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めぇでるコラム
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(4)何にもないのかな【六月に読んであげたい本】
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第31号-
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第八章 (4) 何にもないのかな
【六月に読んであげたい本】
梅雨というと、三題噺(お客さんから3つの題を出させ即座に一席の落語とするもの)ではありませんが、「あじさい、かたつむり、かえる」です。しかし、最近、かたつむりやかえるはどこに行きましたかね、あまり見かけなくなりました。
かえると雨、これにも、おかしな因果関係があるようです。おもしろい話があります。これから紹介するお話の中の「かえるの親子」、人間の親子関係にもいえそうです。
過保護な保護者に育てられたわがままな子が、少子化に加え核家族化も進む中、増えているようです。一人っ子では、何が過保護なのかわからないのかもしれません。しかし、やがて子どもは、一人で生きていかなければならない、“頼れるのは自分だけ”の生活が待っていることを、親は忘れてはならないでしょう。
自己中心的で、他人との関わりがうまくできない若者が増えているようです。
最近の脳科学者の話では、自己抑制力の臨界期は3歳まで、協調性や社会性の臨界期は12歳までといわれているようです。臨界期とは、その時期を過ぎると、ある行動の学習が身につかなくなる限界の時期をいい、モンテッソーリのもっとも盛んに活動し成長する時期、「敏感期」と同じであると考えればわかりやすいと思います。言葉の敏感期を過ぎると、真偽は定かではないそうですが、インドの狼少女のように、人は言葉を話せなくなります。
誤解を恐れずにいえば、3歳は自立の始まる時期、幼稚園は自律心を養い、社会性や協調性といった集団生活への適応力の基礎を築く時期、6年間の小学校生活は、それらをきちんと身につける大切な時期です。
幼児期から小学校時代に、人としての配線図は、組み立ててしまわれるわけですね。「三つ子の魂、百まで」「鉄は熱い内に打て」、先人の教えには、無駄がありません。「鉄は熱い内に打て」は、英語の“Strike while the irons hot”を訳したことわざだそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
※マリア・モンテッソーリ
イタリア、ローマの精神病院で働いていた女医。知的障害児へ感覚教育を実施し、知的水準を上げる効果を見せ、1907年に貧困層の健常児を対象にした保育施設「子どもの家」で独特の教育法を完成させた。モンテッソーリ教育の行われる施設を「子どもの家」と呼ぶようになった。(ウィキペディア フリー百科事典より)
◆あまがえる不孝◆ 八百板 洋子 著
むかし、かえるの親子がいました。母さんがえるは、子どもをかわいがったのですが、子がえるは、親のいうことを聞きません。母さんがえるが、右に行こうというと左に行くし、山に登ろうというと川にもぐり、暑い日というと寒い日と逆らうのです。
ある日のこと、母さんがえるは、重い病気にかかりました。助からないとあきらめた母さんがえるは、墓だけは、日のよく当たる、山の上に作ってほしいと思ったのですが、何事にも逆らう子がえるのことです。山に埋めてほしいといえば、川のそばに埋めるに違いありません。
考えた母がえるは、
「私が死んだら、川のそばに埋めるのだよ」
といって、息をひきとったのでした。母さんがいなくなると、子がえるは、逆らってばかりいたことを後悔し、反省して、川のそばにお墓を作ったのです。
雨が降れば川の水も増え、お墓は流されそうになります。心配な子がえるは、雨が降るたびに、お墓が流れないようにと、今でも鳴いているのだそうです。
六月の話 あまがえる不孝 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
親不孝な動物話の典型ですが、中国や朝鮮にも同じ話があることから、大陸から半島を経て伝わったものと考えられます。「日本は文化の吹き溜まり」とも言われていますが、自国流にアレンジし、生活の中に取り込んでしまう知恵を、我がご先祖は、身につけていたようです。
青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか 芥川龍之介
こういった情景に出会うのは、もう、無理かもしれませんね。
霧雨が似合うあじさい、咲いているうちに色が変わることから「あじさいの七変化」といわれ、花言葉では「移り気」「浮気」などと芳しくありません。一方で「辛抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」などといったものもありますが、後の方が似合う気配が漂っているような気がします。
漢字では「紫陽花」と書きますが、これは唐の詩人白居易が、別の花(この花の名前はわかりません)に名づけたものを、平安時代の学者、源順がこの漢字を当てはめたことから、誤って広まったといわれているそうです。
(ニッポン放送 https://news.1242.com/article/291621 より)
ところで、今、かえるの合唱を、聞く機会はあるでしょうか。とにかく、ものすごい鳴声です。しかし、この鳴声が、何やら豊作の雄叫びのように聞こえるものです。雨がしっかり降って、田植えが終わらないことには、かえるの合唱は聞こえませんから。ぜひ、かえるの合唱を聞かせてあげてください。
その田植えについてですが、おかしな話があります。
◆田うえねこ◆ 水谷 章三 著
むかし、ある家に、年を取り寝てばかりいる猫がいました。
田植えの時期になり、おかみさんは、
「お前さんはいいね。猫の手も借りたい忙しいときに、寝ていられるのだから」というと、猫は大きなあくびをして起き上がり、どこかへ行ってしまったのです。
その日は、田植えのおしまいの日で、大勢の人が手伝いに来ていました。
おかみさんもわき目もふらずに田植えをしていましたが、見知らぬ娘さんがいて、仕事ぶりが、手際よく鮮やかなのです。それに負けてなるものかと若い衆も張り切ったので、夕方にならぬ内に終わったのでした。
娘さんにお礼をいおうとしましたが、見当たりません。探していたところ、その娘さんが背中を見せて、歩き去っていくではありませんか。追いかけていくと、おかみさんの家のところで姿を消し、探したのですが、見つかりません。ところが、今朝、拭いたはずの縁側に、猫の足跡のような泥の跡がついていたのです。足跡をたどっていくと、家の隅っこの所で、猫が泥だらけの足をなめていました。
「お前のことを、うらやましいといったものだから、娘になって田植えを手伝ってくれたのだろうか。猫は、年をとると化けるというけれど」と、おかみさんは、猫の顔をのぞきこみました。すると、猫は足をなめるのを止めて、前足でおかみさんのひざをグイと押さえて立ち上がり、背伸びをし、そのままどこかへ行ってしまい、二度と姿を見せることはありませんでした。
六月の話 田うえねこ 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
「猫の手も借りたい」忙しいときに、猫が手を貸すのがおかしいですね。この話も全国に、いろいろな形で語り継がれています。お地蔵さまが、見知らぬ若者に姿をかえて手伝う「田植え地蔵」などは、よく知られているようです。猫の足が泥だらけだったように、お地蔵さまの足が汚れていたのでわかる仕掛けは、同じです。
今度は、恐い話です。
◆かにの恩返し◆ 根岸 真理子 著
むかし、ある村に、庄屋どんと娘が住んでいました。娘は、かにが子を生む頃になると、庭の小川で米をとぎ、その汁を流してあげたのです。かには、嬉しそうに飲んでいました。
ある年のこと、日照りが続き、田植えができません。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が聞いていたのです。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が聞いていたのです。
やがて、雨が降り出し、田植えができると、村の人たちは喜びました。
その時、庄屋どんの足元で、
「約束を破れば、大雨を降らせ田畑を流すぞ」
といい残し、蛇は姿を消したのでした。しかし、嫁にやるわけにはいかず、庄屋どんは庭に頑丈なお堂を建て、娘を入れることにしたのです。
嫁入りの日が来ました。
娘は、白い着物を着て、お堂に入り、中から鍵をかけました。そこへ、若侍が現われ、お堂に戸口がないのを知り、怒り、姿を大蛇に変え、お堂を七巻きに巻きしめたのです。すると嵐になり、蛇は、雨風の力を借りて、お堂を根こそぎつぶそうと、揺さ振り始めました。
その時、娘の耳に、タプタプと寄せる水音に交じって、サワサワ、サワサワと小さな音が聞こえてきたのです。音は、次第に数を増して、お堂のまわりを取り囲みました。すると、ドォン、ダァンと何やらのたうつ音がして、サワサワ、ドォン、ダァン、と、二つの音は、低く響き続けました。
やがて音が止み、ひび割れたお堂の透き間から、朝日が射し込んできたのです。
庄屋どんに、手を引かれて外に出た娘は、老いた松の木のような大蛇が、お堂の周りを取り巻き、転がっているのを見たのです。そして、めくれ上がったうろこの下には、娘にお米のとぎ汁をもらっていたかに達が、一匹、一匹、はさみつき、そのまま死んでいたのでした。
六月の話 かにの恩返し 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
この他に、蛇をやっつけるのにひょうたんと針を使ったものや、蛇に変わって、猿やかっぱの場合もあります。これもお馴染みの民話でしょう。
かにの恩返し説話は、古くから語りつがれ「日本霊異記」や「今昔物語」に記録されています。京都の山城の町にある蟹満寺というお寺にもこの話とそっくりの「蟹満寺縁起」が残されています。
それにしても、悪役の蛇は、哀れです。
もとはといえば、約束を破った庄屋どんが、その責めを受けるべきです。
子ども達にこの話をした時に、「悪いのは庄屋さん!」と、不満そうにいった女の子達が何人もいました。子ども達は、「事の善し悪し」を考え、自分なりに判断し、それを言葉で表現できる年齢に差し掛かっています。こういったことからも、「話の読み聞かせ」は、ご両親の大切な仕事であることがわかりますね。
また、「安珍清姫」の話も、大きくなったら妻にしようと戯れにいったことを信じた清姫が、だまされたことを知り、道成寺に逃れ、釣り鐘に隠れた安珍を、蛇に変身した清姫が七巻にして殺しますが、これも悪いのは、戯言(ざれごと)をいった安珍です。
「か弱き女性をだますと、あとが恐いよ!」
と、その執念深さを、蛇が演じているだけに、一層、説得力がありますね。
仏教には殺生、妄語、偸盗、邪淫、飲酒を戒めた五戒がありますが、庄屋は、動物の妻にするのは邪淫戒になり、嘘をついたので妄語戒と二つの戒めを破り、安珍は嘘をついたので妄語戒を犯したにことになりますから、それぞれ厳罰を受けるのですが、庄屋は助かるのは、子どもが聞く昔話だからでしょうが、子どもたちはしっかりと怒っていますね。(偉い!)
もう一つ紹介しましょう。
きつねが人を化かす話も、むかし話にはたくさんありますが、新美南吉の「ごんぎつね」の悲しい結末と違い、ほのぼのとなる話があります。
◆きつねのかんちがい◆
むかし、あるところに、惣五郎という若者がいました。
ある年の田植どきのことです。惣五郎さんは三反御作(広さ30アール)もあるたんぼを、一日で田植えをし、家へ帰る途中、畑の中にある井戸水を飲もうと、つるべ(水を汲み上げる桶)を上げると、その中に、溺れ死んだ子ぎつねが、入っていたのでした。惣五郎さんは、かわいそうに思い、畑の隅に穴を掘って埋めてあげました。
ところが、夜中に大勢の人が声を合わせて、
「お田を引いたで惣五郎! 三反御作みんな引いただ!」
と、怒ったような声で歌い、二、三回繰り返すと静かになったのです。惣五郎さんは、不思議に思ったのですが、そのまま眠ってしまいました。
翌朝、たんぼへ行くと、田植えをしたばかりの‘三反御作’の苗が全部、引き抜かれていたのです。きつねの仕業かなと思った惣五郎さんは、子ぎつねを埋めた所へ行ってみると、穴は、掘り返されていました。きつねは、勘違いをしたなと思った惣五郎さんは、きつねの棲んでいそうな竹薮や、林の中を歩きながら、
「死んでいた子ぎつねを拾い、お墓を作ったんだ。誤解しないでくれ!」
と、大声で叫んだのです。
すると夜中に、
「お田引いて すまなんだ! 三反御作 また植えたあ!」
と、二度ほど繰り返し歌い、静かになったのです。
あくる朝、戸をあけると大きな鏡餅が一枚置いてあり、三反御作の苗も、植え直してありました。
惣五郎さんは、きつねに気持ちが通じたことがわかり、とても嬉しかったのでした。
新訂・子どもに聞かせる 日本の民話 大川 悦生 著
実業之日本社 刊
坪田譲治の、子どものために命をなくした「きつねとぶどう」や、新美南吉の人間と子ぎつねの心あたたまるやりとりを描いた「手袋を買いに」なども、ぜひ読んであげたい童話です。
また、小川未明の、信仰とは何かを考えさせられる「頭を下げなかった少年」(最後の一言が鮮やかです)や、献身的な子育ての後に子猫の幸せのために姿を消す親猫を描いた「どこかに生きながら」も、見た目の美しさより、実用を重んじて作った茶わんを褒める「殿様と茶わん」、神様からの授かりものといって可愛がっていた娘を売り飛ばし、報復を受ける老夫婦を描いた「赤いろうそくと人魚」などの童話は、大人が読むべきで、心が洗われます。
お母さん方にお勧めしたいのは、「小川未明童話集 赤いろうそくと人魚 新潮文庫」です。
ここで日本語の表現の多彩さを少々。
春雨、五月雨(さみだれ)、夕立、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう 夕立の漢語的表現)、秋雨、時雨(しぐれ 秋から冬にかけて降る通り雨)氷雨、雨雪(みぞれのこと)、四季折々の雨、やはり、日本人の感性は繊細ですね。
雨で忘れられない童謡があります。昔は、蛇の目の傘をさしていました。中心部と周辺を黒、紺、赤色に塗り、中を白くして蛇の目の形を表した傘で、竹骨に紙を貼り、油をひいた粗末なものでした。
あめふり
北原白秋 作詞 中山晋平 作曲
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
(引用者注 ねかた「根方」 木の根もと)
2行目の「おむかい」は、原詩は歴史的仮名遣いの「オムカヒ」になっており、「おむかい」と読みます。昔の日本語は、書き方と読み方が違うからですが、東京方面の古い方言で、「おむかえ」がなまって「おむかい」になったそうです。発表された大正14年頃、白秋は小田原に住んでいたので、この言葉を使ったのですが、「改訂版 しょうがくせいおんがく」(昭和33年発行)から「おむかえ」に変えて掲載。このときから「おむかえ」と歌い始めたそうです。
(「Yahoo!知恵袋」より要約)
繰り返しますが、童謡は情操の発達と深いかかわりを持つ、思い出のしみこむ「成長の記録」ではないでしょうか。お子さんが一緒に歌える童謡、ありますか。
(次回は「七夕祭りでしょう」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年6月 6日 01:06
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第49号-
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第13章 七五三でしょうな(3)
【11月に読んであげたい本(2) 終わりにあたり】
◆うばすて山◆ 吉村 輝夫 著
むかし、ある所に、年を取ったおっかあと息子が暮らしていました。その頃、年寄は60歳になると山へ捨て、守らないと殺される掟があったのです。おっかあが60歳になったとき、山の奥までおぶって行ったのですが、捨てることは出来ず、山を下り、家の裏に穴を掘って、隠したのです。
ある時、殿様が村の者に、「灰で縄を作ってこい」といってきました。灰は燃えかすですから、縄などなえません。みんなが困っているのでおっかあに相談すると、「わらで縄をきつく縛って、塩水につけてから燃やしてごらん」というので、やってみると出来たのです。
すると今度は、「きれいに磨いた丸い棒を出して、どっちが根っこか調べてこい」というのです。太さも堅さも同じですからわかりません。また、おっかあに相談すると、「水に入れて、先の沈んだ方が根っこだ」と教わり解決します。
今度は、「玉に糸を通してこい」という。見ると、玉に糸の通る穴があいていますが、曲がっているので、糸など通るわけがありません。そこで、おっかあに聞くと、「小さな蟻を捕まえて糸の先に縛り、穴の口に蜜を塗り、塗っていない方の穴へ蟻を入れると、蟻は蜜の匂いに誘われ穴の中を進むはずだから、糸を通せる」というのでした。やってみると、糸は通ったのです。
喜んだ殿様は、「こういった知恵は、どうして生まれたのか」と尋ねます。そこで、「60を過ぎたおっかあに教えてもらい、年寄は、何でもよく知っているものです」と、震えながら告白したのです。決まりを破っていますから死刑です。しかし、殿様は感心し、掟を改めたのでした。息子は褒美をもらって家に帰り、穴蔵からおっかあを出し、仲良く暮らしたのです。
寺村 輝夫のむかし話 日本むかしばなし 4 寺村 輝夫・文/ヒサ クニヒコ・絵 あかね書房 刊
これと、そっくりな話が、チベットにあります。「賢い大臣」です。中国の唐の時代の話で、皇帝の1人娘をめぐり、7つの国の王子さまが結婚を争うのですが、その知恵比べとして皇帝から出された問題が、この話に出てくる殿様の難題と同じでした。灰で縄をなう代わりに、五百頭の親馬と子馬を放ち、それぞれ親子に分ける課題になっています。チベットの人は、馬の扱いになれているからでしょう。その親子の分け方ですが、チベットの賢い大臣は、親馬においしい牧草をたっぷりと与え、それから子馬を放します。すると親馬は、子馬にむかっていななきます。その声を聞いて、子馬は母馬のところへ、一頭も間違わずに行くのです。後の二題は同じで、見事に解決し、お姫様はチベットへ嫁ぐ話です。
こういう話に出会うと嬉しくなります。遠くチベットから陸を旅し、海を渡り、何百年も時を費やし、日本に伝わってくるのですから、これは大変なことです。
このように、昔話が長く語り継がれるのは、時代が変わっても、共感する心に変わりがないからでしょう。
この話の馬の親子の様子が目に浮かぶ童謡、「おうま」があります。
(1)おうまのおやこは なかよしこよし
いつでもいっしょにポックポックリあるく
(2)おうまのかあさん やさしいかあさん
こうまをみながらポックリポックリあるく
この歌の作曲者、松島彝(つね)は、国府台女子学院の校歌の作曲者で、暁星学園、東洋英和女学院は、北原白秋、山田耕筰の大御所コンビ、日出学園は、西条八十、山田耕筰、聖徳大学附属小学校は、サトウハチローの作詞と、私学の校歌も、有名人の手がけたものがあり、うかつにも見逃していました。
それはさておき、秋も深まってきました。紅葉狩りも、日本の風物詩に欠かせない絶景の一つでしょう。♪秋の夕日に照る山もみじ♪ 童謡「もみじ」の世界ですが、もみじという木があるわけではなく、カエデ科の木、ナラ、クヌギなど赤や黄色に色づく落葉樹をもみじといい、「紅葉狩り」は「梨狩り」「きのこ狩り」「潮干狩り」などと違い、木の枝や葉を取るのではなく、色づいた
木の葉を見て楽しむものです。
雑木林を散歩していたときのことですが、ポトンと何か落ちてくる音がしたので探してみると、かなり大きな丸いどんぐりでした。風が吹くたびに、ポトン、ポトンと落ちて来るのでびっくりしましたね。その時に思い出したのは、「どんぐりころころ」の歌でした。私は、「どんぐりころころ どんぐり子」だと思っていたのですが、進学教室の歌姫こと、まいちゃんが、「先生違うよ。
♪どんぐりころころ どんぶりこ♪ですよ」と言って歌ってくれたことでした。
「音を立てて水に落ちるさま」なんですね。だから「お池にはまってさあ大変」となるわけです。向田邦子さんもある随筆で、野口雨情の「赤い靴」の歌詞、「異人さんに連れられて」を「いい爺さんに連れられて」、土井晩翠の「荒城の月」の「めぐる盃」を「ねむるさかづき」と覚えていたと読んだことがありますが、誤って覚えてしまうことは結構あるようですね。
【最終回にあたり】
思い返せば、幼児教育ほど難しく、奥の深いものはないと痛感させられることばかりでした。むずかる子どもたちを、巧みにあやしてしまうお母さん方や保育園、幼稚園、幼児教室の先生方を見るにつけ、「これはかなわない」と何度も弱気になったものでしたが、その度に心の支えとなったのは、この言葉でした。
心に火を点ける
凡庸な教師はただしゃべる。
少しましな教師は理解させようと説明する。
優れた教師は自らやってみせる。
本当に優れた教師は生徒の心に火を点ける。
ウィリアム・アーサー・ワード (19世紀のイギリスの教育学者)
おこがましくも、教師の代わりに「親」を、生徒の代わりに「子ども」と置き換えると、「本当に優れた親は子どもの心に火を点ける」となりますが、これこそ育児の究極の目的、ご両親の仕事ではないでしょうか。
本メールマガジンの情報の基礎となっている「年中行事を『科学』する」(産経新聞社 刊)の「まえがき」で永田久先生は、「年中行事は民族を象徴する。
年中行事を知ることは民族の歩みを知ることである」と述べています。将来に目を向けることも大切ですが、私たちの祖先が、どのように歩んできたかを、日常生活を通して知ることも、意義があると思います。なぜなら、年中行事やむかし話には、幼い子どもたちが、楽しく生きるために心の糧となるヒントが、たくさん詰まっているからです。
思惑通りになったかどうかわかりませんが、お子さんの小さな心に、ささやかな灯火を点火できればと願い挑戦してみました。皆様の育児の参考になれば幸いです。最後までお読みいただきまして有難うございました。
お子さんの健やかな成長を、心からお祈りすると共に、素敵なお父さん、お母さんになっていただきたく、一遍の詩を紹介しましょう。雙葉小学校の説明会で配布されているものです。
★親の祈り★
神さま
もっと よい私にしてください。
子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。
理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
お助けください。
子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
よいところを心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で
子どもを しばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるよう
導く智恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望は、できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ 意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないように助けてください。
こちらが間違ったときには
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも穏やかな広い心を お与えください。
子どもといっしょに成長させてください。
子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。
子どもも私も 神さまによって生かされ
愛されることを知り
他の人々の祝福となることができますように。
令和6年10月吉日
めぇでる教育研究所 職員一同
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年10月10日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三でしょうな 霜 月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第48号-
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第13章 七五三ですね 霜月(2)
9月17日(火)の十五夜の満月をご覧になった方、10月15日(火)の十三夜も見ておきたいものです。「両方見ないと縁起が悪い」と言われていたそうですが、これは江戸時代の遊里、吉原の客寄せのキャッチフレーズで、「両日ともいらっしゃい!」が狙いだったとか。考えたものですね(笑)。
「箱根、仙石原のすすきが色づき始めました」とテレビで放映されていましたが、絶景です。お子さんに、満月とすすき、日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
★★むかし話と伝説の違い★★
孫引きで気が引けるのですが、「昔話と伝説」について、わかりやすい解説がありますので、紹介しましょう。
昔話と伝説には区分がある。
「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんがいました」と始まるのは昔話のほうである。いつ、どこで、だれが……を特定していない。いつでも、どこでも、だれでもかまわない。
そこへ行くと伝説のほうは、「伊吹山と浅井岳は古くから高さを競い合っていたが、あるとき浅井岳が一夜にして背を高くした。伊吹山の神タダミヒコはおおいに怒って浅井岳の神アサイヒメの首を斬った。首は琵琶湖に落ちて島となり、これが竹生島である」といったぐあいに、まことしやかである。いつ、どこで、だれが、といった事情がそれなりにはっきりとしている。とりわけ土地との結びつきが深い。どこで起きたことなのか具体的に記されている。
柳田國男 (1875-1962)の言葉を借りれば、
「伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物のごとく、伝説は植物のようなものであります。昔話は方々をとび歩くから、どこに行っても同じ姿を見かけることができますが、伝説はある一つの土地に根を生やしていて、そうして常に成長してゆくのであります。雀や頬白(ほおじろ)はみな同じ顔をしていますが、梅や椿は一本一本に枝ぶりが変わっているので見覚えがあります」(「日本の伝説」はしがき)
とあって、このたとえ話はわかりやすい。
伝説は土地との関わりにおいていろいろな枝葉をつけ、人々の願望を反映して成長していく。昔話はどこにでも移っていく。同じような話があちこちにある。
多少姿がちがっても「同じものだな」と見当がつく。
(集英社文庫 「ものがたり風土記」P23 阿刀田 高 著 集英社 刊)
「さすが、柳田國男先生」などとおこがましい限りですが、「昔話は動物のごとく、伝説は植物のようなものであります」の一言ですね。
【十一月に読んであげたい本 (1)】
七五三は、親が子どもの健やかな成長を祈る日です。しかし、かけ過ぎる愛情は、子どもの成長を妨げがちです。七五三は、親の子どもに対する愛情チェックの節目ではないかと思います。子を思う親の素朴な愛情を描いた昔話は、心があたたまります。
蛇というと、嫌われものの代名詞のようで、昔話でも悪役が多いのですが、この話は違います。もともと蛇は、水の霊、水の神さまのお使いと信じられていました。この話は、自然の恐ろしさと、お母さんの子を思う姿を伝えた話ですが、嫌われがちな蛇だからこそ、説得力があります。親子の愛情、特に母親の見返りを求めない無償のほほ笑み的な子を思う心は、理屈を越えた素晴らしいものです。
◆へびのよめさま◆ 丸山 邦子 著
むかし、あるところに、一人のお百姓さんが住んでいました。
ある時、子どもたちがいじめていた蛇を助けてあげると、その晩、美しい女性が、一晩泊めてほしいと訪ねてきました。次の日、お百姓さんが仕事を終えて帰ってくると、その美しい女性が食事の支度をしていたのです。そうこうしている内に夫婦になり、子どもができ、お産の時は見てはいけないと言われましたが、心配のあまりのぞいたのです。すると、部屋の中には大きな蛇がいて、とぐろの上に赤ん坊を乗せ、なめていたのです。
やがて、赤ん坊を抱いて出て来て、
「私は、助けてもらった蛇で恩返しに嫁になりましたが、姿を見られては、とどまることは出来ません」と言い、赤ん坊が泣いたら、しゃぶらせてほしいと美しい玉を渡すと、沼に姿を消したのです。赤ん坊は、玉をしゃぶり、健やかに育ちました。
ところが、話を聞いた殿様は玉が欲しくなり、家来に言いつけて、取り上げてしまったのです。腹を空かせた赤ん坊は、泣きやみません。途方に暮れたお百姓さんは、沼の淵で、ことの次第を話しました。すると、大きな蛇が、口に玉をくわえて現れたのです。一つの目から血が流れ、もう一つの目は、ふさがっていました。美しい玉は、蛇の片目だったのです。取られたのなら仕方ないと、もう片方の目玉をくれたのでした。
しかし、この玉も殿様に奪われてしまうのです。
お百姓さんが、このことを告げると、蛇は怒り、
「子どもを連れて山へ逃げてください!」
と言ったので、お百姓さんは、子どもを背負って駆け出しました。頂上に着いたとき、沼の水が盛り上がり、城に向かって流れ出したのです。恐ろしい力で向かってくる水の力に、城は、ひとたまりもありません。みんな流されたその後は、湖になってしまったのでした。
九月のはなし きのこのばけもの 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編 国土社 刊
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破ると破局を招く発想は、「古事記」の上巻に、豊玉姫(トヨタマヒメ)の出産をのぞいたことで離別する神話があります。姫の正体はふかでしたが、その他にも、機を織る仕事場をのぞいてしまった「鶴の恩返し」や、魚や貝が恩返しをする話などでよく知られています。「見ないでください」といわれると見たくなるのは、「怖いもの見たさ」と同様、人間の悪しき性(さが)のようですね。
これとよく似た話があります。
両目を失った蛇から、「私は盲目となってしまい、わが子の姿を見ることができなくなりました。三井寺の鐘を毎日撞(つ)いて、子どもの無事を知らせてください。年の暮れには、1年過ぎたことがわかるように、多くの鐘を撞いてください。お返しに人々に幸運を授けましょう」という滋賀県の伝説「三井寺の晩鐘」です。以来、三井寺では、除夜の鐘に際し、多くの燈明を献じ、目玉餅を供え、108に限らず、できるだけ多くの人に、できるだけ多く鐘を撞いてもらう特別の儀式が行われています。(www.shiga-miidera.or.jpより)
ところで、最近、落語を聞く機会がほとんどなくなりましたが、「寿限無(じゅげむ)」という噺があります。子どもがけんかをして、寿限無にぶたれた子が、こぶを寿限無の親に見せるのですが、名前があまりにも長いために、文句をいっているうちに、こぶがへこんでしまった噺です。名前の長さは、この話に出てくる名前の五倍ほどあり、それをきちんと覚えている噺家さんは、すごい記憶力だなと、感心させられます。
YouTubeで若き日の故立川談志師匠の「寿限無」を聞くことができます。
気持ちはわかるのですが、親の愛情が行き過ぎると、妙な具合になる話です。
名前は、一生の付き合いですから、あまりこったものでは、本人が大変です。
◆長い名まえ◆ 浜田 廣介 著
むかし、ある村外れに、「やぶん中」と呼ばれる家がありましたが、どうしたわけか、子どもが無事に育たず、3、4歳になると、あの世に行ってしまうのです。ある年に、男の子が生まれ、心配したおじいさんは、長生きできるように、長い名前をつけることにし、和尚さんにお願いしたのです。
つけた名前は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助」でした。これで、長生きできると、おじいさんは安心して帰るのです。
ある日のこと、長助は川へ菖蒲をとりにいき、丸太の橋を渡ったときに、足を滑らせ落ちてしまったのでした。友達は、おじいさんに知らせました。
「やぶん中のおじちゃん、大変だぁ。おじいちゃんちの、一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助ちゃんが、落っこちたぁ、落っこちちゃったぁ、川ん中へ!」
声を聞いて、出てきたおじいちゃんは、
「おおい、子どもしゅう。一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助が、どうしたって。どうしたぁ?」
「川ん中へ落っこちたぁ!」
「そいつは、たいへん」
おじいさんは飛び出していき、近所の人も駆けつけ、間一髪のところで助かったのでした。
世界民話の旅 9 日本の民話 浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
「長い名前で助かった」と思いたいのが人情ですね。原作では、井戸に落ちて死んでしまうことになっているそうです。再話で命を救ったのは、作者、浜田廣介の愛情ではないでしょうか。
(次回は、「11月に読んであげたい本(2)と最終回にあたり」についてお話ししましょう)
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2024年10月 3日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三でしょうな 霜 月(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第47号-
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第13章 七五三でしょうな 霜 月(1)
9月17日の十五夜をご覧になった方、10月15日の十三夜も見ておきたいものです。「両方見ないと縁起が悪い」と言われていたそうですが、これは江戸時代の遊里、吉原の客寄せのキャッチフレーズで、「両日ともいらっしゃい!」が狙いだったとか。考えたものですね(笑)。
十五夜と言えば、お月見団子とススキを連想しますが、そのススキはネットによると「箱根、仙石原のススキが見頃」だそうです。お子さんに、ススキや月見団子など日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
ちなみに今年の十五夜は満月ではなく「ほぼ満月」でした。次に十五夜が満月なのはなんと2030年だそうです。
さて、物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」という意味だそうです。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、あまりいわれていないようですね。
★★なぜ、11月15日なのですか★★
11月といえば七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りして、普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるわけです。氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神様で、鎮守の神、産土(うぶすな)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15日に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が記されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大凶のような感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入ってきた「宣命暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には
忌むべし」の日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経(すくようきょう 人々の吉凶を知る方法を説く経典)に基づいて作られており、本家のインドでも、鬼宿を尊んでいます。お釈迦様が生まれた紀元前463年4月8日は、鬼宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけますね。
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には山から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、そのために人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝するしきたりがありました。
11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や穀物と酒を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年間の労働から開放された喜びの日です。
後の五代将軍の五歳のお祝いが11月15日に行われた理由は、ここにあったわけです。権力の頂点に君臨する将軍ですから、そのご威光とお祭りの日が重なった鬼宿日こそ、祝日に最もふさわしい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められたのでした。
★★七五三の本来の意味★★
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮って、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自由な日、という感じもしないわけではありません。
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、この日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが渇いてジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフトクリームなどとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物は購入する場合ももちろんですが、レンタルでも大変高価です。奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心のお祝いでは、こうなりがちですね。
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、初めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしました。これを髪置(かみおき)といいます。
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はかまぎ)といいます。
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新しい着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)といいます。
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の子どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間の子どもになることを神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」と祝うのが、本来の七五三の意味なのです。
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前としての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳になる年から始まるのも、やはり、訳ありなのです。
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして見ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなくてはならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでもあったのです。しかし、今は子離れのできないお父さん、お母さんが、増えていると思えてなりません。
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、子どもの成長過程をこう考えています。
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時期。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時期。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時期だということです。
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を貸したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口をはさみ、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。
五歳を過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん自身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるもので、ここでも「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、「早くしなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、自分でやろうとする意欲など育ちません。
子ども達がいちばん嫌いな言葉は、「早くしなさい!」です。
できないから早くできないのであって、どれだけ無理な注文をしているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、お子さんと接するお父さん、お母さんになってあげましょう。主にお母さん方が得意とする料理、なぜ、レシピを見ないで素早く、上手に、美味しく作れるのでしょうか。試行錯誤を積み重ねた結果ではありませんか。
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのもお祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最後の時期だと思います。
お父さん、お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自律心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であることも、成長の理に適っているわけです。
★★千歳飴★★
七五三といえば千歳飴。記念写真を見ると、千歳飴と印刷された袋を持っていますね。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。
袋には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁や婆の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その中に、これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、江戸の宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の一人であった平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めたものといわれているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大きくなって、いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切っても、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。
現代の子は、食べているのでしょうか。
★★人の一生の祝い★★
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳新しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」となるかも知れません。
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じた、さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように医学が進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でもあったのです。本来、祝いの対象となる年齢は、生まれた年を1歳とする数え年でしたが、今日では、生まれた年は0歳で翌年の誕生日の前日終了で1歳とする満年齢で行われています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
[三日祝]
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産後ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
[お七夜]
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神様に報告したものです。
[お宮参り]
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31日に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませんから、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産土神とは、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏神ともいいます。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満々です。
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句です。初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝する日です。
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックスポケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を入れると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという意味です。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けていただくために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体的にも、子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあたるところから、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけです。
[成人式]
今は成人は18歳。お祝いは地域によって18歳または20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でした。奈良時代に起きた元服から始まった儀式で、ヨーロッパやアメリカにはないそうです。成人の年齢を迎えても、自由と権利だけを主張し、義務を無視している自己中心の子どもに育てるのは、親の責任不履行の結果ではないでしょうか。
心したいものです。
注 元服とは、奈良時代以降の男子の成人を示す儀礼、頭に冠を付ける意味。
女子は裳着(もぎ)といって、平安時代以降、女子の成人を示す儀礼、初めて裳をきせるもの。裳とは、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、腰部から下の後方だけをまとった服。
(「ウィキペディア フリー百科事典」より)
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達した現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42歳、女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意現象として片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでしょうか。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじみの唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句で、この前文に「酒債は尋常行く処に有り」、「酒代のつけは私が行くところ常にある。70年生きるのは稀であるから、今のうちに酒をたくさん飲んで楽しんでおこう」という意味だそうです。
(注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、喜寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になることから、米寿の祝いとなりました。
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、白寿とはしゃれています。
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108になることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108歳の祝に。
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。
[志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十有五にして学に志すから。
[弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶることから。
[而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わって自分の立場ができあがる年。
[不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
人生の方向が定まって迷わなくなる年。
[知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
天から与えられた使命を知る年。
[耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけではなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」しながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考えてみましょう。
ところで、日光の東照宮にある「三猿」の彫刻は、猿を通して人間の一生を8面で表したもので、その2番目には「幼年期の3匹の猿」がありますが、こういった教えであるとは知りませんでした。
いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の教えは、物心のつく幼年期には、悪いことを見たり、言ったり、聞くことをしないで、良いものだけを受け入れ、素直なままに成長させよという教えが暗示されている。 (「三猿の教え」東照宮ホームページより)
「三猿」でクリックすると教訓を読むことができます。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ともいいますが、英語では簡単に“Ask much,know much”(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、子どもにしっかりと教えたい教訓の一つではないでしょうか。
(次回は、「11月に読んであげたい本(1)」についてお話ししましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年9月26日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神さまでしょう 神無月(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう 神無月(3)
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響とともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶのではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。
その諏訪湖に棲む龍神様の話です。
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆ 谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいるぞ!」と声がしたので見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋がついていたそうです。
(日づけのあるお話三百六十五日 11月のむかし話 谷 真介 編著 金星社 刊)
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではなく、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三は京三郎で京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御所の大極殿というわけです。
(神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109 徳間書房 刊)
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401 より要約)
次です。落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
◆ねこのよめさま◆ 中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな食べ物を半分あげかわいがりました。
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽを巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。
それから、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、幸せに暮らしたのです。
十一月のお話 きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修 日本民話の会・編 国土社 刊
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役に立っているようです。
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでしょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
◆鬼退治◆ おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話 赤羽 末吉 画 福音館書店 刊
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めでたし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うようです。
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さまあり」ならではの話です。
◆かみがない◆ 鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせ(神と髪)には、神さまも吹き出すことでしょう。
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
◆見るなの座敷◆ 浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。
世界民話の旅 9 日本の民話 浜田廣介著 さ・え・ら書房 刊
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。ただし、現在は絶版となっていて気軽に手に取ることができないのが残念です。こういった民話や神話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こういった昔話ではないでしょうか。
子どもは親が解説しなくても、分化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。
わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、干渉していいのは、しつけです。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教えるのはご両親です。
例えば、携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、しつけが出来ていないと痛感する場面に出くわします。
何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのでは、と思います。「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心であり、子どもにとっては、最高の有難い手本ではないかと考えますが、皆さん方はどうお考えでしょうか。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)
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2024年9月19日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 神無月、風流です(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
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第12章 神無月、風流です(2)
今でも仏壇と神棚が家の中にあるご家庭もあるのではないでしょうか。
仏壇には先祖のお位牌が、神棚には天照大神のお札が鎮座ましまして、さらに庭には氏神さまを祭った小さな祠があるかもしれません。
仏さまと神さまが同居しているのです。
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに永遠に愛し合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらにもめたりしていますが、いろいろな教えや信条などの、よいところを少しずついただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょうというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけかもしれません。言い過ぎでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけで、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。これだけはいえると思います。
さて、木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでしょうか。
松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べています。
仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである。
(神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編 講談社学術文庫 刊)
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをします。出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させていただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれています。
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を「正中(せいちゅう)」といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが正しいとされているそうです。
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、れは外国人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそうです。
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうしても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてしまいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約したもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記しました。
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神さまから授かった天沼矛(アマノヌボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げました。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下りた二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコトは亡くなります。
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれとイザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生まれるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介したように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリシャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱出する際に、「振り向かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じです。
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナギは、身を清めるために体を洗い、いろいろな神さまを生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラスオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きたいと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナギはひどく怒り追放します。アマテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めたのです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いでいるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸をひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の戸隠山となったということです。
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びになり、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワシノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、浅草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。(「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98
萌文書林 編集部編 刊]
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩ともなっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかのぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守りになったとは。。。
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)をつけたのだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなおかめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さんにも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わったそうです。
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィーンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそうです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子をくれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、日本ではどうでしょうか。コロナでの自粛までは、仮装行列など、若者や大人が楽しんでいましたね。
※ジャコランタンの由来
「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりにも狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がくれた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャックはそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボチャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりました。(『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより)
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理ですね(笑)。
(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)
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