めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第六章(2)桜について
             
開花宣言が出て寒の戻り、箱根は雪が降っていましたが、川越も1cmほど積
もりました。東京の桜、この寒さで、今年も入学式まで何とか持ちそうで、ぴ
かぴかの一年生、大きく羽ばたいてほしいものです。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあり
ませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りにな
り、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神
さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年
の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
 「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田
  の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木
  をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
     (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神様を迎える儀式でしたが、武士の時代と
共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽く
した宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から引
きずりおろされ、今では、はしなくも、夜桜のもとで酒盛りをし、カラオケを
楽しむ行事と成り下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさをこき下ろしていますが、古来、何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
酔って人に迷惑をかける人たちは、無礼講をはきちがえた無礼者ですが、日本
人が桜や桃、梅を愛したのは、いずれの木にも宿る生命力を、分けていただこ
うと考えたに違いありません。一種の自然信仰であり、外国で行われている森
林浴と同じではないでしょうか。
ドンちゃん騒ぎは、桜にとっては迷惑な話だけで、ご利益などあるはずが、い
や、期待していないでしょうね。
あのライトアップですが、桜にとっては迷惑な話で、夜になってもゆっくりと
休めないと思いませんか。お日様が沈み、「さぁ、寝ようかな!」と思ったとた
ん、いきなり明るくなるのですから。「桜の樹権」などという言葉はないでしょ
うが、そっとしてあげられないものでしょうか。
JR高尾駅から徒歩10分ほどのところにある多摩森林科学園で、「本日、休林
日」の看板を見たことがありましたが、そこで働く人々の自然を愛する心意気を
感じ、うれしくなったものです。
 
ところで、桜の木は、にぎやかに盛り上がるだけではなく、人生を静かに、深
く、考察の場に導く花でもあります。いきなり雰囲気は変わりますが、黒船が
来る前に幕府に上申した「海防八策」は、明治維新の路線そのままであったに
もかかわらず、評価されずに暗殺された幕末の洋学者、佐久間象山は、
     折りにあはば 散るもめでたし 山桜 めずるは花の 盛りのみか
と辞世の句を詠っています。これを真に受け、若い頃は、「人生、幸せな時ば
かりがあるわけないよ。闇夜もあるけど、日は、また、昇る!」などといきが
っていたものでしたが、何やら勘違いしていたようです。「人生は、プロセス
が大切なのです。一日、一日が人生ですよ」とおっしゃっているのでしょうね、
などと何も気取ることはないのですが(笑)。蛇足ながら、象山の奥方は勝海
舟の妹です。
 
子育て奮戦中のお母さん方ですから、よくおわかりかと思いますが、育児もプ
ロセスが大切ですね。生まれ月に応じて、一歩一歩、確かな歩みを見守りなが
ら、大らかな気持ちで育てるべきです。そして、育児しながら「育自」(誤植
ではありません)するお母さんであってほしいと願っています。
 
 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
 
西行法師の歌ですが、古来「花」といえば、奈良時代は「梅」のことでしたが、
平安時代から「桜」になったようです。俗界から逃れ、出家された中世の隠遁
者が、かくも桜の花に心を寄せているのですから、古くから人々に愛されてい
たことがわかります。西行は願い通り、「その如月の望月の頃」、お釈迦さま
が入滅された2月15日に、この世を去ったそうです。が、しかし、澤田ふじ
子さんの作品を読み、隠遁者のイメージが少し壊われかけてきました。
(お断り 「花の下」と書き「花のした」とも読まれていますが、「花のもと」
 の方が響きがいいので、勝手ながらひらがなにしました)
 
古今和歌集から一首、好きなのです。
 
 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ  紀友則 
 
和歌を解説するなど野暮の極みですが、「日の光がこんなにものどかな春の日
に、どうして桜の花だけは、さっさと散ってしまうのだろうか」、日本人の桜
のイメージは、これではないでしょうか。紀友則は「土佐日記」の著者、貫之の
いとこです。 
 
この和歌を口ずさむたびに、宮城道雄の秀作「春の海」の調べを思い浮かべ、
桜の花の散る、日本ならではの詩情豊かな情景が浮かぶと同時に、何とも言え
ない寂しい気持ちになる不思議な曲です。昭和7年に共演されたフランスのル
ネ・シュメーのヴァイオリンと箏(そう)の二重奏ですが、世界に誇ってよい
素晴らしい演奏だと思います。音はよくありませんが、パソコンで検索すると
聴けます。宮城道雄は、広島県福山市鞆ノ浦の出身だそうで、学生の頃に訪ね
たことのある仙酔島から眺めた春の海が、印象に残っていました。
♪ターンタ タタタタタンー ターンタ タタタタタンー♪
曲想は、瀬戸内海の春の海なのですね。その時は知らなかったのですが、最近、
厳島に出かけたとき、バスガイドさんから教えてもらい、「さもありなん!」
と納得しました。バスガイドさんの中には、物知りの方がいますね。豊かな経
験から身に付いた自然な語りは、一級の話術で旅情を盛り上げてくれます。
 
さらに、もう一首。
 
 春の海 ひねもすのたり のたりかな  与謝 蕪村
 
俳句が出たところで脱線します。学生時代に読んだ雑誌の対談に出ていたと記
憶しますが、五木寛之氏は、こうおっしゃっていました。「短歌はリズム、和
歌はメロディー、物語はハーモニー」と。横文字を漢字に置き換えると「律動・
旋律・調和」となり、もう50数年前になりますが、今でも納得できます。
「さらばモスクワ愚連隊」を読んだ時、自称、文学青年であった私は、潔く、
作家の道を断念しました、冗談ですが(笑)。
                                
ムードを変えまして、桜の散りぎわが潔いことから武士道の象徴となり、「花
に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」といったように人生観にたと
えられるなど、何かにつけて桜は姿を現しています。原詩は中国の詩人、于武
稜(ウ ブリョウ)作の「勧酒」です。
 
 勧君金屈巵  君に勧む金屈巵     
 満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いざれ     
 花発多風雨  花発(ひらけ)ども風雨多し     
 人生足別離  人生、別離に足る   
         金屈巵(きんくつし)=曲がった把手(とって)の付い
                    た黄金の盃  
         不須(もちいず)=~する必要はない
         足=多い
 
これを井伏鱒二が意訳したもので、僭越ながらこちらの方が響きもいいですね。
※意訳 原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとり、
    翻訳すること(辞書「コトバンク」より)
 
 この盃を受けてくれ     
 どうぞ、なみなみつがしておくれ     
 花に嵐のたとえもあるぞ     
 「さよなら」だけが人生だ     
   (「十八史略の人物学」伊藤 肇 著 PHP文庫 P229より」
 
「黒い雨」など種本が明らかになり、前都知事の猪俣直樹氏も「盗作ではない
か」と指摘
しましたが、この「勧酒」は、「阿佐ヶ谷会」文学アルバム(幻戯書房 刊)
によれば、井伏の意訳に間違いないとのことです。
これを読むたびに思い出すのが、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 夜半
(よわ)に嵐の吹かぬものかは」です。12月の沙羅双樹のところで、お釈迦
さまの教えである「今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことが
よい一日を生きる道である」を紹介しましたが、怠け者の私には耳が痛いばか
りで、「明日やればいいか……」と過ごしがちです、わかっているのですが
(笑)。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができます。人望のある人のもとには、自
然と人々が集まるものでしょう。人間もかくありたいものです。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下
自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどっ
たものですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である
岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して
創った三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初
等部と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太
郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっ
ています。
   
ところで、桜の名所は、お侍さんの勤め先である城と寺社、そして河川に多い
ですね。面白いことに、私たち日本人は、なぜか、桜の下に陣取り、宴会を開
きがちですが、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。たびたび
お世話になります樋口清之先生の監修された本に、桜について見過ごせない話
がありましたので、紹介しましょう。
 
  日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであっ
 たが、これが明治時代から少しおかしなことになった。
  それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるととも
 に、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜
 を詠んだ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方
 が生まれてきたからである。
  さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美
 しいという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。
 つまり、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに
 兵舎に桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校
 庭にも桜が植えられるようになった。
  関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
 もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで
 校庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学か
 ら広まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
 (樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
「大和心」とか「大和魂」は、右翼的な考え方や国粋主義から生まれた言葉だ
と思っていましたが違うようで、明治以降の国家権力により利用されただけな
んですね。「学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった」云々は、為政者の
巧妙な施政が実行されたことの結果であることに寒気を覚えますね。学生時代、
酒場で「同期の桜」を歌っていた時、「お前たち若者が歌う歌ではない!」と
年配の方に叱責されたことがありました。もしかすると、戦友を亡くされたか、
戦死されたお子さんがいたのではないでしょか。若い時はどうしようもないも
ので、「若気の至り」とはいえ、今思うと恥ずかしい限りです。
 
 同期の桜
  作詞 西條八十 作曲 大村能章
    (一)貴様と俺とは同期の桜   同じ兵学校の庭に咲く
       咲いた花なら散るのが定め 見事散ります国のため
 哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に兵隊ソングとして兵士間で
 流行し巷にも愛された。(www.geocities.jp/GUNKA より)
   
最後に、もう一首、皆さんよくご存知の名作がありますね。
 
 いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな 伊勢 大輔
 
「大和心」は、こういうものではないでしょうか。とにかく桜は、日本人にと
って、何はともあれ、春に咲かなければ落ち着きませんし、承知できない花で
あることは確かです。
 
名優、渥美清のはまり役、「寅さんこと、車 寅次郎」の妹の名は、「さくら」
でなくてはおさまらないだろうなと思っているのは、私だけでしょうか。山田
洋次監督の笑顔が浮かんできそうです。
面白い話を紹介しましょう。佐藤利明氏の随筆「寅さんのことば 風の吹くま
ま 気の向くまま」(東京新聞 夕刊 平成25年4月)に、東大寺正倉院に
保管されている、現存する古代の戸籍部「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(西暦7
21年)には、嶋俣里(しままたり)、これは葛飾柴又のことで、その戸籍の
中に、孔王部 刀良(あなほべ とら)と佐久良賣(さくらめ)という名前ま
で記載されているそうで、昭和の寅さんは家出をしましたが、奈良時代の刀良
さんは村長になったそうです。映画を見て、ひたすら笑っていましたが、元を
ただせば、「とら」も「さくら」も昔からある由緒ある名前なんですね。寅さ
んが自分で照れてしまう表情がたまらなく好きで、こういった演技のできる俳
優は、もう出ないかもしれません。
 
外国にもある桜の名所、ワシントンのポトマック湖畔の桜は、大正元年に、時
の東京市長であった尾崎行雄が、日米親善のために寄贈した染井吉野のほか1
0種、3千本の苗木が成長したものだそうです。そして、またしても驚きです
が、私も、てっきりそうだと信じていましたが、事実は違うのです。有名な話
ですから、皆さんも誤解していたのではないでしょうか。こういうことだそう
です。
 
 このワシントンの地名は、初代大統領ジョージ・ワシントンからきている。
 この人物が少年のときに、桜の木を切った過失をわびた正直さが立志伝の挿
 話として有名だが、ポトマックの桜がその桜だと思い込んでいる人がかなり
 いるそうだ。
      (新々ちょっといい話 戸板康二 著 文藝春秋 刊)
 
ところで、日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、ちびまる子ちゃんではありませんが、目
が点になりますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ
日蓮宗の古寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざく
ら)」だそうで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えら
れています。神話の時代から花を咲かせ続けている姥桜(罰が当たるかな!)、
インターネットで見ましたが、「どうも、これは、いや、はや……」と椎名誠
氏風ですが、襟を正さずにいられませんでした。白一色の駒ヶ岳(標高2967m)
もすばらしく、いつかたずねてみたいと思っています。
なお、日本の三大桜は、福島県三春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村
の薄墨桜(樹齢千五百年)と山高神代桜で、黄門様の印籠と比べるのもなんで
すが、ただ、ひたすら、畏れ入るだけですね。淡墨桜は、つぼみの時は薄いピ
ンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、この散り際の色にちなみ命
名されたそうです。30数年前、初めて訪ねたときは、今のように観光地化さ
れておらず、静かな山里にどっしりと根を張る雄姿には、いたく感動したもの
でした。
 
最後に、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう、「さくら さ
くら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝の手ほど
きとして作られたもので、作者は不明です。
 
 さくら さくら
  (一)さくら さくら  
     やよいの空は  見わたす限り
     かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
     いざや いざや 見にゆかん
 
  (二)さくら さくら
     野山も里も   見わたす限り
     かすみか雲か  朝日ににおう
     さくら さくら 花盛り
            (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
日本のどこにでもある春の景色を淡々と詠んだ歌詞も素晴らしいですが、宮城
道雄の「さくら変奏曲」は、春の情緒を醸し出す名演奏で、いつ聴いても安ら
ぎを与えてくれます。
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩七分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう、見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値はあります。六義園は小石川後楽園
と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、
見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                      在原業平 (古今和歌集)
 
桜の〆は、やはり、これでしょうね。
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子ども達に伝えるのも、親の使命ではないかと考えま
すが、いかがでしょうか。
 
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)

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