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めぇでるコラム : 2022年8月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>説明会より

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         「めぇでる教育研究所」発行
「2023さわやかお受験のススメ<小学校受験編>」
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2023年度入試(2022年秋に実施)を成功に導く手引きです。
          ★第57号★
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○説明会情報○
 昭和学院小学校 オープンスクール・入試説明会
   9月10日(土) 200組定員満席間近(8月5日現在)
      
 国府台女子学院 学校説明会
   9月17日(土) 
 
 千葉日本大学第一小学校 学校説明会
   9月10日(土) 
      
 いずれもHPでご確認ください。
 
 
 
 ■過去の説明会より
 
今回も、過去に行われた説明会での情報を紹介しましょう。
 
「共学がいいか、別学がいいか」、徹底的に分析をしてくれたのが立教小学校
の田代現校長です。具体的な話は教頭時代でしたので、教頭時代の数年の話を
まとめてみました。教頭は、その容貌と話し方から、大変な熱血漢である印象
を受けます。おそらく、子ども達からも親しまれているのではないでしょうか。
 
「本校にはどんな男の子がいるか。男の子は単純で、雑駁で、ずぼらで、締ま
りがなく、言葉遣いは悪いし、けんかは日常茶飯事だが、私は好きだ。
 脳科学者の話では、すべてに当てはまるわけではないが、脳の厚さは、女性
は11歳で最大になるのに比べ、男性は18ヶ月遅れるとか、実証されている
そうだ。成熟差を中学生で比べると、1年半から2年間ほど遅れるそうで、我
々が教えていてもそれは感じる。
 アメリカでは1932年に公立校の男女別学を禁止していた。しかし、20
06年10月に法改正がなされ、公立校で別学、共学を選択できるようになっ
た。脳の発達や思考、得意分野の違いをまったく無視し、同じ条件で教育した
ことに問題があるということで、別学が増えていく。
 イギリスの研究者の話では、男女別学では、性別による固定観念を打ち崩し
やすいが、共学ではこれが難しいといっている。歌を歌う場合、共学では恥ず
かしがってほとんど歌わない。男子校の合唱は一つの特徴でもある。女子校で
は今はやりの『リケジョ(理系女子)』ではないが、数学や科学を好む学生が
増えてきた。別学では男子らしさ、女子らしさという固定観念がなくなるので
はといわれてきている。共学では逆に強調され、男女別学の良さが見直されて
来ている。アメリカの真似をするのが大好きな日本だから、文科省が力を入れ
ている中高一貫教育も、今に中高一貫男子校、女子校を作り出すかもしれない、
公立校の。我々は小中高大学までの一貫教育で男子校。皆さん方は、すでに先
見の明があるといえる。それを申し上げておきたい。18歳をこえると脳の成
長の差はなくなるそうだ。小中高で男女が分かれていて、大学で共学というの
は理想的な教育制度で、手前みそながら何ですが……」(会場から笑い声が起
こりました!)
 
理系に進む女子については、国府台女子学院の平田史郎学院長は、進学実績か
らその傾向にあるとおっしゃっていましたが、「女子だけだからいいのです。
共学にする考えはありません」と力説していました。やはり科学的な根拠があ
ったわけです。もしかすると、公立校での中高一貫男子校、女子校の誕生は、
案外早い時期に実現するかもしれませんね。
 
ところが、聖徳大学附属女子中学、高校は、2021年4月より共学の進学校
を目指し、学校名を「光英(こうえい)VERITAS(ヴェリタス)中学校
高等学校」に変更、生まれ変わりました。これで益々、国府台女子学院は貴重
な存在になりました。
 
話を戻しましょう。
どんな家庭のお子さんが欲しいかについて田代先生は、次のようにおっしゃっ
ていました。
 
「最後に、いつもお願いしていることだが、どんな家庭のお子さんがほしいか、
メモをとるような話ではないが、訓練によって鍛えられた子どもではなく、話
の読み聞かせや自然の中で五感を使った遊びの体験やお手伝いを重視する家庭。
それらを基にして、豊かな会話をもっている家庭、そういう日常生活を大切に
している家庭で、社会のルールを守る社会性や協調性を厳しくしつけられてい
る家庭の男の子が欲しい。なぜなら、学校は社会性を訓練する場、男が成長し
て父親になった時、知性を発揮できるように、キリスト教の精神に基づき行え
る心の豊かさ、自分に対して優しさという知性を身につける場であり、こうい
ったことを理解し協力してくれるご家庭の子、男の子なら誰でも結構」
 
学校選びの基本は、「ご両親がどんな大人に育てたいのか、そのためにはどう
いった教育、環境が必要であるかではないでしょうか」とおっしゃっていまし
た。私どもも、「はじめにご家庭の教育方針ありき」と言ってきましたので、
素直に受け入れることができました。
 
以前、紹介しました「教育の道は家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲
き、世間の教えで実がなる」、明治時代、高等小学校(現在の5、6年生)の
親に配られた「家庭心得」ではありませんが、そのとおりですね。
 
高学歴者の不祥事が伝えられるたびに、「世間の教え」をないがしろにした結
果ではないかと考えますが、今までの努力は何だったのだろうと、他人事なが
らもったいないと思いますね。
 
次は、早稲田実業初等部の求める子ども像です。
 
『どんな子どもに来てほしいか、いろいろとあるが主だったことを言うと、第
1に早実大好き、早稲田大学に進んで勉強したいと思う子。2つ目に規則正し
い生活ができる。もう一つ大切なことは、自分のことは自分でできるお子さん。
これができていないと宿泊学習が始まると辛くなる。中学で体験したことだが、
宿泊合宿のときの荷物作り、親御さんが詰めてしまう。忘れ物が出ても名前が
書いていないからわからないので処分するしかない。自分でやらないからわか
らない。3つ目は人の話を最後までしっかりと聞くことができる。4つ目は物
事に最後まで取り組むことのできる子を期待している。
 基本的な生活習慣は、ご家庭で教えて頂きたい。しつけの問題になるが、教
え方に問題があるのではないか。ご両親共に子どもと接する時間が少なくて忙
しい。うまくできないと早くしなければならないから、お母さん方はすぐに手
を貸してしまう。そうではなく言葉をかける。言葉を理解し自分でやることが
大切。だから時間はかかる。手を貸すと「また貸してくれる」と子どもは考え
る。その時はスムーズに通過できるが、後々それが癖になる。言葉を主体にし
て見守り、時間をあげて言葉で考えさせて、自分でできることを中心に考え、
できたところでしっかりと褒める。その繰り返しが大切。褒められると次に生
きてくる。また褒められたいという気持ちになる。そういうことを大切にして
ほしい。幼い時に身に付いたしつけ、習慣は、子どもにとって大切な宝物にな
る」
 
そして、モチベーションの上げ方について。
 
「学校見学会が行われるが、初等部を見学できるのはこの日だけ。是非ともお
子さんと一緒に来てほしい。お子さんが自分の目で見ることが大事。私の願い
は、お子さんが『この学校に来て学びたい、勉強したい、一緒に友だちと遊び
たい』と思うだけでも、これからの受験勉強の励みとなり、お子さんのモチベ
ーションも上がる。それを狙っている部分もあるので、『勉強しなさい!』と
言ってもモチベーションは上がらず、そのへんはなかなか難しい。そのために
も是非、一緒に来てほしい」(2018年説明会)
  (早稲田実業学校初等部 橋詰敏長前校長  )2019年4月より森国現校長
 
今年の見学会は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止になり、映像
での配信となりました。配信は9月3日から10月27日まで視聴可能です。
詳しくはHPをご確認ください。
 
また、森国校長は、「早稲田実業学校の伝統と歴史は、校是『去華就実』のも
とで形成されてきた。上辺だけの華やかさではなく実をとる、外面より内面の
美しさを求める精神を大切にし、社会の各方面で貢献できる人材の育成を目指
している。校訓の『三敬主義』は、他者を、自己を、事物を敬うことの大切さ
を説いてきた。謙虚で優しく、自重自立し、全てのことに敬う心をもって取り
組む誠実な姿勢を示すもの。こういった理念を受け継ぐ初等部6年間は、一人
ひとりの個性を尊重し、確かな学力を身につけ、自ら学び、考え、創り出し、
表現する力を育て、人間性豊かな児童を育てることを目標に掲げている」とお
っしゃっていました。
 
 
最後に、慶應義塾幼稚舎です。
幼稚舎の教育の特徴「6年間担任に持ち上がり制と教科別専科制」について、
大島誠一元舎長の話を紹介しておきましょう。
 
「幼稚舎教育を通じて、子ども達にどういった人になって欲しいかというと、
『人生を楽しむ人になってほしい』『社会を肯定的に見る人になってほしい』
『自分の能力を生かして人の役に立つ人になってほしい』と私は願っている。
人生を楽しむといっても、ただ、その場その場を面白おかしく生きるというの
ではない。日々、辛い努力を積み重ねることも大切で、辛いことに辛抱するこ
とも大事だ。しかし、究極的には『自分の仕事を楽しむ』ことだ。
福澤諭吉が示した慶應義塾の目的に、『社会の先導者たらんとすることを欲す
るものなり』という語句がある。しかし、始めからリーダーになることを目指
すのではない。仕事に喜びを感じ、自分の好きなことをやっている内によい仕
事ができる。その結果として周りに支えられリーダーになっていくという考え
だ。もちろん、自分が嫌なこともやらなくてはならないだろう。しかし、やっ
ていることが楽しくなければ継続することは難しく、ましてやよい仕事ができ
るとは思わない。楽しいからこそ人から見れば辛いことも、たいして辛いと思
わずにできるのだろう。会社の組織の中で高い位置につくことができなくても、
あるいは先導者となり得なくても、年老いた時に、『自分の人生はよかった』
と思えるような生き方を私は大切にしたいと考えている。
こういった考えは、福澤諭吉の生き方そのものだと思う。福澤の生き方は、最
初から立身出世位を目指したものではない。『知りたい、見てみたい、やって
みたい』という気持ちが凝縮した人生だったと思う。幼稚舎という学校を理解
していただくには、ここで私がくどくど申すより、福澤が自らの人生を振り返
った『福翁自伝』を読んでいただければご理解いただけるものだと考える。是
非、一読されることをお薦めしたい。そして『福翁自伝』は、幼稚舎を受験す
るだけではなく、自分の生き方を考える上でも素晴らしい書物だと思っている
ので、多くの方々に読んでほしいと思っている」
 
『福翁自伝』はわかりませんが、明治初期に発売された「学問のすすめ」は、
300万部以上売り上げ、超ベストセラーになっています。ちなみに、世界一
のベストセラーは「聖書」で、約3880億冊だそうです。
      (「マナビゲート 2016」P39 大学通信 発行より)
 
雙葉小学校の説明会は、公開行事がない本校で唯一校内に入ることができる機
会です。校庭の一角には、幼稚園、小学校に在籍されてから聖心女子学院へ進
まれた上皇后美智子様が、ご成婚の記念に植樹されたメタセコイヤの3本の内
の1本が、校舎と頭を揃えるほどに成長した姿を見ることができます。
といっても、校庭に入ることはおそらくできませんので、会場へ移動の際に階
段から見ることができる大きな木、と思っていただければよいでしょう。
 
夏になり、入試に向け家庭学習も一段とペースが上がってきたのではないでし
ょうか。夏期講習会で身につけたリズムを崩さないように、頑張りましょう。
一点、休養を取ることもお忘れなく。
 
    (次回は「よくある質問について」お話ししましょう)
 

 


さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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 第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(4)
 
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機
に、戦争についてご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
 
【八月に読んであげたい本】
 
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解でき
るのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにしま
す。
 
  ◆東京大空襲ものがたり◆   早乙女 勝元 著
 
 「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
 ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
 これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
 東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐ
 れてしまったのです。
 二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
 亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つら
 く悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下
 町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの
 日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、
 そしてみんなに語り続けているように思われます。
 でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、
 こう呼びかけるのです。
  誰もが、平和を守るための努力を、
  そのための、小さな勇気を、
  わすれてはいけない、と。     花房ゆかり 眞一
 
 (東京大空襲ものがたり  早乙女勝元著 有原誠治絵  金の星社 刊)
 
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれ
たのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子ども
に伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
 
 
 
  ◆長崎のピカ◆
 
 昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
 一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
 3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死
 んでいったの。
 最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわ
 たを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいった
 けれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれい
 な船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、お
 いでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけ
 れど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのよう
 にはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も
 動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
 下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなって
 いくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中
 だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
 次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
 私は、12歳でした。
           
  夏休みのはなし
  「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊                                          
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけで
す。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
 
 
  ◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
 
 前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは
 特攻基地でした。
 特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の
 近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれて
 いました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹
 がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したの
 です。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き
 残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が
 配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
 昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきた
 のです。
 娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘
 達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやって
 ね」と言いました。
 翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さん
 が現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎ
 られ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの
 合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛
 いように伝わってきました。
 その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さ
 んが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん
 達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を
 聞いているようでした。               
 「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
 おばさんは、ぽつんと言いました。
   日本むかしばなし 23
     ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵  ポプラ社刊 
                                         
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠
牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
 
 
                                         
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。 
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り
替えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないかもしれ
ませんね。                
 
 
 ◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
 
 ある夏の暑い晩のこと。
 あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いに
 きたのです。
 それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日
 目の晩のことでした。
 「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざ
 た顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげ
 ました。
 「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来る
 と姿を消したのです。
 すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、
 和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
 先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというので
 す。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみ
 つき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが
 売ったあめでした。
 昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだ
 ら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭は
 なかったのです。
 和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭
 で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏
 を唱えたのでした。                     
    海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                             日本民話の会・編  国土社刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
     ( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

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