めぇでるコラム

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★季節の行事、これも欠かせません

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
季節の行事、これも欠かせません
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
最近、旗日、祝祭日のことですが、この日に日の丸の旗を掲げる家は、ほとん
ど見かけなくなりました。祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているので
しょう。元日にお雑煮を食べない家庭があるそうですから、当然かも知れませ
ん。しかし、七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午
の節句、これは両家のおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。
国産ではありませんが、クリスマスもきちんと祝っています。
 
お父さん、お母さんに聞いてみましょう。
「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
「なぜ、お釈迦さまに甘茶をかけるのでしょうか」
「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
私は、こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話して
もらった記憶があります。その中でも、本当に感心したのは、正月の門松でし
た。いつ頃から飾るようになったのか定かではありませんが、これには、きち
んとした科学的な根拠があるのです。その訳は、1月に詳しく説明しますが、
ここでは、私が父から聞いた話を紹介しておきましょう。父の話は、アカデミ
ックなものではありませんが、こういうことでした。突然、大阪弁になって恐
縮ですが、父は関西の出身でしたから、この言葉の方が、私には実感があるの
です。
 
 松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
 竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れん我慢強さがある。しかもや、
中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』って
いうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
 梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
咲く姿は清らかや。
 みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生きて、
家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていました。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものでした。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思
い出として心に残してあげ、自分が親になった時に、その楽しい思い出を子ど
もに伝える、そういった目的があるのだと教わった記憶があります。何しろ、
情報量の少なかった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけで
す。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など、聞こえなくなりました。そ
んなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。「月にう
さぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタクロースは
いる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送られてきた
手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。「迷信と切り捨
てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」とでは、どちら
が子どもにとって幸せでしょうか。「サンタクロースなんて迷信で、プレゼン
トはお父さんが買ってくるんだよ」といった先生を許せないと、涙ながらに語
る友人の話を、池波正太郎の随筆で読んだ記憶があります。この先生には、ク
リスマスの思い出は、何もなかったのでしょう。あれば、こんな残酷なことは
いえません。でも、これは許せない。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻したり、短冊につたない字で
願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝って
いたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞かれ
ない言葉の一つになりましたけど……。時の流れとはいえ、一抹の寂しさを感
じます。
 
しかし、その時に、父や母から話を聞くことが本当に楽しみでした。今のよう
にテレビもなく、むかし話の本などあまりなかった戦後の貧しい時代でしたか
ら、ほとんど、両親の記憶によるものでした。親によって語り継がれる、むか
し話の原点が、まだ、残っていました。特に、鬼の話や地獄の話は恐かったも
のです。悪いことをすると地獄に落ち、針の山に追われ、血の池に放りこまれ
る話などは、心から信じていました。これも、私にとっては 「情操教育」で
あったと思います。こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の
きずなが薄くなった原因の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々
の行事も、心を培う「情操教育」に欠かせない、大切なものだと思います。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のあるむかし話を紹介しよう
と試みたのですが、素人の悲しさですね、日本中の行事といえば気が遠くなる
ほどありますし、むかし話となると、とてもではありませんが手に負えない、
ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせて頂いた
のは。永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日本経済社 刊)でした。
表現に専門用語が使われ難しいものですから、わたし流に解釈させていただき
ましたが、詳しくは、最後の「おわりに」のところで説明いたしますので、ご
本家の方をお読みいただければ幸いです。
 
むかし話は、教室でうけた話を中心に、私の独断と偏見で選んでみました。児
童文学を修めたわけでもなく、系統立てて民話などを研究したこともありませ
んから、間違った解釈をしているところも多々あると思います。専門家の諸先
生方に一笑されるかもしれませんが、それは覚悟の上です。何やら強気のよう
ですが、目に触れる心配などありえませんから、突っ張っているだけです(笑)。
紹介した話は、本当に氷山の一角で、しかもダイジェスト版になっています。
面白いと思われましたら、本物を読んであげてください。それも、このメール
マガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが川越市の県立図書館で
読んだものです。何とも悲しい話ですが閉館されてしまい、勉強させてくれた
本を再読できません。しかし、お住まいになっている図書館の子ども部屋には
あると思いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってく
ださい。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。情操教育は、心の教育です。心の教
育は、幼児期に基本的なことを学習しておくべきです。今は、学習ではなく、
勉強が、幼児の心をむしばんではいないでしょうか。文字の成り立ちからもわ
かるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強は「強いて勉めること」です。
幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。親が勉強せず、子どもだけに
勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。情緒が不安定で、情操の乏
しい子が増えているといわれていますが、知識を詰め込むことにこだわり、心
を育てる育児が、おろそかになっていないでしょうか。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をして、やがて、一人前に鳴ける
ようになる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
ある年の7月、上高地へ出かけた時、大正池で、実際に聞くことができ感激し
ました!
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、赤面しながら、あえて言い切っておきましょう。私は、
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から
培われていくものだと考えています。ちょっと背伸びをしすぎました、読み飛
ばしてください。
 
★★古典落語「桃太郎」の作者の意図★★
 
本書の解説によると、江戸時代の落語家、乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょ
うさい)が書いたといわれる古典落語の傑作の一つだそうです。高校生の頃だ
と思いますが、大人をからかうおもしろさに腹を抱えたものでした。今、読み
返してみると作者の意図が明確で、「うん、そうだ、そうだ。その通りだ!」
などと、うなずきながら納得させられてしまいます。また、「桃太郎」は、
「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」と共に、日本
の五大お伽話と言われています。私の年代では、信じられないのですが、この
五つの話を知らない子がいます。「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハ
イジ」の方が、人気があるようですね。
 
◆桃太郎◆   乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)
昔の子どもは、親の言うことを聞き、子守歌の代わりにむかし話をすると寝た
ものですが、今の子は、そうはいきません。
お父さんが、
「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、おじいさ
んは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」
と話をすると、子どもは眠るどころか、
「むかしっていつの時代、ある所ってどこ。おじいさんとおばあさんの名前は
何というの。
山と川の名前は」
と聞き返してきます。
お父さんが答えるのに困っていると、話を聞くはずの子どもが、作者の意図を
解説し始めるのです。
時代、場所、名前の無いこと、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ
洗濯にいくわけから始まり、鬼が島は、これから生きていく社会のことで、そ
こでの厳しい修業を鬼退治にたとえていること、きび団子は、粗食にたえろと
いう教えであり、家来の猿、犬、きじは、“知仁勇”を表し、世間で信用を得
るための大事な心構えであって、社会人となり、信用と
いう大切な宝物を持って、出世して帰ってくれば、親も喜び、幸せになる、こ
れが作者の狙いだというのです。
 
「どう、わかったかい、おとっつぁん……、」  
といって、子どもがお父さんを見ると、寝てしまっていたというお話です。
   こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
  小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
説得力があります。歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実
に無駄がありません。しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑
いながら、人生修業をしているのですから。
そして落語は、最後の締めである「落ち」が、笑いのポイントになるのですが、
これがまた、こたえられません。本当は、ネタを話したくてうずうずしていま
すが、推理小説の犯人を明かすのと同じで、罪深いことですから、皆さんの楽
しみにしておきましょう。ぜひ、お読みになってください。
 
古今亭志ん生師匠をはじめ、咄家のすばらしい名人芸がCDに収録されていま
す。図書館の視聴覚室にあるはずですから、疲れたときに聞いてみませんか。落語
は、声を出して笑うことが、いかに大切であるかを教えてくれるからです。あ
るミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたことがありますか」
と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのようにお考えでし
ょうか。        (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)
 

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