めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第六章(2)桜について
 
 
今年は例年のように場所取りをしてのお花見ではなく、歩きながらのお花見が
多いようですね。いつ元の花見に戻るのかなと思いつつ桜についてお話ししま
しょう。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあり
ませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りにな
り、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神
さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年
の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
 「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田
 の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木
 をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
  (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神さまを迎える儀式でしたが、武士の時代
と共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽
くした宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から
引きずりおろされ、今では、桜のもとで食事や酒盛りをして楽しむ行事となり
ました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさを酷評していますが。古来、桜は何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができるのです。
 
こうした川沿いに多い桜の名所ですが、その他にお侍さんの勤め先である城と
寺社にも多いですね。
私たち日本人は、こうした名所の他にも、なぜか桜の下に陣取り宴会を開きが
ちですが、面白いことに、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。
たびたびお世話になります樋口清之先生の監修された本に、校庭の桜について
何とも言えず考えさせられる話がありましたので、紹介しましょう。
 
 日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであった
 が、これが明治時代から少しおかしなことになった。
 それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
 本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠
 んだ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生
 まれてきたからである。
 さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美し
 いという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つ
 まり、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵
 舎に桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭
 にも桜が植えられるようになった。
 関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
 もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで
 校庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学か
 ら広まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
 
さて、ここからは桜の豆知識を2つ。
 
日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、アニメではありませんが、目が点になり
ますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ日蓮宗の古
寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」だそ
うで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられています。
 
そして、日本の三大桜もご紹介しましょう。この山高神代桜と福島県三春町の
三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の淡墨桜(樹齢千五百年)です。淡墨桜
は、つぼみの時は薄いピンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、こ
の散り際の色にちなみ命名されたそうです。
 
少し脱線。
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下
自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどっ
たものですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である
岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して
創った三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初
等部と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太
郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっ
ています。
 
最後に、桜と言えば、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう。
「さくら さくら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝(和楽器
の一つ)の手ほどきとして作られたもので、作者は不明です。
 
  さくら さくら
  (一)さくら さくら  
     やよいの空は  見わたす限り
     かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
     いざや いざや 見にゆかん
 
  (二)さくら さくら
     野山も里も   見わたす限り
     かすみか雲か  朝日ににおう
     さくら さくら 花盛り
          (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
 
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう。見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値ありです。六義園は小石川後楽園と
共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、見
事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子どもたちに伝えるのも、親の使命ではないかと考え
ますが、いかがでしょうか。
 
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

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