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めぇでるコラム : 2016保護者: 2014年12月

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師走

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第6号-
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第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、これまた文字通り、1年の終わりである12月は、
何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨
走(すうそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」
となったという説が有力だそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」
を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスは、キリスト教のお祭りで、12月だけ、にわか
信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・
デーほどではないでしょうが、何やら、商業主義の笛に踊らされているような
気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほとんどないか
らかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信者は、非国民
扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」とは軽薄な言
い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん方には、信
じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で規制できる
のですから、恐いことです。
 
一時、クリスマス・イブは、どんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、健全な
ホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在り方で
す。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日になると、
ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢にとは、や
はり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみます。
 
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、ここでは、遠慮してお
きましょう、日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようで
すが、キリスト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探って(これも不敬でしょうね)いく内に、
何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではあ
りませんか。
 
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、
キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつ
れて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っていたミトラ
教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神さまミトラスのことで、12月25日は、ローマの冬至祭に
あたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変
わる日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリ
ストこそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになった
のです。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キ
リストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「き
よし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートへ行って、この色にお目にかからない売場は、ほと
んどありません。私は、子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑
はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていまし
た。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」と
はいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本式では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁
起物には欠かせません。門松も、その一つです。では、なぜ樅の木になったの
でしょうか、これも訳ありでした。
 
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。
12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われ
たとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの
十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を
知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。せいぜい、真冬にもかれることなく青々と緑を茂らせ、花を
咲かせる常緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」など
と考えるのは、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつごろからクリスマス・
ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
 
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483-1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリスマス
の前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切った夜空を見上げ
ると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じ
たルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、
感激した夜の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウ
スによって、1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244・245 永田 久 著
 日本経済新聞社 刊〕
 
都会の空では望めませんが、清里の高原で見た星空は、本当に、星が降ってき
そうな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神
秘的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。            
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キ
リストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命
を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本
の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく
習わしがある。 
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくと林檎だけで、質素なものでした。何やら、今の樅の
木は、華やかです。
靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから
仕方がないでしょう。
ところで、樅の木のてっぺんに飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝
いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当
たるかは、定かではないそうです。
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つです。やはり、
これも訳ありでした。
 
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古く
から、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、
冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)
はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの
愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁起もあ
るのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマのお祭り
で、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、
リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつ
け、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
そういえば、クリスマスのテーマソングのような
[Silent Night, Holy Night]、この 翻訳ですが、「きよし、この夜」と、
決めています、これも名訳です。「静かで、神聖な夜」だと、ぶち壊しでしょ
う。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではないでしょうか。だ
から、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうなことはいえませ
んが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指導要領改定
で、公立の小学校でも英語の授業が始まったからです。「読む英語 
“reading”から、話す英語“speaking”へ」、期待したいものです。
 
ところで、古い話で申し訳ないのですが、ウィリアム・ホールデンとジェニフ
ァー・ジョーンズが共演した映画 
“Love is a many splendid thing” 
を「慕情」と訳した方がいましたが、これなども、うならされませんか。また、
名女優、キャサリン・ヘップパーンの演じた
“Summer time in Venice”
は「旅情」です。わずか二文字の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだもの
でした。最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようです
が、映画を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なく
なっているようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしてい
ますが、日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使ってあげないと
可愛そうですよ、何しろ、母国語ですから。
 
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってきた漢
字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり大変な文
化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ諸国では、数
学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語を学び、習得しな
ければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学んでいますが、そ
れを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自然科学を学び研究出
来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。今週ノーベル賞の授賞式
が行われましたが、3人の受賞者が生まれたのも、勿論、ご本人の努力のたま
ものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境であることも、子
ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL
 12月号より 抄訳)
(次回は、クリスマスの2 についてお話しましょう)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★季節の行事、これも欠かせません

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
季節の行事、これも欠かせません
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
最近、旗日、祝祭日のことですが、この日に日の丸の旗を掲げる家は、ほとん
ど見かけなくなりました。祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているので
しょう。元日にお雑煮を食べない家庭があるそうですから、当然かも知れませ
ん。しかし、七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午
の節句、これは両家のおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。
国産ではありませんが、クリスマスもきちんと祝っています。
 
お父さん、お母さんに聞いてみましょう。
「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
「なぜ、お釈迦さまに甘茶をかけるのでしょうか」
「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
私は、こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話して
もらった記憶があります。その中でも、本当に感心したのは、正月の門松でし
た。いつ頃から飾るようになったのか定かではありませんが、これには、きち
んとした科学的な根拠があるのです。その訳は、1月に詳しく説明しますが、
ここでは、私が父から聞いた話を紹介しておきましょう。父の話は、アカデミ
ックなものではありませんが、こういうことでした。突然、大阪弁になって恐
縮ですが、父は関西の出身でしたから、この言葉の方が、私には実感があるの
です。
 
 松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
 竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れん我慢強さがある。しかもや、
中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』って
いうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
 梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
咲く姿は清らかや。
 みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生きて、
家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていました。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものでした。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思
い出として心に残してあげ、自分が親になった時に、その楽しい思い出を子ど
もに伝える、そういった目的があるのだと教わった記憶があります。何しろ、
情報量の少なかった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけで
す。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など、聞こえなくなりました。そ
んなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。「月にう
さぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタクロースは
いる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送られてきた
手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。「迷信と切り捨
てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」とでは、どちら
が子どもにとって幸せでしょうか。「サンタクロースなんて迷信で、プレゼン
トはお父さんが買ってくるんだよ」といった先生を許せないと、涙ながらに語
る友人の話を、池波正太郎の随筆で読んだ記憶があります。この先生には、ク
リスマスの思い出は、何もなかったのでしょう。あれば、こんな残酷なことは
いえません。でも、これは許せない。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻したり、短冊につたない字で
願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝って
いたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞かれ
ない言葉の一つになりましたけど……。時の流れとはいえ、一抹の寂しさを感
じます。
 
しかし、その時に、父や母から話を聞くことが本当に楽しみでした。今のよう
にテレビもなく、むかし話の本などあまりなかった戦後の貧しい時代でしたか
ら、ほとんど、両親の記憶によるものでした。親によって語り継がれる、むか
し話の原点が、まだ、残っていました。特に、鬼の話や地獄の話は恐かったも
のです。悪いことをすると地獄に落ち、針の山に追われ、血の池に放りこまれ
る話などは、心から信じていました。これも、私にとっては 「情操教育」で
あったと思います。こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の
きずなが薄くなった原因の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々
の行事も、心を培う「情操教育」に欠かせない、大切なものだと思います。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のあるむかし話を紹介しよう
と試みたのですが、素人の悲しさですね、日本中の行事といえば気が遠くなる
ほどありますし、むかし話となると、とてもではありませんが手に負えない、
ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせて頂いた
のは。永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日本経済社 刊)でした。
表現に専門用語が使われ難しいものですから、わたし流に解釈させていただき
ましたが、詳しくは、最後の「おわりに」のところで説明いたしますので、ご
本家の方をお読みいただければ幸いです。
 
むかし話は、教室でうけた話を中心に、私の独断と偏見で選んでみました。児
童文学を修めたわけでもなく、系統立てて民話などを研究したこともありませ
んから、間違った解釈をしているところも多々あると思います。専門家の諸先
生方に一笑されるかもしれませんが、それは覚悟の上です。何やら強気のよう
ですが、目に触れる心配などありえませんから、突っ張っているだけです(笑)。
紹介した話は、本当に氷山の一角で、しかもダイジェスト版になっています。
面白いと思われましたら、本物を読んであげてください。それも、このメール
マガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが川越市の県立図書館で
読んだものです。何とも悲しい話ですが閉館されてしまい、勉強させてくれた
本を再読できません。しかし、お住まいになっている図書館の子ども部屋には
あると思いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってく
ださい。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。情操教育は、心の教育です。心の教
育は、幼児期に基本的なことを学習しておくべきです。今は、学習ではなく、
勉強が、幼児の心をむしばんではいないでしょうか。文字の成り立ちからもわ
かるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強は「強いて勉めること」です。
幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。親が勉強せず、子どもだけに
勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。情緒が不安定で、情操の乏
しい子が増えているといわれていますが、知識を詰め込むことにこだわり、心
を育てる育児が、おろそかになっていないでしょうか。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をして、やがて、一人前に鳴ける
ようになる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
ある年の7月、上高地へ出かけた時、大正池で、実際に聞くことができ感激し
ました!
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、赤面しながら、あえて言い切っておきましょう。私は、
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から
培われていくものだと考えています。ちょっと背伸びをしすぎました、読み飛
ばしてください。
 
★★古典落語「桃太郎」の作者の意図★★
 
本書の解説によると、江戸時代の落語家、乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょ
うさい)が書いたといわれる古典落語の傑作の一つだそうです。高校生の頃だ
と思いますが、大人をからかうおもしろさに腹を抱えたものでした。今、読み
返してみると作者の意図が明確で、「うん、そうだ、そうだ。その通りだ!」
などと、うなずきながら納得させられてしまいます。また、「桃太郎」は、
「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」と共に、日本
の五大お伽話と言われています。私の年代では、信じられないのですが、この
五つの話を知らない子がいます。「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハ
イジ」の方が、人気があるようですね。
 
◆桃太郎◆   乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)
昔の子どもは、親の言うことを聞き、子守歌の代わりにむかし話をすると寝た
ものですが、今の子は、そうはいきません。
お父さんが、
「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、おじいさ
んは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」
と話をすると、子どもは眠るどころか、
「むかしっていつの時代、ある所ってどこ。おじいさんとおばあさんの名前は
何というの。
山と川の名前は」
と聞き返してきます。
お父さんが答えるのに困っていると、話を聞くはずの子どもが、作者の意図を
解説し始めるのです。
時代、場所、名前の無いこと、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ
洗濯にいくわけから始まり、鬼が島は、これから生きていく社会のことで、そ
こでの厳しい修業を鬼退治にたとえていること、きび団子は、粗食にたえろと
いう教えであり、家来の猿、犬、きじは、“知仁勇”を表し、世間で信用を得
るための大事な心構えであって、社会人となり、信用と
いう大切な宝物を持って、出世して帰ってくれば、親も喜び、幸せになる、こ
れが作者の狙いだというのです。
 
「どう、わかったかい、おとっつぁん……、」  
といって、子どもがお父さんを見ると、寝てしまっていたというお話です。
   こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
  小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
説得力があります。歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実
に無駄がありません。しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑
いながら、人生修業をしているのですから。
そして落語は、最後の締めである「落ち」が、笑いのポイントになるのですが、
これがまた、こたえられません。本当は、ネタを話したくてうずうずしていま
すが、推理小説の犯人を明かすのと同じで、罪深いことですから、皆さんの楽
しみにしておきましょう。ぜひ、お読みになってください。
 
古今亭志ん生師匠をはじめ、咄家のすばらしい名人芸がCDに収録されていま
す。図書館の視聴覚室にあるはずですから、疲れたときに聞いてみませんか。落語
は、声を出して笑うことが、いかに大切であるかを教えてくれるからです。あ
るミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたことがありますか」
と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのようにお考えでし
ょうか。        (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★情操教育、難しく考える必要はありません 話の読み聞かせ (2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
話の読み聞かせ (2)
 
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみるかな」
となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像して
描いたものです。ファンタジーの世界ですから夢もふくらみます。絵を描こう
とする動機は純粋です。幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇
心の芽を育む絶好のチャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる
学校があるから、絵画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希
望ではありませんから、絵を描くことが好きになるとは思えません。
 
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が培
われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではないでし
ょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
 
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷そしゃく力)=描かれた絵
 
妙な式ですが、冗談、冗談です。
専門家の先生に叱りとばされますから、深く詮索なさらずに読み流してくださ
い。感性は、子ども自身が与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた「自
前の性能」ではないだろうかと言いたいのです。親が、注文を付け始めると、
おもしろくない絵になりがちだからです。
 
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、ある
日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。
やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、
横に真っすぐのびたままで、年長さんになって、やっと手も下におり、人間と
認められる絵になったのではないでしょうか。
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。絵
は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。うまい絵を求め
るより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける雰囲気
を作ってあげることが大切です。
 
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きくださ
い。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さんは子
どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いておきまし
ょう。     
 
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
むかし話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義
は、必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、
きちんと学習しています。言ってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」で
す。情操教育の基礎、基本を学習しています。
このことです……。
 
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を重
ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情緒の
分化が、5歳頃から始まります。
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言で全ての要求を表し、ついこの間までは、
何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言葉で表せるのは、格段の進
歩ではないでしょうか。
 
今まではおもちゃ箱の中に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はこ
こ」、「縫いぐるみはこっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理
されて行く状態になるのです。まだ、整然とはいきませんが。
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、怒
り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を聞く
ことから、喜怒哀楽など心の動きを誘い起こされ、幼いなりに自我を作ってい
るのです。
 
ずる賢い人には、怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われる
と笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。話をきちんと理解して
いる証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュレー
ション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感を養っ
ているのです。それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習になってい
るのです。
 「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。
 
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お母さんが感情こめて読んで
あげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話を静
かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学校の勉
強に、スムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えであり、
学習態度です。話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算が
でき、九九をそらんじていても、駄目です。小学校の先生に聞いてみると、み
なさん、そうおっしゃいます。それほど、話を聞く姿勢を身につけることは大
切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強についていけず、落ちこぼ
れることにもなりかねません。
 
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつも言っているで
しょう!」 
と、恐い顔して、厳しく、何十回と言っても無駄でしょうね。言葉だけで説得
できません、態度で示すに限ります。本を読んであげることで、お母さん自身
が、よいお手本を見せています。
それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
 
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子に
なる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠ったこ
とも考えられるのではないでしょうか。モンテッソーリの「敏感期」で、その時
期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽の程
は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかったため、
言葉を話せないまま成長したインドの狼少年は、敏感期を実証した話ではない
でしょうか。
マリア・モンテッソーリ
   イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教育
を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立した貧困層の健常
児を対象にした保護施設「子どもの家」において、独特の教育法を完成させた。
以後、モンテッソ―リ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるように
なった。  
(ウィキペディア フリー百科事典より)
 
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つの
ことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。気力や体力は、運動だけ
で培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物事に取
り組む意欲や頑張る力も育まれます。
 
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお母さんも、聞いているお子さんにも、全くない
はずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習しています。
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。「教え
ない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思っていないにも
かかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうとする気持ち、
学習意欲が身につきます。
 
しつこいですけれど、まだ、あります。
お母さんの表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなのです。
ですから、本をたくさん読んであげるお母さんは、子どもに慕われます。それ
は、お母さんとお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の世界を
楽しんでいるからです。お母さんは、こんな荒唐無稽な話などありえないと思
っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さんのレベルに
合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
 
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない本
では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」などを
買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こういっ
たことは、小さい時から、とかくありがちです。気を遣ってください、親の考
えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、とかく子
どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話となって
いる場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前に、親のエ
ゴが優先していないか考えましょう。
 (お断わり 同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、
その本とは一切関係ありません)
 
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることがある
でしょうが、
「どう、面白かった?」
といった言葉がけはやめましょう。親のイメージを押し付けることになりがち
だからです。
「ケンちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメー
ジが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
 
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお母さんが選んで
あげ、後はお子さんに任せてみましょう。お子さんが選んだ本は、たとえ、年
齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげてくだ
さい。そして、自分で選んだことをほめてあげましょう。お子さん自身が興味
を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご両親の優
しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
 
また、「読書の時間です」などと、スケジュールをキッチリと組むのもどうで
しょうか。お子さん自身に読んでほしいという意欲がないときは、あまり効果
的とは言えません。お子さん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。
習慣にしてよいのは、寝る前に読んであげることではないかと思います。今年
6月に再開された横浜雙葉小学校の説明会でも、学園長は「お子さまと添い寝
をしながら本を読んであげる機会が少なくなっているのでは」と懸念されてい
ましたが、皆さん方はどうでしょうか。
 
最後に、図書館には紙芝居がたくさんありますが、利用してみましょう。紙芝
居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で向き
合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味をもっ
ているかがわかるからです。
 
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教え
るのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、お子
さん自身です。
 
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュース
などをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うものは
丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本から、
育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
 
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期にき
ちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎にもなるからです。繰り
返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児期に身につく」こと
を伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
 
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、心
の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。「文字よりも言葉」
です。これが私の考えているご家庭でできる「情操教育」の基礎、基本ですが、
納得していただけたでしょうか。
(次回は、季節の行事についてお話しましょう)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★情操教育、難しく考える必要はありません 本を読んであげてください 〔1〕

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
本を読んであげてください 〔1〕
 
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVDなどに、子守をさせてはいけないと思います。確かに、
このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽や効果
音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。これ程、便利な
ものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、疑問を感
じても質問できないといった不便な点もあります。わからないままに、話はど
んどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こしがちではな
いでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このことです……。
 
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵が
主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進む物
語になっていると思います。
 
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているのでし
ょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれる言
葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで行われ、
絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではないかと思いま
す。
 
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。
「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お子
さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、確
実に語彙が増えていきます。
 
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいいな
がら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読んでも
らった本がおもしろかったので、お母さんの言葉を思い出しながら、確かめて
いるのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもとに、映像
を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。つまり、「言葉で考え、
想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
 
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読ん
でくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
「お母さん、ありがとう、そこまででいいです」
といったことが、しばしば起こりがちです。
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりません
が、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。イメージ化の中断です。読
んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えていま
すから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありません。覚
えようとする力、「記憶力」がつきます。
 
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具体
的になってきます。そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」と、「転」
はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立て
る形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、わか
りやすい例えがありますので紹介しましょう。江戸時代後期の儒学者・詩人・
歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
   京都西陣帯屋の娘    (起)
   姉は十八、妹は十六   (承)
   諸国の大名は刀で殺す  (転)
   姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の娘
の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、鬼退
治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと終わっ
て、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。   
 
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえあり
ません。話は、快く聞けるように仕組まれています。しかも物語は、単純で、
明快に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を理
解する力、「理解力」が培われてきます。
 
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事でし
ょう。イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決まって
います。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住ん
でいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしているではあ
りませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。       
 
「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわかりま
せん。 
「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前もあり
ません。みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どのように」
と話は展開していきます。
 
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありません。
奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄であろ
うが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまいます。時
代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。ですから、子
ども達は、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせながら、話の世界へ
入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
 
これを、几帳面に、
「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、大
字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまとお熊
という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはならないで
しょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。読むお母さ
ん方も疲れてしまいますね。
 
こういった昔話の構成や作者の意図について、「なるほど!」と納得し、肯か
ざるを得ない古典落語に、「桃太郎」があります。確か、古今亭今輔師匠が得
意とした噺ではなかったかと思います。お薦めの話、第一号として、この章の
最後に紹介しておきましょう。
 
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   何を(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W+1H]から成り立っていますが、新聞
記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従っている
からです。ということは、昔話を聞きながら、[5W+1H]を小さい時から
学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
勿論、子ども達は、「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いているわけ
ではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいきますから、
話を覚え、絵本を見ながら言葉で表現することで、物事を筋道立てて考える訓
練にもなっているのです。物事を組み立てる、考える力、「構成力や思考力」
が自ずと身につきます。
 
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければ出来ませんから、そのた
めの訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、味わ
い、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
 
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこと
も出来ません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
「うん、パパも子どもの頃は、よく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
 
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあげ
ましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を覚え
ようとします。そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
しかも、「覚えなさい!」と言われて覚えたものではなく、「話してみなさい!」
と言われて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、楽しみな
がら積極的に挑戦し、能力を開発しているのですから、その効果は一石二鳥ど
ころではなく、計り知れないものがあります。
 
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。し
かも、これだけではありません。
(次回は、「本を読んであげてください 2」についてお話しましょう)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★ことの始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第2号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
-ことの始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-
           
私は、長い間、幼児教育のパイオニアである教育研究所でお世話になっていま
した。「情操を育むために、年中行事と昔話が大切な役目を果たしているので
はないか」と模索していたのは、幼児教育の本質が少しわかりかけてきた、
50歳になった頃ではなかったでしょうか。平成元年に、「年中行事を『科学』
する」という素晴らしい本にめぐり合い、進むべき道が見えてきました。
 
そして、この考えに「間違いはない」と自信らしいものが出てきたのは、ある
経験からでした。当時私は、約10年間にわたり、板橋にある淑徳幼稚園の課
外保育であった進学教室を担当していたのですが、後半の5年間は、一人で年
中組と年長組を指導することになりました。この間の子ども達のやり取りとお
母さん方の反応から、年中行事と昔話を組み合わせた「情操教育歳時記」とい
った何とも大仰なタイトルですが、気軽に読んでいただける本を作ってみよう
と思い始めていたのです。育児の専門家ではない「わたし流の育児書」という
わけです。
 
私どもの研究所の教室へやってくる子ども達は、全員、「受験のために勉強に
きている」といった意識が、しっかりと培われており、授業もやりやすかった
のです。「幼児教室は、こういうものだ」と思っていた私には、この幼稚園の
進学教室は、まさに青天の霹靂で、勝手が違い、思わぬ苦労をしました。
 
その日の保育が終わった後に、同じ教室でやるのですから、子ども達にとって
は、「自分たちの土俵に変な先生が入ってきた、エイリアン!」といった感じ
だったのでしょう、いつものように授業を始めることが出来なかったのです。
そのために、まず、授業に集中できる雰囲気を作ることからはじめました。い
ろいろと試行錯誤をしながら出来上がったのは、授業の前に、その月の行事、
11月でしたら七五三をテーマに、昔からの言い伝えを子ども達にわかるよう
に話し、その月に関係ある昔話をするといった方法でした。
 
回を重ねる内にわかったのは、子ども達は、「フランダースの犬」や「アルプ
スの少女ハイジ」を知っていても、「一寸法師」や「花さか爺さん」などの昔
話を、あまり知らないことでした。しかし、話をしてみると、熱心に聞いてく
れるのです。それならばと、徹底的に昔話をすることにしたのですが、年長組
は週2回で月8回、1年間で、ざっと96の話をすることになり、少々心配に
なりました。「絵本を見ながら読んであげればいいか!」と気軽に考えていた
私は、子ども達から思わぬしっぺ返しを食い、悪戦苦闘が始まったのです。
 
それは、本を見ながら話す時と見ないで話す時では、子どもの興味を示す様子
が、微妙に違うことでした。話を覚えている場合は、子ども達の目を見ながら
話をしますから、目をそらす子はいません。「目をそらさない」ことは、話を
しっかりと聞く基本的な姿勢です。本文でも紹介しますが、「大勢の子ども達
に、話を読み聞かせる重要なポイントは、話を記憶することだ」と教えてくれ
たのは、この教室の子ども達でした。
 
毎週2つの話を記憶するのは大変でしたが、子ども達は私の話を楽しみに待っ
てくれ、授業にもスムーズに入れるようになりました。見つけた時には私も驚
きましたが、「シンデレラ物語」とそっくりな話である「ぬかふくとこめふく」
を話した時の、子ども達の驚いた顔を忘れることができません。
 
ある時、昔話ではなかったのですが、椋 鳩十の動物の話をしてみました。す
ると、次の時間にもとリクエストがあり、動物達の話に興味があることもわか
りました。そこで、長編でもある「丘の野犬」をアレンジして話したところ、
何と熱心に聞いてくれ、涙さえ浮かべる子も出てきたのです。この時ばかりは、
今、思い出しても、ぞくぞくするほど感激したものです。
 
進学教室の役目は、併設する淑徳小学校での勉強に、スムーズに対応できる力
を身につけることでした。小学校へは、受験勉強をし、力をつけてきた大勢の
子ども達が入学してきます。そういった子ども達に共通しているのは、「話を
聞く姿勢」が身についていることで、小学校の受験でもっとも大切なのは、こ
の「話を聞く力」なのです。ペーパーテストを例にとっても、プリントの上に
ダミーを含めて、答はすべて出ていますが、「設問」はどこにも書かれていま
せんから、話を聞き逃すと、解答できないわけです。
 
昔話や年中行事のいわれなどを聞きながら、子ども達は意識することなく、
「話を聞く姿勢」を身につけてきたのです。こうなるとしめたもので、授業は
私の仕事でしたから、後は楽なものでした。集中さえできれば、問題を解く力
もつき、面白くなりますから、取り組む意欲も違ってきます。難易度の高い問
題にも挑戦し始め、毎月1回行われていた2000名近くの子どもが参加する
公開模擬テストで、10番以内に入る子も出てきたのです。
 
さらに、思わぬ収穫になったのは、お母さん方の反応でした。授業終了の5分
ほど前に、お母さん方に集まっていただき、今日取り組んだ問題を解説しなが
ら、家庭学習の要点を説明し、今月の行事とその日に話した昔話を紹介してい
ました。
 
すると、「先生、ママが菱餅を買ってきて、何で三色なのか、先生と同じ話を
してくれたんだよ」と、女の子がいない家庭にもかかわらず、「おひな様を飾
るわけや、菱餅の色」について、子どもに話をするお母さんも出てきたのです。
話してくれる子ども達の顔は、みんなうれしそうでした。四季折々の行事の意
味を説明してきたことが、話で終わらずに、各ご家庭で祝ってくれるようにな
ったのです。このことです……。
 
ここからは「わたし流の解釈」ですから、軽い気持ちで読み流してください。
話を聞こうとしなかった子ども達が、なぜ、楽しみに授業を待ってくれるよう
になったのか、それは子ども達の心の中に、幼いながらも、何らかの刺激を求
める小さな芽が、しっかりと培われてきていたからだと考えました。本文で詳
しくお話しますが、その小さな芽は、分化され始めた「情緒」だったのです。
「情緒とは、喜怒哀楽の感情の表れたもの」と考えていただければ、わかりや
すいと思います。きっかけを与えたのが、昔話であり年中行事であったわけで
す。育まれてきた小さな芽である情緒に刺激を与えてあげれば、素直に反応を
することもわかりました。そうでなければ、あれほど真剣に話を聞くはずがな
いからです。
 
私の話でさえ一所懸命に聞くのですから、ご両親の話であれば、もっと歓迎す
るはずです。「パパが、先生が話してくれた『おぶさりてえのおばけ』の本を
買ってきてくれたんだよ!」と嬉しそうに話してくれる子ども達も増えてきま
した。話を聞く姿勢は、幼児教室や塾で身につくものではなく、ご両親の「話
の読み聞かせ」や「対話」から育まれるものです。
 
こういった体験を何とか記録に残し、皆様方に読んでいただきたいと考え、出
来上がったのが、このメールマガジンです。話を聞く姿勢さえ身につけば、小
学校の受験は、決して難しくありません。また、年中行事を、ご家庭で楽しむ
ことにより、楽しい思い出がたくさん残り、それが豊かな情操を育む礎になっ
ていることも否めない事実です。
 
小学校の入試に季節の行事が出題されるのは、なぜでしょうか。知識として知
っているかを判断しているのではありません。四季折々の行事を楽しむ、ご家
庭の文化があるかどうかを見ているのではないでしょうか。家庭の文化は、ご
両親の育児の姿勢であり、それが受験する小学校の建学の精神や教育方針と限
りなく近ければ、それが志望理由になるわけです。
 
この1年間、お子さんは、受験勉強に励むわけですが、ご両親にも勉強をして
いただき、ご家庭の文化を築き上げてほしいと思います。話を聞く姿勢が身に
つくのも、豊かな情操が育まれるのも、ご両親の育児の姿勢次第です。小学校
の受験で必要な能力の基礎、基本は、「ご家庭で培われる」ことを学習してい
ただき、お子さんと三人四脚で、ゴールを目指して頑張ってほしいと願ってい
ます。
 
次回は「話の読み聞かせ」についてお話しましょう。
 

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