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めぇでるコラム : 2023保護者 5ページ目

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章 (4)冬(12月~1月)に読んであげたい本

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第9号-
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第2章 (4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
 
あけましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
初詣、お出かけになりましたか。
これからという方も、初詣に訪れ、大きな門松をご覧になったことがあると思
います。
 
実は、この門松、文句なしに、すごい秘密が隠されています。
 
植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作る顕花植
物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白(鏡餅の
下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものには、それ
なりの意味があります。
詳しくは、次号からお話ししましょう。
 
 
 
【冬(十二月~一月)に読んであげたい本】
 
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
 
◆おぶさりてえのおばけ◆
 
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こ
えたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団に
もぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になってもやめようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあ
がいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりとやみ、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけま
した。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
  世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし 
     つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊
 
 
 
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
 
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
 
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけ
ればならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初め
てだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、
出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。
  日本むかしばなし 2
   子どものすきな神さま 民話の研究会編 巽弘一 絵 ポプラ社 刊
 
 
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
「かさ地蔵」です。
おじいさんの見返りを求めない無償の奉仕に、お地蔵さまが応えてあげるのが
いいですね。こういうことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほし
いと願う、庶民の素朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさ
んのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の
恩」と言うではありませんか……。
 
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
 
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵さまでも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もっ
てしまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのはやめすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せることを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしません。眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵さまが、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたの
でした。
 世界民話の旅 9
  日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
 
この話に出てくる「六地蔵」とは、
  地獄道 (地獄で苦しむこと)
  餓鬼道 (常に飢餓に苦しむこと)
  畜生道 (けだものの姿に生まれて苦しむこと)
  修羅道 (争いの絶えない世界で苦しむこと)
  人 道 (人の踏み行う道を外れて苦しむこと)
  天 道 (超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
 
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(3)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第8号-
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第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
 
 
メリークリスマス!
クリスマスといえば、例のデコレーションケーキが主役だと思っていたのです
が、最近は、少し違ってきているようです。お子さんのリクエストはいかがで
しょうか。様々なショートケーキを食べる傾向にあるとか。
 
 
 
★★なぜ、大晦日というのですか★★
 
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
 
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも呼
びます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つご
もり)」とは、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛っ
たもので、どちらも毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を表
すために、2つの言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」といい
ます。
[いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html]
 
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となり、そして次第に小さくなり、やがて見えなくなりますが、
この状態を「月隠り」といいます。月が地球を一回りするには一ヶ月かかりま
すから、月の始まる新月の状態「朔」を訓読みして「ついたち」、また月の始
まる「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになったのです。また、月末
は月がこもって晦(くら)いので「晦日(つごもり)」といいます。
 
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて、
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。
 
 
 
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
 
年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、長生きできるように
願ったもの」といわれています。また、そばは切れやすいことから、「一年分
の苦労や災いを切り捨てる願い」もこめられていました。「細く、長く、切り
捨てる」と縁起をかついでのことと思っていましたら、これも訳ありでした。
 
昔、金を使い細かいものを作っていた職人を金箔師といいますが、仕事場を掃
除する時に、そばのだんごで畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集
めたそうです。そこから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集め
る」という縁起となって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるよ
うになり、江戸中期から始まった習わしといわれています。
 
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
 
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ゲーム機やスマートフォンがない時代の室内遊びと言えば、カルタ、すごろく、
トランプで、「ババ抜き」や「7並べ」、「神経衰弱」などでした。相手がい
る遊びですから、負けてはなるものかと真剣に戦います。ゲームの結果に一喜
一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、自分が負けていてもやめるわけに
はいきません。ましてや、リセットボタンを押して、再戦などもできません。
「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これも大切ではないでしょうか。年末
年始に改めてこういった遊びをしてみるのもよいでしょう。
 
 
 
★★除夜の鐘の意味★★
 
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
 
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」 
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
そして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるのです。
 
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
 
 
 
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
 
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩といいますが、私た
ち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
 
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
りという最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目
をむいて怒ること、「瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは、
「おろか、真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモ
ーハmohaというが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦など
と音訳され、後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
〔年中行事を「科学」する P252 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚(しんい・しんに)」
は難しいですね。「仏教の十悪」の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒
ることです。この三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やは
り凡人には無理な話です。「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいね
つざい」と読み笑われたことがありましから、解脱などとてもできない相談で
すね。
 
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
 
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
  6  × 3  × 2 ×  3 =108
 (六根) (三不同) (染淨) (三世)
合わせて百八つの煩悩という。
(年中行事を「科学」する P252)
 
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、独自に解釈すると、「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、
普通、感度不良、「染淨」の「染は物を色水に浸して色を付ける」という意味
ですから「影響を受ける」、「淨は水が静かにおさまって濁りがない」ですか
ら「影響を受けない」ということではないでしょうか。
 
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
〔年中行事を「科学」する P253 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、改めて詳しく紹介します。
 
語呂合わせのようなものもあります。四苦八苦(4×9=36 8×9=72)
合わせて108、素直に肯いてしまいますね(笑)。
 
こだわるついでに、梵鐘には上の方にいぼ状の突起がありますが、この数は、
何と108個だそうです。さらに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一
つは百八つの煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。
モクゲンジの実から出来ている数珠で、念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、
百万遍唱えると極楽に往生するそうです。1日1回唱えても1年で365回、
これは大変なことですね。
 
ところで、日本人は不思議な民族です。12月から1月にかけての行事をみて
も、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣をします。
キリスト教、仏教、神道の行事、イベントが生活に入り込んでいる国です。
日本文化の寛容さのあらわれですね。
このように様々な文化を取り入れ、受け継がれてきた日本文化、行事や昔話を、
お子さんと一緒に楽しみながら伝えてあげましょう。
 
 
 (次回は「冬に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第7号-
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第2章 (2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師走
 
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
 
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、私のような庶民はチキ
ンで済ませています。七面鳥、やはり訳ありでした。
 
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くことがあまりないからです。「赤飯」、またの
名を「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などの
お祝いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」
という戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のよう
な白米ではなく、赤米(あかまい・あかごめ)でした。あわやひえ、山芋が主
食であったことを考えれば、炊きたての赤米は、本当においしかったに違いあ
りません。
 
 
 
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
 
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
 
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ
(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に
入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖
なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスに新しい薪を
燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃(たた)え、喜
びを分かち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12
日間、絶やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫
予防に用いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、
クリスマスケーキのそもそもの始まりだったのである。
 (注 「たた」は引用者)
 〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
 
 
 
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
 
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、[ 'T was the Night before 
Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原
像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太
った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト (1842ー1902)による絵が評判
をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサ
ンタクロースというイメージが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
 
それから、サンタさんにお手紙を書きたいとお子さんにせがまれたことはあり
ませんか。安心してください。サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を決めたの
です。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配ありません。た
だし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。「サンタの住所」
で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることができます。検索し
てお子さんにプレゼントしてみませんか。
 
 
 
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
 
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
 
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせ
ることです。
 
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイのひくそりに乗ってくるのかな?」
と尋ねられたことはありませんか。先に紹介しました聖書学者クレメント・ク
ラーク・ムーアが、自分の子どものために書いた「サンタクロースが来る」の
中で、「サンタは8頭のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子どもたちにプ
レゼントを配る」と書かれており、これを踏まえて、ロバート・L・メイとい
う通販会社の社員の書いた詩がもととなり、童話「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」
が発表され、アニメ映画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」
の曲が生まれ、世界中に広がったそうです。
(Santaxus.comより要約)
 
 
 
★★クリスマス・カードのルーツ★★
 
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
 
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。と
いってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦っ
た年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、
「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝した
り」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
 
 
 
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
 
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配ります。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう 
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚
子湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカ
ルシウムを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンA
が多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れもので
す。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、か
んてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、
食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠か
せません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子どもたちに
はハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
 
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(3)についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
 
暦の上では11月に立冬がありますが、幼児教室では冬は12月からとしてい
ます。
さて、その冬ですが、物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」か
らといわれていますが、他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)
う」、動物の出産の時期である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうですが、全てのことを「為果す(しはす)月」という
のもあるそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日」(萌文書林 編集部編 萌文書林 刊)  
を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子どもたちが、もっとも楽しみにしてい
る日ですから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわ
か信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか、という声も聞
こえてくるかもしれません。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、実はよく知らないことや、なぜ、なぜ、どうし
てと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
 
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
 
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
  クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書
  の中では、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キ
  リスト教が広まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。
  その頃、力を持っていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12
  月25日に決められたといわれています。
  (えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰
されていた太陽の神ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私たちの太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったの
です。
信者の皆さま方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエス
・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリストが、
神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、この
夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのおうじ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが
宮中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に
来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生ま
れたのでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が
見つかりません。(陳謝)
 
 
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子どもたちに、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリス
マス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワ
イで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえま
せん。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
 
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。
 
  クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の
  木である。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。ア
  ダムは楽園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その
  実から木が育ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・
  ツリーはアダムの持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表
  す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、飾られるようにな
ったのでしょうか。
 
  プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル 
  (1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のク
  リスマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切
  った夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝
  きを、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木
  の枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現
  したのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年
  にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田 久 著 
 日本経済新聞社 刊〕
 
では、当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
  樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人
  々は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明
  日の命、永遠の命を讃(たた)え、祈った。さらに樅の木は天使が飾
  りつけをする意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、
  飾りつけの最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮
  名は引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。
 
  クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、
  古くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サト
  ゥルナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引
  き継ぎ、棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解
  釈を与え、クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy
  (神聖な)に通じる縁起もあるのだろう。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リー
スに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、
葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
まだまだクリスマスについてありますが、今回はここまでにしましょう。
 
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(2)についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(3)情操教育、難しく考える必要はありません 季節の行事、これも欠かせません

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
 
 季節の行事、これも欠かせません
 
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
昔は農耕民族でしたから、1年の生活は農作業を中心に営まれ、休みも仕事の
進み具合により取るようにしていましたが、今は法律で定めた国民の祝日にな
っているものが多く、全国的に休暇を取るようになりました。以前は、祝祭日
に日の丸を掲げたことから「旗日」ともいわれていたのですが、ほとんど見か
けなくなりました。
 
祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているのでしょう。
元日に雑煮を食べない家庭もあるそうですから、当然かも知れません。しかし、
七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午の節句、これ
はおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。国産ではありません
が、クリスマスもきちんと祝い、ハロウィンも仲間入りしてきました。いずれ
も国産化され、本来の趣旨とは違ってきているようですね。
 
お父さん、お母さんに質問です。
 「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
 「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
 「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
 「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
私は、こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話して
あげる機会を少しでも多く持ちたいですね。
 
例えば、正月の門松です。
 
室町時代頃から飾るようになったそうですが、これには、きちんとした科学的
な根拠があるのです。詳しくは1月に説明しますが、ここでは、昔聞き、今で
も忘れられない話を紹介しましょう。
 
 「松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
  竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れへん我慢強さがある。しかも、
  中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』
  っていうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
  梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
  咲く姿は清らかや。
  みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
  これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生き
  て、家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていたものです。
今の時代、「男は」とか「女は」をつけると、何やら一言ありそうですが、昔
のこととして流してください。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものです。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思い
出として残してあげ、子どもが親になった時に、その楽しい思い出をわが子に
も伝える、そういった風習が残っていました。何しろ今と違い、情報量の少な
かった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけです。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など、聞こえなくなりました。そ
んなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。
「月にうさぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタク
ロースはいる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送ら
れてきた手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。
 「迷信と切り捨てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」
とでは、どちらが子どもにとって幸せでしょうか。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻したり、短冊につたない字で
願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝っ
ていたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞か
れない言葉の一つになりましたけど……。
 
今のようにテレビもなく、昔話の本などあまりなかった時代は、ほとんど両親
の記憶による話でした。その話も祖父母、先祖によって語り継がれてきたもの
で、そういった昔話の原点が残っていました。
 
特に、鬼の話や地獄の話は恐かったものです。悪いことをすると地獄に落ち、
針の山に追われ、血の池に放りこまれる話などは、心から信じていました。こ
れも「情操教育」ですね。
 
こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の絆が薄くなった原因
の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々の行事も、心を培う「情
操教育」に欠かせない、家庭でやらなければならない大切なイベントだと思い
ます。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のある昔話を紹介しようと試
みたのですが、日本中の行事といえば気が遠くなるほどありますし、昔話とな
ると、とてもではありませんが手に負えない、ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせていただいたのは、永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日
本経済新聞社 刊)です。専門用語が使われ難しいものですから、独自に解釈
させていただきました。
 
昔話は、独断と偏見で選んでみました。そして、解釈も独自ですから、専門家
の諸先生方に一笑されるかもしれませんが、ご容赦ください。
 
紹介する話は、ほんの氷山の一角で、しかもダイジェスト版にしています。面
白いと思われましたら、本物を読んであげてください。
それも、本メールマガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが図書
館で読めるものです。お住まいになっている図書館の子ども部屋にはあると思
いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってください。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。
 
情操教育は、心の教育です。心の教育は、幼児期に基本的なことを学習してお
くべきです。今は学習ではなく、勉強が幼児の心をむしばんではいないでしょ
うか。文字の成り立ちからもわかるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強
は「強いて勉めること」です。幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。
 
親が勉強せず、子どもだけに勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。
情緒が不安定で、情操の乏しい子が増えているといわれていますが、知識を詰
め込むことにこだわり、心を育てる育児が、おろそかになっていないでしょう
か。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をし、やがて一人前に鳴けるよう
になる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、あえて言い切っておきましょう。「教育とは自己学習
のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から培われていくもの
だと考えています。通信簿に表れた目先の結果だけにこだわらず、どのような
子どもに育ってほしいのか、大らかな心をもち、お子さんの教育について考え
る、賢いお父さん、お母さんになってあげましょう。それがご両親の役目、親
の責任ではないでしょうか。
 
最後に、落語「桃太郎」の全編を紹介しましょう。大人用は、複雑に脚色され
た噺が多く、長くなりますから、「こども古典落語」から選びました。
「桃太郎」は、「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」
と共に、日本の五大お伽話といわれています。なんと、この五つの話を知らな
い子がいます。ご自身のお子様はどうでしょうか。
 
余談になりますが、落語ですから声を出して読んでみてください。黙読とは一
味違うはずです。
 
 
★★古典落語「桃太郎」の作者
    乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)の意図★★
 
桃太郎のお話を一席申し上げます。
近頃の子どもは学校に入る前に、大概、幼稚園や保育園に行っていますから、
昔とは大変に違います。昔は親が子どもを寝かしつけるのに、
「おとっつぁんが、面白い話をしてあげるから寝るんだよ。いいかい、あのね。
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいてね。ある日、
おじいさんは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだよ。そして、
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、家に持って
帰って割ってみると、男の子が生まれたんだよ。桃の中から生まれたから桃太
郎と名前をつけてね。大きくなると桃太郎は、犬と猿と雉を連れて、鬼が島に
鬼退治に行ったんだ。そうして、鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰って
きて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだよ。どうだい、面白かったかい
……。おや、坊や……。もう寝ちまったよ。子どもなんて罪のないもんだね」
という具合だったんですが、今は、そうはいきません。
「坊や、お父さんが面白い話をしてあげるから早く寝な」
「せっかく親が面白い話をしてくれるのに、寝ちゃあ失礼だよ」
「失礼でもいいから寝なよ」
「あのね、むかしむかし」
「むかしむかしって、何年前?」
「ずうっと昔だよ」
「それじゃ、何世紀頃のお話?」
「何世紀だって、いいじゃないか!」
「あるところに、おじいさんとおばあさんがいたんだ」
「あるところって、どこ? おじいさんとおばあさんの本名は?」
「あるところはあるところさ。おじいさんとおばあさんには、名前がないんだ
よ!」
「でも、名前がない人っていないよ」
「貧乏だから、名前を売っちゃったんだよ」
「変なこと言ってら!」
「黙って聞きなよ!」
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだ。おばあさ
んが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、これをもって帰って割っ
てみると、男の子が生まれたから、桃太郎と名前をつけた。この子が大きくな
ると、犬と雉と猿を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして鬼を退治
して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばした
んだ……。あれっ、まだ寝ないのかい?」
「お父さんの話を聞いていたら、さっきまで眠かったのに、パッと目が覚めち
ゃった。だってこの話は、もっと深い意味があるんだよ」
「ほう、そうかい?」
「話してあげようかい、君!」
「あれっ、親をつかまえて、“君”というやつがあるかい! まあ、話してご
らん」
「むかし、むかし、あるところにというのは、何時代のどこと決めてもいいん
だけど、日本中の子どもがこの話を聞くわけでしょう。だから、子どもたちの
想像させるために、わざとぼかしてあるんだよ。おじいさん、おばあさんとい
うのは、本当はお父さん、お母さんなんだけど、やわらかみを出すために、お
じいさん、おばあさんにしてあるんだ。そして、それぞれ山と川に行くでしょ。
あれはね、父の恩は山より高く、母の恩は海よりも深いということを表してい
るんだよ。そして、海のない地方もあるから、わかりいいように川にしたんだ」
「えっ……、なるほど。これは、大人が聞いてもためになるな」
「そうさ。桃の中から子どもが生まれたというけど、あれは、桃のようなかわ
いい赤ちゃんが生まれたということなんだよ。第一、桃の中から赤ん坊が生ま
れてごらん。果物屋さんは、赤ん坊だらけになっちゃうよ」
「なるほど、なるほど、それから?」
「そんなに前に乗り出してこないでよ。そしてね、鬼が島に行くというのは、
つまり、父母のもとを離れて、世間に出るということなんだよ。犬、雉、猿を
連れて行くというのはね、犬は思いやりというものがある。難しい言葉でいう
と仁というんだよ。猿には知恵がある。雉は勇気がある。つまり人間は、世間
に出たら、仁、知、勇、この3つを働かせなければいけない。そうすれば段々
に偉くなってきて、世間から信用という宝物を得ることができるということな
んだよ。それをお父さんみたいに、この話をしたんじゃ、このお話の作者が泣
くよ。わかったかい、お父さん……。お父さん、あれぇ、お父さん寝ちゃった
よ! へえー、大人なんて、罪のないもんだ!」
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
   小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
きび団子の説明が抜けていますが、きびでできた団子は美味いものではなく、
人間いかなる時もおごってはいけないという戒めを表しています。桃太郎伝説
のモデルといわれている岡山県の吉備津神社で食べたきび団子は美味かったの
で、子どもたちから「うそでしょう?」と言われるかもしれません。
 
いかがでしょうか、説得力があると思いませんか。
歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実に無駄がありません。
 
しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑いながら、人生修業を
しているのですから。落語は、最後の「下げ」が勝負になりますが、これも決
まっていますね。YouTubeで視聴できます。
 
最近、落語を聞く機会がなくなりましたが、落語は素晴らしい話芸です。疲れ
たときに聞いてみませんか。落語は、声を出して笑うことが、いかに大切であ
るかを教えてくれるからです。
 
「笑う門に福来る」とも言うではありませんか。ご両親の笑顔は、お子さんの
健やかな成長を支える促進剤です。
ちなみに英語では、“Fortune comes in by a merry gate”、面白いのは、
“Laugh and be fat”(笑えば肥る)とも言うそうで、後の方が、実感があり、
納得できますね。(「故事ことば辞典」より)
 
ところで、あるミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたことが
ありますか」と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのように
お考えでしょうか。
 
  (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)

【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(2)情操教育、難しく考える必要はありません 話の読み聞かせ(2)

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
話の読み聞かせ (2)
 
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみようかな!」
となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像し
て描いたものではないでしょうか。ファンタジーの世界ですから夢もふくら
みます。
 
絵を描こうとする動機は純粋です。
 
幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇心の芽を育む絶好のチ
ャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる学校があるから、絵
画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希望ではありません
から、絵を描くことが好きになるとは思えません。
 
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が
培われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではない
でしょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
 
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷咀嚼力)=描かれた絵
 
妙な式ですが、私見ですが私の経験では、感性は、子ども自身が与えられた
環境の中で、自らの力で培ってきた「自前の能力」ではないだろうかといい
たいのです。親が、注文を付け始めると、おもしろくない絵になりがちだか
らです。
 
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
 
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、あ
る日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。
やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のよう
に、横に真っすぐのびたままで、年長になって、やっと手も下におり、人間
と認められる絵になったのではないでしょうか。
 
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。
絵は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。うまい絵を
求めるより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける
雰囲気を作ってあげることが大切です。
 
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きくだ
さい。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さん
は子どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いてお
きましょう。
 
話を本題に戻しましょう。
 
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
昔話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義は、
必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、
きちんと学習しています。いってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」
です。情操教育の基礎、基本を学習しています。
 
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を
重ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情
緒の分化が、5歳頃には出揃うと考えられています。
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言ですべての要求を表し、ついこの間まで
は、望みが叶わなければ何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言
葉で表せるのは、格段の進歩ではないでしょうか。今まではおもちゃ箱の中
に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はここ」、「縫いぐるみは
こっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理されて行く状態にな
るのです。まだ、整然とはいきませんが。
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、
怒り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を
聞くことから、喜怒哀楽など心の動きが誘い起こされ、幼いなりに自我を作
っているのです。
 
ずる賢い人には怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われる
と笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。話をきちんと理解し
ている証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュ
レーション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感
を養っているのです。それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習に
なっているのです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。
小学校受験編でも紹介しましたが、英語では“The leopard cannot change
 his spots”というそうで、世の東西を問わず、育児の鉄則となっているよ
うです。 
 
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お母さんが感情こめて読ん
であげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話
を静かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学
校の勉強にスムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えで
あり、学習態度です。話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や
引き算ができ、九九をそらんじていても、駄目です。小学校の先生方に聞い
てみると、みなさん、そうおっしゃいます。それほど、話を聞く姿勢を身に
つけることは大切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強について
いけず、落ちこぼれることにもなりかねません。
 
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつもいっている
でしょう!」 
と、恐い顔して、厳しく、何十回といっても無駄、と言っても過言ではない
でしょう。言葉だけで説得できません、態度で示すに限ります。本を読んで
あげることで、お母さん自身が、よいお手本を見せています。
それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
 
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子
になる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠っ
たことも考えられるのではないでしょうか。
 
モンテッソーリの「敏感期」で、その時期に著しく成長し、それを過ぎると鈍
感になる成長過程のことです。真偽の程は定かではないようですが、言葉の
敏感期に人間の言葉に触れなかったため、言葉を話せないまま成長したイン
ドの狼少女は、敏感期を実証した話ではないでしょうか。
 
  マリア・モンテッソーリ
    イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感
   覚教育を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立
   した貧困層の健常児を対象にした保護施設「子どもの家」において、
   独特の教育法を完成させた。以後、モンテッソ―リ教育を実施する
   施設は「子どもの家」と呼ばれるようになった。
    (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
 
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つ
のことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。気力や体力は、運動
だけで培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物
事に取り組む意欲や頑張る力も育まれます。
 
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお母さんも、聞いているお子さんにも、まった
くないはずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習し
ています。
 
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。
 
「教えない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思ってい
ないにもかかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうと
する気持ち、学習意欲が身につきます。
 
しつこいですけれど、まだ、あります。
お母さんの表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなので
す。ですから、本をたくさん読んであげるお母さんは、子どもに慕われます。
それは、お母さんとお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の
世界を楽しんでいるからです。お母さんは、こんな荒唐無稽な話などありえ
ないと思っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さん
のレベルに合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、
心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
 
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
 
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない
本では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」な
どを買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こうい
ったことは、小さい時から、とかくありがちです。気を使ってください、親
の考えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、と
かく子どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話
となっている場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前
に、親のエゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり 同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、
 その本とは一切関係ありません)
 
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることもあ
るでしょうが、「どう、面白かった?」といった言葉がけはやめましょう。
親のイメージを押し付けることになりがちだからです。
「ツバサちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
 
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメ
ージが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
 
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお母さんが選ん
であげ、後はお子さんに任せてみましょう。お子さんが選んだ本は、たとえ、
年齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげて
ください。そして、自分で選んだことを褒めてあげましょう。お子さん自身
が興味を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご
両親、保護者の優しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
 
また、お子さん自身が「読んでほしい」と意欲的になる以前に「読書の時間
です」などと、スケジュールをキッチリと組むのはどうでしょうか。お子さ
ん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。まず、読み聞かせが習
慣となり、読んでほしいという意欲を掻き立てるために、寝る前に読んであ
げると良いのではないかと思います。横浜雙葉小学校の説明会でも、学園長
は「お子さまと添い寝をしながら本を読んであげる機会が少なくなっている
のでは」と懸念されていましたが、皆さん方はどうでしょうか。
 
最後に、図書館には紙芝居がたくさんありますが、利用してみましょう。紙
芝居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で
向き合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味
をもっているかがわかるからです。
 
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教
えるのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、
お子さん自身です。
 
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュー
スなどをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うも
のは丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本
から、育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
 
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期に
きちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎(いしずえ)にもな
るからです。繰り返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児
期に身につく」ことを伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
 
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、
心の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。「文字よりも
言葉」です。小学生になれば、覚えた言葉を文字で表す学習に進み、国語を
楽しく勉強できるようになるものです。これが「情操教育の基礎、基本」で
す。納得していただけたでしょうか。
 
     (次回は、季節の行事についてお話しましょう) 
 
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(1)情操教育、難しく考える必要はありません  本を読んであげてください 〔1〕

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
 
    本を読んであげてください 〔1〕
 
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVDなどに、子守をさせてはいけないと思います。確か
に、このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽
や効果音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。これほ
ど便利なものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、
疑問を感じても質問できないといった不便な点もあります。わからないまま
に、話はどんどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こ
しがちではないでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このこ
とです……。
 
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵
が主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進
む物語になっていると思います。
 
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているので
しょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれ
る言葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで
行われ、絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではない
かと思います。
 
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。 
 「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お
子さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、
確実に語彙が増えていきます。
 
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいい
ながら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読ん
でもらった本がおもしろかったので、お母さんの言葉を思い出しながら、確
かめているのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもと
に、映像を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。つまり、「言
葉で考え、想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
 
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読
んでくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
 「お母さん、ありがとう、そこまででいいです」
といったことが、しばしば起こりがちです。
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりませ
んが、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。イメージ化の中断です。
読んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えて
いますから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありませ
ん。覚えようとする力、「記憶力」がつきます。
 
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具
体的になり、そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」と、「転」
はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立
てる形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、
わかりやすい例えがありますので紹介しましょう。江戸時代後期の儒学者・
詩人・歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
   京都西陣帯屋の娘    (起)
   姉は十八、妹は十六   (承)
   諸国の大名は刀で殺す  (転)
   姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の
娘の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、
鬼退治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと
終わって、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。   
 
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえあ
りません。話は、快く聞けるように仕組まれています。しかも物語は、簡潔
明瞭に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を
理解する力、「理解力」が培われてきます。
 
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事で
しょう。イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決ま
っています。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、
住んでいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしている
ではありませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。
 
 「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわか
りません。 
 「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
 「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前も
ありません。みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どの
ように」と話は展開していきます。
 
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありませ
ん。奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄
であろうが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまい
ます。時代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。
 
ですから、子どもたちは、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせな
がら、話の世界へ入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
 
これを、几帳面に、
「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、
大字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまと
お熊という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはなら
ないでしょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。読むお母
さん方も疲れてしまいますね。
 
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   何を(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W1H]から成り立っていますが、新聞
記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従ってい
るからです。ということは、昔話を聞きながら、[5W1H]を小さい時か
ら学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
もちろん、子どもたちは、「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いて
いるわけではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいき
ますから、繰り返し話を読んでもらい、話を覚え、絵本を見ながら言葉で表
現することで、物事を筋道立てて考える訓練にもなっているのです。物事を
組み立てる、考える力、「構成力や思考力」が自ずと身につきます。
 
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければできませんから、その
ための訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、
味わい、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
 
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこ
ともできません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
 
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
 
「うん、パパも子どもの頃はよく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
 
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあ
げましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を
覚えようとします。そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
 
しかも、「覚えなさい!」といわれて覚えたものではなく、「話してみなさ
い!」といわれて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、
楽しみながら積極的に挑戦し、能力を開発しているのですから、その効果は
一石二鳥どころではなく、計り知れないものがあります。
 
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。
しかも、これだけではありません。
 
 
  (次回は、「本を読んであげてください 2」についてお話しましょう)
    
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第2号-
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-事の始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-
 
私は、長い間、幼児教育のパイオニアである大手教育研究所でお世話になって
いました。「情操を育むために、年中行事と昔話が大切な役目を果たしている
のではないか」と模索していたのは、幼児教育の本質が少しわかりかけてきた、
50歳になった頃ではなかったでしょうか。「年中行事を『科学』する」とい
う素晴らしい本にめぐり合い、進むべき道が見えてきました。
 
そして、この考えに「間違いはない」と自信らしいものが出てきたのは、ある
経験からでした。
約10年間にわたり、板橋区にある淑徳幼稚園の課外保育であった進学教室を
担当していたのですが、後半の5年間は、一人で年中組と年長組を指導するこ
とになりました。この間の子ども達のやり取りとお母さん方の反応から、年中
行事と昔話を組み合わせた「情操教育歳時記」といった何とも大仰なタイトル
ですが、気軽に読んでいただける本を作ってみようと思い始めていたのです。
 
私どもの研究所の教室へやってくる子ども達は、全員、「受験のために勉強に
きている」といった意識が、しっかりと培われていましたから、授業もやりや
すかったのです。「幼児教室は、こういうものだ」と思っていた私には、この
進学教室は、まさに青天の霹靂で、勝手が違い、思わぬ苦労をしました。
 
その日の保育が終わった後に、同じ教室でやるのですから、子ども達にとって
は、「自分たちの土俵に変な先生が入ってきた、エイリアン!」といった感じ
だったのでしょう、いつものように授業を始めることができなかったのです。
そのために、まず、授業に集中できる雰囲気を作ることからはじめました。試
行錯誤を積み重ねながらできあがったのは、授業の前に、その月の行事、11
月でしたら七五三をテーマに、昔からの言い伝えを子ども達にわかるように話
し、その月に関係ある昔話をするといった方法でした。
 
回を重ねる内にわかったのは、子ども達は、「フランダースの犬」や「アルプ
スの少女ハイジ」を知っていても、「一寸法師」や「花さか爺さん」などの昔
話を、あまり知らないことでした。しかし、話をしてみると、熱心に聞いてく
れるのです。それならばと、徹底的に昔話をすることにしたのですが、年長組
は週2回で月8回、1年間で、ざっと96の話をすることになり、少々心配に
なりました。「絵本を見ながら読んであげればいいか!」と気軽に考えていた
私は、子ども達から思わぬしっぺ返しを食い、悪戦苦闘が始まったのです。
 
それは、本を見ながら話す時と見ないで話す時では、子どもの興味を示す様子
が、微妙に違うことでした。話を覚えている場合は、子ども達の目を見ながら
話をしますから、目をそらす子はいません。「目をそらさない」は、話をしっ
かりと聞く基本的な姿勢です。本文でも紹介しますが、「大勢の子ども達に、
話を読み聞かせる重要なポイントは、話を記憶することだ」と教えてくれたの
は、進学教室の子ども達でした。
 
毎週2つの話を記憶するのは大変でしたが、子ども達は私の話を楽しみに待っ
てくれ、授業にもスムーズに入れるようになりました。見つけた時には私も驚
きましたが、「シンデレラ物語」とそっくりな話である「ぬかふくとこめふく」
を話した時の、子ども達の驚いた顔を忘れることができません。
 
ある時、椋 鳩十の動物の話をしてみました。すると、次の時間にもとリクエ
ストがあり、動物達の話に興味があることもわかりました。そこで、長編でも
ある「丘の野犬」をアレンジして話したところ、何と熱心に聞いてくれ、涙さ
え浮かべる子も出てきたのです。この時ばかりは、今、思い出しても、ぞくぞ
くするほど感激したものです。
 
進学教室の役目は、併設する淑徳小学校での勉強に、スムーズに対応できる力
を身につけることでした。小学校へは、受験勉強をし、力をつけてきた大勢の
子ども達が入学してきます。そういった子ども達に共通しているのは、「話を
聞く姿勢」が身についていることで、小学校の受験でもっとも大切なのは、こ
の「話を聞く力」なのです。ペーパーテストを例にとっても、プリントの上に
ダミーを含めて、答はすべて出ていますが、「設問」はどこにも書かれていま
せんから、話を聞き逃すと、解答できないわけです。
 
昔話や年中行事のいわれなどを聞きながら、子ども達は意識することなく、
「話を聞く姿勢」を身につけてきたのです。こうなるとしめたもので、授業は
私の仕事でしたから、後は楽なものでした。集中さえできれば、問題を解く力
もつき、面白くなりますから、取り組む意欲も違ってきます。難易度の高い問
題にも挑戦し始め、当時、毎月1回行われていた2,000名近くの子どもが
参加する公開模擬テストで、10番以内に入る子も出てきたのです。
 
さらに、思わぬ収穫になったのは、お母さん方の反応でした。授業終了の5分
ほど前に、お母さん方に集まっていただき、今日取り組んだ問題を解説しなが
ら、家庭学習の要点を説明し、今月の行事とその日に話した昔話を紹介してい
ました。
 
すると、「先生、ママが菱餅を買ってきて、何で三色なのか、先生と同じ話を
してくれたんだよ」と、女の子がいない家庭にもかかわらず、「おひな様を飾
るわけや、菱餅の色」について、子どもに話をするお母さんも出てきたのです。
話してくれる子ども達の顔は、みんなうれしそうでした。四季折々の行事の意
味を説明してきたことが、話だけで終わらずに、各ご家庭で祝ってくれるよう
になったのです。このことです……。
 
ここからは「わたし流の解釈」ですから、軽い気持ちで読み流してください。
話を聞こうとしなかった子ども達が、なぜ、楽しみに授業を待ってくれるよう
になったのか、それは子ども達の心の中に、幼いながらも、何らかの刺激を求
める小さな芽が、しっかりと培われてきていたからだと考えました。後で詳し
くお話しますが、その小さな芽は、分化され始めた「情緒」だったのです。
「情緒とは、喜怒哀楽の感情の表れたもの」と考えていただければ、わかりや
すいと思います。きっかけを与えたのが、昔話であり年中行事であったわけで
す。育まれてきた小さな芽である情緒に刺激を与えてあげれば、素直に反応を
することもわかりました。そうでなければ、あれほど真剣に話を聞くはずがな
いからです。
 
私の話でさえ一所懸命に聞くのですから、ご両親の話であれば、もっと歓迎す
るはずです。「パパがね、先生が話してくれた『おぶさりてえのおばけ』の本
を買ってきてくれたんだよ!」と嬉しそうに話してくれる子ども達も増えてき
ました。話を聞く姿勢は幼児教室や塾で身につくものではなく、ご両親の「本
の読み聞かせ」や「対話」から育まれるものです。
 
こういった体験を何とか記録に残し、皆様方に読んでいただきたいと考え、で
きあがったのが、このメールマガジンです。話を聞く姿勢さえ身につけば、小
学校の受験は、決して難しくありません。また、年中行事を、ご家庭で楽しむ
ことにより、楽しい思い出がたくさん残り、それが豊かな情操を育む礎になっ
ていることも否めない事実です。
 
小学校の入試に季節の行事が出題されるのは、なぜでしょうか。知識として知
っているかを判断しているのではありません。四季折々の行事を楽しむ、ご家
庭の文化があるかどうかを見ているのではないでしょうか。家庭の文化は、ご
両親の育児の姿勢であり、それが受験する小学校の建学の精神や教育方針と限
りなく近ければ、それが志望理由になるわけです。
 
年長さんであれば、この1年間、お子さんは受験勉強に励むわけですから、ご
両親にも勉強をしていただき、ご家庭の文化を築き上げてほしいと思います。
話を聞く姿勢が身につくのも、豊かな情操が育まれるのも、ご両親の育児の姿
勢次第です。
 
小学校の受験で必要な能力の基礎、基本は、「ご家庭で培われる」ことを学習
していただき、お子さんと三人四脚で、ゴールを目指して頑張ってほしいと願
っています。
 
 
次回は「本の読み聞かせ」についてお話しましょう。
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

さわやかお受験のススメ<保護者編>創刊号

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第1号-
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人生は、出会いと別れの織りなすものともいわれていますが、この出会いの多
い人が、幸せではないでしょうか。
出会いが多い、少ないに関わらず、素晴らしい出会いを、手軽に実現してくれ
るのが読書です。
 
永田久先生の書かれた「年中行事を『科学』する」(日本経済新聞社 刊)は、
実に貴重な出会いの一冊となりました。
 
年中行事を、科学的に研究された方がいらっしゃったのには、驚かされました。
初めて知ったことが多く、一つ一つ納得できましたが、難しいのです。
「自分の浅学を反省せずに、何だ!」と、先生からお叱りを受けるかもしれま
せん。しかし、難しいのですが、素晴らしいのです。
 
今まで、何となく季節折々の行事として、祭りとして、生活とあまり関係のな
いイベントとして、行事を見る習慣がついているお父さん、お母さん方に、行
事の由来やそれに関係のあるむかし話を紹介し、興味を持っていただき、育児
に取り入れることができれば、幼児期の心をはぐくむ教育に、よい影響を与え
るのではないかと、漠然と考えていたのです。
 
この本が、ものすごい解答を示してくれました。
門松も、菱餅も、クリスマスケーキも、年越しそばも、そのもとを尋ねてみる
と、いずれも、自然と共生するための、貴重な教えになっているではありませ
んか。
 
その心は、「感謝」です。
 
感謝を忘れると大人は傲慢になり、子どもはわがままになりがちです。
自己中心的な考えしかできない大人や、自分のことしか考えない子ども達が多
くなったのも、共に生きるためのルールを守らないからであり、いじめは、そ
の最たるものではないでしょうか。
 
「やってはいけないことがある」という、だれでも守らなくてはならない約束
事は、自立が始まる3歳頃から自律心を養う6歳頃にかけ、きちんと学習すべ
きことの一つです。
 
なぜ、子どもの頃に、むかし話を読み聞かせる必要があるのでしょうか。
 
その答えは、「桃太郎」一冊を読み返すだけでもよくわかります。
幼い子ども達の情操を培いながら、勧善懲悪をきちんと学べる大切なエッセン
スが、楽しく生きるための心の糧となるヒントが、巧みに取り込まれ、心に染
みる言葉で、やさしく語りかけているからです。
心をはぐくむばかりか、話を聞く姿勢も身につきます。
 
小学校の受験でもっとも大切なのは、話を聞く力があるかどうかにかかってい
ます。
 
そのことも本メールマガジンの重要な目的の一つです。
 
ところで、「桃太郎」「花さか爺さん」「かちかち山」「さるかに合戦」「舌
きりすずめ」は、日本の五大おとぎ話といわれていますが、お子さんに読んで
あげているでしょうか。
年中行事を祝うのも、むかし話を楽しむのも、家族というもっとも小さな集ま
りでのイベントであり、幼児期には欠かせない団欒のひと時です。
こういったことを、ご両親が率先して、きちんと楽しまれている家庭は、素晴
らしいと思います。
 
こうしたことを通して、家庭の文化が築き上げられていきます。
家庭の文化は、ご両親の育児の姿勢が表れたもので、そこから情操豊かな子ど
も達が育っていくのです。
 
「多様性」といわれる昨今ですが、子ども達が小さい頃から、家庭の文化を築
き上げることは、今も昔も変わらず大切ではないでしょうか。
 
知識を詰め込むことに熱心な親より、豊かな情操を培うことに心を注ぐやさし
いご両親こそ、子ども達にとっては、そうあってほしい親の姿です。
 
子どもと一緒に年中行事を楽しみ、話を読み聞かせるご両親のもとから、「元
気で、明るく、素直な子」が育ちます。
 
皆さん方のお子さんが受験する国立、私立小学校では、「元気で明るく素直な
子」を求めています。
 
本メールマガジンが、小学校を受験される子ども達の情操面を育むお手伝いの
一助になれば幸いです。
                   
                     めぇでる教育研究所 職員一同
 
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

 

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