めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第11号-
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第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただく料理がお節料理です。私の子どもの時でもそうで
したが、一年に一度か二度、滅多なことではお目にかかれない重箱というもの
があり、そこにいろいろな料理を詰めます。木からできている箱で、普通は漆
で塗られ、外側はきれいな絵や模様で飾られ、二重、三重、五重と積み重ねら
れるものです。今のお節料理には中華風や洋風などもあり、食べ物が豊富です
から精進料理風は受けないのでしょう。お節料理は、元旦の朝に神様と一緒に
お祝いをして、家族が健康で良いことがたくさんあるように、お祈りをするた
めの食事ですから、縁起ものしか選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は、魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色です。   
豆は、「まめに生きる」といって、真面目に健康に生きる願いが込められてい
ます。
数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから「数多い子」、子
孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、また「春告魚」とも書き「春よ、早く来
い!」と願っています。
ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を願っています。
牛蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥
を表したものです。
この三つは、必ず食べたそうですが、子どもは、きんとん、だて巻き、かまぼ
こ、海老や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。
きんとんは「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美
しい様」、かまぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ
頭は「人の頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お
節料理は縁起を担いだ食べ物からできています。               
 
さて、今はどうでしょうか。
ウインナー、ハンバーグ、餃子、鶏の唐揚げ、ポテトフライ、こういうものを
朝祝いに食べ、初詣に神社へ行って神様にお願いする、何だかおかしくないで
しょうか。神様は和食派ですから、ちぐはぐな感じがしますね。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には、
先程の三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい今風の言
葉で表せばオードブルで、金団、ゆず玉、だて巻などが、三の重は、海老や鮑、
鯛などの「海の幸」を、四の重は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、
里芋などの「山の幸」を入れます。そして、詰める品数は奇数がよいとされ、
ここまでこだわります。  
 
祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やんごとなき魚
なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の名前は「鯉」
といいますが、王様からお祝いに、鯉をいただいたことから命名されたそうで、
当時、中国での魚の王様は鯉だったのです。ところが、江戸時代になると鯛が
鯉にとって代わり、祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に
許していません。姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼いても汁にしてもうま
い、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べられるから旬がなく、
その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹や秋刀魚も、いつでも
食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、そのために失ったものもた
くさんあります。 季節感が希薄になったのも、その一つでしょう。魚に限ら
ず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わいましょう。
 
さて、お節料理の中心は煮物です。煮物は、素材をそのまま煮炊きできません
から、その下ごしらえから味付けまで、手間がかかりますし、それに味付けが
一番難しいといわれています。味付けで素材の持ち味が決まるからです。です
から、暮の台所はまさに戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではな
く、全部自前でこしらえていましたから大変な騒ぎであったことを覚えていま
す。お節料理は、三が日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる
配慮があったと聞きましたが、その通りではなかったでしょうか。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした
味醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、
「おめでとうございます」と父がいわないことには、新年の朝祝いは始まりま
せん。これは、不老長寿の効き目があるといわれ、正月の祝い酒でした。しか
し、どうして、こんなものがおいしいのだろうかと思いましたね。山椒はうな
ぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、桔梗は
根を干したものはせき止めの薬ですし、ぼうふうはセリの仲間です。聞いただ
けで、飲むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもらい
ましたが、大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気がし
ました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の
邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられていました。ですから、邪
気を払い不老長寿を願う、正月には欠かせない祝い酒でもあったのです。今は
朝祝いに屠蘇を飲まないのではないでしょうか。屠蘇で乾杯して大人はお酒で
す。子どもはお節料理を食べながら、お雑煮をいただきますが、両親とも着物
です。母は着物の上に、袖付きの前掛けというのでしょうか、割烹着をつけて
いました。親父は立派に見え、母はきれいだと思ったものです。そして、なぜ
か子どもたちも新しい服を着せられていました。新しい年神様を、誠心誠意で
お迎えした雰囲気がありましたね。
 
また、これも忘れられませんが、テーブルと椅子の時代ではなく、足の低い食
卓、ちゃぶ台で食事をしていました。もちろん、正座をしてご飯を食べます、
正座です。姿勢が崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方
ですが、真剣に、真面目に食べていました。ですから、姿勢も自ずと良くなり、
食事のマナーも身についたものです。      現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方をして
いる子もいます。ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます、親も注意を
しないようです。食事中は、テレビを消しましょう。4、5歳の子には、「食
べながら見る」といった二つの作業をこなすことはできません。私の子ども時
代と最も違ったのは食事ではないでしょうか。テレビはありませんから、食事
は人が中心で、一家団欒の一時であり、家族の会話があったような気がします。
しかし、椅子とテーブルになって、子どもたちの足が長くなり、スタイルもよ
くなりましたが、子どもに教えるべき生活習慣やしつけの面で失ったものも、
数々あります……。
 
そして、年の順にお年玉をもらうのですが、これが楽しみでした。でも、わず
かでしたね。
現代っ子は、銀行に預けるほどもらえるようですが、これは不労所得です。汗
水を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。
子ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないで
しょうか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。ところが、最近はどうで
しょうか。
「行く年、来る年」などを見ていると、全国の有名な神社、仏閣は、大勢の参
拝者でにぎわっています。お賽銭を後ろの方から投げ込んでいる人さえいます
が、参拝者が多いためでしょうけれど、これは投げ銭ですから神様に失礼で、
ご利益は期待できません。やはり、その年の神様と朝祝いを済ませ、神様に失
礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。そして、お子
さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせましょう。目
に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことではありません。
親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
「我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始め
たような気がしてなりません。
(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著 新潮社 刊 P193)
 
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
今でも忘れられない一言となっています。傑作だった「模倣犯」で活躍した前
畑滋子が再登場する「楽園」、超能力に興味のある方には見逃せません。「孤
宿の人」の主人公‘ほう’には泣かされました、年甲斐もなく(笑)。目下
「ソロモンの偽証」に取り組んでいます。
    
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕
焼けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、
その年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん
最初に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、単純に考えると東へ行けば行く
ほど早くなるように思われますが、高い所へ登れば登るほど見通せますから、
国土全体では日本の最東端にあたる南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では
犬吠崎です。しかし、南鳥島は一般の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁
と気象庁の職員しか拝めませんし、富士山頂は氷点下何十度という所ですから、
一般の人は無理ということで、正解は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が
海開きに当たり海水浴も楽しめるそうです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに
「The world is waiting for the sunrise」
(世界は日の出を待っている)があります。といっても、アメリカ人に「太陽
遥拝」の信仰があるかといったことではなく、第一次世界大戦後の不況から脱
出したい願いをこめて作られた曲です。ジャズの演奏スタイルは、時代と共に
変わりましたが、大雑把に分けるとデキシーランド、スイング、モダンの3つ
があり、デキシーランドには、ニューオーリンズ派とシカゴ派があります。ニ
ューオーリンズ派の名クラリネット奏者、ジョージ・ルイスの率いるバンドが、
オハイオ州立大学で行ったコンサートの中に、この曲の名演奏が入っています。
バンジョーの名手、ローレンス・マレロが、正確無比なビートで、最高にスイ
ングするソロを聴かせてくれます。沈んだ夕日が昇ってくるのではと思うほど
アグレッシブ、攻撃的な演奏で、音はよくありませんが、いつ聴いても感動を
新たにさせてくれる、ご機嫌な演奏です。私の正月は、これを聞くことから始
まります。
話は変わりますが、ジョージ・ルイスのすばらしい音色を絶賛したのが、前衛
ジャズの大御所、サックス奏者のジョン・コルトレインでした。音楽に新しい
古いはないと思います、自前の感性に訴えるものがあれば、いいのですから。
私はドラムを少しやっていますが、学生時代、ある黒人ドラム奏者に、「なぜ、
そんなにスイング出来るのですか」とあほみたいな質問をしたところ、「なぜ、
あなた方は、フォークソング(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れるのか」と
言われ、ジャズのリズム(4ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8ビート)
に抱いていた劣等感を拭い去ることが出来たような気がしました。それぞれの
民族は、長い時空を経て培われたリズム感があるということです。それから、
下手の横好きですが、私流のリズムを刻むことを覚えました。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることが出来ず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました 
(笑) 。 再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダ
ーの丸山が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼が
いたからジャズの醍醐味を味わうことが出来たと感謝しています。昨年は5月
に、演奏会の度に香港から駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、
ご自分のバンドを率いて「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が
参加出来ず、ピンチヒッターでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニ
シャンのある外人の方が3名いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽し
むものだよ!」とまたしても教えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、
これは偶然だったのですが、会場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と
全く同じで、追悼演奏が出来たと感無量でした。(涙)
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。
今の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲ
ーム等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょう
か。小学校時代に友達と遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちません。
社会性が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生き
られないことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがままを
助長するのは、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えています。
「訓練されていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長はおっ
しゃっていますが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であることを真
剣に考えましょう。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイ
コロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり
戻ったりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上
下、左右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こうい
う遊びで覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1
個ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使い
ませんが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物
が、トランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードに
はマークと数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表され
ています。
Kはキングで王様、Qはクイーンで女王様ですが、Jは何を表しているかご存
じですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごく
ありふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく
耳にする名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つ
のマークは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と
身分階級を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生にな
り英語を習ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べ
ティは「花子」にあたるのでしょうか(笑)。
 
★★春の七草★★
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏
の座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)
のことです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎ
て、お腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、
春を実感していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リ
ュウマチに、なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利
尿作用に、はこべらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、す
ずな、すずしろは骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。
(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。間違って使われる言葉に「千六本」が
ありますが、永田先生でなくても笑えますね。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たらな
い役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、
大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻
んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。
千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人
もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本と
いうのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話ししましょう)
 

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