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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
 
★★早春賦、いいですね★★
 
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さんたちの歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学校で習った歌、どのくらい歌えますか。
 
 
  早春賦
  作詞 吉丸 一昌  作曲 中田 章
 
 一 春は名のみの 風の寒さや
   谷の鴬 歌は思えど
   時にあらずと 声もたてず
   時にあらずと 声もたてず
 
 二 氷解け去り 葦は角ぐむ
   さては時ぞと 思うあやにく
   今日もきのうも 雪の空
   今日もきのうも 雪の空
 
 三 春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急かるる 胸の思を 
   いかにせよと この頃か
   いかにせよと この頃か
 
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し長くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやかな口調がいいですね。
 
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を待ちわびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょうど今ぐらいの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた歌詞を現代風に訳すとこんな感じでしょうか。題して〔春の誘い〕「いざない」と読んでいただければ……。
 
 一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
   谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
   まださえずるときではないと声も立てないんだから
   まださえずるときではないと声も立てないんだから
 
 二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
   さあ春は今だと思ったけれど あいにく
   今日も昨日も雪模様の空なんだ
   今日も昨日も雪模様の空なんだ
 
 三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
   聞いてしまうと急がされる気になってしまう
   この胸の思いを
   どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは 
   どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは
     (http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm)
 
 
 
★★彼岸と春分の日★★
 
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をいいます。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、という気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんにお経をあげてもらうなどして、祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことではありませんか、お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当たります。ご先祖さまがいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
 
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は此岸(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先の霊が安んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の世界、すなわち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねはん)の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
 
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。その太陽信仰ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈みます。極楽は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
    
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた太陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥陀さまの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に達するのである。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
 
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼岸会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、念仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教えですから、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。お布施も必要ありません。
 
それにしても、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、不思議で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照大神で神さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さまは仏さまです。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の国」があると信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生していることになります。「困ったときの神頼み」、本気で信じていないのでしょうね。
こういう国って、日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
 
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれた井川一久氏によるとこうなのです。
 
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部と中部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐と漬物と緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽しみ、旧正月(テツト)にはお年玉をばら撒く」
 
 
 
★★おはぎ★★
 
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」とも言います。もち米にうるち米を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で包んだものです。どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
 
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であるという仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語のbhuktaやパーリ語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu,mude(やわらかい)が「もち」となって「ぼたもち」の名が定着したのである。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。
「牡丹餅と書くのではありませんか」といわれるかもしれませんが、これは後の話だそうで、語源は、サンスクリット語やパーリ語だったのです。
 
「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く季節なので「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称されるようになったという説がありますが、まだ他にも諸説あるようです。
 
 
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
 
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春分の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、習ったことはありませんか。
ところが、違うのです。
 
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長いのである。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では3月17日と9月27日である。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをいうので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるのです。何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。
 
大気は、光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮き上がって見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えても、実際は、下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じではなくなるのだそうです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。
 
(次回は、「三月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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(Copy) 2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
 
 むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥さんは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
 ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。
 神さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するので、いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、書付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから赤ちゃんが生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年たち、50人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でなくなります。そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、もう一人の母さんを訪ね、会うことができたのです。50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達は、川下と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
 この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやかろうと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったのです。三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
          日づけのあるお話 365日
             3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」のように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜きです。
 
 
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
 
 むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。
 ある晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不思議なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てずに帰ってしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、娘の顔が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通した針を娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくようにいったのです。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさすと、若者は大声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っていったのです。翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山奥の大蛇が棲むといわれている淵に、吸い込まれるように入っているではありませんか。すると、淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き耳を立てると、娘は蛇の子をみごもっているというのです。驚いたお母さんでしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花酒を飲むいわれが語られています。              
      おはなし12ケ月 三月のおはなし
          「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目になってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうたん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神さまから地をはって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからもなかなか親しむのは難しいですね。
 
古事記にも似たような話があります。
 
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神さまであるところが古事記らしく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神さまが宿るといわれた奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこにいた蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社刊)に出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。
 
 
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れることはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいですが、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
 
 むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近くに住んでいた笛の上手な三太わらし(子どものこと)の話が伝わっています。
 三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮らしていましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役をさせて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになったある日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オイヌ達が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、父ちゃ譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音色を聞くようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来た母ちゃは、三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立てた母ちゃは、三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達は、火をくぐり、三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴の方へ導くのでした。炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ちゃも助けようとしました。オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと進んでいったのです。 そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にのって、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と呼ぶようになったのです。                
 この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人達が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手な若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守るように控えていたそうです。
  「遠野物語」の国へ 平野直 著  つぼのひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まると、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきましょう。                            
 
 「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんでいた人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味や関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝えられてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知らせたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いのではないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれたものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残してくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツのハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそうです。
 
 
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描いた「草原の狼と高原の狼」があります。
                      
 食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切なおじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、それを全部盗もうといい、もう一匹の狼はとめますが、聞く耳をもちません。
 狼は仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことになり、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼を、インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい心を持っているから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配がなくなった草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界でしか経験できないだけに、子どもたちは新鮮な驚きを感じるようですね。
人間と動物のロマンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
狼を主人公にした話で、椋鳩十の「丘の野犬」を紹介しましょう。
 
◆丘の野犬◆ 
 
 野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗まれる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
 アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫ります。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
 アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日のこと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じっと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでした。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったのですが……。
            「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
 
「母と子の20分間読書」を始め、読書の素晴らしさ、楽しさを普及する運動に力をつくした椋鳩十。
この「丘の野犬」のほかに、戦争で殺さなければならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けようと滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を助ける「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品があります。子どもにもわかるように読んであげましょう。
 
   (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第17号-
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第5章 雛祭りですね(2)
 
      
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
 
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる童謡、それが「うれしいひなまつり」です。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考えていたそうです。
 
その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、「内裏雛」は天皇、皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな様」は男雛と女雛で一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
 
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。
大臣であれば「笏(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装しているからだそうです。(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
 
本メルマガでは、皆さんが慣れ親しんでいるこの童謡の歌詞に従い左大臣、右大臣としました。
 
   うれしいひなまつり     
     作詞 サトウハチロー  作曲 河村 光陽
 
      一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
        お花をあげましょ  桃の花
        五人ばやしの    笛太鼓(たいこ) 
        今日はたのしい   ひなまつり
 
      二 お内裏様と    おひな様
        二人ならんで   すまし顔
        お嫁にいらした  姉さまに
        よく似た官女の  白い顔
 
      三 金のびょうぶに  うつる灯(ひ)を
        かすかにゆする  春の風
        すこし白酒    めされたか
        あかいお顔の   右大臣
 
      四 着物をきかえて  帯しめて
        今日はわたしも  はれ姿
        春のやよいの   このよき日
        なによりうれしい ひなまつり
  
 
 
 
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
 
なぜ、桃の花なのでしょうか。
 
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を占うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあぶると、甲羅や骨にひび割れができる。
 そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび割れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前兆(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばからもわかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆しを持つ木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたのである。したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、桃太郎でなければならないのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79) 
 
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
 
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないのですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。
 
十二支にも「申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けんかをしないように配慮されていますね。
 
 
 
★★左近の桜、右近の橘って?★★
 
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向かって右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕える者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待っていました。
 
 京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜の木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護にあたった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
   (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
 
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、その左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞれ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められているそうです。
 
 橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている馴染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔より日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えのある美しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。
 また、神の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代(よりしろ・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。    
 (https://www.e87.com/selection/hina/colum_04.htmlより)
 
  橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
                    万葉集 6(1009)
                (注 枝“え” 常葉“とこは”)
 
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびくともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていますが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかります。何事も訳ありですね。
 
 
 
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
 
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコントラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝したくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いませんか。本当のところはどうなのでしょうか。
 
菱餅の赤、白、緑の三色は、赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、白は清浄を、緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きがあり、薬として使われていたので健康を表しているのだそうです。
 
また、どうして形が「菱形」かは、諸説あるので、調べてみてください。
 
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生まれたからだそうです。
 
 
 
★★ひな祭りのごちそう★★
 
多様性の時代と呼ばれる現代ではどのようにされているのかはわかりませんが、かつては、女のお子さんがいる家庭では、必ず蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司を頂きました。
 
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかなちらしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷらなど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎った雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれるようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。
 
そして、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加わりました。
 
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
 
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエネルギー、緑は木々のエネルギー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災いや病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。(「トレンド情報ステーション」より要約)
 
 
 
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
 
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人になるという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆえに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、重宝します。
 
 
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
 
 中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
 ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わせ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあたったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、みんな楽しそうでした。
 ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたのです。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのですか」と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明すると、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓待されるので、4、5日滞在したのでした。
 やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませんから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子のもとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、この後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となったのでした。
   生きる心の糧 中国故事物語 4  駒田 信二・寺尾 善雄 編
                           河出書房新社 刊
 
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さまとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さが)でしょう。
 
理想郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありたい、ささやかな願い」ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやかな願いは、かない難くなっているようです。
 
それにしても、山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、いい年をした大人、しかも男性というところが何とも言えません。
 
 
  (次回は、「雛祭りですね(3)」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 

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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(1)雛祭りとお彼岸ですね 弥生

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第16号-
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第5章(1) 雛祭りとお彼岸ですね  弥 生
 
 
小学校受験で春は三月からです。
物の本によると、「春」の読み方は、万物が「発(は)る」(発する)からという説が有力ですが、草木の芽が「張る」、天候の「晴る」、田畑を「墾(は)る」などの説もあるそうです。
弥生(やよい)のいわれは、この頃になると、草木がいよいよ生い茂ることから、「草木がいやおい茂る月」が詰まり、「弥生」になったといわれています。
 
 
★★五節句のおもしろい特徴★★
 
三月といえば、何といっても雛祭りです。雛祭りは、いうまでもなく女の子の節句です。        
節句は一年間に五つあるので五節句と呼ばれ、正しくは「神と一緒にあることを表す節供」だそうですが、ここでは使い慣れている節句としました。
 
五節句を決めたのは江戸幕府で、古来、宮中で行われてきた年中行事から五つ選んだものです。
 
一月七日は人日(じんじつ)、陰暦の正月七日のことで、七草粥を食べる日から「七草の節句」。
三月三日は上巳(じょうし)、お雛さまを飾る日から「桃の節句」。
五月五日は端午(たんご)、鯉のぼりや兜を飾り立身出世を願う尚武が転化して「菖蒲の節句」。「端午の節句」の方が身近でしょう。
七月七日は七夕(しちせき)、夏の風物詩、七夕飾りをする「七夕の節句」、「笹の節句」。
九月九日は重陽(ちょうよう)、陰暦九月九日の節句で、九は陰陽道では陽の数とされ、これを二つ重ねた日にあたるので「重陽」といい、「菊の節句」ともいわれています。
 
五節句は奇数日で、一月七日の人日を除くと同じ数字が重なっていますが、これも何か意味がありそうです。
 
 暦の中で奇数の重ねる日を取り出し、奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための避邪(ひじゃ)の行事が行われ、季節の旬の食物から生命力をもらい、邪気を払うという目的から始まりました。 
(http://iroha-japan.net/「日本文化いろは事典」より)
        
七草粥には、ご馳走を食べ過ぎた胃を調整する薬草が入っています。      
桃の葉も薬草です。                      
菖蒲の根を細かく刻んで造った酒は、邪気を払い万病に効くといわれています。
淡竹(はちく)、真竹(まだけ)は竹葉(ちくよう)という生薬で解熱、利尿作用があります。
菊は、長生きの薬といわれています。
五節句に登場する植物は、すべて薬用で、当然のことですが、やはり意味ありでした。      
 
「私達の先祖は、薬品を食品化することで、まず日常の食事療法をやり、さらに労働スケジュールに合わせて、その時期にいちばん必要な薬物を年中行事化することで、魔除けや信仰として摂取し、健康体を維持できるように、実に巧
妙といっていい、健康管理を行っていたのである。」
(「梅干と日本刀」 日本人の知恵と独創の歴史 樋口清之 著 祥伝社 刊 P131)
 
五節句は農業スケジュールに合わせて作られ、その時の飲食物は全て薬品なのです。昔は病気になってから治療するのは大変でしたから、病気を予防するための知恵でもあったのです。当時の農作業、米作りは人海戦術で、病気をすると労働力が減り、お百姓さんにとっては一大事でしたから納得できました。
 
ところで、「怠け者の節句働き」といい、怠け者をあざける言葉があります。
節句の日には仕事を休み、神さまにお願いをする慣わしがありましたが、普段、怠けていると、この時も田畑で仕事をしなくてはならないことから生まれた言葉です。農作業は、一日も手抜きができない厳しい作業環境でもあったわけです。
 
 
★★雛祭り★★
 
昔のお雛さまは、今のように立派な飾りものではありませんでした。子どもが病気にかかると、新しい雛人形を川へ流して、病気が体の外へ逃げていくように、悪いことが起きないようにと、お祈りをしました。流し雛です。
 
室町時代、紙で作った人形(ひとがた)で体をなでて穢れを移し、川や海に流すことで無病息災を祈った「流し雛」という風習と、ひいな遊び(人形遊び)とが結びつき、貴族の間で人形を飾り、祀(まつ)るようになったと考えられています。(http://iroha-japan.net/ 「日本文化いろは事典」より)
 
米俵の両端にあるわらで編んだ丸いふた「さんだわら」(東京では「さんだらぼっち」)の上に、紙と土で作った雛人形を、あられや菱餅、桃の花と一緒にのせて川へ流したもので、今のように部屋に飾って祝うようになったのは、徳川家康の孫の東福門院が、子どものために作った座り雛が、その始まりといわれています。
                                    
雛人形が飾られるようになったのは、文化文政時代を経て天保(1830)の頃からで、宮中から武家社会、裕福な商家や名主の家庭、そして町人社会へ広まり、現在のような豪華な雛壇が作られるようになったのです。
 
雛壇には、お内裏さま、三人官女、五人囃子、左大臣、右大臣、おかしな顔をしている三人仕丁(じちょう―雑役係)、菱餅、あられ、白酒、桃と橘の花に、いろいろな生活用品が飾られています。女の子が、やさしいよい子に育って、幸せになるようにとお願いする日ですから、飾りものも女性ムードいっぱいで、夢があります。人形が主役ですが、下の方に飾ってある、あのゴタゴタとした
所帯道具も、いいですね。タンス、鏡台、長持ちから牛車、駕籠(かご)までそろえているのもあります。新婚さんの望ましい嫁入り道具一式で、昔の女の子が描く幸せな青写真を、雛壇で表しているような気がして、ほほえましくなります。
多様性の時代、といえども、こういった文化は残っていってほしいものです。
 
 
 
★★男雛と女雛、右ですか、左ですか?★★   
 
女の子がいない家庭では見られませんが、デパート等に行くと、豪勢なものが飾ってありますから見てほしいのです。地方によって、男雛と女雛の位置が違います。東京など関東地方では、男雛が右側(向かって左)に、女雛は左(向かって右側)に飾りますが、京都や奈良の関西地方では、男雛が左で女雛は右と、逆に飾ってあります。
 
関東方式は、昔中国では、「右がすぐれている」という考えがあったからです。
右には「貴い」、「尊敬すべき」、「大切な」など、左には「卑しい」、「低い」、「正しくない」などの意味があり、「右腕」や「右に出る」、「左遷」や「左前」は今でも使っています。ところが、唐の時代に左右が逆転し、左上位になったのです。
 
日本の文化は唐の影響を受け、平安時代に確立した日本の制度は左優先となった。左大臣は右大臣より上席であり、左近衛大将は右近衛大将より上級である。
(中略)左上位は唐から宋へ受け継がれたが、元の時代に逆転し、明清の時代に再々逆転し、左上位の順位が引き継がれている。
  (年中行事を「科学」する  日本経済新聞社 刊 P75)
 
もっとわかりやすいものがあります、結婚式の披露宴を思い出してください。
新郎は向かって左側に、新婦は向かって右側に座っていますが、これにも確かな意味があります。日本の結婚式は、現在はともかくとして、昔から男子が家を守っていく、男子優先で行われてきたからです。関西方式は、天皇家と関係があります。
 
天皇は、『天子南面』という言葉が示すように、紫宸殿の玉座に北を背にし、常に南の方をむいて座られた。すると、天皇の左手が東、右手が西にあたる。
昔は日の出る東が月の沈む西より上と考えられていたから、内裏様を左に飾った。したがって、大臣も左大臣が上席となっている。
 (日本の年中行事百科 2 春 民具で見る日本人の暮らしQ/A P25  監修 石井 宏實 河出書房新社 刊)
 
面白い話があります。太平洋戦争終了後、日本を占領した国際連合軍の中で、いちばん偉かったダグラス・マッカーサー元帥が、「男雛は向かって右、女雛は向かって左にしなさい!」と命令したそうです。アメリカやヨーロッパでは、レディー・ファーストの考えがあるからだと思っていたのですが、ことの起こりはヨーロッパで、騎士が戦うときには右手に剣を持ち、左手で婦人を抱える
ことから、左優先になったそうです。
 
 
 
最後に、「春一番」は立春後に初めて吹く強い南風ですが、春分まで、という期間限定のため、発生しない年もあるそうです。
 
1959年に民俗学者の宮本常一が「春一番」という言葉で、気象現象を解説したことから、新聞などで使われるようになったそうです。その後、広く一般でも使用されるようになり、今では気象用語になりました。
    (「昭和のこころ」 日本の年中行事 So-net ブログより)
 
ちなみに、関東地方で最も早かったのは昭和63年2月5日でしたが、令和3年は2月4日に吹き、記録更新となりました。最も晩かったのは昭和47年3月20日だそうです。
 
 
   (次回は「雛祭りですね(2)」についてお話しましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 二月に読んであげたい本(2)

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     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第15号-
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第4章 二月に読んであげたい本(2)
 
 
また目玉ですが、これも面白い話です。
 
◆鬼の目玉◆   松谷 みよ子 著
 
 娘が旅の途中で泊めてもらった家には、若者が一人で住んでいました。毎朝、若者は奥の部屋に出かけ、夜になると疲れはてて戻ってきます。若者のお父さんが豪傑で、悪さをする鬼の目玉をくりぬき取り上げたのです。お父さんが亡くなると鬼が目玉を取り返しにきて、毎日、責め立てていたのでした。
 ある日、娘は若者の後をつけ、拷問の場面を見たのです。鬼の大将らしき者が、わめく顔を見ると目がありません。娘が酷い仕打ちを受ける理由を聞いても若者は答えず、退屈だろうから、13ある部屋で遊びなさいという。ただし「最後の部屋へは入ってはいけない」といわれたのでした。  
 娘が最初の部屋を開けると、門松や鏡もちが飾ってある正月の部屋で、小人さんたちが、羽根つきやカルタをして遊んでいるのです。娘も中に入ってみると、小人さんと同じように小さくなり一緒に遊べるのでした。次の部屋は梅が咲きうぐいすが鳴き、次の部屋はおひなさまが飾ってあるというように、1月から12月までの部屋があったのです。楽しかったので、最後の部屋にも入ると、真っ暗な部屋に桶があり、何かが浮かんでいました。
 鬼の目玉だとわかった娘は懐に入れ、帰る途中、小川の側で蛇と出会い、びっくりして、1個、落としてしまうのです。残った1個を持って、お仕置き部屋に飛び込むと、大将の片目に、眼が入っているではありませんか。恐る恐る目を差し出すと、「眼がそろったから、褒美として娘に金の鶏をやれ」と、いったかと思うと、鬼も若者も、部屋も家も、あっという間に消えてしまい、娘は、がい骨がゴロゴロと転がっている山の中に、一人残されていたのでした。        
  日本むかしばなし 7 
   おにとやまんば 民話の研究会 編 松本 修一 絵  ポプラ社刊
 
 
 
次は笑わせられる話です。
 
◆節分の鬼◆   小沢 重雄 著 
 
 変わったじいさまがいて、節分の日に、女房も子どももいないから、鬼が来ても平気だと、「鬼は内!福は外!」とやってみたのです。すると、豆をぶつけられて往生しているのに、奇特な方がいるものだと、2匹の鬼がやってきたではありませんか。酒の好きなじいさまは、鬼達にもすすめ、宴会が始まります。ご馳走になった鬼達は、礼をしたいといいます。じいさまは、丁半博打
(ばくち)が大好きなので、さいころに化けてくれと頼みます。さっそく鬼は化けます。それで、博打をするのですから、じいさまのいうとおりの目が出て大もうけをしました。再び宴会に、今度は泡銭をたくさん持っていますから、豪勢なものです。これに味をしめたじいさまは、来年も来てくれと約束をします。しかし、次の年も、その次の年も、鬼は現れません。その内、じいさまは、酒を飲みすぎて死んでしまいました。
 博打好きでしたから地獄行きです。そこで、あの鬼達と再会します。鬼達は娑婆(しゃば)のお礼にと、いろいろと手抜きをします。釜ゆで地獄のときは、湯かげんに手心を加え、熱かんまでつけるサービスをするのです。怒った閻魔大王が、「じじいを喰っちまえ!」と鬼達に命じますが、これも手抜きをしてもらい、娑婆に舞い戻り、長生きをしたのでした。
  日本むかしばなし 7
    おにとやまんば 民話の研究会 編 松本修一 絵  ポプラ社刊
 
どうしたら、こういう発想が生まれるのでしょうか。
この2匹の鬼には人情があって、それだけにおかしいのです。針の山に登るときは鉄の下駄を用意するなど、地獄の責め苦を、鬼が手抜きする場面は、本当に笑わされます。しかし、鬼に人情って変ですね。「鬼の目にも涙」といいますから、涙腺を緩めるセンサーが付いているのでしょう。鬼の情けで「鬼情」では、何やら不気味な感じがしますね。
 
 
 
この話もおかしいのです。今度は鬼が、博打をする話です。
 
◆地蔵浄土◆   おざわ としお 再話
 
 ある日、おじいさんが、食べようとしただんごを落とし、ネズミの穴に入ってしまいました。おじいさんが、穴に入っていくと、お地蔵さまがいたので尋ねたところ、「あっちの方に転がって行ったぞ」というその口元には、黄粉がついています。おかしいなと思いながらも、探しに行こうとすると、お地蔵さまが、大儲けをさせてあげるから、天井裏に隠れなさいというのでした。鬼達が来てかけ事をするから、その金をいただくのだという。しかし、天井に上るはしごがありません。すると、お地蔵さまは、私の手に乗り、肩に足をかけ、届かなければ、頭にのって天井裏に隠れなさいというのです。罰が当たると尻込みしますが、鬼達が来ると驚かされ、渋々、隠れます。そして、「私が合図をしたら、鶏の鳴声をまねしなさい」といったのです。
 やがて、鬼達が来て、かけ事を始め、お金がたくさん出たところで、お地蔵さまから合図があり、「コケコッコー」と鳴きまねをすると、鬼どもは一番鶏が鳴いたと勘違いして、「夜明けが近いぞ!」とあせってばくちをし、2回目には二番鶏が、3回目には、「三番鶏が鳴いた。夜明けじゃ、帰るぞ!」といい、お金を残したまま消えてしまいました。おじいさんは、鬼達が残していったお金をいただいて大金持ちになったのです。    
 それを聞いた隣の欲の深いじいさん、一儲けしようと出かけ、遠慮しないで、お地蔵さまの体に足をかけて天井に上がってしまいます。ところがです。三番鳥まで鳴くようにといわれましたが、何を勘違いしたのか、お地蔵さまの合図に、「コケコッコー」と鳴きまねをせずに、「はぁ、一番鳥!」、「はぁ、二番鳥!」といってしまうのです。「この間、おれたちをだました奴だな!」と、鬼たちから散々、痛めつけられ、血だらけになって帰っていったのでした。        
  日本の昔話 2
   したきりすずめ おざわ としお 再話 音羽 末吉 画 講談社刊 
 
天井裏に上がるときの、お地蔵さまと正直なじいさまとのやり取りが、おかしいのです。欲深じいさんが天井に上がるときも、仏さまを仏さまと思わないふてぶてしさが、これまた愉快で、日本人の信仰心をあからさまにしているような気さえします。
お地蔵さまは、本当はお釈迦さまがいなくなった後、弥勒仏が出現するまでの間をつなぐ役をする偉い菩薩さまですが、いつも庶民の身近にいる仏さまです。
粋なのです、このお地蔵さまは。
こういう話を作った人って、尊敬できますね。生きることを楽しんでいるではありませんか。お地蔵さままで、舞台に上げるのですから大胆なものです。しかもです、お地蔵さまに、うそをつかせるのですから、傑作ではありませんか。
まねをした欲の深いじいさんが、こらしめられるのも、むかし話の定石です。
 
 
 
最後は鬼をたぶらかす話で、恐い鬼が相手ですから勇気がいります。
秋の話ですが、鬼の話ですのでここで紹介しましょう。
 
◆じいさまとおに◆   水谷 章三 著
 
 ある秋のことです。
 おじいさんのところへ鬼が来て、畑にできているものを半分よこせという。
そこでおじいさんは、「畑の上のものだけもらうから、鬼さんには土の中のものをあげましょう」といって、麦畑の麦を全部、刈り取って株だけ残します。
計られたと知った鬼は、次の年の秋には「土の上にできているものを、わしがもらうぞ」というので、おじいさんは「下の半分で結構です」と承知し、鬼が葉っぱを刈り取った後で、大根や芋をごっそりと掘り出したという話です。
 五月のはなし
 ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会編 国土社刊 
 
大らかな話ではありませんか。鬼を手玉に取り、恐い鬼もかたなしです。鬼は悪魔と考えられ、病気や災いを起こす疫病神のような存在でしたから、人々の「恨み、つらみ」は相当なものであったと思われます。おじいさんの気持ちが、手に取るようにわかりますね。
 
 
ここでは取り上げませんでしたが、浜田廣介の「泣いた赤鬼」は、童話とはいえ日本以外に、鬼を人間らしく扱った作品はあるのでしょうか。最後の青鬼くんの置手紙には、涙がこぼれてきます。お子さんはどのような反応を示すでしょうか。
 
  赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、僕が、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
  それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。僕はどこまでも君の友だちです。
       (「泣いた赤鬼」浜田康介 著 小学館文庫 小学館刊)
 
 
(次回は、「第五章 雛祭りとお彼岸ですね 弥生」についてお話しましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)

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   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
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建国記念の日と2月に読んであげたい本(1)
 
2月14日はバレンタインデー。「バレンタイン」は、3世紀頃にローマで殉教したキリスト教徒の英語名、イタリア語では「ヴァレンティーノ」。当時の皇帝は、兵士の戦意に影響があると考え若者の結婚を禁止。哀れに思ったバレンタインは、ひそかに結婚させていたのが皇帝の知るところとなり処刑された日が2月14日、殉教の日がバレンタインデー。チョコレートを贈る習慣は、イギリスのチョコレート会社カドリバ社がギフト用のチョコレートボックスを製造し広めたもの。日本では1970年頃より広まった。(言語由来辞典より要約)
現代では贈る相手も多様化。これからどんな「○○チョコ」という言葉ができるのでしょうか。
 
 
★★建国記念の日★★
 
2月11日は、建国記念の日です。昭和24年(1967)2月11日から、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日に定められたものです。
しかし、建国記念の日は昭和生まれではなく、明治6年に紀元節として誕生しました。紀元節は、日本書紀に記されている、神武天皇が即位され、日本の国が始まった日と定めた祝日でした。その根拠は、日本書紀第三巻・神武天皇の項に、以下のようにあります。
 
 「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」
辛酉(かのとり)の年の庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)、一月一日、天皇は橿原宮にご即位になった。この日を天皇の元年とする。
 
これを根拠として、紀元節は誕生しました。しかし、昭和23年に、紀元節が戦争の原因になった国家主義や軍国主義を象徴する祝日であったことや、日本の誕生した日はいつであるか、歴史的な根拠が明白でないことなどから廃止され、その後、さまざまな論争が続き,紆余曲折を経て、やっと「の」の一字を入れることで「建国記念の日」ができたわけです。
 
紀元節の根拠は日本書紀にあるとお話ししましたが、果たして正しいのでしょうか。暦のことなど研究したことのない方でも、秘密を解くポイントは、「辛酉(年春正月)・庚辰・朔」にあるではと思われることでしょう。
 
暦学的に検証すると、その根拠は立証されているのですから驚きです。「年中行事を科学する」(永田久 著 日本経済新聞社 刊 P54~65)には、「辛酉・庚辰・朔」について、西暦紀元前660年は辛酉年、2月11日の干支は庚辰、月齢はゼロであり、現在、建国記念の日となっている2月11日は、「日本国は神武天皇の即位をもって建国とする」との日本書紀の記述と一致することが証明されています。西暦紀元前660年といってもピンと来ないかもしれませんが、弥生時代です。
 
この記述は記述として、実際の歴史という観点からはどうでしょう。
 
日本は、もっとも短く見積もっても二千年ぐらいまで遡ることができます。世界で二番目に長い国はデンマークで一千数十年、次がイギリスで九百四十年余り、アメリカ、フランスは二百年そこそこ、中国はたった六十四年。「四千年の歴史」なんて大嘘ですからね(笑)。
(著者インタビュー 武田恒泰 著 「日本人はいつ日本が好きになったのか」 月刊雑誌 WiLL12月号(2013年)P144 ワックス出版社 刊)
 
なんと、世界最古の歴史を持つのが日本なんです。
驚きですね。
日本人が大切に守ってきた様々な文化を学び、子ども達にきちんと伝えていくことは、世界最古の歴史を持つ日本人としての役割ではないでしょうか。
 
 
★★2月に読んであげたい本(1)★★  
 
鬼に関する話はたくさんあります。代表作は「桃太郎」「こぶとり爺さん」ですが、これはお染みの話ですから紹介するのは遠慮しておきましょう。子どもに聞かせる話ですから、恐怖感をあおるようなものはあまりありません。節分ですから、やはり豆まきの話からにしましょう。
 
 
◆豆をいるわけ◆   谷 真介 著
 
むかし、まだ鬼があちこちの山奥に住んでいた頃の話です。その年は、春から日照り続きで、稲は枯れだしました。心配した庄屋さんが、「雨を降らしてくれたら、一人娘のお福を嫁にやってもよい」と言ったその声を山奥の鬼が聞き、大雨を降らせたのです。約束を迫られ嫁がせますが、その時、お母さんが知恵を働かせます。「道に落としながら行きなさい」と菜の花の種を渡しました。
それを足元に落としながら、鬼に連れられて行くのでした。
翌年の春、菜の花は咲き、それを道標(みちしるべ)に娘は家に帰れたのです。
取り返しにきた鬼にお母さんは、「酒ばかり飲んでいる者にお福はやれぬ!」と迫り、「もう、飲まん!」と約束をした鬼に、戸のすき間からいった豆を投げ、「その豆を植えて花を咲かせてみろ。その花を持ってきたら、お福をやる!」と言ったのです。何年も続けましたが、咲くわけがありません。鬼も次第に豆を見るのが嫌になり、お福の家にも来なくなりました。この話を聞いた村の人達は鬼が来ないように、いった豆を家の周りにまくようになったのです。
これが二月三日、節分の豆まきの始まりだそうです。
          日づけのあるお話 365日            
              二月のむかし話 谷 真介 編著 金の星 刊
 
節分の豆まきは、「いった豆」がキーワードのようです。童話の名作「ヘンゼルとグレーテル」の著者はグリム兄弟ですが、ドイツ人です。菜の花の種をまく作戦と小石とパンのかけらを目印にした共通の作戦は、面白いではありませんか。世界中の童話や昔話を読んでいて、話の筋や仕掛け、舞台装置が、そっくりなものに出会うとうれしくなります。その話がほほ笑ましいとなおさらです。
 
 
イギリスの民話にも日本の昔話とそっくりなものがあります。「トム・テイット・トット」の翻訳ともいわれているそうです。日本の題名は「鬼六」といいますが、文句なく面白い話です。
 
◆鬼 六◆
 
むかし、ある所に、大きくて流れの速い河がありました。その河へ橋を架けてほしいと頼まれ、やってきた名人は、一目で難しい仕事とわかり頭を抱えます。
すると、河の中から大きな鬼の首だけが現われ、「橋を架けてあげるから、お礼にあなたの目玉をくれないか!」
と言ったのです。困りはてていた大工さんは、約束をします。橋はできてほしいが、できれば目玉をあげなくてはと、大工さんは一晩中、眠れません。    
翌朝、行ってみると、何と立派な橋が架かっているではありませんか。喜んだ大工さんですが、鬼との約束を思い出し、肩を落とします。そこへ鬼が顔を出し「目玉をよこせ」と言う。どうしたものかと考えていると、「明日の朝までに私の名前を当てたら、目玉はいらないよ!」と言って、また沈んでしまったのでした。大工さんに鬼の名前がわかるはずもありません。途方に暮れて歩いていると、山奥に入いりこんでしまい、引き返そうとしたその時に歌が聞こえてきたのです。木陰からのぞくと、鬼の子ども達が歌っていました。
    ♪オニロク オニロク オニロクさん
     早く目玉をもってこい
     大工の目玉をもってこい
     橋のお礼をもってこい
     オニロク オニロク オニロクさん♪
大工さんは、それを聞いてほっとし、笑みを浮かべるのでした。   
翌朝、大工さんが河に行くと、顔を出した鬼は、名前のわかるはずがないと自信満々です。
そこで大工さんは自信なさそうに、「河鬼!」、「橋鬼!」などと言って、鬼を得意にさせておき、最後に大声で、「オニロクー!」と叫ぶと、鬼はブクブクと泡だけ残して消えてしまい、二度と姿を現しませんでした。
 (子どものための世界のお話
   福光えみ子 福知トシ 福井研介 大江多慈子 編 新福音社 刊)
 
それにしても、どうして鬼が人間の目玉を欲しがるのか、子どもに質問されそうですね。
 
 
世界中の民話や童話、昔話を読んでいると同じような話がたくさんあります。
ドイツには、この他に「こぶとりじいさん」とそっくりな話もあります。ノックグラフトンの伝説「こぶとり」です。背中にこぶのあるラズモアという帽子屋さんが、歌と踊りがたいへん上手だったので、また一緒に遊ぼうと、約束の証拠に背中のこぶを預かるといって取られてしまいます。日本では相手は鬼でしたが、ドイツでは小人さんです。この話を聞いた歌も踊りも下手な、こぶのある青年が行くと、あまりにも下手なので、預かっていたこぶをもらってしまうというところもそっくりです。グリムの作品にも「小人の贈り物」と題した同じ話があります。
 
肌の色が、言葉が、生活習慣が、宗教が違っても、人間、考えることは皆、同じなのだと思うとうれしくなりますね。
 
 
(次回は、「2月に読んであげたい本(2)」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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