり、素直に肯いてしまいます。氏が、
珍しく女性を主人公にした作品に「功名が辻(1~4)」(文春文庫 刊)が
あります。持参金を出して馬を買い、主人を出世させた内助の功は、かなり知
られていますが、あれはどうやら事実ではないようで、例の山内一豊とその妻、
千代の物語です。信長、秀吉、家康に仕えた一豊が見た、三者三様の生き方が
描かれており、時代小説の苦手な女性の方にも気軽に読めるのではないでしょ
うか。「内助の功」、感謝されているお父さん方も多いのでは……、いつの時
代も女性は強いということですね(笑)。
    
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
 
 むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。
 ある晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不
 思議なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てず
 に帰ってしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、
 娘の顔が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通
 した針を娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくように
 いったのです。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさす
 と、若者は大声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っ
 ていったのです。翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山
 奥の大蛇が棲むといわれている淵に、吸い込まれるように入っているではあ
 りませんか。すると、淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き
 耳を立てると、娘は蛇の子をみごもっているというのです。驚いたお母さん
 でしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事
 に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花
 酒を飲むいわれが語られています。 
    おはなし12ケ月 三月のおはなし
        「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
                   日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁
にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、
娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうた
ん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神様から地を
はって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使
いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからも親しめ
ませんね。
 
古事記にも似たような話があります。
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神様であるところが古事記ら
しく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神様が宿るといわれた
奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこにいた
蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社 刊)に
出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。子
どもの頃、螢を取りに行ったとき、「光が消えないのは蛇の目だから手を出し
てはダメ!」と兄が教えてくれたことを思い出します。信じがたい話でしょう
が、川端のあちこちに蛍が火をともしていましたね。川がきれいだった証(あ
かし)です。
 
余談になりますが、最近、再読した宮尾登美子さんの「平家物語(4)玄武の
巻」に、昔話と同じような話、豊後(大分県)の「大蛇の三郎」が紹介されて
いました。学生時代に訪れた清盛の娘、建礼門院が隠棲した寂光院の鮮やかな
紅葉を思い出します。どの本を読んでも好きになれないのが源頼朝で、判官
(ほうがん)びいきでもないのですが(笑)。
(注 判官びいき「不遇な人や弱者に同情して肩を持ち応援すること。「判官」
は「九郎判官」と呼ばれた源義経のこと)
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れるこ
とはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいです
が、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
 
 むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近く
 に住んでいた笛の上手な三太わらしの話が伝わっています。
 三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮ら
 していましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り
 役をさせて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになっ
 たある日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オ
 イヌ達が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、
 父ちゃ譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音
 色を聞くようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来
 た母ちゃは、三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立
 てた母ちゃは、三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達
 は、火をくぐり、三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴
 の方へ導くのでした。炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ち
 ゃも助けようとしました。オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へ
 と進んでいったのです。
 そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にの
 って、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と
 呼ぶようになった のです。                
 この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人
 達が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上
 手な若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を
 守るように控えていたそうです。
  「遠野物語」の国へ 平野 直 著 つぼの ひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まる
と、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきま
しょう。                            
 
 「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんで
 いた人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興
 味や関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り
 伝えられてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、
 広く知らせたかったからではないでしょうか。」      
                             
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いので
はないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれ
たものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残し
てくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。          
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
        
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原の狼と高原の狼」があります。
                      
 食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切な
 おじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、
 それを全部盗もうといい、もう一匹の狼は止めますが、聞く耳をもちません。
 狼は仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことに
 なり、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼
 を、インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい
 心を持っているから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配
 がなくなった草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
題名を思い出せないのですが、日本にも、足に刺さったとげを抜いてもらった
狼が、少年を襲った狼たちから守るという楽しい童話もあり、進学教室の子ど
も達も大好きでした。動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界で
しか経験できないだけに、新鮮な驚きを感じるようですね。人間と動物のロマ
ンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
最初に紹介しましたが、私には狼を主人公にした話で、忘れられない思い出が
あります。椋 鳩十の「丘の野犬」です。
 
 
◆丘の野犬◆ 
 
野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗ま
れる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉
を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫り
ます。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食
べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日の
こと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じ
っと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでし
た。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったの
ですが……。
  「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
当時、私は子ども達に聞かせたい話をテープに吹き込み、教室の希望者に配布
していました。「母と子の20分読書運動」を広げ、読書の素晴らしさ、楽し
さを普及する運動に力をつくした椋 鳩十の作品からも、戦争で殺さなければ
ならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けよ
うと滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を
助ける「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品を10巻作り
ましたが、「丘の野犬」は45分ほどにもなるので、園児達に聞かせるのは無
理ですから、適当にアレンジしながら話してみました。授業に参加していた園
児は30名。15分ほどにもなりましたが、みんな真剣に聞いてくれ、最後に
犯人は「人間」であることがわかった時、「何だ、何だ!」といった雰囲気に
なり、涙ぐむ女の子もいました。子どもは興味があれば、それこそ一心不乱に
集中できます。大勢の子ども達の前で話をするには、物語を記憶し、子ども達
の目を見ながら話してあげることが大切です。
 
このことを教えてくれたのは、かわいい、小さな瞳がきらきらと輝く、幼い園
児達でした。(涙)
 
(次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)

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