めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第36号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」
の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡っ
てくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので
「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、忘れてはならない日です。これ
は、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、
私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が死
にました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命
が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ他国
の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけ
でも、戦争は、絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、そ
の真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増
えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」
といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言
葉でしょう。
 
私は、長い間、宣戦布告もせず、真珠湾を奇襲攻撃し、戦争を始めたのは日本
であると思っていました。ところが、上智大学名誉教授である渡部昇一先生の
数々の著書や文芸春秋の名編集長であった堤堯氏の「ある編集者のオデッセイ」、
西尾幹二氏の「日米百年戦争」(徳間書房 刊)、山崎豊子さんの「二つの祖
国」(上下 新潮社 刊)などには、マッカーサー元帥の言葉を裏づける事実
が証明されているではありませんか。さらに、疑問に答えてくれたのは、テレ
ビでも放映された浅田次郎氏の「蒼穹の昴」(4巻 講談社 刊)に書かれて
いた、「欧米人は肌の色の違う人種を決して認めない人種差別」と「宗教の違
い」、そして「石油」が、戦争の大きな原因ではなかったでしょうか。
 
とは言え、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。しかし、戦時中は、
全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆ら
えません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させ
られたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘
です……。
※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙と
いう。(広辞苑)
 
「戦争反対」の四文字は、禁句の時代でした。叫ぶのも命がけです。非国民と
弾劾されながら、特高(特別高等警察の略。戦前の警察制度で政治思想関係を
担当した課の警察官のこと)の監視を逃れ、どれだけの人が戦えたか。このこ
とです……。その記録さえ、わずかしか残っていないのではないでしょうか。
戦時体制になれば、国を挙げて戦争に協力しなければなりません。しかも、そ
れが正義、正論として、まかり通ります。協力しなければ非国民となり、生活
できなくなるのですから。
 
若いお父さんやお母さん方は、知らないかもしれませんが、日本の軍隊が他国
でやってきたことを、その国の人々は、絶対に忘れません。日本人なら、広島
と長崎を忘れられないのと同じです。
昭和20年8月6日、午前8時15分、B29 爆撃機 エノラ・ゲイ号、原
爆の名前はリトルボーイ、死者約14万人。
同年8月9日、午前11時2分、B29 爆撃機 ボックス・カー号、原爆の
名前はファットマン(太った男)、死者約7万人。リトルボーイとファットマ
ンで死者約21万人、ふざけた名前に腹立たしくなります。いまだに後遺症で
苦しんでいる日本人がいることを、アメリカの人々は、知っているのでしょう
か。
 
いや、同年3月の東京大空襲も同じです。東京だけではありません。長い歴史
と文化遺産のある奈良、京都の一部を除き、多くの都市で大勢の人々が殺され
ました。日本の木造家屋を燃やしやすいように、B29という爆撃機からガソリ
ンをまき、焼夷弾(建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入れた投下爆
弾や砲弾)を落としていったのです。しかも、命を奪われたほとんどの人が、
武器をもたない非戦闘員、ごく普通の市民です。
 
「永遠の0」でデビューした百田尚樹氏の作品に「海賊とよばれた男」があり
ます。第二次世界大戦から1970年代まで、石油の生産を独占していた7社、
国際石油資本「セブンシスターズ(7人の魔女)」と出光興産の創業者、出光
佐三(いでみつ さぞう)の戦いは、アメリカの戦略で石油を断たれ、南方に
侵出しなければならなかった、戦争を始めなければならなかった恨みを晴らす
かのような凄まじい闘魂には、涙なくして読めませんでしたが、それ以上にシ
ョックを受けたのは、この数字でした。
 
驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、大
東亜戦争で失った徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁船
1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は60,000人
以上に上る。彼らの戦死率は約43パーセントと推察され、これは陸軍軍人の
約20パーセント、海軍軍人の約16パーセントをはるかに上回る数字である。
自ら身を守る手段を持たない船乗りたちは、命懸けで貴重な物資を日本に運び
続けたが、それでも国内の需要を満たすことができず、国民は慢性的な物質不
足に苦しんでいた。
(「海賊とよばれた男」 上巻 P373 講談社 刊) 
 
銃器や魚雷など武器を何も持たない船が、重装備をした軍艦に沈められたのは、
先にもお話しした日本の各都市をじゅうたん爆撃で徹底的に焼き尽くしたのと
同じではないですか。戦争で犠牲になるのは、国の根底を支える名も無き普通
の人々、つまり、私達です。平和ぼけしている日本人は、この事実を忘れかけ
ていないでしょうか。(合掌)
 
ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、
しっかりと伝えておきたいのです。何とか主義や何とかという思想のもとで、
戦争反対を叫ぶのとは違います。平和運動さえ派閥ができ亀裂が生じます。こ
れも、争いを生むもとですから、用心しなくてはいけません。戦争は、ゲーム
と違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に
「ゲーム・セット」ですから。現代っ子は、いとも簡単に人を殺めます、殺し
ます。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。人間と
して、生きとし生ける者の掟、それは「共生」「ともいき」ではないでしょう
か。これを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
 
しつこく繰り返しますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、
情操豊かな子に育つ環境を作ることです。そこから、自分自身で考え、行動す
る力が身につくからです。価値観が多様化し、「何でも在りの人生観」をもつ
のも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか
身につきません。などと年がいもなく青いことをほざいていますが、恥をかく
ついでにもう一言、「共生の反対は自己中心、自己中」です。自己中は、恥じ
ることを知らない人のことです。ハードボイルドの作品は、刺激が強すぎてあ
まり読まないのですが、レイモンド・チャンドラーの作品「プレイバック」に
は、「タフでなくては生きていけない。やさしくなければ生きる権利はない」
という忘れられない言葉があります。あまりにも強烈で座右の銘にできません
が、心だけはタフでありたいと念じています。
 
ところで、1982年6月の国連軍縮特別総会で、ケロイドが広がる自身の写
真を振りかざしながら、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた日本原水爆被害者
団体協議会の代表委員、山口仙二さんが平成25年昨年7月6日に亡くなりま
した。核兵器の犠牲者の存在を世界に知らしめた、鬼気迫る歴史的な瞬間でし
たが、どれだけの人がその業績をたたえ、冥福を祈ったでしょうか。
戦後、70年を迎え、戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化され
ているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事
実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために死んでいった人たちは
浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話では
ないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃってい
ます。
 
浅はかにも、万物の霊長などと威張っていますが、人間だけではないでしょう
か、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。他の動物も同じ仲間同士、争います
が、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬
がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状
態になると、何をしでかすかわからないのですから。宗教と民族の問題がから
むと、必ず、泥沼に落ち込みます。           
 
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込ん
だ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡
の上には、こう書かれてあるそうです。
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
さらに、おかしな言葉があります。「終戦記念日」です。これで、親父と大げ
んかになったことがありました。
「敗戦記念日ではないのですか」
「ばか者! わが日本は、神州不滅の国や。日本は敗けん。天皇陛下様におか
れては、人民の犠牲をすくのうするために、戦いをお止めになさったのや!」
アジアの国々を戦火に巻き込んだモンスターの正体を確認しなければ、「戦争
を起こした東洋の鬼畜」と非難だけされ、やがてこの国は、元気のない国に成
り下がってしまうのではないでしょうか。
 
国際化などといわれていますが、自国が起こした戦争だからと、むやみに平身
低頭して謝るだけでは、他国から馬鹿にされるだけです。きちんとした見識を
もっていなければ、国際人として通用しないことを、もっと真剣に考えるべき
ではないでしょうか。特に、これからの日本を背負ってたつ若い人達は、自虐
史観ではなく、自身の歴史観を身につける必要があります。「なぜ、日本は戦
争を起こしたか」、書店をのぞけば情報は山ほどあります。自分自身のためで
す、わが子のためです。お読みになって、自身の考えを持ち、お子さんに伝え
るべきではないでしょうか。「水に流す」は、日本民族独特の解決の仕方で、
外国では絶対に通用しません。
自虐史観 第二次世界大戦後の日本の歴史界において主流であった歴
史観を「自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価する歴
史観」であるとの評価を持たせて表現する場合に用いられる呼称。
  (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
ところで、童謡に反戦歌があるのをご存知ですか。
「里の秋」です。
 
里の秋
作詞 斉藤 信夫   作曲 海沼 実 
 
一 静かな静かな 里の秋
  お背戸に木の実の落ちる夜は
  ああ、母さんと ただ二人
  栗の実煮てます 囲炉裏端
 
二 明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
  ああ、父さんの あの笑顔
  栗の実食べては 思い出す
 
三 さよならさよなら 椰子の島
  お船に揺られて 帰られる
  ああ、父さんよ ご無事でと
  今夜も母さんと 祈ります
*お背戸(裏口のこと)
 
終戦の年(1945年 昭和20年)の12月に、NHKの「外地引き上げ同
胞激励の午後」という番組で発表された曲で、兵隊になって戦地に行ったお父
さんが、引き上げ船に乗って帰ってくる、その日を待っている親子の気持ちを
歌ったものです。確か、古賀さと子さんという、可愛い童謡歌手が歌っていた
と記憶しています。しかし、当時は、こういった歌であるとは知りませんでし
た。
 
戦後、外地で苦労された人々の話はたくさん残されていますが、山崎豊子さん
の「不毛地帯」も忘れられない小説の一つです。海上自衛隊の潜水艦と釣り船
が衝突、若き士官を待ち受ける苛烈な日々。その父は昭和16年、真珠湾攻撃
で捕虜となり生き残った特攻隊員、「この日本の海を二度と戦場にしてはなら
ぬ!」、これがキャッチフレーズの「約束の海」、残念ながら山崎さん亡くな
り、未完の大作となってしまいました。残された構想を読むと、最後まで読み
たくなりますね。
森村誠一氏が、故笹沢佐保氏の絶筆となった未完の「海賊船幽霊丸」を完成さ
せた例もあります。百田尚樹氏に完成させてほしいと思っていたのですが、
「純愛」を読み、少し違ったかなと残念に思っています。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話し
ましょう)
 
 

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