めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1) 端午の節句です 皐月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、
早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月
晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいです
ね。
 
★★端午の節句★★
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」と
いう意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であるこ
とから、5月の5日が端午の節句として祝われるようになりました。また男の
子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくましい男性に成長
することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。昔は3月3日が
「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝ったものです
が、今は男の子も女の子も元気よく育つようにとお祝いする「子どもの日」の
方が、なじみやすいのではないでしょうか。床の間に、さまざまな幟(のぼり)
を背にした神武天皇を中心に、武者人形や兜(かぶと)を飾った記憶がありま
す。
 
枕草子にも、平安時代の5月5日の情景が描かれています。
 
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
                    (枕草子 第四十六段)
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルー
ツは、お武家さん、お侍の世界です。お侍さんの家では、立派な侍になるよう
に、鯉のぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎
のような勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。そ
れがいつの頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成
長を祝うための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を
守る兜や鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。その
経緯は、5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじま
り」に記されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせた
り、菖蒲を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節
句」ともいいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を
売っていますから。             
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。確かに、匂いが
強いですから、風邪薬の感じはありましたが、頭脳明晰になるとは、子ども心
にも信じていませんでした。どちらかといえば、けんかに強くなるイメージは
ありました。菖蒲の葉は、先が細長くとがっているので、刀のような感じがす
るからです。新聞紙で折ってもらったかぶとをかぶり、木で作った刀でちゃん
ばらごっこ。これが、私たちの遊びの定番でした。「ちゃんばら」は、「チャン
チャンバラバラ」の略で、歌舞伎の立ち回りや、映画の殺陣(たて)をまねた
ごっこ遊びのことですが、今どき、こんな遊びをする子はいないでしょうね。
 
余談ですが、お母さん方、兜を折れますか。パソコンで「兜の折り方」を検索す
ると、簡単なものから複雑なものまでヒットできます。孫のリクエストで18
工程もある兜に挑戦しましたが、これは難しい。最後に「お疲れ様でした! 
最後までありがとうございました」のコメントの下に、さんざん失敗した紙を
足元に散らかした女性が、パソコンの前でうなだれている写真が載っていまし
たが、これが傑作で、思わず笑ってしまいました。中々うまく折れませんから、
ほっとしますね(笑)。(「折り紙 かぶとの折り方 NAVERまとめ」より)
 
そして、私には楽しみでしたが、粽や柏餅を食べる日です。粽や柏餅は、おい
しかったのですが、蓬で作った草餅は、子どもにとっては匂いが強烈で、喜ん
で「頂きます」とはなりませんでしたが、何しろ蓬の葉には、悪魔を追い払う
力があるといわれ、私は男の子だけに、食べざるをえない雰囲気があり、否応
もなかったのです。しかし、今の蓬の草餅は、おいしいですね。匂いといい、
味といい、まるで違ったものを食べている感じがします。
                   
★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★           
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、泥沼の
川や池に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、
立身出世の象徴ともされています。
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はい
くら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役
になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
 鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
      
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
                   
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなして
さかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く滝で
す。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる言い伝
えがあり、そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉の滝昇り」
として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすようですが、昇り
きれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があります。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れを
昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。    
   (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊P134)
                    
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじた
ばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせられ
ても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚として、
お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手で胸に抱く
ようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随筆で読みまし
たが、この習性を狙ったものでしょうか。
                                     
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入ってい
ません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのびやか
な姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気性を表
しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくましくて立
派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもので、
風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、青、赤、
黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、簡単にい
えば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表したものですが、
これにも訳があります。
 
 五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての現
象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、水から
木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
 そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒が
あてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
 また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観があ
てられた。
    (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                        監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力がある
と信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が大嫌
いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き流しに
守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。最近は、
黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いからではなく、
本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船旅で別れを惜
しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海に棲むといわれ
ていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
     
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりまし
た。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願う親
心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小さな鯉
のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
プロ野球の好きな方へ、広島東洋カープは、なぜ「カープ(鯉)」なのでしょうか。
命名の由来は、何と城の名前です。原爆ドームのすぐそばにある広島城(築城 
毛利輝元)は、別名を「鯉城(りじょう)といい、そこから『広島カープ』となっ
たもので、城の名前をつけている球団は、他にありません。原爆で倒壊した天守
閣は、昭和33年に復元されましたが、学生時代に訪れた時、中御門跡付近には
原爆でこげた石垣があり、風化されてなるものかと訴えているような気がしまし
た。G7の外相、オバマ大統領が爆心地を訪れましたが、どこかの国の方こそ、
広島平和記念資料館に足を運び、並の神経では正視できない残虐非道、その記録
を見るべきではないだろうか。死者14万人、その倍以上の人間をどうやって殺
し、死体を処分したのか、私にはわかりませんが、南京大虐殺、若い皆さん方は
どう考えますか。
 
話題を変えて、今年の日本人の大リーガー、投手ではヤンキースのマー君、レン
ジャーズのダルビッシュ有、マリナーズの岩隈、ドジャースの前田、そしてカブ
スの上原。打者ではマーリンズのイチロー、日米通算で参考記録とはいえ、ロー
ズの4256本を抜き4257本で1位、何とも素晴らしい。ちょっと心配な
「山椒は小粒でもピリリと辛い」的な存在、ちなみに英語では、
“Small head but great wit”というそうですが、ブルーワーズの青木。
 
ところで、日本球界に復帰した選手が、満足に働けない姿を見るにつけ、本場の
野球のすさまじさを想像できます。日程と試合数を見ただけでも、エネルギーを
搾り取られる感じがしますから、技術の前に体力と精神力、これが秀でていなけ
れば活躍する場はないですね。イチローの凄さがわかります。古巣に帰ってきた
ムネリンこと川崎、頑張ってほしいですね。
 
大リーガーといえば、忘れてならないのは野茂英雄投手で、日本の野球界は、快
く渡米させなかったことを思い出します。とかく開拓者には、逆風が吹きがちで
すが、それを乗り越える実力も、精神力も、体力も備えた、すばらしい選手でし
た。彼には国民栄誉賞をもらう資格が十分あるのでは。「名球界ベースボールフ
ェステバル2016」で、例のトルネード投法を久しぶりに見ましたが、少し太
ったとはいえ、往年のしなるようなホームは、全く変わっていないのには脱帽し
ました。
 
かつて名勝負といわれた野茂と清原某、対決を見たくて西武球場へ足を運びまし
たが、無冠の帝王の名が泣いていますね。父親は、子どもにとって限りなく大き
な存在。消すことのできない傷、誰が癒すのか。
 
「鬼平犯科帳」の著者、池波正太郎は、「自由というものは人間の社会生活には
なく、個人の胸の内に大きく存在する」(「男のリズム」P167 角川文庫刊)、
国府台女子学院 平田史郎学院長は、「訓練されていない個性は野性である」と
おっしゃっていますが、こういったことをキチンと子どもに教えるのも、私たち
親の務めではないだろうか。偉そうなことをほざいてなんですが。(苦笑)
 
お詫び 前号で紹介しました松本清張の作品、題名を飛ばしてしまいました。
『神と野獣の日』です。
 
今朝(18日)、パソコンを立ち上げ、渡部昇一先生の訃報を知りガックリ。日本
の歴史を通史として読ませて頂き、以来、「正論」を説く情熱に圧倒され、新聞の
使命は『正確な情報を伝えること』をしっかりと教えて頂きました。先に冥界入り
した矢沢永一先生と、日本の現状を痛烈に批判し合っているかも知れません。享年
86歳、ご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)
 
(次回は、「第7章(2) なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか」などについてお話しましょう)

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