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めぇでるコラム : 2020年2月

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★[5] 常識に関する問題(2) 

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        「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ小学校受験編
            第34号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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入試問題を分析する[5]
 常識に関する問題 (2)
 
 
★説明会情報★
 ●<中止>日出学園小学校 第1回学校説明会
      日 時 3月7日(土) 9:30~11:00
       内 容 2019年実施の入試内容や当日の流れについて
          校長講話「なおく・あかるく・むつまじく」
               校訓に基づく目指す児童の姿    
 新型コロナウイルスの影響で、中止となりました。4回に分けて行われる
 校長講和の1回目を楽しみにしていましたが、残念です。
  
★千葉県私立小学校フェア   
★城北・埼玉・茨木地区私立小学校合同相談会 
 どちらも2月23日(日)開催予定でしたが、新型コロナウイルスの伝染拡
 大を防止 するため、中止となりました。短い時間でしたが、参加校の校長
 先生の話を聞くことができましたから、楽しみにしていましたが、残念でし
 た。
★第9回キリスト教学校合同フェア
 3月20日(祝・金)10:00~15:00 青山学院中等部校舎
 小学校から高校まで49校が参加、女子校、男子校。共学校、小学校ごとに
 行われる5分間のリレースピーチが聞けたのですが、中止と決定。資料参加
 校も34校と、一度にたくさんの情報を得られたのですが、コロナウイルス
 には勝てません。残念!
 
★昨年4月27日(土)にアルカディア市ヶ谷で開催された「東京私立小学校
展」も中止になるかもしれませんね。
 
 
 
[公衆道徳・躾に関する問題]
 
公園の中で、いろいろなことをしている子どもの絵を見て、やってはいけない
ことをしている子どもに×をつけたり、服を一人で着たり、後片付けができて
いない絵などから、自分一人でできた方がいいと思うものに〇をつけたりする
問題です。いうまでもありませんが、入学試験のために身につける知識ではな
く、しつけであり、マナーであり、基本的な生活習慣ですから、ご両親の育児
の姿勢、教育方針をみています。 
                                 
このようなお母さんが増えています。
電車に乗ると、子どもは、なぜか、外を見たがります。それは、いいのです。
しかし、靴を脱がない子がいます。お母さんの言葉、ショックでした。
「○○ちゃん、お靴脱ぎますか、脱ぎませんか?」
「脱ぎたくないの」
「そうですか」
これで、おしまいです……!
おかしくありませんか。
着ている制服から、大学まである総合学園の幼稚園であることがわかります。
私の年代では、こういうことは考えにくいことです。親は、一貫教育制度のあ
る附属幼稚園に入れて、子どもの人生航路の設計図なるものを、小さい頃から
キッチリと引いてあげているにもかかわらず、他人様と共存して生きるために
最低限必要なルールは、子どもの判断に任せていいのでしょうか。
いいわけはありません、これは逆です。
人生航路は自分で開いていくものですが、しつけは親が責任をもって子どもに
身につけさせるものです。このような考え方を「子どもの自主性を認める」と
はいいません。放任です。親の責任を放棄していることに気づいてほしいので
すが、こういうお母さんが増えているようです。誰がかわいそうって、子ども
です。後で困るのは、子ども自身ですから。
 
試験で電車の中で悪いことをしている子に×をつけても、実際に電車に乗って、
靴を脱がずに外を見ているのでは、おかしいと思いませんか。これは常識であ
り、守るべきルールです。知識として知っていても「実際にはできない」、ど
ういうことでしょう。
これは知識と知恵の差です。
知識は知っているだけで、知恵は知っていることを実行する心の働きです。幼
児期の知識の詰込みは、こういう結果になりがちではないでしょうか。こんな
本末転倒なことを許していると、幼児の世界も、おかしくなります。
 
「三つ子の魂百まで」は、幼児期に身につけたことは、大人になっても、その
まま受け継いでいくことを戒めた先人の知恵です。良い習慣をきちんと身につ
けてあげるのは、お子さんにとっても幸せであり、大切な財産になると思いま
す。「習慣は第二の天性である」と古代ローマの政治家、哲学者であるキケロ
もいっていますなどと、何も哲学者を出すこともありませんが、「大切だ」と
いいたいのです(笑)。
 
 
[その他の問題]
  
果物や野菜を、縦や横から輪切りにしたものから、何であるかを推理する問題
もあります。
これも体験でしょう。子どもは、見えないところを見たがるものです。りんご
やみかんを食べるとき、ただ、皮を剥くだけではなく、縦や横に輪切りにして、
見せてあげましょう。喜びます。
野菜なら、ピーマンなどを切ってみせると、不思議そうに見ています。ついで
に、匂いもかがせてみましょう。玉ねぎなどは、涙を流しても見たがります。
 
私が現役時代、「どうしてレンコンはあんなにたくさん穴があいているのか
な?」と聞かれ、絶句したことがありました。普段、そんなことを考えません
ね、大人は。こういう疑問には、即座に答えてあげなくては、子どもの信頼を
裏切ることになりますから、家内に電話して、すぐ調べてもらい、事なきを得
ました。「レンコンの住んでいるところは泥の中で空気がなく、あの穴の中に
空気を取り入れ、それで呼吸しているのだよ。その穴は水の上に出ている葉っ
ぱとつながっていて、茎がちょうどシュノーケルの役をしているんだよ」と説
明できましたが、今はパソコンで簡単に調べられますから、お子さんが「なぜ
?」と聞いてきたときには後回しにせず、きちんと答えてあげましょう。
 
そして、野菜や果物を水の中に入れ、浮かぶか沈むか、実験してみましょう。
「すいかは、絶対に浮かばない!」と思い込んでいるお子さんが、かなりいま
す。見たことがないのです。丸ごと一個のすいかを買う機会は少ないでしょう
が、お子さんが疑問を持ったときには、説明するより見せることです。
 
動物の足の絵から、その動物が何かを考えたりする問題もあります。
かなり昔の話で、時効も成立しているはずですから紹介しましょう。ある国立
の名門大学の学生さんが、「鶏には足が4本ある」と真面目な顔でいい、話題
になったことがありました。見たことがないのです。
幼児には、見せるしかありません。動物園の出番です。
「今度の日曜日、ゴルフの予定もないから動物園に行くぞ!」
「……。」
お父さんの都合でお子さんに興味がない時に、動物園に行っても効果はありま
せん。
「お父さん、にわとりの足、どうなっているのかな?」
この「かな?」がついた時、子どもが興味を示した時が、絶好のチャンスです。
ジィーっと見ています、飽きもせずに。観察力だけではなく、集中力や持久力
もつきます。しかし、動物園に鶏、いるでしょうか、心配です。
 
我が家が川越へ越してきたのは、子どもたちが幼稚園に入る頃でしたが、近所
のお百姓さんの庭には、放し飼いにしていた鶏がいました。長男は何が面白い
のか、毎日出かけて行っては、ジッと見ているのです。「パパ、ニワトリさん
は鳥でしょう。どうして、空を飛べないのかな」、これが不思議だったんです
ね。お百姓さんに話したところ、一番元気のよさそうな鶏を抱き上げ、空へ放
り投げてくれたものです。羽をバタバタさせて飛びますが、すぐに着地してし
まう。「太っているから飛べないんだ!」と嬉しそうに答えたものでした。黙
ってお百姓さんが実験して見せてくれたことが、どんなに子どもにとって貴重
な体験であるか、教えられたものです。
その逆ですが、テレビのコマーシャルでペンギンが空を飛ぶ映像が流れた時、
「先生、ペンギンは、空を飛べないんですよね」と怒った子がいました。子ど
もは自分が知っていることと違ったことが起きると、許せないんですね。かな
り前のことですが、牛が胡坐(あぐら)をかいている映像があったのを見て、
先生方は困っているのではと心配したことがありました(笑)。
 
最後に、絵を見て話をする問題です。
これは、たくさん本を読んでもらっている子は、得意です。たとえば、かぐや
姫の絵だとします。読んでもらったことのない子は、話せませんね。本を読ん
であげることは、前に説明しましたからやめますが、言語の学習から情操教育
まで、大変な学習になっています。話を聞く姿勢ができている子は、本を読ん
でもらうことが好きです。しかも、本人もお母さんも勉強をしているとは思っ
ていません。教えない教育の成果です。しっかり読んであげましょう。読んで
あげられるのも卒園までです。一人で読めるようになるのも、後わずかだから
です。読めるようになると、もう頼みにきません。そうなると、お母さんの読
書時間も増えます。親の本を読む姿は、最高の教材です。読書の好きではない
お子さんは、やはり、ご両親もあまり好きではないようですね。
 
テレビの内容にもよりますが、視聴時間の長さと教養の深さは、反比例するそ
うです。うまいことおっしゃった人が、いたものですね、感心しました。こう
いったお母さん方は、子どもたちに、
「ゲームばかりやっていないで、お勉強をしなさい、お勉強を!」
と言いがちではないでしょうか。これでは、説得力などありません。
 
絵を見て話をする問題については、言語のところでお話しましたから、もう一
度ご覧ください。「お母さん(お父さん)、あのね方式」です。
 
その他に、新幹線やブルドーザーなどの絵を見て名称と用途、花の名前と咲く
季節などをたずねる問題があります。昔話に出てくる「きね」「うす」「いろ
り」、雪国ではおなじみの「つらら」、「ほうき」「はたき」「ちりとり」と
いった昔の掃除道具三点セットなど、普段、目にしなくなったものには、出会
ったときにきちんと説明しておきたいものです。
 
最後になりましたが、2017年2月、千葉県私立小学校フェアで伺った話を
紹介しましょう。
暁星国際学園の学園長、田川茂氏は91歳。「親は教育に哲学を持ちなさい」
という話は、説得力がありました。お子さんにどのような教育を受けさせたい
か、これは学校選びの基礎、基本であり、「はじめに学校ありきではなく、ご
家庭の教育方針ありき」であるべきだということですね。「教育の道は家庭の
教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世の教えで実がなる」ともいわれて
います。「どんな花を咲かせるか」、素直に肯けました。また「哲学を学ばな
い者は、先生をしてはいけない」も痛烈でしたが、変な先生がいる時代、私学
が歓迎される理由は、こういったことにもあるのではないでしょうか。
視力を失くしほとんど見えないとおっしゃっていましたが、御年94歳、今年
も元気いっぱい30分の講演を期待していましたが、中止となり、がっくり。
(残念)
      
    (次回は、[6]推理・思考の問題についてお話しましょう)

 


さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>名門幼稚園の保育方針 国立大学附属幼稚園編(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2021さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第17号
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名門幼稚園の保育方針 国立大学附属幼稚園編(1)
 
 
今回から4月にかけて、名門幼稚園の保育方針などを紹介しましょう。
紹介する幼稚園は、国立大学附属を除き、筆者が入園説明会へ参加した幼稚園
であること、そして募集人員は2019年秋に実施したもので、2020年秋
のものではないことをお断りしておきます。
 
最初に、悠仁様が通っていたお茶の水女子大学附属幼稚園から紹介しましょう。
ご存知のように悠仁様は、お茶の水女子大学附属小学校へ進学されました。
 
 
【お茶の水女子大学附属幼稚園】
 
国立のお茶の水女子大学、私立の日本女子大学といえば、我が国、女子教育の
最高学府。そのお茶の水女子大学の附属幼稚園で、自由保育の発祥の園です。
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅から徒歩十分足らずの所にありますが、文京区の文
教地域だけに、朝などは幼稚園児から大学生で大混雑をします。お茶の水は幼
稚園から大学まで、東京学芸大学附属竹早は中学まで、筑波大学附属は高校ま
で、そして跡見学園があるからです。
 
この幼稚園に入るのは大変です。例年、男子は倍率20倍、女子となると30
倍を越し、同附属の小学校の女子は例年70倍前後のようですから、まだ、い
いのかもしれませんが、この倍率を聞いただけで遠慮したくなります。              
 
教育の目的、姿勢の中に、自由保育の真髄が述べられています。
 
 
 ★教育の目的★
 
お茶の水女子大学附属幼稚園は入園した幼児を保育して、心身の発達を助ける
事を目的と
しています。特に、次のような子どもに育てようとしています。
 ・からだがじょうぶで、元気がよい。
 ・自分のことは自分でする。
 ・友達と仲良く遊ぶ。
 ・ものごとにいきいきとした興味を持つ。
 ・思ったことをはっきりと話し、人の話をよく聞く。
 ・創意工夫したことを楽しんで表現する。
 
本幼稚園は、お茶の水女子大学の附属として幼児教育の理論と実際に関する研
究をします。本幼稚園は、お茶の水女子大学学生にとっての保育、教育の実習
と研究の場であります。本幼稚園は、研究や保育の実際を公開して、幼児教育
の進歩向上のために貢献します。
 
 
★教育の姿勢★
 
本園では、幼児期の特性を踏まえ、それぞれの子どもが自分でやりたいことを
見つけ、自分から人や物や環境にかかわって遊びに取り組んでいくことを重視
しています。従って一日の過ごし方は、その子どもの興味や関心によってそれ
ぞれに異なります。一人ひとりの思いに沿った生活の自然な流れを大切に考え、
同じ事を同じ時に、どの子どもにも教え込むようなことはしていません。その
時々に、一人ひとりに合わせた指導を行って、個々の子どもの興味や意欲、自
ら考え行動する姿勢を育てようとしています。意欲を持って自分から始めた遊
びを十分行うことを通して、子ども達の中に充実感、満足感がもたらされます。
その充実感、満足感は、保育者との信頼関係、友達との様々な触れ合いなど、
人との関係の中でより大きなものになっていくと考えます。自然な生活の中で、
人と人が十分触れ合い、多様な感情を体験していくことが大事なことだと考え
ています。
 
国立附属の幼稚園だけに、誰でも入れるわけではありません、応募資格があり
ます。
保護者と同居し、幼稚園からおよそ半径3km内で、荒川区、北区、新宿区、
千代田区、台東区、豊島区、文京区と指定地域があり、徒歩または公共の交通
機関で通園できるものとし、上記の条件を満たしていない場合は、たとえ出願
しても入園資格はないものと決められています。
「保護者と同居」は、都内に住む祖父母の所へ、住所を移すだけでは受験でき
ないことであり、「出願しても入園資格はない」とは、上の条件を満たしてい
なければ、たとえ合格しても入園を認めないということです。
               
募集人員は3年保育、3歳児男女各約20名、2年保育、4歳児は男女各
約10名。
平成31年度は、3歳女児312名(約15.6倍)、3歳男児220名
(11倍)、4歳女児215名(21.5倍)、4歳男児160名(16倍)
ですから、前年度より下回っていたとはいえ、まさに狭き門であるわけです。
(データは、平成30年秋に実施されたもので、令和2年2月21日現在の同
幼稚園のホームページより転載したものです)
 
さらに、選抜の方法が厳しいのです。
第一次検定が抽選です。
何とか受験資格の幸運に恵まれても、合格の保証はありません。
第二次検定は試験と親子面接を受けます。
抽選後、試験まで一週間ほど間があります。
現在は両親面接ですが、かつては保護者一人でしたから、お母さん方にはたい
へんな時代がありました。
そして第二次検定を通過しても、最後の関門が控えています。
第三次検定は、またしても抽選があり、当選者が入園候補者になります。
 
第二次検定は、行動観察と親子面接です。
行動観察といっても、子ども達は好きなおもちゃなどで遊びが中心ですから普
段着でいいわけです。
もちろん、初めての場所で遊びますからかなり緊張します。
しかし、幼児教室や塾へ通い、「お母さんのもとを離れても楽しいことがある」
ことを知っていれば、子ども達はすぐに対応できます。
 
問題は、お母さん方です。
両親面接といっても、多くの場合はお母さんが一人で参加しているようです。
「合否の鍵は、私の面接次第ではありませんか!」
気の弱いお母さんは、胃が痛くなるほどプレッシャーがかかるそうです。
抽選に当たってからの準備では、当然ですが間に合いません。
「抽選があるから」と安易に考えずによく研究をされ、心の準備をしてから願
書を出しましょう。
 
教育目標に書かれているのは、幼児教育に関していろいろな実験をし、その成
果を見に全国の幼稚園の先生方が見学に来ますし、幼稚園の先生を目指す学生
さんの担当する実習時間もあり、普通の幼稚園では考えられない保育があるこ
とです。
いろいろな実験とは、単純に考えるとデータがほしいわけです。
「こういう保育は、どうだろう?」
という理論に、どのような反応があるか知りたいのですから、積極的に応えて
くれる子ども達が歓迎されるというわけでしょう。
 
さらに、見学者が大勢やって来ます。
周りの雑音に左右されずに順応できる子でしょう。
過保護、過干渉な環境で育てられた子ども達には合わないでしょうし、神経質
な子だと、正直にいって疲れはてるのではないでしょうか。
やはり、心身共に健康な子ども達ということでしょう。
 
女の子にとっては、入園できれば本人の努力次第で、内部特別進学で天下のお
茶大に進める道もあるようですから、お母さん方が熱く燃えるのも無理のない
話ですね。
 
このように国立大学附属の幼稚園は、一般の幼稚園と同様に幼稚園教育を行う
ほか、附属幼稚園として大学の連携のもと、学生の教育実習を行うと共に、幼
稚園教育の内容、方法について実証的、実験的教育を行う使命を持っています
から、入園を希望するご両親は、この主旨をしっかりと理解し応募すべきです
ね。参考までに、昨年の説明会の日時を紹介しておきましょう。
 
 令和元年度説明会 
   日 時 2019年(令和元年7月8日 土曜日〈時間は掲載されてい
       ません〉)
   場 所 同女子大学講堂 
   式次第 1)園長挨拶
       2)本園の歴史、教育の目的、使命について
       3)本園の教育の基本的なあり方について
       4)DVD「幼稚園の生活」上映
       5)今後について
   お願い 大学内には駐車場、駐輪場はありません。来校される際は、徒
       歩或いは公共の交通機関をご利用ください。近隣の道路や車道
       への駐車は、地域の方の迷惑になりますので、ご注意ください。
 
「子供同伴不可。園舎、園庭見学無し。質問不可。時刻厳守、定刻後の入場不
可」は削除されていますが、ホームページで確認されてから参加してください。
              (令和2年2月21日現在のホームページより)
 
  (次回は、この他の国立大学附属幼稚園を紹介しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第17号
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第5章 雛祭りですね(2)
      
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
 
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる懐かしい童謡、それが「うれしい
ひなまつり」でした。私には姉と妹がいましたから、この気持ちはよくわかり
ます。箱の中から紙に包まれた人形を取出し、それを雛壇に飾りつける母や当
時は女中さんといっていたお手伝いさんの姿を思い出します。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考
えていたそうです。その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、
「内裏雛」は天皇、皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな
様」は男雛と女雛で一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、
正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。大臣であれば「笏
(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装しているからだそうです。        
(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
「男雛様と女雛様」、「左近衛大将」では、詩人の感性として許せないでしょう。
進学教室の歌姫も教えてくれませんでしたから、承知して歌うしかありません
ね。一時、吹き荒れた「センテンス スプリング」を気取るのも僭越で、おこ
がましいことですから、原作をそのまま掲載し、拙文の人形の紹介も歌詞に従
い左大臣、右大臣としました。
 
   うれしいひなまつり     
     作詞 サトウハチロー  作曲 河村 光陽
 
      一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
        お花をあげましょ  桃の花
        五人ばやしの    笛太鼓(たいこ) 
        今日はたのしい  ひなまつり
 
      二 お内裏様と    おひな様
        二人ならんで   すまし顔
        お嫁にいらした  姉さまに
        よく似た官女の  白い顔
 
      三 金のびょうぶに  うつる灯(ひ)を
        かすかにゆする  春の風
        すこし白酒    めされたか
        あかいお顔の   右大臣
 
      四 着物をきかえて  帯しめて
        今日はわたしも  はれ姿
        春のやよいの   このよき日
        なによりうれしい ひなまつり
  
同じような間違いはあるもので、昭和3年に大ヒットした曲ですから、若い皆
さん方には馴染みの薄い歌かもしれませんが、野口雨情作詞、中山晋平作曲の
「波浮の港」です。
     ♪磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る  波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
      あすの日和(ひより)は ヤレホンニサ なぎるやら♪
 
 波浮の港は、伊豆大島の東南端で、東南の位置にあるので夕日は見えない。
 また、鵜の鳥は、大島あたりには生息しない。どうして見えない夕焼け、い
 ない鵜を表現したのか、雨情は波浮の港へ行ったことがなく、想像で書いた
 もので、後に雨情自身がその誤りを認めた。
 (「大人の雑学 今さら他人に聞けないムダ知識665」P55より 抄訳
                   日本雑学研究会編 幻冬舎文庫 刊)
 
 
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
 
なぜ、桃の花なのでしょうか。
 
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔
 除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を
 占うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあ
 ぶると、甲羅や骨にひび割れができる。
 そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび
 割れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前
 兆(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばか
 らもわかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆し
 を持つ木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたの
 である。したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、
 桃太郎でなければならないのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79) 
 
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の
花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
 
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の
仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないの
ですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。十二支にも「申(さる)・酉(と
り)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けんかをしないように配慮されていま
す。「和をもって貴しとなし」ではありませんが、「聖徳太子の教えが、ここ
にも生きているぞ!」と一人で悦に入っています(笑)。
  〔注〕 十七条の憲法 
      一曰 以和為貴 無忤為宗
      「一に曰く 和を以って貴(とうと)しとなし、忤(さから)う
       こと無きを宗(むね)とせよ」  
      (和を何よりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本
       としなさい)
      (フリー百科事典〔ウィキベディアWikipedia〕より)
 
ところで、斑鳩の里にある法隆寺といえば、仏教を広めた聖徳太子の業績をた
たえるために建立された寺院であると思っていたのですが、哲学者、故梅原猛
氏の「隠された十字架=法隆寺論」(新潮文庫 刊)には、一族を皆殺しにされ
た太子の怨霊を鎮めるために建てられた寺であることが明らかにされています。
夢殿にあった白い布で包まれた秘仏を、明治時代に来日したアメリカの日本美
術研究者フェロノサなどの要請で開扉したところ、光背が頭の後に釘で打ちつ
けられ、胴体が空洞でつり下げられている救世(ぐぜ)観音像が出てきたそう
で、ここから氏の怨霊説が生まれたのでした。読んで驚くことばかりですが、
哲学者の妥協を許さない鋭い明察は、歴史学者にはない魅力にあふれており、
すっかりはまりこみ、読みあさっています(笑)。
 (注 光背 仏像の背後につける光明を表す装飾で、どのような仏像も、
       足元の台座から支えを伸ばし、仏像の頭部まで持ち上げられ
       ている)
 
 
★★左近の桜、右近の橘って?★★
 
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右
に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向か
って右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、
昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕え
る者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待って
いました。
 
 京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜
 の木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護
 にあたった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
   (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
 
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、そ
の左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、
向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の
影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞ
れ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められて
いるそうです。
 
 橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている
 馴染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔
 より日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えの
 ある美しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。
 また、神の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代
 (よりしろ・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。    
 (http://www.e87.com/selection/sp_hina/colum_04.htmlより)
 
  橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
                       万葉集 6(1009)
                (注 枝“え” 常葉“とこは”)
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびく
ともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていま
すが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかりま
す。何事も訳ありですね。
 
ところで、中宮和子が帝と初めて花見をしたのは、この左近の桜です。その折、
帝に献上したのが、在原業平をモデルとした押絵でした。見事なできに感激し
た帝が色紙に書いた和歌は、在原業平の
 
   世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
 
でしたが、その後、様々な事件が起き、帝も退位し、女帝興子の誕生となりま
す。帝の心中を推し量れば、「世の中にたえて徳川のなかりせば……」ではなか
ったでしょうか。
 
若い皆さん方には馴染みのない作家かもしれませんが、文芸評論家、小林秀雄
の弟子で、60歳過ぎてから小説を書いた偉才、隆 慶一郎の絶筆となった未完
の作品に「花と火の帝上・下」(日経文芸文庫 刊)があり、25年の暮れに再
版され読むことができ感慨無量でした。家康、秀忠の横暴に毅然と立ち向かっ
た後水尾天皇とそれを支えた和子の様子が、猿飛佐助、霧隠才蔵などで組織さ
れた「天皇の隠密」という奇想天外な応援を得て、徹底抗戦する展開になって
いましたが、完結することなく世を去ってしまいました。奇想天外というと荒
唐無稽と誤解されそうですが、26年の正月に放映された「影武者徳川家康」
と同様、史実に基づいた着想からなり、一気呵成に読まされてしまう傑作で、
最後がどうなるかまるで想像もつかないだけに残念でなりません。宮尾登美子
さんと違った帝と中宮を知り、梅原猛氏と同様、歴史の謎を究明する鋭い洞察
力に脱帽するばかりで、1989年没、享年66歳、隆 慶一郎のあまりにも早い旅
立ちに、無念の思いを禁じえませんでした。
ところで、澤田ふじ子さんは尊皇思想について、江戸の末期に起きたものでは
なく、軟弱だといわれていた公家が徳川家滅亡のために、延々と手を打ってき
た結果であり、その要に陰陽道の土御門家がいて、全国の陰陽師が天皇親政の
情報を流し続けたという独特の説をもっていますが、祇園社神灯事件簿シリー
ズ、土御門家陰陽事件簿シリーズ、「天皇の刺客(上・下)(徳間文庫 巻)」
などを読み、単細胞の私は納得してしまいました。(笑)
 
それはさておき、桃も桜も橘も、日本の春を静かに語っているように思え、心
は落ち着き、いつまで見ていてもあきませんね。桜については、4月に詳しく
お話しする予定です。
 
 
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
 
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐
えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、
早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、
春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコント
ラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝し
たくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いません
か。本当のところはどうなのでしょうか。
 
菱餅の赤、白、緑の三色は、赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、白は
清浄を、緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きが
あり、薬として使われていたので健康を表しているのだそうです。雛壇の敷物
が赤いのも、意味ありなんですね。
アカデミー賞の華、レッドカーペットは、関係ないでしょうけれど(笑)。
また、どうして形が「菱形」かは、餅に入っている菱の実は菱形で、葉は三角
状だからではないかと思うのですが、これは私の独断ですから間違っているか
もしれません。
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命
を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生ま
れたからだそうです。
戦後の食糧事情は最悪で、食べ物がなく、さつま芋の茎や菱も茹でて食べまし
たが、菱は栗のような味がしたと覚えています。レストランなどで豪快に残し
ているのを見ると腹立たしい気持ちになるのは、幼児期に飢餓の経験があるか
らです。今でもアフリカなどでは、飢えで死んでいく子どもたちがたくさんい
て、写真で見た子どもたちの目を忘れることはできません。食べ物がないのは、
空腹感を満たすために心が卑しくなり、辛くて、悲しいものです。「衣食足り
て礼節を知る」は、昔々の話になったようです。
 
 
★★ひな祭りのごちそう★★
 
女のお子さんがいる家庭では、必ず頂く蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司です。
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良
いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかなち
らしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷらな
ど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎っ
た雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれる
ようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。ちなみに、
雛あられの原材料には海老や鯖が使われているものもあるので、魚嫌いの現代
っ子にはいいかもしれません。それにしてもチョコレートをまぶしたもの、袋
に女の子の大好きなプリキュアを印刷したものなどがあり、びっくりしますね
(笑)。
最近では、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加
わったようです。この桜餅ですが、甘い物が苦手な私でも長命寺餅は頂きます、
絶品ですね。関西では道明寺餅が有名です。用いられている葉はオオシマザク
ラで、もちろん、その辺から集めてきたものではなく、専用に栽培されていま
す(笑)。
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は
米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1
センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエレルギー、緑は木々のエネルギ
ー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災い
や病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。(「トレ
ンド情報ステーション」より要約)
 
 
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
 
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の
書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれ
ています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人にな
るという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆ
えに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった
古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、時々、図書館の子ど
も部屋におじゃまして、「変なおじさん!」といった目を気にしながら読んでい
ます(笑)。
 
         【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
 中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
 ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、
あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わ
せ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の
先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあ
たったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、
土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の
鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、
みんな楽しそうでした。
 ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、
ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたの
です。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶
境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを
持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのです
か」
と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明する
と、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓待さ
れるので、4、5日滞在したのでした。
 やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませ
んから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、
途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子の
もとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、
目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子
が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、こ
の後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となっ
たのでした。
   生きる心の糧 中国故事物語 4  駒田 信二・寺尾 善雄 編
                           河出書房新社 刊
 
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さ
まとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さ
が)でしょう。
 
山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、いい年をした
大人、しかも男性に多いともいわれていますが、かくいう私もその一人です
(笑)。分別のある女性は、ばからしくて興味がないようですが、それだけ現
実的なのでしょうね。桃源郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありた
い、ささやかな願い」ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやか
な願いは、かない難くなっているようです。
 
迎えに来た父親に、「帰りたくない」と訴えた心優ちゃん、手を差し伸べても
らえなかった、わずか10歳の幼子の願い。自分だけが自分の味方……。祖母
の方が公開した平成30年10月に書かれた心優ちゃんの「自分への手紙」、
涙なくして読めません。
 
  栗原心優さんへ
   3月の終業式の日。あなたは漢字もできて、理科も社会も完ペキだと思
   います。
   10月にたてためあて、もうたっせいできましたか。自学ノート( )
   まで終わりました。5年生になってもそのままのあなたでいてください。
   未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい。
                 4年1組 くりはら みあより
 
自分を必死に励ましている心優ちゃん、とても10歳の女の子とは思えない。
初公判で「みーちゃん、ごめんなさい」、どの面(つら)下げてといいたい。
虐待をするゲスな親たち、子どもにとって、これほど辛く、悲しく、恐ろしい
ことはないのだから……。子どもは親を選べないことを肝に銘じてほしい。
 
それはさておき、東京地方にも春一番が、2月22日(土)に吹きました。昨年
に比べ15日早いそうです。近所の梅の木、満開、香りがいいいですね。毎年
楽しませていただいています。
 
  (次回は、「お彼岸」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★[5] 常識に関する問題(1) 

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        「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ小学校受験編
            第33号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★
 
<説明会報告>
日本女子大学附属豊明小学校の第3回幼児教室対象学校説明会が、2月17日
(月)午前9時30分から11時すぎまで行われました。
授業参観後、「一貫教育で育つ人間性」「質の高い日常生活」「関わりの中で
育ちあう」という講演の後、「目指す児童像」「三綱領」「育む学びの心」な
どの教育方針、説明会の日程、入試要項などを紹介。途中で出身者のプレゼン
テーションや、春の音楽会の様子が披露されました。そして「求める子ども像」、
「求める家庭像」について、資料に以下のような説明がありました。
 
◯求める児童像
 *愛情豊かに育てられている子(過不足ない愛情)
 *基本的生活習慣がしっかり身についている子
 *心身共に健康な子(自分で通学でき、自分で日常生活が送れる)
 *集団性、社会性が年相応に発達している子
 *生き生きとした意欲のある子
◯求める家庭像
 *保護者がお互いに協力し合っている家庭
 *子どもに過不足のない愛情を注いでいる家庭
 *社会の基礎単位としての役割をしっかり果たしている家庭
 *学校のめざす方向に協力する姿勢を持っている家庭
 
光塩女子学院初等科の影森一裕学校長の話がホームページに掲載されています
が、「過不足のない愛情」とは、こういうことではないでしょうか。
「過保護も過干渉も自由放任も程度問題です。それらは程度を変えて個々の場
面で必要なものです。ある時は十分に甘えさせ、ある時は強制したり自由にし
たりする必要もあるのです。子育ては『あれか、これか』ではなく、『あれも、
これも』なのです。どこかに偏ってしまっているなと反省したら、柔軟に軌道
修正できる子育ての知恵が必要です」
「合格の二文字」に心を奪われると、とかく偏った育児になりがちです。光塩
初等科のホームページをクリックして「学校紹介」をお読みになることをお勧
めします。
 
また、聖心女子学院初等科と同様、学童保育「JWU ほうめいこどもクラブ」が
あります。。仕事を持つお母さん方には強い味方になっているようです。
 
最後に、ミニ給食としてチーズケーキの試食があり、美味しく頂いてきました。
 
             [5] 常識に関する問題(1) 
文字通り、常識の分野です。
しかし、単なる知識ではなく、情操教育の領域から思慮分別まで入っています。
仲間分け、郵便屋さんとポストを結びつける職業に関するもの、道具や日用品
の名称と用途、季節と行事、公衆道徳やしつけ、むかし話や名作物語の一部が
描かれた絵を見て説明するものなどがあります。
 
[仲間分け]
動物や昆虫、木や花、野菜や果物、乗り物、季節、文房具などの仲間を探す、
逆に仲間ではないものを見つける問題です。常識の問題だけではありませんが、
単に仲間に〇や仲間ではないものに×をつけ、「満点! 次に行きましょう!」
では、あまり有効な学習とはいえません。○や×をつけた理由を、自分の言葉
できちんと説明できるか確かめましょう。幼児の学習で大切なのは、自分の考
えを話せることです。つたない説明でもきちんと聞いてあげ、おかしなところ
は直してあげましょう。
                                      
こういった問題がありました。
 ◆(かき・くり・ぶどう・なし・すいかの絵が描いてある)
   かき・くり・ぶどう・なし・すいかの中で、仲間ではないものに×をつ
   けなさい。   
 
皆さん方は、何に×をつけるでしょうか。 聞き手に徹してみると、子どもた
ちは、実に、ユニークな発想の持ち主であることがわかります。
 
「すいかに×です。すいかは野菜で、他は果物です」
常識的な模範回答です。
 
「すいかです。他のくだものは木になるけど、すいかは、地面になります」
すいか畑を見た経験があるのでしょう。
 
「すいかは、夏に食べますが、他は秋ですから、すいかに×です」
季節に違いを見つけましたが、季節感が希薄になっている中で偉いですね!
 
「すいかです。他は皮をむいて食べます」
またしても、すいかですが、食べ方の違いを見つけました。
 
「くりです。イガイガに入っていますから、手で触れません」
この子は、くり拾いに行ったことありますね、体験談です。
 
「くりです。そのままでは食べられません」              
いいですね、くりご飯が好きなのでしょう。もしかしたら、生のくりをかじっ
たことがあるもかもしれません。
 
「ぶどうです。他は1個、2個と数えるけど、ぶどうは、そういうふうに数え
ません」
これも、いいですね、一房などといえなくても正解です。ぶどうの実は、1個、
2個・1粒、2粒と数えますが、全体を捉えて数えるときは、バナナと同様1
房、2房です。いつか、有島武郎が自分の子どもたちのために書いた「一房の
葡萄」を読んでほしいものです。       
 
「くりです。種がありません」
ぶどうやすいかにも種のないものがありますが、これも正解ですね。
 
「かきとくりです」
「……?」
「『さるかに合戦』には、かきとくりが出てくるけど、むかし話に、他のもの
出てくるかな?」
さて、こうなるとわかりませんが、ぶどうとなしの出てくる話は、思い浮かび
ません。  
すいかはあります。老人が、意地悪をした商人から魔法を使い、すいかを取り
上げてしまう話で、今昔物語にも出ています。しかし、いいですね、発想がユ
ニークで。むかし話をたくさん読んでもらっているのではないでしょうか。
 
いかがでしょうか。子どもたちは、こんなにたくさんの違いを見つけました。
これはたいへんな学習になっています。子どもの観察力や発想は、大人と違う
ことがよくおわかりいただけたと思います。繰り返しますが、×をつけて終わ
りでは効果的な学習とはいえません。子どもの考えに耳を傾け、そして最後に、
「果物と野菜」「季節の違い」など設問の意図に従い、正解に導いてあげまし
ょう。
 
自転車とオートバイの違いを話す問題で、例によって、とことん、追求の目が
途絶えるまで、発表をさせたときのことです。
「仮面ライダーは、オートバイに乗るけど、自転車には乗らない」といったお
子さんがいました。その子は、「仮面ライダーは、オートバイに乗り、かっこ
よく出てくるけれど、自転車に乗って出てこない」といいたかったのです。そ
の日は、授業参観でしたから、お母さんは、赤面してうつむいてしまいました。
とかく私たち大人は、構造や原理の違いや用途などから考えますが、こういっ
た考えのできるのが子どもなのです。もちろん、エンジンと人力で走らせる違
いに導きますが、なぜ、そういった考えが出てくるのか、子どもに聞いてみる
と、実に傑作な答えが出るものです。その答えに妥当性があれば、そういう考
え方もあると認め、しかし、「この問題の本当の目的は」と順を追って話をす
れば、子どもたちは納得し、授業にのめり込んできます。
なぜでしょうか……。
それは、自分の考えを認めてもらえたからです。うつむいてしまったお母さん
と違い、お子さんは積極的に授業に参加し、楽しんでいました。
「お子さんの話に耳を傾けてください」とお願いしておきましょう。
 
このように、幼児の知識は、似ているところや違うところを見つけることから
始まります。物事の「類似差異」に気づかせることです。しかし、これを大人
が机の上だけで教えこむのは、お勧めできません。五感を働かせ、自分で学習
することが大切なのです。教え込まれることは、記憶に頼りますから忘れがち
です。五感で体験したことは、何かの思い出と一緒に身体が覚えますから、忘
れにくいのです。記憶は脳神経系の仕事で忘れることも仕事ですが、体験は中
枢神経系の仕事で、一度覚えると体が忘れないそうです。英単語は使わないと
忘れがちですが、一度自転車に乗れるようになると、しばらく乗らなくてもす
ぐに乗れるようになる、この違いだそうです。「幼児期には、五感に刺激を与
える自然と接する機会をたくさん作り、話をはずませ、楽しい思い出を残して
あげましょう」という理由は、ここにあるわけです。
 
[季節と行事に関する問題]
四季を代表する花や行事、春であれば、桜、たんぽぽ、チューリップ、おひな
さま、入学式、鯉のぼり、柏餅などを結びつけたり、年間の主な行事を1月か
ら12月まで絵カードで並べたりする問題です。暦の上では立春から春ですが、
幼児の世界では、春は3月、4月、5月、夏は6月、7月、8月、秋は9月、
10月、11月、冬は12月、1月、2月で教えてあげましょう。
 
変な話を聞きました。
「1月は正月・門松・たこ上げ・羽子板、二月は節分・豆まき・柊・いわしの
頭・鬼……」 
試験に出るから憶えるそうです。しかし、季節折々の行事は、知識として覚え
るものではなく、家族そろって楽しむものです。楽しんでいれば、覚えようと
しなくても、思い出と一緒に記憶されるものです。 記憶だけに頼ろうとする
と、「勉強、イコール記憶」となり、次第に苦痛になるのではないでしょうか。
学生時代に覚えた英単語、あんなに苦労したのに、どこへ消えてしまったのか
と、しゃくにさわりませんか。それでも、皆さんは目的を持って覚えたのです
から、苦痛にも耐えられたわけでしょう。
子どもたちには、「受験のため」といった自覚はないはずですから、やっかい
なのです。       
 
そうはいっても、現代っ子は、正月に、羽根つき、たこ上げ、カルタ取り、す
ごろくなどをやっているでしょうか。  
節分に豆まきをして、いわしを食べているでしょうか。 
女の子のいない家で、ぼんぼり、ひし餅、わかるでしょうか。
端午の節句に菖蒲湯に入る子も、少ないでしょう。
七夕は、幼稚園での年中行事で済ませていないでしょうか。
迎え火、送り火、精霊流し、やらないでしょうね。
中秋の名月を、すすきとだんごをお供えして、眺めているでしょうか。
大晦日に年越しそばを食べているでしょうか。
そばより、ラーメンやスパゲッティかもしれません。
「……でしょうか」ばかりで、何やら、落ち込みそうです。季節折々の行事を、
祝わない家庭が、増えているのでしょう。
 
このような年中行事は、自然への感謝と家族の幸せを願い、とりわけ、子ども
の健やかな成長を祝う、一つの節目になっています。
たとえば、端午の節句、この言葉も「子どもの日」といわなければ、通じない
でしょうが、なぜ、鯉のぼりを飾るのでしょう。疑問に思わないようです、現
代っ子は。 なぜ、くじらやさめのぼりでは、駄目なのでしょうか。くじらは
大きく、さめは見るからに強そうですが、代役を務めることはできません。鯉
は、非常に生命力が強い魚ですから、鯉のように強くて、たくましい子に育っ
てほしいという親の願いがこめられているのです。五月晴れの空に、雄大に泳
ぐ鯉のぼりの姿、あまり見かけなくなりました。
 
こういった行事は、いってみれば「家庭の文化」ではないでしょうか。家庭の
文化は、ご両親が作るものです。子どもは、ご両親の作った文化の中で育って
いきます。ご両親が、季節折々の行事の意味を子どもに教え、一緒に祝い、楽
しい思い出として心に残してあげる。そのお祝いが、思い出が、子どもの情操
を培っていくのではないでしょうか。団地のベランダに、小さな鯉のぼりが泳
いでいると、「頑張っているな!」と声をかけたくなります。
 
小学校の入学試験に出るからといって、問題集で教え込み、ましてや記憶させ
るなどは、本末転倒な話です。なぜ、こういった問題が出るのでしょうか。学
校側も、知識として知っているかではなく、家庭の文化を見ていると思います。
季節折々の行事を楽しんでいれば、問題集は、チェックシートの役割をはたし、
知識の整理になります。幼児の学習は、知識を詰め込むのではなく、たくさん
の経験を積ませ、そこから得た知識、知恵であることが大切です。
 
私事で何ですが、当教育研究所で配信していますメールマガジン「さわやかお
受験のススメ 保護者編 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」では、季
節折々の行事の由来を説明し、それに関係のある昔話を紹介していますので、
お読みになっていただければ幸いです。
「春一番」は、立春後に初めて吹く強い南風ですが、気象庁は2月12日、四
国地方に最速の春一番が吹いたと発表。英語では“The first spring storm”
というそうですが、一時、「センテンス スプリング」が吹き荒れましたが、
芸能界は相変わらずのようですね(笑)。メルマガが配信される頃には、吹い
ているかもしれません。
      (拙著メルマガ 「日本の年中行事と昔話」 16号より)
 
東京は65年ぶりに4日連続15℃超、福岡では111年ぶりに2月に初雪。南
極の氷も溶けたとか、自然界も落ち着きませんね。
 
   (次回は、常識の問題(2)についてお話しましょう)

 


さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>お受験、少し怖いですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2021さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第16号
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お受験、少し怖いですね
 
3年保育の幼稚園へ行かせるとなると、入園テストは、毎年、秋に行われてい
ますから、早生れの子は、2歳で受験です。
まさに受験戦争の低年齢化です。
たとえば、かつて皇室の方が通われていた学習院幼稚園ですが、定員、男女各
26名、計52名に対して約10倍の応募者があったそうですから、500名
前後の受験生が集まったことになります。
合格者は10人に1人、名門の幼稚園の倍率は、10倍前後と考えられますか
ら、大変な難関を突破しなければなりません。
 
受験を考えているお母さん方は、偏差値教育の洗礼を受けてきた、バリバリの
元受験戦士が多いと思われます。
すると、倍率から察して、「合格イコール、何でもできる、頭のいい子!」と
考えるのではないでしょうか。
大きな書店へ行くと、入園試験問題集が売られています。
「赤い花が、何本ありますか」
「赤い花と青い花ではどちらが多いですか」
などといった、いかにもテストらしい問題が掲載されています。
2、3歳の受験生ですから、試験の形式は、具体物や絵に描かれたものを使用
する口頭試問です。
こういった問題集を手に取ると、いきなり本番では、できるわけはないと考え
るのは当然でしょう。
 
さらに、幼稚園受験のための幼児教室もたくさんあります。
「○○幼稚園へ××名合格!」
などを見ればあおられます。
お母さん方の多くは、塾で鍛えられた経験の持ち主ですから、準備が必要だと
思わないわけがありません。
 
しかし、受験生は2歳、3歳の幼子です。
いろいろな能力の差など、はっきりと表れるものではないでしょう。
ですから、幼稚園で難しい試験をやるはずはありません。
なぜなら、子どもを見れば、どのような環境で育てられているかわかります。
子どもは、嘘をつきませんし、演技もできないはずです。
幼稚園側は、どういった子に育てられているかを知りたいわけです。
 
最近、電車に乗って感じるのは、しつけのできていない親子に会うことです。
お菓子を食べる子、走り回る子さえいます。
スマホを見ているお母さんは注意もしません。
お母さん方の名誉のために付け加えますが、本を読んであげたり、靴を脱がせ
て外を見させたり、混んでくるとお子さんをひざの上に乗せるお母さん方も、
たくさんいます。
普段のしつけ、生活習慣ではないでしょうか。
 
幼稚園の試験も、これだと思います。
字も読めない、書けない子どもの試験です。
試験は、遊びを通して行われています。
子どもの仕事は遊びですから、遊ばせてみれば、ほとんどのことはわかります。
例えば、遊びたいおもちゃが一つしかなければ、子どもは育てられている環境
で応えます。
お母さんのもとを離れて遊ぶ経験が少なければ、遊びに入っていけないでしょ
う。
答えは、すぐ出るのではないでしょうか。
テスト会場で、無心に遊ぶ子どもたちの一つ一つの動きから、表情から、無邪
気な反応から、笑顔から、ちょっと困ったなといった表情から、ご両親の育児
の姿勢が、はっきりと表れるものです。
過保護は過保護なりの、過干渉は過干渉なりの結果が、正直に顔を出します。
このことです……。
 
これは、受験準備のためだけに、無理やり培われたものではないはずです。
ご両親が手塩にかけて、大切に育ててきた根っこから芽生えた、小さな芽です。
そこを幼稚園は見たいのです。
無理に咲かされた花を見たいわけではないでしょう。
繰り返しますが、幼児期は花を咲かせるときではありません。
キチンとした花を咲かせるのに必要な、土台を作るときです。
促成栽培をすれば、たとえ花は咲いても、すぐに枯れてしまうでしょう。
自然に逆らっているからです。
 
そこを勘違いして、知識を詰め込む、いわゆる中高大の受験と同じような感覚
で準備をしたら、どうなるでしょうか。
子どもの体も頭も、まだ、そんな訓練に耐えるだけの発育をしていません。
 
入園テストの合否の比率は、親の面接8割、お子さんの成長度2割といわれて
います。
人間は、話をしてみるといろいろなことがわかります。
姿、形ではありません、人間性です。
学歴、職業、言葉遣い、服装などが合否のポイントなどといわれているのは、
単なるうわさに過ぎません。
ご両親の人間性です、育児の姿勢です。
今までの生きてきた姿が、取り組んできた育児の結果が全部、出ます、まだ中
間報告ですが。
絶対に、付け焼刃は効きません。
ご両親の育児の姿勢が、幼稚園の保育の方針と限りなく近く、共通認識があれ
ば、それが志望理由となり、幼稚園から歓迎されることになるのです。
直接、試験を受けるのは、お子さんですが、採点されるのは、ご両親です。
これが幼稚園の受験です。
 
そして、お子さんは、親のもとを離れて、生まれて初めて入った園舎で、初め
て会ったお友だちと一緒に、初めて会った先生のいうことを聞き取り、答え、
態度で表すといった入園テストを受けることになります。
自力で判断し行動しなければなりません。
こういった経験をたくさん積んでおかなければ、テキパキと対応できないでし
ょう。
ご両親には、志望される幼稚園の情報を的確に伝え、お子さんには楽しく受験
準備をさせてくれる、幼児教室選びのポイントは、ここにあるのです。
 
記憶だけに頼った知識の詰め込みなら、おもしろくありませんから、簡単に忘
れてしまうでしょう。
高校、大学と散々苦しい思いをして覚えさせられた英単語、役に立っています
か。
幼児には、五感を刺激する体験が必要です。
覚えた知識の量より、体験して身についた知恵の量です。
記憶したことは、忘れやすいものです。
しかし、楽しく体験したことは、体が覚えています。
自転車に乗れるようになると、しばらく乗らなくても、すぐに乗れるようにな
ります。
この違いです。
 
記憶は、大脳神経系の仕事です。
大脳神経は、覚えることも仕事ですが、忘れることも仕事です。
体験は、中枢神経系の仕事です。
中枢神経は、体が覚えたことを忘れません。
全身で学習しているからです。
 
幼稚園や小学校の受験、早期教育を含めて、ご両親が教育に対して信念といい
ますか、きちんとした考えをお持ちでしょうか。
言葉を代えましょう、将来、どういった道を歩んでほしいとお考えでしょうか。
そのスタートラインに立つのが、幼稚園の選択にあたるわけです。
「教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで
実がなる」、これは明治初期の頃、文部省から高等科(現在の5、6年生)の家
庭に配布された「家庭心得」だそうです。芽を出し始めた小さな芽に、何が必
要でしょうか。そこを考えてみましょう。
 
ご両親の育児の姿勢と、選ばれる幼稚園の保育の方針に、矛盾はありませんか。
希望される幼稚園への合否の鍵は、ここにあるのです。
通っていらっしゃる幼児教室で、こういった指導を受けていると思います。
次回から、幼稚園の保育方針について、説明会で伺ったことを中心に紹介して
いきたいと思います。
 
最後に、スマホについて気になることがあります。
ベビーカーで電車に乗っている若いママ、子どもが寝ているのならともかく、
目を開けてママを見ているにも関わらず、ベビーカーを無造作に前後に動かし、
スマホを見ているのは、どういった神経なのだろうと考えてしまいますね。幼
子からいろんなサインが出ているのに無関心。目を見てあげるだけでも、幼子
の心は落ち着くものです。人混みに出ると幼子の繊細な神経は、かなり不安に
なるものです。小学生のお母さん方にも、「子どもの見ている前でスマホを見
るべきではない」と注意しています。ママに無視されていることは、不安であ
るばかりか、非常に辛いものだと、本気で考えてほしいですね。
 
次回から、応募者の多い幼稚園の保育方針をお話しましょう。
    (有名幼稚園の保育の方針 1)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(1)雛祭りとお彼岸ですね 弥生

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第16号
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第5章(1) 雛祭りとお彼岸ですね  弥 生
                   
暦の上での春は、三月からです。
物の本によると、「春」の読み方は、万物が「発(は)る」(発する)からと
いう説が有力ですが、草木の芽が「張る」、天候の「晴る」、田畑を「墾(は)
る」などの説もあるそうです。
弥生(やよい)のいわれは、この頃になると、草木がいよいよ生い茂ることか
ら、「草木がいやおい茂る月」が詰まり、「弥生」になったといわれています。
 
 
★★五節句のおもしろい特徴★★
 
三月といえば、何といっても雛祭りです。雛祭りは、いうまでもなく女の子の
節句です。        
節句は一年間に五つあるので五節句と呼ばれ、正しくは「神と一緒にあること
を表す節供」だそうですが、ここでは使い慣れている節句としました。
 
五節句を決めたのは江戸幕府で、古来、宮中で行われてきた年中行事から五つ
選んだものです。
一月七日は人日(じんじつ)、陰暦の正月七日のことで、七草粥を食べる日か
ら「七草の節句」。
三月三日は上巳(じょうし)、お雛さまを飾る日から「桃の節句」。
五月五日は端午(たんご)、鯉のぼりや兜を飾り立身出世を願う尚武が転化し
て「菖蒲の節句」。
七月七日は七夕(しちせき)、夏の風物詩、七夕飾りをする「七夕の節句」、
「笹の節句」。
九月九日は重陽(ちょうよう)、陰暦九月九日の節句で、九は陰陽道では陽の
数とされ、これを二つ重ねた日にあたるので「重陽」といい、「菊の節句」と
もいわれています。
五節句は奇数日で、人日を除くと同じ数字が重なっていますが、これも何か意
味がありそうです。
 
 暦の中で奇数の重ねる日を取り出し、奇数(陽)が重なると陰になるとして、
それを避けるための避邪(ひじゃ)の行事が行われ、季節の旬の食物から生命
力をもらい、邪気を払うという目的から始まりました。 
(http://iroha-japan.net/「日本文化いろは事典」より)
        
七草粥には、ご馳走を食べ過ぎた胃を調整する薬草が入っています。      
桃の葉は、薬草です。                      
菖蒲の根を細かく刻んで造った酒は、邪気を払い万病に効くといわれています。
淡竹(はちく)、真竹(まだけ)は竹葉(ちくよう)という生薬で解熱、利尿作用
があります。
菊は、長生きの薬といわれています。
五節句に登場する植物は、すべて薬用で、当然のことですが、やはり意味あり
でした。      
 
「私達の先祖は、薬品を食品化することで、まず日常の食事療法をやり、さら
に労働スケジュールに合わせて、その時期にいちばん必要な薬物を年中行事化
することで、魔除けや信仰として摂取し、健康体を維持できるように、実に巧
妙といっていい、健康管理を行っていたのである。」
(「梅干と日本刀」 日本人の知恵と独創の歴史 樋口清之 著 祥伝社 刊 
P131)
 
五節句は農業スケジュールに合わせて作られ、その時の飲食物は全て薬品なの
です。昔は病気になってから治療するのは大変でしたから、病気を予防するた
めの知恵でもあったのです。当時の農作業、米作りは人海戦術で、病気をする
と労働力が減り、お百姓さんにとっては一大事でしたから納得できました。
ところで、「怠け者の節句働き」といい、怠け者をあざける言葉があります。
節句の日には仕事を休み、神さまにお願いをする慣わしがありましたが、普段、
怠けていると、この時も田畑で仕事をしなくてはならないことから生まれた言
葉です。農作業は、一日も手抜きができない厳しい作業環境でもあったわけで
す。
 
 
★★雛祭り★★
 
昔のお雛さまは、今のように立派な飾りものではありませんでした。子どもが
病気にかかると、新しい雛人形を川へ流して、病気が体の外へ逃げていくよう
に、悪いことが起きないようにと、お祈りをしました。流し雛です。
 
室町時代、紙で作った人形(ひとがた)で体をなでて穢れを移し、川や海に流
すことで無病息災を祈った「流し雛」という風習と、ひいな遊び(人形遊び)と
が結びつき、貴族の間で人形を飾り、祀(まつ)るようになったと考えられて
います。(http://iroha-japan.net/ 「日本文化いろは事典」より)
 
子どもの頃に見た覚えがあります。米俵の両端にあるわらで編んだ丸いふた
「さんだわら」(東京では「さんだらぼっち」)の上に、紙と土で作った雛人
形を、あられや菱餅、桃の花と一緒にのせて川へ流したもので、今のように部
屋に飾って祝うようになったのは、徳川家康の孫の東福門院が、子どものため
に作った座り雛が、その始まりといわれています。
                                    
 東福門院は、名を和子(まさこ)―彼女は徳川二代将軍秀忠の娘として生ま
れた。徳川幕府の婚姻による朝廷懐柔策のため、元和6年(1619)に、14
歳で後水尾天皇の中宮として入内し、3年後に皇女興子(おきこ)が生まれた。
(中略)寛永6年、幕府と朝廷が反目するなかで起こった紫衣事件および春日
局事件のため、後水尾天皇は、譲位を決意(中略)、6歳の興子内親王(明正
天皇)に譲位され(中略)、平安時代以来絶えてなかった女帝の出現である。
中宮和子は興子が健やかに育ち、美しい花嫁になって嫁ぐ日を夢見ていたのだ
が、天皇になってはもはや結婚できないであろうと、興子の幸せを夢に描いた
押絵の掛軸を作った。モデルは美女の代表・小野小町と美男として名高い在原
業平という夫婦の座り雛である。(中略)それが現在の雛のはじめといわれて
いる。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社刊 P72-73)
 
少し解説を加えますと、秀忠の妻、江(ごう)は、織田信長の妹、お市の方の三
女、長女、茶々は秀頼の母淀君、次女の初は京極高次の妻。
入内とは、中宮、皇后などが正式に内裏へ参内すること。
紫衣(しえ)事件とは、僧侶が勅許により着ることを許される紫衣を幕府が授受
を規制する制度を設け、後水尾天皇が許可した大徳寺の沢庵和尚などの紫衣の
着用を無効にした事件。
春日局事件とは、家光の乳母お福は、天皇や皇后に謁見できない身分にもかか
わらず、中宮和子に会うため強引に参内、中宮から「春日局」という局号を授か
った事件。
押絵とは、羽子板にみられるように、花鳥、人物などを厚紙でかたどり、きれ
いな布でくるみ、中に綿を詰めて高低をつけ、板などに貼り付けたもの、掛軸
の雛は、向かって左に業平、右に小町が描かれています。
  
雛人形の始まりが、美男、美女の代表であるとは、いかにもお雛さまらしいで
すね。雛人形が飾られるようになったのは、文化文政時代を経て天保(1830)
の頃からで、宮中から武家社会、裕福な商家や名主の家庭、そして町人社会へ
広まり、現在のような豪華な雛壇が作られるようになったのです。
 
平成21年のNHK大河ドラマは「天璋院篤姫」の原作者、宮尾登美子さんの
作品に、お雛さまの始まりとなった中宮和子を描いた「東福門院和子の涙」が
ありますが、紫衣事件や春日局事件の経緯、内裏と大奥の習慣の違い、京都と
江戸の文化の違いに苦労された和子の姿が、侍女の目を通して冷静に描かれて
います。
「天璋院篤姫」では、その苦労を皇女和宮が味わうことになり、従来、天璋院
は和宮の姑の立場から意地悪姑と捉えられがちでしたが、女性の眼から見た徳
川幕府の崩壊していく様子を描く優れた歴史小説で、二つの作品を読むと、朝
廷と幕府の関係、やがて迎える明治維新の火種が、徳川幕府初期の頃から、随
所にまかれていることもわかります。篤姫が慶喜を嫌った理由も納得でき、な
ぜか、この年から大河ドラマを見ることになってしまいました(笑)。
 
22年の「龍馬伝」は、「天璋院篤姫」の後半の世界と重なり、「篤姫」と同様、
最後まで見ましたが、関が原の一戦で敗れた島津、毛利の両家の祖先の怨念が、
勝者の徳川家を倒した戦いで、「国を変える」と叫び走り続けた竜馬が、歴史の
波に押し流され舞台から消えた後に明治維新がなり、再び天皇家が政治の表に
登場し、損をしたのは会津藩の松平家であったわけです。坂本竜馬と高杉晋作
は、幕末が生んだ異才児、壮絶な生き方がいいですね。
 
23年は、秀頼に嫁いだ千姫、三大将軍家光、次男の忠長、女帝興子の母であ
る和子の母君を主人公にした「江」でした。姉の茶々、淀君は豊臣家に、妹の
江は徳川家に嫁ぎ、姉妹の母親であるお市の方が前田家に殉じたように、淀君
は秀頼と共に世を去りますが、江は三度も結婚し、女帝の祖母にもなる波乱万
丈の生涯を送ります。天下布武を旗印に基礎を作ったのは信長、統一したのは
秀吉、磐石の体制を作り治めたのは家康ですが、織田家の血が脈々と流れてい
るのには驚かされますね。原作、脚本は「天璋院篤姫」を手がけた田淵久美子
さんで、史実と違った解釈が、なぜか新鮮な感じがして、これまた最後まで見
るぞと意気込んでいましたが、江も秀忠も立派過ぎて、途中でリタイアしまし
た。諸田玲子さんの「美女いくさ」(中央公論社 刊)と同様、江のキャラク
ターを変え、信長、秀吉、家康、秀忠の果たした歴史的役割も、簡潔に整理さ
れていましたが、永井路子さんの「乱紋」(文春文庫 刊)、澤田ふじ子さんの
「無明記」(「寂野」に収録 徳間文庫 刊)、テレビでも放映されましたが
大胆な発想に度肝を抜かれた隆慶一郎の「影武者徳川家康」(上中下 新潮文
庫 刊)などの作品に感化され、なじめなかったためでした。
 
余談になりますが、江の長女、秀頼の正室である千姫を主人公にした澤田さん
の「千姫絵姿」(新潮文庫 刊)は、女性でなくては書けない傑作で、「吉田
御殿の魔女」などおもしろ、おかしく伝わる話と違い、納得できる人物として
描かれた傑作です。その千姫の墓は、左甚五郎が魔除けのために置いた「忘れ
傘」でも知られる、知恩院にあります。
 
ここまで篤姫から始まった大河ドラマは、何らかの関係があったのですが、2
4年は趣向が変わり「平清盛」、久しぶりに骨太の歴史物語を楽しみましたが、
視聴率はあまり芳しくなかったようです。余談になりますが、宮尾登美子さん
の「平家物語」は、文庫本1冊あたり約550ページで4巻の大作、創作意欲
に圧倒されるばかりでした。
 
そのためかどうかわかりませんが、25年は「八重の桜」で、再び篤姫の時代
に戻り、会津藩が登場しました、松平容保です。澤田ふじ子さんの作品に、薩
摩藩と会津藩の怨恨、うらみつらみの凄まじさを書いた「葉菊の露」(上下 
中央文庫 刊)があり、どうしても悲劇的な物語になりがちですがさらりとか
わし、「幕末のジャンヌ・ダルク」の時期はテンポもよく面白かったのですが、
新島襄と出会い同志社大学設立の頃からまどろっこしくなり、美形の八重さん
では無理でしょうが「天下の悪妻」といわれたイメージもなく、「日本のナイ
チンゲール」まで印象付けることはできなかったようです。収穫は、八重さん
が日本で初めてプロテスタントの結婚式を挙げられたことでした(笑)。
 
26年は「軍師官兵衛」、信長、秀吉、家康の時代へ逆戻り。官兵衛がみた3
人の英雄を、それぞれの役者が見事に演じ見応えがありました。「織田がつき
 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」といった狂歌がありますが、
まさにその通りの展開でした。寺尾聰の扮した家康、父親の名優、宇野重吉に
似てきましたね。イスラム国のテロ事件、宗教が争いの元だけに悲惨ですが、
日本でこの種の争いが起きにくいのも、誤解を恐れずにいえば、3人の合作し
た天下餅によるところが多く、政教分離の発端となったのが信長の比叡山の焼
き討ち、後を継いだ秀吉が検地と刀狩で武士と農民を分け米による国家経済の
基礎を固め、家康が士農工商の階級を作り、禁中並公家諸法度などで天皇と公
家を政治から切り離し、武士が天下を支配する徳川幕府が誕生、まさに信長の
構想であった「天下布武」が実現したわけです。
 
27年は、再度「篤姫」の時代に戻り、徳川体制が崩れ大政奉還後の文明開化
に至る過程を描く「花燃ゆ」、吉田松陰は絵になりにくく、かったるい気持ち
で見ていましたが、「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは
心なりけり」と詠んだ高杉晋作に何とか、といっても姿を消した後はやはり面
白くなかったですね。真央ちゃんは頑張っていましたが、笑顔が素敵なだけに、
もう少し生かした演出ができなかったかなと、無責任な一視聴者のグチですが
(笑)。
 
28年は「真田丸」、真田一家、父昌幸と信幸、信繁(幸村)兄弟が結束した
戦いを通して、家康がいかにして天下を取るか、「官兵衛」と同様、家康の役
は難しくどう演じるか、期待しながら見ました。今まで見た秀頼は、過保護で
頼りない若者が定番でしたが、今回は家康が恐れた若武者になっており納得。
幸村は、安居神社の境内で討ち取られた説が有力のようですが、活躍した猿飛
佐助に、最後を委ねたのが印象に残りました。蛇足ですが、池波正太郎にも
「真田太平記12巻」(新潮文庫 刊)の大作があります。淀君、あまりにもス
マートな美形で、びっくり(笑)。
 
29年は「おんな城主 直虎」、子役が素晴らしく、実際に髪を切ってしまう
など、役者根性の据(す)わった「おとわ」役の新井美羽ちゃん、将来が楽し
みですね。今川義元、春風亭昇太師匠とはわかりませんでした(笑)。井伊家、
今川家、登場人物にあまり馴染みがないだけに、相関図を頼りに見ていました
が、後半は、よく知られている話となり、楽しめました。市川海老蔵の信長、
迫力があり、柴咲コウさん、美しい方でした(笑)。
 
30年は「西郷どん」、原作は林真理子さん。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で
イメージが出来上がっているので、どうなるかと思いましたが、西郷を取り巻
く女性軍が新鮮で楽しめました。いつも思うのですが、子役、上手いですね。
今回も感心しました。奄美出身の友人がいますが、方言、聞いていてもわかり
ませんね。日本語に日本語の字幕、傑作でした。
 
昨年は「いだてん」、アップテンポで展開も明治になるなど、複雑で、年寄り
にはついていけません。よく理解できないので、ギブアップしました(笑)。
それにしても綾瀬はるかさんの身体能力、抜群でびっくり!
 
今年は「麒麟がくる」。斉藤道三の娘、濃姫(帰蝶)は信長の正室ですが、資
料が少なく、どの本を読んでもよくわからない存在で、どう演出するか、期待
しています。池波正太郎の「忍びの風 3巻」(文春文庫刊)、明智光秀を殺
したのは何と女忍者胡蝶……、傑作です。池波フアンだからかも知れませんが
(笑)。
 
ところで、徳川家の家紋は、水戸黄門の印籠でおなじみの葵ですが、三代将軍
家光の乳母、春日局の生涯を描いた澤田さんの小説「江戸の鼓」の中で、その由
来が明かされています。
 
葵紋は京都、賀茂神社の神紋。同社は遷都以来、天皇に敬われ、伊勢大社をも
しのぐ大社になり、その神文は尊く、天皇家すらはばかりを持つようになった。
徳川家康がこの葵紋を家紋に決めるについては、かなりの政治性がうかがわれ
る。単に徳川家の遠祖松平氏が、賀茂神社の氏子で、賀茂信仰によるものだと
はとても考えられない。天皇家をもはばからせる政治的権威の必要からだろう。
  (江戸の鼓 春日局の生涯 澤田ふじ子 著 徳間書店 刊 P102)
 
「天皇家をもはばからせる(遠慮させる)」のが、家康の野望であることがわかり
ます。歴史に「イフ」はありませんが、もし、中宮和子に授かった高仁親王が
順調に育っていれば、公武合体は成立し、畏れ多くも天皇家に織田家と徳川家
の血が流れ、明治維新は違った形で回天したのではなかったでしょうか。
そして驚いたのは、現在の雙葉学園の前身である「雙葉会話女学校」は、学校が
創設された赤坂葵町の葵にヒントを得て校名とし、一本の茎の先に二枚のハー
ト型の葉をつける「ふたば葵」の図案を校紋としたことでした。キリシタンを
禁止し迫害した徳川家と同じ紋、そして学園は江戸城外堀に面した四谷門の跡
に、何とも不思議な気がしますね。
 
またしても余談になりますが、宮尾さんと澤田さんの著作には、いつも頭の下
がる思いで読んでいますが、十二代市川團十郎が亡くなった時、父である十一
代團十郎をえがいた「きのね」を再読しましたが、奥方の壮絶な生きざまを、
ここまで赤裸々に描いた宮尾さんの作家魂には、寒気を覚えるほどでした。作
家、檀一雄の娘である檀ふみさんの解説もすばらしく、一読をお勧めしたい一
冊です。なお、十二代市川團十郎が亡くなったのは、平成25年2月3日でし
た。
 
話を本題に戻して、雛壇には、お内裏さま、三人官女、五人囃子、左大臣、右
大臣、おかしな顔をしている三人仕丁(じちょう―雑役係)、菱餅、あられ、白
酒、桃と橘の花に、いろいろな生活用品が飾られています。女の子が、やさし
いよい子に育って、幸せになるようにとお願いする日ですから、飾りものも女
性ムードいっぱいで、夢があります。人形が主役ですが、下の方に飾ってある、
あのゴタゴタとした所帯道具も、いいではありませんか。タンス、鏡台、長持
ちから牛車、駕籠(かご)までそろえているのもあります。新婚さんの望まし
い嫁入り道具一式で、昔の女の子が描く幸せな青写真を、雛壇で表しているよ
うな気がして、ほほえましくなります。
左大臣、右大臣は、永田先生の説に従えば、左近衛大将、右近衛大将ですが、
童謡「たのしいひなまつり」に親しみがあるので、歌詞の表記に従いました。
 
 
★★男雛と女雛、右ですか、左ですか?★★   
 
女の子がいない家庭では見られませんが、デパートに行くと、豪勢なものが飾
ってありますから見てほしいのです。地方によって、男雛と女雛の位置が違い
ます。東京など関東地方では、男雛が右側(向かって左)に、女雛は左(向か
って右側)に飾りますが、京都や奈良の関西地方では、男雛が左で女雛は右と、
逆に飾ってあります。
関東方式は、昔中国では、「右がすぐれている」という考えがあったからです。
右には「貴い」、「尊敬すべき」、「大切な」など、左には「卑しい」、「低
い」、「正しくない」などの意味があり、「右腕」や「右に出る」、「左遷」
や「左前」は今でも使っています。ところが、唐の時代に左右が逆転し、左上
位になったのです。
 
日本の文化は唐の影響を受け、平安時代に確立した日本の制度は左優先となっ
た。左大臣は右大臣より上席であり、左近衛大将は右近衛大将より上級である。
(中略)左上位は唐から宋へ受け継がれたが、元の時代に逆転し、明清の時代
に再々逆転し、左上位の順位が引き継がれている。
  (年中行事を「科学」する  日本経済新聞社 刊 P75)
 
もっとわかりやすいものがあります、結婚式の披露宴を思い出してください。
新郎は向かって左側に、新婦は向かって右側に座っていますが、これにも確か
な意味があります。日本の結婚式は、昔から男子が家を守っていく、男子優先
で行われてきたからです。関西方式は、天皇家と関係があります。
 
天皇は、『天子南面』という言葉が示すように、紫宸殿の玉座に北を背にし、
常に南の方をむいて座られた。すると、天皇の左手が東、右手が西にあたる。
昔は日の出る東が月の沈む西より上と考えられていたから、内裏様を左に飾っ
た。したがって、大臣も左大臣が上席となっている。
 (日本の年中行事百科 2 春 民具で見る日本人の暮らしQ/A P25
  監修 石井 宏實 河出書房新社 刊)
 
面白い話があります。太平洋戦争終了後、日本を占領した国際連合軍の中で、
いちばん偉かったダグラス・マッカーサー元帥が、「男雛は向かって右、女雛
は向かって左にしなさい!」と命令したそうです。アメリカやヨーロッパでは、
レディー・ファーストの考えがあるからだと思っていたのですが、ことの起こ
りはヨーロッパで、騎士が戦うときには右手に剣を持ち、左手で婦人を抱える
ことから、左優先になったそうです。
 
ところで、今はどうかわかりませんが、歴史の教科書に、昭和天皇がマッカー
サー元帥を訪問した時に撮った写真がありました。その位置ですが、元帥は向
かって左にいて、「わしの方が偉いのだ」という印象を与えています。この写
真を見て、明治生まれの親父は、怒りをあらわにしたものですが、その理由は
8月にお話します。
元帥自身が認めたように極東国際軍事裁判(東京裁判)は、大きな汚点となり
ましたが、更に恐怖を覚えたのは、アメリカの上層部は、3発目の原爆投下の
目標は京都であったために、空襲を禁止し温存を図った話であり、奈良は軍事
目標がないために後回しになった話でした。
こうした経緯があり、古都の文化はかろうじて守られたわけですが、脈々と続
いてきた日本の歴史、文化を知り、私たちは誇りを持って子どもたちに伝える
べきではないでしょうか。
建国記念の日で紹介しましたが、西暦2020年2月11日年は、日本の皇紀、
紀元二千六百八十年になります。
 
最後に、「春一番」は立春後に初めて吹く強い南風ですが、気象庁は2月12
日、四国地方に最速の春一番が吹いたと発表。昨年は2月19日だったそうで
す。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説
したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般
でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
    (「昭和のこころ」 日本の年中行事 So-net ブログより)
 
ちなみに、関東地方で最も早かったのは昭和63年2月5日、最も晩かったの
は昭和47年3月20日だそうです。今年は寒暖の差が激しいだけに、予想が
困難だとか。春一番、英語では“The first spring storm”。そういえば一時、
「センテンス スプリング」が吹き荒れていましたね(笑)。メルマガが配信
される頃には、春一番、吹いているかもしれません。
 
   (次回は「ひな祭りの(2)と桃源郷」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★[4] 数量に関する問題(3)

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        「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ小学校受験編
            第32号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★ 
 
  [4] 数量に関する問題(3)
 
     
[相談会情報]
 城北・埼玉・茨木地域 私立小学校合同相談会
  日 時 2月23日(日)10:30~15:00
  場 所 聖学院小学校
 
 千葉県私立小学校フェア
  日 時 2月23日(日) 9:40~13:40
  場 所 昭和学院伊藤記念ホール
       参加校、各校のミニ講演会等のイベント、スクールバスの時刻
       等、詳しくはホームページをご覧になってからお出かけ下さい。
 
 
[量の問題]
辞書を引くと、「計って決められる、かさ、容積、軽重、大小、多少等」
(「岩波国語辞典」より)とありますが、これに、ひもや鉛筆、国旗を掲揚す
るポールなどの長短を加えれば、入試に対応できるでしょう。
 
また、実験です。
同じ形をした容量も同じコップを2個用意し、ジュースを片方に少し多めに入
れておき、「多い方、飲んでも、いいですよ」といったとき、サッと多い方に
手が出れば、量に関する理解力も順調に発育しています。数と同じように、直
感で見分けられることが大切です。「直感力は、経験を積み重ねて培われる力」
であることを忘れないでください。
 
こういった問題があります。
 
 (形も、大きさも、高さも、底面積も違うコップが3つ並んでいて、それぞ
れに、水が入っている絵がある)
  ◆水が、一番たくさん入っているコップに〇を、一番少ないコップに×を
つけなさい。
 
これは難しいですね。
ほとんどの子ども達が、たくさん入っているように見える底面積の狭い、細長
い背の高い形のコップに〇をつけ、少ししか入っていないように見える底面積
の広い、横幅の広いコップに×をつけがちです。かさのある方が、たくさん入
っているように見えるからですが、これも実験するしかありません。
 
上の条件に合った3つのコップと同じ形のコップ3個、お茶など色のついてい
る水を用意し、同じ形のコップ3つに同じ量だけ水を入れ、入っている水の量
は同じことを確かめさせてから、条件の違うコップに、それぞれ入れ替えてみ
ます。
底面積の広いコップと狭いコップとでは、明らかな差がでますが、入っている
水の量は全部、同じです。
 「不思議だな、お母さん。どうして、こうなるの?」
底面積が広いほどたくさん水が入る、容量も大きくなることを説明してあげま
しょう。
これは「量の保存」といって、見た目は変わっていても、元々の量は保存され
ているからですが、「数の保存」と同様、言葉を教えることはありません。
 
このような問題もあります。
 
  (3つのコップの中に、大きさの違う丸いガラス玉が、1つずつ入ってい
て、コップの水の量は、みんな一緒になっている絵が描いてある)
   ◆この中で一番たくさん水が入っているコップに〇、一番少ないコップ
に×をつけなさい。
 
これなどは、子どもは見ているはずです、おふろに入ったときです。
 「お父さんが入ると、どうして、お湯があふれるのかな?」
 「……かな?」というアンテナを張っている子は、すぐわかります。
 
量も直感で多少を判断し、難しい問題は、必ず、実験で確かめることです。
これが、小学校へ入ると、リットル、デシリットルと正確に量を計る勉強に進
んでいくわけです。
ボールなどの大小、ひもなどの長短、旗を立てたポールの高低も同じです。や
はり、見た感じ、直感力で判断できることが大切です。
その違いを見極める力が、センチメートル、メートル、キロメートルと、正確
に長さを計る勉強に、軽重は、グラム、キログラムと量を正確に計る勉強につ
ながっていくわけです。
 
 
[重さ比べ]
しかし、軽重、重さ比べは、直感で判断するのは難しいでしょう。
しかも、問題集だけで教えると、幼い推理力では、混乱しがちですから無理は
禁物です。
 
こういった問題です。
 
  (パンダとくまとうさぎが、シーソーにのっている絵があり、パンダとく
まではパンダの方が下がり、くまとうさぎではくまの方が下がっている) 
   ◆一番重い動物に〇、一番軽い動物に△をつけなさい。
 
重さ比べの定番的な問題です。
 「パンダとくまではパンダが重く、くまとうさぎでは、くまの方が重い。故
に、パンダが一番重くて、うさぎが一番軽い」と説明しても無理でしょうね。
 
まず、3つの重さの違うものを手に持って、重さの順番に並べてみます。
できれば、天びんばかりを作り、手で持って判断したものと、合っているかど
うかを確かめるとわかりやすいはずです。
  AとBを比べるとAが重い。 A>B
  BとCを比べるとBの方が重い。 B>C
  ここでAが一番重くて、Cが一番軽いことがわかります。 A>B>C
しかし、BとCを比べてCの方が重かったら、AとCを比べて決着をつけます
から、これが面倒です。
さらに、比べる物が4つ、5つと増えてくると、難しくなります。
1つ1つ、順番に比べて、納得できるまで、根気よくやることです。
 
その納得させる方法ですが、軽重を勝ち負けに置き換えると、子どもは興味を
示します。
パンダとくまではパンダが重いからパンダの勝ちで○、くまは●。
くまとうさぎでは、くまの方が重いからくまの勝ちで○、うさぎは●。 
最後に、パンダとうさぎは、パンダの勝ちで○、うさぎは●。
結果は、パンダは○○で2勝、くまは○●で1勝1敗、うさぎは●●で2敗。
好奇心を刺激してあげる、遊びの中での学習ですね。
 
おもしろい子がいました。
パンダ、コアラ、リスの3匹が重さ比べをする問題です。
 「パンダが2回下がって、リスが2回上がっているから、パンダが一番重く
て、リスが一番軽いのです」 
お母さんに教わったそうです。理屈はそうですが、こういう教え方は、どうで
しょうか。シーソーの上がり下がりだけ見て判断するのは、直感力ではなく、
受験用のテクニックですね。
 
 「そうか、こうだな! こういうこともいえるぞ!」
1つ1つ比べ、試行錯誤を積み重ねて、自分で見つけたのであれば問題ありま
せん。考える力もつき、考える楽しさも学習しているからです。出発点で楽を
すると、応用力は身につきませんし、小さいときから、簡単に答えだけを見つ
ける訓練は、やるべきではありません。
 
簡単な問題から難しい問題へ、ステップをきちんと踏んでいくことが大切です。
そして、正解であれば○を付け、それで終わらせずに、比較する段階を言葉で
いえるようにしておきましょう。言葉で表現できる、これは、とても大切なこ
とです。きちんと理解できていれば、説明も適切なはずですから、発表力も身
についてきますし、それが個別テストや行動観察のテストに対応できる力を身
につけることにもなっているからです。
 
 
[空間の問題]
図形は、[6]の構成力で触れることにして、最後に、空間について説明しま
しょう。
これも難しいです。
 
上下、左右、前後の関係です。 
前後は、幼稚園でも整列することで学んでいますから、わからない子は、あま
りいないようです。  
こんな問題があります。
  (各階に5つずつ部屋がある5階建てのマンションが描かれている)
◆キリンさんは、三階の左から三番目のお部屋です。キリンさんのお部
屋に○をかきましょう。
 
子ども達には、上下は何とかなるのですが、左右が難しいですね。
年長になっても、左右の区別のおぼつかない子が、かなりいます。
左の薬指にピンクのリボンつけていた女の子がいました。
 「先生、こっちが左ですよね!」
かわいいではありませんか。お母さんの工夫した、やさしい気遣いが伝わって
きます。
 
左右の確認がきちんとできてから、問題集に取り組みましょう。
基本的な準備をせずに、プリントだけで「左から……、上から……」とやると
混乱しがちなのです。
 
  □□□□□   こういった図を描いて、一番下、下から2番目(上から
  □□■□□   2番目)、一番上、左から(右から)何番目、左端、
  □□□□□   右端を確かめましょう。
 
少し難しいかもしれませんが、下の図のように、■を中心に左右、上下、左斜
め上、左斜め下、右斜め上、右斜め下を確認しておきましょう。  
 
   □□□
   □■□
   □□□
 
幼児の学習は、生活と結びついていると、スムーズに対応できるものです。
生活に必要なものであれば、喜んで挑戦するはずです。お手伝いをさせながら、
学習できることがあります。
たとえば、お子さん用の整理ダンスを利用して、たたんだ洗濯物を入れさせま
しょう。
「ハンカチは、一番上の左から二番目に、シャツは、上から三番目の右端にし
まってください」
女の子であれば、お母さんの手伝いをしながら整理の仕方を学ぶこともできま
す。
 
まだあります。毎日、幼稚園へ行くときに握手をしましょう。
 「右手で握手!」といって、さっと右手を出してみましょう。
お子さんも右手でなくては握手できません。
間違えたときに、こっちが右手であると学習できます。
今日は右手なら、明日は左手と続ければ、いつのまにか習慣になります。
 「サユウベンベツ(左右弁別)?」
大人でも首を傾げるような言葉を使っていると、混乱するだけでしょう。
 
幼児の学習は、生活の中で、楽しみながら身につけていくことが大切です。
 
寒い日が続いていますが、お子さんは元気に幼稚園、保育園へ通っていますか。
今年初の真冬日、東京では初氷を観測、最も遅い記録だそうです。近くの雑木
林にも霜柱が乱立、これも今年初めてでした。新型コロナウイルスも怖いです
が、またぞろインフルエンザが流行りだしているようです。手洗いとうがいを
しっかりとやり、栄養をたっぷりと取り、睡眠時間にも気をつけてください。
   
(次回は「常識の問題」についてお話しましょう)
 

 


さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>独り立ちの準備ですよ(7)- 四季を楽しんでほしい(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2021さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第15号
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独り立ちの準備ですよ(7)- 四季を楽しんでほしい(2)
 
 
南禅寺の掲示板の説教詩に、こういったものがあったそうです。
「そうです」と他人事のようで申し訳ないのですが、評論家、佐高信氏の作品
の中に紹介されていたからです。
    花は黙って咲き
    黙って散っていく
    そうして再び枝に帰らない
    けれどもその一時一処に
    この世のすべてを托していく
    一輪の花の声であり
    一枝の枝の真である
    永遠にほろびぬ命のよろこびが
    悔いなくそこに輝いている
   (講談社文庫「官僚たちの志と死」〈P148-149〉佐高信著 講談社刊)
 
食卓にのった1匹の魚もそうです。
人間に食べられるために生きているわけではないでしょうに、何もいわずに、
黙って食べられています。
人間は、魚の世界では殺魚犯ですよ。
しかし、敵討にきません。
万物の霊長などと、何とも傲慢な考えでしょう。
感謝する気持ちを持たないと、罰が当たります。
私たちの生命、他の生き物の献身的な支えによって、何とか守られているので
す。
謙虚にならないといけないのではないでしょうか。
生命、無駄にできません。
 
「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通して、宗教の世界をやさ
しく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっています。
 
  私たちは、いわしやさんまを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と
  残酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこ
  かに残っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった
  感覚はほとんどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったく
  ありません。食生活がバーチャル・リアリティ化している。その結果、私
  たちはまだしも、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費
  して生きている自分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなって
  います。      (「他 力」五木寛之 著 講談社 刊 P144)
 
厳しさもあります。
鮭の回遊です、海亀の産卵です。
きちんと季節を守って、遥か彼方の太平洋の海の底から、やってきます。
横着な鮭や海亀は、いるのでしょうか。
みんな必死です、生命をかけています。
子孫を残すためと考えているかどうかはわかりませんが、頭が下がります。
卵を産むときの鮭の顔、見たことありますか。
すごいです、恐いです。
海亀のお母さん、泪を流しながら卵を産んでいます。
種族保存の本能、と軽薄に片付けるわけにはいかないでしょう。
感動します、感激します。
人間も、きっちり生き抜かなければいけません。
 
ちょっと、顔が赤くなりますが、もう少しです、我慢してください。
季節は、いってみれば自然界の生命の変遷、そのものです。
生者必滅を、きっぱり、静かに、はっきりとみせています。
学ぶべきことが、たくさんあります。
幼児期には、難しい理屈はいりません。
五感で感じる感性を大切にしてほしいと思います。
季節折々の変化を、きちんと目に収め、音色やさざめく音を耳で聞き取り、生
命の息吹や香りを鼻でかぎとり、旬のものを口で味わい、感触を手で確かめ、
肌で、体で、心で感じ取ってほしいのです。
 
幼児期は、花を咲かせるときではありません。
大きくはばたくために、しっかりとした根を張るときです。
その根っこに、成長に必要なエキスを、たっぷり注ぐときです。
そのエキスは、知識を詰め込むことではありません。
好奇心や、疑問の目を育てることです。
「何だろう、これ?」
ここから、知ろうという気持ちがわきます。
意欲です。
やる気です。
幼児期は、これらを育てる時です。
 
ですから、机の上で、記憶に頼って、頭にだけ知識を叩き込むときではありま
せん。
人より一歩先んじて、知識を身につける、たとえ、加減乗除ができても、漢字
の読み書きができても、それを日常生活で使えなければ、どれだけの意味があ
るのでしょうか。
目先の成果だけを追い求める時ではありません。
 
四季と、もっと仲良くしてほしいと思います。
四季ほど、よくできている教材はありません。
四季ほど、素晴らしい先生もいません。
しかし、四季は、お世辞をいいません。
人間におもねることもありません。
ですから、己れ自らが扉を叩かないことには、応えてくれません。
何やら、難しくなってきました。
「ルカによる福音書」に書かれていることですが、様になりませんからやめま
す。
 
四季やありがたし。
この言葉の方が自然です。
この気持ちを大切にしてほしい、私は心から、そう思います。
四季との交際マニュアルをご自身で作ってください。
そして、楽しい思い出を、たくさん残してあげましょう。
子どもは、当たり前のことですが、親を選べません。
お母さんは、子どもにとって、この世に生命を授けられて、ご対面した、その
時から、たった一人の「お母さん」です。
お父さんも同じですが……。
 
「ママに、育てられてよかった!」
こういわれるお母さんになってください。
お母さんなら、なれます。
何にもできなかった赤ちゃんを、ここまで育ててきたのは、お母さんではあり
ませんか。
自信をもってください。
よいお手本を見せてあげればいいのです、よいお手本を。
難しく考える必要はありません。
育児をしながら、育自をすることです。
自分を磨くことです、心を、です。
子どもを育てるのではなく、子どもに育てられると考えましょう。
そうすれば、お子さんも、お母さんの期待に応えてくれます。
お父さんも同じです。
男は黙ってとはいいませんが、よいお手本を見せましょう。
不言実行です。
それが育児の基本ではありませんか、私は、そう思います。
 
幼児期は、お父さんやお母さんの人生にとっては、まさに、ゴールデン・アワ
ーです。これほどまでに二人が力を合わせて何かをする時は、もうないかもし
れません。
ですから、お受験にしても早期教育にしても、二人で力を合わせて本気で取り
組んでほしいのです。
特に、お父さんの協力がないと、お母さんは、曲がりがちです。
それで、だれが被害者になるのでしょうか。
お子さん自身です。 
子どもは、幼児期に体験したことを、そのまま背負って生きていくことを、肝
に銘じておきましょう。
「三つ子の魂、百まで」は、けだし名言ではないでしょうか。
 
注 ルカによる福音書〔第11章 1-13節〕
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開
かれん」
 
今年初めての真冬日、東京では初氷を観測、最も遅いそうです。朝夕に散歩す
る雑木林に今年初めての霜柱が乱立、冬を実感しました。
インフルエンザ、新型コロナウイルスと怖いものだらけですが、うがいと手洗
いを習慣づけ、十分な栄養と睡眠にも気を配り、何とか乗り切りましょう。
 
(次回は、「お受験、少し恐いですね」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 二月に読んであげたい本(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第15号
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第4章 二月に読んであげたい本(2)
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
 娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、
若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さ
んが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡
くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
 ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者
が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いて
も若者は答えず、退屈だろうから、13ある部屋で遊びなさいという。ただし
「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
 娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人
さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみる
と、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が
咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、1月
から12月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入る
と、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、びっ
くりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部屋
に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る目
を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、いっ
たかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘は、
がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。        
  日本むかしばなし 7 
   おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社刊
 
この13番目というのがすごいと思いませんか。この作者は、13日の金曜日
が、何の日か知らなかったでしょうね。キリストが、13番目の弟子であった
ユダに裏切られ、磔の刑を受けたのが金曜日。アダムとイブが楽園から追放さ
れたのも金曜日。ノアが方舟に乗ることになった大洪水も、降りはじめたのが
金曜日。絞首刑の階段が13段ということも……、これも不思議です。
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
 変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来
ても平気だと、「鬼は内!福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつ
けられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきた
ではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まりま
す。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半博打
(ばくち)が大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は
化けます。それで、博打をするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て
大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、
豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をしま
す。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、
酒を飲みすぎて死んでしまいました。
 博打好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は
娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、
湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔
大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをして
もらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
    おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社刊
 
どうしたら、こういう発想が生まれるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登ると
きは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当
に笑わされます。しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいま
すから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」
では、何やら不気味な感じがしますね。
 
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打をする話です。
 
◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
 ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入っ
てしまいました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋
ねたところ、「あっちの方に転がって行ったぞ」というその口元には、黄粉が
ついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さ
まが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。鬼達
が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上る
はしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、
届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻
込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図
をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
 やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵
さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏
が鳴いたと勘違いして、「夜明けが近いぞ!」とあせってばくちをし、2回目
には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、
お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお
金をいただいて大金持ちになったのです。    
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、
お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番
鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図
に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、「はぁ、一番鳥!」、「はぁ、二
番鳥!」といってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」と、
鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。        
  日本の昔話 2
   したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかし
いのです。欲深じいさんが天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふ
てぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているよう
な気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの
間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。
粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるでは
ありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。し
かもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。
まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐かった鬼ですから勇気がいります。
 
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
 ある秋のことです。
 おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。
そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のも
のをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。
計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしが
もらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が
葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。
 五月のはなし
 ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会編 国土社刊 
 
大らかな話ではありませんか。鬼を手玉に取り、恐い鬼もかたなしです。鬼は
悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の
「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、
手に取るようにわかりますね。
 
鬼が主人公の話ではありませんが、芥川龍之介の「杜子春」に出てくる地獄の
話も忘れられません。仙人になる修行中に、口をきいてはならぬと約束した杜
子春が、閻魔大王の前でも話さないものですから、怒った大王は杜子春の両親
を連れ出し、鬼どもに散々、むちで打たせるのですが、口をきこうとしません。
畜生道に落ちて馬になっているお母さんが、あえぎながらも、「心配をおしで
ないよ。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるなら、それより結構な
ことはないのだからね。大王が、何といってもいいたくないことは黙っておい
で」、こういうのでした。この場面にくると、決まったように涙が出たことを
覚えています。子を思うお母さんは、こんなにもやさしいものなのだなと……。
 
幼い子をいじめたり、折かんをしたり、果ては「しつけ」と称して、殺してし
まう親のいる時代。地獄に落ちて、同じ責め苦を受けなければ、殺された子は
浮かばれない。子どもに罪はない。母親は、育児をしながら自分自身を育てる
もの、父親も同じですが。わが子のあどけない寝顔を、かわいいと思ったこと
はないのだろうか。何ら疑うことなく、安心して眠っている子を手にかけるの
は、人として許されない大罪です。「子は、かすがい」ということわざ、死ん
でいます。もっとも「鎹(かすがい)」も意味不明の言葉となっているでしょ
うね。鎹は、二つの材木をつなぎ止めるために打ち込む「コの字型のくぎ」で、
そこから「子は夫婦のあいだをつなぎ止める働きをする」という意味です。
「豆腐にかすがい」(まったく効果のない、手ごたえのなきことのたとえ)と
ならないように、親子の絆は、しっかりと結びたいものです。
 
ここでは取り上げませんでしたが、鬼を人間らしく扱った浜田廣介の「泣いた
赤鬼」は、童話とはいえ日本以外に、こういった作品はあるのだろうか。最後
の青鬼くんの置手紙には、不覚にも涙がこぼれてきます。お子さんはどのよう
な反応を示すでしょうか。
 
  赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、
  このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
  それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さよう
  なら、体を大事にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
       (「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館刊)
 
百田尚樹氏の「影法師」を読んだ後、頭に浮かんだのは「泣いた赤鬼」の青鬼
くんでした。
自己中が多い現代気質では、友達のために自分を犠牲にする気持ちは古臭いと、
馬鹿にされるかもしれませんが、読むたびに、わかっていても目頭が熱くなる
童話の一つです。
この他に、「ある島のきつね」「よぶこどり」「むくどりの夢」「りゅうの目
の涙」などは、学生時代に出会った童話ですが、年を取って読み返しても新鮮
な刺激を与えてくれることに驚かされます。こういう時ですね、活字中毒に育
ててくれた親父やおふくろを思い出すのは。(感謝)
 
ところで、百田氏の作品には、最後の1ページの1行で全てがわかるしゃれた
構成が面白い短編集「幸福な生活」、ファイティング原田を主人公にした「『黄
金のバンタム』を破った男」、ボクシングの青春物語「ボックス」、自費出版
の裏側を暴露した「夢を売る男」、身長以外は何でも整形できる世界を描いた
「モンスター」(仰天!)、この作品と対になっている多重人格者を扱った
「プリズム」、悪名高いオオスズメバチの生態を描いた「あらしの中のマリア」、
映画化されテレビでも放映された「永遠のゼロ」、出光興産の創業者をモデル
にした「海賊とよばれた男(上下)」、激動の昭和時代を生きた作田又三を主
人公にした「錨を上げて(上下)」など、氏の肩のこらない話の展開は、若い
皆さん方にはわからないかと思いますが、私が学生の頃、面白がって読んでい
た「宮本武蔵」や「真田十勇士」(猿飛佐助など幸村に従った十人の勇士、佐
助は大河ドラマ「真田丸」で活躍)の講談本と同じで、まっすぐ一本道で気軽
に読み切れ、理屈っぽくない、一服の清涼剤的な読後感が好きでしたが、「殉
愛」でこけました。なぜ、氏が執筆されたのか、芸能界音痴で、この世界のこ
とはわかりませんが、しかし……、「カエルの楽園」「今こそ、韓国に謝ろう」
で、また考えが変わり、「日本国紀」で愛読者に復帰しました(笑)。
 
今年初めての真冬日、東京で初氷。最も遅い記録だそうです。近くの雑木林に
も霜柱が乱立、今年初めてでした。しかし、寒いですね、それが当然なんです
が。
インフルエンザが流行りだしているようです。新型コロナウイルス、何とか穏
便に収まってほしいですね。うがいと手洗いを励行し、十分な栄養と睡眠にも
気を配り、乗り切りましょう。
 
(次回は、「第五章 ひな祭りでしょう 弥生」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>★★入試問題を分析する★★[4] 数量に関する問題(2)

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        「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ小学校受験編
            第31号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★入試問題を分析する★★
 [4] 数量に関する問題(2)  
 
[相談会速報]
中央線沿線 私立小学校合同相談会
  日時 2月16日(日) 午前10:00~15:00
  会場 聖徳学園小学校(JR中央線武蔵境駅下車 徒歩5分)
      参加校、イベントの内容、アクセスの方法など、詳しくはホーム
ページをご覧ください。
 
「第35回 東京都私立小学校作品展 ほら、できたよ」、今年は参加できませ
んでした。昨年痛めた腰痛のリハリビ中で遠出ができないのと、新型コロナウ
イルスに感染するかもしれないからです。なにしろ、会場は銀座のど真ん中で
すから。もう10数回参加していますが、毎年、子どもの感性には脱帽します
ね。(残念)
 
ところで、2月14日はバレンタインデー。3世紀頃のローマでは、戦士の戦
意に影響があると考えられ若者の結婚を禁止。それを哀れと思ったバレンタイ
ンは、密かに結婚をさせていたのが発覚し、処刑された日が2月14日。その
殉教の日がバレンタインデー。チョコレートを送る習慣の発祥地はイギリス。
日本では、1936年に神戸のモロゾフ洋菓子店が、1958年に新宿の伊勢
丹が「バレンタイン・セールス」のキャンペーンを行ったが、結果は今一。広
まったのは1970年頃からだそうです。(「言語由来辞典」より要約)
1970年、私は30歳ですから、チョコレートをやり取りする習慣はなかっ
たわけで、思い起こすと、家内からではなく、長女から貰ったのが初体験でし
た(笑)。
 
[掛け算]
次は掛け算です。
「5人の子どもにリンゴを2つずつあげるには、いくつあればいいですか」
 
スケッチブックに○を5個書き、その下に○を2個ずつ書きます。
 
 子どもの数    ○   ○   ○   ○   ○ 
 与えるリンゴの数 ○○  ○○  ○○  ○○  ○○  合計10個
 
幼児は、[2×5=10]で解くのではなく、○を2個ずつ書き終えたところで
○を数えて、リンゴ10個と答えがでます。
3個の場合は○を3個ずつ、4個の場合は4個ずつ書くわけです。
これが幼児の掛け算の解き方です。
 
[割り算]
次に2枚の皿を用意します。                    
「それじゃ、お母さんと同じ数に分けるには、どうしたら、いいの?」
18個のクッキーを、お母さんの皿、自分の皿と、1つずつ分ければ答えがで
ます。
「お母さん、9個ずつです」
「ピン、ポン! すごい! それじゃ、お父さんと3人で分けたら、いくつず
つになりますか」        
もう1枚皿が必要になりますが、分け方は同じで、3枚の皿に1個ずつ分けま
す。
「お母さん、6個ずつですね」
こうなります。
これをスケッチブックに書いて解いてみましょう。
 
 クッキーの数 ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ 
          ○   ○   ○  ○  ○  ○  ○  ○  ○ 
合計9個
 
分ける時に 2人では2個、3人では3個、4人では4個ずつ減っていくこと
に気づかせます。
すると、2人で分ける時は2個ずつ、3人で分ける時は3個ずつ、4人で分け
る時は4個ずつ指で押さえ、1人分だけ○を書いていけば、答えの出ることが
わかります。
 
「12個あるクッキーを3人で分けると、1人いくつずつになりますか」
といった問題のときに、3個ずつ指で押さえながら、1人分だけ〇を書いてい
けば答えが出ます。
 
○○○ ○○○ ○○○ ○○○
      ○   ○   ○   ○
 
〇を4つ書いたところでクッキーはなくなるので、答えは4個であることがわ
かります。
幼児の割り算は、[12÷3=4] と答えが出るのではありません。
書いた○を数え、そこで「4個」と答えがわかるのです。
これが幼児の割り算の解き方です。
 
このように数の問題は、数字や記号を使い、加減乗除の四則算で解くわけでは
ありません。
直感で数の多少を見極め、次に一つ一つを対応させ正確な違いを理解し、そし
て掛け算、割り算の基本的な解き方を学ぶ、これが幼児の数の学習です。
       
さらに、10は1と9、2と8、1と2と7といった数の合成、分解がありま
すが、難易度の高い問題になると、20までの合成分解が理解できていないと
解けないものもあります。
10は1と9、2と8と、単に記憶させようとするより、おはじきなどを10
個用意し、実際に分けさせてみると、その仕組みがわかるものです。
まだ、この時期では早いですが、やがてそういったことも学ぶことを覚えてお
いてください。
 
おはじきなどの具体物を使うと、難しいことも簡単に理解できます。
かつて、ある学校で「12個のミカンを何人で分けることができますか」とい
った問題がありました。
子ども達に挑戦させると、「2人、3人、4人、6人」と答え、12人で分けら
れると答える子は、ほとんどいませんでしたが、おはじきを12個と皿を12
枚用意しておくと、1個ずつ分けることも理解できたものです。
この問題は、12の約数を見つけるのと同じですから、園児が、とんでもない
難しいことを、平然とやっているのには驚かされますね。もっとも子ども達は、
約数の何だかを理解しているわけではなく、出題の意図もそこにあるわけでは
ありません。面白がって、こじつけているだけですが(笑)。
 
また、数字は抽象的なものです。
[5]と数字だけでは、幼児には何のことだかわかりません。 「リンゴが5」
となって、初めて、[5]という意味がわかるのです。その心は、リンゴが5個、
頭に描かれるからです。前にもお話しましたが、抽象化した○をリンゴに置き
換えると、物と数が一致し、具体的になるわけです。 
 
小学校の算数は、○を数字で表すことから始まり、数字を使った計算は、「合わ
せて」「多少」「全部で」「分ける」といった言葉の代わりに[+-×÷]の記号
を使い加減乗除を習うわけです。
ですから、幼児には、数字や記号を使った計算は必要ありません。
大切なのは、数の概念、意味であり、計算の仕組みがわかることです。
数と接する機会は、日常生活の中にたくさんありますから上手に使いましょう。
少し注意をすれば、教材は周りにいくらでもあります。 
 
最後に、幼児特有の考え方を紹介しておきましょう。
幼児にメロン5個とイチゴ5個を比べさせると、メロンの方が多いと答えたり、
ばらばらに置かれたリンゴ5個と一ヶ所にまとめて置いたリンゴ5個では、ば
らばらに置かれたリンゴの方が多いと答えることがあります。
前者はメロンの大きさにこだわり、後者は広がって置かれたことに目を奪われ
たからですが、「ものは同じ数であれば、大きさが違っていても、一ヶ所にまと
めて置かれていても、どのような位置や方向にばらばらに置かれていても、数
は変わらない」ことを教えてあげましょう。
これを「数の保存」といいますが、言葉はご両親が知っていればよいことで、
お子さんに教える必要はありません。
 
今年の立春は、3月上旬並の暖かさでした。しかし、金曜日頃から、寒さも厳
しくなるとか。新型コロナウイルスが騒がれていますが、インフルエンザも流
行っているようです。うがいと手洗い、頑張りましょう。
  (次回は、「数量の問題(3)」についてお話しましょう)

 


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