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めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第17号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第5章 雛祭りですね(2)
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる童謡、それが「うれしいひなまつ
り」です。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考
えていたそうです。
その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、「内裏雛」は天皇、
皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな様」は男雛と女雛で
一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、
正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。
大臣であれば「笏(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装してい
るからだそうです。(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
本メルマガでは、皆さんが慣れ親しんでいるこの童謡の歌詞に従い左大臣、右
大臣としました。
うれしいひなまつり
作詞 サトウハチロー 作曲 河村 光陽
一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(たいこ)
今日はたのしい ひなまつり
二 お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉さまに
よく似た官女の 白い顔
三 金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
四 着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
なぜ、桃の花なのでしょうか。
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔
除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を
占うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあ
ぶると、甲羅や骨にひび割れができる。
そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび
割れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」
「前兆(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのこと
ばからもわかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は
兆しを持つ木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれ
たのである。したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でも
なく、桃太郎でなければならないのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79)
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の
花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の
仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないの
ですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。
十二支にも「申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けん
かをしないように配慮されていますね。
★★左近の桜、右近の橘って?★★
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右
に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向か
って右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、
昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕え
る者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待って
いました。
京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜
の木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護
にあたった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、そ
の左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、
向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の
影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞ
れ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められて
いるそうです。
橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている
馴染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔
より日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えの
ある美しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。
また、神の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代
(よりしろ・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。
(http://www.e87.com/selection/sp_hina/colum_04.htmlより)
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
万葉集 6(1009)
(注 枝“え” 常葉“とこは”)
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびく
ともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていま
すが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかりま
す。何事も訳ありですね。
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐
えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、
早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、
春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコント
ラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝し
たくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いません
か。本当のところはどうなのでしょうか。
菱餅の赤、白、緑の三色は、
赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、
白は清浄を、
緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きがあり、薬
として使われていたので健康を
表しているのだそうです。
また、どうして形が「菱形」かは、諸説あるので、調べてみてください。
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命
を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生ま
れたからだそうです。
★★ひな祭りのごちそう★★
多様性の時代と呼ばれる現代ではわかりませんが、かつては、女のお子さんが
いる家庭では、必ず蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司を頂きました。
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良
いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかな
ちらしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷら
など、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎
った雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれ
るようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。
そして、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加わ
りました。
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は
米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1
センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエレルギー、緑は木々のエネルギ
ー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災い
や病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。(「トレ
ンド情報ステーション」より要約)
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の
書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれ
ています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人にな
るという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆ
えに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった
古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、重宝します。
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、
あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わ
せ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の
先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあ
たったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、
土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の
鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、みんな楽しそ
うでした。
ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、
ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたの
です。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶
境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを
持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのです
か」と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明
すると、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓
待されるので、4、5日滞在したのでした。
やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませ
んから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、
途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子の
もとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、
目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子
が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、こ
の後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意と
なったのでした。
生きる心の糧 中国故事物語 4 駒田 信二・寺尾 善雄 編
河出書房新社 刊
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さ
まとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さ
が)でしょう。
理想郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありたい、ささやかな願い」
ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやかな願いは、かない難く
なっているようです。
それにしても、山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、
いい年をした大人、しかも男性というところが何とも言えません。
(次回は、「雛祭りですね(3)」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
カテゴリ:
2022年3月 3日 01:06
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さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
★★早春賦、いいですね★★
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、
なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に
入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さ
んたちの歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学
校で習った唱歌、どのくらい歌えますか。
早春賦
作詞 吉丸 一昌 作曲 中田 章
一 春は名のみの 風の寒さや
谷の鴬 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
二 氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
三 春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思を
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃か
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し
長くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやか
な口調がいいですね。
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を待ち
わびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょうど今ぐら
いの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた歌詞を現代
風に訳すとこんな感じでしょうか。題して〔春の誘い〕「いざない」と読ん
でいただければ……。
一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
まださえずるときではないと声も立てないんだから
まださえずるときではないと声も立てないんだから
二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
さあ春は今だと思ったけれど あいにく
今日も昨日も雪模様の空なんだ
今日も昨日も雪模様の空なんだ
三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
聞いてしまうと急がされる気になってしまう
この胸の思いを
どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは
どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは
(http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm)
★★彼岸と春分の日★★
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をい
います。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、
という気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんにお経をあげてもらう
などして、祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことでは
ありませんか、お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当
たります。ご先祖さまがいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は
此岸(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先
の霊が安んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の
世界、すなわち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねは
ん)の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。その太陽信仰
ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈みます。極楽
は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた
太陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥
陀さまの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土
に達するのである。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼
岸会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、
念仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教え
ですから、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。お布施も必要ありませ
ん。
それにしても、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、
不思議で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照
大神で神さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さ
まは仏さまです。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の
国」があると信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生している
ことになります。「困ったときの神頼み」、本気で信じていないのでしょうね。
こういう国って、日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれている井川一久氏による
とこうなのです。
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部
と中部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐
と漬物と緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽し
み、旧正月(テツト)にはお年玉をばら撒く」
★★おはぎ★★
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」とも言います。もち
米にうるち米を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で
包んだものです。どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には
豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・
秋分の日に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であ
るという仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語
のbhuktaやパーリ語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu,mude(や
わらかい)が「もち」となって「ぼたもち」の名が定着したのである。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。
「牡丹餅と書くのではありませんか」といわれるかもしれませんが、これは後
の話だそうで、語源は、サンスクリット語やパーリ語だったのです。
「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く季節なので
「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称されるようになっ
たという説がありますが、まだ他にも諸説あるようです。
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春
分の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、習ったことはありませんか。
ところが、違うのです。
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長
いのである。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では
3月17日と9月27日である。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをい
うので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるの
です。何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。
大気は、光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮
き上がって見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えて
も、実際は、下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じでは
なくなるのだそうです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。
(次回は、「三月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
2022年3月10日 01:06
さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(1)雛祭りとお彼岸ですね 弥生
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「めぇでる教育研究所」発行
2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第16号-
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第5章(1) 雛祭りとお彼岸ですね 弥 生
小学校受験で春は三月からです。
物の本によると、「春」の読み方は、万物が「発(は)る」(発する)からと
いう説が有力ですが、草木の芽が「張る」、天候の「晴る」、田畑を「墾(は)
る」などの説もあるそうです。
弥生(やよい)のいわれは、この頃になると、草木がいよいよ生い茂ることか
ら、「草木がいやおい茂る月」が詰まり、「弥生」になったといわれています。
★★五節句のおもしろい特徴★★
三月といえば、何といっても雛祭りです。雛祭りは、いうまでもなく女の子の
節句です。
節句は一年間に五つあるので五節句と呼ばれ、正しくは「神と一緒にあること
を表す節供」だそうですが、ここでは使い慣れている節句としました。
五節句を決めたのは江戸幕府で、古来、宮中で行われてきた年中行事から五つ
選んだものです。
一月七日は人日(じんじつ)、陰暦の正月七日のことで、七草粥を食べる日か
ら「七草の節句」。
三月三日は上巳(じょうし)、お雛さまを飾る日から「桃の節句」。
五月五日は端午(たんご)、鯉のぼりや兜を飾り立身出世を願う尚武が転化し
て「菖蒲の節句」。
七月七日は七夕(しちせき)、夏の風物詩、七夕飾りをする「七夕の節句」、
「笹の節句」。
九月九日は重陽(ちょうよう)、陰暦九月九日の節句で、九は陰陽道では陽の
数とされ、これを二つ重ねた日にあたるので「重陽」といい、「菊の節句」と
もいわれています。
五節句は奇数日で、一月七日の人日を除くと同じ数字が重なっていますが、こ
れも何か意味がありそうです。
暦の中で奇数の重ねる日を取り出し、奇数(陽)が重なると陰になるとして、
それを避けるための避邪(ひじゃ)の行事が行われ、季節の旬の食物から生命
力をもらい、邪気を払うという目的から始まりました。
(http://iroha-japan.net/「日本文化いろは事典」より)
七草粥には、ご馳走を食べ過ぎた胃を調整する薬草が入っています。
桃の葉も薬草です。
菖蒲の根を細かく刻んで造った酒は、邪気を払い万病に効くといわれています。
淡竹(はちく)、真竹(まだけ)は竹葉(ちくよう)という生薬で解熱、利尿作用
があります。
菊は、長生きの薬といわれています。
五節句に登場する植物は、すべて薬用で、当然のことですが、やはり意味あり
でした。
「私達の先祖は、薬品を食品化することで、まず日常の食事療法をやり、さら
に労働スケジュールに合わせて、その時期にいちばん必要な薬物を年中行事化
することで、魔除けや信仰として摂取し、健康体を維持できるように、実に巧
妙といっていい、健康管理を行っていたのである。」
(「梅干と日本刀」 日本人の知恵と独創の歴史 樋口清之 著 祥伝社 刊
P131)
五節句は農業スケジュールに合わせて作られ、その時の飲食物は全て薬品なの
です。昔は病気になってから治療するのは大変でしたから、病気を予防するた
めの知恵でもあったのです。当時の農作業、米作りは人海戦術で、病気をする
と労働力が減り、お百姓さんにとっては一大事でしたから納得できました。
ところで、「怠け者の節句働き」といい、怠け者をあざける言葉があります。
節句の日には仕事を休み、神さまにお願いをする慣わしがありましたが、普段、
怠けていると、この時も田畑で仕事をしなくてはならないことから生まれた言
葉です。農作業は、一日も手抜きができない厳しい作業環境でもあったわけで
す。
★★雛祭り★★
昔のお雛さまは、今のように立派な飾りものではありませんでした。子どもが
病気にかかると、新しい雛人形を川へ流して、病気が体の外へ逃げていくよう
に、悪いことが起きないようにと、お祈りをしました。流し雛です。
室町時代、紙で作った人形(ひとがた)で体をなでて穢れを移し、川や海に流
すことで無病息災を祈った「流し雛」という風習と、ひいな遊び(人形遊び)と
が結びつき、貴族の間で人形を飾り、祀(まつ)るようになったと考えられて
います。(http://iroha-japan.net/ 「日本文化いろは事典」より)
米俵の両端にあるわらで編んだ丸いふた「さんだわら」(東京では「さんだら
ぼっち」)の上に、紙と土で作った雛人形を、あられや菱餅、桃の花と一緒に
のせて川へ流したもので、今のように部屋に飾って祝うようになったのは、徳
川家康の孫の東福門院が、子どものために作った座り雛が、その始まりといわ
れています。
雛人形が飾られるようになったのは、文化文政時代を経て天保(1830)の
頃からで、宮中から武家社会、裕福な商家や名主の家庭、そして町人社会へ広
まり、現在のような豪華な雛壇が作られるようになったのです。
雛壇には、お内裏さま、三人官女、五人囃子、左大臣、右大臣、おかしな顔を
している三人仕丁(じちょう―雑役係)、菱餅、あられ、白酒、桃と橘の花に、
いろいろな生活用品が飾られています。女の子が、やさしいよい子に育って、
幸せになるようにとお願いする日ですから、飾りものも女性ムードいっぱいで、
夢があります。人形が主役ですが、下の方に飾ってある、あのゴタゴタとした
所帯道具も、いいですね。タンス、鏡台、長持ちから牛車、駕籠(かご)まで
そろえているのもあります。新婚さんの望ましい嫁入り道具一式で、昔の女の
子が描く幸せな青写真を、雛壇で表しているような気がして、ほほえましくな
ります。
多様性の時代、といえども、こういった文化は残っていってほしいものです。
★★男雛と女雛、右ですか、左ですか?★★
女の子がいない家庭では見られませんが、デパート等に行くと、豪勢なものが
飾ってありますから見てほしいのです。地方によって、男雛と女雛の位置が違
います。東京など関東地方では、男雛が右側(向かって左)に、女雛は左(向
かって右側)に飾りますが、京都や奈良の関西地方では、男雛が左で女雛は右
と、逆に飾ってあります。
関東方式は、昔中国では、「右がすぐれている」という考えがあったからです。
右には「貴い」、「尊敬すべき」、「大切な」など、左には「卑しい」、「低
い」、「正しくない」などの意味があり、「右腕」や「右に出る」、「左遷」
や「左前」は今でも使っています。ところが、唐の時代に左右が逆転し、左上
位になったのです。
日本の文化は唐の影響を受け、平安時代に確立した日本の制度は左優先となっ
た。左大臣は右大臣より上席であり、左近衛大将は右近衛大将より上級である。
(中略)左上位は唐から宋へ受け継がれたが、元の時代に逆転し、明清の時代
に再々逆転し、左上位の順位が引き継がれている。
(年中行事を「科学」する 日本経済新聞社 刊 P75)
もっとわかりやすいものがあります、結婚式の披露宴を思い出してください。
新郎は向かって左側に、新婦は向かって右側に座っていますが、これにも確か
な意味があります。日本の結婚式は、昔から男子が家を守っていく、男子優先
で行われてきたからです。関西方式は、天皇家と関係があります。
天皇は、『天子南面』という言葉が示すように、紫宸殿の玉座に北を背にし、
常に南の方をむいて座られた。すると、天皇の左手が東、右手が西にあたる。
昔は日の出る東が月の沈む西より上と考えられていたから、内裏様を左に飾っ
た。したがって、大臣も左大臣が上席となっている。
(日本の年中行事百科 2 春 民具で見る日本人の暮らしQ/A P25
監修 石井 宏實 河出書房新社 刊)
面白い話があります。太平洋戦争終了後、日本を占領した国際連合軍の中で、
いちばん偉かったダグラス・マッカーサー元帥が、「男雛は向かって右、女雛
は向かって左にしなさい!」と命令したそうです。アメリカやヨーロッパでは、
レディー・ファーストの考えがあるからだと思っていたのですが、ことの起こ
りはヨーロッパで、騎士が戦うときには右手に剣を持ち、左手で婦人を抱える
ことから、左優先になったそうです。
最後に、「春一番」は立春後に初めて吹く強い南風ですが、春分まで、という
期間限定のため、発生しない年もあるそうです。
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説
したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般
でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
(「昭和のこころ」 日本の年中行事 So-net ブログより)
ちなみに、関東地方で最も早かったのは昭和63年2月5日でしたが、令和3
年は2月4日に吹き、記録更新となりました。最も晩かったのは昭和47年3
月20日だそうです。
(次回は「雛祭りですね(2)」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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2022年2月24日 01:06
さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 二月に読んであげたい本(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第15号-
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第4章 二月に読んであげたい本(2)
また目玉ですが、これも面白い話です。
◆鬼の目玉◆ 松谷 みよ子 著
娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、
若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さ
んが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡
くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者
が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いて
も若者は答えず、退屈だろうから、13ある部屋で遊びなさいという。ただし
「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。
娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人
さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみる
と、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が
咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、1月
から12月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入る
と、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、び
っくりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部
屋に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る
目を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、い
ったかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘
は、がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。
日本むかしばなし 7
おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵 ポプラ社刊
次は笑わせられる話です。
◆節分の鬼◆ 小沢 重雄 著
変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来
ても平気だと、「鬼は内!福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつ
けられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきた
ではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まりま
す。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半博打
(ばくち)が大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は
化けます。それで、博打をするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て
大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、
豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をしま
す。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、
酒を飲みすぎて死んでしまいました。
博打好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は
娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、
湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔
大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをして
もらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
日本むかしばなし 7
おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵 ポプラ社刊
どうしたら、こういう発想が生まれるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登ると
きは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当
に笑わされます。しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいま
すから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」
では、何やら不気味な感じがしますね。
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打をする話です。
◆地蔵浄土◆ おざわ としお 再話
ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入っ
てしまいました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋
ねたところ、「あっちの方に転がって行ったぞ」というその口元には、黄粉が
ついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さ
まが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。鬼達
が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上る
はしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、
届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻
込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図
をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵
さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏
が鳴いたと勘違いして、「夜明けが近いぞ!」とあせってばくちをし、2回目
には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、
お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお
金をいただいて大金持ちになったのです。
それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、
お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番
鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図
に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、「はぁ、一番鳥!」、「はぁ、二
番鳥!」といってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」と、
鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。
日本の昔話 2
したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社刊
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかし
いのです。欲深じいさんが天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふ
てぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているよう
な気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの
間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。
粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるでは
ありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。し
かもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。
まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
最後は鬼をたぶらかす話で、恐い鬼が相手ですから勇気がいります。
秋の話ですが、鬼の話ですのでここで紹介しましょう。
◆じいさまとおに◆ 水谷 章三 著
ある秋のことです。
おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。
そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のも
のをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。
計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしが
もらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が
葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。
五月のはなし
ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会編 国土社刊
大らかな話ではありませんか。鬼を手玉に取り、恐い鬼もかたなしです。鬼は
悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の
「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、
手に取るようにわかりますね。
ここでは取り上げませんでしたが、浜田廣介の「泣いた赤鬼」は、童話とはい
え日本以外に、鬼を人間らしく扱った作品はあるのでしょうか。最後の青鬼く
んの置手紙には、涙がこぼれてきます。お子さんはどのような反応を示すでし
ょうか。
赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、
このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さよう
なら、体を大事にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
(「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館刊)
(次回は、「第五章 雛祭りとお彼岸ですね 弥生」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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2022年2月17日 01:06
さわやかお受験のススメ<保護者編>建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
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「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
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建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)
2月14日はバレンタインデー。「バレンタイン」は、3世紀頃にローマで殉
教したキリスト教徒の英語名、イタリア語では「ヴァレンティーノ」。当時の
皇帝は、兵士の戦意に影響があると考え若者の結婚を禁止。哀れに思ったバレ
ンタインは、ひそかに結婚させていたのが皇帝の知るところとなり処刑された
日が2月14日、殉教の日がバレンタインデー。チョコレートを贈る習慣は、
イギリスのチョコレート会社カドリバ社がギフト用のチョコレートボックスを
製造し広めたもの。日本では1970年頃より広まった。(言語由来辞典より
要約)
現代では贈る相手も多様化。これからどんな「○○チョコ」という言葉ができ
るのでしょうか。
★★建国記念の日★★
2月11日は、建国記念の日です。昭和24年(1967)2月11日から、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日に定められたものです。
しかし、建国記念の日は昭和生まれではなく、明治6年に紀元節として誕生し
ました。紀元節は、日本書紀に記されている、神武天皇が即位され、日本の国
が始まった日と定めた祝日でした。その根拠は、日本書紀第三巻・神武天皇の
項に、以下のようにあります。
「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」
辛酉(かのとり)の年の庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)、一月一日、
天皇は橿原宮にご即位になった。この日を天皇の元年とする。
これを根拠として、紀元節は誕生しました。しかし、昭和23年に、紀元節が
戦争の原因になった国家主義や軍国主義を象徴する祝日であったことや、日本
の誕生した日はいつであるか、歴史的な根拠が明白でないことなどから廃止さ
れ、その後、さまざまな論争が続き,紆余曲折を経て、やっと「の」の一字を
入れることで「建国記念の日」ができたわけです。
紀元節の根拠は日本書紀にあるとお話ししましたが、果たして正しいのでしょ
うか。暦のことなど研究したことのない方でも、秘密を解くポイントは、「辛
酉(年春正月)・庚辰・朔」にあるではと思われることでしょう。
暦学的に検証すると、その根拠は立証されているのですから驚きです。「年中
行事を科学する」(永田久 著 日本経済新聞社 刊 P54~65)には、
「辛酉・庚辰・朔」について、西暦紀元前660年は辛酉年、2月11日の干
支は庚辰、月齢はゼロであり、現在、建国記念の日となっている2月11日は、
「日本国は神武天皇の即位をもって建国とする」との日本書紀の記述と一致す
ることが証明されています。西暦紀元前660年といってもピンと来ないかも
しれませんが、弥生時代です。
この記述は記述として、実際の歴史という観点からはどうでしょう。
日本は、もっとも短く見積もっても二千年ぐらいまで遡ることができます。世
界で二番目に長い国はデンマークで一千数十年、次がイギリスで九百四十年余
り、アメリカ、フランスは二百年そこそこ、中国はたった六十四年。「四千年
の歴史」なんて大嘘ですからね(笑)。
(著者インタビュー 武田恒泰 著 「日本人はいつ日本が好きになったのか」
月刊雑誌 WiLL12月号(2013年)P144 ワックス出版社 刊)
なんと、世界最古の歴史を持つのが日本なんです。
驚きですね。
日本人が大切に守ってきた様々な文化を学び、子ども達にきちんと伝えていく
ことは、世界最古の歴史を持つ日本人としての役割ではないでしょうか。
★★2月に読んであげたい本(1)★★
鬼に関する話はたくさんあります。代表作は「桃太郎」「こぶとり爺さん」で
すが、これはお染みの話ですから紹介するのは遠慮しておきましょう。子ども
に聞かせる話ですから、恐怖感をあおるようなものはあまりありません。節分
ですから、やはり豆まきの話からにしましょう。
◆豆をいるわけ◆ 谷 真介 著
むかし、まだ鬼があちこちの山奥に住んでいた頃の話です。その年は、春から
日照り続きで、稲は枯れだしました。心配した庄屋さんが、「雨を降らしてく
れたら、一人娘のお福を嫁にやってもよい」と言ったその声を山奥の鬼が聞き、
大雨を降らせたのです。約束を迫られ嫁がせますが、その時、お母さんが知恵
を働かせます。「道に落としながら行きなさい」と菜の花の種を渡しました。
それを足元に落としながら、鬼に連れられて行くのでした。
翌年の春、菜の花は咲き、それを道標(みちしるべ)に娘は家に帰れたのです。
取り返しにきた鬼にお母さんは、「酒ばかり飲んでいる者にお福はやれぬ!」
と迫り、「もう、飲まん!」と約束をした鬼に、戸のすき間からいった豆を投
げ、「その豆を植えて花を咲かせてみろ。その花を持ってきたら、お福をやる
!」と言ったのです。何年も続けましたが、咲くわけがありません。鬼も次第
に豆を見るのが嫌になり、お福の家にも来なくなりました。この話を聞いた村
の人達は鬼が来ないように、いった豆を家の周りにまくようになったのです。
これが二月三日、節分の豆まきの始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日
二月のむかし話 谷 真介 編著 金の星 刊
節分の豆まきは、「いった豆」がキーワードのようです。童話の名作「ヘンゼ
ルとグレーテル」の著者はグリム兄弟ですが、ドイツ人です。菜の花の種をま
く作戦と小石とパンのかけらを目印にした共通の作戦は、面白いではありませ
んか。世界中の童話や昔話を読んでいて、話の筋や仕掛け、舞台装置が、そっ
くりなものに出会うとうれしくなります。その話がほほ笑ましいとなおさらで
す。
イギリスの民話にも日本の昔話とそっくりなものがあります。「トム・テイッ
ト・トット」の翻訳ともいわれているそうです。日本の題名は「鬼六」といい
ますが、文句なく面白い話です。
◆鬼 六◆
むかし、ある所に、大きくて流れの速い河がありました。その河へ橋を架けて
ほしいと頼まれ、やってきた名人は、一目で難しい仕事とわかり頭を抱えます。
すると、河の中から大きな鬼の首だけが現われ、「橋を架けてあげるから、お
礼にあなたの目玉をくれないか!」
と言ったのです。困りはてていた大工さんは、約束をします。橋はできてほし
いが、できれば目玉をあげなくてはと、大工さんは一晩中、眠れません。
翌朝、行ってみると、何と立派な橋が架かっているではありませんか。喜んだ
大工さんですが、鬼との約束を思い出し、肩を落とします。そこへ鬼が顔を出
し「目玉をよこせ」と言う。どうしたものかと考えていると、「明日の朝まで
に私の名前を当てたら、目玉はいらないよ!」と言って、また沈んでしまった
のでした。大工さんに鬼の名前がわかるはずもありません。途方に暮れて歩い
ていると、山奥に入いりこんでしまい、引き返そうとしたその時に歌が聞こえ
てきたのです。木陰からのぞくと、鬼の子ども達が歌っていました。
♪オニロク オニロク オニロクさん
早く目玉をもってこい
大工の目玉をもってこい
橋のお礼をもってこい
オニロク オニロク オニロクさん♪
大工さんは、それを聞いてほっとし、笑みを浮かべるのでした。
翌朝、大工さんが河に行くと、顔を出した鬼は、名前のわかるはずがないと自
信満々です。
そこで大工さんは自信なさそうに、「河鬼!」、「橋鬼!」などと言って、鬼
を得意にさせておき、最後に大声で、「オニロクー!」と叫ぶと、鬼はブクブ
クと泡だけ残して消えてしまい、二度と姿を現しませんでした。
(子どものための世界のお話
福光えみ子 福知トシ 福井研介 大江多慈子 編 新福音社 刊)
それにしても、どうして鬼が人間の目玉を欲しがるのか、子どもに質問されそ
うですね。
世界中の民話や童話、昔話を読んでいると同じような話がたくさんあります。
ドイツには、この他に「こぶとりじいさん」とそっくりな話もあります。ノッ
クグラフトンの伝説「こぶとり」です。背中にこぶのあるラズモアという帽子
屋さんが、歌と踊りがたいへん上手だったので、また一緒に遊ぼうと、約束の
証拠に背中のこぶを預かるといって取られてしまいます。日本では相手は鬼で
したが、ドイツでは小人さんです。この話を聞いた歌も踊りも下手な、こぶの
ある青年が行くと、あまりにも下手なので、預かっていたこぶをもらってしま
うというところもそっくりです。グリムの作品にも「小人の贈り物」と題した
同じ話があります。
肌の色が、言葉が、生活習慣が、宗教が違っても、人間、考えることは皆、同
じなのだと思うとうれしくなりますね。
(次回は、「2月に読んであげたい本(2)」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
2022年2月10日 01:06
さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月
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「めぇでる教育研究所」発行
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「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第13号-
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第4章 節分と建国記念の日でしょう 如 月
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
★★節分って……?★★
文字通り「節」を「分ける」ことで、「節」とは季節、四季のことですから、
季節の移り変わるときという意味です。
昔は月が地球を一周する時間をもとに作った暦、太陰暦を使っていました。今
は地球が太陽の周りを一回りする時間を一年とする暦、太陽暦です。その陰暦
で季節の区分、その変わり目を示す日を「節季」といい、立春から大寒まで二
十四あったので「二十四節気」といったのです。その中で、立春、立夏、立秋、
立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを表した言葉で、季節がジワッと伝わ
ってくるような気がしますが、なかなか実感できません。立夏は5月6日頃、
立秋は8月8日頃、立冬は11月7日頃ですから、実態から1ヶ月程早く、実
感できないのも当然なのです。
この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を「節分」といいます。
節分は、明日から季節が変わる前夜祭にあたります。2月の節分は、旧暦では
大晦日になります。数え年の場合、年が明ければ1つ年を取るため、豆も1つ
多く食べるということなのです。
それにしても、立春の前の日の節分だけが有名になりました。
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★
いろいろな説があります。
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいました。ある時のこと、困っている
人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現わ
れ、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令したのです。鬼は
悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことから「魔目」、すなわ
ち「豆」となったそうです。
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じる
からだという話もあります。
ところで、「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていますね。漢字はよく
工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことがわかり、楽しいもの
です。
★★なぜ、豆を煎るのですか★★
地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同じような
民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく塚を作る
約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
(注 塚…一里塚など土を高く盛って距離を表す標識)
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼
の勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったの
で、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声を
はりあげた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のとこ
ろで負けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散し
た。神様は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
[年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
この話をお子さんにするときには気を付けてください。
「何で鶏が『東天紅』って鳴くの?」と聞かれるでしょう。
お子さんがわかるように説明してあげましょう。一緒に調べても良いですね。
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
豆まきをしない家が増えているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。
柊は、葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛む
ことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひいら
ぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったそうです。
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾る習慣は今でも残っています。
葉のとげで鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わりま
す。とげのある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが、神さまと仏さまが同居している日本的です
ね。
★★鬼のルーツは…?★★
陰陽五行説、聞きなれない言葉ですが、この古代中国の世界観の一つが鬼と深
い関係があります。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、春、
奇数などは陽、月、秋、偶数などは陰と考えられていました。奇数が縁起のい
い数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
(「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考
えから、今の鬼が定着しました。
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」と
いう7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世に
なって民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
(2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
ところで、食べられた方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙
って丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近で全国で行わ
れています。
恵方とは、「陰陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、実は四方向し
かなく、西暦の下一桁で方向が分かります。そして、恵方巻として定着してい
る巻き寿司の中身は、もともとは七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、
きゅうり、椎茸、玉子、おぼろ、高野豆腐など7種類の具を巻きました。包丁
で切らず、福を丸ごとかじって食べるのが定法で、江戸時代に行われていた大
阪の伝統習俗を復活させたものです。
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗
談めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪
魔は外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、
お釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子
どもの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけで
すが、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているから
だそうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですか
ら、「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節
分」を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
(生活情報サイトAll About より)
ところで、「鬼のパンツ」の歌、聞いたことがありますか。この歌は、イタリ
アのヴェスヴィオ火山の山頂まで行く登山電車のコマーシャルソング、『フニ
クリ・フニクラ』のメロデイーを使った替え歌なんです。なお、作詞者は不明
だそうです。
鬼のパンツは いいパンツ 強いぞ 強いぞ
虎の毛皮で できている 強いぞ 強いぞ
5年はいても 破れない 強いぞ 強いぞ
10年はいても 破れない 強いぞ 強いぞ
はこう はこう 鬼のパンツ はこう はこう 鬼のパンツ
あなたも あなたも あなたも あなたも みんなではこう鬼のパンツ
(世界の民謡・童話 worldfolksong.comより)
(次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)」についてお話し
ましょう。)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
2022年2月 3日 01:06