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めぇでるコラム : 2018保護者: 2017年3月

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(2)桜について

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第6章(2)桜について
 
開花宣言が出て寒の戻り、箱根は雪が降っていましたね。東京の桜、今年も入
学式まで何とか持ちそうで、ぴかぴかの一年生、大きく羽ばたいてほしいもの
です。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそり
と観賞しなければならない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きり
っと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがし、大輪
の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まい
を正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上
戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜
は、木、そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさ
い!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は、農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあ
りませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りに
なり、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の
神さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この
年の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田の
神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木をあ
てたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
         (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神様を迎える儀式でしたが、武士の時代と
共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽く
した宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から引
きずりおろされ、今では、はしなくも、夜桜のもとで酒盛りをし、カラオケを
楽しむ行事と成り下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさをこき下ろしていますが、古来、何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
酔って人に迷惑をかける人たちは、無礼講をはきちがえた無礼者ですが、日本
人が桜や桃、梅を愛したのは、いずれの木にも宿る生命力を、分けていただこ
うと考えたに違いありません。一種の自然信仰であり、外国で行われている森
林浴と同じではないでしょうか。
ドンちゃん騒ぎは、桜にとっては迷惑な話だけで、ご利益などあるはずが、い
や、期待していないでしょうね。
あのライトアップですが、桜にとっては迷惑な話で、夜になってもゆっくりと
休めないと思いませんか。お日様が沈み、「さぁ、寝ようかな!」と思ったとた
ん、いきなり明るくなるのですから。「桜の樹権」などという言葉はないでしょ
うが、そっとしてあげられないものでしょうか。
JR高尾駅から徒歩10分ほどのところにある多摩森林科学園で、「本日、休
林日」の看板を見たことがありましたが、そこで働く人々の自然を愛する心意
気を感じ、うれしくなったものです。
 
ところで、桜の木は、にぎやかに盛り上がるだけではなく、人生を静かに、深
く、考察の場に導く花でもあります。いきなり雰囲気は変わりますが、黒船が
来る前に幕府に上申した「海防八策」は、明治維新の路線そのままであったに
もかかわらず、評価されずに暗殺された幕末の洋学者、佐久間象山は、
  折りにあはば 散るもめでたし 山桜 めずるは花の 盛りのみかは
と辞世の句を詠っています。これを真に受け、若い頃は、「人生、幸せな時ば
かりがあるわけないよ。闇夜もあるけど、日は、また、昇る!」などといきが
っていたものでしたが、何やら勘違いしていたようです。「人生は、プロセス
が大切なのです。一日、一日が人生ですよ」とおっしゃっているのでしょうね、
などと何も気取ることはないのですが(笑)。蛇足ながら、象山の奥方は勝海
舟の妹です。
 
子育て奮戦中のお母さん方ですから、よくおわかりかと思いますが、育児もプ
ロセスが大切ですね。生まれ月に応じて、一歩一歩、確かな歩みを見守りなが
ら、大らかな気持ちで育てるべきです。そして、育児しながら「育自」(誤植
ではありません)するお母さんであってほしいと願っています。
 
    願はくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
 
西行法師の歌ですが、古来「花」といえば、奈良時代は「梅」のことでしたが、
平安時代から「桜」になったようです。俗界から逃れ、出家された中世の隠遁
者が、かくも桜の花に心を寄せているのですから、古くから人々に愛されてい
たことがわかります。西行は願い通り、「その如月の望月の頃」、お釈迦さま
が入滅された2月15日に、この世を去ったそうです。
(お断り 「花の下」と書き「花のした」とも読まれていますが、「花のもと」
の方が響きがいいので、勝手ながらひらがなにしました)
 
古今和歌集から一首、好きなのです。
 
 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
  紀 友則 
 
和歌を解説するなど野暮の極みですが、「日の光がこんなにものどかな春の日
に、どうして桜の花だけは、さっさと散ってしまうのだろうか」、日本人の桜
のイメージは、これではないでしょうか。紀友則は「土佐日記」の著者、貫之の
いとこです。 
 
この和歌を口ずさむたびに、宮城道雄の秀作「春の海」の調べを思い浮かべ、
桜の花の散る、日本ならではの詩情豊かな情景が浮かぶと同時に、何とも言え
ない寂しい気持ちになる不思議な曲です。昭和7年に共演されたフランスのル
ネ・シュメーのヴァイオリンと箏(そう)の二重奏ですが、世界に誇ってよい
素晴らしい演奏だと思います。音はよくありませんが、パソコンで検索すると
聴けます。宮城道雄は、広島県福山市鞆ノ浦の出身だそうで、学生の頃に訪ね
たことのある仙酔島から眺めた春の海が、印象に残っていました。
♪ターンタ タタタタタンー ターンタ タタタタタンー♪
曲想は、瀬戸内海の春の海なのですね。その時は知らなかったのですが、最近、
厳島に出かけたとき、バスガイドさんから教えてもらい、「さもありなん!」
と納得しました。バスガイドさんの中には、物知りの方がいますね。豊かな経
験から身に付いた自然な語りは、一級の話術で旅情を盛り上げてくれます。
 
さらに、もう一首。
    春の海 ひねもすのたり のたりかな  与謝 蕪村
俳句が出たところで脱線します。学生時代に読んだ雑誌の対談に出ていたと記
憶しますが、五木寛之氏は、こうおっしゃっていました。「短歌はリズム、和
歌はメロディー、物語はハーモニー」と。横文字を漢字に置き換えると「律動
・旋律・調和」となり、もう50数年前になりますが、今でも納得できます。
「さらばモスクワ愚連隊」を読んだ時、自称、文学青年であった私は、潔く、
作家の道を断念しました、冗談ですが(笑)。
 
ムードを変えまして、桜の散りぎわが潔いことから武士道の象徴となり、「花
に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」といったように人生観にたと
えられるなど、何かにつけて桜は姿を現しています。原詩は中国の詩人、于武
稜(ウ ブリョウ)作の「勧酒」です。
 
    勧君金屈巵  君に勧む金屈巵
    満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いざれ
    花発多風雨  花発(ひらけ)ども風雨多し
    人生足別離  人生、別離に足る
金屈巵(きんくつし)=曲がった把手(とって)の付いた黄金の盃  
不須(もちいず)=~する必要はない
足=多い
 
これを井伏鱒二が意訳したもので、僭越ながらこちらの方が響きもいいですね。
※意訳 原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとり、
翻訳すること(辞書「コトバンク」より)
 
    この盃を受けてくれ
    どうぞ、なみなみつがしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    「さよなら」だけが人生だ
       (「十八史略の人物学」伊藤 肇 著 PHP文庫 P229より」
 
「黒い雨」など種本が明らかになり、前都知事の猪俣直樹氏も「盗作ではないか」
と指摘
しましたが、この「勧酒」は、「阿佐ヶ谷会」文学アルバム(幻戯書房 刊)に
よれば、井伏の抄訳に間違いないとのことです。
これを読むたびに思い出すのが、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 夜半
(よわ)に嵐の吹かぬものかは」です。12月の沙羅双樹のところで、お釈迦さ
まの教えである「今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことがよい
一日を生きる道である」を紹介しましたが、怠け者の私には耳が痛いばかりで、
「明日やればいいか……」と過ごしがちです、わかっているのですが(笑)。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて日
本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水を運
ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水浸しに
して、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々は、知恵
を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、しっかり
と土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、桜
の根もしっかりと張り、強い堤防ができます。人望のある人のもとには、自然と
人々が集まるものでしょう。人間もかくありたいものです。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下自
成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどったも
のですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である岩崎弥
太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して創った三
菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の附属小学校と
西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太郎と大隈
重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっています。
 
ところで、桜の名所は、お侍さんの勤め先である城と寺社、そして河川に多いで
すね。面白いことに、私たち日本人は、なぜか、桜の下に陣取り、宴会を開きが
ちですが、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。たびたびお世話
になります樋口清之先生の監修された本に、桜について見過ごせない話がありま
したので、紹介しましょう。
 
日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであったが、
これが明治時代から少しおかしなことになった。
それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、
本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠んだ歌
がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生まれてきたか
らである。
さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美しい
という美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つまり、
死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵舎に桜を植
えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭にも桜が植えら
れるようになった。
関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。も
ともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで校庭の
桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった
歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
「大和心」とか「大和魂」は、右翼的な考え方や国粋主義から生まれた言葉だ
と思っていましたが違うようで、明治以降の国家権力により利用されただけな
んですね。「学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった」云々は、為政者の
巧妙な施政が実行されたことの結果であることに寒気を覚えますね。学生時代、
酒場で「同期の桜」を歌っていた時、「お前たち若者が歌う歌ではない!」と
年配の方に叱責されたことがありました。もしかすると、戦友を亡くされたか、
戦死されたお子さんがいたのではないでしょか。若い時はどうしようもないも
ので、「若気の至り」とはいえ、今思うと恥ずかしい限りです。
 
同期の桜
 作詞 西條八十 作曲 大村能章
(一)貴様と俺とは同期の桜   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのが定め 見事散ります国のため
哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に兵隊ソングとして兵士間で流行
し巷にも愛された。(www.geocities.jp/GUNKA より)
 
最後に、もう一首、皆さんよくご存知の名作がありますね。
 
 いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな 伊勢 大輔
 
「大和心」は、こういうものではないでしょうか。とにかく桜は、日本人にと
って、何はともあれ、春に咲かなければ落ち着きませんし、承知できない花で
あることは確かです。
 
名優、渥美清のはまり役、「寅さんこと、車 寅次郎」の妹の名は、「さくら」
でなくてはおさまらないだろうなと思っているのは、私だけでしょうか。山田
洋次監督の笑顔が浮かんできそうです。
面白い話を紹介しましょう。佐藤利明氏の随筆「寅さんのことば 風の吹くま
ま 気の向くまま」(東京新聞 夕刊 平成25年4月)に、東大寺正倉院に
保管されている、現存する古代の戸籍部「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(西暦
721年)には、嶋俣里(しままたり)、これは葛飾柴又のことで、その戸籍
の中に、孔王部 刀良(あなほべ とら)と佐久良賣(さくらめ)という名前
まで記載されているそうで、昭和の寅さんは家出をしましたが、奈良時代の刀
良さんは村長になったそうです。映画を見て、ひたすら笑っていましたが、元
をただせば、「とら」も「さくら」も昔からある由緒ある名前なんですね。寅
さんが自分で照れてしまう表情がたまらなく好きで、こういった演技のできる
俳優は、もう出ないかもしれません。
 
外国にもある桜の名所、ワシントンのポトマック湖畔の桜は、大正元年に、時
の東京市長であった尾崎行雄が、日米親善のために寄贈した染井吉野のほか
10種、3千本の苗木が成長したものだそうです。そして、またしても驚きで
すが、私も、てっきりそうだと信じていましたが、事実は違うのです。有名な
話ですから、皆さんも誤解していたのではないでしょうか。こういうことだそ
うです。
 
このワシントンの地名は、初代大統領ジョージ・ワシントンからきている。
この人物が少年のときに、桜の木を切った過失をわびた正直さが立志伝の挿
話として有名だが、ポトマックの桜がその桜だと思い込んでいる人がかなり
いるそうだ。
 (新々ちょっといい話 戸板康二 著 文藝春秋 刊)
 
ところで、日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な
薄紅色の花を咲かせているとなると、ちびまる子ちゃんではありませんが、目
が点になりますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ
日蓮宗の古寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざく
ら)」だそうで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えら
れています。神話の時代から花を咲かせ続けている姥桜(罰が当たるかな!)、
インターネットで見ましたが、「どうも、これは、いや、はや……」と椎名誠
氏風ですが、襟を正さずにいられませんでした。白一色の駒ヶ岳(標高2967m)
もすばらしく、いつかたずねてみたいと思っています。
なお、日本の三大桜は、福島県三春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村
の薄墨桜(樹齢千五百年)と山高神代桜で、黄門様の印籠と比べるのもなんで
すが、ただ、ひたすら、畏れ入るだけですね。淡墨桜は、つぼみの時は薄いピ
ンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、この散り際の色にちなみ命
名されたそうです。30数年前、初めて訪ねたときは、今のように観光地化さ
れておらず、静かな山里にどっしりと根を張る雄姿には、いたく感動したもの
でした。
 
最後に、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう、「さくら さ
くら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝の手ほど
きとして作られたもので、作者は不明です。
 
 さくら さくら
(一)さくら さくら  
   やよいの空は  見わたす限り
   かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
   いざや いざや 見にゆかん
 
(二)さくら さくら
   野山も里も   見わたす限り
   かすみか雲か  朝日ににおう
   さくら さくら 花盛り
            (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
日本のどこにでもある春の景色を淡々と詠んだ歌詞も素晴らしいですが、宮城
道雄の「さくら変奏曲」は、春の情緒を醸し出す名演奏で、いつ聴いても安ら
ぎを与えてくれます。
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩七分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう、見ご
ろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値はあります。六義園は小石川後楽園
と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、
見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                     在原業平 (古今和歌集)
 
桜の〆は、やはり、これでしょうね。
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではない
でしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、
この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものは
ないことを、しっかりと子ども達に伝えるのも、親の使命ではないかと考えま
すが、いかがでしょうか。
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号-
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第6章(1)花祭りでしょうね 卯月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではな
く、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
★★花祭り★★
4月といえば、私たちの年代では、花祭りですね。
しかし、今は仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょう
か。キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわ
れていますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会
(かんぶつえ)」といいます。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王様でシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な
夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かっ
た夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ち
ゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花
繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあ
った菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわ
いい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄
から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑
え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存
知の仏教です。
 
花祭りは、お釈迦さまの誕生日をお祝いするお祭りですが、今ではキリストの
誕生日であるクリスマスの方が盛大ではないでしょうか。同じアジア民族とし
て、ちょっと寂しい気がします。そうはいっても、仏壇のある家は、少ないの
ではないでしょうか。ご先祖様がいたから、今の自分があるのです。感謝の心、
忘れていませんか。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三
大法会(ほうえ)」といいます。
 
ところで、法隆寺、五重塔の最下部の内陣には、奈良時代の初めに造られた、
仏典中の有名な場面がパノラマのように東西南北の4面に表現されていますが、
北面には、お釈迦さまの入滅を嘆く素晴らしい塑像があり、「聖徳太子の死に
対する号泣の声ではないか」と考えた哲学者、梅原猛氏は、「隠された十字架
 法隆寺論」で、その独自の解釈を披露しています。それはさておき、号泣す
る塑像は、まるで生きているようで、息をのむほど圧倒されますが、その写真
を氏の著書「塔(上)」(集英社文庫 刊)のP220-221で見ることがで
きます。
 
お釈迦さまの「天上天下 唯我独尊」について、作家の五木寛之氏は、次のよ
うにおっしゃっています。
 
この言葉には、いろんな解釈があります。世間にはそれを、世の中で自分だけ
尊く、偉いんだ、と解釈する人も少なくありません。しかし、私はこれを自分
流に、次のように解釈しています。
「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」と。
この世の中で、自分の価値を決めるのは、あくまでも自分であって、他人に決
めてもらったり、他人との比較で決まるものではありません。自分は「生老病
死」を背負った世界でただ一人の人間だという自覚が必要です。
           (「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P71)
 
誰しも「ただ一人の存在」であり、誰しも「不透明な存在である自分」を励ま
しながら生きているからこそ、人を殺めることは、絶対に許されません。相手
は「誰でもよかった」その「誰」が自分自身であったならば、その恐ろしさに
思いいたらないのでしょうか。人を思いやる心を失うと、他人をねたましく思
い、不満を内に抱え込み、人間は限りなくばか者になるだけです。社会は、基
本的には自己責任で成り立っていることを、何としても、親は子どもに教え、
成人させたいものです。
「自分でまいた種は自分で刈り取れ」、これも明治生まれの親父の口癖でした。
 
★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。  そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれにな
ったばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し、
左手は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひ
しゃく)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、
お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
余談になりますが、子どもの頃、硯に紅茶を入れて墨をすると、字がうまくな
るといわれ、何回も挑戦しましたが、私には効き目がありませんでした(笑)。
 
★★仏教童話★★
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な感
情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対であり、
それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」「思いや
りの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいもの、あたた
かきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと私は考える。
(中略)
優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、作
品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出てくる
と説教となって文学性を消滅する。
(ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の作品は、宗教がむきむきに出てきませんから、抹香臭くなくて分かりや
すく、清らかに生きる人々の話からは、勇気と感動さえ与えてくれます。子ど
もの頃には、似たような話をお年寄りから聞き、「正直に生きないと地獄に落
ちるのだよ!」と脅かされていましたね(笑)。私達の年代は、こういったこ
とも情操を養う機会となっていたのではないでしょうか。多くの作品の中から、
一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色の鹿
が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にいることを、
誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。
その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出して
欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者はいないか、
案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたのが、命を助けて
もらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人でした。
王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出します。
「王さま、あれが金色の鹿です」
と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人は、
約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、かんか
んに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこういったのです。
「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せない
なら、私を殺してください」
それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、生き
物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、恥ずか
しくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私をまともな心
に引き戻すために現れたのかもしれない。
王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
「生き物の命をとる狩を止めることができました。あなた様も森へ帰って、い
つまでも幸せに暮らしてください」
といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男の腕
に戻ってきたのでした。
(仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音様と孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になっ
てしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本
物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあった
けちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成さ
れています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさ
んの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を
表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさ
しく話しかける作品になっています。
淑徳幼稚園は仏教系だけにお釈迦さまの教えに違和感はないとはいえ、進学教
室でこういった話をするたびに、この時期だからこそ、純真な子ども達の心に、
素直にしみこむものだと教えられました。幼児期の情操教育、こういった体験
からも培われるものではないでしょうか。図書館で見かけることがありました
ら、ぜひ、お子さんに読んであげてください。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
余談ですが、「Wの悲劇」「第三の女」「喪失」などで楽しませてくれた推理
作家の夏樹静子さんは、平成28年3月19日に冥界へ旅立たれました。「椅
子がこわい 私の腰痛放浪記」(文春文庫 刊)の3年間にわたる悪戦苦闘、自
殺まで考えたときもあったとか、痛みの原因は心身症。同じ痛みに悩む私は、
「椅子がこわい」を実感しています。わからないことは図書館で調べた頃と違
い、何でもパソコンのお世話になってから、椅子が一段と怖くなりました。
「楽をするな!」との警告かもしれませんね(笑)。ご主人は、「海賊とよばれ
た男」、出光興産の創業者、出光佐三氏の甥であることは、あまり知られていな
いようです。
勝手な思い込みで恥ずかしい限りですが、私にとり宮尾登美子さんは母上、夏
樹さんは2歳年上の姉上といった有り難い存在でした。(感謝)
 
ところで、今朝のYAHOO JAPANに、昨年10月、鳥取県中部を襲っ
た地震で、断崖絶壁に建つ三仏寺(さんぶつじ)の投入堂(なげいれどう 国
宝)の参拝路に亀裂が入り、参拝できない状態が続いていると出ていました。
寺の建立は建築様式から平安時代までさかのぼることができるそうで、絶壁の
くぼみに、どうやって建てたのか、我がご先祖様の途方もない技術に、驚ろか
されるばかりですね。三仏寺で検索すると見ることができます。(脱帽)
(次回は「さくら」ついてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4)雛祭りとお彼岸ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
雛祭りですから、楽しい話がありそうですが、あまり縁がありません。やはり、
私が男だからでしょうか。その中でも、この話は珍しいと思います。
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥さ
んは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。神
さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するので、
いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、書
付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから赤ちゃんが
生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年たち、50人
の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でなくなります。そ
こで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、もう一人の母さ
んを訪ね、会うことができたのです。50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育て
てくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達は、川下と川上の二人のお母
さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやかろ
うと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったのです。
三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
 日づけのあるお話 365日
   3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」の
ように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜
きです。親孝行ですが、近頃、この言葉に肩身の狭い思いをさせているようで
す。「親孝行、したい時には親はなし」、胸にしっかりと刻んでおきましょう。
 
ところで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に、こんな話がさり気なく語られてい
ます。
 
   その日は3月4日。
   雛の節句である。
   土佐藩では、節句は3日に行わずに4日に祝う習慣があった。
 
五節句(正しくは五節供)を定めたのは徳川幕府ですが、それに従わない藩も
在ったわけです。何気ない描写ですが、いごっそう(頑固で気骨ある様子)の
人物が多い土佐藩であることに意義があり、素直に肯いてしまいます。氏が、
珍しく女性を主人公にした作品に「功名が辻(1~4)」(文春文庫 刊)が
あります。持参金を出して馬を買い、主人を出世させた内助の功は、かなり知
られていますが、あれはどうやら事実ではないようで、例の山内一豊とその妻、
千代の物語です。信長、秀吉、家康に仕えた一豊が見た、三者三様の生き方が
描かれており、時代小説の苦手な女性の方にも気軽に読めるのではないでしょ
うか。「内助の功」、感謝されているお父さん方も多いのでは……、いつの時
代も女性は強いということですね(笑)。
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。あ
る晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不思議
なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てずに帰っ
てしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、娘の顔
が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通した針を
娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくようにいったので
す。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさすと、若者は大
声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っていったのです。
翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山奥の大蛇が棲むとい
われている淵に、吸い込まれるように入っているではありませんか。すると、
淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き耳を立てると、娘は蛇の
子をみごもっているというのです。驚いたお母さんでしたが、この災難から逃
れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事に解決します。その方法とは、
不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花酒を飲むいわれが語られています。
 おはなし12ケ月 三月のおはなし
      「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
              日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁
にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、
娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうた
ん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神様から地を
はって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使
いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからも親しめ
ませんね。
 
古事記にも似たような話があります。
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神様であるところが古事記ら
しく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神様が宿るといわれた
奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこにいた
蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社 刊)に
出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。子
どもの頃、螢を取りに行ったとき、「光が消えないのは蛇の目だから手を出し
てはダメ!」と兄が教えてくれたことを思い出します。信じがたい話でしょう
が、川端のあちこちに蛍が火をともしていましたね。川がきれいだった証(あ
かし)です。
 
余談になりますが、最近、再読した宮尾登美子さんの「平家物語(4)玄武の
巻」に、昔話と同じような話、豊後(大分県)の「大蛇の三郎」が紹介されて
いました。学生時代に訪れた清盛の娘、建礼門院が隠棲した寂光院の鮮やかな
紅葉を思い出します。どの本を読んでも好きになれないのが源頼朝で、判官
(ほうがん)びいきでもないのですが(笑)。
(注 判官びいき「不遇な人や弱者に同情して肩を持ち応援すること。「判官」
は「九郎判官」と呼ばれた源義経のこと)
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れるこ
とはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいです
が、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近くに
住んでいた笛の上手な三太わらしの話が伝わっています。
三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮らし
ていましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役を
させて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになったある
日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オイヌ達が
三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、父ちゃ譲
りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音色を聞くよ
うになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来た母ちゃは、
三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立てた母ちゃは、
三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達は、火をくぐり、
三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴の方へ導くのでした。
炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ちゃも助けようとしました。
オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと進んでいったのです。
そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にのっ
て、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と呼ぶ
ようになったのです。
この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人達
が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手な
若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守るよ
うに控えていたそうです。
「遠野物語」の国へ 平野 直 著  つぼの ひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まる
と、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきま
しょう。
 
「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんでい
た人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味や
関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝えら
れてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知ら
せたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いので
はないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれ
たものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残し
てくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原の狼と高原の狼」があります。
 
食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切なお
じさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、それ
を全部盗もうといい、もう一匹の狼は止めますが、聞く耳をもちません。狼は
仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことになり、
悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼を、イン
ディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい心を持って
いるから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配がなくなった
草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
題名を思い出せないのですが、日本にも、足に刺さったとげを抜いてもらった
狼が、少年を襲った狼たちから守るという楽しい童話もあり、進学教室の子ど
も達も大好きでした。動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界で
しか経験できないだけに、新鮮な驚きを感じるようですね。人間と動物のロマ
ンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
最初に紹介しましたが、私には狼を主人公にした話で、忘れられない思い出が
あります。椋 鳩十の「丘の野犬」です。
 
◆丘の野犬◆ 
野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗ま
れる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉
を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫り
ます。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食
べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日の
こと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じ
っと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでし
た。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったの
ですが……。
 「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
当時、私は子ども達に聞かせたい話をテープに吹き込み、教室の希望者に配布
していました。「母と子の20分読書運動」を広げ、読書の素晴らしさ、楽し
さを普及する運動に力をつくした椋 鳩十の作品からも、戦争で殺さなければ
ならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けよ
うと滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を
助ける「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品を10巻作り
ましたが、「丘の野犬」は45分ほどにもなるので、園児達に聞かせるのは無
理ですから、適当にアレンジしながら話してみました。授業に参加していた園
児は30名。15分ほどにもなりましたが、みんな真剣に聞いてくれ、最後に
犯人は「人間」であることがわかった時、「何だ、何だ!」といった雰囲気に
なり、涙ぐむ女の子もいました。子どもは興味があれば、それこそ一心不乱に
集中できます。大勢の子ども達の前で話をするには、物語を記憶し、子ども達
の目を見ながら話してあげることが大切です。
 
このことを教えてくれたのは、かわいい、小さな瞳がきらきらと輝く、幼い園
児達でした。(涙)
 
 (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
 
★★早春賦、いいですね★★
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、
なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に
入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さ
ん達の歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学校
で習った唱歌、どのくらい歌えますか。
 
 早春賦
作詞 吉丸 一昌  作曲 中田 章
 
一 春は名のみの 風の寒さや
  谷の鴬 歌は思えど
  時にあらずと 声もたてず
  時にあらずと 声もたてず
 
二 氷解け去り 葦は角ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空
 
三 春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急かるる 胸の思を
  いかにせよと この頃か
  いかにせよと この頃か
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し長
くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやかな口
調がいいですね。
 
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を
待ちわびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょう
ど今ぐらいの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた
歌詞を現代風に訳すとこんな感じでしょうか。
題して〔春の誘い〕「いざない」と読んでいただければ……。
 
  一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
    谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
 
  二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
    さあ春は今だと思ったけれど あいにく
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
  
  三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
    聞いてしまうと急がされる気になってしまう この胸の思いを
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは 
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは
(http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm) 
 
Webで検索した「hideのお茶飲み話」を読んでいると、エロル・ガーナ
ーの作曲した「ミスティ(Misty)」をイントロに使った、この詩の解説
に出会いました。エロル・ガーナーは、左手のタッチがなんとも強烈で、独特
のフィーリングを持つ素晴らしいジャズピアニストです。ジャズのスタンダー
ドナンバーでもある「ミスティ」は、情けない表現で恥ずかしい限りですが、
実に美しいメロディーで、一度聴けば忘れられない名曲です。こういったブロ
グに出会うと、本当にうれしくなりますね。バックに流れていた、一世を風靡
したモダンジャズの巨匠、マイルス・デイビィスのミュートをかけたトランペ
ットの演奏もご機嫌でした。
 
★★彼岸と春分の日★★
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をい
います。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、
という気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんに経をあげてもらうな
どして、祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことではあ
りませんか、お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当た
ります。ご先祖様がいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
 
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は此
岸(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先の霊
が安んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の世界、
すなわち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねはん)
の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
 
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。親父は、やっ
ていました。
朝は東に向かって、夕方も東に向かって柏手打ち、深々とおじぎをするのです。
しかし、親父は東方遥拝といって、確か東の方には、天皇陛下様がおられる皇
居があるからと話してくれましたから、太陽信仰とは違うかもしれません。こ
の後姿も、明治生まれの黙って生きざまを示す、親父の大きな背中であったわ
けです。
 
その太陽信仰ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈
みます。極楽は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
    
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた太
陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥陀さ
まの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に達す
るのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
 
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼
岸会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、
念仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教え
ですから、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。偉いお坊さんに、高い
お布施を払わなくても、いいのですから。
五木寛之氏の「連如」や「親鸞」(3部作完)に、この経緯(いきさつ)がわか
りやすく書かれています。
 
こんなことを言うと、お寺さんからお叱りを受けそうですが、戒名って高いそ
うですね。
あれは彼岸に行くためのパスポートで、三途の川の渡り賃は、古来、一律六文、
しかも、印刷された偽物です。だからといって、渡し守の管轄は閻魔様でしょ
うが、「偽札は困る」などと、文句のきている話は聞いたこともありません。
 
しかし、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、不思
議で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照大神
で神さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さまは
仏さまです。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の国」
があると信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生していること
になります。「困ったときの神頼み」、本気に信じていないのでしょうね。こ
ういう国って、日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
 
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれている井川一久氏による
とこうなのです。
 
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部と
中部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐と漬
物と緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽しみ、旧
正月(テツト)にはお年玉をばら撒く」
 
さらに、NHKの「世界遺産 ヒマラヤの古都カトマンズ」では、何とヒンズ
ー教と仏教が同居している様子を紹介していたではありませんか。この歳時記
は、筆者の不勉強から不用意な結論が出がちですが、笑って読み流してくださ
い。
 
★★おはぎ★★
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」とも言います。今の
ようにお金さえ出せば、食べたいお菓子を食べられる時代と違い、祝い物とし
て、その時しか食べられませんでしたから、美味しかったのです。もち米にう
るち米を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で包んだ
ものです。どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
 
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には豊
穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分
の日に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であるとい
う仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語の
bhuktaやパーリ語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、
mridu,mude(やわらかい)が「もち」となって「ぼたもち」の名が
定着したのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。
「牡丹餅と書くのではありませんか」と言われるかもしれませんが、これは後
の話だそうで、語源は、サンスクリット語やパーリ語とは知りませんでした。
 
ところで、「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く
季節なので「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称される
ようになったという説もあり、
まだ他にも諸説あるようです。私の勝手な解釈ですが、「ぼた餅」と聞くと胸
焼けがしそうですが、「おはぎ」となると、何個でも食べられそうな気がしま
す。
 
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春
分の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、昔、学校で習いました。と
ころが、違うのです。
 
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長い
のである。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では3月
17日と9月27日である。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをい
うので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるの
です。何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。
大気は、光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮
き上がって見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えて
も、実際は、下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じでは
なくなるのだそうです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。ちょ
っと、疲れる話でしたが、小学生のお子さんのいらっしゃる方は、理科の教科
書をのぞいてみましょう。もっとも、とっくの昔に改定されているかもしれま
せんが(笑)。 
 
2月にホワイトデーは、日本生まれと紹介しましたが、ウィキペディア フリ
ー百科事典によれば、こういったことだそうです。
 
ホワイトデーの習慣は日本で生まれ、中国、台湾、朝鮮などの東アジアの一部
で定着しているが、欧米ではこういった習慣はない。記録に残っている元祖は、
昭和48年(1973)に不二家とエイワが協力し、チョコレートのお返しに
キャンディやマシュマロを贈ろうと「メルシーバレンタイン」キャンペーンを
開催したとの記事が読売新聞にある。それによると、ホワイトには「幸福を呼
ぶ」「縁起が良い」という意味があるということで、バレンタインデーの1ケ
月後にホワイトデーを設定したと伝えている。
(「ウィキペディア フリー百科事典」より要約)
デコレーションケーキといい、お菓子屋さんのたくましい商魂ですね。5歳の
孫もハマったようです(笑)。
 
(次回は、「3月に読んであげたい本」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りとお彼岸ですね(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第17号-
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第5章 雛祭りですね(2)
      
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる懐かしい童謡、それが「うれしい
ひなまつり」でした。私には姉と妹がいましたから、この気持ちはよくわかり
ます。箱の中から紙に包まれた人形を取出し、それを雛壇に飾りつける母や当
時は女中さんといっていたお手伝いさんの姿を思い出します。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考
えていたそうです。その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、
「内裏雛」は天皇、皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな
様」は男雛と女雛で一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、
正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。大臣であれば「笏
(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装しているからだそうです。
   (hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
「男雛様と女雛様」、「左近衛大将」では、詩人の感性として許せないでしょう。
進学教室の歌姫も教えてくれませんでしたから、承知して歌うしかありません
ね。昨年吹き荒れた「センテンス スプリング」を気取るのも僭越で、おこが
ましいことですから、原作をそのまま掲載し、拙文の人形の紹介も歌詞に従い
左大臣、右大臣としました。
 
 うれしいひなまつり
   作詞 サトウハチロー  作曲 河村 光陽
 
 一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
   お花をあげましょ  桃の花
   五人ばやしの    笛太鼓(たいこ)
   今日はたのしい  ひなまつり
 
 二 お内裏様と  おひな様
   二人ならんで  すまし顔
   お嫁にいらした 姉さまに 
   よく似た官女の  白い顔 
 
 三 金のびょうぶに  うつる灯(ひ)を
   かすかにゆする  春の風 
   すこし白酒    めされたか
   あかいお顔の   右大臣
 
 四 着物をきかえて  帯しめて
   今日はわたしも  はれ姿
   春のやよいの   このよき日
   なによりうれしい ひなまつり
 
同じような間違いはあるもので、昭和3年に大ヒットした曲ですから、若い皆
さん方には馴染みの薄い歌かもしれませんが、野口雨情作詞、中山晋平作曲の
「波浮の港」です。
 
 ♪磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る  波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
  あすの日和(ひより)は ヤレホンニサ なぎるやら♪
 
波浮の港は、伊豆大島の東南端で、東南の位置にあるので夕日は見えない。ま
た、鵜の鳥は、大島あたりには生息しない。どうして見えない夕焼け、いない
鵜を表現したのか、雨情は波浮の港へ行ったことがなく、想像で書いたもので、
後に雨情自身がその誤りを認めた。
(「大人の雑学 今さら他人に聞けないムダ知識665」P55より 抄訳
        日本雑学研究会編 幻冬舎文庫 刊)
 
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
 
なぜ、桃の花なのでしょうか。
 
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔
除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を占
うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあぶる
と、甲羅や骨にひび割れができる。
そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび割
れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前兆
(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばからも
わかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆しを持つ
木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたのである。
したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、桃太郎で
なければならないのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79)
 
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の
花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
 
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の
仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないの
ですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。十二支にも「申(さる)・酉(と
り)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けんかをしないように配慮されていま
す。「和をもって貴しとなし」ではありませんが、「聖徳太子の教えが、ここ
にも生きているぞ!」と一人で悦に入っています(笑)。
 
〔注〕 十七条の憲法 
一曰 以和為貴 無忤為宗
 「一に曰く 和を以って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを
  宗(むね)とせよ」  
(和を何よりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい)
(フリー百科事典〔ウィキベディアWikipedia〕より)
 
ところで、斑鳩の里にある法隆寺といえば、仏教を広めた聖徳太子の業績をた
たえるために建立された寺院であると思っていたのですが、哲学者、梅原猛氏
の「隠された十字架=法隆寺論」(新潮文庫 刊)には、一族を皆殺しにされ
た太子の怨霊を鎮めるために建てられた寺であることが明らかにされています。
夢殿にあった白い布で包まれた秘仏を、明治時代に来日したアメリカの日本美
術研究者フェロノサなどの要請で開扉したところ、光背が頭の後に釘で打ちつ
けられ、胴体が空洞でつり下げられている救世(ぐぜ)観音像が出てきたそう
で、ここから氏の怨霊説が生まれたのでした。読んで驚くことばかりですが、
哲学者の妥協を許さない鋭い明察は、歴史学者にはない魅力にあふれており、
すっかりはまりこみ、読みあさっています(笑)。
(注 光背 仏像の背後につける光明を表す装飾で、どのような仏像も、足元
の台座から支えを伸ばし、仏像の頭部まで持ち上げられている)
 
★★左近の桜、右近の橘って?★★
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右
に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向か
って右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、
昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕え
る者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待って
いました。
 
京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜の
木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護にあ
たった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
 
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、そ
の左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、
向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の
影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞ
れ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められて
いるそうです。
 
橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている馴
染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔より
日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えのある美
しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。また、神
の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代(よりしろ
・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。
(http://www.e87.com/selection/sp_hina/colum_04.htmlより)
 
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
          万葉集 6(1009)
                (注 枝“え” 常葉“とこは”)
 
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびく
ともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていま
すが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかりま
す。何事も訳ありですね。
 
ところで、中宮和子が帝と初めて花見をしたのは、この左近の桜です。その折、
帝に献上したのが、在原業平をモデルとした押絵でした。見事なできに感激し
た帝が色紙に書いた和歌は、在原業平の世の中に たえて桜のなかりせば 春
の心は のどけからましでしたが、その後、様々な事件が起き、帝も退位し、
女帝興子の誕生となります。帝の心中を推し量れば、「世の中にたえて徳川の
なかりせば……」ではなかったでしょうか。
 
若い皆さん方には馴染みのない作家かもしれませんが、文芸評論家、小林秀雄
の弟子で、60歳過ぎてから小説を書いた偉才、隆 慶一郎の絶筆となった未
完の作品に「花と火の帝上・下」(日経文芸文庫 刊)があり、25年の暮れ
に再版され読むことができ感慨無量でした。家康、秀忠の横暴に毅然と立ち向
かった後水尾天皇とそれを支えた和子の様子が、猿飛佐助、霧隠才蔵などで組
織された「天皇の隠密」という奇想天外な応援を得て、徹底抗戦する展開にな
っていましたが、完結することなく世を去ってしまいました。奇想天外という
と荒唐無稽と誤解されそうですが、26年の正月に放映された「影武者徳川家
康」と同様、史実に基づいた着想からなり、一気呵成に読まされてしまう傑作
で、最後がどうなるかまるで想像もつかないだけに残念でなりません。宮尾登
美子さんと違った帝と中宮を知り、梅原猛氏と同様、歴史の謎を究明する鋭い
洞察力に脱帽するばかりで、1989年没、享年66歳、隆 慶一郎のあまり
にも早い旅立ちに、無念の思いを禁じえませんでした。
 
血圧が上がるといけないので心を静めるとして、桃も桜も橘も、日本の春を静
かに語っているように思え、心は落ち着き、いつまで見ていてもあきませんね。
桜については、4月に詳しくお話しする予定です。
 
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐
えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、
早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、
春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコント
ラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝し
たくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いません
か。本当のところはどうなのでしょうか。
 
菱餅の赤、白、緑の三色は、赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、白は
清浄を、緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きが
あり、薬として使われていたので健康を表しているのだそうです。雛壇の敷物
が赤いのも、意味ありなんですね。
アカデミー賞の華、レッドカーペットは、関係ないでしょうけれど(笑)。
また、どうして形が「菱形」かは、餅に入っている菱の実は菱形で、葉は三角
状だからではないかと思うのですが、これは私の独断ですから間違っているか
もしれません。
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命
を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生ま
れたからだそうです。
戦後の食糧事情は最悪で、食べ物がなく、さつま芋の茎や菱も茹でて食べまし
たが、菱は栗のような味がしたと覚えています。レストランなどで豪快に残し
ているのを見ると腹立たしい気持ちになるのは、幼児期に飢餓の経験があるか
らです。今でもアフリカなどでは、飢えで死んでいく子ども達がたくさんいて、
写真で見た子どもたちの目を忘れることはできません。食べ物がないのは、空
腹感を満たすために心が卑しくなり、辛くて、悲しいものです。「衣食足りて
礼節を知る」は、昔々の話になったようです。
 
★★ひな祭りのごちそう★★
女のお子さんがいる家庭では、必ず頂く蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司です。
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良
いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかなち
らしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷらな
ど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎っ
た雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれる
ようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。ちなみに、
雛あられの原材料には実は海老や鯖が使われているものもあるので、魚嫌いの
現代っ子にはいいかもしれません。それにしてもチョコレートをまぶしたもの、
袋に女の子の大好きなプリキュアを印刷したものなどがあり、びっくりします
ね(笑)。
最近では、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加
わったようです。この桜餅ですが、甘い物が苦手な私でも長命寺餅は頂きます、
絶品ですね。関西では道明寺餅が有名です。用いられている葉はオオシマザク
ラで、もちろん、その辺から集めてきたものではなく、専用に栽培されていま
す(笑)。
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は
米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1
センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエレルギー、緑は木々のエネルギ
ー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災い
や病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。
(「トレンド情報ステーション」より要約)
 
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の
書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれ
ています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人にな
るという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆ
えに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった
古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、時々、図書館の子ど
も部屋におじゃまして、「変なおじさん!」といった目を気にしながら読んで
います(笑)。
 
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、あ
たり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わせ、
美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の先を
突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあたっ
たのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、土
地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の鳴
き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、
みんな楽しそうでした。
ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、あ
りのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたので
す。人々が言うには、「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世
の戦乱を逃れ、この絶境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその
人とまったく関わりを持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、
どういう時世なのですか」と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないので
す。漁師が詳しく説明すると、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れ
ていかれ、どこでも歓待されるので、4、5日滞在したのでした。
やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありません
から、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、途
中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子のも
とへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、目
印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子が、
その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、この後、
再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となっ
たのでした。
   生きる心の糧 中国故事物語 Ⅳ  駒田 信二・寺尾 善雄 編
                         河出書房新社 刊
 
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さ
まとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さ
が)でしょう。
 
山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、いい年をした
大人、しかも男性に多いともいわれていますが、かくいう私もその一人です
(笑)。分別のある女性は、ばからしくて興味がないようですが、それだけ現
実的なのでしょうね。桃源郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありた
い、ささやかな願い」ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやか
な願いは、かない難くなっているようです。
(次回は、「お彼岸」などについてお話しましょう)
 

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