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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本 

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といったものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の中で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういうおじいさんは、いなくなるでしょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会ったのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づきません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまには、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取られ、幸せに暮らしたのでした。
 
 春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊
 
 
 
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さまと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでした。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきました。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓に矢をつがえ、菩薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られて、仰向けに転がっていたのでした。
   日づけのある話 365日
 四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」に、信仰について以下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプトから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑みしないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、その種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
     (「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
 ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
ところで、東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけましたので紹介しましょう。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやると―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」ではないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火をつけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
   「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著   
   WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防いだそうです。感謝を込め、「浜口大明神」を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋は2軒だけでした。国指定史跡となった「広村堤防」は、今は大きく育った樹木に覆われ、自然の中に溶け込んでいます。(インターネットで「広村堤防」を見ることができます)
 
最後は、昔話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物たちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
 
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したところ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたところ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくなれば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それからと言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
 ※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                   日本民話の会・編 国土社 刊
 
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こういった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えています。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなっていないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものだと思います。お手本は保護者、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものではありませんね。
 
 
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1)端午の節句です 皐月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいですね。
 
 
 ★★端午の節句★★
 
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」という意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であることから、最初の午の日である5月5日を端午の節句として祝われるようになりました。また、男の子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくましい男性に成長することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。
 
昔は3月3日が「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝ったものですが、今は男の子も女の子も元気よく育つようにと祝う「子どもの日」の方が、なじみやすいのではないでしょうか。
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルーツは、お武家さん、侍の世界です。侍の家では、立派な侍になるように、鯉のぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。
 
それがいつの頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成長を祝うための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を守る兜や鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。
 
その経緯は、5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじまり」に記されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせたり、菖蒲を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節句」ともいいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうすると、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。
 
ちなみに、枕草子にも平安時代の5月5日の情景が描かれています。
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
       蓬(よもぎ)     (枕草子 第四十六段)
 
 
 
 ★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
 
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりくぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、川や池、沼に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、立身出世の象徴ともされています。
 
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はいくら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬(ももせ)の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
 
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
 
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなしてさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になるという言い伝えがあります。そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉の滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすようですが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があります。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れを昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。    
 (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊 P134)
 
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせられても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚として、お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手で胸に抱くようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随筆で読みましたが、この習性を狙ったものでしょうか。
 
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入っていません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのびやかな姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気性を表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくましくて立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもので、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表したものですが、これにも訳があります。
 
  五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、水から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
  そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
  また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観があてられた。
  (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                   監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
 
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いからではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりました。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
 
(次回は、「第7章(2)端午の節句です 『なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか』などについてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ
 
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、第三者に教育を委ねる初めての場所です。子どもたちは、親のもとを離れて初めて生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけです。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子どもたちも、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しいことばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ行こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるからです。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精一杯、努力をします。見ていると涙ぐましいほどです。
 
しかし、このようなお父さん、お母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸かし器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・溺愛・自己中心」の三つを備えた!ママ、パパです。
「悪いのは友だち、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、保護者と子どもに原因があるのですが、恥ずかしげもなく、こういう行動を起こす保護者ですから、保護者も子どももそのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、保護者から逃れられませんから。
 
幼稚園は、お父さん、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける所ですから、お父さん、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
 
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなるようでは過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にしてあるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目の子は経験済みですから手を抜きます。
 
その分、子ども自身が自力でやらねばなりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているのでたくましくなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女の子、二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にもこういった意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しません。教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組む子をよく見ましたが、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。
 
一般に、女の子は成長が早いので、あまり手がかからないものですが、男の子は少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。
 
もっともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばしていく保育」に変わりました。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
(本要領は平成20年、29年にも改定されています。)
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありません。みんなで一斉に、同じことをするのはやめて、自発的に活動できるように導く保育です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考えるべきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこもったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら「育自」する保護者になってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子どもたちもクタクタに疲れて帰って来るでしょう。しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送迎を義務付けられている幼稚園の場合は、保護者の方も体調を崩さないように気をつけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子どもたちが新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからないお母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子どもたちは、電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学することもあるはずですから、慣れるまで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む子どもたちを見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
 
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣れるまで、勉強のことは忘れましょう。
 
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。
 
これでは、命令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
 
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありませんか。あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作ってあげるべきではないでしょうか。
 
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身についていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正して、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」とも言われますが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありますし、けんかもするでしょう。先生に叱られることもありますし、勉強もわからなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
 
そのようなことがあっても、翌日、子どもたちが元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母さんやお父さん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明日に希望をもてるのです。
 
低学年時代は、主にお母さん方が頼りなことが多いでしょうから、温かい雰囲気のある家庭を作ってあげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子どもたちにはないからです。
 
そして、小学校低学年時代、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思います。
 
「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入れ替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心身ともに強くて、心のやさしい子」、暁星小学校では、たくましい子どもとは「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていましたが、そのためには、「心身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。
 
「親の背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
小学校の低学年までに、生きる姿勢の基本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本が、ご両親であることを肝に銘じておきましょう。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることもありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分がいやだったことは、子どもだっていやなはずです。
 
論語にも「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」という言葉があります。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタイによる福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもいいのですが、こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
   (次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第六章(2)桜について

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第21号-
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第六章(2)桜について
 
 
今年は予想に反して開花が遅れていますが、コロナ禍以前の場所取りをしてのお花見ができるようになり、親しい人と歓談しながらお花見をする光景が楽しみな季節になってきました。
 
ちなみに、お花見は奈良時代は梅の花を観賞するものだったようです。それが、平安時代からは桜の花に移り変わり、現代も「お花見」と言えば桜、ですね。
 
さて、日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。
しかし、梅と菊は、たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそりと観賞しなければならない風情が立ち込めています。
 
梅は一輪、一輪が、きりっと咲き、「私は私、人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがします。
 
大輪の菊は、「きちんと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まいを正して観賞せざるを得ない雰囲気があります。
 
しかし、桜とくれば下戸も上戸も無礼講とばかりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜は木そのものが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさい!」と博愛の心を大らかに誇示しているような気がします。
 
お花見の話に戻しましょう。
本来、花見は農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではありませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りになり、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の神さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この年の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
 「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田の神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木をあてたもので、そめい吉野ではなく山桜でした。
  (絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神さまを迎える儀式でしたが、武士の時代と共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽くした宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から引きずりおろされ、今では、桜のもとで食事や酒盛りをして楽しむ行事となりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
 
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっとも、そういった人々の教養のなさを酷評していますが。古来、桜は何やら人々をその気にさせる花なのですね。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができるのです。
 
こうした川沿いに多い桜の名所ですが、その他にお侍さんの勤め先である城と寺社にも多いですね。
私たち日本人は、こうした名所の他にも、なぜか桜の下に陣取り宴会を開きがちですが、面白いことに、まったく縁のない所もあります。学校の校庭ですね。
たびたびお世話になります樋口清之先生の監修された本に、校庭の桜について何とも言えず考えさせられる話がありましたので、紹介しましょう。
 
 日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであったが、これが明治時代から少しおかしなことになった。
 それは、国学者平田学派が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」という桜を詠んだ歌がもてはやされ、桜こそ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生まれてきたからである。
 さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美しいという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つまり、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵舎に桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭にも桜が植えられるようになった。
 関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
 もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで校庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学から広まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
 
さて、ここからは桜の豆知識を2つ。
 
日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。
何と推定樹齢千八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な薄紅色の花を咲かせているとなると、アニメではありませんが、目が点になりますね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ日蓮宗の古寺、実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」だそうで、日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられています。
 
そして、日本の三大桜もご紹介しましょう。この山高神代桜と福島県三春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の淡墨桜(樹齢千五百年)です。淡墨桜は、つぼみの時は薄いピンク、満開時には白、散り際には淡い墨色になり、この散り際の色にちなみ命名されたそうです。
 
少し脱線。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で、校章も桃をかたどったものですが、教育目標は人格者の育成です。明治維新の立役者の一人である岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者中村春治に協力して創った三菱系の学校です。隣の国立市には、大隈重信が創った早稲田大学の初等部と西武が創った国立学園小学校があります。明治維新に活躍した岩崎弥太郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西武、おもしろい組み合わせになっています。
 
最後に、桜と言えば、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう。
「さくら さくら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたものですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝(和楽器の一つ)の手ほどきとして作られたもので、作者は不明です。
 
  さくら さくら
  (一)さくら さくら  
     やよいの空は  見わたす限り
     かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
     いざや いざや 見にゆかん
 
  (二)さくら さくら
     野山も里も   見わたす限り
     かすみか雲か  朝日ににおう
     さくら さくら 花盛り
          (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
 
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもとは駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう。見ごろは三月下旬から四月上旬で、一見の価値ありです。六義園は小石川後楽園と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方もいろいろな思い出があるのではないでしょうか。
四季折々の息吹を味わえるのは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、この時代に生かされていることに、感謝せざるをえません。自然に勝るものはないことを、しっかりと子どもたちに伝えるのも、保護者の使命ではないかと考えますが、いかがでしょうか。
 
(次回は、「入園、入学を迎えた保護者の方へ」についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(1)花祭りでしょうね 卯月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第20号-
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第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあたり、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではなく、「卯」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
 
 ★★花祭り★★
 
キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれていますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(かんぶつえ)」といいます。
現代では仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではないでしょうか。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お父さまは王さまでシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。
ある夜のこと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な夢を見られたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かった夢だそうで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ちゃんを生むことになりました。
 
その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれた時のことです。百花繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹が痛くなり、そばにあった菩提樹の木に倒れかかり、お母さまは元気な男の子をお産みになりました。
何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いてとまり、その小さなかわいい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられたのです。
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
 
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになるように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存知の仏教です。
 
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う12月8日の「成道会(じょうどうえ)」、入滅の日とされる2月15日の「涅槃会(ねはんえ)」を合わせて「三大法会(ほうえ)」といいます。

 
 ★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂といいます。そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれになったばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し左手は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひしゃく)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降ってきたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろなお願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
でも、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですから、お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
 
 
 ★★仏教童話★★
 
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とてもいいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話として再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
 「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な感情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対であり、それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」「思いやりの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいもの、あたたかきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと私は考える。(中略)
  優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、作品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出てくると説教となって文学性を消滅する。
   (ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集 朱鷺書房 刊)
 
先生の多くの作品の中から、一編だけ紹介しておきましょう。
 
 金色の鹿
  濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色の鹿が、身をていして助けます。その時、金色の鹿は、「私がこの山にいることを、誰にも話さないで下さい」と狩人と約束をします。その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出して欲しいとお願いします。そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者はいないか、案内すればほうびを使わすぞ」と呼びかけたところ、現れたのが、命を助けてもらい、絶対に他言しないと約束したはずの、あの狩人でした。
  王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出します。
  「王さま、あれが金色の鹿です」
  と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。驚いた狩人は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。わけを聞いた王さまは、かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。すると、金色の鹿がこういったのです。
  「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せないなら、私を殺してください」
  それを聞いた王さまは、胸を打たれました。今まで王さまは狩が好きで、生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。鹿の気高い心を前にして、恥ずかしくて顔をあげられませんでした。鹿は、仏さまが姿を変え、私をまともな心に引き戻すために現れたのかもしれない。
  王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、「生き物の命をとる狩をやめることができました。あなたさまも森へ帰って、いつまでも幸せに暮らしてください」といったのです。狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男の腕に戻ってきたのでした。
      (仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さまの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、観音さまと孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になってしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあったけちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成されています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさんの童話が収められています。いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を表したもので、仏教を説くのではなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさしく話しかける作品になっています。
 
この時期だからこそ、純真な子どもたちの心に、素直にしみこむものです。どちらも絶版になっていますが、図書館で見かけることがありましたら、ぜひ、お子さんに読んであげてください。
 
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
 
      (次回は「桜について」をお話しましょう。)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
 
【三月に読んであげたい本】 
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
 
 むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥さんは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。
 ある日のこと、家の前に手まりほどのたまごが50個、置かれていました。
 神さまのお恵みと喜び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するので、いきさつを紙に書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、書付を読み、たまごをかえすことになりました。やがて、たまごから赤ちゃんが生まれ、夫婦は50人もの子持ちとなったのです。そして10年たち、50人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さんは病気でなくなります。そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてきた話を聞き、もう一人の母さんを訪ね、会うことができたのです。50人の娘に囲まれ幸せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達は、川下と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
 この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやかろうと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったのです。三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。    
          日づけのあるお話 365日
             3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊    
 
たまごから50人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」のように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜きです。
 
 
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
 
 むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。
 ある晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不思議なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てずに帰ってしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、娘の顔が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通した針を娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくようにいったのです。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさすと、若者は大声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っていったのです。翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山奥の大蛇が棲むといわれている淵に、吸い込まれるように入っているではありませんか。すると、淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き耳を立てると、娘は蛇の子をみごもっているというのです。驚いたお母さんでしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞き出し、見事に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、ももの花酒を飲むいわれが語られています。              
      おはなし12ケ月 三月のおはなし
          「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、この話はそれ以前から伝えられてきた話であることがわかります。
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目になってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。その蛇を退治する方法は、針とひょうたん。
 
妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念など、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。
聖書でも禁断の木の実を食べるようにそそのかし、その罰として神さまから地をはって生きるように定められたのも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使いだそうで、干支(えと)にも堂々と選ばれていますが、見た感じからもなかなか親しむのは難しいですね。
 
古事記にも似たような話があります。
 
男の着物に針をさすのは同じですが、男の正体が神さまであるところが古事記らしく、糸がわずか三輪しか残っていなかったことから、神さまが宿るといわれた奈良の三輪山の命名の由来となっているそうです。三輪山に登り、そこにいた蛇とにらめっこをした怖い話が、黒岩重吾の「古代史の旅」(講談社刊)に出ていましたが、蛇は、まばたきをしないから余計に恐ろしいですね(笑)。
 
 
 
ところで、民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れることはできません。面白い話があります。原作は文語体ですから読みづらいですが、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読めます。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
 
 むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近くに住んでいた笛の上手な三太わらし(子どものこと)の話が伝わっています。
 三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮らしていましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役をさせて、オイヌに食われればいいと考えました。牧場に住むことになったある日のこと、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けたことから、オイヌ達が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋しくなると、父ちゃ譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達が、その音色を聞くようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子を見に来た母ちゃは、三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。腹を立てた母ちゃは、三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイヌ達は、火をくぐり、三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風穴の方へ導くのでした。炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ちゃも助けようとしました。オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと進んでいったのです。 そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったのですが、時折、風にのって、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、この峠を笛吹峠と呼ぶようになったのです。                
 この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人達が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手な若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守るように控えていたそうです。
  「遠野物語」の国へ 平野直 著  つぼのひでお 絵 講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象と、「その絵馬が何のために掲げられているか」に疑問を持ったときに始まると、本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。原文を紹介しておきましょう。                            
 
 「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんでいた人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味や関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝えられてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知らせたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っていますが、案外、読まれていない方が多いのではないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に書かれたものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先が残してくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツのハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそうです。
 
 
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描いた「草原の狼と高原の狼」があります。
                      
 食べ物のなくなった森に棲む二匹の狼が、インディアン部落を訪ね、親切なおじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹の狼は、それを全部盗もうといい、もう一匹の狼はとめますが、聞く耳をもちません。
 狼は仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせれば友を失うことになり、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間と襲撃してきた狼を、インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退します。「お前は、正しい心を持っているから、我々と一緒に暮らそう」ということで、食べ物の心配がなくなった草原の狼は犬となり、人間と暮らすようになったのでした。
 
動物の恩返し、心温まる触れ合いは、メルヘンの世界でしか経験できないだけに、子どもたちは新鮮な驚きを感じるようですね。
人間と動物のロマンを描いた作品は、間違いなく子どもの心を揺さぶります。
 
狼を主人公にした話で、椋鳩十の「丘の野犬」を紹介しましょう。
 
◆丘の野犬◆ 
 
 野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗まれる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
 アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫ります。「食べないでおくれ!」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食べたアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
 アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日のこと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じっと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでした。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったのですが……。
            「野犬物語」 椋 鳩十 著 フォア文庫の会 刊
 
 
「母と子の20分間読書」を始め、読書の素晴らしさ、楽しさを普及する運動に力をつくした椋鳩十。
この「丘の野犬」のほかに、戦争で殺さなければならなかった飼い犬と子どもとの交流を描いた「マヤの一生」、子熊を助けようと滝つぼに飛び降りた母親の勇気を描いた「月の輪熊」、追っていた人間を助ける「片耳の大シカ」など、人間と動物のロマンを描いた作品があります。子どもにもわかるように読んであげましょう。
 
   (次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)
 
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