めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第12章 神無月、風流です(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
まことに僭越な話でありますが、神さまは、普段、どうやらお眠りになってい
らっしゃるのではないかと思える節があるのです。
神前で何かが始まるとき、必ず、例の大太鼓をドン、ドンと打ち鳴らし、そこ
で神主さんも、「ウ……………!」と、これまた大音声を発します。仏さまも、
鐘や木魚の音がお好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会で
も、ミサの始まる前にパイプオルガンをガンガン鳴らし、いや、荘厳に演奏し
ます。そして、讃美歌を歌います。いずれも、神さまにお目覚めいただく儀式
ではないかと思えてなりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ、八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。
神さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神
さまの中には、酔っ払って人様に迷惑をかけるお方もいるかも知れません。何
しろ日本の神さまは、お酒の上での問題には、実に、ご寛容です。その証拠に、
神事にはお酒は欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
ですから、民話や昔話には、本当に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考
えても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が
出てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢が
あるのです。そうです、夢があるんですね。夢や希望をもたせること、それも
神さまの大切なお仕事です。
 
それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。
私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇にはご先祖の位牌が、神棚に
は天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には、氏神さまを祭った小さな祠があ
り、父が、毎朝、この三つに、お水をあげて、お参りするのです。それが終わ
らないと食事は始まりません。
仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でした。まだ、本地垂迹説など
知りませんでしたから。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに
永遠に愛し
合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何
ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらに
もめたりしていますが、いろいろな教えや真情などの、よいところを少しずつ
いただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょ
うというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒
教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけ
ではないでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思
います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけ
で、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。
 
しかし、これだけはいえると思います。
木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、
出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気
持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでし
ょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」
「長い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作
品)などの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、
さすがと感激しました。
 
 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日
とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束
はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭でき
る神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 
[山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)
山本周五郎 著 新潮社 刊]
 
またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
これではないでしょうか。
私の勝手な思い込みかも知れませんが……。
 
松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人
として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べて
います。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさし
く「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかな
る信仰もなし得なかったことである。
(神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編
 講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。
ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけな
さ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を
正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」
で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをしま
す。
出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度
打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一
般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させて
いただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれていま
す。また、無宗教などと平気で言う方がいますが、これは外人と話すときには
要注意です。無宗教とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそう
です。
 
ところで、バブル経済全盛の頃、いわゆる名門小学校への受験を扱った「お受
験ブーム」が起こり、NHKの「お入学」やTBSの「お受験」が、全国ネッ
トで放映されましたから、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。当時ほど
ではありませんが、幼児にとっては今でも非常に厳しい状況にあり、もっとも
難関と言われ受験者の多い慶應義塾幼稚舎、狭き門を広げようと、平成25年
に横浜に初等部を開設しましたが、相変わらず狭き門となっています。狭き門
となると話題になるのが、いろいろな噂、怪情報です。特に幼稚園と小学校の
受験は、幼い子どもの能力を見るわけですから、噂の絶えることもないようで
す。
この時期、雙葉小学校、白百合学園小学校、東洋英和女学院小学部、聖心女子
学院初等科などのミッション系の小学校には、信者でなければ入学できないと
いった噂が、まことしやかに広まったことがありましたが、これが本当であれ
ば、ほとんどの日本の子女は、ミッション系の小学校への受験資格はないこと
になります。なぜなら、日本人であればほとんどの方は、仏教の宗派に属して
いるはずだからです。普段は、関係ないような付き合いをしていますが、春と
秋のお彼岸には、お墓参りに出かけるのではないでしょうか。学校側も信者で
なくて結構、お坊さんや神主さんのお子さんも在籍しているといっています。
噂が本当であれば、「日本では、ミッション系の学校は、経営が成り立たない
ではないですか」と否定したものですが、とかく噂とは、根も葉もないもので、
耳を貸さないのが賢いお母さん方のあるべき姿です。
 
しかし、価値観が多様化した現在、何でもありの風潮に疑問を感じ、「小さい
時から絶対的な価値観に基づく教育を行う学校に通わせたい」と考える親御さ
んの増えていることも確かではないでしょうか。私が担当する模擬面接で、宗
教系の学校を受ける志望理由の第一に、これをあげるお父さん方が多くなりま
した。
 
ところで、聖心女子学院は、4-4-4制を導入し中学受験を廃止しましたが、
それより前に埼玉県にある開智小学校は4-4-4制を取り入れています。従来
の小学校にあたるのが1年生から4年生まで、中学校は5年生から中学2年生、
高校は中学3年生から高校3年生で編成されています。青山学院では英語の授
業だけ4-4-4制を導入していますが、今年の説明会でも、その効果について
お話がありました。今後、注目されるシステムではないでしょうか。
 
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時
記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうし
ても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り
事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてし
まいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約し
たもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。
勿論、私たちの年代、1940年生まれのものには、懐かしい話ばかりです。
僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記し
ました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌ
ボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げま
した。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下り
た二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本
列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の
神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコ
トは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれと
イザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生ま
れるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒
り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追
いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を
一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千
五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人
が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介し
たように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリ
シャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱失する際に、「振り向
かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じで
す。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナミは、身を清めるために体を洗い、いろいろな
神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラ
スオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと
海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツ
クヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きた
いと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。ア
マテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサ
ノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ
込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩
屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も
広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた
のです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いで
いるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸を
ひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の
戸隠山となったということです。
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩
戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びにな
り、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワ
シノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、
諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、
浅草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ
戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を
祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を
鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武
尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。
(「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本
武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝
説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁
起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩とも
なっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかの
ぼるとは驚きです。 日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守
りになったとは知りませんでした。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄
の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)
をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなお
かめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の
流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さん
にも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わった
そうです。
 
ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、そ
れはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶がある
のですが、定かではありません。
 
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィー
ンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を
祝い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊
もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀
元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそ
うです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、
ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子を
くれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、
日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようで
すね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりに
も狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地
獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がく
れた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャック
はそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という
言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボ
チャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりまし
た。  (『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理で
すね(笑)。
 
台風18号は、鬼怒川の堤防を決壊させたばかりか、北上した雨雲は東北地方
にも被害をもたらしました。「日本の神さま、しっかり守ってください!」と
言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみません。私が教室へ出
かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、いわゆる海
抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、万が一の災害に備
える防災対策は、決して手を抜けないもので、スーパー堤防は、絶対に必要だ
と改めて思いました。
昨日は、阿蘇山が噴火、日本列島、何かと落ち着きませんね。
(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)

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