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めぇでるコラム : 2022保護者

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
 
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子どもたちは、親のもとを離れて初
めて生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけ
です。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子どもたちも、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しい
ことばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ
行こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるから
です。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精一杯、努力をします。見ていると涙
ぐましいほどです。
 
しかし、変なお母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸かし器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・
溺愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(空気読めない自己中)ママです。
「悪いのは友だち、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、お母さんと子どもに原因があるのですが、恥ず
かしげもなく、こういう行動を起こすお母さんですから、お母さんも子どもも、
そのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、
お母さんから逃れられませんから。
 
幼稚園は、お父さん、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあるこ
とを実地体験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる
力をつける所ですから、お父さん、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、
客観的にわが子を見る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
 
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでは過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にして
あるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目
の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらねば
なりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているので、たくまし
くなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女の子、
二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にもこうい
った意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組む子をよく見まし
たが、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。
一般に、女の子は成長が早いので、あまり手がかからないものですが、男の子
は少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう
注意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。
もっともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子
育てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばし
ていく保育」に変わっています。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことをするのはやめて、自発的に活動できるように
導く保育です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく
「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律
できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子どもたちもクタクタに疲れて帰って来るでしょ
う。しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送
迎を義務付けられている幼稚園の場合は、お母さん方も体調を崩さないように
気をつけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
たちが新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからない
お母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子どもた
ちは、電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学することもあるはず
ですから、慣れるまで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車
に乗り込む子どもたちを見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
 
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか。あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
 
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」とも
言われますが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
 
そのようなことがあっても、翌日、子どもたちが元気に学校へ行くのは、家に
帰ればやさしいお母さんやお父さん方がいるからではありませんか。家庭でリ
フレッシュできるからこそ、明日に希望をもてるのです。
 
低学年時代は、お母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作って
あげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子どもた
ちにはないからです。
 
そして、小学校低学年時代、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に生
きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要な
体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思います。
「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入れ替
えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、い
つか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心
身ともに強くて、心のやさしい子」、最近は暁星小学校が、たくましい子ども
とは「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていますが、そのためには、「心
身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。
「親の背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
小学校の低学年までに、生きる姿勢の基本的な枠組み、形が出来上がるのでは
ないかと考えています。そのお手本が、ご両親であることを肝に銘じておきま
しょう。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることも
ありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん
実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分が
いやだったことは、子どもだっていやなはずです。
 
論語にも「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」という言葉があります。
反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタイによる福音)です
ね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもいいのですが、こういっ
たことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
 
   (次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第六章(2)桜について

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第21号-
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第六章(2)桜について
 
 
今年もコロナ禍で、例年のようなお花見ができず残念ですが、いつもの花見を
思いつつ桜についてお話ししましょう。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあり
ませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りにな
り、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神
さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年
の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
 「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田
 の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木
 をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
  (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神さまを迎える儀式でしたが、武士の時代
と共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽
くした宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から
引きずりおろされ、今では、桜のもとで食事や酒盛りをして楽しむ行事と成り
下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさを酷評していますが。古来、桜は何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができるのです。
 
こうした川沿いに多い桜の名所ですが、その他にお侍さんの勤め先である城と
寺社にも多いですね。
私たち日本人は、こうした名所の他にも、なぜか桜の下に陣取り宴会を開きが
ちですが、面白いことに、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。
たびたびお世話になります樋口清之先生の監修された本に、校庭の桜について
何とも言えず考えさせられる話がありましたので、紹介しましょう。
 
 日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであった
 が、これが明治時代から少しおかしなことになった。
 それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
 本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠
 んだ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生
 まれてきたからである。
 さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美し
 いという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つ
 まり、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵
 舎に桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭
 にも桜が植えられるようになった。
 関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
 もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで
 校庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学か
 ら広まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
 
さて、ここからは桜の豆知識を2つ。
 
日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、アニメではありませんが、目が点になり
ますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ日蓮宗の古
寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」だそ
うで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられています。
 
そして、日本の三大桜もご紹介しましょう。この山高神代桜と福島県三春町の
三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の淡墨桜(樹齢千五百年)です。淡墨桜
は、つぼみの時は薄いピンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、こ
の散り際の色にちなみ命名されたそうです。
 
少し脱線。
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下
自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどっ
たものですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である
岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して
創った三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初
等部と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太
郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっ
ています。
 
最後に、桜と言えば、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう。
「さくら さくら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝(和楽器
の一つ)の手ほどきとして作られたもので、作者は不明です。
 
  さくら さくら
  (一)さくら さくら  
     やよいの空は  見わたす限り
     かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
     いざや いざや 見にゆかん
 
  (二)さくら さくら
     野山も里も   見わたす限り
     かすみか雲か  朝日ににおう
     さくら さくら 花盛り
          (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
 
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう。見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値ありです。六義園は小石川後楽園と
共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、見
事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
 
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子どもたちに伝えるのも、親の使命ではないかと考え
ますが、いかがでしょうか。
 
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)

【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第20号-
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第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではな
く、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
 
 ★★花祭り★★
 
キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれて
いますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(か
んぶつえ)」といいます。
現代では仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょうか。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王さまでシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な
夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かっ
た夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ち
ゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花
繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあ
った菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわ
いい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄
から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑
え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存
知の仏教です。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三
大法会(ほうえ)」といいます。
 
 
 
 ★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれになった
ばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し左手は
地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひしゃく)
で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、
お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
 
 
 ★★仏教童話★★
 
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
 「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な
 感情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対で
 あり、それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」
 「思いやりの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいも
 の、あたたかきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと
 私は考える。(中略)
  優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、
 作品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出て
 くると説教となって文学性を消滅する。
   (ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
         小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の多くの作品の中から、一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
  濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色
  の鹿が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にい
  ることを、誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。
  その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出
  して欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者は
  いないか、案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたの
  が、命を助けてもらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人で
  した。
  王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出しま
  す。
  「王さま、あれが金色の鹿です」
  と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人
  は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、
  かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこうい
  ったのです。
  「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せ
  ないなら、私を殺してください」
  それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、
  生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、
  恥ずかしくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私を
  まともな心に引き戻すために現れたのかもしれない。
  王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
  「生き物の命をとる狩をやめることができました。あなたさまも森へ帰っ
  て、いつまでも幸せに暮らしてください」
  といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男
  の腕に戻ってきたのでした。
      (仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音さまと孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥にな
ってしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が
本物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあっ
たけちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成
されています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさ
んの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を
表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさ
しく話しかける作品になっています。
 
この時期だからこそ、純真な子どもたちの心に、素直にしみこむものです。
図書館で見かけることがありましたら、ぜひ、お子さんに読んであげてくださ
い。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
 
      (次回は「桜について」をお話しましょう。)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4)雛祭りとお彼岸ですね

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
 
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
 
 むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥
 さんは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
 ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。
 神さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対する
 ので、いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が
 拾い、書付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから
 赤ちゃんが生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年
 たち、50人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でな
 くなります。そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、
 もう一人の母さんを訪ね、会うことができたのです。50人の娘に囲まれ幸
 せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達は、川下
 と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
 この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやか
 ろうと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったの
 です。三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
          日づけのあるお話 365日
             3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」の
ように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜
きです。
 
 
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
 
 むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。
 ある晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不
 思議なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てず
 に帰ってしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、
 娘の顔が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通
 した針を娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくように
 いったのです。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさす
 と、若者は大声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っ
 ていったのです。翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山
 奥の大蛇が棲むといわれている淵に、吸い込まれるように入っているではあ
 りませんか。すると、淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き
 耳を立てると、娘は蛇の子をみごもっているというのです。驚いたお母さん
 でしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事
 に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花
 酒を飲むいわれが語られています。              
      おはなし12ケ月 三月のおはなし
          「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁
にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、
娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうた
ん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神さまから地
をはって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお
使いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからもなか
なか親しむのは難しいですね。
 
古事記にも似たような話があります。
 
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神さまであるところが古事記
らしく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神さまが宿るといわ
れた奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこに
いた蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社 刊)
に出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。
 
 
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れるこ
とはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいです
が、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
 
 むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近く
 に住んでいた笛の上手な三太わらし(子どものこと)の話が伝わっています。
 三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮ら
 していましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り
 役をさせて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになっ
 たある日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オ
 イヌ達が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、
 父ちゃ譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音
 色を聞くようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来
 た母ちゃは、三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立
 てた母ちゃは、三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達
 は、火をくぐり、三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴
 の方へ導くのでした。炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ち
 ゃも助けようとしました。オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へ
 と進んでいったのです。 そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかっ
 たのですが、時折、風にのって、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の
 人達は、この峠を笛吹峠と呼ぶようになった のです。                
 この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人
 達が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上
 手な若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を
 守るように控えていたそうです。
  「遠野物語」の国へ 平野直 著  つぼのひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まる
と、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきま
しょう。                            
 
 「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんで
 いた人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興
 味や関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り
 伝えられてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、
 広く知らせたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いので
はないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれ
たものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残し
てくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
        
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原の狼と高原の狼」があります。
                      
 食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切な
 おじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、
 それを全部盗もうといい、もう一匹の狼はとめますが、聞く耳をもちません。
 狼は仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことに
 なり、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼
 を、インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい
 心を持っているから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配
 がなくなった草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界でしか経験できないだけ
に、子どもたちは新鮮な驚きを感じるようですね。
人間と動物のロマンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
 
 
狼を主人公にした話で、椋鳩十の「丘の野犬」を紹介しましょう。
 
◆丘の野犬◆ 
 
 野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗
 まれる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入っ
 た肉を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとし
 ません。
 アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫
 ります。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一
 口食べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったの
 でした。
 アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日
 のこと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、
 じっと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れません
 でした。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわか
 ったのですが……。
            「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
 
「母と子の20分間読書」を始め、読書の素晴らしさ、楽しさを普及する運動
に力をつくした椋鳩十。
この「丘の野犬」のほかに、戦争で殺さなければならなかった飼い犬と子ども
との交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けようと滝つぼに飛び降りた母親
の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を助ける「片耳の大シカ」など、
人間と動物のロマンを描いた作品があります。子どもにもわかるように読んで
あげましょう。
 
 
   (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
 
★★早春賦、いいですね★★
 
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、
なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に
入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さ
んたちの歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学
校で習った唱歌、どのくらい歌えますか。
 
  早春賦
  作詞 吉丸 一昌  作曲 中田 章
 
 一 春は名のみの 風の寒さや
   谷の鴬 歌は思えど
   時にあらずと 声もたてず
   時にあらずと 声もたてず
 
 二 氷解け去り 葦は角ぐむ
   さては時ぞと 思うあやにく
   今日もきのうも 雪の空
   今日もきのうも 雪の空
 
 三 春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急かるる 胸の思を 
   いかにせよと この頃か
   いかにせよと この頃か
 
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し
長くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやか
な口調がいいですね。
 
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を待ち
わびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょうど今ぐら
いの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた歌詞を現代
風に訳すとこんな感じでしょうか。題して〔春の誘い〕「いざない」と読ん
でいただければ……。
 
 一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
   谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
   まださえずるときではないと声も立てないんだから
   まださえずるときではないと声も立てないんだから
 
 二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
   さあ春は今だと思ったけれど あいにく
   今日も昨日も雪模様の空なんだ
   今日も昨日も雪模様の空なんだ
 
 三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
   聞いてしまうと急がされる気になってしまう
   この胸の思いを
   どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは 
   どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは
     (http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm)
 
 
 
★★彼岸と春分の日★★
 
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をい
います。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、
という気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんにお経をあげてもらう
などして、祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことでは
ありませんか、お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当
たります。ご先祖さまがいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
 
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は
此岸(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先
の霊が安んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の
世界、すなわち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねは
ん)の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
 
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。その太陽信仰
ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈みます。極楽
は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
    
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた
太陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥
陀さまの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土
に達するのである。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
 
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼
岸会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、
念仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教え
ですから、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。お布施も必要ありませ
ん。
 
それにしても、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、
不思議で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照
大神で神さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さ
まは仏さまです。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の
国」があると信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生している
ことになります。「困ったときの神頼み」、本気で信じていないのでしょうね。
こういう国って、日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
 
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれている井川一久氏による
とこうなのです。
 
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部
と中部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐
と漬物と緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽し
み、旧正月(テツト)にはお年玉をばら撒く」
 
 
 
★★おはぎ★★
 
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」とも言います。もち
米にうるち米を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で
包んだものです。どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
 
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には
豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・
秋分の日に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であ
るという仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語
のbhuktaやパーリ語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu,mude(や
わらかい)が「もち」となって「ぼたもち」の名が定着したのである。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。
「牡丹餅と書くのではありませんか」といわれるかもしれませんが、これは後
の話だそうで、語源は、サンスクリット語やパーリ語だったのです。
 
「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く季節なので
「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称されるようになっ
たという説がありますが、まだ他にも諸説あるようです。
 
 
 
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
 
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春
分の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、習ったことはありませんか。
ところが、違うのです。
 
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長
いのである。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では
3月17日と9月27日である。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをい
うので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるの
です。何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。
 
大気は、光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮
き上がって見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えて
も、実際は、下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じでは
なくなるのだそうです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。
 
(次回は、「三月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第17号-
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第5章 雛祭りですね(2)
 
      
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
 
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる童謡、それが「うれしいひなまつ
り」です。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考
えていたそうです。
 
その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、「内裏雛」は天皇、
皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな様」は男雛と女雛で
一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
 
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、
正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。
大臣であれば「笏(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装してい
るからだそうです。(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
 
本メルマガでは、皆さんが慣れ親しんでいるこの童謡の歌詞に従い左大臣、右
大臣としました。
 
   うれしいひなまつり     
     作詞 サトウハチロー  作曲 河村 光陽
 
      一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
        お花をあげましょ  桃の花
        五人ばやしの    笛太鼓(たいこ) 
        今日はたのしい   ひなまつり
 
      二 お内裏様と    おひな様
        二人ならんで   すまし顔
        お嫁にいらした  姉さまに
        よく似た官女の  白い顔
 
      三 金のびょうぶに  うつる灯(ひ)を
        かすかにゆする  春の風
        すこし白酒    めされたか
        あかいお顔の   右大臣
 
      四 着物をきかえて  帯しめて
        今日はわたしも  はれ姿
        春のやよいの   このよき日
        なによりうれしい ひなまつり
  
 
 
 
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
 
なぜ、桃の花なのでしょうか。
 
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔
 除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を
 占うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあ
 ぶると、甲羅や骨にひび割れができる。
 そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび
 割れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前
 兆(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばか
 らもわかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆し
 を持つ木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたの
 である。したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、
 桃太郎でなければならないのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79) 
 
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の
花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
 
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の
仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないの
ですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。
 
十二支にも「申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けん
かをしないように配慮されていますね。
 
 
 
★★左近の桜、右近の橘って?★★
 
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右
に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向か
って右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、
昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕え
る者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待って
いました。
 
 京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜
 の木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護
 にあたった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
   (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
 
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、そ
の左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、
向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の
影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞ
れ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められて
いるそうです。
 
 橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている
 馴染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔
 より日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えの
 ある美しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。
 また、神の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代
 (よりしろ・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。    
 (http://www.e87.com/selection/sp_hina/colum_04.htmlより)
 
  橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
                       万葉集 6(1009)
                (注 枝“え” 常葉“とこは”)
 
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびく
ともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていま
すが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかりま
す。何事も訳ありですね。
 
 
 
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
 
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐
えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、
早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、
春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコント
ラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝し
たくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いません
か。本当のところはどうなのでしょうか。
 
菱餅の赤、白、緑の三色は、
赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、
白は清浄を、
緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きがあり、薬
として使われていたので健康を
表しているのだそうです。
 
また、どうして形が「菱形」かは、諸説あるので、調べてみてください。
 
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命
を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生ま
れたからだそうです。
 
 
 
★★ひな祭りのごちそう★★
 
多様性の時代と呼ばれる現代ではわかりませんが、かつては、女のお子さんが
いる家庭では、必ず蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司を頂きました。
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良
いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかなち
らしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷらな
ど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎っ
た雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれる
ようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。
 
最近では、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加
わったようです。
 
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は
米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1
センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
 
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエレルギー、緑は木々のエネルギ
ー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災い
や病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。(「トレ
ンド情報ステーション」より要約)
 
 
 
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
 
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の
書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれ
ています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人にな
るという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆ
えに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった
古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、重宝します。
 
 
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
 
 中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
 ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、
あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わ
せ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の
先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあ
たったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、
土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の
鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、みんな楽しそ
うでした。
 ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、
ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたの
です。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶
境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを
持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのです
か」
と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明する
と、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓待さ
れるので、4、5日滞在したのでした。
 やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませ
んから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、
途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子の
もとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、
目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子
が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、こ
の後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となっ
たのでした。
   生きる心の糧 中国故事物語 4  駒田 信二・寺尾 善雄 編
                           河出書房新社 刊
 
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さ
まとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さ
が)でしょう。
 
理想郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありたい、ささやかな願い」
ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやかな願いは、かない難く
なっているようです。
 
それにしても、山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、
いい年をした大人、しかも男性というところが何とも言えません。
 
  (次回は、「雛祭りですね(3)」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(1)雛祭りとお彼岸ですね 弥生

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第16号-
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第5章(1) 雛祭りとお彼岸ですね  弥 生
 
                   
小学校受験で春は三月からです。
物の本によると、「春」の読み方は、万物が「発(は)る」(発する)からと
いう説が有力ですが、草木の芽が「張る」、天候の「晴る」、田畑を「墾(は)
る」などの説もあるそうです。
弥生(やよい)のいわれは、この頃になると、草木がいよいよ生い茂ることか
ら、「草木がいやおい茂る月」が詰まり、「弥生」になったといわれています。
 
 
★★五節句のおもしろい特徴★★
 
三月といえば、何といっても雛祭りです。雛祭りは、いうまでもなく女の子の
節句です。        
節句は一年間に五つあるので五節句と呼ばれ、正しくは「神と一緒にあること
を表す節供」だそうですが、ここでは使い慣れている節句としました。
 
五節句を決めたのは江戸幕府で、古来、宮中で行われてきた年中行事から五つ
選んだものです。
 
一月七日は人日(じんじつ)、陰暦の正月七日のことで、七草粥を食べる日か
ら「七草の節句」。
三月三日は上巳(じょうし)、お雛さまを飾る日から「桃の節句」。
五月五日は端午(たんご)、鯉のぼりや兜を飾り立身出世を願う尚武が転化し
て「菖蒲の節句」。
七月七日は七夕(しちせき)、夏の風物詩、七夕飾りをする「七夕の節句」、
「笹の節句」。
九月九日は重陽(ちょうよう)、陰暦九月九日の節句で、九は陰陽道では陽の
数とされ、これを二つ重ねた日にあたるので「重陽」といい、「菊の節句」と
もいわれています。
 
五節句は奇数日で、一月七日の人日を除くと同じ数字が重なっていますが、こ
れも何か意味がありそうです。
 
 暦の中で奇数の重ねる日を取り出し、奇数(陽)が重なると陰になるとして、
それを避けるための避邪(ひじゃ)の行事が行われ、季節の旬の食物から生命
力をもらい、邪気を払うという目的から始まりました。 
(http://iroha-japan.net/「日本文化いろは事典」より)
        
七草粥には、ご馳走を食べ過ぎた胃を調整する薬草が入っています。      
桃の葉も薬草です。                      
菖蒲の根を細かく刻んで造った酒は、邪気を払い万病に効くといわれています。
淡竹(はちく)、真竹(まだけ)は竹葉(ちくよう)という生薬で解熱、利尿作用
があります。
菊は、長生きの薬といわれています。
五節句に登場する植物は、すべて薬用で、当然のことですが、やはり意味あり
でした。      
 
「私達の先祖は、薬品を食品化することで、まず日常の食事療法をやり、さら
に労働スケジュールに合わせて、その時期にいちばん必要な薬物を年中行事化
することで、魔除けや信仰として摂取し、健康体を維持できるように、実に巧
妙といっていい、健康管理を行っていたのである。」
(「梅干と日本刀」 日本人の知恵と独創の歴史 樋口清之 著 祥伝社 刊 
P131)
 
五節句は農業スケジュールに合わせて作られ、その時の飲食物は全て薬品なの
です。昔は病気になってから治療するのは大変でしたから、病気を予防するた
めの知恵でもあったのです。当時の農作業、米作りは人海戦術で、病気をする
と労働力が減り、お百姓さんにとっては一大事でしたから納得できました。
ところで、「怠け者の節句働き」といい、怠け者をあざける言葉があります。
節句の日には仕事を休み、神さまにお願いをする慣わしがありましたが、普段、
怠けていると、この時も田畑で仕事をしなくてはならないことから生まれた言
葉です。農作業は、一日も手抜きができない厳しい作業環境でもあったわけで
す。
 
 
★★雛祭り★★
 
昔のお雛さまは、今のように立派な飾りものではありませんでした。子どもが
病気にかかると、新しい雛人形を川へ流して、病気が体の外へ逃げていくよう
に、悪いことが起きないようにと、お祈りをしました。流し雛です。
 
室町時代、紙で作った人形(ひとがた)で体をなでて穢れを移し、川や海に流
すことで無病息災を祈った「流し雛」という風習と、ひいな遊び(人形遊び)と
が結びつき、貴族の間で人形を飾り、祀(まつ)るようになったと考えられて
います。(http://iroha-japan.net/ 「日本文化いろは事典」より)
 
米俵の両端にあるわらで編んだ丸いふた「さんだわら」(東京では「さんだら
ぼっち」)の上に、紙と土で作った雛人形を、あられや菱餅、桃の花と一緒に
のせて川へ流したもので、今のように部屋に飾って祝うようになったのは、徳
川家康の孫の東福門院が、子どものために作った座り雛が、その始まりといわ
れています。
                                    
雛人形が飾られるようになったのは、文化文政時代を経て天保(1830)の
頃からで、宮中から武家社会、裕福な商家や名主の家庭、そして町人社会へ広
まり、現在のような豪華な雛壇が作られるようになったのです。
 
雛壇には、お内裏さま、三人官女、五人囃子、左大臣、右大臣、おかしな顔を
している三人仕丁(じちょう―雑役係)、菱餅、あられ、白酒、桃と橘の花に、
いろいろな生活用品が飾られています。女の子が、やさしいよい子に育って、
幸せになるようにとお願いする日ですから、飾りものも女性ムードいっぱいで、
夢があります。人形が主役ですが、下の方に飾ってある、あのゴタゴタとした
所帯道具も、いいですね。タンス、鏡台、長持ちから牛車、駕籠(かご)まで
そろえているのもあります。新婚さんの望ましい嫁入り道具一式で、昔の女の
子が描く幸せな青写真を、雛壇で表しているような気がして、ほほえましくな
ります。
多様性の時代、といえども、こういった文化は残っていってほしいものです。
 
 
 
 
★★男雛と女雛、右ですか、左ですか?★★   
 
女の子がいない家庭では見られませんが、デパート等に行くと、豪勢なものが
飾ってありますから見てほしいのです。地方によって、男雛と女雛の位置が違
います。東京など関東地方では、男雛が右側(向かって左)に、女雛は左(向
かって右側)に飾りますが、京都や奈良の関西地方では、男雛が左で女雛は右
と、逆に飾ってあります。
 
関東方式は、昔中国では、「右がすぐれている」という考えがあったからです。
右には「貴い」、「尊敬すべき」、「大切な」など、左には「卑しい」、「低
い」、「正しくない」などの意味があり、「右腕」や「右に出る」、「左遷」
や「左前」は今でも使っています。ところが、唐の時代に左右が逆転し、左上
位になったのです。
 
日本の文化は唐の影響を受け、平安時代に確立した日本の制度は左優先となっ
た。左大臣は右大臣より上席であり、左近衛大将は右近衛大将より上級である。
(中略)左上位は唐から宋へ受け継がれたが、元の時代に逆転し、明清の時代
に再々逆転し、左上位の順位が引き継がれている。
  (年中行事を「科学」する  日本経済新聞社 刊 P75)
 
もっとわかりやすいものがあります、結婚式の披露宴を思い出してください。
新郎は向かって左側に、新婦は向かって右側に座っていますが、これにも確か
な意味があります。日本の結婚式は、昔から男子が家を守っていく、男子優先
で行われてきたからです。関西方式は、天皇家と関係があります。
 
天皇は、『天子南面』という言葉が示すように、紫宸殿の玉座に北を背にし、
常に南の方をむいて座られた。すると、天皇の左手が東、右手が西にあたる。
昔は日の出る東が月の沈む西より上と考えられていたから、内裏様を左に飾っ
た。したがって、大臣も左大臣が上席となっている。
 (日本の年中行事百科 2 春 民具で見る日本人の暮らしQ/A P25
  監修 石井 宏實 河出書房新社 刊)
 
面白い話があります。太平洋戦争終了後、日本を占領した国際連合軍の中で、
いちばん偉かったダグラス・マッカーサー元帥が、「男雛は向かって右、女雛
は向かって左にしなさい!」と命令したそうです。アメリカやヨーロッパでは、
レディー・ファーストの考えがあるからだと思っていたのですが、ことの起こ
りはヨーロッパで、騎士が戦うときには右手に剣を持ち、左手で婦人を抱える
ことから、左優先になったそうです。
 
 
 
最後に、「春一番」は立春後に初めて吹く強い南風ですが、春分まで、という
期間限定のため、発生しない年もあるそうです。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説
したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般
でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
    (「昭和のこころ」 日本の年中行事 So-net ブログより)
 
ちなみに、関東地方で最も早かったのは昭和63年2月5日でしたが、令和3
年は2月4日に吹き、記録更新となりました。最も晩かったのは昭和47年3
月20日だそうです。
 
 
   (次回は「雛祭りですね(2)」についてお話しましょう)
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 二月に読んであげたい本(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
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       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第15号-
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第4章 二月に読んであげたい本(2)
 
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
 娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、
若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さ
んが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡
くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
 ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者
が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いて
も若者は答えず、退屈だろうから、13ある部屋で遊びなさいという。ただし
「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
 娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人
さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみる
と、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が
咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、1月
から12月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入る
と、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
 鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、び
っくりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部
屋に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る
目を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、い
ったかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘
は、がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。        
  日本むかしばなし 7 
   おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社刊
 
 
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
 変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来
ても平気だと、「鬼は内!福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつ
けられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきた
ではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まりま
す。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半博打
(ばくち)が大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は
化けます。それで、博打をするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て
大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、
豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をしま
す。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、
酒を飲みすぎて死んでしまいました。
 博打好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は
娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、
湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔
大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをして
もらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
    おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社刊
 
どうしたら、こういう発想が生まれるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登ると
きは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当
に笑わされます。しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいま
すから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」
では、何やら不気味な感じがしますね。
 
 
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打をする話です。
 
◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
 ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入っ
てしまいました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋
ねたところ、「あっちの方に転がって行ったぞ」というその口元には、黄粉が
ついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さ
まが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。鬼達
が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上る
はしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、
届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻
込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図
をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
 やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵
さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏
が鳴いたと勘違いして、「夜明けが近いぞ!」とあせってばくちをし、2回目
には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、
お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお
金をいただいて大金持ちになったのです。    
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、
お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番
鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図
に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、「はぁ、一番鳥!」、「はぁ、二
番鳥!」といってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」と、
鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。        
  日本の昔話 2
   したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかし
いのです。欲深じいさんが天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふ
てぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているよう
な気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの
間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。
粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるでは
ありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。し
かもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。
まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
 
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐い鬼が相手ですから勇気がいります。
秋の話ですが、鬼の話ですのでここで紹介しましょう。
 
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
 ある秋のことです。
 おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。
そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のも
のをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。
計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしが
もらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が
葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。
 五月のはなし
 ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会編 国土社刊 
 
大らかな話ではありませんか。鬼を手玉に取り、恐い鬼もかたなしです。鬼は
悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の
「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、
手に取るようにわかりますね。
 
 
ここでは取り上げませんでしたが、浜田廣介の「泣いた赤鬼」は、童話とはい
え日本以外に、鬼を人間らしく扱った作品はあるのでしょうか。最後の青鬼く
んの置手紙には、涙がこぼれてきます。お子さんはどのような反応を示すでし
ょうか。
 
  赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、
  このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
  それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さよう
  なら、体を大事にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
       (「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館刊)
 
(次回は、「第五章 雛祭りとお彼岸ですね 弥生」についてお話しましょう)
 
 
 
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情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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さわやかお受験のススメ<保護者編>建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第14号-
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建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)
 
2月14日はバレンタインデー。「バレンタイン」は、3世紀頃にローマで殉
教したキリスト教徒の英語名、イタリア語では「ヴァレンティーノ」。当時の
皇帝は、兵士の戦意に影響があると考え若者の結婚を禁止。哀れに思ったバレ
ンタインは、ひそかに結婚させていたのが皇帝の知るところとなり処刑された
日が2月14日、殉教の日がバレンタインデー。チョコレートを贈る習慣は、
イギリスのチョコレート会社カドリバ社がギフト用のチョコレートボックスを
製造し広めたもの。日本では1970年頃より広まった。(言語由来辞典より
要約)
現代では贈る相手も多様化。これからどんな「○○チョコ」という言葉ができ
るのでしょうか。
 
 
★★建国記念の日★★
 
2月11日は、建国記念の日です。昭和24年(1967)2月11日から、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日に定められたものです。
しかし、建国記念の日は昭和生まれではなく、明治6年に紀元節として誕生し
ました。紀元節は、日本書紀に記されている、神武天皇が即位され、日本の国
が始まった日と定めた祝日でした。その根拠は、日本書紀第三巻・神武天皇の
項に、以下のようにあります。
 
 「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」
辛酉(かのとり)の年の庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)、一月一日、    
天皇は橿原宮にご即位になった。この日を天皇の元年とする。
 
これを根拠として、紀元節は誕生しました。しかし、昭和23年に、紀元節が
戦争の原因になった国家主義や軍国主義を象徴する祝日であったことや、日本
の誕生した日はいつであるか、歴史的な根拠が明白でないことなどから廃止さ
れ、その後、さまざまな論争が続き,紆余曲折を経て、やっと「の」の一字を
入れることで「建国記念の日」ができたわけです。
 
紀元節の根拠は日本書紀にあるとお話ししましたが、果たして正しいのでしょ
うか。暦のことなど研究したことのない方でも、秘密を解くポイントは、「辛
酉(年春正月)・庚辰・朔」にあるではと思われることでしょう。
 
暦学的に検証すると、その根拠は立証されているのですから驚きです。「年中
行事を科学する」(永田久 著 日本経済新聞社 刊 P54~65)には、
「辛酉・庚辰・朔」について、西暦紀元前660年は辛酉年、2月11日の干
支は庚辰、月齢はゼロであり、現在、建国記念の日となっている2月11日は、
「日本国は神武天皇の即位をもって建国とする」との日本書紀の記述と一致す
ることが証明されています。西暦紀元前660年といってもピンと来ないかも
しれませんが、弥生時代です。
 
この記述は記述として、実際の歴史という観点からはどうでしょう。
 
日本は、もっとも短く見積もっても二千年ぐらいまで遡ることができます。世
界で二番目に長い国はデンマークで一千数十年、次がイギリスで九百四十年余
り、アメリカ、フランスは二百年そこそこ、中国はたった六十四年。「四千年
の歴史」なんて大嘘ですからね(笑)。
(著者インタビュー 武田恒泰 著 「日本人はいつ日本が好きになったのか」
 月刊雑誌 WiLL12月号(2013年)P144 ワックス出版社 刊)
 
なんと、世界最古の歴史を持つのが日本なんです。
驚きですね。
日本人が大切に守ってきた様々な文化を学び、子ども達にきちんと伝えていく
ことは、世界最古の歴史を持つ日本人としての役割ではないでしょうか。
 
 
★★2月に読んであげたい本(1)★★  
 
鬼に関する話はたくさんあります。代表作は「桃太郎」「こぶとり爺さん」で
すが、これはお染みの話ですから紹介するのは遠慮しておきましょう。子ども
に聞かせる話ですから、恐怖感をあおるようなものはあまりありません。節分
ですから、やはり豆まきの話からにしましょう。
 
 
◆豆をいるわけ◆   谷 真介 著
 
むかし、まだ鬼があちこちの山奥に住んでいた頃の話です。その年は、春から
日照り続きで、稲は枯れだしました。心配した庄屋さんが、「雨を降らしてく
れたら、一人娘のお福を嫁にやってもよい」と言ったその声を山奥の鬼が聞き、
大雨を降らせたのです。約束を迫られ嫁がせますが、その時、お母さんが知恵
を働かせます。「道に落としながら行きなさい」と菜の花の種を渡しました。
それを足元に落としながら、鬼に連れられて行くのでした。
翌年の春、菜の花は咲き、それを道標(みちしるべ)に娘は家に帰れたのです。
取り返しにきた鬼にお母さんは、「酒ばかり飲んでいる者にお福はやれぬ!」
と迫り、「もう、飲まん!」と約束をした鬼に、戸のすき間からいった豆を投
げ、「その豆を植えて花を咲かせてみろ。その花を持ってきたら、お福をやる
!」と言ったのです。何年も続けましたが、咲くわけがありません。鬼も次第
に豆を見るのが嫌になり、お福の家にも来なくなりました。この話を聞いた村
の人達は鬼が来ないように、いった豆を家の周りにまくようになったのです。
これが二月三日、節分の豆まきの始まりだそうです。
          日づけのあるお話 365日            
              二月のむかし話 谷 真介 編著 金の星 刊
 
節分の豆まきは、「いった豆」がキーワードのようです。童話の名作「ヘンゼ
ルとグレーテル」の著者はグリム兄弟ですが、ドイツ人です。菜の花の種をま
く作戦と小石とパンのかけらを目印にした共通の作戦は、面白いではありませ
んか。世界中の童話や昔話を読んでいて、話の筋や仕掛け、舞台装置が、そっ
くりなものに出会うとうれしくなります。その話がほほ笑ましいとなおさらで
す。
 
イギリスの民話にも日本の昔話とそっくりなものがあります。「トム・テイッ
ト・トット」の翻訳ともいわれているそうです。日本の題名は「鬼六」といい
ますが、文句なく面白い話です。
 
 
◆鬼 六◆
 
むかし、ある所に、大きくて流れの速い河がありました。その河へ橋を架けて
ほしいと頼まれ、やってきた名人は、一目で難しい仕事とわかり頭を抱えます。
すると、河の中から大きな鬼の首だけが現われ、「橋を架けてあげるから、お
礼にあなたの目玉をくれないか!」
と言ったのです。困りはてていた大工さんは、約束をします。橋はできてほし
いが、できれば目玉をあげなくてはと、大工さんは一晩中、眠れません。    
翌朝、行ってみると、何と立派な橋が架かっているではありませんか。喜んだ
大工さんですが、鬼との約束を思い出し、肩を落とします。そこへ鬼が顔を出
し「目玉をよこせ」と言う。どうしたものかと考えていると、「明日の朝まで
に私の名前を当てたら、目玉はいらないよ!」と言って、また沈んでしまった
のでした。大工さんに鬼の名前がわかるはずもありません。途方に暮れて歩い
ていると、山奥に入いりこんでしまい、引き返そうとしたその時に歌が聞こえ
てきたのです。木陰からのぞくと、鬼の子ども達が歌っていました。
    ♪オニロク オニロク オニロクさん
     早く目玉をもってこい
     大工の目玉をもってこい
     橋のお礼をもってこい
     オニロク オニロク オニロクさん♪
大工さんは、それを聞いてほっとし、笑みを浮かべるのでした。   
翌朝、大工さんが河に行くと、顔を出した鬼は、名前のわかるはずがないと自
信満々です。
そこで大工さんは自信なさそうに、「河鬼!」、「橋鬼!」などと言って、鬼
を得意にさせておき、最後に大声で、「オニロクー!」と叫ぶと、鬼はブクブ
クと泡だけ残して消えてしまい、二度と姿を現しませんでした。
 (子どものための世界のお話
   福光えみ子 福知トシ 福井研介 大江多慈子 編 新福音社 刊)
 
それにしても、どうして鬼が人間の目玉を欲しがるのか、子どもに質問されそ
うですね。
 
 
世界中の民話や童話、昔話を読んでいると同じような話がたくさんあります。
ドイツには、この他に「こぶとりじいさん」とそっくりな話もあります。ノッ
クグラフトンの伝説「こぶとり」です。背中にこぶのあるラズモアという帽子
屋さんが、歌と踊りがたいへん上手だったので、また一緒に遊ぼうと、約束の
証拠に背中のこぶを預かるといって取られてしまいます。日本では相手は鬼で
したが、ドイツでは小人さんです。この話を聞いた歌も踊りも下手な、こぶの
ある青年が行くと、あまりにも下手なので、預かっていたこぶをもらってしま
うというところもそっくりです。グリムの作品にも「小人の贈り物」と題した
同じ話があります。肌の色が、言葉が、生活習慣が、宗教が違っても、人間、
考えることは皆、同じなのだと思うとうれしくなりますね。
 
(次回は、「2月に読んであげたい本(2)」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第13号-
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第4章 節分と建国記念の日でしょう  如 月   
 
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
 
 
★★節分って……?★★    
 
文字通り「節」を「分ける」ことで、「節」とは季節、四季のことですから、
季節の移り変わるときという意味です。
 
昔は月が地球を一周する時間をもとに作った暦、太陰暦を使っていました。今
は地球が太陽の周りを一回りする時間を一年とする暦、太陽暦です。その陰暦
で季節の区分、その変わり目を示す日を「節季」といい、立春から大寒まで二
十四あったので「二十四節気」といったのです。その中で、立春、立夏、立秋、
立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを表した言葉で、季節がジワッと伝わ
ってくるような気がしますが、なかなか実感できません。立夏は5月6日頃、
立秋は8月8日頃、立冬は11月7日頃ですから、実態から1ヶ月程早く、実
感できないのも当然なのです。
 
この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を「節分」といいます。
 
節分は、明日から季節が変わる前夜祭にあたります。2月の節分は、旧暦では
大晦日になります。数え年の場合、年が明ければ1つ年を取るため、豆も1つ
多く食べるということなのです。
 
それにしても、立春の前の日の節分だけが有名になりました。
 
 
 
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★           
 
いろいろな説があります。 
 
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいました。ある時のこと、困っている
人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現わ
れ、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令したのです。鬼は
悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことから「魔目」、すなわ
ち「豆」となったそうです。              
   
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じる
からだという話もあります。
 
ところで、「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていますね。漢字はよく
工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことがわかり、楽しいもの
です。
 
 
 
★★なぜ、豆を煎るのですか★★  
 
地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同じような
民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく塚を作る
約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
  (注 塚…一里塚など土を高く盛って距離を表す標識)
 
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼
の勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったの
で、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声をは
りあげた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のところ
で負けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散した。
神様は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
 [年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
 
 
この話をお子さんにするときには気を付けてください。
「何で鶏が『東天紅』って鳴くの?」と聞かれるでしょう。
お子さんがわかるように説明してあげましょう。一緒に調べても良いですね。
 
 
 
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
 
豆まきをしない家が増えているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
 
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。
 
柊は、葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛む
ことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひいら
ぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったそうです。
 
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾る習慣は今でも残っています。
 
葉のとげで鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わりま
す。とげのある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
 
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが、神さまと仏さまが同居している日本的です
ね。
 
 
 
★★鬼のルーツは…?★★
 
陰陽五行説、聞きなれない言葉ですが、この古代中国の世界観の一つが鬼と深
い関係があります。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、春、
奇数などは陽、月、秋、偶数などは陰と考えられていました。奇数が縁起のい
い数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
 
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
 (「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
 
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考
えから、今の鬼が定着しました。
 
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
 
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。
 
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」と
いう7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世に
なって民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
 (2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
 
ところで、食べられた方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙
って丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近で全国で行わ
れています。
 
恵方とは、「陰陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、実は四方向し
かなく、西暦の下一桁で方向が分かります。そして、恵方巻として定着してい
る巻き寿司の中身は、もともとは七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、
きゅうり、椎茸、玉子、おぼろ、高野豆腐など7種類の具を巻きました。包丁
で切らず、福を丸ごとかじって食べるのが定法で、江戸時代に行われていた大
阪の伝統習俗を復活させたものです。
 
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗
談めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪
魔は外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、
お釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子
どもの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけで
すが、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているから
だそうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですか
ら、「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節
分」を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
  (生活情報サイトAll About より)
                       
ところで、「鬼のパンツ」の歌、聞いたことがありますか。この歌は、イタリ
アのヴェスヴィオ火山の山頂まで行く登山電車のコマーシャルソング、『フニ
クリ・フニクラ』のメロデイーを使った替え歌なんです。なお、作詞者は不明
だそうです。
 
   鬼のパンツは いいパンツ  強いぞ 強いぞ
   虎の毛皮で できている   強いぞ 強いぞ
   5年はいても 破れない   強いぞ 強いぞ
   10年はいても 破れない  強いぞ 強いぞ
   はこう はこう 鬼のパンツ はこう はこう 鬼のパンツ
   あなたも あなたも あなたも あなたも みんなではこう鬼のパンツ
          (世界の民謡・童話 worldfolksong.comより)
 
 
 
  (次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)」についてお話し
  ましょう。)   
 
 
 
 
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情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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