めぇでるコラム

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師走

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第6号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、これまた文字通り、1年の終わりである12月は、
何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨
走(すうそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」
となったという説が有力だそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」
を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスは、キリスト教のお祭りで、12月だけ、にわか
信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・
デーほどではないでしょうが、何やら、商業主義の笛に踊らされているような
気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほとんどないか
らかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信者は、非国民
扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」とは軽薄な言
い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん方には、信
じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で規制できる
のですから、恐いことです。
 
一時、クリスマス・イブは、どんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、健全な
ホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在り方で
す。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日になると、
ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢にとは、や
はり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみます。
 
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、ここでは、遠慮してお
きましょう、日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようで
すが、キリスト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探って(これも不敬でしょうね)いく内に、
何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではあ
りませんか。
 
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、
キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつ
れて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っていたミトラ
教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神さまミトラスのことで、12月25日は、ローマの冬至祭に
あたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変
わる日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリ
ストこそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになった
のです。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キ
リストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「き
よし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートへ行って、この色にお目にかからない売場は、ほと
んどありません。私は、子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑
はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていまし
た。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」と
はいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本式では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁
起物には欠かせません。門松も、その一つです。では、なぜ樅の木になったの
でしょうか、これも訳ありでした。
 
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。
12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われ
たとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの
十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を
知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。せいぜい、真冬にもかれることなく青々と緑を茂らせ、花を
咲かせる常緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」など
と考えるのは、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつごろからクリスマス・
ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
 
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483-1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリスマス
の前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切った夜空を見上げ
ると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じ
たルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、
感激した夜の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウ
スによって、1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244・245 永田 久 著
 日本経済新聞社 刊〕
 
都会の空では望めませんが、清里の高原で見た星空は、本当に、星が降ってき
そうな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神
秘的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。            
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キ
リストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命
を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本
の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく
習わしがある。 
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくと林檎だけで、質素なものでした。何やら、今の樅の
木は、華やかです。
靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから
仕方がないでしょう。
ところで、樅の木のてっぺんに飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝
いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当
たるかは、定かではないそうです。
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つです。やはり、
これも訳ありでした。
 
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古く
から、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、
冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)
はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの
愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁起もあ
るのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマのお祭り
で、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、
リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつ
け、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
そういえば、クリスマスのテーマソングのような
[Silent Night, Holy Night]、この 翻訳ですが、「きよし、この夜」と、
決めています、これも名訳です。「静かで、神聖な夜」だと、ぶち壊しでしょ
う。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではないでしょうか。だ
から、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうなことはいえませ
んが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指導要領改定
で、公立の小学校でも英語の授業が始まったからです。「読む英語 
“reading”から、話す英語“speaking”へ」、期待したいものです。
 
ところで、古い話で申し訳ないのですが、ウィリアム・ホールデンとジェニフ
ァー・ジョーンズが共演した映画 
“Love is a many splendid thing” 
を「慕情」と訳した方がいましたが、これなども、うならされませんか。また、
名女優、キャサリン・ヘップパーンの演じた
“Summer time in Venice”
は「旅情」です。わずか二文字の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだもの
でした。最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようです
が、映画を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なく
なっているようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしてい
ますが、日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使ってあげないと
可愛そうですよ、何しろ、母国語ですから。
 
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってきた漢
字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり大変な文
化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ諸国では、数
学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語を学び、習得しな
ければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学んでいますが、そ
れを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自然科学を学び研究出
来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。今週ノーベル賞の授賞式
が行われましたが、3人の受賞者が生まれたのも、勿論、ご本人の努力のたま
ものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境であることも、子
ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL
 12月号より 抄訳)
(次回は、クリスマスの2 についてお話しましょう)
 

過去の記事

全て見る