めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」  
を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者
になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・デー
や最近のハロウィンほどではないでしょうが、何やら商業主義の笛に踊らされ
ているような気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほ
とんどないからかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信
者は非国民扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」と
は軽薄な言い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん
方には、信じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で
規制できるのですから、恐いことです。
 
一時、クリスマス・イブは、どんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、健全な
ホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在り方で
す。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日になると、
ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢にとは、や
はり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみます。
 
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、遠慮しておきましょう、
日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようですが、キリス
ト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、
キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつ
れて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っていたミトラ
教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神、ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったので
す。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエ
ス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリスト
が、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、
この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのみこ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮
中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に
来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生ま
れたのでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が
見つかりません。(陳謝)
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマ
ス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイ
で見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえませ
ん。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。
 
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。
12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われ
たとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの
十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を
知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。真冬にも枯れることなく青々と緑を茂らせ、花を咲かせる常
緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」などと考えるの
は、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、
飾られるようになったのでしょうか。
 
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル (1483
~1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリスマスの前夜、ル
ーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切った夜空を見上げると、無数
の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じたルーテル
は、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜
の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、
1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田 久 著
 日本経済新聞社 刊〕
 
都会の空では無理ですが、清里の高原で見た星空は、まさに、星が降ってきそ
うな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神秘
的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。
 
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キ
リストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命
を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本
の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく
習わしがある。 (ルビは引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。
 
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古く
から、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、
冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)
はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの愛
の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁
起もあるのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リー
スに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤
い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありませ
ん。
 
ところで、クリスマスのテーマソングのような[Silent Night, Holy Night]、
日本では「きよし、この夜」ですが、いいですね。「静かで、神聖な夜」では、
ぶち壊しでしょう。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではない
でしょうか。だから、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうな
ことはいえませんが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度
の指導要領改定で、公立の小学校でも英語の授業が始まり、2018年から
「読む英語 “reading”から、話す英語“speaking”」と実践的な英語教育
を目指すことになり、その効果に期待したいものですが、これも本人の努力次
第です。
上智大学名誉教授、英語文法史の大家、渡部昇一氏は、「留学、結構だが、卒
論はきちんとした英語で書かなければならないから大変だよ」とおっしゃって
いましたが、“writing”の難しいことは、皆さんも英作文で苦労され
たのではないでしょうか。卒論は英作文と違い論文ですから、日本語を駆使で
きなければ書けません。このことを承知していないと困ったことになるのでは。
留学に憧れる若者の気持ちはわかりますが、生半可な気持ちではだめだと思い
ますね。
 
古い話になりますが、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが
共演した映画 “Love is a many splendid thing” を「慕情」と訳した方が
いましたが、これなども、うならされませんか。また、名女優、キャサリン・
ヘップパーンの演じた“Summer time in Venice”は「旅情」です。わずか二
文字の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだものでした。
最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようですが、映画
を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なくなってい
るようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしていますが、
日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使うべきだと思いますね。
外国語を深く読み切る力が衰えているのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(新潮文庫 刊 全4巻)などの作品は、幕末から
明治にかけ、オランダ語や英語を苦心惨憺して翻訳した人々の世界を活写した
もので、その大変な努力に、ただ、ただ、頭が下がるだけですが、私たちは、
今、その恩恵を受けていることに感謝しなければいけないのではと思いますね。
“reading”が果たした役目、これも日本の文化を支えてきた原動力の一つで
あることは間違いないでしょう。
 
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってきた漢
字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり大変な文
化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ諸国では、数
学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語を習得しなければ
出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学んでいますが、それを可
能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自然科学を学び研究出来るの
は、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。今週ノーベル賞の授賞式が行わ
れましたが、3人の受賞者が生まれたのも、勿論、ご本人の努力のたまもので
すが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境であることも、子ども達
にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著
 WILL 2014年12月号より 要約)
 
今年も2名受賞。子ども達に、日本語で勉強するのが当たり前だと思っている
数学や物理、化学など自然科学を、母国語で学べない国もあることを話し、授
賞式を見て拍手喝采するだけではなく、日本語の素晴らしさを教えてはいかが
でしょうか。
(次回は、クリスマスの2 についてお話しましょう)

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