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めぇでるコラム : 2025保護者: 2024年1月
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(3)何といっても正月ですね 睦月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第12号-
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第3章(3)何と言っても正月ですね
【一月に読んであげたい本】
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、これを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りませんでした。
◆十二支のはじまり 小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神さまからのお触れが出て、動物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く、本当は運悪くですが、会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られたとも知らずに、ねこは神さまのお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、
「十二支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神さまに怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いかけるようになったのでした。
「十二支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神さまに怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いかけるようになったのでした。
ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた神さまでしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だから。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつける大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続けていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようになったのです。
一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会 編 国土社 刊
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、しばらく笑いがとまりませんでした。神さまといたちのやりとりが、本当におかしいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像ください。ネットで「十二支に猫のいないわけ」を検索すると、面白い話が出ています。
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、きちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれど、これで覚えられるでしょう。(※実際には妊娠期間が20日だそうです。
<編集者注>)
ところで、かつて小学校1年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがあるといって歌ってくれましたが、実にうまくできていて、これで簡単に覚えられます。YouTubeで「日付の歌」と検索すると、当時は2曲でしたが、現在では何曲か出てきます。「とおか」が「とうか」となっていたりすることがありますが、よく間違える仮名遣いで、1年生の時に習います。「遠くの、大きな、氷の上を、多くの、狼、十ずつ、通った」は全部「お」ですので、覚えておくと便利です。
“日付の歌”
♪いちは「ついたち」には「ふつか」 さんは「みっか」でよんは「よっか」
ごは「いつか」ろくは「むいか」 ななは「なのか」はちは「ようか」
きゅうは「ここのか」じゅうは「とおか」 にじゅうは「はつか」♪
“Days of the month in Japanese”
♪ついたち ふつか みっか よっか いつか
むいか なのか ようか ここのか とおか
じゅうよっか じゅうくにち はつかは私の誕生日♪
(少し省略しています)
「日付の歌」は、スローテンポで二十日までの入門編。リズミカルに歌うのが、“Days of the month in Japanese”です。
少し難しいかなと思いましたが、子ども達は、興味があれば、すぐに覚えてしまうものです。苦手なようでしたら、「日付の歌」で検索してみましょう。
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神さま一人ひとりの紹介はありませんが、七福神の話です。暮れから正月の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
◆正月の神さん 渋谷 勲 著
ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸してほしいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまっていたご祝儀用の合羽を貸したのでした。
それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意ができずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入ってきたではありませんか。実は、旅人は神さまで、笠のお礼にきたのでした。打出の小槌から、米や魚やら二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくなるほどです。もっと欲しいものはないかという神さまに、「もう少し若ければ、子どもを授かりたいものだ」と、おばあさんはいいました。すると神さまは、
「明日は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをしなさい」といって帰ったのです。
元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安穏に暮らしたのでした。
一月のおはなし
ねこの正月 松谷みよ子/吉沢和夫 監修 日本民話の会・編
国土社 刊
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
八百万の神、森羅万象に神様がいると信じた日本人らしいですね。
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです。
その夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、除夜は起き明かす習慣となり、元日の夜に見る夢となっていましたが、「すべての事始めは二日」ということから、江戸時代後期には二日の夜に見る夢が主流となったようです。そして、現代では、元日または二日の夜に見る夢となっています。初夢といえば、これも一つ紹介しておかないといけないでしょう。
◆ゆめみこぞう 渋谷 薫 著
ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうといいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみるがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人達が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰坊は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま! 死んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案内され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になったのです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
一月のおはなし
ねこの正月 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編
国土社 刊
さて、初夢を見て、おせち料理をいただきますが、おせち料理の次は七草粥ですね。
「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太郎」など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学生向きに書き直されたものがあり気軽に読めますので大人も改めて読んでみてもいいですね。。
◆七草草紙 北畠 八穂 著
正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそばに住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親は百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くしたいと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕方、帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(しゅみせん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八千年も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両親の命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬にする方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたきだし、七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝にも届き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月七日に七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽くす人には、天の幸いが授かるのです。
御伽草子 古典文学全集 13 ポプラ社 刊
まもなく節分です。お父さん、お母さん、大きな声を出して、元気いっぱいに豆まきをしましょう。最近、やらない家庭が増えているようですが、お子さんには、楽しい思い出になります。幼稚園や保育園で、節分の話を聞いているはずです。小さな夢を育ててあげましょう。
(次回は、「第4章 節分と建国記念の日でしょう」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(2)何といっても正月ですね 睦月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第11号-
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コロナ禍で実施されていなかった東京私立小学校児童作品展「ほら、できたよ」が今年は開催されることとなりました。今回で39回を迎えます。1月25日(木)から30日(火)まで、銀座の松屋で開催されます。毎回、意欲的な作品が展示され興味が尽きませんが、受験する学校の作品、見てみませんか。
第3章(2)何といってもお正月ですね 睦月
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただくのがお節料理です。木製できれいな絵や模様で飾られ、二重から五重に積み重ね最上段にふたのある重箱にいろいろな料理を詰めます。お節料理は、元日の朝、元旦に神さまと一緒にお祝いをして、家族が健康で良いことがたくさんあるように、お祈りをするための食事ですから、縁起ものしか選ばれません。
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものがある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
黒は魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色、豆は「まめに生きる」、真面目に健康に生きる願いが、数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから「数多い子」、子孫繁栄の意味で、縁起がよいといわれ、「春告魚」とも書き「春よ早く来い!」と願い、ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を、牛蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥を表したものです。
他にも、きんとんは「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美しいさま」、かまぼこの赤は、黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ頭は「人の頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お節料理は縁起を担いだ食べ物からできています。
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい金団、ゆず玉、だて巻などオードブルが、三の重は海老や鮑、鯛などの「海の幸」を、四の重は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、里芋などの「山の幸」を入れ、詰める品数は奇数がよいとされ、ここまでこだわります。
お節料理は、三が日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる配慮があったと聞きましたが、その通りではなかったでしょうか。
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした味醂のことで、正月のセレモニーの主役です。これを杯に注いで「おめでとうございます」と言って、新年の朝祝いが始まります。
現代は年末年始に旅行に行くご家庭も多いので、このセレモニーをされているご家庭でどれくらいでしょうか。
さて、話を戻しましょう。
この屠蘇ですが、不老長寿の効き目があると言われ、正月の祝い酒でした。山椒はうなぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、桔梗は根を干したものはせき止めの薬で、ぼうふうはセリの仲間です。聞いただけで飲むのを遠慮したくなりそうです。
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられ、正月には欠かせない祝い酒でもあったのです。
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。現代は、全国的に有名な神社、仏閣に参拝している方も多いようですが、生まれた土地の神さま、産土(うぶすな)神社へ、神さまに失礼にならない服装に着替え、出かけてみましょう。
そして、お子さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせましょう。目に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことではありません。親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始めたような気がしてなりません。
(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著 新潮社刊 P193)
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だるま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょう。
★★正月の遊び★★
かつては、たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。
今の子どもは、友だちと遊ぶにも、テレビゲームやスマートフォン、タブレット、など、画面を通して遊ぶことが多くなっています。
画面を介してではなく、直接触れ合って遊ぶことで社会性が育ちます。社会性が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生きられないことを、もっと教える必要があるのではないでしょうか。
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイコロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり戻ったりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上下、左右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こういう遊びで覚えるのが効果的なのですが……。
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1個ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使いませんが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物が、トランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードにはマークと数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
トランプの4つのマークですが、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と身分階級を表しています。何事も訳ありなのですね。
★★春の七草★★
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏の座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)のことです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎて、お腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、春を実感していたのでしょう。
ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リュウマチに、なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利尿作用に、はこべらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、すずな、すずしろは骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草
左大臣 四辻 善成(平安時代)
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。
大根は、野菜の王様で消化によく、食あたりしない。大根役者とは、当たらない役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、大根を中国では「蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本というのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P33)
最近はニンジンを切る時にも使われているようですが、語源を知っていると永田先生でなくても笑えますね。
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
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情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第3章(1)何といっても正月ですね 睦月
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第3章(1)何といっても正月ですね 睦月
物の本によれば、睦月(むつき)のいわれには、正月は身分の上下、老若男女、分け隔てなく行き来し、親族一同、仲よく「睦み合う」という説が有力だそうで、その他にも「元つ月」、草木が萌えいずる「萌(もゆ)月」、春陽が発生する「生む月」、稲の実を初めて水に浸す「実(み)月」なのだとする説もあるようです。
お正月の歌
♪もういくつ寝るとお正月 お正月には凧あげて
こまを回して遊びましょう 早く来い来いお正月♪
正月になるとこの歌ですね。子どもは正月が楽しみにしていますね。お餅を食べられるのとお年玉を貰えるますから。
ところで、この歌の作曲者はどなただと思いますか。瀧廉太郎です。童謡や唱歌には素晴らしいものがたくさんあります。お子さんと一緒に歌うべきだと思いますね。幼児期の思い出は、こういった歌からも残っていくものではないでしょうか。
さて、元日の朝ですが、いつもの朝と違い「特別な朝」という感じがしたものです。
元日は、その年の神さま、年神さまがやってきて、前の年の神さまと交代する日でした。ですから、神さまを中心に生活が営まれていた時代には、「おめでとうございます」といっていたのは、人と人が挨拶をするのではなく、新しい神さまを迎える言葉として使っていたそうです。
ですから、「あけおめ」などという言葉を聞くと「何と不謹慎なことよ!」と神さまに叱られそうですね(笑)。門松、しめ飾り、鏡餅、そしておせち料理も、みんな神さまをお迎えするセレモニーに必要なものだったのです。中には語呂合わせのようなものもありますが、「これはすごい!」と思わず膝を叩きたくなるのもあります。
★★正月の三点セット★★
◇しめ飾り◇
本来、しめ縄は、神前など神聖なものと不浄なものとの境界線を示すために張る縄のことで、わらを左捻(よ)りにして、三筋、五筋、七筋と順々にひねり垂らし、その間に四手を下げたものです。四手とは、紙(昔は木綿)を細長く切ってさげたものです。
稲や麦の茎を干したわらで作ったしめ飾りで神さまを迎えるのも、農耕民族の生活の基盤は米ですから、わかるような気がしませんか。
地方によっては、えびや橙(だいだい)を一緒に飾った豪華版もあります。えびは「海老」とも書きますが、文字、そのものが「海のご隠居さん」で、体が曲がっている姿からお年寄りにたとえ、長寿を祈願したものです。これが漢字の楽しいところで、何となくイメージが浮かんできます。“LOBSTER”と書かれていても、何のイメージもわきませんが、字の並びに何か意味があるのでしょうか。橙は、一家の幸せが、「代々」続いて欲しいという語呂合わせです。神さまを迎えるしめ縄に、いろいろとお願いするのですから、頼まれる神さまも大変です。
◇門 松◇
門松の方が、まだ受け継がれているかもしれません。しかし、庶民派の門松は松だけです。銀行やデパート、大きな会社の入り口には、立派な門松が飾られています。松竹梅、鰻重が頭に浮かびますが、これも当然、意味ありでした。
松は常緑樹ですから、葉は一年中、緑色で冬の寒さをものともしません。
竹は真っすぐ伸びていきますから、横道にそれない芯の強さがあり、雪の日など他の木は雪の重みで折れがちですが、竹はしなって頑張り、雪の方が我慢できずに滑り落ちます。
かぐや姫の生れ故郷は竹の中、空っぽで「腹に一物もなく」、唐竹を割ると一直線に割れることから曲がったことが嫌いということを表していますね。
梅は北風が吹き荒れ、他の木々は葉を落とし寒そうですが、梅は頑張って小さな花をリンと咲かせ、「春近し」を告げています。
松竹梅、語呂もいいですね。この縁起物の三つを玄関に飾り、年神さまが、確実に我が家に来ていただくための道標、表札の役をしていたのではないでしょうか。昔は盆にはきゅうりの馬となすで作った牛を飾りましたが、正月は神さまを、盆には仏さまを迎えるための飾り物で、季節折々の花や農作物を供えるところからも、農耕民族であることがわかります。
何かにつけて、事の起こりは中国ではと考えますが、松竹梅も、厳しい冬を堪えて生きるみやびやかな木、「厳冬の三友」といわれ、それが日本に伝わり、「長寿・節操・清廉」などの解釈を加え、めでたいもののシンボルとなったのです。いや、それだけではありません。後程、紹介しますが、あっと驚く秘密が隠されているではありませんか。
◇鏡 餅◇
鏡餅は、年神さまから頂いた新しい魂を表したものです。丸い形は、角を立てないように、みんなで仲良く暮らそうという意味が込められています。お飾りは、地方によって勝栗、干柿、扇など多種多彩ですが、橙、ゆずり葉、昆布、裏白などが一般的でしょう。橙は長寿、ゆずり葉は新しい葉が出てから古い葉が落ちることから「譲り葉」、家督を子孫に譲ること、昆布は「喜ぶ」の語呂合わせと子生(こぶ)、子どもが生まれることを願い、裏白は葉の裏側が白いしだ類(わらび、ぜんまいの仲間)で、うしろ暗いところがなく、清らかで汚れのない心を表しています。
★★松竹梅に隠された秘密★★
何やら週刊誌の見出し風ですが、文句なしにすごい秘密が隠されているのです。
初めて読んだときの驚きといったらありませんでした。少し長くなりますが、紹介しましょう。
陰陽の立場から松竹梅をみると、松は陽、竹も陽、そして梅は陰である。
松竹梅は陰と陽が相まって完全な世界を構成するという哲理にもかなっている
わけである。さらに、植物学の上から考えると、松竹梅が植物界を代表してい
ることが知られている。植物を分類すると、顕花植物と隠花植物に分けられ、
顕花植物は裸子植物と被子植物から成り立っている。さらに被子植物は、単子
葉類と双子葉類に分類される。ところで、松は種子を裸にしているので裸子植
物であり、竹は種子が実の中にあって、しかも子葉が一枚しかないので、被子
植物の単子葉類、梅も被子植物であるが子葉を二枚持っているので双子葉類と
いうわけで、松竹梅が顕花植物の典型的な代表例となっている。このすばらし
い事実を古代人が知っていたのであろうか。松竹梅の意義の深さに、めでたい
ということよりも、頭の下がる思いがする。
ついでに隠花植物について述べると、正月飾りとしてすでに述べた裏白をその
代表にあげることができる。こうして松竹梅と裏白とで植物界をおおうことに
よって、正月をより意義のあるものにすることができるというわけである。
■植 物 界■
◆花が咲き実を結び種を作る(顕花植物)
種が裸のもの (裸子植物)………………………………… 松
種が実の中のもの(被子植物) 葉が一枚(単子葉類)…… 竹
葉が二枚(双子葉類)…… 梅
◆花は咲かせず胞子で増える(隠花植物)…………………… 裏白
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P28-29)
いかがでしょうか。先生の書かれた図を参考に、わたし流に書き加えると以下のようになります。植物には、梅、桜のように種を作るものと、コケやシダのように花を咲かせないで胞子でふえるものがあります。種には、竹や梅のように種が実の中に包まれているものと、松、銀杏(いちょう)、蘇鉄(そてつ)のように種が裸のままのものがあります。種が実の中にあるものをまくと、芽を出した時に最初に出る葉が、一枚のものと二枚のものとあります。
松竹梅というと、寿司屋などでは、上中並と同じように値段を表すのに使っていますが、実は、こういう素晴らしい意味があるのです。本当に不思議ですね。
「なるほど!」と納得するばかりではなく、感動しませんか。昔から受け継がれているものには、それなりの意味があるわけです。また、こういったことを科学的に実証する先生がいらっしゃったのも、頼もしい限りではありませんか。
★★正月の食べ物★★
正月の食べ物といえば、雑煮とお節料理ですが、皆さんは食べましたか。
◇雑 煮◇
雑煮は、大晦日の夜に、神さまをお迎えするためにお供えをした食べ物を、神さまと一緒に食べ、神さまの力を授かる食べ物です。雑煮は、必ず、青い葉っぱを入れるのが決まりで、「葉っぱを入れる」「菜を入れる」から「名をあげる」「成功して名前が知られるようになる」に通じるので、青い葉っぱを入れるのだそうです。
餅は本来、丸いものですが、東日本では四角に切った切り餅を、関西では丸い餅を使っています。雑煮の作り方ですが、東京では、餅を焼いてから椀に入れ、具や汁を入れますが、大阪では、ゆでてから椀に入れます。
味付けも、すまし・醤油ベースや白味噌ベースなど、地域によって様々です。
織田信長に面白い逸話が残されています。ある年の元日の朝、信長の雑煮の膳に、箸が片方しか添えられていなかったのです。あの短気な信長のことですから、平穏に収まるわけがありません。しかし、怒り心頭に発した信長を、木下藤吉郎(後の太閤秀吉)が、「今年から諸国をかたはし取りにされる吉兆でございます」と言い換え、ご機嫌が直ったそうです。
また、「曽呂利新左衛門のとんち話」の中に、病気見舞いに送られてきた松竹梅の盆栽が枯れたのを見て落胆した秀吉を、新左衛門の機知で吉報に変えてしまう話があります。
とんち話には傑作な話がたくさんありますが、おすすめは、寺村輝夫のとんち話シリーズ「一休さん」・「吉四六(きっちょうむ)さん」・「彦一さん」(あかね書房 刊)で、大人でもしっかりと笑えますので、ご一読を。
(次回は、「正月の食べ物」他についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
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豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第9号-
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第2章 (4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
あけましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
初詣、お出かけになりましたか。
これからという方も、初詣に訪れ、大きな門松をご覧になったことがあると思います。
実は、この門松、文句なしに、すごい秘密が隠されています。
植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作る顕花植物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白(鏡餅の下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものには、それなりの意味があります。
詳しくは、次号からお話ししましょう。
【冬(十二月~一月)に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさんあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こえたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団にもぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になってもやめようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあがいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりとやみ、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけました。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をかけると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で床の間に運び、安心して寝てしまいました。
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越しをしたのでした。
世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし
つるのよめさま 松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆になるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
◆びんぼう神とふくの神◆ 望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじが押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなければならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢いよく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりです。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初めてだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮らしたのでした。
日本むかしばなし 2
子どものすきな神さま 民話の研究会編 巽弘一 絵 ポプラ社 刊
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
「かさ地蔵」です。
おじいさんの見返りを求めない無償の奉仕に、お地蔵さまが応えてあげるのがいいですね。こういうことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさんのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の恩」と言うではありませんか……。
◆かさ地蔵◆ 浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そうに立っています。
石のお地蔵さまでも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もってしまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのはやめすげ笠を買ったのですが、お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあげたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びます。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病息災で年を越せることを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、後は何の音もしません。眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵さまが、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたのでした。
世界民話の旅 9
日本民話 浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守ってくれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになったのでした。
この話に出てくる「六地蔵」とは、
地獄道 (地獄で苦しむこと)
餓鬼道 (常に飢餓に苦しむこと)
畜生道 (けだものの姿に生まれて苦しむこと)
修羅道 (争いの絶えない世界で苦しむこと)
人 道 (人の踏み行う道を外れて苦しむこと)
天 道 (超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
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